拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

でこっぱち(見事に音楽の話です)

2020-12-31 10:08:14 | 音楽
「たこっぱち」ってK田さんが言うからなにかと思ったらショスタコーヴィチの交響曲第8番のことだそうだ。「たこはち」が訛って「たこっぱち」になったんだな。「っ」が入ることによって五文字になる。五文字の名前は人に快感を与えるという。だから、相撲取りのしこ名は五文字が多いそうだ。高見山大五郎など、しこ名も名前も五文字である。だが、「たこっぱち」という名称は奇跡の連続によって世に現れた。地球が生物の住む惑星になったのと同様の奇跡のなせるわざである。もし、ショスタコーヴィチを「タコ」と略さず「ショコ」と略していたら(しょこたんか!)この名称はなかった。さらに、タコの交響曲すべてが「っ」を持てるわけではない。順に試して見よう。「たこいち」「たこに」「たこさん」「たこよん」「たこご」「たころく」「たこしち」「たこはち」「たこきゅー」。ね?「っ」を入れて(ついでに「は」を「ぱ」にして)語呂がいいのは「たこはち」だけである。それから、第8番だったらみんな「っ」を入れてよいわけでもない。「べとっぱち」「ぶるっぱち」「まらっぱち」……どれもいまいちである。「たこっぱち」が奇跡の産物と言った所以である。因みに、私が最初に聞いた「タコ」の交響曲は「たこじゅうご」であった。中学んときだったから、多分日本初演をテレビで見たのである。タコムスコが振っていた。「たこはち」で連想したものの一つが「マルハチ」。前記の高見山が「まるはーち」と叫ぶ丸八真綿のCMである。それから「たこっぱち」から最初に連想したのは「でこっぱち」。そう、この時期である。子供の頃、冬休みの二週間は黄金週間。テレビで再放送のアニメや怪獣映画をよく放送していた。そのなかに「もーれつア太郎」があり、その登場人物の一人がでこっぱちである。連想はどこまでも広がる。でこっぱちで思い出したのは指揮者のホルスト・シュタイン。われわれ中学生の音楽ファンは彼を「火星人」と呼んでいたが、実はとっても偉い人である。バイロイトでもよく振っていた。彼がバンベルク響を振ったマイスタージンガーの前奏曲を東京文化会館で聴いたが素晴らしかった。聞いた話では、シュタインは素晴らしいテナーの声を持っていたのだと。N響のリハでよく歌っていたそうだ。きっとあのおでこが共鳴したのだろう。因みに、私が中学生のときN響アワーで見る指揮者はシュタインのほか、サヴァリッシュとスイトナー。スイトナーも異形の人であったが(失礼)、やはり偉い人で、生で聞いたモーツァルトの三大交響曲は圧巻だった。もういちど名前の話に戻る。「タコキュー」と言えても「たこく」とは言えない。「だいく」も「だいきゅー」とは言わない。それぞれ適性というものがあるのである。

今日のネタとは関係ないが、昨日書いた夢の話のうち二つ目は相当淫靡であり、差し障りがありそうなので詳細の公開を控えているのだが、やはりその淫靡な感じを人と共有したい。全文ドイツ語の記事がアップされたらその話だと思ってちょうだい。

夢で行ったアメリカは千葉だった

2020-12-30 10:45:29 | 日記
こんな夢を見た。友人数人と車で旅行した先はアメリカ。途中、私だけ景色を見たくて下車。こんなところで降りちゃって大丈夫?と聞く友達にあとは電車で行くからと答える。景色と言っても、里山風のそれはちっともアメリカっぽくない(あとから思い返して思ったことその1。あの風景は千葉だ)。早々に電車に乗ろうと駅に行き、切符を買おうと思ってはっと気がついた。ドルを持ってない。駅舎といい、路線図といい、切符売りの窓口といい昔の国鉄の駅そのものであったのだが、一応、その夢の舞台はアメリカだったので円で切符は買えない。あせる。切符どころではない。このままで宿泊はおろか、飲み食いもできない。居合わせた人にどこで両替できるか聞くと(私は、欧米人を見ると頭の中がドイツ語になるので、英語の文章を組み立てられない。単語を並べて会話した)、ああ行ってこう行くと「両替ができる地域」があると聞いたので、そこへ急ぐ。途中、通唱会でよくご一緒になる某さんが露店を出していて、あっ、イージマさんどうしたの?と聞くから、これこれこうで両替に行くんだと、と言うと、そう、がんばってね、と言われて別れる(あとから思い返して思ったことその2。某さんに両替してもらえばよかった)。そうこうするうちに丘の上に白い壁の修道院が見えてきた。これがそのエリアか。で、近くの公民館風の建物に入って両替したいと言うと、それだったらそこにある献金箱に円札を入れて、おつりをドルでとればいい、と言われ、なーるほどー、そうやって両替ができるのか!とガッテンしたところで夢から覚めた。夢でアメリカに行ったのは初めてである。きっと、「トム・ソーヤー」や「ハックルベリーフィン」の影響だろう。だが、悲しいかな、実際に行ったことがないから、その舞台は千葉であった。千葉である理由は、この2,3年、千葉方面にしょっちゅう歌いに行っているからだろう。また、こんな夢を見た。いよいよ私に彼女ができた。その彼女は一卵性双生児の片割れであり、その姉妹がときどき融合して一人になった。SFチックで、ミステリアスで、生々しい夢であった。ついでに、淫乱な夢でもあった。

来る魔法瓶、去る魔法瓶

2020-12-29 09:48:13 | 日記


いまどき「魔法瓶」と言って通じるのだろうか。「ポット」の方が通じるかもしれない。「マホービン」という表記も見た。ググったらどういう訳だか「魔性の女」がヒットした。パソコンが馬鹿なのか、私の潜在意識がそう打たせたのかは不明。因みに「魔性の女」で思い出すのは、タンホイザーを虜にしたヴェーヌス、「嘆きの天使」でマレーネ・ディートリヒが演じた踊り子、そして、「痴人の愛」のナオミ。このうち、私もその虜になってもいいと思うのはヴェーヌス。後二者の男は破滅するが、タンホイザーは肉欲のサーヴィスを受けるのみで別になんの見返りも求められない(何年経ったら悪魔に魂を売るといった契約もない)。ここを出たいと言ったタンホイザーの気が知れないが、でも毎日ステーキばかり食ってるとお茶漬けが恋しくなるものだろうか。しかし、ヴェーヌスのお相手を務めるには体力が必要である。カンレキ+ウン歳の我が身では「若干」厳しいかもしれない(大丈夫かもしれない)。いやいや贅沢を言える身分ではなかった。どなたか、私と「お茶」に行きません?(因みに、日本人にはからきしもてない私でもドイツ人にはもてた。よく「Tee trinken」と声をかけられた。文字通りの「Tee」ならつまらないが、この「Tee」は大人の意味であり、多義である。私の「お茶」もその意味である)。おっといかん、魔法瓶であった。実は最近、何十年も使った魔法瓶がこわれてどうにも使えなくなったので新品を買った。必要量だけすぐ湧かす電気ポットも脳裏をかすめたが、たくさん湧かしておいて余ったやつは翌朝ラーメンに使う生活パターンが確立されているのでやはり魔法瓶にした。さすが、新品。実に使いやすい。だが、ちょっととまどったのが「ロック」「解除」の表示。例えば「解除」の場合、「今、解除の状態」なのか「解除したかったらここをいじりなさい」のどっちだろう。昔の私なら前者だと思うのだが、スマホやiPadやキンドルなら後者である。このあたり、われわれと欧米の文化の違いだろうか。正解は前者であった。さて、新たに来るものがあれば、去って行くものもある。お役御免となった古い魔法瓶は燃えないゴミの日に我が家を去った。



もう何十年もお世話になったものだから、できるなら我が家で余生を送ってもらいたかったがそのようなスペースはない。そうでなくても断捨離に励んでいる現在である。別れの日は心が痛んだ。こういう心情は、スマホやiPadやキンドルの文化とは異なる、八百万の神の東洋独特のものだろうか。

ハイドン、モーツァルト、ベルリオーズに忖度(交響曲番号付けグランプリ)

2020-12-28 10:35:36 | 音楽
交響曲の1番から9番までに自分の好きな作曲家をだぶらないように一人ずつ割り付ける遊びが流行ってるというから早速やってみたが、むずかしい。同じ番号に候補の作曲家が数人いたりする(有望選手を複数の球団が指名するドラフト会議みたい(逆だが))。だから、必ずしも、その作曲家の一番好きな交響曲が掲示板(競馬か)に載るとは限らない(好きなチームに行けるとは限らない)。例えば第8番。ブルックナーとマーラーがしのぎを削るが私的にはブルックナーの8番ははずせないからマーラーを他に回そうとすると、1番にはブラームスやシューマンがいるし、2番にはシベリウスがいるし、5番にはベートーヴェンやショスタコーヴィチがいる、といった具合である。そこらへんをやりくりして、必ずしも作曲家と番号がベストマッチにならなくとも我慢してなんとか組み立てようとすると、もっと困った問題が発生した。ハイドンとモーツァルトの処遇である。ハイドンやモーツァルトの交響曲の有名どころはもっと数字の大きな番号なので、9番までと言うとなかなか入らない。しかし、ハイドンは交響曲の父。モーツァルトはいわずと知れたモーツァルト(意味不明)。ベートーヴェンとともにクラシックを代表する作曲家である(と言って他の作曲家ファンに喧嘩を売っているのではない。「クラシック」は広義では西洋の芸術音楽だが、狭義ではウィーン古典派を指す。それに属するのがハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンであり、その意味で「クラシックを代表する」と言ったまでである)。だから、この二人を掲示板に乗せないわけにはいかない。この二人に対する忖度が必要である。ということで、第1番はモーツァルト。♪ドミソ|ソソラシド|ドミソ|ソー……この曲は、モーツァルトの若書き作品の中でも比較的耳にする。以前、ドトールでコーヒーをすすっていたら店内にこの曲がかかっていた。問題はハイドンだ。候補として浮かぶのは、「朝」「昼」「晩」の三部作(6~8番)。しかし、曲を全然知らずに知識だけで入れるわけにはいかない。だが、中学生のときはたしかにこれらの曲を知っていた。当時、レコーダーがなかったので、曲を覚えておくためにラジオから流れてきたメロディー(音)をそこらへんの裏紙にメモっておいた。その中にこの三部作があって、歌っていた覚えがある。だが、今ではまったくメロディーが浮かんでこない。よし、聞いてみよう(ハイドンの交響曲全集のCDがある)。聞いたら思い出すかもしれない。そしたら入れよう。おー、思い出した!いい曲じゃん!ということで6番はハイドンに決定。おかげでベートーヴェンを6番からほかに移すことになった。もちろん、ハイドンの「朝」とベートーヴェンの「田園」では、曲の出来も私の好きさ加減も段違いであるが、忖度とはまさにそういうものである。ベートーヴェンは一応ハイドンの弟子だったからこらえてもらおう。あと、ビゼーの1番(ハ長調)も若々しいいい曲だが、ビゼーはオペラ部門でえばってそうだからここでは忖度の対象からはずしてもいいだろう。困ってしまったのはベルリオーズだ。幻想交響曲には交響曲としての通し番号がない。だから忖度のしようがない。そうだ、特別賞をあげたらいい。因みに、昨日有馬記念を勝ったクロノジェネシスは、夏冬のグランプリを連覇したのに、今年はアーモンドアイたちが賞をかっさらっちゃうから無冠で終わる。それではしのびないからJRAは特別賞をあげるべきだって話で昨日からネットはもりあがっている。

最強牝馬をエスコートしたのは読書が趣味の「机」騎手(祝!クロネジェネシス!有馬優勝!)

2020-12-27 16:42:00 | 音楽
牝馬の年を締めくくったのはやはり牝馬。グランプリ・有馬記念を制したのは1番人気のクロノジェネシス。同じ牝馬のカレンブーケドールが来なくて馬券は外れたが(来たのはやはり牝馬のサラキア)、信じていたクロネジェネシスが来たから最高に嬉しい(馬券が外れても嬉しいことってあるものだ)。これで、夏冬のグランプリ連覇である(グランプリ=ファン投票で出走馬が決まるレース。夏は宝塚記念、冬は有馬記念)。去年も夏冬のグランプリを牝馬のリスグラシューが制した。あのときも感動したなー(馬券はどうだったんだっけ)。この二頭は、古馬になってから馬が変わって無双になった点が重なっていて、私はそういうストーリーが大好きなのだ(自分もあやかって、カンレキ+ウン歳から化けたいと願っているのだろう)。ちょっと馬がよくなるとすぐ外国人騎手を乗せたがるのが最近の風潮だが、クロノはずーっと北村騎手とのコンビ。今回もいい騎乗だったねぇ。スローとみるや、向こう正面でどんどん押し上げていって、3コーナーを回るところでは絶好の位置。あそこで勝ったと思ったもんね。その北村騎手は、読書が趣味だそうだ。戸崎騎手なんかは、10年間一度もやってなくてもゴルフが趣味と言うし、英会話が趣味とも言っている。私のブログと同じででまかせっぽい(それでも私は戸崎騎手のファンである。理由は、ジェンティルドンナがラストランの有馬記念を勝ったときの鞍上だったからだ)。だが、北村騎手の読書好きは本当のようである。馬へのあたりがとても柔らかいので牝馬との相性がいいというのもわかる気がする。そんな北村騎手の仇名は「机」だって。ははん、机で本ばかり読んでるからついた仇名と思ったらさにあらず。以前、騎乗停止命令を受けたとき、荒れて近くの机をひっくり返して騎乗停止期間が追加されたのでついたそうだ。へーえ。そういう一面もあるんだねー。暴れてペナルティーが加算されるなんざ、まるで「こうもり」のアイゼンシュタインである。

マリア様の息子(馬)

2020-12-27 10:34:23 | 日記
「クラシック」と聞いて人が思い浮かべるものは音楽に限らない。家具にも「クラシック家具」があるし、競馬好きにとっての「クラシック」は、ダービーを含む三冠レースである。では、音楽好きの競馬ファンにとってはどうかと言うと、これは文脈による。「趣味はクラシックです」と言った場合は音楽だし、「クラシックの季節になった」なら競馬である。今、どっちのネタも出番を控えているのだが、先に競馬ネタをやっつけてしまおう(今日の午後、有馬記念があるので、その前に吐き出しておこう)。馬がクラシック三冠レースを走るのは3歳時。デビューはたいがい2歳時で、2歳王者を決めるGⅠレースがちょうど今たけなわである。昨日のホープフル・ステークスもその一つ。そのレースでとんでもないことが起きた。4コーナーまで先頭を走っていた3番人気の有力馬が、突然、馬群から離れて(=逸走)、外ラチ(外側の柵)に突進し始めたのだ。その昔、名馬オルフェーブルも逸走したことがあるが、そのときはすぐに馬群の最後方に戻ってきて、そこから2着にまで来て、「さすが、オルフェーブル!」と逆に評判を上げたものだが、昨日の馬は、逸走したまま競走中止。その馬の名前が「ランドオブリバティ」だったから、まさに「自由の国」を求めたんだな、と変に納得されたりして。しかも、こうした場合多くは馬がラチに体当たりして馬も騎手も大けがをしたりするのだが、「自由の国」くんは、ラチの直前でちゃんと急ブレーキをかけて騎手だけを振り落とす頭の良さ。そう、逸走する馬を見ると(馬だけに)「なんとお馬鹿な」と思うのだが、馬に詳しい人の話だと、逆に頭の良い馬(かつ、気の強い馬)が逸走するのだそうだ。ラチの外側に行けば、走らなくてよい、とわかっているからだそうだ。因みに、馬に振り落とされた騎手は打撲で済んだようでなにより。それでも、ファンのネット口撃にさらされて、そっちの方が痛かろう。奥さんがグラビアアイドルであることへのやっかみも口撃に油を注ぐことになった(私は、おかげで馬券をはずしたから、本来、同情する立場ではない)。もちろん、他の馬はちゃんと走って無事入線。その中で2着になった馬(オーソクレース)は、お母さんになったマリアライトの初子である。私は大の牝馬好きで、印象に残る牝馬がたくさんいるが、マリアライトもその一頭。アーモンドアイやジェンティルドンナのように堂々とした体躯で「勝って当然」の常勝馬も魅力的だが、マリアライトは小柄でいかにも華奢。ある年の有馬記念で4着になり、がんばったねー、今後期待が持てるねー、とわくわくさせて翌年の宝塚記念で優勝!こういう「サクセスストーリー」も感動的である。その「マリアライト」の馬名は、最初に聞いたとき「マリア様の光」を連想したがそうではなく、宝石の名前だそうである。宝石って「なんとかライト」っていう名前のが多いんだってね。とにかく、マリアライトの息子を私は今後も応援する所存である。因みに、ジェンティルドンナの長女(モアナアネラ)と次女(ジェラルディーナ)を応援するのはもちろんである。編集後記。「マリア様の息子」だとJesusを連想する人が多いだろうから「(馬)」を添えたのだが、それでもなお「馬小屋で生まれたJesus」を連想する人がいるかもしれない。

夫婦の間は藪の中

2020-12-26 18:33:45 | 日記


ある朝の某独り者男性(牝猫二匹と同居。この男は人間も動物も牝系が大好きである)のキッチンのシンクの様子。なんで、一人住まいなのにこんなに洗い物が出るのだろう。多分、あと一人増えたとしても洗い物の量はさほど増えないだろう。ことさらさように一人住まいは不経済である。ハンバーグを作るときもそう。1人分の場合卵1個は多いのだが分けるのも面倒なのでそのまま投入すると案の定水分が多すぎて、豆腐ハンバーグではないのに豆腐ハンバーグのような食感になる。



だから、パートナーがほしいはずなのに、こんなキッチンの写真を公開したらますます婿のもらい手がなくなるというもの。しかし、ジャーナリストは読者に真実を伝えるのが使命である(この男はいつからジャーナリストになったんだろう)。

洗い物で思い出した。いずれの御時か……話が話なのでこれが特定できるとまずい。私の半世紀以上の人生のある時点での知人とだけ言っておこう。その知人の男が夫婦げんかのストレスを食器洗いで発散してると言っていた。食器洗いに意外な効用があったもんだ。だが、やはり食器洗いだけでは足りなかったようで、その夫婦は別れてしまった。その別れ方から、われわれ友人は男が一方的に悪かったと思っていた。ところが、妻だった女性から、実は結婚前からずっと好きな人がいて、その人のことが頭にあって夫を愛することができなかったって話を後から聞いた。するとなんだかその男のことも気の毒に思えてきた。ことさら左様に夫婦間のことは外から分からない。まさに「藪の中」である。ウソではないとしても、あまたある事実の中から何を抽出するかによって人の印象はまったく変わる。上記のハンバーグだって、実は片面は焼きすぎて真っ黒焦げである。だが、あえてそのことを言わなければまっとうなハンバーグに見えるかもしれない。とは言いながら、まゆつばの話であっても、常にそれを信じてあげる「絶対的な味方」が一人くらいいてもよいと思う。どんな極悪人であったとしてもである。上記のハンバーグも、よーく見ればふちが黒いから下面がまっくろけっけなのが分かったとしても「おいしそう!」と言ってあげる人が一人くらいいてもバチはあたらないと思う。因みに、「羅生門」は芥川龍之介の小説の題名であり、黒澤明の監督作品であるが、その内容は、同じく芥川作の「藪の中」の方が近い。

お手軽・黒い森さくらんぼケーキ

2020-12-25 09:44:24 | グルメ


近くのスーパーでケーキ用スポンジ生地を探したがない。お菓子の材料売り場での話。やっぱこのへんじゃ無理なのかと思ったら、クリスマス特集の売り場で売るほどあった(売り物だから売るほどあるのは当然)。泡立て済みの生クリームもあるし。なんだ、ずいぶんお手軽にできちゃうなぁ。唯一、手が込んだと言えるのは、ケーキの内部に仕込むチェリーの具。



近くのスーパーで売ってる小さい缶では量が足りなくて、業務スーパーで大きな缶を仕入れた。一つ一つ枝と種をとって、シロップでことこと煮た(しょちゅうかき回してないとすぐ焦げる)。ドイツではお菓子用に大きな種なしの瓶詰めを売ってるそうだ。いちおう、Schwarzwälder Kirschtorteの完成ですっ!どんな出来だろうと、これと言ったらそれである。しかし、このようにほとんど出来合いの材料では手作りとは言えない。手作りっぽいのは、バロック的にごつごつした外観だけである。美女をヴィラ・イージマに連れ込むネタにはならないので作戦変更。ケーキは昼ご飯に自分で食べてしまおう。キルシュヴァッサーをどばどばかけたから昼間っからご機嫌になるかも。

事の顛末(お誕生日)

2020-12-24 22:21:32 | 日記
「ハックルベリーフィンの冒険」の独訳でジムの言葉のたどたどしさを表すために動詞を不定詞にしている話はどこかで書きたかった。このネタをお誕生日にオーストリア料理を食べた話のついでに語れるとは思わなかったが、あたためていたネタが思わぬ拍子に日の目を見ることはよくあることだ。その、思わぬ副産物をもたらした「お誕生日にオーストリア料理」の話であるが、実は、この話は、当初の目論見からは全く当てがはずれた話であった。オーストリア・レストランでランチを食べようとは思っていた。そこで、例によって「募集」をしようと思い立った。シュニッツェルがテーブルに来たところでその写真とともに「疾く来よ、不滅の恋(変)人!」とドイツ語で呼びかける作戦である。なぜドイツ語か?というと、その方が、ハードルは高くなるが、その高くなったハードルを乗り越えて救いの姫が現れたときの喜びがいっそう大きくなると思ったから。ヴォータンが、愛娘のブリュンヒルデを岩山で眠らせた後、回りを炎で覆って、この炎を乗り越えた者こそ愛娘の婿にふさわしいと考えたのと共通する心理である。岩山をよじのぼったジークフリートが私の目の前に現れる確率は限りなくゼロであるが(このあたり、私がブリュンヒルデで来るかも知れない美女がジークフリートだから性別は逆転している)、少なくとも、いつ来るかいつ来るかというわくわくどきどき感を2,3時間は楽しむことができたはず。ところが、実際に何が起こったかというと、シュニッツェルが来た、よし、記事をアップしようと思っても、「電波の状況が良くありません」の連続で、いっこうに記事をアップできない。今だから言うが、あの記事をアップできたのは、家に帰ってからである。だから、呼びかけに応じて私に会いに来ることは実は不能であった。法律的には無効な募集であったのだ。不滅の変人を待つどきどこタイムは、つながらないスマホと格闘するいらいらタイムとなってしまった。これが事の顛末である。それにしても、スマホがつながらない。その原因はなんだろう。格安スマホがいけないのだろうか。それとも、この国のシステムに根本的な問題があるのだろうか。新しい技術の提案があってもなんだかんだと後ろ向きのことばかり言ってちっとも前に進まないこの国の将来がとっても不安である。

あたし、誕生日だったから、オーストリア・レストランに行ってきたんです(うふ)

2020-12-24 09:19:22 | 言葉
些細な拙文の拙訳であっても、翻訳の奥深さの一端は垣間見ることができる(一寸の虫にも五分の魂)。例えば、話者の設定次第で内容はいくらでも変わる。昨日の記事の設定を変えてみよう。その1。浅草の芸人。「今、おいら、オーストリア・レストランにいるんだけどよー、飯も酒も旨いし何よりおねーちゃんがきれいで最高!文句あるかバカヤロー」その2。幕末の英雄。「今、おいどんは、オーストリアなんちゃらにおるんでごわす。いやー、食い物も焼酎もうまかー。なにより姐さんがきれいでよかたい!」その3。舞台が京都だったら。「今、ウチ、オーストリア・レストランにおりますのやけれど、ご飯もお酒も美味しゅうて、それにだんさんがいい男さんで最高どす」なぜか主人公と相手役の性別が転換している。転換ついでだ。その4。私が心の師と仰ぐ文豪U風。「今、あたし、オーストリア・レストランにいるんです。ボーイさんがとってもいい男で。そばを通るたびになんだか感じちゃうの。あ~ん」(内容まで変わってしまった)。きりがないのでこのへんにしておくが、じゃあ、昨日の「オラ」の設定は何かというと、よく分からない。「ハックルベリーフィンの冒険」の日本語訳に影響されたのはたしかだ。ハックは黒人奴隷のジムと筏でミシシッピ川を下る旅をする。ジムはまっとうな教育を受けてないのでちゃんとした英語を話せない。翻訳はそのたどたどしさを伝えなければならない。で、私の読んだ訳では「おら」「なになにしただ」という言い回しでそれを表していて、それが頭に残っていたのだ。因みに、ドイツ語訳では、動詞を主語に関係なく全部不定詞(格変化のない元の形)にすることで、そのたどたどしさを表していた。「Ich singen」と言った具合だ(正しくは「Ich singe」)。ドイツ人は、不定詞ばかり使う外国人をそういう目で見ているんだな、ということが分かる。逆に、それでも通じるんだな、ということも分かる。だが、私の書いた原文は、ちゃんと動詞に格変化を与えているから、その意味では、原文(ちゃんとしている)と訳文(たどたどしい)の趣が合っていなかったことになる。原文は高貴な文章だったから(自分で言うか)、その雰囲気をちゃんと伝えるのであれば、「今、ワタクシは、某オーストリア・レストランにいるのでございます。ワタクシの生誕記念日を祝福するためでございます。ウィーン風カツレツもお国のワインも大層美味。なんと申しましても、件の美女様方のうちのお一人が来て下さいまして、天にも昇る気持ちでございます……」こんな具合だろうか(昨日の記事を読んでいない人のために断っておくと、「美女が来た」は妄想である)。ところで、一人称の「オラ」は、実際、日本国内のどの地域で使われているんだろうか。Wikiには、「主に東北だが、山口県出身の陸軍大将も『おら』と称していたので『おらが大将』と言われた」とある。

さっき書いたヤツ、訳してみっからよ、読んでけれろな

2020-12-23 20:16:11 | グルメ
今、オラ、おーすとりあ料理屋にいるだ。自分の誕生日を祝うためさ。カツレツはうめーし葡萄酒もいける。なにより例のべっぴんさんの一人と一緒なのが最高だべさ……もうバレてるよな、オラ、ウソこいただ。べっぴんさんなんていねー、オラ一人だ。オラがオラに誕生日めでてーなーって言ってんだ、情けなくて泣けてくらぁ。うんにゃ、ウソってんじゃねえ。もーそーってヤツだ。オラ、もーそーの中で生きてんだよ……待てよ、瓢箪から駒ってあったよな。オラ、もちっとここにいる。で、もし誰かここに来たら、そいつはオラのよめっこになるだよ。死ぬまで頭のおかしいやつっているもんさな。オラ、そいつが来るの待ってるだ。

疾く来よ、不滅の変人!

2020-12-23 14:00:55 | グルメ

Jetzt bin ich in einem österreichischen Restaurant,um selbst meinen Geburtstag zu feiern. Die Wienerschnitzel schmeckt gut und der österreichische Wein ist super. Ausserdem ist das tollste,dass ich zusammen mit einer von den "Schönen" bin…… Gerade habe ich,wie alle meinen,gelügt. Ich bin ganz allein,und ich sehe vor mir Niemand sitzen. Ich sage zu mir "Herzlichen Glückwunsch zu meinem Geburtstag". Wie einsam,dass man selbst zu sich so was sagt. Nein,das war keine Lüge,sondern eine Illusion. Ich lebe immer in Illusionen……Doch halt! Es ist noch möglich,dass die Illusion eine Tatsache wird. Ich bleibe hier noch etwas. Und welche,die zu mir kommt,wird meine zukünftige Frau! Komm,Du,meine "unsterbliche Geliebte",die ich noch nicht gesehen oder schon gesehen haben mag!

疾く来よ、不滅の変人!

2020-12-23 13:57:48 | 音楽

Jetzt bin ich in einem österreichischen Restaurant um selbst meinen Geburtstag zu feiern. Die Wienerschnitzel schmeckt gut und die österreichische Wein ist super. Ausserdem ist das tollste,dass ich zusammen mit einer von den "Schönen" bin…… Gerade habe ich,wie alle meinen,gelügt. Ich bin ganz allein,und ich sehe vor mir Niemand sitzen. Ich sage zu mir "Herzlichen Glückwunsch zu meinem Geburtstag". Wie einsam,dass man selbst zu sich so was sagt. Nein,das war keine Lüge,sondern eine illusion.
Ich lebe immer in Illusionen……Doch halt! Es ist noch möglich,dass die Illusion wirklich wird. Ich bleibe hier noch etwas. Und welche,die zu mir kommt,wird meine zukünftige Frau! Komm,Du,meine "unsterblicheGeliebte",die ich noch nicht gesehen oder schon gesehen haben mag!

伊福部昭、古関裕而、ジョン・ウィリアムズ、レッドキング……この中で、一つ、他と種類の違う名前があります。どれでしょう?

2020-12-22 09:04:11 | 音楽
「ウルトラマン」の出だしは、♪ドミーラソ、ド、ミーラソ……「帰ってきたウルトラマン」の出だしは、♪ドミーラソ、ミミーレド……おおっ、始めの1小節が同じだ。で、2小節目で「帰ってきた……」は始めのドに帰ってきた!同じウルトラマンが帰ってきたことを冒頭の主題歌で表していた(!?)。この事実にこれまで気づかなかった私は、怪獣ファンとしても音楽ファンとしても失格である。「怪獣と音楽」と言えば、昨日BSで放送していた「モスラ対ゴジラ」。クレジットされている作曲家は伊福部昭だが、劇中で歌われる「モスラの唄」は古関裕而の曲。だが、古関裕而の「こ」の字もクレジットされない。昔は、ロール・クレジットは映画の冒頭でちょびっとだったから、スタッフ全員の名を見ることはなかった。ハリウッドの映画だってそうだ。「エンドロール」となって、関係者全員の名をクレジットするようになったのはいつ頃からか。今では、エンドロールの長い時間の間、主題曲をとっぷりと楽しむことができる。「スターウォーズ」がその最たる例だ。多くの人にとって「ジョン」と言えばジョン・レノンだろうが(私も青年時代はそうだったが)、今の私はジョン・ウィリアムズ(スターウォーズの作曲者)。こないだ、「らららクラシック」で特集してて、ジョン・ウィリアムズによって映画音楽が完成された、と言っていた。その前にもいい映画音楽はあったと思うが、ウィーン・フィルまでもが演奏会でとりあげるようになったのは間違いなくジョン・ウィリアムズの功績である。そのジョン・ウイリアムズは、当初、名門ジュリアード音楽院で、コンサート・ピアニストを夢見て勉強していたんだという。ところが、教員に「君には無理だ」と言われて、それでハリウッドに移ったのだという。若きジョン青年も大変な挫折を味わったわけだが、その教員のひとことのおかげで、世界中は、ものすごい恩恵を受けているわけである。冒頭のウルトラマンに戻る。一番人気のレッドベルオーブは3着に敗れたが、私は「レッド」と聞くと、まず「レッドキング」を思い出す。ウルトラマンに出てくる腕力は滅法強いが頭の悪い怪獣である。ついでにいうと、「ウルトラマン」の制作準備中の名称は「レッドマン」だった。それから、昨日放送された「モスラ対ゴジラ」は昭和シリーズの一作であるが、「ゴジラVSモスラ」は平成になってからの作品である。

グレナディアガーズ~二人の擲弾兵~月影兵庫~ホセ・カレーラスetc

2020-12-21 09:18:23 | 音楽
昨日、2歳王者の座に輝いたグレナディアガーズの馬名の意味は、イギリスのバッキンガム宮殿の護衛を行っている近衛歩兵連隊のことだという。なるほど、ガーズはガード(護衛)の複数形なわけね。名称に「グレナディア」(手榴弾)が付いているので、擲弾兵近衛連隊ともいうそうだ。そういえば、シューマンの歌曲で「二人の擲弾兵」(Die beiden Grenadiere)ってぇのがあった。「てきだん」は合唱団の名前っぽくもある(私は、「すぎだん」という男声合唱団に入っている)。なんとなく兵隊のことだぐらいで済ませてきて深く考えたことがなかったが、この際だ。「擲弾兵」について調べてみよう。へー。近代戦において、敵の陣地に入り込んで手榴弾を投げる任務の兵隊のことを擲弾兵と呼んだんだって。手榴「弾」を投「擲」する「兵」だから擲弾兵ってわけだ。危険と隣り合わせだから擲弾兵は精鋭部隊。その後、そうした仕事はなくなったが名誉職的に名称だけ残ったそうだ。で、バッキンガム宮殿の擲弾兵は、実際に手榴弾を投げていたわけではなく、その活躍に対して「グレナディア」の名称が栄誉として送られたそうだ。競馬をやると利口になるね。その朝日杯ステークスで二着に来たのが「ステラベローチェ」。イタリア語で「速い星」。三着が「レッドベルオーブ」。「ベルオーブ」はフランス語で「美しい夜明け」だから、それにレッドがついたら朝焼けかな、と思ったら、この「レッド」はただの冠名なんだと。この三連複的中!サイゼリヤに二回半行けるくらい儲けた。だが、イタリア語の名前に惹かれて買った「アスコルターレ」(聴く)ははずれた。以下は、以上に因んだ疑問、質問、独白コーナー。その1。馬は一頭なのになぜ「ガーズ」(複数形)なんだろう?その2。近衛連隊が王になるって下剋上ではないだろうか?その3。近衛は偉い人の護衛の意味だが、固有名詞の「近衛」は元貴族の一族である。その4。その近衛さんとは関係ないが、近衛十四郎と品川隆二がコンビを組んだ「素浪人月影兵庫」「素浪人花山大吉」って時代劇が昔あって大好きだった。その5。「グレナディア」はスペインの「グラナダ」と似てる、と思ったら、スペイン語で「グラナダ」には「ざくろ」のほか「手榴弾」って意味もあるんだって。その6。その「グラナダ」をソロ・コンサートのアンコールでいつも歌ってたのがホセ・カレーラス……きりがないのでこのへんで。