『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[31世紀の芸術美術分野の番付ナンバー1に挙げられるものとは・・・(2003/12/14の再掲)]

2006-08-12 10:20:31 | 新・海の向こうでの冒険

☆(現在の再掲 2006/08/12)

 夏休み前の仕事の追い込み・・・、忙しい・・・。

 でも、更新を目当てに来てくれる方がいるので、再掲更新をする。

 いや、再掲と言っても、「<html>」とか「<br>」を付けるのが億劫なのよ^^;

 私は、アーサー・C・クラークが大好きで、この方がいまだに健在なのが嬉しい。

 『2001年宇宙の旅』は、2001年がとっくに過ぎたっちゅうのに、私にとっては、いまだに「未来」なのである。

 後、二作は大作をものして欲しい^^

 最近、『渇きの海』を再読したが、これも傑作なんだ^^

     ◇     ◇     ◇

▼ここ<東南アジアの旅>コンテンツ(現在の蘭による注:今はないので<海の向こうでの冒険>コンテンツで)では、私の東南アジア旅行、特にカンボジアについて書くことになる。

 カンボジアについて、特にアンコールワットについて書くことになろう。

 ちょっとした挨拶代わりに、引用をしておきたい。

 『2001年宇宙の旅(早川書房)』で有名な作家アーサー・C・クラークの作品からである。

 クラークは、SF作家と言うより「未来予測作家」と言える、その代表作の完結篇「3001年終局の旅」において、三十一世紀の世界についての詳細な詳述がある。

   (引用)

 <・・・「しかしテッド、人類の偉大な芸術作品の大半は、宗教心にインスパイアされていることは否定できないだろう? これは何かがあることを証明してるんじゃないか?」
「うん。・・・しかし、信者たちが安心するような証明ではないな。人間はときどきいちばん大きいとか、いちばん偉いとか、いちばん優れているとか、そういうもののリストを作って楽しむ。君の時代にも、これは人気のある娯楽じゃなかったかね?」
「おっしゃるとおり」
「いや、これを芸術の分野でやろうとする有名な試みが何回かあったんだ。もちろん、こういうリストは絶対的な・・・永遠の・・・価値を確定させるものじゃない。しかしなかなか楽しい企画ではあって、人間の好みが時代時代によってどう変わっていくかがよくわかる・・・。私が見たいちばん新しいリスト、・・・これは数年まえ、<地球アートネット>に載ったものなんだが、・・・これは建築、音楽、視覚芸術、等々の分野に分かれていた。・・・二、三の例は覚えている・・・。パルテノン、タージマハル、・・・音楽ではバッハの「トッカータとフーガ」が一位になって、二番めがヴェルディの「レクイエム・ミサ」だ。美術は、・・・もちろんモナリザ。次は、・・・はっきりした順番は忘れたが、セイロン島のどこかにある一群の仏陀像、それから、若きツタンカーメン王のデスマスクだ。ほか全部を仮に思いだすことができたとしても、・・・私には無理だが・・・、それは問題じゃない。重要なのは、その文化的・宗教的バックグラウンドだ。全体からいうと、ひとつの宗教が独占するということはなかった。・・・ただし音楽は別だ。これは純粋にテクノロジカルな偶然だろう。電子楽器以前の時代のオルガンとか、そういった楽器は、みんなキリスト教化された西欧社会で発明されたものだからね。状況がまったく違ってしまうということもありうる。・・・たとえば、ギリシャ人や中国人が機械をおもちゃ以上のものだと、もし考えたらとしたらだが。しかし、けっきょく論争に決着をつけたのは、私が見るかぎり、人類芸術の最高作品をひとつ挙げるとしたらという問題で起こった国民一般の合意だ。何回くりかえしても、ほとんどどんな投票リストでも、・・・答えは<アンコールワット>だ。ところが、これを発想する基となった宗教は、十何世紀も昔に滅びてしまった。あれがどういうものか、だれも正確には知らない。ただし、神はひとりじゃなく、何百という神がかかわりあっているということがわかっているだけだ」・・・>

   (引用終了)

 三十一世紀の人々による芸術美術番付においても、<アンコールワット>は、常に一位なのである^^

 と、まあ、こんな話を挨拶として、東南アジアを語っていきたいもので・・・。

                                               (2003/12/14の再掲)

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[報告⑪ <教育再生を考える夕べ・エピローグ>]

2006-08-09 22:46:19 | 保守の一考
▼今日から私、夏休み前の追い込み過酷スケジュールが始まります。

 夜勤五連チャン、しかも、全て、午後8時から午前8時までの12時間拘束勤務となります・・・。

 それが終わったら、夏休みに入るので、今回の内紛問題でお世話になった方々に御礼のメールを送りたいと考えています。

 明日からの6日間は、<名作週間>と題し、過去の投稿の再掲を行います^^

 では、<教育再生を考える夕べ・エピローグ>です。

   ◇

 ・・・まほきゃすとさん・MUTIさんが、やっと会場から出てきた。

「どうしたんですか? 遅かったですね?」

 すると、まほ氏、

「今日の会費を払ってきました^^」

 ・・・ん? 今日の会費・・・?

「・・・私、招待なので、結構だと言われましたが・・・」

「・・・ええ、まあ、そうですが、いちお、渡してきました・・・」

 ・・・、・・・つまり、社会の常識として、大人のたしなみとして、かような大きなレセプションに際しては、些少なりとも包むのが礼儀なのだろう・・・。

     ・・・^^;;;;;

 私、おそらく、会場で一番に飲み食いした人間であろう・・・。

 でも、お礼の気持ちを一銭も支払っていなかった・・・。

 うひゃあ! 私、【礼儀知らず、極まれリ】だ!!!^^;

 まほきゃすと氏は後日、語る(http://d.hatena.ne.jp/mahotan/)。

≪■[政策・思想]日本教育再生機構――「考える夕べ」盛大に大開催で大勝利確実
      http://kyoikusaisei.blog73.fc2.com/blog-entry-3.html
   酒があると、私は飲むことに専念して食べなくなります。
   この日も、食べることは、あまり考えずに水割りを仰っていました。
   こうした画像を見て後から思い返すと、勿体無いことをしたような気もします。
      http://blog61.fc2.com/a/atkaivic/file/yu-b01.jpg
   例えば、会場にカニがあったことは、蘭氏のレポートを見て初めて知りました。≫

 散々っぱら飲み食いしてビタ一文支払わなかったミッドナイト・蘭!!!

 水割りしか飲まずに、「寸志」を置いていったまほきゃすと氏!!!

 まほきゃすと氏は、あまり食さなかったことにささやかな後悔をしているようだが、私などは、会場を去っていくとき、残っている料理を想い、かように呟いたものだった。

    【『ああ、タッパ持ってくるべきだった!!』】

▼これでひとまず終わりです^^

 本当は、会場前に来襲していた桜子さんネタや、伝え聞く二次会三次会四次会の話を報告したいものですが、それは割愛します^^

 何ら、真面目な総括的な言葉がないですが、『日本教育再生機構』は、若い、これからの組織である。

 とにもかくにも、年配の方の温かい指導を受けつつ、ひたむきに走り出し始めたわけです。

 私の「バカ」は、ある、総体(相対)的に考えて「正義」と考える組織の末端に在し、活きてきます。

 私は、属する組織が、ある一定の「必要悪」を逸脱しない範囲においては、一橋頭堡となりて、その組織が目指す目標を守り続けるでしょう。

 一つ言っておくと、私は、「巨悪」を潰すためだったら、際どい手も平気で使います。

 独裁政権を潰すためには、穏やかではない武力行使も是と考えています。

「目には目を、歯には歯を、ハニワにはハニワを!」です・・・。

 ・・・もちろん、私の「武力行使」は、「パイ投げ」のようなユーモアを伴っていますがね^^

 私は、この『日本教育再生機構』に協力して行こうと思っています。

 それが、今、一番の「正義」であり「良心」です。

  『日本教育再生機構』に属する全ての爽やかな野郎どもに、幸あれ!

                                                       (2006/08/09)
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[報告⑩ <日本の教育再生を考える夕べ・人物紹介篇 その七>]

2006-08-07 06:18:46 | 保守の一考
▼⑰勝岡寛次先生 ⑱種子島経前「つくる会」会長

 会場を出た私は、ふうと吐息をついた。

 酔ってしまったので楽しい気分で過ごせたが、なかなかプレッシャーもかかっていた。

 まほきゃすとさんやMUTIさんが会場前から出てくるのが遅いので、私は、しばらく放心したようにボーッと立っていた。

   そんな虚を突かれた。

 会場ホテルの玄関ロビー方面より、勝岡先生と種子島前会長が連れ立って歩いてきたのだ。

 私は慌てて身なりを整えて、挨拶した。

「このたびは、ご苦労様でした」

 2人はゆっくりと立ち止まり、こちらを向いた。

 その立ち居振る舞いが優雅だったので、私は、私を認めていてくれるような雰囲気を感じ嬉しかった。

 私は、種子島さんに言った。

「<呪い組>と言うのは、絶妙なネーミングでしたね^^」

 すると、種子島さん、

「そうかなぁ~」と答える。

 その声が、優しいのだ。

 映画『椿三十郎』で、三船敏郎が若者たちを「この、バカッ!」と叱責していたものだが、その「バカッ!」には、どうしようもない若者たちへの愛情が感じられたものだ。

 種子島さんの声質には、心底、優しさが宿っている。

 ここで、私は、後になって後悔するのだが、種子島さんに話を振っておいて、種子島さんに答えてもらっておいて、続いて、勝岡先生のほうに向いてしまったのだ。

 それが、かようなパーティーの席での、ささやかな社交だと、その場での私は判断したのかもしれない。

 だが、種子島さんは、「なんじゃ、こいつは」と思ったかもしれない。・・・すいません^^;

 種子島前会長の<呪い組>云々について知りたい方は、下記のURLへ。

 氏の性格が表われた素直で陽性な文章である・・・。
   http://tadasukai.blog58.fc2.com/blog-entry-21.html
 勝岡先生に向かって、私は、自分が何者であるかを語ろうとした。

 種子島さんはネットに目を通しているとは思わなかった。

 勝岡先生のネット事情は分からなかった。今回の内紛問題で、勝岡先生は雑誌『SAPIO(7/12号)』でしか反論していない。

 だけども、素性の分からぬ名刺も持たぬ私は、とりあえず自分が何者であるかを語らなくてはならなかった。

 ・・・そして、ミスった・・・。

   【『私は、ネットの方で、活躍させてもらった者です』】

 一見、別段問題ないセリフである。だが、言いながら私は、とてつもなく恥ずかしくなってきた。

「な、なんで、自分で<活躍した>とかほざいているんだ、俺!?」

 酔って舞い上がって、私は、おこがましいセリフを吐いてしまった。

 もう、それからは支離滅裂だった。

 何を話したか憶えていない。

 勝岡先生は、何とも優しい笑みを浮かべた。

 この笑みの理由として考えられるのは二つ・・・。

      ① こんな変な人物も紛れ込むんだなあ。(憐れみの笑み)
      ② ああ、この人がミッドナイト・蘭か・・・。(なるほど~、の笑み)

 どうか、どうか、②でありますように・・・。

 私は、勝岡先生の姿を「第21回つくる会シンポジウム 日韓歴史認識の共有は可能か」で見たことがある。

 そこでの勝岡先生は、かなり挑戦的な姿勢を貫いていた。

 小柄な方ですが、その切れ味は異常に鋭い、と言うイメージを持っていた。

 だが、目の前の勝岡先生は優しく微笑していた。

 やはり綺麗な肌の持ち主なのだが、その頬が、お酒を飲んだからなのかな、微妙に紅潮していた・・・。

 お二人のいつもの生活は分からないのだが、その時の二人の表情には一切の「険」がなく、お二人とも、新しい組織「日本教育再生機構」の船出が無事に済んだことに一安心の心地を抱いているだろうことが感じられるのだった・・・。

 ・・・お二人は去り、後には、かような席での社交術を弁えず、失礼ばかりしてしまうバカな私が、残った・・・。

     「この、バカッ!!!」(by三船敏郎)

                                                           (2006/08/07)
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[見えざる脅威・鈴木尚之(つくる会内紛)]

2006-08-06 22:13:10 | 保守の一考
▼どうやら、「日本教育再生機構」は、「つくる会」を傘下におさめそうな勢いである。

 両者とも、「連携」と言う言葉を使っているが、もはや、「つくる会」だけでは教科書を出せないのである。

 その力関係は歴然である。

 <教育再生を語る夕べ>での、小林「つくる会」新会長の挨拶がそれを物語っていよう(文末に全文引用)。

 だが、私には不安感がある・・・。

 私には、現「つくる会」の上層部に知り合いがいるということは繰り返し記したと思う。

 実は、<教育再生を語る夕べ>の翌朝、私は、その方から連絡を受けた。

「大きな問題が残っている・・・」

 と、その方は言った。

 謝罪したとも言われる西尾先生ではない。

 もはや「みそっかす」扱いの藤岡先生でもない。

 ・・・そう、鈴木尚之(新事務局長)だけが「手つかず」で、超問題人物として依然として残っているのだ。

 この男、ネット上では既に明らかになっている「つくる会」の、

  ・愛媛県支部解散
  ・高知県支部全役員辞任
  ・徳島県支部活動停止などなど・・・

 の報告を自分の手元に握り潰しておき、会員への発表を抑えているのだった。

 そんなことは、彼にとって、何ら良心を咎めることのない情報操作である。

 そして!

 前日の<教育再生を語る夕べ>に列席した小林正新会長の、その参加に最後まで反発したのは、もはや鈴木尚之「つくる会」新事務局長の傀儡となった藤岡先生だった。

 彼は、<夕べ>において挨拶をするのなら、その一言一句までも「理事会」で是非を諮れと、小林新会長に詰め寄ったと言う。

 小林会長は、それを頑として撥ね退けた。

 小林会長・・・、なかなかの人物なのである。就任当初、これは鈴木一派の工作であることは確実だと思われるが、やたらと、その「統一教会とのつながり」がネットでかまびすしかったものだ。

 とりあえず、現「つくる会」を攻撃しとけ、などと考えていた私は、小林会長の「統一教会」ネタを責めたてたものだった。

 しかし、これこそが、現「つくる会」内部での派閥抗争を有利に運ぼうとした鈴木尚之の「暗躍」だったのであろう。

 ・・・今思えば、私は釣られたのだった^^; 小林会長、すいませんでした・・・。

 何よりも共産党のやり口を会得している藤岡先生と、共通の話題を持つとも思えない若き八木先生との両者から信任を得て、両者のパワーバランスを推し量り、自分の地位を「つくる会」内で向上させてきた男である。

 これまでも、あらゆる所属団体で、いかに自分の力が組織に必要であるかだけをアピールし続けてきた男である。

 生半なプロとしての「邪悪」ではないのである。

   まさに、【ドス黒い椿三十郎(黒澤の『用心棒』ね)】!!!

 ・・・だが、鈴木の暗躍した組織は必ず自壊滅亡に至る。

 近くは、西村眞悟議員事務所だろう。鈴木は脱税の中心にいたのである。

 そして、今回のつくる会内紛においても、だ。

 真の主役は鈴木尚之、「こいつ」だったのである。

 二重三重に張り巡らされた「姦計」は、あるいは、今回の小林新会長の<夕べ>での挨拶にさえも、サブリミナルのように仕込まれているのかもしれない。

 ・・・ああ、小林氏の会長就任へのハイスピードさえも、鈴木の暗躍の結果なのか・・・?

 あるいは、西尾先生の「つくる会」からの追放も、鈴木のシナリオ通りだったのかも・・・。

 なぜなら、西尾先生は、藤岡先生への私信で、鈴木氏への盲信に警告を発していた。その指摘は、さすがの西尾先生の「天才」である。

 私に鈴木の危険性を語ってくれた現「つくる会」上層部のA氏は、語ったものと似たような内容のメールを送ってきてくれて、こうも書いていた。

 ≪鈴木尚之氏は旧民社党の(権謀術数的な、是々非々的な、根回し腹芸的な、落とし所的な、国会対策的な、料亭政治的な、春日一幸的な、中川秀直的な)“作風”の「つくる会」を仕立て上げる事でしょう。 ≫

 ・・・民社党と言えば、遠藤浩一先生が所属していなかったか・・・?

 そして、それを、総合文学さんが指摘して、批判していなかったか・・・?

 ・・・ちょ、ちょっと待てよ!

 確か、『2ちゃんねる』での投稿で、遠藤先生や田久保先生、その他、現「つくる会」の面々の多くは、旧民社で固まっていると言う内容を見たような気がする・・・。

  【あ、あわわ、あわわ、(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル 
     旧民社党による「つくる会」乗っ取りだあああああぁぁぁ!!!】
               (注:この、私による旧民社攻撃は、すぐに撤回されました^^;)

 さ、再考せよ!!!

 「日本教育再生機構」と「つくる会」との連携を!!!

 【おまけ <夕べ>での小林会長の挨拶全文 貴重!!^^】
                (『2ちゃんねる』より)

  865 :小林正会長のあいさつ :2006/07/29(土) 16:16:36 ID:YV0MOZ24
 ●7月27日「八木秀次さんとともに日本の教育再生を考える夕べ」での新しい歴史つくる会小林正会長のあいさつ
 皆さんこんばんは。今ご紹介をたまわりました、この7月2日の総会で会長に選任をたまわりました小林正でございます。本日この会に参りまして、お顔を拝見しますと、存じ上げている皆さんばかりでありますので、非常にアットホームな感じの中でごあいさつができることを大変うれしく思っておりますし、この会にお呼びいただいた主催者に感謝を申し上げたいと思います。本日、東京都の教育委員会が八木秀次代表執筆者のページのある公民教科書を来年の中学校で採用することが決定をした、その日にきょうこの会が開かれた、二重の意味で大変意義深いものだと考えております。天の配剤といいますか、そういうことを期待してこのシナリオが作られたのかなという思いでございます。非常に幸先のいいスタートを切ることができたのではないでしょうか。(続く)


  866 :小林正会長のあいさつ :2006/07/29(土) 16:17:28 ID:YV0MOZ24
きょう八木先生の構想というものが発表されまして、私は大変心強く思いました。この会がゆるやかな協議体を結成をして各団体に参加を呼びかけるということを申されました。新しい歴史教科書をつくる会もその中にお呼びいただければ加わって、共に教育再生の一翼を担わせていただきたいと念願している次第でございます。前会長の種子島先生とさきほどお会い致しました。先生が申された「創業者の時代から組織の時代へ」、まことに素晴らしい提言でございました。私はそれを拳拳服膺致しまして、会長職務として、組織の時代に沿う経営をして参りたい、そのためには皆様方のご指導なりお知恵というものを拝借しながら進めていかなければならない、このように考えております。(続く)


  867 :小林正会長のあいさつ :2006/07/29(土) 16:19:00 ID:YV0MOZ24
先ほど来、いろんな方からもお話がございました。この会に対する期待まことに大であります。それだけに日本の教育の危機が深化している証でもあろうかと思うのでございます。そういう意味で、八木先生がこのたび、会の中心としてご活躍をいただけること、若い力でしかも息長くこの運動を支えていただければ必ずや日本の教育は再生するであろうと確信をしております。内外の諸情勢大変厳しいものがございますけれども、四海波静かとなかなかいきません。しかし、きょう船出をする八木丸の航路の平安を祈念しつつ皆さんに申し上げます。ボン・ヴォヤージュ(よい航海を)。以上でございます。


  876 :右や左の名無し様:2006/07/29(土) 21:42:35 ID:???
小林会長の挨拶全文は、たぶんここにしか出ていない貴重な資料。

                                                      (2006/08/06)
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[報告⑨ <日本の教育再生を考える夕べ・八木先生番外篇^^>]

2006-08-04 23:37:33 | 保守の一考
▼今、仕事を終え、帰宅し、パソコンを開くと、毎度の膨大な迷惑メールの中に、閲覧者からの感想メールがありました。

 それによると、「本日の更新・八木先生篇は、シリアス過ぎるんじゃない?」とのこと。

 もちろん、「ギャグ落ち」もあったのですが・・・。

 てな訳で、ごくごく短く、その「ギャグ落ち」の概要を記そう。

   (ギャグ・エンディング)

 ・・・いや、私はあのような会場での式典と言うのは、「結婚式」しか知らないのだ。

 だから、多くの方が登壇し挨拶している横で、八木先生が一人で佇んで聞いてる姿に、どうしても違和感があったのだ^^

 横に新婦がいないのが、酔った頭では不思議でしょうがなかったのだ・・・。

     【新婦は「お色直し」かな? 私は思ったのだ^^;】

                                                     (2006/08/04)
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[報告⑧ <日本の教育再生を考える夕べ・人物紹介篇 その六>]

2006-08-04 22:01:40 | 保守の一考
▼⑮八木秀次先生 ⑯和田秀樹先生

 ・・・会場から八木先生が去っていく姿を見て、我々は、会の終わりの時間が来たことを感じ、その後を追うように会場を出た。

 八木先生は、やや、気負いが感じられつつも、見事に「日本教育再生機構」の基調となる挨拶をした。

 後になって、八木先生のプロフィールを見たのだが、44歳である。

 ・・・若い。

 それがこんな大きな会の長として、立派に挨拶をこなすのだから、見事なものである・・・。

 わりと年齢の近い私は、何なんだろう・・・^^;

 正直、これまで、やや線の薄い印象だったのだが、ちょっと首やあごに肉がついてきていて、それが貫禄となって出ていた。

 苦労の表われでもあろう・・・。

 「つくる会」会長であったことは、こうして、まだまだ前途洋々とは言いがたいが、「日本教育再生機構」の設立として結実するためには、必要な期間だったのだろう。

  <教育再生を考える夕べ>での八木秀次先生の挨拶
          (「日本教育再生機構」サイトからの転載)

 ≪■ご挨拶
          日本教育再生機構設立準備室 代表
            高崎経済大学教授  八木 秀次

 ◇レーガン政権の報告書「危機に立つ国家」の衝撃

 「経済衰退の原因は教育にある」――1981年1月にアメリカ合衆国大統領に就任したロナルド・レーガンはそう考えた。その頃、アメリカの基幹産業である自動車・製鉄・工作機械の分野で日本・韓国・ドイツに凌駕されかけていた。レーガン大統領は、その背景には教育の異常があると見て、早速、同年4月、教育関係者や有識者、政治家などからなる「教育の卓越に関する国家委員会」を組織した。そしてその後、18ヶ月にも及ぶ広範な実態調査を行なわせ、議会の公聴会を経て、1983年、『危機に立つ国家』と題する報告書を提出させた。
 「我々の国家は危機に瀕している」と書き出されたこの報告書は、アメリカでは今、一世代前には考えられないことが起こっており、国家・国民の将来が脅かされることになるだろうと、“危機”の深刻さを国民に訴えるものだった。

 ◇教育改革で国家の危機を乗り越えた米英両国

 『危機に立つ国家』が着目したのは過去20年間、アメリカで支配的となっていた教育思想だった。教育の圧倒的大部分は過去の文化・文明を正確に継承し、それを発展させることであるのに、子供たちの「個性尊重」「自主性重視」の名の下に、文化・文明の継承が疎かになっている。その結果、国家の将来を担う子供たちの学力が急激に下がり、基本的な道徳が身に付いていない。これでは国は立ちゆかない。まさに“国家の危機”であり、この危機は教育の再生によってこそ乗り越えなければならない――このような認識が示された。その後、レーガン政権は大胆な教育改革を行い、その結果、国家の危機を乗り越え、アメリカは経済を含めて再生したのだった。
 ちょうど同じ頃、イギリスでもサッチャー政権が同じく「子ども中心主義」をはじめとする左翼教育思想を教育界から払拭するための大胆な教育改革を断行した。そしてこれまたイギリスは“英国病”を克服し、見事に再生したのだった。

 ◇教育がもたらした我が国の今日の危機

 翻って現在の我が国の状況を見たとき、ちょうどアメリカでレーガン政権が、イギリスでサッチャー政権が誕生する前と近似しているように思う。親殺し子殺しをはじめとする犯罪が相次ぎ、ニート、フリーターの増大が社会問題となっている。世界に誇った国民の学力も低下が自明となり、「日本人は高貴である」と賞賛された国民道徳も、政界の腐敗、経済界の拝金主義、公務員や教員の綱紀の乱れに見られるように随分怪しくなっている。資源の乏しい我が国にとって人間の“質”の高さは唯一の資源と言ってもいいが、それが崩れようとしている。まさに当時のアメリカやイギリスと同様、「我々の国家は危機に瀕している」のである。
 その原因はやはり当時のアメリカやイギリスと同様、教育にあると考えるべきである。我が国でも怪しげな教育思想がこの30年ほどの間、支配的になっている。「子ども中心主義教育」や唯物史観・自虐史観、ジェンダーフリー・過激な性教育などに見られる解放思想が教育界に圧倒的影響力を与えている。教職員組合のみならず、今日では文部科学省や各教育委員会までもがそれらを推進する役割を果たしている。その結果が今日の状況だと考えるべきなのである。

 ◇教育再生から日本の再生へ

 そうであれば、その克服にやはり教育を変えるほかはない。怪しげな教育思想や制度を排し、代案を示して、日本の教育を大きく変える。将来の日本を担う子供たちを正しい道に導く。そして日本を再生させる。私はこの数年、このようなことが必要ではないかと思ってきた。
 もとより、それは私如き人間が一人でできることではない。多くの方々のお力を借りて取り組むほかない大事業である。しかし、幸い、私には多くの同志がおり、ご支援下さる方々や団体もある。アメリカでレーガン政権誕生の原動力となったのは「基本に返れ!」を合言葉にした父母たちの教育運動であり、イギリスでもサッチャー政権を生み出したのは教育の現状を告発する「教育黒書運動」であったが、同様に日本の教育を良くし、「美しい日本」を再興するためには、多くの方々の力を結集した私たちなりの草の根運動が必要ではないか。そうであるなら、その音頭取り、コーディネーター役をさせて頂けないか、そんな思いで皆様にお声を掛けさせて頂いた次第である。今、私は明治の初年に明治天皇が示された「五箇条の御誓文」の精神に立ち返ることを提唱したい。ここには我が国の近大教育の原点が示されているように思う。皆様と忌憚のないご意見を交換して、日本の教育を再生する大きな第一歩になれば幸いである。
                   平成18年7月27日  ≫

 会場を出る直前、和田秀樹氏が歩いていた。

 和田氏は、それまでも会場内を活動的に動いていて、何度も目についた。

 私は、『天才バカ板!』の投稿で、一度、和田論文を批判したことがあったので、まあ、それを読んでいるとは思えないのだが、顔を合わすのに気が引けた^^;

 この方、八木先生と同じ「正論新風賞」を取ったこともそうだが、顔も八木先生とどことなく似ていた。

 でも、今回、明らかに表情から受けるイメージが異なっていた。

 八木先生は、重い役割を担い、それに答えようと強い意志の表情を崩さなかった。

 舞台の脇で、多くの登壇者の話を、厳かに受けていた。

 和田氏は、軽快なフットワークで、会場内を闊歩し、多くの人と語り合っていた。

 それは、この場での役割の違いに過ぎない・・・。

 会場を出る・・・。

 そこには、八木先生が、参加者との別れの挨拶をすべく立っていた。

 実は、会の始まる前に、とある方から、「『八木先生が挨拶を交わしたい』と言っていましたので、機会があれば、是非、お話を!」と言われていた。

 だが、さすがに、八木先生は今回の中心人物である。気軽に近づく訳にもいかなかった。

 しかし、こうして、集いの最後に顔を合わす機会があって良かった。

 八木先生は、どなたかと挨拶を交わしていた。

 頭を下げていた。

 八木先生が頭を上げたとき、私はちょうど、八木先生の前に来た。

 目が合う。

「このたびは、ご苦労様でした。・・・ミッドナイト・蘭です」

 すると、一瞬だけ、八木先生は顔をほころばせた(目じりと口もとね)。

 私は、(良かった~)と安心した。

 八木先生に掛かる重責たるや、かなりのものだろうて。私如きに表情を崩せなきゃ、気持ちが休まる暇がなかろう。

 表情を柔らかくしたのは、ほんの一瞬だけだったのである。

 すぐに、キリッとした視線に戻った。神妙な視線だ。

 それでも良かった、と思った。

「これからの活躍を期待します。応援します。協力します」

 と言う、無難なセリフしか、この場では言えなかった。

 八木先生は、お互いに頭を下げたとき以外は、視線を離さなかった。

 ・・・若い方である。

 その瞳には、余裕は感じられなかった。

 これから、遮二無二、走り続けるのだろう。

 私は、伴走者になるほどの力はないが、所々の給水所で、強烈に効く栄養剤を手渡すことは出来ようぞ^^

 PS.八木先生も何か言葉を掛けてくれたのだが、私は緊張していたので、記憶が欠落してしまった・・・。
  ただ、視線を交わせたことは大きい。この方は【理不尽にはけして屈しない男だ】。

 PS・2.『諸君!(9月号)』の巻末には、読者の投稿扱いで、八木先生の西尾妄想文章(同誌8月号)への「事実訂正文(反論ではない。そもそも、西尾先生がもはや論理を捨て去った嘘の垂れ流しを行っているのだから・・・)」が載っていた。
 その短い文章は、逐一、西尾幹二のついた「嘘」への「事実」の提示であった。
 八木先生、かような文章を書くのは辛かろう。
 西尾先生のその場その場の【思いつきの妄想】にも、それが公で発表されている段においては、自らの労苦として弁明しなくてはならないのだから・・・。

 ・・・なんで、異常者(左翼)を糾弾する勢力の中で、このようなキチガイ沙汰が起こってしまったんだろう・・・。

 それは、八木先生が、そして、私でさえもが同じように抱く、西尾幹二への感想だ・・・。

                                                      (2006/08/04)
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[報告⑦ <日本の教育再生を考える夕べ・人物紹介篇 その五>]

2006-08-03 21:43:01 | 保守の一考
▼⑬上野一彦 「つくる会」元高知県支部支部長
一番に会いたかった人物とも言える。
この方と私との係わり合いは、

  [勇気と涙のやりとり(つくる会内紛)] 2006/05/28

  [勇気と涙のやりとり・逆襲の始まり(つくる会内紛)] 2006/05/29

 を読んでいただければ、よく分かると思う。

 この続きも書いて、いちお、うまくまとめたいのだが、その時間的余裕がないのが現実だ^^;

 ・・・つまり、ネット上でのつきあいだったので、その容貌を知らなかった。

 私の方は、HPで顔を曝しているので、あちらから声をかけてくれるかなあ、と淡い期待を寄せていた。

 と、思ったら、まほ氏と会場を巡っている途中で、その名札がパッと目についた。

「ちょっと挨拶してきます」と、私はまほ氏に言い、上野さんの立つオードブルエリア方面にずんずん進んでいった。

 上野さんは、カニ足エリア辺りから、登壇者の挨拶を聞いていた。

 私が挨拶すると、なかなか「私」だと認識できないようだった。

 私の方も驚いた。

 名札を目指して進んできて、改めて上野さんを見たのだが、いわゆる「ハンサム」だったのだ。

 私は勝手に、「男臭い」感じの中尾彬とか梅宮辰夫とか松方弘樹みたいな人物を想像していたので、意外だった。

「高知」や「土佐」と言う単語で、勝手なイメージを形作っていた^^;

 話していて感じたのが、この方、今回の問題に対し、全く「終わり」と感じていないようだった。

 私は、「勝利祝い」の気持ちで、この集いに参加していたので、何となく臨戦態勢にある上野さんには驚かされた。

 お食事タイムになり、他の参加者が歓談している時に、上野さんは、登壇者の話を熱心に聞いていた。

 個々の登壇者の語る内容・その方向性と、これからの「こちら側」の未来を模索しているのだろう。

 ある意味、和やかにパーティーを楽しんでいる新田先生たちとは、異なったベクトルであった。

 世の中には、色んな役割があるのだろう・・・。

 握手をした。

「今回の戦いは、大変だったね」

 上野さんは、私の考えに沿った質問をしてきてくれた。

「ええ! 楽しかったです」と、私は答える。

「えっ!?」と上野さんは驚いてくれた^^

 私だって、少しは驚かせなくてはいけない^^

 でも、正直な気持ちであった。

 私の役割は「三等兵」である。戦いをエンジョイしなければ、戦場ではのまれてしまう・・・。

 最後に上野さんは、「日本教育再生機構」の「現・つくる会」との提携するに際しての危惧を語った。

 そして、「つくる会」内部の更なる内紛の火種を指摘する。

「○男と○男は反りが合わないものだ・・・(○内に入る文字は、半年以内に公開できるでしょう)」

 ある意味、突飛な、隙のある表現なのである。

 だが、だからこそ、私はそれが何となく嬉しかった^^

「上野さんの状況判断は正しいです。これからも協力させてください^^」

 私はそう言い、その場を辞去した。

 上野さんは、再び、壇上の演説に視線を戻すのだった。

 そう言えば、話の途中で上野さんは、私の後頭部を見ながら言ったなあ^^

   【頭、そんなに薄くないじゃん^^】

▼⑭松本零士

 ・・・これは、凄いことなのである。

 私とまほ氏が会場を巡っていたら、松本零士が登壇し、挨拶していた。

「うおお! 松本零士だ!!」

 私は、大きな声で、呼び捨てした。

 ひょっこりと立っていて、トレードマークのドクロ刺繍のニット帽をかぶっていた。

 しかし、この会場、有名人密度が異常に濃いので、私は、酔いも手伝って、感覚が麻痺していて、それ以上の感慨が起きないのだった。

 が、家に帰って冷静に考えれば考えるほど、私は、凄い人に会えたのだと興奮した。

 巨匠のマンガ家としては、手塚治虫の方が私にとっては神のような存在だが、人生上、松本零士の影響も大きい。
 今、私の部屋の四面に並んでいる本棚の表面を見ただけで、『超時空戦艦まほろば』『インセクト』のタイトルが見える。

 もちろん、『銀河鉄道999(新・旧)』や『宇宙戦艦ヤマト(新・旧)』『クィーン・エメラルダス』『男おいどん』『戦場ロマンシリーズ』などは、本棚の奥のほうにある。

「サイン貰えば良かったなあ!!!」

 私は、かえすがえす後悔した。

 手塚治虫には会えずに亡くなってしまった。

 藤子・F・不二雄も会えずに亡くなってしまった。

 石ノ森章太郎も会えずに亡くなってしまった。

 藤子不二雄Aはゴルフ三昧でそもそも会えない。

 水島新司は、いつか会えそうな気がしている。

 楳図かずおは中野辺りを歩いているとすぐに会える。

 永井豪は、どうだろうか?

 そして、松本零士には、会えた。

 ・・・それでいいではないか^^

 でも、かなり長期間に渡って著作権について争われた『宇宙戦艦ヤマト』だが、私は、松本先生と争った西崎義展プロデューサーの「熱血」も大好きである。

 松本先生は、「ロマン」の男であった。

 近年の松本零士は、各種作品や文筆で、

     【時は夢を裏切らない】

 と、語っている。

 これは、物語上では、「相対性理論」を意味している。

 『新・999』では、太陽系が壊滅する。

 しかし、いつしか、<999>は光の速度を超え、時を遡ることになるのだろう。

 『新・ヤマト』では、ヤマトの最大の武器・波動砲は、<時空回帰砲>と名を変えている。

 松本零士は、「取り返しのつかないことなどないぞ!」と言いたいのだ^^

                                                      (2006/08/03)
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[報告⑥ <日本の教育再生を考える夕べ・人物紹介篇 その四>]

2006-08-02 21:32:14 | 保守の一考
▼⑩新田均教授 ⑪内田智弁護士 ⑫渡辺浩記者

 【先生と、弁護士と、記者と・・・(後編)】

 ・・・しかし、考えるに、私は非常識な男である。

 『ミッドナイト・蘭』と言う名前を、先生方が知っていると言う前提があるのである^^;

 その名を言えば、相手が仔細を了解するであろうと言う半強制さがある。

 私は謙虚そうな振りして、とてつもなく傲慢なときがある・・・^^;

   ◇

 紹介された産経新聞の教育欄担当・渡辺記者は、開口一番、

「鶯谷で待っていると思っていたのに^^」

 と言った。

 背が高く、肌が綺麗だった。

 私は、一瞬、渡辺記者の言っている意味が分からなかったのだが、すぐに合点が行く。

  (『新田ブログ』コメント蘭より)

≪『背筋のひんやりする話』
 鈴木尚之は3月の時点で「渡辺は50パーセントの確率で自殺する」と当時の事務局員に話しています。
 この言葉は彼の話法では「俺が自殺に追い込む」という意味です。
 それがいよいよ実行に移されたようです。
 しかも藤岡を使って。
 それこそ背筋がひんやりする話ではありませんか。
     2006/07/01(土) 11:40:35 | URL | 事情通 #-[ 編集]≫

≪・・・W記者は、私が一緒に鶯谷に行きますよ^^
 で、サッパリしてきます^^
 もち、領収書貰って来ます。
     2006/07/02(日) 16:54:25 | URL | ミッドナイト・蘭 #-[ 編集]≫

 ああ、ここで、落ち込んでいるだろう渡辺記者とともに鶯谷(吉原)に行くと言っていたのである^^

「いやいや、アハハハ^^」

 私は笑って誤魔化した。

 渡辺記者は、「ミスチル」の桜井さんのような優しそうな雰囲気の男であった・・・。

   ◇

   『でも、今回の戦い、楽だったのではないでしょうか?』

 そう、私は新田先生に言った。

 新田先生は、最初、私の言っている意味がよく分からないようであった。

「・・・なんと言いましょうか、答えと言いましょうか、情報が自分の方に揃っていたと言う点で」

 これでも、説明不足である。

 私が言いたかったのは、

 何よりも、西尾・藤岡・鈴木・その阿諛追従の者たちが、真実を捻じ曲げる場に、新田先生自身が遭遇したわけで、新田先生たちは、つまり、「真実」が何かを知っていた。

 それ故に、自分の言動が「正義」であると言うモチベーションに、この内紛の間中、常に自信を持って後押しされていただろうことを言いたかったのです。

   ◇

   『内田先生は弁護士さんでありますから、
     その、自分の分野での戦いを始めた、ということで・・・?』

「うん・・・」と内田先生は答えた。

「これまで、内田先生だけは沈黙していた・・・」

「(内田先生の自称を忘れてしまったのだが、ここは先生の力強いイメージ重視で「俺」とする)・・・うん、俺は、(他の先生方のように)文章を書くのが仕事じゃないからね。ネットも見るだけ、書きはしない。俺は、俺の出来ることで、この問題に取り組むんだ」

 ・・・ああ、そうか、他の方々は「文士」であるが、内田先生は「法の徒」であるのだ。

 あちら(西尾)が、文章での欺瞞と言う抽象的な害悪を巻き散らすならば、内田先生は、「法律」と言う社会的具体的枠組みをその抽象(中傷)誹謗にあてはめて見なければならないのだ。

 西尾幹二が、公の雑誌を用い行った全くに根も葉もないイメージ操作の影響は、凄まじく大きい。

 これは、【思想でも言論でも哲学でもない】のである。

 ただの、「嘘」なのである。

 嘘つきは泥棒のはじまり、である。

 法律のプロの出番は、遅かれ早かれだったのである。

   ◇

 渡辺記者は、私の横にしばらく立っていた。

 この方とは、特に会話を交わしていない。

 一緒に、新田先生の話を聞くような形になっていた。

 渡辺記者は背が高いので、私がやや顔を伏せると、彼の腰の部分が視界に入る。そこには、肩から伸びた腕、そして手が見える。

 その手が、やや前後するのだ。

「ん?」

 私は、その意味を探ろうとした。

 おこがましくも、渡辺記者が、私に握手を求めようとしているのか? などとも思った。

 しかし、どうやら、彼は忙しい身で、会場を走り回っている。すぐに、次の取材へと移行しようとして、そのタイミングを見計らっていたのかも知れない。

   ◇

 新田先生は、すぐに、私の言ったことに合点して答えてくれた。

「・・・だけど、その情報公開の取捨選択が難しくてねえ^^(事実の発表で相手をあまりにも貶め過ぎてもいけない)」

「ええ・・・、そうでしょうね」とまほ氏。

 かような場では、あまり込み入った話が出来ないのが難点だ。

 山椒のように小粒だがピリリと辛い短い質問をぶつけることしか出来ず、その場を辞去するのだ。

 もっとも、酒に酔っていなかったら、そんな短い質問さえも緊張して出来なかっただろう^^;

「では・・・」

 と、渡辺記者は去っていった。

   ◇

「これからの健闘を期待します。応援します。是非、協力をさせてください」

 私とまほ氏は、新田先生に挨拶をした。「ローストビーフの続きをお食べください^^」とも。

 この後、新田先生は、私とまほ氏の先行きに連なるような言葉を言ってくれた^^

   ◇

「これからの健闘を期待します。応援します」

 内田先生に会話の終わりの挨拶をする。

 あまり、我々が先生方のこの宴の場での貴重な時間を独占するのも申し訳ない。

 内田先生は、ホロ苦い笑顔を浮かべ、去っていった。

   ◇

 私は、思った。

   【「つくる会」は不条理劇の舞台だったのだと・・・】

 ここで出会った若い方々・・・、全てが常識人であった。

 その彼らが、「思想でも言論でも哲学でもないウネウネした不気味なもの」を、「思想・言論・哲学」と言い包められて強制的に嚥下させられようとしたのである。

 その直面した悲劇たるや、言葉では言い換えられない・・・。

 新田先生はまあいいのである。この方は、明るくも、左翼的暗黒との戦いに慣れている。

 この大らかさは、生まれ育った環境のせいか、もしくは、八百万の神々の奔放さを学んできたからなのか・・・。

 だが、若さが垣間見られる内田先生や渡辺記者、土井さんや福原さん、彼らが遭遇した「道理の、あまりにも通用しない世界」を察するに、もう、悲しみがとめどもないのである。

 皆さんを見て、私が共通して思った印象に、「血色がよく、肌が綺麗」がある。

 だから、その「無垢な使命感」が、「つくる会」の独裁者たちによって、踏みにじられたような思いが私に募った。

 皆さん、とても明るいのが救いだ・・・。

 故に、その遭遇した不条理の過酷さをも想ってしまうのだ。

 ・・・しかし、乗り切った。

     【未来はある!】

 それから、もう一つの未来・・・。

 今回の「内紛」問題は、詳しく書かないが、とにかく、早稲田大学の卒業者が重要な役割を演じていることが多かった。

 ある意味、早稲田大学の学内闘争が、「つくる会」内紛に色をつけ、保守論壇を揺るがしたとも言える。

 早稲田大学は、日本の論壇の縮図なのかもしれない。

 そして、そこここに満ちていた「明るさ」は、早稲田気質なのかもしれないと思っている。

 元(?)「つくる会」事務局員の土井さんに会ったとき、その明るいイメージに、私は、早稲田大学院在中であり磐南総研会長の岩田温君を思い出したのだ。

 岩田君は、残念ながら、今回、「情報選択」の貧乏くじを引いてしまった。

 彼は、この問題について、かなりの(取り返しのつかない)ダメージを受けただろう。

 そして、この件について、沈黙を守っている。

 だが、その沈黙は、罪悪である。

 間違っていれば、謝るがいいだろう。

 納得できなければ、議論すればいいだろう。

 このままでは、生涯、言われ続けるぞ!

 君が沈黙を続ける限りにおいて、生涯、「若き精鋭」と呼ばれ続けられるだろう・・・。

 つまり、五十歳になっても六十歳になっても「お子チャマ」と称せられるのだ。

 未来は、なくなる・・・。

 ・・・。

「ん!?」とまほ氏が言った。

「八木先生が会場から出て行ってしまいますよ」

「私たちも、そろそろお暇しましょう」

 私たちは、今回の「つくる会・不条理劇」の最大の受難者・八木先生の後を追った。

 ・・・この方、最大の受難の中で、最大の「生産的行動」を起こした方だ・・・。

                                                     (2006/08/02)
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[報告⑤ <日本の教育再生を考える夕べ・人物紹介篇 その三>]

2006-08-01 21:27:21 | 保守の一考
▼⑩新田均教授 ⑪内田智弁護士 ⑫渡辺浩記者

 【先生と、弁護士と、記者と・・・(前編)】

☆ちょっと、文章のモンタージュに趣向を凝らして見ます。

 分かりにくかったら、すいません。

▼そもそも、私は、先生方と会話を交わすなんて考えてもみなかったのである。

 だから、まほ氏が「挨拶に行きましょう^^」と提案したとき、

「俺なんかがいいのかな」と思ってしまうのだった。

 最初、新田先生の姿が見えなくって、「来てないのかな?」と考えていたのだが、

 『ウォーリーを探せ!』をやらせたら右に出る者のないまほ氏が示してくれた。

 私のイメージの新田先生は「切れ者」で、論理的で怜悧なビジュアルを想像していた(そのお顔は雑誌などで存じていたが)。

 遠めに見る新田先生は柔らかな印象で、後に会うことになるとしても、ホッとした。

   ◇

 内田弁護士は、私が櫻井よし子さん捕獲を目指し、会場の左手前方に進んだとき、ローストビーフ切り分け場を挟んで反対側に、その姿を見ることが出来た。

 ・・・大きかった。

 ガリバーみたいだった。

 武闘派の印象だ。

   ◇

 ローストビーフは、いちお、高級料理とされている。

 高級なものは、私、大好きである。何でも美味しく頂く。

 だけども、ローストビーフだけは、どうも美味しいと思ったことはない。

 なんか、パサパサして味がなくて、触手が伸びない。

 私は、自陣の天ぷらコーナーの油が温まったらしく、どんどん天ぷらが揚がっているのを見て、そちらに手を伸ばした。

 シャクッ! うまい^^

 揚げたてのエビ天うまい^^

 ・・・と、まほ氏が言った。

「そこに、新田先生がいますよ。行きましょう^^」

 私も酔っているので躊躇がない。ただ、天ぷらの残りを食べてから行きたかったような・・・。

   ◇

 さて、集会も終わりの時間が近づいていた。

 ・・・と、まほ氏にチョンチョンとやられ、横を見ると、内田弁護士がコーヒーを飲もうと、コーヒーメーカーの蛇口に手を伸ばしていた。

 大きい体にコーヒーカップが、エスプレッソのカップのように小さく見える。

   『今回は、大変、ご苦労様でした』

 私は、まほ氏と声をかけた。

   ◇

 振り向く新田先生。

「どなただったかな?」と言う表情だ。

「ミッドナイト・蘭」です。

 すると、新田先生、【ローストビーフを口に運んでいた】のですが食事をやめ、笑顔で、ごくごく違和感なく接してくれた。

 先ずは、今回のお礼を言ってきてくれました。

 酔っていたので、どのようなセリフで言ったのかは覚えてないのです。

 このような記憶の欠落は、今回の「報告」で非常に多いです。

「いえいえ、普通のことです^^」

 これも酔っているので、何か変な返答である。

 でも、「なんのなんの当然のことです」なんて言う傲慢さよりは良いでしょう^^

 と言いましょうか、私はお礼を言われるような筋合いはなく、この問題は、もはや、自分の考え方が正しいか否かの個人的問題でもあった訳で、

 新田先生の『正す会』ブログの出現に、私の方こそ、感謝の思いしかなかったのです。

 新田先生から名刺を頂いた。

 そこには、新田先生の容姿をユーモラスに描いたイラストが付されていた。

 常識のない私も、名刺は両手で貰うことは学んでいる。

 両手で名刺を握りながら、そのイラストを見て、

 何とも言えない感慨が起きた。

(ああ、この人は、かように明るい人なんだ。)

 新田先生・・・。確かに西尾先生に似ているのだ。

 ヘアースタイルだけが似ているのではない。瞳の輝きも似ているし、

 何よりも口もとが似ていた。

 西尾先生も、新田先生も、唇が、子供のようにやや「アヒル口」なのである(パーマンのヘルメットの口のとこを思い出して欲しい^^)。

 可愛いのである。

 チャームポイントだろう^^

 そんなことを思っていたら、

「はあ・・・、西尾先生はなにやっているんだよ」

 と、悲しくなった。

   ◇

   『私は、<裏切り者>ですから・・・^^;』

 と、自嘲的に言うと、内田弁護士は、私の顔をまじまじと見た。

 ・・・「新たな戦いが始まりましたね」と、私が話かけると、内田弁護士はコーヒーカップを持ちながら、こちらを見た。

「ミッドナイト・蘭です」

「あ、ああ!」

「また、新たな戦い(西尾先生への損害賠償の配達証明付き文書送付)が始まったようですが、・・・勝てますか?」

 内田弁護士は、やや苦みばしった表情を浮かべた。

「君は、あちらとも親しいようだから・・・(この話を続けるべきではない)」

「いえいえ・・」と私は言った。「私は、<裏切り者>ですから・・・。もう、二度と、連絡はないでしょう・・・^^;」

 内田弁護士は、私の顔をまじまじと見た。

 そして、やや柔らかい表情になった・・・。

 この方は歳は幾つだろう。やはり、若くて、不器用そうにも見え、可愛いのである。

   ◇

 新田先生は、全く気さくに話を続けてくれた。

「最近は忙しくて全然パソコン見てないんだけど、うちの嫁さんが、最近の君のトコの【小説】を楽しんで読んでいるよ」

 <小説>とは、『さよなら、ポロンちゃん』のことである。

 『さよなら、ポロンちゃん』は、閲覧者に楽しんでもらおうと必死で書いたのだが、所詮は下らない話でもある。

 だが、それを「小説」などと言ってくれる新田先生、凄い。並みの人物には言えないよ。

「嬉しいです^^ 奥さんは今日、いらっしゃっているのですか?」

「いや・・・、あれは自宅で【子守り】してる」

 ここにきて、またもや、蘭ちゃん喜びキーワードが出てきた。「子守り」ってことは、新田家には赤ちゃんもしくは幼児がいるのである^^

 そんなことを話している間にも、新田先生に声をかける人は絶たない。

「小林さん(「つくる会」新会長)、いいこと言ってましたね」

「ちゃんと、記録しておいたか?^^」

 そんな会話が飛び交う。

 その時・・・、

 新田先生は、通りかかった一人の青年に呼びかけた。

「おいおい! こちら・・・」

 と、私を、その青年に紹介する。

・・・青年は、渡辺浩記者だった・・・。

                                                    (後編に続く 2006/08/01)
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