『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[皇學館教授・新田均ブログより(1)]

2010-10-31 23:16:06 | 保守の一考
☆ここでは、皇學館教授の新田均先生のブログをそのまま転載してしまいましょう^^

 この問題は、より多くの人々に読まれたほうがいいでしょうから^^

 今回、「皇位継承問題」で孤立している小林よしのり氏と、対立する一人になった渡部昇一氏が、小林よしのり氏に『ゴーマニズム宣言』でデマを流されたのを反証する内容でした。

 しかし、かつて、反米・親米問題で孤立した小林よしのり氏は、渡部昇一氏と共著を出すことでイメージ上の孤立を回避していたものだけどね・・・。

   ◇

   <新田均のコラムブログ>

     小林よしのり氏“公認”「ゴーマニスト」宣言(117)

 小林さんは『WiLL』12月号195頁で、渡部昇一氏の発言を批判して、次のように書いています。「皇學館に確認したのだが、『神道専門の教授として渡部氏を招くとは考えられない』ということだった。」「こんな風に、論敵の批判は、事実確認に基づいてやらなきゃ相手のダメージにならないよ。」
 しかし、これでは「事実確認」になっていません。

 ①.「皇學館に確認した」といのは、どういう意味でしょうか。まさか「皇學館」という建物に聞いたわけではないでしょうから、「皇學館の関係者に確認した」という意味でしょう。しかし、このような実名を上げない書き方は、以前彼が八木秀次氏を批判した際に否定したやり方です。「わしはこのような確実な根拠を示さず書かれた説を信用しない」(『サピオ』平成21年11月25日号56頁)

 ②.その皇學館関係者は、なぜ「考えられない」という言い方をしたのでしょうか。事実を知っている人ならば、「そういう事実はあった」「そういう事実はなかった」と、イエス・ノーで明確に答えるはずです。つまり、「考えられない」などという曖昧な言い方をしていることが、この人物が事実を直接に知り得る立場にはなかったことを証明しています。

 そこで、当時、直接に事実を知り得る立場にあった私が申し上げましょう。
あの時は、神道を専門分野としながら宗教学を担当していた神道学科の教授が他学部に異動になったために、神道に理解の深い宗教学担当者が必要となり、そこで渡部昇一氏に当時の文学部長他がお願いに参上したというのが真相です。


 ◇

 こうして事実を公開しても、小林よしのり氏は、都合の悪いことをスルーして、その先の屁理屈を展開させてしまうからなぁ。

 だから、時に『ゴーマニズム宣言』は<砂上の楼閣>となり、崩れる。

 新田先生は、論理構築においての事実の積み重ねには、非常に自分を律しているが故に「負け無し」の論客でもある。

 文章の遊びの部分と、そこは厳然と区別している。

 ・・・ところで、新田先生には娘さんがいる。

 私もそろそろ遠距離恋愛をしようかなぁ^^;

                                           (2010/10/31)
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[標語を疑え! 敵は中国だけ!(2005/5/28の再掲) ]

2010-10-31 07:30:03 | 保守の一考
   [標語を疑え! 敵は中朝韓(特定亜細亜)だけ!(2005/5/28) ]

▼よく、靖国神社に祀られる、いわゆる「A級戦犯」を糾弾してくる中国や半島二国に対し、「日本人にはいかなる死者も死んだら<仏=神様>と見做し敬う民族性がある」と言う方がいる。

 ・・・そんな考え方は日本に存在しないだろう。

 宗教哲学上においては存在するが、日本人の生活習慣においてそんなものはない。

 靖国神社は、御国のために戦い亡くなった方々を祀るために存在している。

 納得できぬ欠陥国際法廷「東京裁判」で、敗戦国日本の首脳陣は、いわゆる「A級戦犯」とされてしまったが、それでも、当然、日本にとっては英雄だし恩人だからこそ「神様」として祀っているのだ。

 靖国神社に限らず、官軍でない戦死者(いや、戦争で活躍した人にかかわらず)が祀られている神社もあるが、それは、国単位に限らずに、各共同体に対し、何らかの恩恵があったからこそ祀るのだ。

 国から小さな共同体、すべからく、その各単位においての「大いなる正義」を執行してくれたからこそ、祀られている。

 それが、人が死んで神様として祀られるようになった神社の本義である。

(現世で大悪行を為した人物を神様として畏れ敬うタイプの神社は、次義的なものとしてここでは語らない)

▼大阪は池田小学校の児童殺傷事件、その被害者の親御さんが、こんなことを言っていたのを私は忘れない。

 【『時の経過とともに、悔しさ、無念さ、理不尽さが純化され、増大していきます』】

 私には、この親御さんの気持ちが(それでも遠く及ばないでしょうが)、よく分かる気がしている。私個人にも、絶対に許せない人物がいるので・・・。

 児童殺傷事件の犯人・宅間守は死刑にされた。

 それでも、親御さんの気持ちは晴れることはないだろう。

 百遍殺しても飽き足らないだろう。

 理不尽な事象に対しての、人間の恨みは、万国共通である。

「日本人には、いかなる死者も死んだら<仏>と見做し敬う民族性がある」、「日本人は、恨みを持続させない民族性を持つ」などという標語がどれほど無責任なことであるか・・・。

 その言葉は間違っているのです。

 その標語を、いわゆる「A級戦犯」を想定し語ることは勘違いはなはだしいし、凶悪犯罪者の死に向けて語ることは言語道断のことである。

 横田早紀江さんの四半世紀に渡る苦悩も、「恨み」と言うには多元的ですが、「一途な思い」での戦いです。

 横田夫妻のケースでの、横田夫妻に対し深い深い苦悩を与えた(与え続けている)者が、たとえ死んだとして、先ほどの標語で済ませられるものなのか? と言う問題もある。

 そう言った標語に寄りかかる者は、宅間守や金正日に対し言っている訳ではない、と言うかも知れない。

 宅間守や金正日は例外だ、と言うかもしれない。

 でも、おかしいのです。

「日本人にはいかなる死者も死んだら<仏>と見做し敬う民族性がある」などと言う標語は、かような異常犯罪者に対して使う以外に使用法がないからです。

 いいですか、日本人にとって、いわゆる「A級戦犯」は犯罪者じゃないのですよ。

 恩人なのですよ。

 死んだら神として崇められて当然の人たちでもあるのですよ。

「日本人には、いかなる死者も死んだら<仏>と見做し敬う民族性がある」と言う標語を冠する対象ではないのです。

 なら、その標語は、誰にあてはめるべきものなのか?

 宅間守か? 金正日か? スーパーで赤ちゃんを刺した氏家克直か?

 上記のような異常者に、「日本人にはいかなる死者も死んだら<仏>と見做し敬う民族性がある」などと言う標語をあてはめられっこないじゃないですかッ!

 つまり、その標語は、全く意味を為さない虚言に過ぎないのだ。

 いや、金正日は別にしても、宅間や氏家の両親や家族ならば、例え、そんな異常犯罪者に対しても愛を向けるかもしれない。

 家族や隣人に優しさを向け、その死を悲しみ、霊を慰めるのは当然のことだ。

 また、死刑執行された宅間や、当然ながら死刑になるであろう、ならなくちゃいけない氏家を弔う坊さんならば、宗教的崇高さでもって、異常犯罪者に対し慈愛を向けもしよう。

 が、なんで、市井の人間が、「日本人にはいかなる死者も死んだら<仏>と見做し敬う民族性がある」、「日本人は、恨みを持続させない民族性を持つ」などと言う、<根も葉もない標語>にたぶらかされて、間接的に、宅間や氏家に殺された子どもの親御さんの無念を押さえ込もうとするのか?

▼「日本人にはいかなる死者も死んだら<仏>と見做し敬う民族性がある」、「日本人は、恨みを持続させない民族性を持つ」と言う標語は、全くのデタラメである。

 ただ、万国共通の考え方として、どこの国の人も、死者を恭しく弔う風習はある。

 そして、「理不尽な目」に遭って、恨み・怒り・悔しさを持ち続けるのも万国共通である。

 日本人が、他国人に比べ、死に対しサッパリしていると思われているのは、以下の一点に尽きる。

   【日本人は「戦争」にさほど理不尽を感じない】

 これに尽きる。

 これは、民主主義諸国に共通の観点である。

 戦争と言う「国家の大枠の定め」に対しては、その最悪の結果・死さえも「務め」と考えているからだ。

 つまり、国と個人の相互補完を、常に意識している結果である。

 中国共産党による、権力側からだけの既得権益厳守のための人民圧迫、あるいは、日本共産党による、個人の権利だけを振りかざした、国民の義務放棄の果ての体制への突き上げ、それらとは違うのである。

 戦争による「死」は、民主主義においては、けして「理不尽」ではないのである。

 それは、「戦争」が、相手国との幾つもの条件付けをされて行われるものだからである。

 ある意味、「殺し合いの運動会」だ・・・。

▼だが、特に、中国では、この概念が崩れる・・・。

 本来あったであろう祖先を敬う純粋な気持ちなどは、共産主義の唯物論で押しつぶされ、されど国民意識なき国家意識によって、精神の伴わない戦争を行なわされる。

 戦争における理不尽な気持ちは次第に増加し、でも、そのはけ口である自己(自国)は、厳重な思想統制下にある。

 やり場のない気持ちを、【本来の対象であるはずの自分の国なのに、でも、その自国から偽りの事実を与えられることによって、他国(まあ、日本だね)への怨念を育む】のである。

 民主主義においての、国民の戦争参加は、おおむね納得出来る形態をとる。

 しかし、共産主義においては、理不尽さを伴い、その理不尽さは、自国から与えられたものなのに、それを歪めさせられて、他国(まあ、日本だね)に向けさせられる。「自発的に」の意識とともに。

 特に、嘘を事実として教えて、だ。例えば、南京大虐殺・・・。

 嘘によって、人間の純粋な気持ちの一つ「怒り」や「恨み」を、中国人は生じせしめられてきたのである。

▼日本と言うか、民主主義国家の特性として、戦争を「国民の務め」として考える、がある。

 そして、何を「理不尽」と感じるか、と言う問題も派生としてある。

 ・・・「理不尽」な気持ちは、「テロ」や「虐殺」によって起こされる。

 民主主義国家は、「戦争」に、最終的には道理を見ようとする。

 しかし、「テロ」と言う無法には、理不尽さばかりつのるのである。

 そこには、「戦争」にはある、最低限のルールさえ存在しないからだ。

 私は、「テロ」行為に一理さえ感じる。だが、テロ行為が、民主主義国家において、絶対に認められないことも知っている。

 そして、無差別テロを受けた者が、「テロ」を恨み続け、「テロ」に怒り続けるのも道理である。

 日本人とても、個人異常犯罪を含む「テロ」的行為には、怒りや恨みと言う本来は誉められない負の感情を向け続けるだろう。

「拉致はテロ」である。

 横田夫妻をはじめ、拉致被害者の家族の苦悩は続きます。

 それに対し、「日本人は、恨みを持続させない民族性を持つ」などと言う標語は口が避けても言えない。

 日本人とて、理不尽な出来事には、怒りや恨みを延々と持続させ続けるのである。

▼「戦争における理不尽」として、広島・長崎の原爆や、東京大空襲の問題がある。

 この問題については、私は、全然言及できないが、「大虐殺」とも思っている。

 ただ、日本人の中には、ここのところを、「戦争」の一環として甘んじて受けている人々もいるようだ。

 もちろん、アメリカは、けして、その非を認めやしない。

 だが、アメリカは、同時に、例えば、国は違えど、母国のために死力を尽くした軍人を褒め称える国民性も併せ持つ。

 真珠湾近在の「飯田房太大尉顕彰の碑」などが有名だ。

 ここはポイントであり、アメリカが靖国神社に敬意を向けるのと同様の意味がある。

 そこは、重要な、日本との価値観共有のポイントなのである・・・。

 中国共産党には、そんな余地はない。

 旅順にある日本軍の遺跡の扱いは酷く、乃木大将の碑などは旅順監獄に放置されている・・・。

 国際外交において、自国の我を通すことしか、中国共産党には、ない。

   【そんな相手と分かり合おうとする愚、

       そんな相手と分かり合えると信じる愚】

「左の頬を打たれたら、右の頬を出す」と言うマゾ馬鹿・・・。

 そうして、反日暴動を受けるまま、ガス田を掠め取られるまま、国民を拉致されるまま、日本領土竹島を占拠されるまま、領海を侵犯されるまま、自国の英雄を靖国で敬うと言う日本国民の精神世界さえ踏みにじられるまま、日本国は衰退していくのか・・・。

 異常犯罪者、異常犯罪国家には、ハムラビ法典の教えを遵守するしかない。

 目には目を、歯には歯を!

 埴輪を蔑ろにする野郎には、埴輪を!^^;

   【日本人! そろそろ理不尽に対して、ブチキレようぜ!】

▼日本が、「日本人には、いかなる死者も死んだら<仏>と見做し敬う民族性がある」、「日本人は、恨みを持続させない民族性を持つ」と言う標語を、言葉として形づくる必要性さえなかった時代は、とっくのとおに終わっている。

 それは、明治維新によってだ。

 日本には、古来から、純粋な民主主義が存在していた。

 これは、中華世界とは全く異なる価値観だ。

 重要なポイントとしての、【日本とアジアとの差異】だ。

 アジアの中での、民族の系統以上に大きい、日本と近代欧米との精神的近似ポイントだ。

 故に、欧米の荒っぽい民主主義を受け入れられたのだ。

 そして、開国を始めた時から、現実的問題として、あらゆる国から、美徳と同時に悪徳が流れ込んできた。

 人間と言うのは、美徳は当然に甘受する。

 だが、悪徳による混乱には戸惑いは隠せない。

 悪徳による不利益には、「理不尽」を禁じえない。

 それまで、鎖国していた日本国においては、持って生まれた世界の常識があり、理不尽を理不尽と考えないでいられた。

 何よりも、日本には、世界に教わるでもない民主主義が存在していた。

 だが、世界から、日本人の常識とはあまりにも違う価値観が流れ込んできた。

 理不尽を感じずにはいられない社会に変貌していった・・・。

 そこで、「いかなる死者も仏様」、「恨みを持続して持たない民族性」を捨て去らねばならない国に変わっていくのである。

 それは、しょうがない。

 世界は日本だけではないのだから・・・。

 おそかれはやかれ、悪徳は流入してくる。

 でも、そこにおいて、絶対に、日本人として譲れないものがあろう。

 そこだけは死守せねばならない。

 例えば、国(共同体)の恩人の霊への敬意をけして忘れない、だ。

 その価値観を理解してくれている、中国と半島二国「以外」の国々とは、それだけで有効な外交を結べると信じられる。

▼欧米の民主主義の「荒っぽさ」とは、文字通りの「(十字軍的)暴力」と、そして、あまりにも大きな左翼的体質である・・・。

 日本が、中朝韓に対し、国家一丸となって戦えないのは、左翼内包の欧米的民主主義を受け入れたからである^^;

 台湾も、同じような苦しみを抱いている・・・。

▼なんか、書き残したことがあるような気がするなあ・・・。

 まあ、これからも書けばいい・・・^^

                                           (2005/5/28の再掲)
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[映画『怪盗グルーの月泥棒 3D<日本語吹替版>』を観た]

2010-10-30 22:35:26 | 物語の感想

☆寝たいので、短信です(←身も蓋もない理由・・・)。

 とは言え、この作品、なかなかの傑作だったと思う。

 ユニバーサル初の3Dアニメだそうだが、その圧倒的な「出遅れ」を全く感じさせないこなれた作りの作品だった。

 世界中から大規模な物を盗み続けていたが、いまいち伸び悩んでいた<怪盗グルー>が、ピラミッドを盗むというライバルの出現に対し、月を盗むことをぶち上げる。

 そこに、養護施設で過ごし里親を求める三人姉妹が絡んできて・・・、と言う物語。

 主人公の吹き替えは笑福亭鶴瓶があてているのだが、知らなかったので第一声は驚いたが、すぐにその上手さに驚かされる。

 グルーには、ミニヨンと言う家来の軍団がいるのだが、この小さな黄色い物体たちは、時に烏合の衆、時に忠実な労働力、時に良き協力者、時にグルーの行動に歓声(奇声)をあげる者として、作品を盛り上げる。

 この作品はシリーズ物じゃないのに、ミニヨンの人懐っこい動きは、こちらに以前から見知ったような存在として、作品自体に親近感を抱かせてくれる。

 彼らとマッドサイエンティストが巣食うグルー邸は、画面のそこかしこに面白いギミックが設えられていて、ただでさえ疲れる3D画面に更に注視させられる^^

   ・・・割りと個々の個性がある^^

 三人姉妹も可愛い。

   ・・・ジェットコースターの場面、3Dの臨場感ハンパない!

 私のお目当ては、三女の無邪気なアグネスだったが、物語の進行とともに、ややシニカルな次女イディスも素直になっていき、そのニット帽姿ともども可愛くなってきた。

 グルーに初めて会ったときの、「ゲッ!」てな表情は最高でした^^

 長女のマーゴは、おとなしめのメガネっ娘で、私はあまり好きじゃなかったのだが、クライマックス前夜、ベッドでメガネを外している姿を見て、「おっ!^^」と思い、空中脱出シーンで、意外にもヒロイン的な役割を醸すに至って、やはり魅力を感じるのだった。

 この作品、その空中脱出シーンでの、クリフハンガー的な危機の構図と言い、アクション描写でヒヤヒヤさせられる(1)。

 グルーが、ライバルのベクター邸から<デカチビ光線銃>を盗むシーンも、その動きでドキドキさせられる(2)。

 「1」は、宮崎アニメの『未来少年コナン』を彷彿とさせ、「2」は、ジブリ近作の『借り暮らしのアリエッティ』を思い出させた。

 だが、欠点もある。

 ギリギリで許せる範囲だが、詰め込んだテーマの全てを十全に消化できていない。

 グルーは、意地クソ悪い性格なのだが、実はツンデレ的な側面を持つ。

 その、三人姉妹との交流で、段々と固い心を溶かしていく経過が弱い。

 意地クソ悪い性格も、ツンデレ的な性格も、描写が弱い。

 その性格は、グルーの幼少期からの育ちに原因があるのだが、母親との絡みも分かり難い。

 三人姉妹の養護施設での生活も、院長先生一人の登場ではよく分からない。

 それと同じく、「悪党銀行」からの、悪の作戦のための融資と言う斬新な設定も、そこの代表者一人しか描かれず、なんか、見ているこちらに世界観を想像させるピースが足りない。

 だが、そのような欠点を補って余りある鋭い状況描写に溢れた作品だとは思う。

                                             (2010/10/30)

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[映画『桜田門外ノ変』を観た]

2010-10-26 23:59:24 | 物語の感想
☆う~む、面白かった。

 どこが面白かったかと聞かれたら、パッと答えられないのだが、幕末の激動の序章を、きっちりと、『十三人の刺客(2010)』のような「ケレン」を全く排して、「十八人の刺客」を描いていたのが良かった。

 私は、例え『ダンス・ウィズ・ウルブス』の「バッファロー狩り」のシーンがなくても、あの映画は充分に面白い作品だったと思っていて、

 同じく、この『桜田門外ノ変』も、派手な暗殺襲撃シーンがなかったとしても、他の部分で、随所に静かな起伏が感じられ非常に面白かった。

 造り手も、この物語が、「桜田門外ノ変」自体にあるのではないことも分かっていて、そのクライマックスを前半に持ってきていて、後は、その後の事件に及んだ浪士たちの行く末と、事件以前の、何故、事件に至ったかを交互に描くという、かなり入り組んだ凝った構成になっている。

 だが、ナレーションを大胆に、それでいて自然に使うような親切な語り口で、作品のエピローグで、全ての作品構成因子のピースがかっちりとはまることになる。

   ◇

 話が前後するが、また、私の言っていることが矛盾しているように聞えるかもしれないが、「桜田門外ノ変」自体の描き方も、実にリアルで素晴らしかった。

 いい意味で「まったり」と、雪の降る中での赤い血しぶき舞う殺陣を見せてくれた。

 悪役然としている伊武雅刀演じる井伊直弼も、日本の前途を案じ死んでいく。

 つまり、襲撃した側の水戸脱藩浪士たちも日本の前途を真摯に考え計画を実行し、

 暗殺された井伊直弼も、彼なりのビジョンで政治を行なっていたのだ。

 事件の名前と結果ぐらいしか知らなかった「桜田門外ノ変」の後先を、ドキュメントならざるドキュメント的にクールに見せてくれた力作と言えよう。

 おお! 原作は吉村昭ですかッ!!^^

 もっとも、私、マンガ『風雲児たち 幕末編(みなもと太郎著)』を読んでいたので、登場人物たちに馴染みがあったことが、この作品に思い入れが出来た一因でもある^^

      

   ◇

 ・・・しかし、主人公・関鉄之介(大沢たかお)の愛人が拷問されるシーンは妙に容赦がなかったね。

                                          (2010/10/26)
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[映画『エクスペンダブルス』『インシテミル』を観た]

2010-10-24 23:26:44 | 物語の感想
☆観た映画の報告が全く追いつかない事態が発生しています。

 『悪人』とか『BECK』とか、「見ごろ食べごろ笑いごろ」じゃなかった^^; 『食べて、祈って、恋をして』とか、観たけど、もう書かなくて良いよな!^^;

 また、『メッセージ そして、愛が残る』を観れなかったのは痛いな。

 それは、タイトルが楳図かずおの傑作『わたしは真悟』を髣髴とさせるだけでなく、作品の紹介写真を見ると、「美赤ちゃん」が出ている気配があるのだ。

     ・・・かわいいホッペ&くびれたお手手^^

 それから、最近、甥っ子や姪っ子が夕方に見ている番組『ピラメキ~ノ!』で、究極美少女に出会ったので報告しておく。

     ・・・海宝真珠ちゃん☆

 ・・・この子、もう、ベッキー・クルエールがおばさんにしか見えないくらいの可愛さだべ?

 私ゃ、この子のためなら死ねるな!

 海宝真珠について、もっと知りたい同志はこちら(クリック!)を見るぜよ!

 これからも、海宝真珠ちゃんのリスペクトは続くぜよ!(何故か、竜馬・・・^^;)

   ◇

   『エクスペンダブルス』

   

 スタローン率いるオールスターキャストの傭兵軍団のアクション作品だ。

 正直、私の期待に応えてくれる作品ではなかった。

 原因は二つ。

 一つに、主人公らの情動が、今回のミッションと重なっていないからだ。

 意味が分からない方も、それまでのスタローンの『ロッキー』や『ランボー』の、直面した闘い・戦いへの、主人公の人生との密接な関係を思えば、理解できよう。

 目の前の闘いが、主人公の生き方を代表していないから、「エクスペンダブルス」の闘いは、対象と自己の間に一線が置かれていて、それが見ている私たちの気持ちを燃え立たせないのだ。

 しかも、オールスターキャストで、登場人物に比較的等分に登場の時間を配しているので、つまみ食い感覚が起こり、こちらに、「スタローン的な単純明快な感動」も「アクションの痛快さ」も充分に与えてこない。

 ジェイソン・ステイサム演じる男が、その彼女に「君が寝ている姿だけでも満足する男さ」の、聞き様によっては、ダサさとも名言とも聞こえるセリフや、

 傭兵から足を洗ったミッキー・ローク演じる男が、何か、ありきたりにも聞こえる戦場での話を感傷的に話すところなどが、いかにもスタローン節(脚本)であったが、どうにも、スタローンらしくないテーマの拡散と霧消が感じられた。

 私は、この作品、非現実的な傭兵設定など捨てて、いっそのこと、非現実を貫いて「空賊」にでもしたら、メチャ、その設定においてはリアルな物語になったと思う。

 それから、ここで予言しておくが、おそらく、シリーズ物になろうこの作品の二作目か三作目では、ミッキー・ローク演じる彫り師は戦場に復帰し、そして、死ぬだろう。

 面白くない第二の要因としては、アクションがよく分からない、がある。

 カット割りが細かくて、アップが多くて、「動きの構図」が、こちらの頭に理解できなくて、全然面白くない。

 スタローン作品とは思えない。

 その短いカットでの、ジェイソン・ステイサムの機能的な動きや、黒人仲間の無敵ロケットライフルなどには感動するものの、だったら、もっとゆっくりとアクションを見せてほしかった。

 ジェット・リーとドルフ・ラングレンの無差別級ファイトなど、薄暗がりの闘いで、なにがなにやら。

 しかも、これも今後の成長なのだろうけど、ジェット・リーがあまり強くない設定なのも、何か不満だ。

 でも、敵に寝返ったドルフ・ラングレンが、結構ないがみ合いの果てに、最終的にはまたも仲間におさまっているのは、奇妙ではあるが、戦場をともにした仲間にしか分からない寛容が感じられて良かった。

 悪の城が、コテンパンに崩壊させられるのは、正直、ぶったまげた!

 続編? ・・・もちろん観に行くよ!!!^^v

   ◇

 で、次に紹介する作品も、『エクスペンダブルス』と同じく、その作品の最も力を入れなくちゃいけない箇所を蔑ろにした作品だ(『エクスペンダブルス』ではアクション描写)。


   ◇

      『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』

     

 『カイジ』『ライヤーゲーム』のヒットの流れにあやかりたい「閉鎖空間高賞金獲得ゲーム(引き替えは命)物」だ。

 ・・・が、この作品には、「閉鎖空間高賞金獲得ゲーム(引き替えは命)物」につきものの「心理戦」や「ミステリー要素」は全くなかった。

 ただ、オチに関連するのだが、奇を衒った殺人シーンが、ゲーム参加者間に巻き起こり、生き残り戦が行なわれるだけだ。

 閉鎖空間には、暴力的なロボットがおり、参加者の各部屋には、それぞれに一つの多様な凶器が設置されている。

 はじめから、「さあ、殺し合いをして下さい」の空間なのである。

 理不尽な変わったゲームが閉鎖空間で行なわれ、その結果、殺人が起こってしまうのではない。

 はじめから、「さあ、殺し合いをして下さい」の空間なのである。

 ホリプロの何十周年記念作でもあるとのことで、その芸能プロダクションのオールスターが出ているようだ。

 でも、みんな、何らかの形で「汚れ」である。

 記念作で、タレントのマイナスイメージを形作ってしまうって何なんだろう。

 主人公の藤原竜也は、まともなキャラクターであるが、その演技は、もう他の作品で何度も見せられて、ちょっとやり過ぎの感が見ている私に起こり、マイナスイメージだ・・・。

 綾瀬はるかは、段々と、その顔が強烈に見えてきてしまった^^;

 エピローグでは美しく見えたが、役柄で裏切られてマイナスイメージだ。

 石原さとみも「アンニュイ釘師」と化すし、平山あやは「切首(せっしゅ)バトルアックス使い・血みどろ」になるし、・・・この作品、タレントの奇矯なシーンがたっぷりだ^^;

 ただ、シェルターのような地下閉鎖空間は、静謐な怖さが醸し出されていて、私はそれだけでも楽しかった。

 ロボットもリアルに出来ていて、恐怖の存在として見れる。

 文句は多いが、二時間飽きることはなく楽しめました^^

                                            (2010/10/24)
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[与党民主党考・111 「プチ三題(埋蔵借金・政治家の資格・慇懃無礼)」]

2010-10-23 06:30:34 | 保守の一考
☆昨夜、飲み過ぎて早く寝て、今朝、早く起きてしまったので、頑張って書いてみる^^

   ◇

   「埋蔵借金」

 苦笑いさせられた。

     <特会仕分け 「埋蔵借金」で国民負担増も(産経 2010/10/23 01:09)>

 業務仕分けに伴い、民主党が行なう情報公開に際し、なんと! 今後の国家運営に際しマイナスになるだろう「埋蔵借金」の「劇場型公開」も行なうそうだ。

 これは、清廉潔白なる国家政治運営の情報公開の意図よりも、

 民主党の、莫大なるバラマキ政治の財源とされた「埋蔵金」の存在が認められない「言い訳」の一つとして利用される。

 情報公開されることによって、国民は、それこそ、その「しり拭い」をさせられるわけだ。

 本来、借金を背負いし行政機構が努力すべき問題を、国民に知らしめることによって、国民の問題に転嫁させるわけだ。

 そもそも、ありもしない「埋蔵金」を「アルアル詐欺」して、国民が知る由もなかった「埋蔵借金」を突然に突きつける「振り込め詐欺」をするかのような民主党の「無知」は、今更ながら、万死に値する・・・。

   ◇

   「国会の前段階」

 テレビニュース、ラジオやブログで、このような意見が散見される。

 「予算委員会の場だというのに、相も変わらず、自民党を筆頭とする野党は、「政治とカネ」「尖閣」の問題に執着している・・・」

 このような意見を、想像力なしに垂れ流すマスコミや個人がいるが、

 簡単に言うと、民主党の議員が「政治家として、国家予算について語る資格」がないから、予算委員会の前に、それを糾さなくちゃならないのだよ。

 例えば、殺人容疑の男が陪審員候補になったら、先ずは、その資格について論じなくてはならない。

 「政治とカネ」「尖閣」について、野党が民主党に問い質すのは、「政治家の資格のない者が政治を行なっちゃいけないんだよ」と言っているわけだ。

 私は、公益のためなら、多少の政治家の私腹を肥やすも良しと考えている。

 しかし、民主党が、「尖閣」を通し、中国に行ない続けている「売国行為」は、完全に国益に反している。

 国益とは、中国との経済取引の問題じゃないよ。

 「国」と言うもののあり方の問題だ。

 それを蔑ろにし続けたとき、日本は、「日本省」となってしまう。

 恣意的な男で、以下のごとく書いてみても信用は全く出来ないが、前原外相は、今後とも、中国に真っ当なことを言い続け、バッシングを受け続ける存在でいて欲しい。

     <前原外相「中国も会談したいから」 明確な反論は避ける (産経 2010/10/22 20:29)>

   ◇

 で、この後に、今回の「尖閣」に端を発する混乱に、中国がやっと手打ちを考え始めていることについて書こうと思ったのだが、朝食を食べなくちゃならないので、一言だけ・・・。

     <中国が尖閣「領有権」棚上げを打診 日中首脳会談に向け環境づくり (産経 2010.10.21 01:32)>

 ・・・相手の喉元まで「非常識」の匕首を突きつけておいて、手のひら返しの「常識」を笑みを交えて語りだすのは、ノモンハン事件の膠着直後(満洲の領土に深く切り込んできて、日本側の反撃準備が整ったと思ったら停戦へ)のソ連のやり方と似た共産主義国家のお家芸だな。

                                         (2010/20/23)
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[映画『ナイト&デイ』『半次郎』を観た]

2010-10-15 19:34:40 | 物語の感想
☆短信複数作品まとめ感想です^^

 前回は、『バイオ4』『大奥』『七瀬ふたたび』と、「女だけのヒート祭り^^」で括れましたが、今回の2作品は全く異なるタイプの作品だ^^;

 おっと、ちょいとひとこと言いたいことがある。

 実写版『ヤマト』だが、デスラー役のキャストが発表されないと気にしていたのだが、どうやら、ガミラス星人は、最近流行の「結晶異性体」らしいぞ!

 なんか、最近のSF作品は、敵方の描写を簡略化し、「結晶体」にしたがりますな^^;

 ・・・いや、もちろん、期待して観に行きます!!!

   ◇

     『ナイト&デイ』

     

 この作品、10月9日公開作品だそうだが、10月6日(とお月む日)っちゅうことで、トム・クルーズの「トムの日」を記念して(やる必要のない無理矢理な記念日)、先行公開だそうで、「それは見逃せん!」と観に行った・・・^^;

 軽快で粋な良作だった。

 アクションの切れ味も良く、斬新であった。

 が、作品はあくまでもトム・クルーズとキャメロン・ディアスと言う二大スターのラブ&コメディをメインに据えているので、おそらく、男性客が求めるアクションの痛快さとは隔たりがあるだろう。

 「うはっ、こんな豪快なアクションを、何でもっと熱く、こちらの気持ちを燃え上がらせるようなねちっこさで描けないんだ!」と言う不満が起こってくるのだ。

 トム・クルーズは、ちょっと歳を重ね、それが魅力になっていた。

 でも、真っ白な歯をニカッ!とさせると、やっぱりホモっぽい。

 キャメロン・ディアスは、いつも思うんだけど、どうも私にはきつい。

 『チャーリーズ・エンジェル』のチロリアン姿の頃から、かえって、その少女性の欠如があらわになり、ギスギスした雰囲気が感じられるのだ。

 ・・・この作品、見ているうちに、次第に、「隠し味」があることに気づかされる。

 そう、「ヒッチコック風」である。

 何度も繰り返されるヒロイン・ジェーンが薬で眠らされるシーンや、

 冒頭でジェーンが疑問なく乗り込んだフライトの乗客の全てが敵方だったところ、

 自分をアクシデントの渦中に引き込むトム演じるスパイ・ロイが信用できるのか出来ないのか、好きになっていいのか危険なのか、のサスペンス、

 目覚めると、連れて行かれているヨーロッパの都市の、その暖色で描かれるクリアーな町並みの情景の撮影画質、

 事件の中でありながら、それが白昼夢ででもあったかのように訪れる、ジェーンの妹の結婚式に代表される日常、

 ロイの正体・・・、

 ・・・あまり作品では強調されていないが、見ている我々は、ずーっと物語に爽快感を与えられず、不安定を感じさせられ続ける。

 それが、この作品の「ヒッチコック風」のスパイスだ。

 なお、物語の途中で、スペインヤクザとの仲介役(情婦?)みたいな黒髪の女が出てくるのだが、これが美しい^^

 また、結婚式シーンで、招待客の中に可愛い少女と幼女が出てくるのでチェケラ!!

   ◇

 で、上記の作品と下記の作品だが、書いていると共通点が見つかった。

 それは、「思想」の欠如だ。

 それは「情念」と言い換えてもいい。

 「熱血」としてもいい。

   ◇

     『半次郎』

     

 西郷隆盛の腹心・中村半次郎の生涯を描いた作品だ。

 先ず、薩摩藩士特有の、振りかぶる剣術の型、そして、「チョァアアアア!!」の掛け声などの奇矯さで、物語は牽引される。

 榎木孝明が惚れ込んで、自ら演じた中村半次郎は、素朴なれど豪快で爽やかな男で、私は、久し振りに好感の持てる人物造型を見せられた気になった。

 物語前半の、その「義」に生きる青春の姿は、実に素晴らしかった。

 激動の時代の登場人物も、極力、最小限人数に抑えつつ、「世界」を表現してくれていた。

 それ程の予算があった作品とも思われないが、舞台美術の粗は全く感じられず、時代考証もリアルだった。

 私は、撮影技術については全く分からないのだが、『プライベート・ライアン』的なデジタル処理が為された画面作りで、殺陣や合戦シーンの血飛沫や水溜りから跳ねる泥などもクリアーに見せてくれて、臨場感があった。

 前半の、後半に至る期待度たるや、私を夢中にさせた。

 しかし、後半の西南戦争は、西郷側にとっては負け戦であり、あたかも、『チェ』二部作の後編『チェ 39歳 別れの手紙』的な、死の運命を背負った展開となり、かなり寂しい(当然、物語の前半は、『チェ 28歳の革命』的な上り調子の盛り上がりだ)。

 いや、例え、負け戦であろうとも、テーマ的な盛り上げは、いかようにも出来たはずなのである。

 だが、この作品は、膨大な歴史のうねりを、限られた上映時間の中でうまく抽出していたが、そこに、「義」に拘った中村半次郎の思想と言うか「哲学」がうまく描ききれていなかった。

 分かりやすく言うと、「臭い展開」に欠けていたのだ(放屁のシーンは多かった^^)。

 故に、長い西南戦争を活写したクライマックスで、見ているこちらに爆発的な共感を呼び起こすには至らないのだ。

 仲間達が、『仁義なき戦い』ばりに、その戦死の姿が、「○○○○ ○年○月○日 享年○歳 戦死」みたいに字幕付きで描かれるが、そこに感情移入するほどの、個々の人物に対してのエピソードが不足している。

 きっちりと作られた作品だけに、非常に惜しい。

 ただ、半次郎と心を通わした商人の娘さととのエピソードは、さとを演じた白石美帆の女らしい「線の細い・芯の太い」魅力とともに、最後に余韻を残してくれた。

 しかし、私は許すが、あの時代に京都にいたさとが、西南戦争の半次郎の戦場の今際に立ち会うというのは不思議ではあった。

 さとは、テレポテーションが使えるのでしょうか?^^;

 また、物語的には、奇妙な、後に大成した半次郎(桐野利秋)の妾と、上京したさとの対面のシーンも、物語中においては違和感のあるシーンであったが、妾を演じた雛形あきことの腹の探り合いのようなセリフの応酬が実に面白く始末が悪かった^^;

 見ながら、この作品は「熱く臭い展開」には欠けるが、『ワンピース』のファンなどには受けるのではないかと思った。

                                             (2010/10/15)
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[映画『死刑台のエレベーター(2010)』を観た]

2010-10-09 23:52:07 | 物語の感想
☆短信でごめん。

 でも、かなりの問題作なので、早めに一言もの申したかったのだ。

 この作品、話の40%がメチャクチャなのである^^

 私は、上映の途中で抜け出したくなった。

 でも、最後まで見ると、何となく許せる気分にさせられたのだった。

   ◇

 いちお「映画好き」を称していた、かつての若き私も、この作品のオリジナル版(ルイ・マル監督 1957)は見ていて、当時、「へーっ、面白いな!」の感想を持ったものだ。

 だが、記憶は、マイルス・デイヴィスのトランペットのBGMと、夫の殺人を愛人に依頼した女が、愛人が戻ってこない中で不安を感じ、幻想のパリをさまようシーンが記憶に残っているのみだ。

 だから、今回のリメイクで、また別のカップルが絡んでいるのが、今回のリメイクのオリジナルなのか、オリジナルのオリジナルなのか分からないし、私、何を書いているのかも分からない^^;

 で、メインの二人、吉瀬美智子と阿部寛だが、やや気になる数ヶ所もあるが、演技・被演出ともに良かった。

 エレベーターに閉じ込められた阿部ちゃんが、悪戦苦闘する様のリアリティたるや、素晴らしかった。

 吉瀬美智子も美しい。

 が、並行して描かれるバカップル(玉山鉄二・北川景子)が、いや、二人の演技はいいよ、イケメンと可愛過ぎる娘でいいよ、でも、その二人が演じる役柄・脚本がメチャクチャじゃあないか!!!

 冒頭で、「警官」である玉山鉄二が、チンピラにボコボコにされている図で、異常な違和感が・・・。

 で、チンピラに銃を奪われても、それが目の前の状況処理で終わってしまうことで、のけぞった。

 しかし、警官が銃を奪われるというのは、全国区の大事件だぞ。

 だが、チンピラに銃を渡された親分は、「これはお宝だ^^」などと持って行ってしまうのだ。

 だが、玉山演じる警官は、外国からの要人警護の防犯体制の中で都内に配置されていたのに、そのまま、阿部ちゃんが一時駐車していたアルファロメオを盗み、それに乗り込んで、個人的に親分の追跡を始めるのだ。

 しかも、広い大都会の片隅で、自分がボコられた現場を、偶然にも彼女に見つけられ、警官の制服のまま、彼女とアベックで追跡を始めるのだ。

 男が親分の車を追うのには、銃の奪還の理由とともに、親分の車の助手席に、かつての恋人の姿を見たということもある。

 何とも、世間は狭いことで^^;

 また、北川景子だが(すっげえ、可愛い!!)、とてつもないバカで、「拳銃を取り戻せたら、警官から刑事になれるのね^^」などと言い、玉山鉄二に付き添うのである。

 北川景子が演じる役の女は、メチャクチャバカなのであるが、場面場面で、そのバカさの種類が異なり、物語的に筋の通ったバカなら、こちらも納得できるのだが、その展開に興醒めするばかりだった。

 玉山鉄二も、最初こそダンマリだったので、こっちも「こいつには何らかの行動における整合性があるのだろう」などと思っていたのだが、途中から、何やら事件に対しコメントしだすと、役柄的にも二十代前半だろうに、とたんに「ハンパねぇ」などと言うような十代中盤の浅はかな馬鹿者レベルの知能だと知れる。

 そのバカっぽいセリフ回しが見事なので困った^^;

 私は、この頃から、もう、見るのをやめたかった。

 何なんだ、このハチャメチャさは!

 物語は、並行して、エレベーターに閉じ込められた阿部ちゃんのリアルな悪戦苦闘と、

 不安の中で、無国籍風の都内をさまよう、イマージュと情念の吉瀬美智子が描かれる。

 ムチャクチャだ。

 メチャクチャだ。

   ◇

 ・・・と、思いつつ我慢して見ていたら、なんか、連続するアンバランスなシーンの数々に、「シュールさ」が見い出せるようになってきた。

 そして、その三極に別れた展開のそれぞれが、「不思議な国のアリス」でも見ているかのような、異世界探訪のように思えてきた。

 全てが、一晩のうちに行なわれているのも、何か不条理劇の現在進行形に感じられてきて、その強制性が心地良くなってきた。

 何よりも、不条理劇にしては、話が通っているのである。

 個々の俳優も、熱い演技をかましてくれている。

 で、見終えて、何か知らないが、凄いもの見せられたなぁ、と感想を抱くのだった・・・。

 皆さんは、この作品、どう見る?

 切り捨てられない魅力はあるでしょう^^

                                           (2010/10/09)
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[映画『バイオ4』『大奥』『七瀬ふたたび』を観た]

2010-10-08 20:11:44 | 物語の感想
☆短信映評3連発です!

   ◇

 『バイオハザードIV -アフターライフ-』

     

 ・・・シリーズ中、この作品が1番面白かった^^

 3Dは、これみよがしに飛び出しますし、

 いちお、ちゃんと、ロメロ的な「ゾンビ」映画の文法に沿った<立て篭もり>も、シリーズ初めて見れましたし^^

 今回、『3』の終わりに広げた大風呂敷は、渋谷シークエンスで処理されましたが(容赦なく切り捨てられてた・・・)、

 今回の『4』のラストの大風呂敷は、『5』でどうやってまとめるのでしょうか?

 みんな、皆殺しされちゃうのかな・・・。

 いやはや、「追跡者」が、大きい斧をズルズル引きずりながら、アリスの臭いをどこからか嗅ぎつけ、ゆっくりと着実に追跡していく様は、砂漠で棺桶をズルズル引きずりながら行くジャンゴを思い出させてくれました。

   ◇

 『大奥』

     

 メチャクチャ面白かった!!!

 江戸時代、疫病が流行り、男の数が激減し、男女の関係が逆転した中での、女将軍に仕える大奥の男達の姿を描く。

 状況がトンデモなのだが、細部の描写や情動を丹念に描き、冒頭の些細なシーンからして、なんか妙に感動させてくれた。

 大奥の中での序列は、分かりやすく画面に図で示され、その中で、主人公の水野が、幾つものエピソードを通して昇進していく様は、

 女人禁制の大奥、「衆道」の跋扈する中では逆の例えのように聞えるかもしれないが、スタローン映画的な勝負の構成と、勝利のカタルシスが得られる。

 私は、何度も、興奮と言うか感動で、鳥肌を立てさせられた。

 演技陣がことごとく良い!

 特に、将軍吉宗役の柴崎コウは凛々しくていいなぁ^^

   ◇

 『七瀬ふたたび』

     

 私の「青春の小説」であった『七瀬』の何度目かの映像化で、今回、初めての映画化である。

 ちなみに、「青春の終わり」を告げた小説作品は、東野圭吾の『秘密』である(これも、かつて映画化し、今度はテレビ化ですね^^;)。

 筒井康隆の、この小説作品が、世間に忘れられず映像化され続けていること自体は嬉しく、それだけで私は充分に満足だが、作品自体としては、非常にバランスが悪かった。

 原作では独立していた、能力者仲間との邂逅を、現在進行形の「組織」との戦いの中で回想形式にしていたのは上手い脚本だと思った。

 ただ、あまりにも物語上の整合性を、登場人物のセリフ一つ・画面上の描写一つに任せ過ぎのきらいがあった。

 これは、アニメだと許されるのだが、実写作品においては、説明不足、また、観ている者を物語に感情移入させるにおいては描写不足のそしりは避けられないだろう。

 これじゃあ、小説『七瀬』を知らない観客は、解せなさがつのるだろう。

 また、クライマックスの、七瀬たちの「血みどろの死闘(新潮文庫の作品紹介より)」を、大胆に改変していたので、

 そもそも、リアリティに則し、物語的にはスケールの小さい七瀬たちの戦いが、

 作り手によって、妙にハリウッド的なエンターテイメントを指向させられたばかりに、作品構成上においてのスケールまでもがダウンしてしまっていた。

 何て言うのかな?

 七瀬たちの超能力は、『X-MEN』のように派手なものではないのだ。

 『ダイハード』と、『レオン』の、物語の立ち位置におけるアクションの見せ方が違うように、『X-MEN』と『七瀬』の超能力の規模も異なるのである。

 その違いは、本来は、それぞれの作品の味だったのに、作り手は、悪い意味で『七瀬』を派手な展開に持ち込み、そのチャチな描写で『七瀬』世界の超能力の持ち味を殺してしまっていた。

 そう、この作品では、美しきテレパス・七瀬は、「森を走」らないのである!

 その代わり、古式ゆかしい「合成」で、湖上を飛んでいました・・・^^;

 クライマックスの、タイムトラベラー藤子の最後の時間遡行は、原作では、それが全く運命を変えることが出来ない範囲でしかなかったので、物語に強力な起伏を残し、後の、死に行く七瀬の絶望と諦観と希望と祈りに繋がって行くはずなのだが・・・。

 変な、サバイバルゲームに興じる様な集団を敵に設えるセンスには辟易した。

 脚本のオリジナル要素として、藤子の能力に、アンハッピーエンドの物語状況に希望を見い出させようとしたい気持ちは分かるが、

 それ故に、失った作品の魅力は多い。

 特に、クライマックスの「プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂」現象(クリック!)にあたっては、藤子の能力の条件(場所とメンバーを同じくする)の法則を全く無視していた。

 これは、原作だけにあった条件ではない。

 作品中(水族館での時間遡行)でも、一度、ちゃんと描かれていたのである・・・。

 ただ、藤子役の佐藤江梨子が、主観時間を客観年齢よりも長く生きているが故に、可愛いけど老けてもいるという計算した配役なのか、ただの結果論なのか分からない絶妙の外見をしていた。

 悪のリーダー役の吉田栄作の演技は不気味で良かったけど、原作では人間でしかなかった者を、無理矢理に超能力者に仕立て上げていたので、

 「超能力者を排斥する旧人類」と言う図式が、この超能力者のリーダーの出現によって、「不幸な境遇で超能力者を追い詰めることになった一超能力者」と言う、

 『七瀬』のテーマを根本から破壊する、結局は彼も被害者であったという相対化としての役柄に改悪されてしまっていたのは、この映画作品の最悪の要素と言えよう。

 ヘンリー役のダンテ・カーヴァーは、なかなか頑張っていたが、ノリオ役の喋り方・声が気持ち悪かったぁ~^^;

 ・・・とは言え、私は、それでも、七瀬に逢えて嬉しいのだ^^

                                         (2011/10/08)
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[映画『ガフールの伝説 3D<日本語吹替版>』を観た]

2010-10-01 13:28:28 | 物語の感想
☆短信の速報です^^;

 で、いきなり余談だが、都民の日で、イケメンが多く出る『大奥』の公開日と重なり、<MOVIX昭島>は若い女の子で盛況だったのだが、正直、あまり可愛い子がいないので驚いた。

 イケメン好きに美少女なし!!!

   ◇

 なかなか面白く、その3D・CG映像技術は最先端であろう。

 その毛並みの表現なんて、凄いものだ^^

 フクロウの世界を描くこの作品で、フクロウたちの顔が不気味だったのだが、すぐに慣れた。

 それと同時に、物語にも夢中になっていく。

 これは、正に、『銀牙 -流れ星 銀-』のフクロウ版的な内容で、非常に正調の少年ジャンプマンガ的なノリで面白い作品であった。

 「ジャンプマンガ」的というのは、熱血バトルをベースに、古今東西のエンターテイメント作品のいいトコ取りをしている作風で、

 『スターウォーズ』や『ハリーポッター』などの良さがうまくミックスされていた。

 ただ、この作品の手触りとしては、そのフクロウのビジュアルに圧倒されて、最近のピクサー作品などで見られるようなお手軽シリーズ物とは別の、オリジナルなイメージが楽しめる。

 (日本の作品ではないが)昨今流行の、「萌え」や「キャラクター重視」や、エピソードの「カタログ化」も排されており、そこも好感の作品だった。

 ただ、子供向けの作品だが、緩急に欠け、やや話がハード過ぎて、息を抜くシーンに欠けたきらいもある。

 3Dアニメらしい、明るいシーンをもっと増やすことによって、この作品は優良作になり得たと思うのだが・・・。

 時折、主人公の活躍に際し、叙情的な、ジョン・ウーのようなスローモーションが入るのだが、そこが効果をあげているとは言い難く、出崎統が使用法を失敗した時の「止め絵シーン」を見ているような気分にもさせられた。

   ◇

 この作品を見た方で、そのフクロウの世界に妙に魅力を感じた方は、是非、手塚治虫作品中、私的には五本の指に入る傑作『鳥人大系』を読んでみて欲しい。

     

                                          (2010/10/01)
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