拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

木耳~ダビング

2022-06-30 05:21:29 | 音楽

木耳(きくらげ)はしゃきしゃきして食感がよく、水溶性食物繊維が豊富で免疫にも効くと聞いて、毎日食しているのだが、もっぱらラーメンの具としてだった。ラーメン鍋にぶち込めば水で戻す手間が省けるからだが、このたび、初めて「水で戻す」を独立工程で行って、「木耳とホウレンソウと卵と豚肉炒め」を作ってみた(ホウレンソウが余計だが、冷蔵庫に入ってたので)。視覚的には木耳が多すぎて、全体が黒っぽくなってしまった。もっと卵の黄色がなければそれらしくない。それにしても、15分水に漬けるとこんなにふくらむのか。ってことは、毎朝のラーメンでは膨らみきる前に食べちゃってたんだな。胃の中で膨らんでるのだろうか。

さて。某大なMDコレクションをパソコンに移すつもりと書いたがその方法について試行錯誤。いったんICレコーダーに移したり、直接パソコンにつなげて無償ソフトでファイル化する作戦は、音質的に難があってボツ。もともと、MCを再生する機器(オンキヨー製)にはUSBに録音する機能がある。なんだ、じゃ問題ないじゃん?いや、以前、試したとき問題が生じてボツになっていた。曲中の無音部分で勝手に分割して別ファイルにしてしまう。例えば、オペラの一つの幕がいくつものファイルに分割されてしまうのだ。まてよ。分割されたファイルは結合すればよい。以前試したときは私はそのノウハウを持ってなかったが、今ならできる。ということで、ダビング先のUSBをパソコンに差し、分割されたファイルを結合してHDDに残す。上首尾!ということで、移行作業を本格化させたのである。移行順はMDに付けた通し番号順。1~4番は、1984年のバイロイトの「リング」。一体、これまで何回この演奏を「移行」させたろう。最初は、ベータビデオだった。当時、ビデオテープにハイファイで(高音質で)録音できるようになり、カセットテープと違って長時間録ることが可能だったので、オーディオ録音用にも使っていた。ところが、ベータビデオ陣営がVHSとの競争に負けて市場から撤退。このままでは再生できなくなる。そこで、8mmビデオにダビング。8mmビデオにPCM録音ができたので、オーディオ用にも使っていた。ところが、8mmビデオ陣営が市場から撤退。このままでは再生できなくなる。そこで、MDにダビング。ところが、MD陣営が市場から撤退。このままでは再生できなくなる。これが現在の状況である。ベータビデオ→8mmビデオ→MD→パソコン……3回目のお引っ越し。これが最終着地点になるのだろうか。そうやって、私が必死になって守り続けてきた1984年のバイロイトのリングの録音を、今回、久しぶりに聴いた。やはり守るだけの価値のある記録である。何と言っても、ヒルデガルト・ベーレンスの歌うブリュンヒルデが圧巻。この難役は普通はドラマティック・ソプラノが歌うのだが、往々にして、力尽くで美しくない。最高音はフラットになったりする(例外中の例外はビルギット・ニルソン)。だが、ベーレンスの声は高音になればなるほど輝く。リリックの声質とドラマッティックな表現を併せてもった、まるでタイトルホルダーのような馬……じゃなくてソプラノである(先日の宝塚記念を勝ったタイトルホルダーは、スピードと持久力を合わせ持った現役最強馬である)。昨日の「B」は、「ベーレンス」の「ブリュンヒルデ」が正解だった。もし、ベーレンスを聴いてなかったら、私はここまでヴァーグナー好きになっていたかどうか。ところで、MDからパソコンへの移行作業は、今使ってる機器が動いてくれることが前提条件。これが壊れたら、オンキヨーは破産して修理部門が停止してるから、作業は中止となる(家電部門をシャープが買い取るという話がある。買い取ったシャープが旧オンキヨー製品の修理をしてくれるならよいのだが)。そうした事態に備えて、同じ機器の中古(整備品)を購入。またもや、歴史は繰り返す、だ。8mmビデオからMDへの移行作業のときも、予備に8mmビデオ再生機の整備品を購入。だが、ダビングも終盤になって次から次へと故障。ほとんど移し終えたが、いくつか時間切れで涙を飲んだ録音がある。アグネス・バルツァがイタリアのどっかの地方都市で「ドン・カルロ」のエボリ公女を歌った公演記録もその一つ。バルツァの同役はカラヤン指揮のCDで聴くことができるが、それとは比較にならないほど迫力のある演奏だった(やはりライブは違う)。現在、動かなくなった8mmビデオ再生機の中で永遠の眠りについている。今回は、最後まで「たすき」がつながるだろうか。MDは800枚以上ある……


♪このービィなんのビィきになるビー

2022-06-29 07:12:49 | 音楽

オムライスの「B」は何のB?

選択肢1。ドイツ三大Bの一人・バッハのB。若い頃のバッハはなかなか血気盛ん。友達としゃべっていてキレて剣を抜いて斬りかかった。相手はファゴットで応戦。これをどう評価するか。「すごい、楽器はいざというとき武器にもなる、だから高価なんだ」と見るか、「高価な楽器を喧嘩の道具に使うなんてなんという罰当たり」ととらえるか。本番前のオケ合わせのとき合唱団員には「楽器は高価だから近づかないように」とおふれがまわるのだが、その意味合いでは罰当たりの方だろう。よく、高価な楽器を「命より大事」という人がいるが、そう言う人は他人が斬りかかってきたら楽器を守って自分が斬られるだろう。因みに、私は、「楽器は高価だから」を聞くたびに、我が身を省みて、そうとも限らないよ、と思う。

選択肢2。ドイツ三大Bの一人・ベートーヴェン。キレた話つながり。「英雄」(交響曲第3番)の初演のリハーサルで、ヴァイオリンがファとソ(階名(以下同じ))を刻んでるところにホルンがドーミドーソと入ったとき、ホルン奏者が間違った思って注意をした指揮者がベートーヴェンに殴られた。属七和音に主和音をねじこむのはベートーヴェンが意図してやったことであった。

選択肢3。ドイツ三大Bの一人・ブラームス。若い頃のブラームスはイケメンだったという。だが、ブラームスを紹介する写真の多くはひげもじゃの晩年のもの。なんで、若い頃の写真を使わないのだろう。音楽家は年寄りの方が偉いと相場が決まっているのだろうか。

正解。ベルリン・フィルのB。カラヤン指揮のベルリン・フィルの最後の来日公演を聴いて、アンチ・カラヤンだった私が手のひらを返した話は何度も書いたが、終演後の団員の談話で知らなかった話があったので、それを書きたいと思う。まず、「前日にひどい演奏をしてしまった」そうだ。それは「展覧会の絵」のことだろう。出だしでトランペットがはずしたことはファンの間で語り草である。だが、会場で聴いていた私の後輩は「素晴らしかった」と言っていたから、他は良かったのかと思っていた。そうではなかったらしい。実は、その日(前日)のチケットも私はゲットしていた。だが、最終日のチケットが手に入ったので、前日分は後輩に譲ったのだった。そして最終日。曲目はモーツァルトの39番とブラームスの1番だったのだが、「ブラームスの第2楽章のオーボエ・ソロがありえないほど素晴らしくて、それで指揮者と団員に火がついた」のだそうだ。知らなかった。私は、前半のモーツァルトのヴァイオリンの「輝く高音」とカール・ライスターのクラリネット・ソロでノックアウトをくらってたから、もちろんオーボエもすごいと思ったがそれが「スイッチ」になったは気づかなかった。因みに、この情報をネットに投稿した人が「オーボエがシェレンベルガーだったかどうかは定かでない」と書いていたが、これは私が断言しよう。シェレンベルガーである。前かがみ気味で吹いている姿が目に浮かぶ(ライスターは反っくり返って吹いていた)。実は、MDコレクションをパソコンに移す作業を始めていて(その話はまた別の機会に)、その中に、当日のFMの生中継の録音があった(私は会場にいたが、留守録の用意をしておいた)。それを聴いて、あらためて当時の感動が蘇ってきた。このときの演奏はCD化されていて、それも持っているが、不思議なもので、生中継のエアチェックの方がずっと感動的である。で、もちろん、ライスターもシェレンベルガーもすごいのだが、ブラームスの第4楽章のフルートのソロがなんとも言えない美音。このフルートが誰だったかが思い出せない。エマニュエル・パユ(今朝BSで放送していた)はまだ入団してない。時期的には、カール・ハインツ・ツェラーかアンドレアス・ブラウのどちらかだと思うのだが。

ホントの正解。オムライスの「B」はケチャップである(てんやわんやの漫才にこういうネタがあった)。


階層

2022-06-28 05:08:06 | グルメ

夏至を過ぎたから、このあと、日の出の時間はどんどん遅くなるし、太陽が昇る場所はどんどん右(南)になる。夏至を過ぎた……そう、まだ6月。で、梅雨明け。逆に、私が大学を出て会社に入った年は、8月になってまだ梅雨が明けてなかった。

この世は階層社会。遠い昔、別の銀河系(スターウォーズの世界)でもそう。帝国がまだ共和国だった頃、ジェダイは階層の頂点にいた。さらに、騎士団の頂点にはヨーダがいて、階層内の上命下達は徹底していた。今見てるのは「クローン・ウォーズ」。エピソードⅡとⅢの間の時代を描いたスピンオフのアニメ・シリーズ。ややこしいのは、この頃、後の帝国兵士(例の白い甲冑を着ている)は共和国兵士(クローン兵士)でジェダイの味方。オーガナ議員が登場すると「おっ、レイア姫の育ての親!」と思うが、この頃、レイアはまだ影も形もない。なによりも、ダースベイダーはまだアナキン・スカイウォーカーで、ジェダイの一員。こないだ敵にやられそうになったのが助かって、ああよかった、と思ったが、考えてみれば、ここでやられていれば、後にダースベイダーとなって悪の限りを尽くすこともなかった。「悪」と書いた。一応、ジェダイ側が「善」、分離派勢力が「悪」だが、各陣営とも一枚岩ではない。独立を貫く星もあれば、独立を考え直す星(フィンランドやスェーデンのよう)もある。星を国に置き換えると、まるで現代の世界の生き写しである(因みに、この作品が作られたのは10年以上前)。今回のロシア侵攻に際して、どっかの評論家が「スターウォーズのような単純な善と悪の構図ではない」と言っていたが、スターウォーズの世界だって、なかなかに複雑である。

そう言えば、広島風お好み焼きは階層から成っている。下から、生地、キャベツ、肉、焼きそば、そして卵ってあたりが標準だろうか。これを、最近わが家で戦力外通告を受けた両面焼きフライパンで焼いてみた。二つに分解して、一方で生地、キャベツ、肉を、他方で焼きそばと卵を焼いて、

後に一方にまとめ、他方をフタにして蒸し焼き。完成。

一応満足。戦力外通告は撤回された。

同じお好み焼きでも、大阪焼きは具をまぜこぜにするから階層ではない。そこはやはり大阪である。権力に屈しない姿勢はお好み焼きにも現れてる!?


免疫

2022-06-27 09:44:15 | 日記

外で可愛い猫を見て写真を撮るとき、ちょっと浮気をした気分。まあ、絶対ばれないが。ばれて困る二匹は家から絶対出ない(出さない。ところが、家の隙間から外と行き来をしている夢をしょっちゅう見る。この話はまた別の機会に)。その二匹もこれだけ暑けりゃ大変だろう、と水容器に氷を入れてやったらケメ子が「なんじゃこりゃ」って顔をしている。

揚げ句の当てに、手ですくおうとしている。汚い手を飲み水の容器に入れちゃだめだよ、飲み水にばい菌が入っちゃうよ、手を洗う水と飲み水は中身が同じでも容器は別なんだよ、慣れないレストランで手を洗う水を飲もうとすると「あら、なんて不躾ざんしょ」と軽蔑されるんだよ、と言ってもやはり入れようとする(ここはレストランではない、と言いたげである)。そうこうするうちに氷が溶けて事なきを得た。だが、以前から、水容器の中にはいろんなものが浮いていた。うちの猫は、戦利品を水容器に入れる習慣があるのだ。それでお腹を壊したことはないから免疫ができているのかもしれない。スナネコは普段砂漠に住んでいて、そこはもともとばい菌が少ないので免疫が発達しておらず、日本とかで育てるのは大変らしい。そう言えば、われわれは生肉を食べるとお腹を壊すが(以前は、牛のカルパッチョとかがサイゼリヤのメニューにあって私の好物だったがあるときからメニューから消えた)、猫は、もともとネズミや鳥を狩って生で食べている。だが、お腹を壊さない。免疫の違いなのだろうか。

先日、同年配の方々と親について話す機会があった。みなさん、一人住まいをしている親御さんが火を使うことをとっても心配されている。なんとか火を使わせないように仕向けているという。私の亡き母の場合はそういう心配は皆無だった。母が入っていた施設は、食堂が併設されていたが、入居者が料理をしたければできるようにと自分の部屋にIHコンロがしつらえられていた。だが、母の部屋のコンロが使われた形跡は皆無。料理嫌いの母は、入居後、料理をしたことはただの一度もなかった。おかげで、高齢の親を持つ子供たちが持つ心配を私は持たずにすんだ。その点は、息子孝行な親であった。

それに対し、私んちのコンロは毎日三度三度大活躍。母のコンロの周りはほこりがたまっていたが、私のコンロの周りは油がとんでいる。ふと思った。異常な高温と燃料高のこのご時世、こういう料理はどうなのだろう。ガス代が高くつくし、室温も上がる。それを冷やそうとエアコンをつけると電気代が上がる。悪いことだらけである。例えば、刺身と生野菜なら光熱費はかからない。和食系だなぁ……私はワインを飲むんで洋食系が多かった。洋食ってやつはとにかく火を使う。もともと寒い国の料理だからか?だが、エスキモーはトナカイの生肉を食すという。これも免疫の違いなのだろうか(さっきの話とつながって今私は至福の中にいる)。

家の照明もマメに消せというから、食事んとき灯りを消してみた。

写真だと、黄泉の国にいるようだが、実際は食事ができるくらいの光量がある。こないだ作ったイワシの梅ポン酢ソースに茗荷と大葉を和えたら一層美味であった。因みに、この暗い画像を見ていて、一枚の絵が脳裏に浮かんだ。薄暗い中で男女が顔をつきあわせている、女は娼婦で商売上の相談をしている……って感じの絵だったが、誰の作品か思い出せない。レンブラントのような気がしたのだが……


何のSでしょう?

2022-06-26 09:29:14 | 音楽

テレビでオムライスの特集があると必ず見る。なかなか上手く作れないので、常にヒントを探している。ところで、オムライスにケチャップで書いた「S」は何の「S」か?想定される選択肢その1。「シュッツ」(Schütz)の「S」。シュッツの会をやっているが、この会を作ったそもそものきっかけは「もろもろの天は(Die Himmel)は神の栄光を語り継ぐ」を昔風のドイツ語(舞台ドイツ語)の発音で歌いたかったからである。「もろもろ」は「天」(Die Himmel)が複数であることを表すために訳において付加された形容詞である(「天達」では気象予報士のあまたつさんになってしまう)。その複数の天は横に並んでいるのかそれとも縦かの議論は当ブログの永遠のテーマであり、何度も取り上げている(故野際陽子さんが「徹子の部屋」に出るたびに、寮生活をしていたとき頃強盗に入られた話をさせられるのと同様である)。

その2。「スーパーマン」の「S」。告白しよう。綺羅星のごとく連なるジョン・ウィリアムズの映画音楽の中で、私が一番好きなのは「スーパーマン」のテーマである。似てると言われる「スターウォーズ」のテーマが変ロ長調なのに対し、こちらはハ長調であることも脳天気なその性格を表している。

その3。ヨハン・シュトラウスの「S」。ヨハン・シュトラウスと言えば「こうもり」。「こうもり」と言えば、昔FMで放送していた「オペラアワー」。始まりはいつもこんな感じ。「ポーン」(時報)♪チャン、チャン、チャン、 チャ、チャカチャカチャチャチャチャチャン、チャン、チャン(中略)チャン、チャン、チャーーーーン(続いて後藤美代子アナウンサーのナレーション)「オペラアワー。日曜日の午後のひととき、オペラの全曲録音でお楽しみいただくオペラアワー」。このルーティーンを毎週聴いていた。そう言えば、民放の番組で(タモリさんの「今夜は最高」だったっけ)、前出の野際陽子さんが後藤美代子アナに扮してNHKのクラシック番組をパロったことがあった。後藤アナは、昔のNHKのアナウンサーらしく自分の意見を仰らなかったが、一度だけ「コシ・ファン・トゥッテ」(女はみんなこうしたもの)の放送のとき、「私は『男はみんなこうしたもの』と申し上げたい」と仰った。もし、「男はみんなこうしたもの」なら「コシ・ファン・トゥッティ」である。「こうもり」に戻る。第2幕、ミュンヘンオペラでは、挿入曲の「雷鳴と電光」が演奏される間、舞台上で、ダンサーと歌手がいりみだれて踊り狂い、そのうち一列に連なって、最後、ドミノ倒しのように倒れるという演出が行われていた。この一列は、真っ正面から撮った映像では分からないが、実は「S」の字であり、それはもちろんシュトラウスの「S」である。高い平土間の席のチケットを買ったセレブにこの「S」は見えない。見ることができるのは「天井桟敷の人々」である。

とまあ、三つほど選択肢を書いたが、どれを意図していたかは私本人も分からない。当初、「W」にしようと思ったが、母校愛が強い人だと思われるのもなんなので、思わず「S」にしただけ。かようにワタクシは思慮浅薄な人間である(あらためて見てみると、視覚的にはスーパーマンの「S」に近い感じがする)。


起死回生案

2022-06-25 06:51:40 | 日記

餃子作りも26センチのフライパンがベストとなると、両面焼きフライパンの出る幕がない。絶体絶命。だが、起死回生案を思いついた。26センチのフライパンを使うと、別にフタとお皿を用意しなければならない。大物の洗い物が三つである。これに対し、両面焼きフライパンなら、フタは別にいらないし、ひっくり返せばフタがお皿になる。分解して二つになるとしても洗い物は二つである。さっそく実践。焼き上がって上下を返してフタ(返す前の底面)を開ける。え?底面(返す前のフタ)に何もない。なんと、すべての餃子がフタ(底面)にくっついている。まるで、天井に張り付いた忍者はたまたジェダイである(Jediの名称は、Jidaigekiから来た、という説がある。ジョージ・ルーカスは、スピルバーグ同様、黒澤明を大変尊敬している)。振ってみる。落ちてこない。振って振って振って振っても落ちてこない。ぶん回してようやく落ちた。写真は、そうした格闘後の姿である。派手に喧嘩をした揚げ句、とりすまして記念写真におさまる夫婦のごとし(よく見ると、並びがぎこちない。ますます仲の悪い夫婦だ)。いや、くっついたことが問題である。フッ素樹脂加工が剥がれたか。すなわち、既に寿命ということか。フッ素樹脂加工ってやつは、有名メーカーの高いヤツでもいずれはがれる。だったら、最初からやっすいヤツにして、頻繁に買い換える方が良いのかもしれない。しかし、この両面焼き君についてはまだ可能性がある。これまで焼きに使ってきたのは主に底面。両面焼きと言ってもフタではほとんど焼いてない。こちらはまだフッ素樹脂加工が生きているかもしれない。次回は、最初から上下逆にして焼いてみよう。

MDの危機についても書いた。今あるMDプレーヤーが壊れたら、某大なMDコレクションがゴミになるという話である。これに対しては、ハードディスクに移しておけば?というコメントをいただいた。それがいい。どうやって移そうか。一番手軽な手はICレコーダーにつないでそちらに移す(そのあと、パソコンに取り込む)という手。うん、これにしよう。接続コードは山ほどある……ん?あるはずなんだが……ないっ。そうだ、こないだコード類を断捨離したんだった。まったくもう、いらないと思って捨てたヤツこそ、後で要り用になる。因みに、ある俳優夫婦が断捨離した際、冷蔵庫とかも捨ててしまって、ガランとした部屋に人間だけ。たちまち生活に困って、再び家具・家電を買い揃えたそうな。しかし、コレクションを残すことにどれほどの意義があるのだろう。例えば、今私がぽっくり逝ったら、わが家を占拠しているコレクションという名のガラクタは遺品整理業者が十把一絡げにしてたちどころに処分するだろう。母のときそう思った。遺品の中に某大な写真アルバムが出てきたのだが、私にも妹にも用はないので他のモノと一緒に処分することにしたが、整理業者に「これ、捨てちゃっていいんですか?」と聞かれたら何と言おう?と思案した。だが、全くお構いなしだった(父の遺産を整理したとき、キジの剥製については聞かれたけれど)。因みに、私のMDコレクションの大元は、FMをエアチェックした8mmビデオである。8mmビデオを6トラックに分割してPCM録音するという技術をS社が開発した。小さな一個のビデオカセットで4×6時間録音でき、しかも高音質ということで飛びついた。だが、S社は8mmビデオの生産を終了。コレクションを守ろうとその全て(カセット数で1300個以上)をMDにダビングしたらS社はMDの生産も終了。そして今に至る、である。どうせ、遺品整理業者に処分されるんだったら自分の手で処分するか、と思うこともあるが、1980年代のバイロイト音楽祭の録音などはやはり残しておきたい。因みに、S社とくれば、株で大損して、売ってから爆上がりして持ってたら今頃お殿様で、乗り換えた某社株でまた大損して、10年以上経って値上がりしてようやく振り出しに戻って、その某社の元会長さんが最近医学部進学を決めた某女優さんの遠縁にあたる話に続くのだが、飲み会ですることにしよう。


電話機の買換え

2022-06-24 07:13:04 | 日記

固定電話の電話機を買い換えた。これまでのヤツはFAX兼用で多機能。だが、友達との連絡はネットでしてるし役所や業者にかけるときはスマホを使う(何時間話してもタダ)。以前は、仕事関係や母関係でかかってくることがあったが(母関係=ボケがひどくなる前は母からの妄想電話、ひどくなってからは施設・かかりつけ医・訪問看護師からの連絡。いずれも恐怖であった)、廃業したし母が亡くなってこれらはなし。無理矢理送りつけてくるFAXは100%広告である。既に電話機の役割は終えていた。にもかかわらず、電源コンセントに常時つながってランプが灯っている。電気代高騰のご時世、待機電力は省きたい。新しいヤツは、電源不要。FAXはなし。呼び出し音も切ったから存在感はゼロ。灯るランプもないから、夜中の音楽室(かつての仕事部屋)は漆黒の闇が覆う。だったら電話機自体いらないようにも思うが、一つだけ、ネットバンキングの際の本人確認で家電(いえでん)にかかってくることがある。それのためのみである。新入りのお代は約1500円。安いとはいえ、待機電力を抑えるために出費をする、というのも矛盾めいた話ではある。機能はほぼ通話だけだが、短縮ダイヤルボタンが三つついている。O!懐かしい。大昔、週に一度オペラやコンサートに行ってた頃、チケットの発売日にチケットセンターに電話が集中してなかなかつながらなかった。対策として、短縮ボタン付きの電話機を買って、短縮ボタンを押しまくったっけ。

ほかに、キンドル端末も買い換えた。日本で端末が発売されてすぐに買ったからもう10年。よくもったが、流石に電池がもたなくなった。現行機種のうち、検討対象は一番安いヤツ(以下「安いヤツ」)と、その一つ上の機種(以下「高いヤツ」)。高いヤツは、コスパにすぐれていると言う。解像度が高く、容量が大きく、防水機能がついている。「安物買いの銭失い」は止めようと心に誓ったワタクシなので、無理をして高いヤツにしようかと思ったが、よく考えてみた。解像度が高くてありがたいのは漫画をよむとき。小説なら安いヤツで十分。私が読むのは小説のみである。容量については、安いヤツでも数千冊分が収まるという。十分である。防水機能が役にたつのはお風呂でよむとき。私はバスタブに15センチだけはったお湯につかってるんだから読書どころではない。ということで、安いヤツを選択。正解であった。

将来の買換えが心配なのがオーディオ機器。早起きになったと言っても毎朝5時に起きられるとは限らないので、「古楽の楽しみ」は録音しているのだが、その機器のメーカーであるオンキヨーが破産の申立てをした。えーっ?じゃ、今の機器が壊れたら誰が修理をしてくれるの?後継機種はどこで手に入れればいいの?既にCD部分が故障。まあCDの再生は他にいくらでも手があるが、心配なのはMD部分。MDプレーヤーを作ってる会社は既に見当たらない。ここが壊れたら、ウチに山ほどあるMDがゴミとなる。

因みに、今週の「古楽の楽しみ」は17世紀のフランスのクラブサン(チェンバロ)音楽。デュフリーが気に入った。重奏曲のヴァイオリン・パートは練習したら弾けるかもしれない。


奢れるものは久しからず(ソースの話)

2022-06-23 08:54:54 | グルメ

6日前、お好み焼きを両面焼きフライパンで焼いたことを誇らしく書いた。だが、このフライパンは正方形。そのため、生地が円形で収まらずに広がってしまって形がいまいち。そこで作戦変更。20センチのフライパン(小パン)を使う。小さいから生地が縁まで達していやがおうにも丸くなる。だが、これをひっくり返してもとの位置に着地させるのは至難の業(的が小さすぎる)。ここでコペルニクス的発想転換(そんなにごたいそうな話ではないが)。上に26センチのフライパン(中パン)をかぶせて二つのフライパンを上下逆にする。すると、生地が小パンから中パンに移る。これで生地をひっくり返したことになる。両面焼きフライパンだって、二つのフライパンを合わせたものだから原理は同じである。うまくいった!ほくほく!だが、両面焼きフライパンはしくしく。唯一残された活躍機会(=お好み焼き作り)まで奪われて、落ち込んでいるかもしれない。因みに、私が所有するフライパンは7個。内訳は、鉄製2個(26cmと中華鍋)、フッ素樹脂加工5個(20cm,26cm,28cm,中華鍋,両面焼き)。そのほかに、卵焼き用が二つある。全員が同時に活躍できるわけではない。主(あるじ=私)の寵愛が他に向いている間はひたすら耐え忍ぶ毎日である(Geduld!)。

昨夜の具はチーズ(とベーコン)。こうなると、ピザと限りなく近くなる。生地は小麦粉を水で溶いたものだし。だが、お好み焼きとピザは、どんなに接近したかに見えても、結局は別種である。ピザは発酵を伴うがお好み焼きはそれはない。その点である。ピザ風お好み焼きも案外美味であった。

こんな具合に、せっせと焼きそば(昼)とお好み焼き(夜)を作ってたら、ミッションであった「ソースの消費」を達成。奢れるものは久しからず、盛者必衰の理をあらわす……別にソースは奢ってないが。次は、また珍しいものにするか、又はオリバーソースの「どろソース」にするか。


梅と鰯とインフレ

2022-06-22 08:56:28 | グルメ

あさイチで「イワシのソテー梅ポン酢ソース」を作ってるのを見てて、あれ?塩コショウしてない、まさかや、見逃したか?と思って巻き戻して(ビデオテープ時代の表現)見てみたがやはりしてない。だが、自分で作って食べてみたらいらなかった。梅ポン酢ソースで十分であった。

梅と言えば紀州和歌山。私には半分和歌山の血が流れている(母が和歌山出)。だが、一度も行ったことがない。母が最晩年にボケて変ちくりんなことを言い出したとき、気をそらせようと故郷の話をさせたら初めて聞く話が多くてなかなかに興味深く、次に行ってみたい所の候補になっている(房総と違ってそう簡単に行ける距離ではないが)。和歌山色がまったくなかった実家であるが、唯一、梅を煮詰めて作ったエキスがあって、超すっぱいのだが効き目はてきめん。後年、私が所帯を持った後、某地方に旅行に行って、馬刺しに当たり、高熱が出て飲み食いできず、体重が一気に10キロ減ったときがあった。1週間経っても治らないので、最後の手段として実家から梅エキスを取り寄せて飲んだらケロっと治った(ちょうど治る時期だったのかもしれないが)。因みに、父の出身の山梨色を表していたのは床の間を飾っていたキジの剥製である。父が死んで母が引っ越すときゴミとして処分された。もったいない、と思ったが、私が引き取ったら猫の攻撃目標になるのが目に見えていたから諦めた。引越業者さんが、こっそり持ち帰ってくれてたらよいのだが。

昨夜の献立のもう一人の主人公はイワシ(つうか、こっちが主役)。これだけの量で199円。イワシの値は上がってないようである(総務省の統計もそう言っている)。だが、多くの食材はとんでもなく値上がっている。政府は、現在のインフレ率を2%と言ってるが、肌実感ではそんなものではない。もしかして、政府の統計は、特売を考慮していないのだろうか。例えば、近所のスーパーの豚肉の切り落としは、以前は通常100g99円で、週に一度だけ88円で売っていたのが、セールがなくなってずっと99円のまま。私的には、88円で買いだめをしてたのが99円で買わざるをえなくなったから10%以上の値上がりなのだが、通常の値段を比較すれば同じである。

いずれにせよ、このあたりは他の地と比べれば総じて安い。それと異なるのが世田谷の某高級住宅地。こないだ行ったときスーパーを探索したのだが、駅前の某スーパーで売ってる牛肉の値段はウチの近所の値段と1桁違う。ところが駅からちょっと離れると、ウチらあたりの価格帯に近くなっていた。そうか。この地域は、ブルジョアばかりが住んでいるのではないのだな。ブルジョワとプロレタリアートの階級闘争の地なのだな。新たな発見であった。因みに、プロレタリアート文学は戦前迫害された。貧乏でかつ迫害される=踏んだり蹴ったりである。

とにかくモノが高いから庶民は生活防衛にコレ努めなければならない。だが、お風呂に15センチしかお湯をはらずにはいつくばって浸かったりしても、それをあざ笑うかのようにどっとかかってくるのが健康保険料+介護保険料。今日、賃金がちょびっと上がってもそれを打ち消すかのように保険料が上がるから、可処分所得は減る一方なのである。いったい、このことを国会で論じているのだろうか。だが、昨年亡くなった母は、最後は、健康保険と介護保険の多大な恩恵を受けた。医療にお金がかかるのも事実である。


カーサ・クラシカで褒められたこと

2022-06-21 09:02:43 | 音楽

昨夜はカーサ・クラシカのセッション(ピアノはおなじみ!金澤亜希子さん)。普段は3巡だが昨夜は4回出番が回ってきた。
1巡目=クラリネットで、「G線上のアリア」と「ゴリウォーグのケーク・ウォーク」
2巡目=カウンターテナーで「涙の流れるままに」(ヘンデルのセルセより)
3巡目=カウンターテナーで「ジークリンデのモノローグ」(ヴァーグナーのヴァルキューレより)
4巡目=Rシュトラウスの「献呈」とシューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」
とまあ、いつも以上にもりだくさん!毎回、楽譜を出番の数以上に用意して、当日のコンディションだとか場の雰囲気でその場で演奏曲目を決めるのだが、今回はほぼ出し尽くし。残すはシュッツの新曲(ほとんど勉強してないので後回しになった)とモーツァルトのクラリネット五重奏曲の第2楽章のみであった。バロック後期からロマン派までをカヴァー。シュッツをやっていてれば、バロック初期までカヴァーしていたところである。今回歌った歌はソプラノ用ばかりなので、移調譜を作った。弾きにくかったと思うが金澤さんは素晴らしく弾いてくださった。ありがとうございます。その中で、ジークリンデだけは原調。高い音はオクターブ下げる作戦に出る。この曲は、ノートゥングのテーマが鳴り響くところ(=歌が高くなるところ)で金澤さんにピアノを鳴らしてもらうことを目的とした選曲だったから(金澤さんのフォルティッシモはデススターのイオン砲ほどの威力がある)、そこで歌をオクターブ下げても差し支えないと判断したのである(的確な判断であった!)。

この日、開店前に着いたので、隣の店で前祝い(?)。

それでもちゃんと(?)、カーサ・クラシカでいつも通りワインのフルボトル+デカンタを頼みました。この日うれしかったこと=店長さんから「お強いですねー」と言われたこと。あと、「飲んでも顔に出ませんね」「でも、声は変わりますね」とも言われた。最後に言われたことは、飲んで声が変わるということではなく、しゃべり声は男声なのに歌ったら女声ですね、ということである。

カーサ・クラシカは料理も美味しい。昨夜はピザをいただきました。

一かけかじったところで、写真を撮ることを思い出す。かじったのは二時半の方角である。

私にとっての大きなイベントをやり終えたので、房総海岸にでも行きたいところだが、今日は近所のスーパーで卵1パック99円のセールがあるので出かけるわけにはいかない。


腸活/ドーリア旋法

2022-06-20 09:26:06 | 音楽

お陰様で、私の胃腸は極めて規則正しく動いている。そんな私の腸が活動を止める(BEMPIになる)ときがある。一つは風邪薬の銀のベンザ(のど風邪によく効く)を飲んだとき。もう一つは、気を入れていたイベントが終わって、ふ~と一息ついたとき。これは極めて面白い現象である。気が抜けると、体中が活動を止めるらしい。よく、仕事命の人は休みになると風邪をひくという。大昔にのど自慢を担当していた某アナウンサーは、休みになるときまって風邪をひかれていたという(実は、大学生のとき、アンケート調査のアルバイトで、この方のお住まいに行ったことがある。まさかそうだと思わなかったが、アンケートに応えてくださった奥様から聞いて知った。学生アルバイト相手でも丁寧に応対してくださる優しい奥様だった)。私の場合は、風邪をひく代わりに腸が止まるのである。昨日がそうだった。一昨日のシュッツの会が盛況のうちに終わって一息ついたのだ。因みに、昨日は数人とネットでやりとりしたが、声帯は一言も発してない。たくさん歌って反省会でたくさんしゃべった後のよい喉の休養である。

そのシュッツの会で、「Die mit Tränen säen」が何腸……ではなくて、何調か?って話になった。もともとこの時代は調性が確立していないが、しいて言うなら、ということである。分かりにくいのは、その楽譜がドーリア調で書かれているから。ドーリア調とは古い教会旋法の一つで、第一旋法とも言われている。レを起点とする「レミファソラシ」の音階である。この「レ」は絶対音ではないから、他の音を起点とするドーリア調も可能である。例えば、ド(C)を起点とすると、「ドレ♭ミファソラ」となる。ミが♭なので今日の短調っぽいが、ラがナチュラルであるところが独特である(グリーンスリーブスの感じ)。さらに話をややこしくしているのは、シュッツの頃になると、今日に通じる調性の意識がかなり浸透してきていて、調号についてないラの♭を臨時記号で付けている点である。これが100年後のバッハになると、調性は今日と同じになってきているのに記譜はドーリア調にこだわってるもんだから、すべてのラに臨時記号で♭を付けている。だったら、最初から調号に♭を一個足しとけよ、って話である。その顕著な例がマタイ受難曲の終曲。調号の♭が二つだが、あれをト短調という人はいないだろう。みんなハ短調だと思っているだろう。いや、「ト短調という人はいないだろう」と書いたが、ときどきいる。もしト短調だとすると、出だしの階名は「ファーソラソファミレ……」となる。まさにドーリア調である。古楽を中心に歌っていて、ドーリア調が心の故郷になっている人にとっては、短調の階名は「レミファソラ」なのである。

話はつながるもので、今朝の「古楽の楽しみ」では、17世紀の鍵盤音楽を紹介していて、その中に、第1旋法のなんたらって曲があった。レミファソラと来て、ナチュラルのシを期待したら♭が付いていてずっこけた(ウソ。布団に入って聞いていたから)。時代はシュッツよりも前である。


オラは酔っ払っただー(ヘンリー・パーセル)

2022-06-19 10:18:41 | 音楽

ポーター姿で向かうのはシュッツの会。チェロとバッグ(譜面台と楽譜在中)のほか、背中にはヴァイオリンを背負っている。この3点セットに加え、雨だったので傘も。傘ごときでも、この大荷物にとっては相当な負担増である。

会では、2時間たっぷりアカペラで歌ったあと(会の持ち歌は全部制覇した)、「楽器と歌おうコーナー」でバッハのカンタータ第60番。大荷物はそのコーナー用。アカペラで歌った曲は、会の名称通りほとんどシュッツだが、モンテヴェルディのマドリガルとカルドーゾ(ルネサンス後期のポルトガルの作曲家)のレクイエムも。後者は、お隣のスペインのヴィクトリアのレクイエムとよく似ている。因みに、この曲の楽譜には小節線がない(つうか、本来、シュッツだって小節線がなかった(今ある小節線は後世の人が加えたもの)。100年後のバッハの楽譜にはあるから、この100年の間に小節線の導入という大革命が行われたわけである)。われわれは、通常、一小節の長さを意識して、その中でやりくりするのだが(世帯の年収が決まっていて、その中でやりくりするごとし)、小節線がないと、そうしたやりくりではなく、単に、二分音符だったらこれだけ伸ばす、全音符だったらこれだけ伸ばすというやり方。収入を気にせず、使いたいだけ使うお大尽方式である。この方式が、現代でも役にたつことがある。別のところでラター(現代作曲家)のマニフィカトを歌っているのだが(今、首都圏では数個の合唱団がこの曲を歌ってるらしい。ブームである)、その変拍子を歌う場合、一小節の長さが頻繁に変わるからそれを意識するよりも「お大尽方式」の方が歌いやすい感じがする。

こんな具合にシュッツの会ではシュッツに限らず、ルネサンス、バロックものでメンバーがこれがいいといったヤツをどんどん取り上げている。コロナ前にはブクステフーデのメンブラを歌った。楽器の出番が多くて、以前やったときは楽器の部分は口三味線だったりしたが、今のメンバーには楽器をやる人が多いから口三味線は封印できそう。ヘンリー・パーセルもやったなぁ。パーセルの名は、学校の音楽の授業で、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の原曲の作曲者ということで知ったが、その原曲を聴いたのは結構最近である。チェンバロの独奏曲だった。あと、先週の「古楽の楽しみ」でも二日にわたってとりあげられていた。歌劇「アーサー王」では酔っ払いがさかんに「I'm drunk」(オラは酔っ払っただー)と歌っていた(英語では「drink」の過去分詞がそのまま形容詞になるが、ドイツ語の形容詞「酔っている」は、「trinken」の過去分詞「getrunken」ではなく「betrunken」である)。歌劇「妖精の女王」もとりあげていた。元の素材はシェークスピアの「夏の夜の夢」。この戯曲は、日本女子大の演劇部の公演で見た(学生時代)。パック役の女子大生が大熱演で喝采を浴びていたが、学校では別人のように大人しい方だったそうだ。

今朝起きて、玄関をみると、昨夜の大荷物が散乱。夏草や兵どもが夢の跡、の風情である(季節が違う)。因みに、インフレ圧力が強まるこの時期、シュッツの会ではデフレが進行中。昨日の会費は50円。これまでの最安値を更新した。


房総海岸への憧れ

2022-06-18 08:19:00 | 日記

日本は、同調圧力の国だというが、それは国内だけの話で、外国との関係性では独特である。古くは、国際連盟脱退。国際連盟の会議で日本代表が憤然と席を蹴って退出する様子が映像に残っているが、当時の日本国民は拍手喝采したという。コロナ対策もそう。今や、先進国で、国民が相変わらずマスクをしているのは日本だけ。先日、入った某図書館の閲覧室はほとんど人がいない。しかも、閲覧室だから誰もしゃべらない。それでも入り口に「マスクをしろ」と書いてある。あの光景は、日本人である私にとっても異様。外国人には理解不要だろう。最近、さすがに当局が「屋外ではマスクをはずすことを推奨する」と言い出した。さて、そうなると、自粛警察の皆様方は職を失うことになる……いや、大丈夫だ。彼らは、今後、「マスクハンター」となり、屋外でマスクをしてる人を厳しく取り締まってくださるだろう(戦前に家々を練り歩いて「贅沢は敵だ」と言っていた輩が、戦後、一転して「自由の志士」になったごとしである)。独特と言えば、日銀の政策もそう。リーマンショックの後、どの国もじゃぶじゃぶ金融を緩和しているとき、世界中で日銀だけは財布の紐が固かった。そして、今日(こんにち)。どの国もインフレ対策で利上げをしているとき、世界中で日銀だけはかたくなに低金利を守っている。現代の日本国民は拍手喝采……しているだろうか。

さて。先日あじさいを見に訪れた多古町はお米が名産である。道の駅でも売っていたが、私は、帰宅後、ネット通販で購入した。

早速、炊いてみる。香ばしい香りが漂う。イワシの蒲焼きの缶詰を肴に(文字通り魚)、お昼をいただいた。日本人になった感じがする(もとから閲覧室でもマスクをする日本人である)。その多古町は、私の住んでる処から真東の方向にあり、ここからさらに東に進むと銚子。因みに、私んとこから北東だと大洗、北西なら上総一ノ宮である。いずれも房総の海岸。このうち、「九十九里浜」と呼ばれるのは、銚子から一宮あたりまでに広がる浜である。大洗は数年前にアンコウを食べに行った。ちかぢか、銚子と一宮に行こうと思ってる。毎日のようにこのあたりの地図を見て案を練っているワタクシである。


イカスミ/違う名前で出ています

2022-06-17 08:41:16 | グルメ

昨日の記事で、「ピーヒョコちゃん」と書いたのは、正しくは「ピヨコちゃん」らしいが、これは、発音的には正しい間違い(?)である。「j」(ヤ行)は、「ch」(ヒ)の有声子音である(ゲーテ・インスティトゥートの発音クラスでそう習った)。大学のとき、大学中の合唱団が合同で第九を歌ったとき(私が第九を歌ったのはこれが最初で最後。最近の通唱会のアンコールで第4楽章をやるときはクラリネットを吹いている)、指導に来られた先生が、「ヤー」と言うときは前に「ヒ」を入れるとそれらしく聞こえると仰ったのも、フライブルクのドイツ語学校で、ドイツ人の先生が日本人生徒の「ヨシ(ダ)さん」のことを「ヒヨシ」と呼んだのも(てっきり私はその生徒がヒロシさんなのかと思った)、「j」が「ch」の有声子音であると聴けば説明がつく。

あきさみよー。1976年まで銀座のイタリアンでイカスミパスタがメニューになかったとは(朝ドラ)。私が初めて食したのは1990年頃。綾瀬駅前のサイゼリヤで(今とは違う場所にあった)。それ依頼、大好物である。今日の放送でオーナーも言っていたが、体にもいいらしい。だが、スーパーで売ってるイカの大半はスルメイカだが、ここからイカスミを摂ろうと思ってもダメ。墨袋が小さくて料理の足しにはならない(経験済み)。スミイカの墨袋は大きいらしいがあまり目にしない。だから、イカスミを入手しようと思ったら、レトルトか缶詰に頼るしかないのが(私の)現状である。因みに、ヒロイン同様に沖縄ネイティブの仲間由紀恵さんの「あきさみよー」は「あ」にアクセントがあった。

料理番組でガレット(フレンチ)を作るのを見て、お好み焼きを作りたくなった。これは、言葉的には正しい連想である。「ガレット」は「丸い料理」を意味するからである。ベーコンを具にして久しぶりに焼いてみる。

お好み焼きは、現在の私のミッションである「ソースの消費」に多いに貢献する。そして、お好み焼き作りとくれば、両面焼きフライパン。お好み焼きは焼いてる途中で上下ひっくり返す作業が不可欠だが、広い鉄板で焼くんだったら両側からコテを入れて返すのは楽。だが、普通のフライパンで返すのは結構難しい。ひっくり返した後の落下位置がずれて悲惨なことになりかねない。だが、両面焼きフライパンなら簡単である。まず、両面焼きフライパンをコンロにかけ、生地を広げて具を乗せる。

フタをして焼く。

しばらくしたら、フライパンごとひっくり返す。

これで、中の生地をひっくり返したことになるので超簡単。失敗しようがない(本来、両面とも同じ色なのだが、火を当てる頻度の違いで色が違ってしまっていて、おかげでひっくり返したことがよく分かる)。ただし、「危険と隣り合わせ」のスリルもない。スリルを味わいたいときは、私でも普通のフライパンを使う。

ところで、この両面焼きフライパンは通販番組で買ったのだが、そのときの名称は「ハッピーコールフライパン」だった。ところが、最近、同じ番組に、もっと黒っぽい色になったヤツが「ハッピークッカー」として紹介されていた。色と名前が違うが、中身は明らかに同じものである。だが、MCさんは、「こんなすごいもの見たことない!」と言っている。いや、10年前に私が買ったときも、たしかこの方が紹介していた。色と名前が違えば別物ということか。そこだ!私も、名前を変えて、別人となって人生をやり直したいと思っている。


ピーヒョコちゃん~浅草と古楽~ジビエ

2022-06-16 10:46:52 | 音楽

あさイチに登場した鶴太郎さん(朝ドラの三郎役)がMCの華丸さんから「貞九郎」と呼ばれていた。そうそう、「男女七人」で「貞ちゃん」と呼ばれてたっけ。その鶴太郎さんは朝ドラで三線を演奏しているが、楽器に縁の無かった鶴太郎さんはこの1年、365日休むことなく三線を練習して、今では「相棒」になったそうな。毎日練習!耳の痛い話である。そんなストイックな鶴太郎さんも、昔取った杵柄は健在。ふられるままかつてのギャグを惜しみなく繰り出した。因みに、最後にやった「ピーヒョコちゃん」は、もともと「てんやわんや」のギャグである(てんやわんやを覚えている人がどのくらいいるだろう)。

そのあさイチ、今日の特集は浅草。そうそう、こないだ何十年ぶりかで歩いたら、たしかに着物姿の若者がぞろぞろいた。そう言えば、知人の某古楽マニアは浅草出身だが、この町の雰囲気が鬱陶しいといって、今では東京西部に住んでいる。古楽と浅草。古いモノ同士だと反りが合わないのだろうか。何でもござれの闇鍋のような私なら多分大丈夫である。

今日のあさイチでは、他に、最近の動物園事情として、ライオンへの餌やりに「と体給餌」が取り入れられているという話をしていた。骨付き皮付きの状態(つまり、野生に近い形)のエサをやるんだという(サ○○○ヤの辛みチキンは骨付き。ということは、あれは「と体給餌」だろうか(なわけはない))。その供給源は、増えすぎてしまった鹿や猪。これらは畑の作物などを根こそぎ食べてしまうので駆除の対象になっている(もし、ニホンオオカミが絶滅してなければ鹿や猪はここまで増えなかったという。ニホンオオカミを絶滅させたのは人間である)。そうやって駆除されたものが動物園にくるのだそうだ。だが、そのように有効活用される数は限られている。ほとんどは、利用されずに処分されるという。もっとジビエ料理とかに利用できないものか。私は、ジビエも好きである。ドイツやオーストリアのレストランで「Wild」(野生=ジビエ)の文字を見ると心が躍る。そう言えば、20年前、最寄りの駅前にフレンチのお店があって、たまに「今日、北海道でとれたばかりなんですよ」と言って鹿を出してくれた。ブルゴーニュ(ワイン)と併せていただいたものである。いいお店だったが、ある日行ったら「今日で閉店」。当時の足立区にはおしゃれすぎたのかもしれない。時代が悪かった。今なら事情が違ったろう。