柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

瀰縫

2011-10-31 08:16:43 | Weblog
当地、昨日は一日中雨でした。雨が好きなので、雨の日曜日は特にfavoriteです。で、今朝はクリアに晴れ。澄んだ青がまぶしい朝です。雨上がりの朝ってのは美しいこと。匂いがいいです。いい気分でした。
 正しい日本語を使いましょう、中国古典の第一人者加地伸行さんが産経新聞に寄稿しています。この人が野田首相の「正心誠意」を叩いた人でした。勝海舟が言ったのではなく中国四千年前の至言であると言い、知ったかぶりするなと掣肘したことでした。日本語の乱れを嘆く声はこの人に頼らずともあちこちで見聞きします。が、言葉は時代によって変遷していくものでしょう、明治時代の言葉遣いなんて知りませんからね。明治の文豪の小説の中に、当時の新聞の中にその匂いを嗅ぐばかりです。ら抜き言葉とかうざい、きもいなんていう新造語もすっかり定着してます。オッサン達もおばちゃん達も平気で使ってます。言葉は変わっていくんです。良いも悪いもありません。この先生はそういうことを言うのではなく、東大の大学院入学式で総長が英語で挨拶したことに噛みつきます。曰く、留学生たちに媚びてどうする?日本で学びたいとやって来ている連中に日本語で応えてやるのが道理である。留学生も日本語で理解しようと努力するのが筋である、と。御意。我が意を得たり!「東大が日本を代表する大学という自負があるなら堂々と国語で、それも伝統的な漢文調で荘重に述べよ」と。すばらしい、その通り。スッとしました。やってくる留学生が減って来て、それは日本から出て行く留学生も減っていることでもあるのですが、それに対する策、いわば営業の一策であるわけでしょうが、なんとも卑しいこと。どうしてそこまで卑屈になる?です。堂々と日本語で歓迎してやればいいんです。そうですよね。こういう真っ当な正論がなくなりますねぇ。小手先だけの瀰縫策ばかりでその場を逃げる。そんなんじゃぁ大計もクソもないのです!
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諦観

2011-10-30 09:49:31 | Weblog
今度は東京の大震災だとか東北東海南海のプレートが一度に揺れて大惨事になるとか言われてます。太平洋に面しているところは今回の被災のような想定ができるのでしょうが、当地のような瀬戸内海沿岸部はどうなんだとずっと思ってました。四国の沖で大地震が起きたら上関に原発ができていたら大変なことになる、だから反対だなんてこと言うのもいましたが、いや上関の前に伊方です、愛媛宇和島の原発です、ここが先にやられます、上関原発があろうが無かろうが放射能に汚染されるのは同じです。というオチだったのですが、一体どれくらい瀬戸内海に波が上がって来るのか、ここがわからぬままでした。当地には豊後水道を通ってやって来るわけですが、狭い所を通ってきます、途中に島々があります、浅いところの深いところもあります、波のエネルギーは減衰されるのかさらに増幅されるのか。改めて地図を見るとしかし、この海峡(豊後水道)の防波堤のように東西方向に伸びているあの半島に原発があるんですからね、直撃直爆です。でその答えが新聞にありました、波が入りにくく出にくいから減衰するに時間がかかるだろう、水位の高い時間が長く続くだろう、津波そのものの波高は10mにはならないだろうと。ううむ。わかったようなわからぬような、例によって学者の的を外した衒学趣味文ですが、あれこれ推測はできるのです。でも知りたい本点、太平洋の波高が(エネルギーが)瀬戸内海に入るとどうなるのかがないのでした、痒いところはそのまま。でもこんなことは実験できることですよねよく考えれば。だから連中には自明の事実なのかもしれません、知らない方が悪いって。エネルギー保存の法則(ってありましたよね)を思い浮かべれば、通り道が狭くなればその分波高は増すように想像できます。でもその狭い入り口に波がぶち当たり砕けて、その分エネルギーが減衰するかもしれんなぁ、あっちに当たりこっちに当たりしているうちに小さくなっていくんじゃないのかなぁとも思います。起こらないに越したことはないのですがきっとそうはいかないのでしょう。そして今次の東北のような規模になれば防災が予防がどうのこうのではありません。すっかり破壊されるばかりです。なら、何やっても一緒じゃん?いいよその時はその時で。生き残ったらそこでまた生き続けるしかないし。死んじゃえばそれまでだし。いえ、投げやりなのではなく無頼に生きろでもなく、もう一つ上の、人は(ヒトは)力届かぬものなのだという認識です。何をどう想定しようと所詮届かぬことばかりなのです。人がやること、人が作ったものであれば何とか対応もできるのでしょうが、そうじゃないことの方がうんと多いのです。今回の地震のような千年に一度大惨事を思うこともありません、毎年毎年繰り返される台風被害、大雨被害を思うだけで十分です。予知(予報)能力は精緻を極めます、情報網は日本中を隈なく覆っています、しかし被害は百年千年一日の如く同じだけ生じます。人知は全く届きません。そういう認識です。その上でより安全へ向かう。そういう心構えです。東京が破壊されたら次にどうする?副都心構想は頭でっかちな連中によって潰されてます。首都機能の分散構想も全くどこへ行ったやら。埼玉へ神奈川へ、なんてことではダメでしょう?東京が壊れているのにその近傍でなにができるんです?だから大阪。橋下構想。こういう構えです。こういう想定でしょう。何万人何十万人死んでしまうから云々、早く逃げましょう云々。いくら叫んでも人は動きません。人を逃がすことよりも大事なことがあるんじゃないですか。個人の命より大事なものがあるんじゃないですか。人の命は地球よりも重いというフレーズはきっと嘘です。国あって、住む所あって、生きる場所があっての個人です。話があらぬ方向に進みました、想定が足りなかったという結論に収まりがちな震災被害原発被害ですが、想定を越える、想定の届かない大なる力の元で生きているのが人なのです。誰が悪いなんてのはあくまで手続き上のこと、社会秩序上の裁断です。私達は地球に乗っかって生きるしかないのです。何が起ころうとこの生身で受けるしかないのです。生き残ったらそこで生き続けるだけ、死んだらそれで終わり。そういう諦めの上に物事を載せて積んでいかないといけないと思います。世に蔓延するゼロリスク信仰なぞはこの辺りの認識不足のなせる所と思っています。いかがですか。
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固定

2011-10-29 08:14:43 | Weblog
18の周りに1、3、5、6が集まり、そこに27がやって来る。な~んだ?つうか、わかりますよねぇ。昨夜古館の番組でのスポーツコーナー、栗山(日ハムの監督になるんでしょうか)が短期決戦どう戦う?なんてテーマで話してました。その時の映像です。さよう、V9巨人の内野陣です。外野には7がいて8がいてです。高校野球のような背番号ですね。キャッチャーと外野の一人が大きい番号でした。27はその後キャッチャーの定番になってますね(森の前に誰かいたのでしょうかそれとも。そこを知りません)。古田もその前の八重樫も谷繁もそうでしたね。例えば国松は36でしたね。末次は何番でしたか、忘れました。最強の五番なんて呼ばれてた柳田は?不動の3、4番のあとですからね、誰持ってきてもダメですわね。気の毒な5番打者でしたが。ちなみに巨人の背番号2といえば広岡なんですが、V9時代の選手じゃありません。あの時は上田とかの控えがつけてました。もうあの時代はどんなルーキーがやって来ても、どんな選手を移籍で引っ張って来ても皆みな控えです(もちろんピッチャーは例外です。あの金田も巨人で400勝に届いたんですから)。典型的な9人野球ですから。しかもレギュラー連中怪我しません。無事これ名馬を地で行く連中でした。他の誰も試合に出られません。よく言われるように巨人のファーストは何十年も川上と王の二人だけで賄われました。内野手が肩衰えて打撃を買われてファーストに回るってのはよく見る風景ですが、それすらなかったチームです。王に誰が代わるんです?誰も皆怪我をしない。こんなチーム、珍しいんでしょうね。だから強かった。だからこの8人が、一番が長嶋でしたが、衰えてくるとチームは弱くなります。長嶋が引退してすぐに監督になって最下位でしたね、あのときよく言ったもんです、長嶋は巨人にもう長嶋がいないことに気づいてなかったんだって。4番サード長島がいるチームのイメージが強すぎたんだって。だから負けたって。ありがちな話で、若かった私はああそうなんだと合点したこと覚えてます。その巨人がとんでもなく強かった時代の映像が写ります。当たり前ですが皆若い。特に黒江の姿が印象的でしたね。西武のコーチしている頃にはぶくぶく肥えて、あのイメージが強かったものですから。土井がいて、柴田が高田がいる。ONだけじゃなかった、なんていうのは陳腐な括りですが、背中に名前のない昔のユニフォームに強くあの時代の匂いを嗅いだ気分でした。
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反対

2011-10-28 08:16:52 | Weblog
TPP、反対論が喧しいです。JAが反対表明してます。こちらはわかり易いのだろうと思います。安い農産物が流れ込んでくれば高い国産品は売れなくなります。対抗しようと値下げすれば大赤字です。大体に値下げ合戦は破壊的です。これは新自由主義の象徴のように勝ち誇ってきた量販店、ディスカウント店の隆盛、町の商店街の崩壊が示しています。今までの流通を壊すから安く売れるんです。薄利多売に徹底して売りまくる。生産者、仲買人、運送業者、卸問屋、小売店、とそれぞれが介入しそれぞれがそこで生活し利を上げてきたシステムを壊す、生産者から直接に小売店に運ぶ、あるいは生産者が直接販売する。安くなりますね、当然です。そうやって昔から流通に関わってきた業者が潰されてきました。安売り合戦に負けてです。安かろう悪かろう、が相場でした。安物買いの銭失いが常でした。パッチもんやバッタもんと自慢しながら軽蔑されて、そういう歯止めが効いていました。でも普通の品、上等品がどんどん安くなれば太刀打ちできません。そういうことなので、例えば外国米はわっと入って来て、初めはうまいまずいとか、やっぱり国産よねという評価がわっと湧くんでしょうが、どうせ時間が経てば「混ぜ混ぜ」になってしまいます。外国米?関係ないね!と。なれば安い方です。負けます。いえ、おいしいモノ、ブランドものに弱いのも日本人ですから、国産米というのがブランドになれば相応に消費は途切れないのでしょうが、やはりここは反対、理解できるところです。決起集会なるもので自民党の強面大島さん、そしてこの人亀井さんがぶってました。関税自主権は主権国家の証の一つだ。それを相手の言いなりになってどうする?と始まります。関税自主権ねぇ。社会の時間に習いましたね、英単語のように。カンゼイジシュケン。幕末開国時の不平等条約の最たるもの、治外法権と関税自主権のないこと。もちろんそこに拠っての言ですが、古色蒼然たる言葉がこういう場に顔を出してくるわけです。日本は日本なんだ、どうして相手の(アメリカの)顔色ばかり見てガタガタしてるんだ?とこういうこと言わせたら亀井さんのもんです。鉢巻の似合わぬオッサンですが。その場に日本医師会の副会長もいて、同じように反対の挨拶してました。どうして医師会なんだ?そう思われた方が多かったと思うのですが(いえ、気にも留めておられない方が多いのでしょうが)、どういう理由かおわかりですか?わかりませんよね。別稿でお話したく思ってます。皆さんで考えましょうよたまには。TPP。
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執拗

2011-10-27 08:18:39 | Weblog
前から思ってたことですが、NHKはどうしてこれほどに金子みすずと香月康雄(字が違ってたらすみません)に肩入れするんでしょうね。他のTV局は全く知らん顔ですし、別に全国的にブームになってるわけでもなく、生誕何年といった区切りでもないんでしょう?山口県出身というだけで?本当にそれだけ?と、妙に訝ってます。展覧会やイベントがあればその宣伝ということも考えられますが(それほど人気のある作家じゃないでしょうから市町が後援する、すれば公共モノです)、年中やってる筈もないでしょう。どうして?そんなに県民に刷り込む方針なの?誰の?何の目的?考え出すと夜も寝られなくなっちゃう、という地下鉄漫才がありましたね。いえ別にそれがどうしたこうしたではありません、聞き流しておればそれで終わることです。でも、多いですよこの話題がNHKは。もちろん全国版じゃありません、全国ニュースの後に「続いて山口からお伝えします」と始まるローカル枠の中での話です。埋め草?それにしても、です。NHKの偉いさんの指示なんでしょうか。県の担当からの依頼に沿ってのことなんでしょうか。困ったらこれ言っとけ、なんでしょうか(埋め草です)。ううむ。噛みつくほどのことじゃないことはわかってるんですが、なんかおかしいなぁ。うるさい?そうですよねぇ。ごめんなさい。このご両人には何の恨みも批判もないことでした。
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公論

2011-10-26 08:16:47 | Weblog
TPPが熱い話題です。混迷というか銘々勝手に叫んでいる(しかない)原因は、前から言われていることですがこの枠組みの内容が知らされてないからです。関税取っ払って自由貿易を。推進派はこれしか言いません。前原さんが筆頭です。関税とは他国品を安く売らせないための仕組みですね。特に農産物、中でも米。外国米は700%超の関税だそうですから。原価の8倍で売られてるわけですね。それでやっと国産米と同レベルの価格。もっとも旨い不味いがありましょうし、価格だけで消費が決定されるわけではないのですが、それでも安い同等品が大量に出回ると影響は大きいです。だから大反対。減反減反で締めつけてさらには米価も抑えに抑えられてきた来し方を鑑みるに、ここで自由化だ?という憤りは至極ごもっとも。人件費を抑えての大量生産できれば上等米が廉価でできる(売り出せる)、そういう農業に転換して世界に打って出ればいい、もうそういう時代だ、というのが推進派の言い分です。内向き思考していたのでは置いていかれると。外国産の果物がわっと安く入って来て、一気にミカンやリンゴの需要が減ったという歴史がありますね。これは私達はリアルタイムで経験しました。子供の頃はミカンとリンゴだけでしたよ冬場は。こたつの上に籠に載ったミカン。ホームドラマの定番シーンですが、実際こうだったんですから。そして国光リンゴ。あの小さく堅く酸っぱいりんご。八百屋(スーパーなんてないですからね)のフロントはずらりとミカンやリンゴの籠盛り、奥の棚にはマスクメロンの「箱」が鎮座ましましている、値段は何千円とあり、ふぅ。リンゴ3個が10円で買えた時代です。あの箱の中に本当にメロンが入っていたかどうかは知りません。バナナ?そんなものも奥の棚の上です。贈答用の化粧籠に盛られているばかり。病気した時にしか食べられぬ高級品でしたからね、バナナ。それ一気に廉価でなだれ込んできてミカンもリンゴも駆逐されて。リンゴはスターキングや富士やの大きく甘い品種が出てきて結構持ち直してるんですか?それでもきっとその時は大反対があった筈です。今回もその轍をきっちり踏むのでしょうか。踏むのでしょうね。でも、このpartnership は関税撤廃だけを謳ってるのではないのです。どうして政府ここを隠すのかなと訝しむばかりですが、いえ、私が他の内容を知っているくらいです、そういう本は何冊の出てます、その気になれば全容を知ることは容易です。でも、調べる人の方がうんと少ないんですから、政府はもっと広く公表すべきです。どうしてみんなに考えさせないんですかね。そりゃまた強い反対論を惹起することにもなりましょうが、政治家どもの質の悪さにはほとほと呆れているんですから国民は。あんた達だけで考えるんじゃなくて俺たちの意見も聞け!です。聞くべきなんです。政争がらみの決定しかできぬ、国の舵とりなんてのはできない相談だった民主党が今正しい判断できるとすれば、それこそ情報を隠さずに公開して広く公論を起こすべしなんでしょうに。どたばたいつまでも身内でつばぜり合いしているようじゃ潰れますよ。ったく。
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集団

2011-10-25 08:16:22 | Weblog
日本人間ドック学会というのがあって(嫌な学会・・。学者は群れるが習性、上下のヒエラルキーだけで生きてる連中ですので星の数だけ学会があるのも仕方ありません。これは学者だけの習性じゃなくて男のサガでもありましょう。この男社会に入り込むには男にならねばならず、この男社会でのし上った女のパイオニアたちは皆男になったわけです。少しく脇道に逸れました、この話題はいつか別稿で。)、そこが発表しています、人間ドックを受けた人316万人(!)のうち、異常なしと判定された人は全体の8.4%だったそうです。ああ、そうなんだぁとボヤーっと見てたんじゃダメと思います。噛みつきます。どうしてこんなに少ないんだ?異常って何?という話です。血液検査で測る数値が何種類あるのかは知りませんが、他に尿検査、心電図、骨密度、あるいはMRIで脳検査も加わっているかもしれません、それぞれの基準値(ただの平均値、こういう数値の人が多いというだけ、あるいは、この数値以上になると病気になる人が多いというだけの線引きです。それがいつの間にか正常値と呼び名が変わって、葵の御紋になっています)内にあれば正常、外れれば異常、その全てが基準範囲内である人が「異常なし」なんです。でこの8.4%ってのは全て異常なしの人と軽度異常の人を加えたものなんだそうです。基準って何よ?ですね。大体常識で考えて、大きな集団においては「正常者」が殆どすべてを占める筈(べき)ですよね。集団の91%が異常だってどんな集団なのよ?と普通に考えるべきです。この基準がおかしいんだと。それぞれの学会が自分勝手に作りだしてる基準値です。コレステロール値はその学会、尿酸値はその学会、肝臓、腎臓、心臓、胆のう等々それぞれの学会がそれぞれに特殊な病気などを基準にして正常値を出す。それをぞれぞれ持ち寄って一人の人間にあてはめれば完璧な人間のでき上がりって安易さです。んなわけないだろう!顔が違うように人ぞれぞれなんですから。第一、こんな異常値だらけの集団が世界一の長寿国の筈がないだろう?という極々常識的な訝りです。この基準値が間違いです。もうひとつ。人間ドックを受ける集団の特異性。サラリーマンは強制的なんでしょうが、それ以外はきっと健康マニア達です。この集団自体が日本人を代表していない可能性は非常に高いですね。そういう目で持って批判せねばなりません。私はそう思ってます。人は集団値では測れません!!
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思惑

2011-10-24 08:17:10 | Weblog
大阪は橋下さんの思い通りになるのか。昨日ダラダラと書きましたが、維新の会から立候補者を出していイケイケです。ご本尊の選挙がどっちかというと危ないのでしょうか。現市長は橋下さんにあれだけ押されながらも撥ねつけるはきちんと撥ねつけてやってきた人です。元々アナウンサーですから口舌は極めて滑、橋本さんに幼稚さが溢れますからその分この人の大人ぶりが目立ちます。という外観ですか今は。一方の知事選にあの郷原弁護士が民主党の府連から立候補を依頼されてるそうです。でしょう?ずぶずぶじゃないの。こんな人が九電の第三者委員会の委員長してたんですよ。民主党の息がかった人にやらせてどうするのよと、ここで何度も噛みつきましたが、しかし平気じゃなぁ。枝野さんがあれだけ怒って見せて(今も怒ってるんですか?)、九電が大臣に言われたんじゃぁ仕方ないなんて理由で前言翻す(気配です)、民主党のシナリオが見えてくるわけです。今朝の新聞には一旦固辞したとあります。これもポーズ、なんでしょうね。でもこの人じゃぁ大阪人は湧きませんよ。小沢さんの弁護士やってたこと、九電での偉そうな態度、あれこれの積み重ねがこういう所ではきっと弾けません。そんなに気質に詳しいわけじゃないですが、大阪人はこんな人を選びません。でしょう。どうなるんでしょうね。外から見ている分には面白いです。これは間違いないことです。ですよね。
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唐突

2011-10-23 08:12:06 | Weblog
平野大臣の失言問題、あれっきりです。これ以上追っても面白くないと思ったんですねマスコミ連中が。発言を陳謝したって片隅のベタ記事でチョンです。それすら載せない新聞も多いです。こんなことです。イエローペーパーか? 
 橋下さん、ちと調子に乗り過ぎですかねぇ。維新の会は県議会を制しましたが(これだけで十分に驚きと評価に値しますが)大阪市議会は第一党ではないです。そこに乗り込む。県と市との二重行政状態をとっぱらうとの大義。そもそも橋下さんの構想が当を得ているものなのかどうかから問題ですが、それよりも彼のこの行動力に皆圧倒されているのですね。月刊誌新潮45の今月号に橋本叩きの特集があります、こういう人格叩きや出自暴きが出始めると大衆の人気は一気に冷めて行くものですが、こういうのが出てくるほどに敵(反対者)も多いというわけです。維新の会の躍進はポピュリズム(これもいい加減に日本語で示すべきでしょうにね。この横文字はまだ人口に膾炙するほどに馴染んでません。人気政治、熱狂政治、ミーハー政治、「空気」政治、ですか)の怖さを煽ってます。ヒトラー、スターリン、戦前戦中日本の軍部専横を持ち出して比較する書き物もあります。奴は危ない。こうです。確かに熟慮精思するタイプじゃないでしょう、あの言葉遣いは頭の中が単純であることを如実に露わにしています。ぼったくりバーの、オナニーの、クソ教育委員会のと。ガラの悪さ(つまりお高くとまるような偉いさんじゃない、平民ですとのアピールなんでしょうが、それは人品骨柄に関わる重要なところでして失うものも莫大です)を売りにしてるんですからそれはそれでいいのですが、民主党のあの二人が見事にやってくれた日本潰しとはまた別のタイプの破壊屋なんだろうと人は気付きます。東京が機能不全に陥った時(地震はきっと起こるんでしょうから)その代役を果たせるか、名古屋じゃなくて大阪が。日本の中枢として機能できるか。自治体としての借金返済問題だけではなくて、こういう所まで想定して構えられるか、それが彼の言う大阪都構想なのか。そういう本来の政策論争とは別のところ、選挙での勝ち負けはやはり人気が左右します。西川きよし、横山ノック、そしてこの橋下を選んで来た大阪ですから。勝算大あり、なんでしょうね彼は。
 阪神監督、和田だそうです。一番打ったり二番打ったりしていた生え抜きです。でも脇役でした。同じ内野手でも吉田義男ほどの華のなかった人です。ううむ。梨田よりは、という選択で、外野もそういう納得の仕方ですか。他にいない。これです。掛布は借金で追いかけられてるそうだし。当地は阪神ファンが、それもおばちゃんファンが多いのですが曰く、藤田平はどうなん?ですよね。田淵?こりゃないでしょうけれど。
 中国新聞の記事に気になったことがありました。21日の記事です。平和メディアセンター編集部長の投稿記事です。原爆投下についてのオバマ大統領の謝罪について広島市長が「こだわらない」と発言したことに対しての噛みつきです。いまだに霞が関の決まりにとらわれているのだろうか、と批判します。つまりもっと原爆投下の責任を問え!との論です。公式の抗議は昭和20年8月10日以来なされていない、そうです。「非人道的兵器の使用を放棄することを厳重に要求する」という文言だったそうです。ううむ。違和感でした。中国新聞は反核反原子力の新聞です、左翼新聞です。アメリカを(国際法で禁じられていた原爆という無差別大量虐殺兵器の使用を)強く非難するような記事は67回を数えた記念日の紙面に見たことがありましょうか。原爆はいけない、非人道的だ、けれど、そういう事態に追い込まれた日本こそが悪いのだ、皇国史観軍国主義がこの悲劇を生んだのだというすり替えを先導してきたのが実情でしょう。アメリカの属国として六十余年経済繁栄を享受してきた引け目があります。妾宅で息を殺してる風情です。旦那様に逆らっちゃいけないよ。その腹いせを戦前戦中暗黒史観で塗りこめてきたのはマスコミですからね。で、いきなりこういう記事を、産経でも読売でもない中国新聞に読むと、違和感です。原爆ドームにある記念碑の文言との溶け合わなさはどうですか。どうして今まで黙っていたのか。この唐突さも不思議なことです。平和メディアセンターがどういうものでどういう活動をしてきたのかも知りませんから、推量はこのくらいにします。
 TPPについてNHKの討論番組に前原さんや他の党の論者が集まってました。社民党共産党が反対、他の党は反対はしないとのことでした。どなたも、バスに乗り遅れるな、です。自民党の茂木さんがこのフレーズは戦前に三国同盟調印の際によく言われた言葉だと振り、勢いに流されてはならぬ、空気に流されてはならぬと(言いたかったんでしょうが、うまく伝わらなかったでしょうか)言ってました。この枠組みに参加して、ルール作りにタフに交渉しろという、いわゆる落とすべき所に落とす論でした。社民党のよく見る顔のおばちゃん議員さんが言ってました、TPPの中身を見せてくれ。国民に提示しろと。そうですね。それもわかり易くです。契約書そのまま見せられても何もわかりませんからね。そうやって国民にも考えさせたらいいんです。そういうことを、自民党がやって来なかったことをやろうと言ってたんじゃなかったですかね民主党の青二才達は。青雲の志を抱いているとやらの連中は。民主党が舵をとり切れないままにこの国は迷走します。前原さん(だけじゃないですが、この人が特によく口にしますね)はこの場でも言ってました、民主党の責任と言うがまだ2年のことだと。つまり政権を担うなんてことをつゆ思わずに選挙に勝つ方策ばかり探してきたと言ってるわけです。二大政党制とかなんとかできもしない美辞麗句空想空論を振り回していただけだと言ってるわけです。この期に及んでこんなことを言ってるようじゃ、この男もつまらんですね。お前の話はつまらんっ!!
 
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文化

2011-10-22 08:11:06 | Weblog
カダフィー大佐が殺されて、リビアは全土解放、民主化へ、だそうです。40年余の独裁の末、だそうです。議会もない、国会もない40年です。でも、この国は40年周りに認められて存在してきたんですね。いつまで経っても大佐ってのも象徴的です。皇帝でも王様でもないところ。その辺の凡な奴なら自分をもっともっと飾り付けるものです。クーデター起こす(王制を倒す)だけが目的でなく、権力を手することだけが目的じゃなかったから、40年ももったわけです。我が国の民主党をごらんなさいな。自民党を引きずり降ろすことだけ、選挙に勝つことだけが目的でしたから、何にもできないわけです。選挙に勝つことと権力を握ること、つまりは国を預かることとが一つじゃなかったんですね。ま、こちらは措いて。権力は必ず腐ります。40年も続けばさぞや、とは想像します。石油マネーが国を富まさなかった、国民を富まさなかったという結果であろうことは想像に難くないところです。だから民衆が蜂起した。排除圧迫され続けた民衆が立ちあがった。そういう捉え方で、民衆が正でカダフィーが邪であるという色付けです。本当にそうなのか。イラクやアフガンがあれだけ泥沼化しているのは何故か。フセインは本当に悪だったのか。アメリカに盾ついていたからでしょう?アメリカの思い通りにならなかったからでしょう?民主化ってのがそんなに有難い事なんですかね。解放?今まではそんなにリビアの人々は自由がなくて抑圧されていたんでしょうか。日本の戦前戦中がとんでもない暗黒時代だったという設定でもって、あの時代の日本は狂っていた、日本ばかりが悪者だったという筋書きでもって戦後の教育がなされてきたのと寸分違いません。アメリカに盾ついたお前達が悪いに決まってる。そういう決めつけです。あのアメリカは世界の警察きどりですが、その実は弱い所に入り込んで甘いところを吸いつくそうという帝国主義です。国益という言葉でごまかしながら侵略を繰り返す。それが資本主義の常である、新自由主義の国(それがアメリカンドリームだって)なればこれが国柄である、こうやって強弁しながらです。イギリスやフランスや日本が尾っぽ振ってついていく。国連を持ち出せばそれが正義だと決めつける。侵略行為でしょう?だからあの安保理の拒否権というのは意味があるのですねぇ。議会民主主義が最高の統治体系だと決めつけるのも実は乱暴な話です。曽野綾子が事あるごとに書いてますが、酋長や族長が全てを取り仕切る集団はそういう文化でもって何百年も回ってきているのだと。そこに民主主義なるものを押し付けるは資本主義の押し付け、ひいては搾取への道付けに過ぎぬのです。そう知らねばならぬでしょうね。リビアもイラクアフガンの二の舞になるのでしょうね。
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