自衛隊が無人偵察機を配備するんだそうです。オスプレイが欲しいと防衛相が言ってましたね。尖閣防衛のためにオスプレイが沖縄に配備されてるんです、この最新兵器を正式に我が武器にするのは当然の判断でしょう。普天間問題の合意、何項目かがTVで報道されてましたね、沖縄の要求がとても具体的なのに(たとえば5年内に基地を移転させろとか)政府の答えができるだけ早くにしようといったもので、こんなので格別の御高配なんだと呆れるやら結局金だったのねと合点がいったとかの話であったのでしたが、その中にオスプレイの訓練飛行を沖縄以外でやれという項目があって、それに半分は県外でと答えていて、吹いたことでした、オスプレイを欲しいと大臣が言ってるのに茶番かい?さらにはステルスってことですよね。対中朝の構えです、ひとえに。自国でどんどん兵器を開発製造すればいいんです、ゼロ戦を作った国です。戦闘機はおろか旅客機輸送機も作らせるなと戦後抑えこんできたのはアメリカでした、もう言いなりになっている要もなくなってますから。兵器の進歩は長足のものがあって、無人機ですトレンドは。よく書かれている比較です、先の戦争で機銃掃射された経験のある人達は飛行機操縦してる者の顔が見えたと言うが、今はレーダーにもかからぬほどの低空を無人爆撃機は音もなくやって来て爆弾を落とす、仮に撃ち落とされても人的被害はない。いくらでも飛ばせる。無人偵察機も同じことです。陸軍(歩兵)の意義が小さくなる、前線で殺し殺されるという戦闘のイメージじゃないです、如何に敵軍まで正確に飛ばし落とすことができるか、逆には如何に早く探知して迎撃できるかの勝負です。戦争は(技術装備の)速さと同時性だという謂いがあるそうです。如何に最新技術を最新兵器を配備できるか。9.11のように如何に複数地点で起こせるか。これぞ抑止力。実際にドンパチ始めるのは余程に戦力差体力差のある場合です、フセイン潰されたのもカダフィーが殺されたのも。何十年前の東西冷戦と全く同じ構図です。所詮はこうなるのです。imagine はできても realize などとてもできません。War is over, if you want it.とジョンは唄いましたが、勝てると踏んだ者は機を窺います。当然です、それが人間の業です。だから備えよなのです。戦争する国になる?自国を守れる国にするという主権国家としていの一番に基本的根源的な構えです。どんどん揃えてもらいたいですね。防衛費を削減するなんてのは愚の骨頂です。三本目の矢はこちらで賄ってもいいくらいでしょうに。そう思いますが、トンガリ過ぎですか?
拙文拙論に今年一年お付き合いいただきましてまことに有難うございました。衷心より感謝いたします。頭でぼんやりわかったつもりでいたけれども、他人に尋ねられていざ口に出してみると全然説明できずに困ったこと、ご経験ありませんか。何度も言葉に詰まり、何とかごまかしてその場をしのぎ・・ああ、何も知らなかったと気づく、何を理解してなかったかを初めて知る。そういうことの繰り返しで知識を重ねてきているのですが、本を読む新聞を読むだけではダメなんですね。言葉を知る、定義を確認する為には不可欠ですが(辞書的な意義です)、それは他人(著者)の理解であり意見であるからです、鵜呑みしちゃならぬのです。とは言え、それに気づくにはやはり年齢の重ねが要るのでょう。孔子さまも新渡戸稲造も寺山修二も書を捨てよと言ってますが、いや、凡人はそういうわけにはいかないのです(お三方とも本を読むなとは言ってません、本の内容に囚われるくらいなら読むなという意味ですが)。知識を整理するには口に出して説明して見るのがいいです、そうですね、私の経験で言えば子供の質問に丁寧に(くどいくらいに、向こうが嫌がるくらいに)答えてみる。意外とできぬですよ、やってごらんになればいい。例えばTPPって何?昔日本は戦争してたの?アベノミクスって?そして書く。こっちの方が一般には機会の少ないことでしょうが、私にとってはこのブログがその役目を果たしてくれています。周りへの配慮不足は殊更に言い訳するまでもない言いっ放し、誤字脱字に始まって認識不足知識不足は皆さま御承知の通りでお恥ずかしいことなのですが、どこまでわかっていて何を知らずに偉そうに喋っているかが否応なく晒されます。仕事の場でも同じことです。自分の考え方がいつも正しいとまではさすがに思い上がっていないつもりですが、常に修正すべきは修正訂正して間違いのない考え方をしてこうと心掛けてはいます。長々と連続して明年中には3000本に届きます。それもこれも読んでいただける皆様のお陰です。あれこれ講釈垂れましたが、第一のモチベーションはやはりどなたかに読んでもらえるという事実です。違いありません。今までの御厚情に感謝いたしまして、明年も倍旧のお付き合いを戴きますようお願いいたします。有難うございました。
拙文拙論に今年一年お付き合いいただきましてまことに有難うございました。衷心より感謝いたします。頭でぼんやりわかったつもりでいたけれども、他人に尋ねられていざ口に出してみると全然説明できずに困ったこと、ご経験ありませんか。何度も言葉に詰まり、何とかごまかしてその場をしのぎ・・ああ、何も知らなかったと気づく、何を理解してなかったかを初めて知る。そういうことの繰り返しで知識を重ねてきているのですが、本を読む新聞を読むだけではダメなんですね。言葉を知る、定義を確認する為には不可欠ですが(辞書的な意義です)、それは他人(著者)の理解であり意見であるからです、鵜呑みしちゃならぬのです。とは言え、それに気づくにはやはり年齢の重ねが要るのでょう。孔子さまも新渡戸稲造も寺山修二も書を捨てよと言ってますが、いや、凡人はそういうわけにはいかないのです(お三方とも本を読むなとは言ってません、本の内容に囚われるくらいなら読むなという意味ですが)。知識を整理するには口に出して説明して見るのがいいです、そうですね、私の経験で言えば子供の質問に丁寧に(くどいくらいに、向こうが嫌がるくらいに)答えてみる。意外とできぬですよ、やってごらんになればいい。例えばTPPって何?昔日本は戦争してたの?アベノミクスって?そして書く。こっちの方が一般には機会の少ないことでしょうが、私にとってはこのブログがその役目を果たしてくれています。周りへの配慮不足は殊更に言い訳するまでもない言いっ放し、誤字脱字に始まって認識不足知識不足は皆さま御承知の通りでお恥ずかしいことなのですが、どこまでわかっていて何を知らずに偉そうに喋っているかが否応なく晒されます。仕事の場でも同じことです。自分の考え方がいつも正しいとまではさすがに思い上がっていないつもりですが、常に修正すべきは修正訂正して間違いのない考え方をしてこうと心掛けてはいます。長々と連続して明年中には3000本に届きます。それもこれも読んでいただける皆様のお陰です。あれこれ講釈垂れましたが、第一のモチベーションはやはりどなたかに読んでもらえるという事実です。違いありません。今までの御厚情に感謝いたしまして、明年も倍旧のお付き合いを戴きますようお願いいたします。有難うございました。