拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

互いに見て見ぬフリをする大人の世界(バラの騎士)

2019-02-28 09:37:03 | 音楽
(承前)いただいたコメントを整理すると、「間男」と「ツバメ」は別の概念ではなく、「間男」の中の一定の要件(K田さんによると、30歳未満で、女性より12歳年下)を満たした者が「ツバメ」と呼ばれるらしい(一般社団法人の中の一定の要件を満たした法人が公益社団法人になるごとしである)。すると、「バラの騎士」のオクタヴィアンは、17歳でマルシャリンより15歳年下だから、K田説に照らしてツバメと呼んでいいことになる。因みに、マルシャリンにとって、オクタヴィアンは最初のツバメではない。オクタヴィアンとの会話で「Einmal」(以前も)と口を滑らせてしまう。それを聞いたオクタヴィアンが、「えーっ?昔何があったんだよ?」と逆上して詰め寄る。それに対してマルシャリンは「Er muss nicht alles wissen.」(全部知らなくていいの)と受け流す。大人ですねー。ここらあたりの「Einmal」と言って、しまったって顔をして、その後さらーっと受け流すマルシャリンの演技は見ものである。因みに「Er muss……」の「Er」は、ここでは「彼」ではなく「あなた」。こういう台詞(歌詞)を見ると、昔、会社員だったころ、対面の相手に対して「かれしー」と呼びかけていた課長さんを思い出す。このオペラでは、マルシャリンとオクタヴィアンと若いゾフィーが「善い者」で、バロン・オックス(当ブログのタイトルはそこから拝借した)が「悪者」だが、でも、やってることはどっちもどっちである。オクタヴィアンらの策略にはまってさんざんな目にあったバロン・オックスも、事情(誰と誰との間にどういう関係がある等々)を飲み込んだ後、逆上して「ばらしてやるー」とか言わないでレオポルドを連れてさっと帰るあたりは大人である。そのレオポルドはオックスの隠し子だから、オックスだって人のことは言えないわけだ。みんなが事情を抱えていて、互いに見て見ぬフリをする、そんな大人の世界がバラの騎士の世界である。オックス男爵役は、カラヤン時代に一世を風靡したオットー・エーデルマンがあまりにはまり役だったので、そのイメージ(エロじじー)が固定してしまった感があるが、作者の意図では、それなりの貴族であり、決して野卑ではないという。そうかといって、最近オックスを歌ってるグロイスベックなどはイケメンすぎて、これじゃゾフィーがオクタヴィアンよりオックスを好きになってしまって筋が成り立たなくなると心配になるくらいである。

間男とツバメの分岐点

2019-02-27 20:29:34 | 日記
四方山話三題。その1。「まんぷく」ではラーメン作りの特許を取った萬平さんが「一人勝ちだ」と言って喜ぶ様が魔王のように描かれている。それを心配そうに見守る福子の夢枕に現れた姉の咲が「萬平さんをもとの優しい人に戻せるのは福子だけだ」と言う。史実では、萬平さんのモデルとなった安藤百福はラーメン作りの製法を公開したのだった。そこで私の推測(あくまで私の推測であるからネタバレではない)。この後、福子に諫められた萬平さんが、元の優しい心を取り戻し、ラーメン作りを公開するっ。どうだろう?その2。久々にドイツ語でグリム童話を読んだ。読んだのは「Die Nixe im Teich」(池に住む水の妖精)。いや、童話だから変チクリンなのはいつものことなのだが、どうにも腑に落ちないのは、貧乏な粉屋が池に住む妖精に、金持ちにしてもらう代わりに「最近粉屋の家で生まれたばかりのものを妖精に差し出す」という約束をする。粉屋は、どうせ生まれたばかりといったら犬か猫の子だからいいだろうと思ったのである。ところが、家に帰ると奥さんが粉屋との子を産んでいて、粉屋は絶望にうちひしがれる、というのだが、まったく変ちくりんである。人間の子が急に産まれるか?生まれたってことは奥さんおめでたでお腹が大きかったんだろ?妖精に約束させられたとき自分の子だとは思わなかったのだろうか。それに、犬や猫の子なら犠牲になってもいい、という考え方も好きではない。因みに、その赤ん坊は大きくなって結婚した後、妖精に沼にひきずりこまれるのだが、奥さんのがんばりによって救われるという話で、後半、変な約束をした粉屋(父親)は全く登場しない。あの人はいったいどうなったの?というのはグリム童話によくある話である。その3。先般、配偶者の不倫相手に対する離婚にまつわる損害賠償請求が認められなかったという話を書いた。その後、思ったのが、不倫相手は男女を問わないのだが、一応、この後の話に続けるため間男(まおとこ)ということにするが、間男と妻との間に子供ができた場合、法律的には少し厄介なことになる。婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定されるのであり、その父子関係を覆すには嫡出否認の訴えを提起しなければならず、この訴えは、原則として、戸籍上の父(夫)しか提起できず、妻や真の父(間男)は提起できないのである。だから、戸籍上の父が、世間体を気にしてあくまで自分の子供ということにしようと思ったら、それを否定することはできないのである。では、あくまで、そうした戸籍上の父の意向をふまえたうえで、真の父(間男)がその子の父になるためにはどうすればいいか。養子縁組をするのが一つの手である。そうすれば、間男は法律上の父になるし、子の名字も間男の名字になる。因みに、特別養子縁組は、実親との関係が切れるから、より間男の真の父度は高くなるが、しかし、特別養子縁組をするには間男は夫婦ものでなければならぬ。間男=夫婦者、というのはそぐわない図式である。間男、間男と書いたが、間男も若い美青年だと(オクタヴィアンみたいなら)「ツバメ」と呼ばれる。「間男」と「ツバメ」の境目はどこにあるのだろう。

人に応援されてがんばれる権利

2019-02-26 23:09:57 | 日記

ところどころ、吊り輪の長さが違う。なぜだろう。手の届く長さが違うから?でもラッシュ時、適当な長さんとこに移動する余裕なんてないと思うが。さて。私は花粉症デビュー前なのだがなんとなくこの数年春先にむずむずする感じがして、体の中の花粉に対する抗体が一定量に達すると発症するというからなんとか発症させないように春先洗濯物を外に干さないようにしていたのだが、花粉が関東山地で飛び交って東京に達するのは夕方だという説があって、なーんだ、じゃ干せるなと思ったら、いや午前中にはもう達してるって話を聞いて、えー?じゃ干せないの?と思ったら50代でのデビューはないという話をFBのお友達がしていて、じゃあ、60代だったらなおそら大丈夫じゃんと思い、明日は洗濯物をベランダに干す予定である。60代といっても、その最も初期段階であるが、今朝、最近ぼけが進んだ母に「お母さん、僕、何歳だと思う?」とキャバクラ(に行ったこともないくせに行ったような口をたたく)でするような質問をしたら「30代後半」とか言う。若く言われるのは悪い気はしないが、いよいよぼけたかと思うと気が重い。後者の方がまさって気が重い朝であった。で、カンレキになって実はまだ2か月経ったくらいであるが、こないだ風呂上がりの自分の裸姿を姿見で映したら、ふむ、お腹を引っ込めれば引っ込んで結構いい体である(引っ込めれば引っ込むのは当然?)。これは、飲んだときほとんど食べないせいだと思うが、今、とっても声がよく出ているので、これ以上痩せる気はさらさらないのだが、ちょっと痩せたかも知れない。千人の幹事の気苦労(オケと合唱のバランスをとるのは結構大変である。この話は近いうちに記事にする予定である)?あるいは、新たに始めた仕事のプレッシャー(週に二度、四時間みっちり講義のビデオ撮りをする)?どうでもいい話を書いたので、最後に、さっきテレビで見たバドミントンの山口茜選手の21歳とは思えない宝石のような至言を紹介。「人に応援されてがんばらなきゃいけない義務があると思っていたときは楽しくなかったが、人に応援されてがんばれる権利だと思ったら楽しくなった」って。これって、素晴らしい。

森下町日参(千人の会場決定)

2019-02-25 16:36:17 | 音楽

酒の席の記憶があったからこそ、今日、千人通唱会の会場をとれたのである。ここのところ、千人の場所とりに頭を悩ませていた。当初、私がイメージしていたよりもずっとたくさんの人が参加してくれそうで、嬉しい悲鳴であるのだが、想定していた会場では入らない可能性が大となっていたからだ。さあ、どうしよう。道は二つ。募集をストップするか、それとも腹をくくって広い場所をとるか。企業が成長の過程でこれまで通りこつこつやるか、投資をしてばーんと規模を拡大するかの選択に似ている(か?)。今回、私は後者を選んだ。腹をくくろう。すると、昨夜のKMCの練習の後の飲み会でK田さんが江東区の施設がいい、森下が空いてそうだ、というありがたすぎる情報を下さった。あっ、それいい、絶対明日とりにいく、と言った私に対して、どうやらその場のメンバーは、こいつは飲んでるから絶対忘れるぞ、と思ったらしい。いやぁ、あのくらいの酒(中ジョッキの後、8人でワインを3本)だったら大丈夫。事実、今朝、母のところに行った足でそのまま森下町に向かい、Kさんの情報の通り空いていた部屋をゲットした。6か月前でも予約ができる、利用者登録は不要とありがたすぎる江東区。とっととお金を払って確定しました。実は、森下町は3日連続の日参である。土曜日は桜鍋を食べに、日曜日はコンサートを聴きに、そして今日は場所とりに、である。その間、面白い公衆トイレを見つけた(写真)。因みに、「8人(位)でワイン3本」と言うのは私的にはよくあるパターン。まず、1本頼んでみんなに注いでなくなる。で、すぐ2本目をおかわり。これで他のメンバーはGenug(まんぷく)になるのだが、ここらへんからエンジンのかかる私が人々の反対をおして3本目をたのむ、という図式である。とにかく、広い場所をとったんだから人に来てもらわなきゃ。特に合唱。皆様、手当たり次第に知り合いに声をかけて、オケに負けないくらいの歌い手を連れて来てちょうだい。

心で歌う歌

2019-02-25 08:54:34 | 音楽
まず、一言。昨日の飲んだ後の記憶は全部残っております。あしからず。ということで本題。昨日はあるアマチュア歌手(故人)を偲ぶ会と称した声楽の演奏会に行った。ピアニストの一人が鈴木架哉子さんだったのと、歌い手の一人がF田さん(SM合唱団でご一緒してからずっと親交がある。傘寿をとうに過ぎられてますますお元気である)だったのが行ったきっかけ。舞台に登場した歌手は、プロ、セミプロ、アマチュアとさまざま。曲も、オペラアリアあり、歌曲あり、男声合唱ありともりだくさん。3時間を超えるコンサートだったがまったく飽きさせなかった。架哉子さんはさすがである。歌手が一小節多く歌ったり、一小節とばしたり、テンポが伸びたり縮んだりしても涼しい顔でさらーと合わせる。ご本人は「こんなの普通」とおっしゃるのだが、いやいや、伴奏者によっては、伴奏者のテンポが伸びたり縮んだりで歌い手がピアノに合わせるなんてこともある(私が日頃お世話になっている先生方にはそんな人はいません)。歌で印象に残ったのは、「夕鶴」のなかの「さよなら」っていうアリア。この歌のときに舞台に登場した方が私の母くらいの年代の方で、歩くのも大変そう。でも鶴をあしらった立派な衣装を着てらして、大変失礼ながら、第一印象は、見てはいけないものを見せられるのかな、であった。しかしその歌は感動的であった。テクニック云々を通り越して、つうの心情が痛いほど伝わってきた。なるほど、歌は心で歌うっていうのはこういうことか、と感じ入った。

配偶者の不倫相手に対する慰謝料請求の可否

2019-02-24 17:36:44 | 日記
配偶者の不倫が原因で離婚した場合、元配偶者の不倫相手に対して慰謝料を請求できるか?これまでは「できる」だった。ところが「原則できない」とする最高裁(女性裁判長)の新判決が飛び出した。離婚はあくまで夫婦間の問題。不倫相手は夫婦間に入ってかき回したような場合を除き関係ない、というわけである。最初聞いたときはびっくりぽんだったが、理由を聞くとなるほどとも思う。興味深いのはこの判決を聞いた人々の反応である。けしからん判決だと思う人、うちはラブラブだから関係ない、と思ってる人。ほっと息をついている人。いろいろ。

けっとばし

2019-02-24 13:07:35 | グルメ

37,8年前、会社員だった私の担当エリアは深川で、土地の人から、「けっとばし」と言ったら馬のことで、「けっとばしでも食いに行くか」と言ったらそれは桜鍋を食べに行くことだと教わった。有名店の「みの家」には当時お昼に何度か行ったが、夜行くのは今回が初めてである。大層混んでいるが、回転が早い。気の短い江戸っ子は、ぱぱっと食べてささっと帰るらしい。私は江戸っ子ではないから(浜っ子である)、どこに行っても根が生える質であるが、今回は江戸っ子に倣って早めに退散。下足番のおやっさんはかなりのベテランで、「昔は順番待ちしてる人の名前を(メモにとらなくても)10人は覚えられた」とおっしゃってた。私がお昼を食べに行ってたときからいらしたのかしらん。

開けてくれ!

2019-02-23 13:29:58 | 日記
少し前のことだが、歌いまくる会の会場にスマホを置き忘れて気がついたのが会場から15分くらい歩いたところにあるサイゼイヤに着いた時。会場(某区の施設)が締まる9時半までまだ少し時間がある。で、メンバーが施設に電話をしてくれた……が、出ない。行った方が早いと思ってタクシーに乗って施設に着くと、施設内の灯りはついているのだが扉が開かない。奥に人の姿がみえて、ちらちらこちらを見てるふうなのだが目を合わそうとしない。まだ9時半前である。私は扉をどんどん叩いて必死に中の人を呼ぶ。まるで「開けてくれー」である。かなりの時間がたってようやく一人が扉の方にやってきて、私は「お、も、て、な、し」ではなく「わ、す、れ、も、の」と叫ぶ。ようやく開けてもらって「忘れ物です」と言うと、「え?それは大変。すぐどうぞ」と部屋に案内され、無事にスマホを手にしたのである。なんでも、区の職員さんは8時に帰っちゃってて、そこにいた人は警備会社の人。電話には出るな、という指示を受けていたという。忘れ物をする私がもちろん悪いが、施設が開いているはずの時間帯にこの対応というのは疑問である。「開けてくれ」といえば、子供が悪さをして家の外に出されて鍵を閉められて泣きながら「開けてー」という図が浮かぶ。しかし、私はそんなかわいい子ではなかった。自ら家をおんでて、近くの山ん中の秘密の隠れ場所に行き、そこで全曲暗譜しているリゴレットを歌う。全部終わると2時間くらい経っていてほとぼりがさめるのにちょうどいい時間である。で、家に帰ると玄関のドアの鍵が開いているという顛末であった(プチ家出)。「開けてくれ」はウルトラQの最終話のタイトルでもある。

断捨離

2019-02-22 09:49:04 | 日記
「付き合ってだいぶ経つのにあんたの家に呼んでくれないのね」「うち、とっちらかってて、人が入れるところじゃないから」「あやしい。ほかに女がいるんでしょ」「いるわけないじゃん」「いや、絶対いるんだ。ひどい。あんた二股かけるような歳ーっ?顔ーっ?もういい。別れる」……という架空の会話を妄想した。ありえないって?妄想するのは私の勝手である。いや、たしかに、この会話の大半はありえない=妄想、空想=ゴジラの世界であるが、「とっちらかってて人が入れるところじゃない」の部分だけは真実である。なので断捨離を決断した。と言っても、荷物の大半を占めているのは音楽関係のDVD、CD、レコード。これは捨てられない。おっ、ビデオテープ(ベータ、VHS、8mm)がある。もはや再生できない。全部DVDにダビング済み。そんなものを残しておく方がどうかしている。手始めにこれをやっつけよう。と言って、これだけでは焼け石に水の感あり、だが(編集後記。今回の記事のタイトルは、当初、「ヴィラ・イージマの連れ込み宿化計画」であったが、なんだか書いてるうちにテーマが変わってしまって少し不本意である)

♪かすてらいちばんでんわはにばん

2019-02-21 10:43:32 | 音楽
そもそも「こうもり」は酔っ払いのお話である。酔っ払ってこうもりの扮装をさせられて屋外に放置された男の復讐劇である。とか言って自分が酔っ払いであることの正当性をこっそり主張したのであるが、しかし「Brüderlein(腰くねくね)」は某駅のホームでさんざっぱらやった(らしい)ので、次は別のにしよう(まだやるのかい)。そしたらやはり当ブログのタイトルであるバロン・オックスのワルツがいい。「Mit mir,keine Nacht Dir so lang」(私といれば長すぎる夜などない)。おおっ、そそる!因みに、私がこれまで見たなかで最も美しかったオペラのシーンは、クライバーが振った「バラの騎士」で、オックス役のクルト・モルがこのワルツを踊ったシーンである。♪ティララー(クライバーのタクトは右、モルのステップは左)、ティララー(タクトは左、ステップは右)、ティララー(右、左)、ティララー(左、右)……この光景が私の数メートル先で繰り広げられた。まさに「Wie ein Traum」(まるで夢のよう……同オペラの第3幕から)であった。そうだ、み○○台駅の反対側のホームで誰かにクライバーになってもらおう。そのタクトに合わせて踊ろう(ウソです。踊りません)。若干話がそれるが、最近、このオペラを「ばらきし」と呼ぶ人が多い。なんだか「バラ肉」みたいである。私はちゃんと「バラ『の』騎士」と言い続けたい。同様に、連れ込み宿のことを人は「ラブホ」と呼ぶが、私はちゃんと「ラブホテル」と言い続けたい。ホームで踊る話に戻る。20年前、某合唱団の花見の帰り、私と高校が同期の某女史(おなじみのK本さんではない。言っとかないと。だが、K本さんでもありそうだが)と某駅のホームで♪かすてらいちばん、でんわはにばん、さんじのおやつは……を踊ったことがある。それからしばらくメンバーは私達に口を聞いてくれなかった。その高校とは横浜酔乱高校である。さすが、名は体を表す、である。

こうもり通唱会(酔っ払いの妄想)

2019-02-20 09:05:06 | 音楽

酔っ払ってる自分の姿を動画で見たのは初めてである。なかなかステップが軽い(って感心してどうするっ。反省せいっ)。それにしても、腰をくねくねさせて左手でぱっとやってるのは何だろう(例によって、見渡す限り海だらけ記憶喪失である)。当初、音声がオフになっていたので分からなかったが、あれはKußだ、という現場にいた人の証言があって確信した。「こうもり」(ヨハン・シュトラウス)の「Brüderlein」だ。この歌はしらふでも歌うくらいだから、酔っ払って歌うのはなんら不思議ではない。その後、音声がオンになって、思いっきり「ちゅっ」と言ってる。仲間(のはずの人々)が遠巻きにして「おれたち関係ないよ」という顔をしている理由が分かった。因みに、腰をくねくねさせた箇所とチュッと言った箇所は、アップした写真に掲げておいた。そう、ここのところ頭の中は「千人」と「こうもり」である。どっかで「こうもりの通唱会をやりたい」って話が出て、それだったら架哉子さん(ピアノ)がうってつけって話になって、で、架哉子さんに話したら「いつでもいいよ」って言ってもらって、で、私的におおいに盛り上げっているわけである。実は、この「Brüderlein」の部分は、既に歌いまくる会のソロ・コーナーでみんなで歌っている(もちろん架哉子さんのピアノで。私はクラを吹いた)。そんな感じで、ひょいと集まって気軽に歌いましょう!だったらすぐにできそうな勢いである(が、いまのところ、酔っ払いの妄想にとどめておこう。妄想の割には現実性のある話であるが)。こわいことを一つ言っておく。この「Brüderlein」の「Kuß」のシーンは、実際に両隣の人とキスをしなければならない。参加の条件は、それができることである。誰だっ?「あの人だったらいいけど、あの人だったらいやだなぁ」などと選別しているのは?隣は選べませんから。

この酔っ払いを憐れみたまえ

2019-02-19 10:30:24 | 音楽
この数日会う人会う人が私の顔を見るなりにこっとして「Erbarme dich」とおっしゃる。酔っ払って「Erbarme dich」を熱唱したって投稿が思いのほか読まれているらしい。まずい。私が酔っ払いであることが世間にばれてしまう(とっくにばれてる?)。まさに「Erbarme dich über diesen Betrunkenen!」(この酔っ払いを憐れみたまえ)である。困るのは酔っ払うと記憶をなくす点である。島状記憶喪失ならまだよいのだが、最近は「見渡す限り海ばかり記憶喪失」である。母のことを言ってられない。だから、「最近物忘れがひどくて」と嘆く母に「僕も酔っ払うとお母さんと一緒だよ」と言って母とわが身を慰めている(慰めになっているか)。こないだ、よその合唱団の温泉旅行(と言ってはいけなかった。合宿であった)にくっついていったときも、私は、夜、かなり飲んだ後みんなで海岸に繰り出した記憶があるのだが、同行した某さんに聞くと「行ってない」という。ええ?行ってないのになぜこんなにはっきりと情景が浮かんでくるのだ?記憶喪失に妄想まで加わったとなるとこれはもう母を追い抜いたかもしれない。と、かなり心配になったのだが、その後、たしかに海岸に行ったことが判明。この件については某さんの方が「見渡す限り海ばかり記憶喪失」であった。つまり某さんと私は同類である。ところで、この合宿からまだ1か月経ってないんだよな。つうか、ミサソレの通唱会から1か月とちょっとしか経ってないんだよな。歳とると時間の過ぎるのが早いというけれど、ここのところの私の感覚では、時の流れは超ゆっくりである。

マーラーのクラリネット(スーダラ節の話も)

2019-02-18 09:12:13 | 音楽
金曜日はハイドンの四季、土曜日はシュッツとリュリ、日曜日はブラームスのドイツ・レクイエム。各日ともアフターでとっぷり酒を飲む。私の肝臓のガンマGTPは、こわくて測ってないがどういうことになっているのだろう。いずれにせよ、♪これでからだにいいことないよ、わかっちゃいるけどやめられない(スーダラ節)。植木等と言えば、最初に「ハイ、それまでよ」を聴いたとき、いつになくまじめな感じで「あなただけが生きがいなの。お願い、お願い、捨てないで」と始まって、おお、植木等はこういう歌も歌うんだと、思ったら次の瞬間曲想が急転回。「テナコト言われてその気になって、女房にしたのが大間違い。炊事洗濯まるでダメ」で大笑い。だが、私的には炊事洗濯などやってもらわなくていい。自分でするから。結構得意である(と言っても、洗濯は洗濯機がするのだが。そう言えば音楽仲間の男性には料理自慢が多い)。奥さんにやってもらいたいのは……個人的事項なのでやめておこう。いや、今回はマーラーのことを書くつもりであった。金曜日の練習の前、早く行って千人のクラリネットのパートをさらったのだが、ファーストだから当然なのだが、やたらと音が高く、ピッピピという付点音符が多い。いかにも「マーラー」という感じであった。そう、ブラームスのクラリネットは情緒的であるが、マーラーは、クラリネットで精神のいかれた感じを表したいようである。で、調子にのってピッピピ、ピッピピと吹いていたら、練習前のこの時間は真面目な某さん(ソプラノ)の歌の自主練タイム。思い切りじゃましたようで、とうとう「うるさいっ」とお叱りをこうむってしまった。

リュリが指揮棒で自分の足を突いたときの曲を昨晩歌った件

2019-02-17 12:19:47 | 音楽

昨日の深夜の投稿は掟破りであったが(夜9時以降の投稿)、言い訳をさせてもらうと、例の「戒めの文」はパソコンの上に今でも健在であるのだが、iPadで投稿する場合は目に入らない。相変わらず、溶けた脳による投稿であったが、たくさんの方に読んでいただいてるし(夜の方が人の目につく?)、削除するほどの内容でもないのでほうってある。シュッツの会で盛り上がりすぎたせいだねと言ってくれるありがたいメンバーもいる。そのシュッツの会だが、昨日の会の前半は文字通りシュッツ。歌ったのは「Geistliche-chormusik」から「Das Wort ward Fleisch」「Die Himmel」「Herzlich lieb」そして「Das ist je gewißlich wahr」。おおっ、シュッツファンなら垂涎必定の名曲だらけ。「Das Wort」は掛け合いが素敵だし、「Die Himmel」はこれを歌いたくてこの会を作った曲だし、「Herzlich lieb」はじわじわ泣けるし、「Das Wort」はシュッツが盟友シャインの葬式用に書いた力作だし。一通り練習した後この4曲を通して歌った。3曲じゃないからトライアスロンじゃないよな。何アスロンだろう。因みに、こないだはバイアスロンをダブルアスロンと書いてしっぽり恥をかいたが間違った箇所は記念に(?)残してある。間にノルウェーの現代作曲家のアカペラの曲を歌って(とってもよかったね。また歌いましょう)後半はいよいよリュリのテ・デウム。おおっ、面白い!優雅でなめらかで、かつ豪華。なるほど、こういう曲が太陽王・ルイ14世の宮殿で鳴り響いていたわけね。森の中で厳粛に歌われたイメージのシュッツとは好対照。ただ、同じ曲想が延々と続くので、何とかアスロンで疲労困憊のメンバーからの要請により、途中で切り上げ続きは次回。その後ワインとなりました(で、わたくしの「Erbarme dich」に続いたわけ)。そうそう、当時の指揮って、棒で床をとんとん叩いていたんだけど、誤って自分の足を突いて化膿して死んじゃった人ってリュリだよね。ググったらその通り。しかも、そのとき振っていた曲がテ・デウムだったんだと!