柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

思い違い

2007-01-31 08:36:49 | Weblog
辻元さん、やっと出番が回ってきたという感じですか。調子に乗って言い放つのは相変わらず、勝手に女性代表を名乗っていますが、あれでいいんですか女性の皆様。うちの娘は、未だ二十歳前のひよっこですがこう言います、あんなバカな発言にはいちいち反応しなくていいのだ、相手にしなければいいこと、もう時代はとうにあんな男は置いていっている、女が女がと言い立てる方が情けないじゃないかと。おお、ガツンと言うじゃないか。でも、言わんとわからん奴らが多いのも確かなこと、思いしらせる意味では必要な手続きなんでしょう。どうやら更迭模様ですね。辻元、福島あたりの嬉々とした顔。左の左たる面目躍如です。うってつけの場面に役者の再登場なんですが、ふうむ、やっぱり私はこの女と波長が合わないです、理由なく(いや言えば言えるんですが)この物言いに不快感が湧きます。見下す言い方が気に入らぬのでしょう。国会質問で、繰り返し放映されてました、厚労相への辞職勧告に「男の人達は賛成しないんですか?」って間抜けに問う、その場はまばらに拍手があるだけでしたが、世間はきっとこうでしょう、お前が気にいらん!
 残留孤児の損害賠償裁判、原告敗訴です。門前払いという評価です。ああいう状況で損害を被ったのは確かなことと認めておいて原告の訴えを全面的に退けた、という記事です。むむ、あの頃のあの地区での尋常ならざる状況は私達は書物や写真などで知るばかりのことです、感想の域を出ませんが、こういう比較もできるでしょう、内地でもあの空襲の惨劇です、肉親の死体を踏んで生きてきた人は多くあるでしょう、孤児として生き延びて来た人も多くおられましょう、内地であったか中国韓国満州の外地であったかの差、もちろんそれが大きいじゃないかと言われればそうなんでしょうが、2歳3歳4歳の幼少時の出来事です、本人には何も対処できなかったのだからと国の賠償を訴えるのであれば、幼少であれば親の行動に沿うが当然のこと、あなたの親が当時海外に生きる場を求めた結果でしょう、という言い方ができませんかね。単純な法解釈した裁判官の判断は正しいと私は思います。単純な法律照会でいいと思います。でも、東京地裁です。次はあの東京高裁です。多士済々の裁判官揃いの東京高裁です。きっとまたまた逆転勝訴って顛末なんでしょうね。孤児の心的損害は甚大である、なんて大上段にふりかぶってね。さてさて。
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人の判断

2007-01-30 08:41:32 | Weblog
NHK朝ドラ見ておられますか。少しマイナーな話題で恐縮です。天童よしみが出てきました、その所属会社の社長役に見たことのある顔です。ネイティブでない大阪弁をむりやり喋っています、なんだか間の取り方が妙なおやじです。ああ、鈴木やすし?その昔(大昔ですよ、まだTVが白黒の時代のイメージなんですが、実はそこまでは遡らないのかも知れません)よくTVに出ていた人ですよね、バラエティーやら歌番組の司会とか。そうそう、大きな口でにちゃーっと笑うこの人です。歳をとったと言えばそう、そうでもないかと言えばまたそう。桜木健一といいこの人といい小島慶一郎といい、なかなか「あの人は今!」的な興味をそそってよいことです。
 病気腎移植患者の肺癌は原発性のものだったそうです。中国新聞にしか載っていませんが、この問題を追いかけている広大の名誉教授の調査結果だそうです。原発性というのは、腎臓から転移してきたものではないということです、移植された腎臓にあった癌とは全く別の肺癌が発生してのことであったということです。これは大切なことです。この事例が明るみになった際に、移植学会かどこかの偉いさんがこの転移をえらく強調して、とんでもないことだ、常識では考えられないことだ!式にほとんど侮蔑のニュアンスで叱責していました。危険性が全否定されたわけではありませんが、この学会の権威が心配した如き「危険極まりない蛮行」ではなかったんでしょうね。先にもこの欄で書きましたが、このデータこそが大切なんです。この先駆した医者の行為を無にしてはならぬのです。手続き違反とは別の次元の症例検討が必要なんです。マスコミはそういうことには全く無関心ですがね。
 NHKの裁判、いかがですか。東京高裁というのはよく言えば多士済々、悪く言えば色々いますねぇ。私から見れば左の巣窟。週刊誌の販売差し止めやら、フジTVとホリエモンとのあの騒動裁きとか、石原都知事の一連の訴訟事等々、何?なに?という判決が多いんです。今回もそうです。詳細は新聞を読んでもらいたいですが、もともとこの番組自体がトンデモもので、昭和天皇の戦争責任を裁判仕立てで茶化すような内容だったそうです(見てませんから伝聞ですが、多くの右寄り月刊誌上ではとことん叩かれている映像です)。そういう内容ものを、NHKが断り無しに、政治家の容喙に従って編集したことが、表現の自由に抵触し、期待権なるものを侵害するという判決でした。その政治家とは今をときめく安倍さん(当時官房長官)やら中川大臣。この手の勢力は絶えませんから、ワーワー言うのは仕方のないことですが、常識的な判断のできない裁判官が多くいることの恐怖です。単純な機械的な法律運用者であればそれはそれでいいのですが、妙な思想を間に入れる、反体制反権力の塊になっている市民至上主義者がいるわけです。人権弁護士、人権裁判官といわれる連中です。ふうむ、最高裁にはどうか常識に溢れた人にいてほしいですね。この事件は、元々の番組自体の問題です。そう思っていますが、人の判断というのは怖いことですね。
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人権問題

2007-01-29 08:41:01 | Weblog
昨日は中国新聞に載っただけでしたが、この手の問題は好餌なんでしょう、どのTV局も叩きまくってます、厚労相の「女は産む機械」発言。これだけの集団暴力を目の当たりにすると天の邪鬼とすれば擁護に回りたいのですが、昨日も書きましたがこの発言自体のバカさが強すぎて句を継げないのが正直なところ、ううむ、なのですが、一つありました継ぎ穂が。きっと調子に乗って叫ぶ奴が出てくるんだろうなと聞いていたら案の定いますいます「産む産まないは女の人権だ」論。来た来た来た!です、人権と言えばみんなが避けると思っている輩です。こんな事例に人権なんて身振りの大きな言葉を持ってくる必要などないのです。もちろん敢えて、当然のような顔をして言い立て振り回し、議論の余地を与えずなぎ倒そうとするのがこの手の勢力の常套です、彼らからすれば予定の論難。子供を産むのは女の特性、女しかできないこと、男にはできないこと、そういう意味でもちろん彼の大臣は宣うたのでしょうし、それ以上の悪意などあるはずもないのでしょうが、そこをもっとうまく言いなさいよ、だけのことです。ここでよくひっかかる謂、上述の、子供を産むのは女の特性という定義。これは、女だから子を産めるのだ、子を産めるから女という性なのだ、と言い換えられていきます。そしてひっくり返してこう噛みつきます、じゃぁ子を産めないのは女じゃないのか、産みたくても産めない者はいるのだ、産む産まないはその者の自由の筈だ!と段々に声が大きくなってきます。産まないと産めないとは違うし、その違いは世間は十分に分かっているし、この時代「石女」なんて誰も言いません、そういう考え方自体がなくなっています、だからそこを誰も一緒くたにはしていませんし、一緒にした説は論外です。好き嫌いで、自分の都合で(それで十分なんですがね)産まない人達、どうかご一考願えませんか、なんですね。国のために、なんて言うとまた別の色づけして叫ぶ連中が現れましょうが、子供の少ない国に栄えた国はないのです。強制なんか誰もしていません。でも、日本を思う気持ちはわかって貰わねばならぬことではないのでしょうか。私もあなたも例外なく母親から生まれてこの世に生を受けているのです。ううむ、都合のいい時にだけ男女差を強調するな!と怒られるのでしょうが、ジェンダーのうんのかんの以前の性差は越えるに越えられません。そしてクローンで象徴されるように生殖に男が要らなくなるご時世。でもきっとどれほどに科学とやらが進んでも母体なくして子の誕生はなし得ないでしょう。うむ、こう強調すればするほどに女の人の気持ちを固くしてしまう虞が大きいでしょうか。でも、人権なんて大仰なことではないのです。人権蹂躙が目的であるはずがないでしょう。どうか問題のすり替えされませぬように。そう思います。
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まずいことです

2007-01-28 12:05:16 | Weblog
M1グランプリは結構漫才の正道を継承しようという意図が見えますので、年末楽しみに見るのです。去年のブラックマヨネーズ、今年のチュートリアルとスピードに乗って被せ被せていく笑い、次から次に繰り出すくすぐり、聴衆をそのリズムに引き込むわけですね。チュートリアルはそれに個性が重なっていますが、流れは一緒です。今の漫才は速さですね、如何に多くを繰り出せるか。一つパターンでは長持ちしません、昔以上に速く消えていきます、ゲッツ然り、ギター侍然り、「間違いない1」然り、そしてあのレギュラー然り。藤原紀香の結婚相手陣内なんとかは小道具使いの笑いです、これも危ないでしょう飽きてしまいます。関西では結構露出の多いタレントですが。この番組は紳助が色を作っていて、ダウンタウンの松本を才能と認めている、B&Bの洋七やら赤信号のラサール石井やらもそう、玄人受けするような審査員人選。中でも、カウスボタンの中田カウスは巨人阪神の巨人と並ぶうるさ方です。全国的にはそれほど有名ではないのでしょうが、関西では昔からの重鎮。あのいくよくるよが受けていた頃にぼろくそに叩いていましたから、あんなのは漫才じゃないって。だから、審査員見ているだけで実は面白い番組なんです、何を言うかってね。いや、それはM1グランプリの話です、昨日たまたまジャストミート福沢が司会する「エンタの神様」を見ました。ギター侍が出てきた番組です。びっくりしました、なんて面白くないんだ。見ている連中、本当に面白くて笑っているんだろうか?と思いました。筋も何も全くない、一つ一つ話を茶化すパターンばかり。だいたひかる、最近昼のNHK番組に出たりしてますが、全然ダメ。まちゃまちゃ、これも悲しいほど進歩がなし。見てくれだけで長く受けるはずもなし。びっくりしました。これじゃぁダメだわ。思い出しました、昔「お笑いスター誕生」ありましたね、トンネルズやら山田邦子、九十九はじめ(これは関西にいた人じゃないと知らないかもしれない)、小柳トムらを輩出した番組、ここの審査員も鳳啓介京唄子とかなんとも旧態のビッグネームばかりでした、あの頃は私も若かったので、年寄り臭い批評には反発していたもんですが、でもあの頃の笑いの方が正道なんだと思いますねぇ。しかし、昨日のあれはまずいわぁ。
 柳沢厚労相が松江での講演出、女性のことを「産む機械、装置」と譬えたそうで、大ブーイングです。当たり前でしょうに、バカですねこの男、本当にバカ。いつも言っているように、人の頭の中は喋らせれば分かります。この男はいつもこう考えているわけです、こう捉えているわけです、こういうイメージでこの問題を整理しているわけです。これだけばれてしまうのは怖いことですが、でも面白いことでもありますね。識者のコメントも新聞に載っていますが、男は産めない、産むのは女だ、そう言うことは子供でも知っていることです、それをこういう言い方しかできぬのはバカとしか言えないですね。更迭に値するんじゃないですかね。この手の極端な発言にはもともと「甘い」方なんですが、これはダメです。時代に逆行する事甚だしいし、こういう言い方では何も新たな進展は得られません。これはまずいわぁ。いかがですか、女の方々。
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道徳観

2007-01-27 08:41:22 | Weblog
堀江貴文、ホリエモン結審だそうです。未だに無罪を主張しているようです。どういう罪で裁かれようとしているのか詳細を知りませんが、世の中は道義上の裁きをします、法律上は罪ではないにせよあれだけふてぶてしく横着に傍若無人に振る舞い放言したのでは敵ばかりでしょう。検察の指摘を否定するのはいいにせよ(というか、先の富山の冤罪事件を例に引くまでもなく、警察検察権力の専横には抵抗するべきですが)、宮内とか言う部下の所為にするところが世間を敵に回しているのです。ここを認めると辻褄が合わなくなるのかも知れませんし、弁護士の戦略指示なのかもしれませんが、最後の所で潔さを見せるが日本人の文化であり美学であるわけです。保身に汲々とすると映るわけです。宮内なんとかが既に全てを認めているから余計にです。敗軍の将、兵を語らずと言います。これは大将の心得ではありますが、いえ、その人間に備わった品格であるのです。この男にはこれが欠落しているのでしょう。そんな奴であるというわけです。群がった者がバカだったということです。
 「離婚後300日以内に出産した子は前夫の子供とする」という民法が攻撃されています。確かにすっかり時代にそぐいません。親子関係はDNA鑑定の時代です、夫婦であるなしの問題ではなくなっています。雑誌で映画でTVでラジオで、これだけ不倫の何のと婚外交渉を「奨励」する時代です、歳をとっても恋していたい!なんてね気味の悪いこと。結婚している夫婦しか性関係はないという前提はとうの昔に崩れています。離婚調停中に他の男と出来上がるなんて事に、今更なんの道徳的抑制がかかりますか。この法律が出来上がった頃の社会状況とこれだけ違うのです。これを乱れ、風紀紊乱ととれば緩んでいく流れを嘆くのでしょうが、でもこれは現実的には立法府の怠慢です。法律の不備ですから。国会の怠慢です。この手のいわばかびの生えたような、化石のような決まりが多いですね。この事例が典型でしょう。道徳観、ですよねぇ・・・。
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露呈

2007-01-26 08:38:26 | Weblog
星野が選んだコーチが田淵に山本浩二。まぁ、良いと言えばいいんですが、いつまで引きずってるんですかね輝かしき青春時代とやらを。昭和四十何年のドラフト黄金時代とかなんとかの立て役者達。法政三羽烏(もう一人は富田という三塁手でしたが長嶋の控えになっちゃってボツ)と相対する明大の星。いい歳したオッさん(もう爺さんですよ)どもの仲良し組も気味の悪いことですわ。
 宮崎県鳥インフルエンザ騒ぎ、東国原知事いきなり大仕事です。でも、この事例なら他県に多く前例がありますから対応策はそれをなぞればいいこと、どうコメントしてどう速く処するかの問題です、この人の才能云々ではないことですが、さてどう立ち回りますか。世間が注目しているのは確かです。そして無難さより失敗を期待しています、これも確かなこと。
 病院に入院している末期癌の女を嘱託殺人(頸を掻き切って)して2年数ヶ月の実刑判決を喰らったという報道でした。嘱託殺人というのは、人に頼まれて殺人すること、自分を殺してくれと頼まれてその人を殺すことです。刑法では殺人罪に準ずる罪です。殺してやる!という故意はないのですが、殺人罪です。それは法律の判断ですから刑の軽重を言うのではありません、その時の裁判官の言葉が報道されたのですが、その内容に呆れたのです。こうでした、末期癌で世をはかなむ気持ちは理解できるが、だからといって頼まれたからと殺害にいたるは短絡的に過ぎる。命長らえる手立てを他に模索できたのではないか、あなたが後を看取ると言えば当人も(死にたいではなくて)他の考えになったのではないかと諭したそうです。おお、なんという正論。個々の事情を全く無視したキラキラの正論をぶつ、この自販機のような定型主義、嫌ですねぇ。いやいや、遠山の金さんやら大岡越前やらを念頭に置いているんではありません、そうじゃなくて、どの裁判官も同じ事しか言わない気味の悪さです。もっとも、あっちの裁判所では死刑、こっちでは無罪なんて整合性のないことではもちろん困ります、そうならないように前例に沿って前例に準じて判決は下されていくのでしょう、それはそれで正しい判断とは思いますが、判決の後に添える言葉くらいねぇ、と思うわけです。道徳の教科書から引っ張ってきたような言葉を振りかけられても、この人が金目的とかただ頼まれただけと言う事情でなく、本人の苦しみやら来し方行く末やら十分に知って考えての末の行為であったとすれば、鼻白んでしまうだけです。何~にを言うとるか!でしょう。人生の機微も甘辛も知らない奴に偉そうに言われたくない、なんて思いませんかね。ううむ、でも裁判官なんてのは、機械のような法律照会屋でいいのかも知れません、下手に勘案されるとその人の人間の浅さが露呈されますから。自分よりバカに裁かれたくないですよね、人は喋れば喋るほど頭の中が見えてしまいますから。連中それを分かって、予防線張っているのかも知れませんね。冷淡に徹する、つまり機械に徹する。面白くないかもしれないけれど、いらん事喋らぬ方がいいですかね、裁判官殿。
 
 
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弛緩

2007-01-25 08:40:26 | Weblog
バラバラ殺人事件、後を絶ちませんね。あっちで見つかり、こっちでもまた。少々のことなら私は、人は色々雑多なんだからそんなこともあろうかいと思っていますが、死体をバラバラにする気持ちは共感できません。余程に憎らしかったからなんて、それは嘘でしょう、殺すことで目的は達せられるのですから。処置に困って?どこに捨てるにしても細切れにしないと運べない、そういう考えの末で?でも、だらだらと血が出ますよ、すごいにおいですよ、見た目がえげつないですよ、見たことのない方ばかりでしょうが、想像を遙かに超えます。そこをやり通すんです。まさに鬼気迫るものでしょう。趣味性癖の問題にいきつくのでしょうか。憎しみの殺意のの問題じゃないように思います。
 給食費未払いが全体の1%だそうです。典型的な「赤信号みんなで渡れば怖くない」現象ですね。お前が払わんで済むなら、俺も払わんという行動原理、薄っぺらい浅はかな平等主義。易きに流れる、低きに落ち行く人の常です。一定のレベルを保つためにはエネルギーが必要です。あなたが払えない分、私達だけでも払いましょうという意気です。実際に払えない人がいると言う事実は、先にも書きましたがワーキングプアの政治問題に繋がること、軽々しく一概に言い放してはならぬのでしょうが、その人達を見て、じゃぁ俺も払わんという気持ちの湧くところが問題と言えば問題。おかしいんですね。正義の味方のマスコミや識者たちはモラルの低下、規範意識の低下とまたまたステレオ反応です。教育が間違っていたんですよね。そしてこれが資本主義の成熟状態であるということ。公より個となるのは、個人主義を基本とした資本主義の必然ですから。日本はその国民性もあるのでしょう、国営企業が多く長く残っていました、それを不思議と思いませんでした、国鉄やら専売公社やら。規制規制で、役所が絶大な力を持っていました(今もそうですが)。お上の言うことは聞かねばならぬ、という不文律が通用しました。それを崩したのが教育現場です。自由の、主体性の、ゆとりのと手を変え品を変え緩めてきたわけです。水門を開けて水を低きに流れるままにした、と言うわけです。もちろん、それで日本は大繁栄したのです。物質的には大きな利益をもたらしましたが、それは公意識の消失という代償を要したわけです。左翼の言うような社会主義は不利益が大きすぎます、この選択肢はありません。が、資本主義の原理を修正せねばならぬ時期なんでしょう(歴史学上の修正主義とは違います)。緩みすぎたんです。それは間違いないでしょう。いかがですか。
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閃き

2007-01-24 21:01:07 | Weblog
夜書いています、こんなのは久しぶりです。いつも朝書いていますので、この時間何だか頭の疲れを感じるようなおかしな感じです。年ですかねぇ、やっぱり。
 今朝の天声人語はエジソンの言葉として「天才とは99%の perspiation(汗)と1%の inspiration(霊感)とによってできるもの」を引いています。優れたスポーツ選手を讃える言葉に「1%の天才、99%の努力」と言うのがありますね。いかにも一般受けする、道徳修身に通じるフレーズで、これに通底するものです、努力は尊いのだ、努力しなければ事はなし得ないのだと。さらに調子に乗って、才能なんかじゃない、努力するかしないかなのだ、とトーンが上がります、よくあることですね。そう言った方が尻を叩きやすいですからね。さぞやエジソンもそういう言い方に嫌な思いをしたのでしょう、こう釘を刺したそうです「99%の汗が実るのは1%の閃きを大切にしたときだ」。まことにその通り。人の気づかぬことをパッと閃くのが天才なんですが、それを具現化する工夫のできること、そういう過程に努力を注ぎ続けられること、実はこのしつこさ、群を抜く持続力こそが天才の天才たるところなんだと思うのです。閃きのないところに、工夫のないところに、どれだけ時間を掛けても無駄です、何の結果も出やしません、世の中の「努力」させられている連中は皆この範疇です。努力しろ努力しろと言うだけの指導者達にも何の工夫もありません。名選手名コーチならず、ともよく言いますね。これはその人の閃き、工夫、鍛錬がその人特有だからなんです、一身専属なんです。特にスポーツにおける体のこなしなんかはその人しか分からぬ事、その人にしか形にできぬ事です。いい例が長嶋でしょう。かの有名なバッティング解説、来たボールに腰をこうしてブーンと向かって、こうバットをビュンと振る、なんてね、何?なに?でもこの人はこういうイメージで打ってきたんでしょう、あれだけの業績を残してきたんでしょう。この人が生まれながらに備えていた人並み外れた運動能力に、この人にしか分からない閃きがあって、工夫し努力する。けれど人にはその人が走っていたり泥だらけになってノックを受けたり、はたまた座禅を組んだり滝に打たれたり、そういう表面しか見えないわけです。で、わかりやすいところだけを真似する(それしかできませんから)、わかったつもりで努力を強いるわけです「しっかり走りなさい、あんなすごい選手でも基本はランニングです」なんて言ってね。その前の差が大きいのです。トレーニングの質やら量やらの問題以前のこと、走るにしても座禅組むにしても、よーいどんとスタートする時点で格段雲泥の差があるのにです。努力すれば長嶋になれるかの如く叱咤する。一日中走ればイチローになれますか?まったく馬鹿馬鹿しい。エジソンは言いたかったのです、一応謙遜して、あんたたちと俺とは何も違わないよちょっと閃いたこととしつこかっただけさなんて言いはしたけれどとんでもない!俺とあんた達の差は埋められないほど大きいんだ。くやしかったら閃いて見ろ。工夫して見ろ!汗かいただけでこんな仕事ができるわけねぇだろうが!!とね。このセリフ、イチローが言っても松坂が言っても成り立つでしょう?
 個人の資質ですよ。才能のない者は努力しても追いつかないのです。と、こう言いきるのもまた逆の極端ではあるのでしょうが、今まで多くの場面でそれぞれの才能を見せつけられてきて、別に私だけが特別の経験したわけじゃないでしょう、皆さんもきっと分かっていただけると思いますが、こりゃダメだわと何度思い知らされてきたか。それは今も続いています。自分の才能の優れた分野で生きていきたいですよね。そううまくいかないのもこれまた人生ですがねぇ。
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しがらみ

2007-01-23 08:41:08 | Weblog
そのまんま東氏の当選の評価は皆同型同色です、しがらみを嫌った県民、です。その時の風ですからねぇ、空気。青島、ノック、田中康夫の時もそうでした。うわーっと流れるんですね。世が世なら(平時なら)当選するであろう人が押しつぶされる。政党政治の脆弱さが露呈する。無党派層、浮動票と称されるのは、その逆があるからです、つまり組織票。党員を組織して固める常道。はじめにこのパターンをひっくり返したのは青島幸男でしたかね、金ばらまかずに都知事になって。他の候補者がどいつもこいつも・・という顔だったからでしょう、みんな同じ顔してますよ。しがらみを嫌うなんて、しがらみを悪者にしています。確かにこの選挙は選挙資金援助と利益誘導図式、贈収賄から始まったこと、これを黒い関係とかしがらみとか言って糾弾するのですから悪者ではあるのですが、しがらみなくて人付き合いできませんわ。こういう勢いでトップに立った者は多くいますが、ものの何年かで呑み込まれるでしょう、その人を中心にした「しがらみ」がすぐにできあがるからです。前知事と関係のあった建築業者でない業者がピタリと付きます。当然でしょう?談合許さじ!ってやってますが、田中康夫があれだけやってどこまで効果が出たのでしょうね。他に有名なところでは横浜市長。人がやることですからねぇ、今までと違うことはできても、結局同じ道をなぞることになりましょう。決定権者に群がるは常です。そして魚心に水心、水清くして魚住まずなんて人が唆すわけです。同じ道。前の人のしがらみは絶てますが、その人本人のしがらみがどんどんできていくわけです。しがらみを嫌ってもねぇ、と例によって天の邪鬼は斜に構えて見ているわけです。東国原氏にではなしに、ステレオタイプのマスコミやら学者やらに対して、です。
 宇和島のいわゆる病気腎移植患者が肺癌で死亡したそうです。詳細が不明で云々と中途半端な記事ですが、ここをちゃんとしないと先に進めません。移植した腎臓の癌が大きくなったのか、その癌が転移したのか、それとも全く別の新しい肺癌が発生したのか、それは免疫抑制剤の所為ではないのか、などなど、私如きが考えるだけでこれだけ検討事項があります。移植した腎臓から癌が転移したのなら、病気腎の移植はならぬ!となります。そうでないなら可でしょう。もちろん一例だけで判断はできないにしても、移植腎が絶対的に足りない現状で、こういうデータはまことに貴重なはずです。ここをちゃんと解析してこその科学です。感情を差し挟むべきではありません。そう思います。この医者は先駆しているのです。この行為を無にしてはならぬと思います。決して731部隊と同等視ではありません。それは歴史が判断することですから。このデータをこそ大事にして貰いたいと切に思います。
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弊害論

2007-01-22 08:42:54 | Weblog
そのまんま東氏宮崎県知事当選です。すごいことと思います。以前この欄で人の性根は変えられない、変わらないものだ、この人の顔はこういう仕事の顔じゃないと書きました。おそらく落選でしょうとも書きました。予想が外れました。大勢の顔の見えない人々の総意です。大衆に対する評価は衆愚という言葉から民意と言う葵の御紋的ニュアンスまで幅広いものです、そのどれもそれぞれの一面を捉えて正しいものなのでしょう。高名な学者やキャリア十分の政治家のご託宣ではなく、名もない顔の見えない一般大衆の総意が(多数意見が)正しい判断選択であったという事例は多いのです。むろんその逆も多いから、世の中にヒーローは尽きないのですが。ううむ、東氏には私のような斜に構えた批判に負けぬような手腕を発揮して貰いたいと願います。青島幸男、横山ノックを選んだのも、田中康夫を落としたのも民意です。ちなみに彼の本名、東国原(ひがしこくばる)英夫さんだそうです、おお、南九州琉球系!
 ヒラリーさん大統領選出馬らしいです。民主党へのいい風に押されて行けましょうか。夫婦で大統領なんてのはえげつないことではあります。民主党は左ですし、対日強硬路線ですから、ブッシュやらレーガンやらみたいににこにこ笑ってくれません、ヒラリーおばさんもそんな感じですね。でも、サッチャーとはちょっと違う印象ですが、どう思われますか。
 ワーキングプアのことTVで取り上げています。格差社会の弊害だというお定まりの結論です。どんな特集もそういう流れです。昨日サンデープロジェクトで、前原民主党元代表やら社民党の女党首やらがワーワー言ってました、資本主義で繁栄してきたのは確かなことだが(そこには反論しないのかい?と田原さんに突っ込まれていましたが)そこからこぼれてくる人達を救済するのが政治の仕事だなんて、キラキラの正論ぶっていました。大が小を呑み込む構図で、大はどんどん膨らみ、小が潰れていく。聖書にこんな謂があるんでしょう?持つ者はますます富み、持たざる者はさらに搾取されるとかなんとか。何千年も前から人の世の中はそうなんです、変えられません。ローマ史で有名な塩野七生の言に、人は何か刺激を与えるだけで能力を発揮する層、生活の保障が有れば能力を発揮する層、そしてどうやっても成果を出せない層の三層に分けられる、それが2:7:1の割合が理想だ、というのがあります。基本的構造として第二層が圧倒的に多いのです。今は第二層の人々に第一層の人々並の要求をしているから上手く回らなくなっているのだと。ふうむ、なるほど。考えることは多いのですが、皆さん、抵抗なく格差社会弊害論に肯けますか?私は抵抗が大きいです。繁栄の為に必要だったのではありませんかね。また別稿で。
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