昨日の日経「詩歌・教養」コーナーに矢沢永吉です。この不似合い、ミスマッチだけで笑いがとれてます。この手の記事書くのはファンであることの告白に他ならないのですが、この記者も丸出しです。私はキャロル時代から暫く(5年くらい)追いかけてましたからこの人のメロディーメーカーぶりはよく知っていますが(あの頃の曲は確かにいいのが多くて「ドアを開けろ」と「ゴールドラッシュ」のアルバム二枚が出色です、一度お聞きになったらいい、そして I love you.OK はやっぱりいい曲です)自らを評して曰く「何百曲も作ったけど、半分ほどはどこにもないメロディーという自信がある」そうです。言いそうなこと、これまた笑ってしまいます。でも、この人はずっと「俺を、矢沢を見てくれ、よろしく!」で突っ走って、私くらいの低いレベル(コアじゃない)のファンをも裏切らないですよね、すごいことだと思うわけです。昭和24年生まれの人です。58歳です。
今朝BSで南こうせつがインタビュー受けてました。彼の自宅の庭なんでしょう、ラフな格好に長靴姿でした。話はどうしても去年のつま恋コンサートに行き着くわけですが、印象的だったのは、彼らが神田川でブレイクして、実はあの後が辛かったんだという話。四畳半フォークなんて言われて「赤ちょうちん」「妹よ」と暫く良かったですけれどそのうちに解散して、南こうせつになってからが大変だったというわけです。曰く、体中にへばりついているプライドを、痛い思いをしながら剥がし取っていくことが辛かった、と。なるほど。一発屋が多く、またその一発だけで結構生きていける業界です、その点かぐや姫ぐらいのレベルになると十分十二分の筈ですが、周りが退いていく中でテンションを保っていくことの困難さなんでしょうね。この人がずっと前に出ていられるのはあのキャラクター、優しい、みんなで頑張っていこうよ!と照れずに平気で言えるキャラクターに負っている所が大きいのでしょうが、今日の話は面白く聞いていました。この人も58歳だそうです。団塊という括りなんでしょう。
読売には桂歌丸のエピソードが載っています。この人の実家は横浜の遊郭で、そういう空気の中で育った人です。祖母に育てられて、その婆様が傑物だったという話です。赤紙で召集されていく未だ二十歳に満たない息子を父親が連れてくる、事情がわかると婆様は何も聞かず何も言わずに翌朝の膳に、赤飯、鯛の塩焼き、蛤の吸い物と香の物を添えたんだそうです。あの時期、餅米や小豆の確保にも苦労していただろうに「それが、色街の人情、しきたりだったんでしょうね」と評しています。店の前で直立不動の息子の横で、父親がよろしくと頭を下げている、それを見ていると切なかったとも書いています。ううむ、読んでいるだけで切ないことです。若くして命散らす運命の息子に対して、せめて、と考えて郭へ連れる心境。切ないですね。こんな状況がいい状態であるはずもないですし、そんな無茶を言うのでは決してないですが、あれもない、これもない環境で気持ちだけが研ぎ澄まされていく、一つ方向にとんがっていくしかない状況、極限とかギリギリとかそんな単語では含みきれない思い、そして父親の「お前も男と生まれた以上はせめて女を知ってから」と考えるこの直情さ、直截さ、飾りのない生々しさ、俺がそうであったようにお前にもと思い遣る心根。何だか人の長い長い歴史の底に流れ続けてきた大原則を、そのままの姿で露わに見る思いです。どうしてそんな時にそんなことをと眉を顰める気恥ずかしさやら気まずさ、それはきっと今この時代だから感じることであって、あの時代連れる者も連れてこられる者もまた受け容れる側も背筋がいやでも伸びる空気の中にいたのでしょうし、父親の思いは母親も認めていたことなんでしょう。服を一枚一枚脱いでいって、飾りも見栄も何もかも取り去って最後に残るもの、人というのはこういう存在なんでしょう、何だか妙に腑に落ちる気分です。でも切ないです。上に書いたような理屈は書き手の数だけ出来上がりましょうが、このせっぱ詰まった場面でのこの行為の切なさは万人の胸に沸き上がるものではないですか。人の心とはこういう造作なんです、そう思います。桂歌丸、71歳。
病気腎移植問題、B型肝炎感染患者の腎を移植して、移植された人が肝炎発症して膵炎で死んでいたという事実が公表されています。万波さん弁明していますが、これはまずいでしょう。内科医が大丈夫と言った、と釈明していますが、これも言い訳にはなりません。その後の説明もぞんざいであり不十分です、新聞で報道されているものを読む限り。こんなことをしていたのでは私の如き外野席観覧者もXです。もっとも、こんなことはありがちだとも言えます、もともと学者さん達学会のお偉いさん達の決めた倫理規定を守らなかった人です、このくらいの危険はわけなく越えます、腎臓を必要としている人が目の前に多く待っているんです、多く頼ってきているんです。これこれ危険があるけれどもええか?と、これくらいは必ず尋ねていましょうし、いやですと言えない事情も待つ側には強く存在する。ここで拒否したら今度いつ自分の順番が回ってくるか分からないという恐怖です。ここでも、需要と供給とのバランスが保たれているわけです。両親の談話が載っています、万波さんを非難しています。学会は胸を張って糾弾します、これは医療ではないと。さて、万波さん一手敗着です(人が一人死んで失着なんて不遜ですが)。でも、学会も一刀両断で投げ捨てないところ、この手段方法に将来性を見ている証拠でもありますね。大人の解決をまことに望むところです。
今朝BSで南こうせつがインタビュー受けてました。彼の自宅の庭なんでしょう、ラフな格好に長靴姿でした。話はどうしても去年のつま恋コンサートに行き着くわけですが、印象的だったのは、彼らが神田川でブレイクして、実はあの後が辛かったんだという話。四畳半フォークなんて言われて「赤ちょうちん」「妹よ」と暫く良かったですけれどそのうちに解散して、南こうせつになってからが大変だったというわけです。曰く、体中にへばりついているプライドを、痛い思いをしながら剥がし取っていくことが辛かった、と。なるほど。一発屋が多く、またその一発だけで結構生きていける業界です、その点かぐや姫ぐらいのレベルになると十分十二分の筈ですが、周りが退いていく中でテンションを保っていくことの困難さなんでしょうね。この人がずっと前に出ていられるのはあのキャラクター、優しい、みんなで頑張っていこうよ!と照れずに平気で言えるキャラクターに負っている所が大きいのでしょうが、今日の話は面白く聞いていました。この人も58歳だそうです。団塊という括りなんでしょう。
読売には桂歌丸のエピソードが載っています。この人の実家は横浜の遊郭で、そういう空気の中で育った人です。祖母に育てられて、その婆様が傑物だったという話です。赤紙で召集されていく未だ二十歳に満たない息子を父親が連れてくる、事情がわかると婆様は何も聞かず何も言わずに翌朝の膳に、赤飯、鯛の塩焼き、蛤の吸い物と香の物を添えたんだそうです。あの時期、餅米や小豆の確保にも苦労していただろうに「それが、色街の人情、しきたりだったんでしょうね」と評しています。店の前で直立不動の息子の横で、父親がよろしくと頭を下げている、それを見ていると切なかったとも書いています。ううむ、読んでいるだけで切ないことです。若くして命散らす運命の息子に対して、せめて、と考えて郭へ連れる心境。切ないですね。こんな状況がいい状態であるはずもないですし、そんな無茶を言うのでは決してないですが、あれもない、これもない環境で気持ちだけが研ぎ澄まされていく、一つ方向にとんがっていくしかない状況、極限とかギリギリとかそんな単語では含みきれない思い、そして父親の「お前も男と生まれた以上はせめて女を知ってから」と考えるこの直情さ、直截さ、飾りのない生々しさ、俺がそうであったようにお前にもと思い遣る心根。何だか人の長い長い歴史の底に流れ続けてきた大原則を、そのままの姿で露わに見る思いです。どうしてそんな時にそんなことをと眉を顰める気恥ずかしさやら気まずさ、それはきっと今この時代だから感じることであって、あの時代連れる者も連れてこられる者もまた受け容れる側も背筋がいやでも伸びる空気の中にいたのでしょうし、父親の思いは母親も認めていたことなんでしょう。服を一枚一枚脱いでいって、飾りも見栄も何もかも取り去って最後に残るもの、人というのはこういう存在なんでしょう、何だか妙に腑に落ちる気分です。でも切ないです。上に書いたような理屈は書き手の数だけ出来上がりましょうが、このせっぱ詰まった場面でのこの行為の切なさは万人の胸に沸き上がるものではないですか。人の心とはこういう造作なんです、そう思います。桂歌丸、71歳。
病気腎移植問題、B型肝炎感染患者の腎を移植して、移植された人が肝炎発症して膵炎で死んでいたという事実が公表されています。万波さん弁明していますが、これはまずいでしょう。内科医が大丈夫と言った、と釈明していますが、これも言い訳にはなりません。その後の説明もぞんざいであり不十分です、新聞で報道されているものを読む限り。こんなことをしていたのでは私の如き外野席観覧者もXです。もっとも、こんなことはありがちだとも言えます、もともと学者さん達学会のお偉いさん達の決めた倫理規定を守らなかった人です、このくらいの危険はわけなく越えます、腎臓を必要としている人が目の前に多く待っているんです、多く頼ってきているんです。これこれ危険があるけれどもええか?と、これくらいは必ず尋ねていましょうし、いやですと言えない事情も待つ側には強く存在する。ここで拒否したら今度いつ自分の順番が回ってくるか分からないという恐怖です。ここでも、需要と供給とのバランスが保たれているわけです。両親の談話が載っています、万波さんを非難しています。学会は胸を張って糾弾します、これは医療ではないと。さて、万波さん一手敗着です(人が一人死んで失着なんて不遜ですが)。でも、学会も一刀両断で投げ捨てないところ、この手段方法に将来性を見ている証拠でもありますね。大人の解決をまことに望むところです。