柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

仇討

2015-02-07 08:23:05 | Weblog
日経のコラムが142年前の今日、明治政府が太政官布告で復讐の厳禁を命じたと教えてくれてます。つまり仇討の禁止です。時代劇で汎用される重要なテーマです親の仇、夫の仇を討つ、当時はそれが許されていて、それどころか義務でもあったとも。法治国家であることの宣言であったわけです、私刑の禁止です。犯罪は公権力が裁く、個人的復讐は相ならぬ。これが世界のスタンダードなのにISILときたら・・という論調です。仇討が許されていたのは何故か。公権力の不備、そういう統治体系ではなかったから、法治国家でなかったから、ですね。ならばISILが法治国家じゃないんだから仕方ないじゃないですか、という話ですね。昔よく言われてましたね(今もそうなのでしょうが)中国は法治国家じゃなくて人治国家だと。つまり規則とか契約とかが簡単に反故にされる、その場のその人の考えだけで決まっていく国だと。曽野綾子がよく書いてます、族長社会に民主主義なんて持ち込めないのだと。電気の水道も行き渡ってない社会(環境)に民主主義など必要ないこと。そんなところに西洋のスタンダードなるものが通用する筈もないこと。国際社会で生きていく、つまり他国と交渉して貿易して連携しての国際社会の一員になるためには、こういう仕組み体制システムを強いるわけです、安倍さんのよく言う「共通の価値観」という奴です(日本にあって中韓にないというフレーズでよく使われます)。が、だめですよね、国際社会だ?の連中です、各地の族長が全てを決める暮らしの社会なのですよ。良い悪いじゃありません。こっちと違う、それだけです。これぞ多様性ですよ、細野さん。こっちの勝手な理屈なんです、向こうさんにとれば。ですよね。仇討が通用する社会なんですよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする