カルト集団の話題を昨日さかんに日テレが放映していました。同じ画像ばかりでいささか辟易しましたが、不思議ですねぇ、あれだけオウムの時に注意なさいよとなったはずなのに、いくらでもいるんですね、それでもひっかかる連中が。初めは普通のサークルへの勧誘だったのに、なんて手口です、これも常套手段の筈ですよねぇ。引っかける方が悪いんでしょうが、いいえ、こうなると引っかかる方がもっと悪いというか大馬鹿ということです。金を要求されたり、体を触られたり、そんな宗教ないでしょうにね。これだけあの手この手で周知されていることであれば、やはりやられる方が悪いんでしょう、保護に値しないというか。でも、そう決めつけると向こうさんのやりたい放題になりますからね、そうもいかないでしょうが。弁護士が得々と喋っていました、背が高くて髪が長くて知性的な女を教祖は好んだと。そんな甘言に引っかかるのが人だということなのでしょうね。お気をつけなさいませよ、モデルの様なお美しい方々。
ミスユニバースで日本人(沖縄の人)が二位になったとこれまた大騒ぎですが、日テレの番組で、よくTVに出てくるヤメ検弁護士がガツンと言ってました。もともとミスコンは男の玩弄物の趣であり、ここで一位になった女は碌な人生を送っていないと。しれっと言い放つもんだから、司会の福沢氏困ってました。まぁ、そういえばそうですわね。でも玩弄物とはよくも言ったり、天晴れじゃ!
朝日新聞の論説委員が例の宮内庁長官のメモ事件について書いています。天皇に対して敬語を使わないこの連中の言葉遣いはいつ見ても気に入りませんがそれは今回は措きまして、あれだけ天皇の戦争責任を言い立て、天皇の存在自体を否定しようとしてきたその口で、今度は天皇を利用とするご都合主義には今更ながらに呆れます。文中、まるで人ごとの如く「右も左も同様に困惑の様子なのだ」と書きます、左の筆頭であるのにもかかわらず。A級戦犯合祀否定が東京裁判肯定を意味するから分祀には反対するというのが東条英機の遺族の反論ですが、東京裁判は戦後日本の再出発に他ならないから天皇が裁判結果を自らの保身目的ではなく受容した、だから裁判否定に繋がる合祀を天皇が嫌ったのだと書きます。そして「国家の命令で出征し、命を落とした兵士たちの慰霊に、戦争を命じた指導者達を交ぜてしまったら、天皇が痛感する戦争への反省も、日本の再出発もうやむやになる。そんなところには参拝できない」との忖度が続きます。最後は、小泉、安倍と名指ししての掣肘で括ります。あっさりとその姿を現しましたが、それにしても天皇陛下の気持ちの忖度にしては安易に過ぎませんかね。そんな我々庶民が思うようなお考えではなかったと思いますよ。軍部の独走にはおそらく苦々しくはがゆく思っておられたでしょう。しかし、国民が自分のために死んでいっているという現実の重さは陛下でなければわからぬこと、帝王学を修めた人しかわからぬこと、戦争を命じた指導者達もまた国民であり、股肱であり、赤子であるのです。天皇陛下の中でそんな差別があったのでしょうか。安易に過ぎます。この誘導は安直でしょう、そう思いました。特に敗戦という国家存亡の危機に当たりそんな気持ちなど、ということです。合祀はもっと後のこととはいえ、そこの混同もやはり恣意的でしょうか。
ミスユニバースで日本人(沖縄の人)が二位になったとこれまた大騒ぎですが、日テレの番組で、よくTVに出てくるヤメ検弁護士がガツンと言ってました。もともとミスコンは男の玩弄物の趣であり、ここで一位になった女は碌な人生を送っていないと。しれっと言い放つもんだから、司会の福沢氏困ってました。まぁ、そういえばそうですわね。でも玩弄物とはよくも言ったり、天晴れじゃ!
朝日新聞の論説委員が例の宮内庁長官のメモ事件について書いています。天皇に対して敬語を使わないこの連中の言葉遣いはいつ見ても気に入りませんがそれは今回は措きまして、あれだけ天皇の戦争責任を言い立て、天皇の存在自体を否定しようとしてきたその口で、今度は天皇を利用とするご都合主義には今更ながらに呆れます。文中、まるで人ごとの如く「右も左も同様に困惑の様子なのだ」と書きます、左の筆頭であるのにもかかわらず。A級戦犯合祀否定が東京裁判肯定を意味するから分祀には反対するというのが東条英機の遺族の反論ですが、東京裁判は戦後日本の再出発に他ならないから天皇が裁判結果を自らの保身目的ではなく受容した、だから裁判否定に繋がる合祀を天皇が嫌ったのだと書きます。そして「国家の命令で出征し、命を落とした兵士たちの慰霊に、戦争を命じた指導者達を交ぜてしまったら、天皇が痛感する戦争への反省も、日本の再出発もうやむやになる。そんなところには参拝できない」との忖度が続きます。最後は、小泉、安倍と名指ししての掣肘で括ります。あっさりとその姿を現しましたが、それにしても天皇陛下の気持ちの忖度にしては安易に過ぎませんかね。そんな我々庶民が思うようなお考えではなかったと思いますよ。軍部の独走にはおそらく苦々しくはがゆく思っておられたでしょう。しかし、国民が自分のために死んでいっているという現実の重さは陛下でなければわからぬこと、帝王学を修めた人しかわからぬこと、戦争を命じた指導者達もまた国民であり、股肱であり、赤子であるのです。天皇陛下の中でそんな差別があったのでしょうか。安易に過ぎます。この誘導は安直でしょう、そう思いました。特に敗戦という国家存亡の危機に当たりそんな気持ちなど、ということです。合祀はもっと後のこととはいえ、そこの混同もやはり恣意的でしょうか。