拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

親子でした(なーんだ)

2019-01-29 17:46:44 | 日記


団員でもないのに、私、某男声合唱団の飲み会にはちょこちょこ行っていて、今回は、温泉旅行にくっついて行った。宿は民宿風な感じの小さいところであったが、お風呂は源泉掛け流しだし、夜ご飯の舟盛りは立派だったしで大満足。一応、練習も兼ねていて、バスがいないというのでバスを歌う。くっついて行かせてもらってるんだから、足りないパートはどこだって歌いますです、はい。ところで、部屋に入るなり沸騰した話題はこの宿のマスターとマダムの関係。どうみてもマダムの方がずっと年上。歳の差婚だろうか?愛人だろうか?この宿が元スナックでそこのママさんだった人だろうか等々詮索の嵐。答は夕食んときにご一緒したお二人から明かされた。親子であられました(なーんだ)。マスターが私の三つ下で、マダムは私の母の年代。そう伺うと、自分の母と比較しちゃうから尊敬の的。「お母様」とお呼びしてすりよる私は案外お調子者である。宴会はおおいに盛り上がり、こんなに飲める?と思った酒類もすべて飲み尽くし、気がついたら朝であった(いつ寝たんだろう)。朝風呂に入って、すっきりして海岸を朝のお散歩。昇ってきた朝日が金色に輝いていて、なかなかの絶景でありました。

脅迫

2019-01-28 07:49:19 | 音楽
昨日の午後はフィアツェンの演奏会。4,5年前まで重厚な女声合唱+優秀な男声ソリストの図式であったこの合唱団も今ではテナーが7人いて、強力なことこのうえない。BWV140のテナーのユニゾンを歌うときさっと立ち上がった7人の侍の誇らしげなことといったら。ステージ上の知り合いの数はくるたびに増えていて、その全員がソロを担当。それぞれ素晴らしい歌でありました。バッハの教会カンタータを4曲も堪能した後、本当ならKMCの練習に行くはずだった。1週間前はたしかに行って気配を消していたが、昨日たしかだったのは行かなかったこと。カンタータを歌う会(番号順に歌う方。私が主宰をしてる「歌いまくる会」ではない方。多くの人が勘違いしているが、歌いまくる会は私が主催であるが、こっちでは私は一兵卒である)があったのだが、それでもKMCに行くつもりだった。ところが欠席者があいつぎ、団長から「万難を排して来て下さい」とのメールが入る。おそろしい。これは「来なかったらひどいよ」の文意を含む脅迫である。え?脅迫に読めない?それはこの団長と私との長年にわたる力関係というか序列というか、それを知らないからである。動物を調教するときは、いったん懲らしめて序列を教え込むという。すると、例えば、調教をうけた馬は騎手がムチを振り上げただけで打たれると思って必死に走る。同じである。ということで、脅迫に屈した私はいやおうがなくKMCをお休みしてカンタータの会に行った次第である。そういえば、こういう序列の話を前にも書いた。そんときの恐怖の的は大学の合唱団のソプラノのパートリーダーであったB子であった。今回の恐怖の団長はB子ではない……が、ソプラノである。

必然

2019-01-27 11:08:53 | 日記
私の人生ごときで波瀾万丈などというのはおこがましいが、まあ、それなりに山あり谷ありの人生である。派手な大失敗も何度もやらかした。あのときあれさえなければ、と後悔することもあるが、しかし、考えてみれば、もろもろの「あのときのあれ」がなければ今の人生はない。今の出会いもない。すると、大失敗も含めてすべてが必然だった、と思える今日この頃である。

言わせるなよ

2019-01-26 08:57:04 | 日記
私用で役所に自分の戸籍抄本をとりにいったときの話。戸籍の筆頭者が誰かって話になって、役所の人が「失礼ですが、ご結婚されてますか?」「いいえ」「じゃあ、お父様が筆頭者だと思います」。えーっ?そんな馬鹿な。筆頭者は私だ。この歳になってなんで父の戸籍に入ってなきゃいけないんだ。もしかして、私くらいの「妙齢」な男子を世の人は「お父さん」と言うけど、その意味?とか思いがよぎった次の瞬間閃いた。そっか、この人は私が一度も結婚してないと思ってるんだ。だから父の戸籍に入ったままだと思ってるんだ。そこで、大きな声で、明確に「私、離婚してるんで」と言ってやった。すると「失礼しました」。ホントに失礼しちゃうよ。衆目の集まるところでなんで離婚歴をばらさにゃいけないんだ(って大きな声で言ったのは自分だし、ここにも書いている)。しかも、一度も結婚したことがないと決めつけられたのもシャクである(日本語のせいでもあるが。ドイツだったら「Ich bin geschieden」と言えば誤解はされない)。まあ、しかし、考えてみれば、私が結婚できたのは元妻氏が「間がさした」からであって、間がささなかったら役所のお兄さんの見立ては合っていたわけだから、文句を言う筋合いではないのかもしれない。

P.S.追悼テオ・アダム

2019-01-25 10:43:29 | 音楽
そう言えば、大学んとき私が「テオ・アダムが好きだ」と言っていたら、合唱団の友人が「バッハのカンタータ第4番のバスのソロをテオ・アダムが歌っていた。ものすごかった」と言っていて、そりゃ是非聴きたい、と思ってアダムがソロを歌うBWV4を探し始めてからかれこれ40年。いまだにお目にかからない。

追悼テオ・アダム

2019-01-25 09:11:58 | 音楽
先日、バリトン歌手のテオ・アダムが亡くなった。テオ・アダムは、間違いなく大好きな歌手だった。この大歌手はヴォータン、ザックス等々のヴァーグナーの諸役で有名だが、私的にはなんといってもフィデリオ(ベートーヴェン)の悪者ドン・ピツァロ。「悪者」がぴったりの鋭角的な声で、私はテオ・アダムでフィデリオが好きになったと言ってよい。中学だか高校だかのとき最初に買ったフィデリオのレコード(ベーム1944年録音)ではまったく印象に残らなかったこの役が、次に買ったベームの新盤では私にとって最高の聴き所になっていた。テオ・アダムがドン・ピツァロを歌っていたからである。歌だけではない。合間のドイツ語の台詞も強烈で、後年、ドイツ語を勉強するようになった私のお手本はテオ・アダムの台詞だった。そう、ゲーテ・インスティトゥートの発音クラスで、各人、ドイツ語で朗読をするって課題のとき私が選んだのはドン・ピツァロの台詞。テオ・アダムをそっくり真似して演じたら先生から絶賛された。当時、テオ・アダム演じるドン・ピツァロが体に乗り移っていたらしく、宴会のときもアダムのドン・ピツァロよろしく怒気を吐きながらテーブルをどんどん叩いたら人と喧嘩になった(過ぎたるは及ばざるがごとし)。生で見たテオ・アダムはコシのドン・アルフォンソ。ご冥福をお祈りします。因みに、前記のフィデリオのベームの新旧録音だがレオノーレは新盤のギネス・ジョーンズより旧盤のヒルド・コネツニが断然良かった。ギネス・ジョーンズのものすごさを認識するのは、もっと後、生でジョーンズ砲の直撃をくらったときである。

マーニー

2019-01-24 17:22:10 | 音楽

以前はWOWOWに加入してたから、メトロポリタンオペラのライブ・ビューイングはWOWOWで見ていたが、WOWOWをやめちゃってるので「マーニー」を劇場で見た。原作はWグラハムのサスペンス小説で、ヒッチコックが映画化したことがあるそうだがいずれも知らず、現代作曲家のミューリーがつい最近メトのために書いた本作がマーニー初体験(以下ネタバレあり)。いや、すごかった。幼少時のトラウマのため盗みを繰り返し、夫に体を触れさせないヒロインの話は実に刺激的。でも、当初は「ルル」や「ヴォツェック」のような救いようのないおどろおどろしい話かと思ったら、最後にトラウマから解放されたヒロインが「I'm free」と言うシーンにはぐっときた。他の登場人物も最後はみんないい人になる。ヒロインを脅迫して無理矢理妻にした夫だって終わり頃にはいつまでも妻の(刑務所からの)帰りを待つ優しい夫になっていたし、夫の弟のカウンターテナーは前半は兄の妻にキスをしかけるような女たらしだったのがいつのまにか「いい人」になって最後はおいしいところを全部持っていった……と言っても、やはり特筆すべきはヒロインのマーニーである。でずっぱり。この難役を歌ったのは美貌・美声のイザベル・レナード。かなりの実力者である。うん、ライブ・ビューイング、大劇場で見るのもいいなぁ。クライバー&ミュンヘン・オペラの「バラの騎士」を初めて見たのも映画のスクリーンで、それはそれは感動したものだ(そう言えば、カラヤンのバラの騎士も最初はスクリーンだった)。あと、原作を読んでみたくなったし、ヒッチコックの映画も見たくなった。

歳の差婚

2019-01-23 18:15:03 | 日記
昨日「もう一花咲かせよう」と書いた。これが「もう一山あてよう」だとかなりあぶなくなる。ん?この「山」とは何だろう?鉱山のことかな。そうらしい。今回はこんな感じの閑話ばかり。閑話その2。「つるべの家族に乾杯」に出てきたレイコさんって一般人のお歳を聞いてびっくり。還暦にはとても見えない。つるべさんが鼻の下を伸ばすのも無理はない。見かけがお若いだけではなく、「ケンケンダンス」(と私が勝手に呼んでいる今流行ってるダンス。片足でケンケンしながら手を「いいね」風に振る)も立派に踊っていた(私も真似して踊ってみた)。いやレイコさんに限らない。私の回りのお姉様もお若い方ばかりである。今の人の歳は昔の人の歳の7掛けというのは本当だと思った。閑話その3。私、酔っ払ってところどころ記憶がなくなることを「縞状記憶喪失」だと思っていたら「島状記憶喪失」が正しいそうだ。大海原にぽつぽつと島がある感じで記憶が残っているからだそうだ。そう言えば「まんぷく」(朝ドラ)の萬平さんの生き様を、(ドラマの中の)喫茶店のマスターが「島を探して大海原に船をこぎ出す」と例えていた。その萬平さんのモデルである安藤百福さんをモデルとする人物は朝ドラ「てるてる家族」にも登場した。やはり、いま萬平さんと福子が住んでいるような庭が畑になっている家に住んでいた。演じていたのは今日「ごごなま」に出ていた中村梅雀さん。なんでも中村梅雀さんは歳の差婚で、奥さんは25歳お若いのだそうだ。ちょっと思った。男が年上でも女が年上でもいったい何歳差から「歳の差婚」と言うのだろう?

ライブかスタジオか

2019-01-22 20:40:39 | 日記
去年の今頃考えていたこと。来年はもうカンレキに到達している。だったら仕事はぼちぼちリタイアして趣味に没頭しよう。で、一年後の今どうかというと、なんとリクルート活動真っ最中。自分で国家試験の通信講座を主催しているのだが、加えて、再び外でも教えようと思って、で、今日は模擬講義であった(10年前のネームヴァリューからいけば模擬講義はパスかと思ったが世の中そんなに甘くはない)。つまり、もう一花咲かせようという意気込みである。一年前、こういう心境になることは予想していなかった。まったく、人生ってやつは、なにがどうなるか分かったもんじゃない。因みに、その模擬講義だが、ビデオ室で機械を操作しながら行う完全おひとりさま講義でカメラマンさえいない。私は、40代はライブ講義の講師で、50代で自分の主催になってからはおひとりさまであったがそれと同じである。ライブがいいか、スタジオがいいかは音楽家でも趣向が分かれるところで、カルロス・クライバーはライブの人でスタジオ録音を嫌っていたが、グレン・グールドは逆だった。ビートルズは途中までライブ活動をしていたが、途中からスタジオにこもるようになった。で、私はというと、演奏ではなくて講義についてであるが、もともとライブで燃えるタイプであったが、結構、一人でも、すなわち目の前に誰もいなくてもいるが如く口が勝手に回るのが不思議である。

声は女でも男です

2019-01-21 23:16:38 | 音楽
KMCの練習の後、ピアノのゆり先生に「いたの?」と言われた。おりましたとも。でも気配を消しておりました。この(男としての)「気配を消す」という所作はKMCのように女声に女性がたくさんいる合唱団(普通の合唱団)で男が女声を歌う場合に欠かせない処世訓である。だから休み時間はひたすら姿を小さくしてるし、練習中は声をお姉様方に同化させるようにしている。つまり、姿と声においてのカメレオンである。それでも近くで歌ったりして私の声をご存知の方は、KMCでも「声がよく聞こえる」とおっしゃって下さるが、ゆり先生のピアノの位置で同化して聞こえているのなら大成功である。因みに、私が根城にしているアルカディア合唱団は人数が限りなく少なく、自分が出さなきゃ他に出す人がいないので、KMCの三倍の声量は出している。そういえば、KMCのメンバーでミサソレを歌うためにアルカディアに来た方が「飯島さんが自由に歌っててびっくりした」と言ってたっけ。それでも、こないだのコンサートのためにソロを歌いに来た方が、私が女声に同化しているといってほめて下さった。同化もなにもここは人がいないんだからアルトの声はほぼ私の声なのだが、そう言われるということは、私のファルセットがカウンターテナーというよりも女声に近いということであって、これぞ私が目指してることであったから、やはり褒め言葉をいただいたと思ってる。ということで、私は声的にはきわめて女であるが、でも男にはまちがいない。若い頃、サウナでおじさんにつきまとわれて、心底気持ちが悪く、そのとき自分はゲイでないと確信した。だから、状況が整えば「しっかり」襲います。そのとき「アルトのくせに~」って言ったって知りませんから。

酒、(女)、歌

2019-01-20 23:15:19 | 音楽

よく飲みよく歌った金土日であった。まず金曜日。本番の前日練習。そして練習後しこたま飲む(明日が本番というのに)。といっても三人でスパークリングワインのボトル2本だからさほどでもない?そして土曜日。私が根城にしているアルカディア合唱団と男声合唱団の「すぎDAN」の合同コンサート。アルカディアの私はカウンターテナーでアルトを歌うのだが、急遽私も歌うことになったすぎDANは男声合唱だからカウンターテナーはおよびでない。テナー2を歌いました(テナー2のメンバーがお一人ステージに乗れなくなったので、その代役)。普通はテナーは歌わないんだけど(なまじっか歌ったりすると、へー、テナーも歌うんだ、じゃテナー歌ってってことになる。テナーはどこでも人手不足だから)、すぎDANは、飲み会には何度か参加してるし、コンサートに向けた練習でおいこら……取り立てではなかった……えいこーらとか歌ってるのを聞いてて面白そうだったので参加させてもらいました。いや、緊張。ほぼ初見ですからね(出るのが決まったのが月曜日)、で、足をひっぱることになったら申し訳ないじゃないですか。だから結構必死でした。カウンターテナー(ファルセット)と実声のテナーの声の切り替えもうまくできるかなと気がかりであったがなんとかなった。ということで、出ずっぱり。出ずっぱりは、ピアノの架哉子さんと指揮者の村松さんと私だけであった。で、終わった後は、文字通りあびるほど飲んで今日は一日中酒気帯び状態。それより、飲んで騒いで声ががらがら。困った、今日は昼間にティアラこうとうにドイツ・レクイエムを聴きに行って、その足でKMCの同曲の練習に行くはずだったが、こんな声でいけそうもない。パスせざるを得ないかなと思ってたら、なんとティアラのドツレク終演後にKさんとばったり。Kさんは夜の練習のメンバーである。これでさぼれなくなった。まあいい、不調なときになんとかして歌うのも修行である。それに、話し声ががらがらでもカウンターテナーの声は結構出る。ということで、アルトのすみっこでこっそり練習に参加。やはり声の出はいまいちだったがなんとか練習の最後までやり通しました。そして、怒濤の三日間の締めはおひとりさまのサイゼリヤで赤ワインを600mg(訂正。正しくはml。登記の申請書と同様に訂正前が読める形で訂正をしましたです、はい)。こうして歌と酒にまみれた三日間が終わり、こうしてブログも書き終わり、この後はウイスキーをちびりちびりなめる至福のときである(まだ飲むのかっ(驚)。因みに、「酒」「歌」ときたら「女」と書きたいところであるが、「嘘つき」と言われるのもいやなので、それでタイトルの括弧書きになった次第である)。写真は、昨日、本番の会場のある荻窪に向かおうと思って乗った中央特快が荻窪に止まらずに三鷹まで連れてかれていく最中に車窓からとった富士山である。

アルカディア合唱団とすぎDANの合同演奏会(今日でーす!)

2019-01-19 00:17:39 | 音楽

日付が変わったからもう今日の話である。午後、杉並公会堂で、私が根城にしているアルカディア合唱団と男声合唱団の「すぎDAN」が合同でコンサートを開く。アルカディア単独のステージはラターのレクイエムほか、すぎDANの単独のステージはオペラの名曲やロシア民謡のメドレー、合同のステージはハイドンの四季の抜粋。いずれもピアノ伴奏は鈴木架哉子先生。お時間のある方は是非。ただだよー!因みに私はアルカディアの単独ステージと合同のステージではいつもどおりカウンター・テナーでアルトを歌いますが、すぎDANの単独ステージにも急遽参加することになり、第二テナーを歌います。男声合唱で日本語で歌うのは生まれて初めて。わくわくどきどき。

風呂はfroh!

2019-01-18 10:10:44 | 音楽
枕話その1。アサイチのゲストは冤罪で不当に逮捕されながら完全無罪判決を勝ち取りその後事務次官になった村木厚子さん。私がもっとも尊敬する人物の一人である。普通の人だったら長期にわたる勾留中の検事の執拗な取り調べに負けてやってなくてもやったと言ってしまいそうなところ、きっぱり否認を貫き冷静に検察の主張の矛盾を見つけだすなんざ尋常技ではない。が、画面で拝見するご本人はまことに温厚そうな方である。その2。テレビで(テレビばっか)、イタリア人が「日本の歌を知ってる」と言って「♪愛しかったのよ」と歌い出した。「ch」がカ行になるところがラテン語的で面白かった。ということで本題。友人が久しぶりに連絡をくれて、「今happyか?」と聞かれて、さて、ドイツ語で「happy」と言ったら?と考えてみて、静謐な環境で宗教的幸福感を感じているなら「selig」(シュッツのモテットやブラームスのドイツ・レクイエムからのイメージ)、彼女ができて幸せ一杯なら「glücklich」(ベートーヴェンのフィデリオで、マルツェリーネがフィデリオといい関係になった場面を想像して歌うアリアからのイメージ)、そして、一日が終わって風呂に入って、あー幸せ!となったときなら「froh!」(第九のテナー・ソロから連想するダジャレ)。因みに、第九と言えば、例のバリトン独唱も「お、風呂ーーーーーーーいんで」である(ではない)。

総譜のようなヴォーカルスコア

2019-01-17 09:18:30 | 音楽

まるで総譜だが、これはヴォーカルスコアである。マーラーの「一千人」(交響曲第8番)である。ベートーヴェンのミサ・ソレムニスの通唱会は成人式あたりの慣例行事になることが決まったが、この曲(千人)の通唱会をやりたいという声も根強い。私もやりたい。クラリネットを吹きたい。やりたい気持ちが毎晩募る。だけど、どんだけ人が要るんだ。集まるのか。いやいやピアノで輪郭を作ってもらって、それに楽器と歌が可能な限り入ればなんとかなるんではないか(ピアノのK子さんも乗り気である)。とか、いろいろ思案中。鍵はバッハ・ファンの中に潜伏している隠れマーラー・ファンの数である。結構いるかもしれない。隠れベートーヴェン・ファンがあんなにいたもんね。

ミサソレ裏話

2019-01-16 14:12:30 | 音楽
お陰様で成功裏に終わったミサソレ通唱会であったが、もし「Gの家」(ゴジラの家ではない)が管楽器NGでなければ今回の会はなかったかもしれない。事情はこうである。レパートリー会(略して「レパ会」)っていうのがあって、私が根城にしているアルカディア合唱団が中心となって、今回も指揮をしてくれた村松さんの指揮で(村松さん、ミサソレと第九の指揮、ありがとうございました)、2,3か月に一回、「Gの家」で古今の合唱の名曲をみんな集まって歌いましょって会なのだが(「通唱会もどき」というと分かりやすい。今年はヴェルレクも予定曲に入っている)、そのレパ会で去年の8月に演奏したのがミサソレ。当初、ゆり先生と私はそれにクラリネットで参戦する予定であった。ところが、レパ会を目指しての練習のある日、いきなり「Gの家」が「管楽器だめ」と言い出した(指揮者を通じての通達)。音が大きすぎるというのだ。ここのホームページをあらためて見たが、「合唱・バレエ・お芝居の稽古などに最適」とあるが管楽器はだめなんて書いてない。腹がたつのと同時に大層落胆した。ここでは決して結婚式は挙げないぞ、と思った(そもそもここは結婚式場ではないし、私に結婚の予定もない)。落胆されたのはゆり先生も同様であられたそうだが、そこはゆり先生、前向き、直ちに「飯島さん、是非、ミサソレの通唱会を開きましょう」、さらに「とっとと日にちを決めましょう」とおっしゃって手帳を出される。おっ、これがゆり先生の噂の手帳か。なんでも、ずっと前に通唱会なるものが始まったときもゆり先生が手帳を出されたのがきっかけと聞いている。ということで、日にちが決まって、架哉子さんも弾くと言ってくれて、場所とりに多少のすったもんだがあったが全般的にスムーズにおとといの会にこぎ着けた。そんなわけだから、主宰は私だが、私的には、ゆり先生と共催、と言うか、影の主宰はゆり先生だと思っている。結果は大オーライ。ピアノが架哉子さんになったし(レパ会のときは違う先生)、レパ会の予定にはなかったオーボエ、オルガン、第二ヴァイオリンが加わったし、歌だって参加者が増えた。極めつきは第九での「夢の連弾」の実現。これも「Gの家」が「管楽器NG」と言ってくれたおかげである。と考えると「Gの家」に感謝すべきだなー。前言撤回。おたくで結婚式しますから(だからしないって)。