拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

オルガンとトロンボーン

2022-04-30 07:18:43 | 音楽

テレビでミズイカの加工を紹介していて、1階で洗った後、2階で干すのだが、2階まで持ってくの?大変だねー、と思ったら「サッちゃん、降ろして!」。すると、2階からイカを載せる器具がするすると降りてきた。なるほど、これで運ぶのか。それで思い出したことがある。古楽を聴いていると、オルガンをよく耳にする。その妙なる音色に酔いしれながら、今は電気だけど、昔は、隣の部屋又は地下に、オルガンに風を送る「ふいご職人」がいて(サッちゃんはいなかったろうが)、オルガンには彼らに合図を送るボタンがついていて、そのボタンを押すとベルがなって職人さんたちがふいごを押したり踏んだりして、それで初めてオルガンが鳴ったのである。宮廷などでは常勤の職人さんを雇っていたが、小さい教会などでは、そこらへんのがきんちょがやらされることがあり、がきんちょのことだからサボって遊びにいったりすると、ベルがなってもふいごを踏む人がおらず、オルガンはプスとも鳴らない、なんてことがあったそうだ。もう一つ、楽器ネタ。金曜日の「古楽の楽しみ」は、アンドレア・ガブリエリを特集。ガブリエリと言えば、ヴェネチアの聖マルコ寺院で鳴り響いく金管アンサンブルを連想する。「トロンボーンは教会の楽器だった。交響曲で初めてトロンボーンが入ったのはベートーヴェンの「運命」だった」という講釈を聞いたが、「運命」にトロンボーンが入ってることはよーく知っている。高校のとき、この曲を吹奏楽用に編曲したとき一悶着あったからだ。トロンボーンは、アルト、テナー、バスの3本がチームになっている。「運命」の第4楽章の冒頭は、アルト・トロンボーンが高い「ド」を吹くのだが、これはアルトだからたやすく出る音であるのに対し、わが吹奏楽部のトロンボーンはテナーだけ。テナーではこの音は高い。だが、トロンボーン・トップのM山君は「がんばる」と言ってくれたので、彼にこの音を割り振った。そこにクレームを付けたのが、パイロット(金持ち)の息子のA君。A君はホルンで、その音はテナー・トロンボーンには無理だからこっちに寄こせと言ってきた。だが、私は、ベートーヴェンはトロンボーンの音色が欲しくてあえてトロンボーンにこの音を割り振ったんだ、と言って頑として譲らなかった。本番がどうだったかは言わない。社会にもまれているうちに、理想主義をとうに捨て去り、現実的になった現在の私なら、当然、ホルンに割り振ると思う。なんだったら、トランペットの3rdに吹いてもらってもいい。ところで、さきほどトロンボーンは3本がチームだと書いた。ほんとにそのようで、最近、通唱会を通じてお知り合いになったトロンボーンの方々は3人がいつもチームを組んでいて、事前に3人でしっかり合わせてからお見えになる。飲み会でもご一緒。漫才師が相方と過ごす時間は配偶者といるよりも長いというが、トロンボーンのチームにも同じことが言えそうである。いっそ夫婦になっちゃえば、と思うが、そうすると一人あぶれて可愛そうである。


♪あんたなんかきらいよ、ビビディバビデブ!

2022-04-29 09:07:06 | 音楽

そうか、今日は休日だからあさイチがないのか。代わりに実験番組をやっていて、その中に巨大メガホンでどれだけ声が届くかって実験があった。相当届くらしい。歌も一種のメガホンだろうか。私は、チャリに乗ってるとき、近くに人がいないことを確認すると発声練習をするのだが、うーんと遠くの人がこっちを見るんでびっくるする(びっくりしてるのは向こう?)。実は、今週の水曜日は「古楽の楽しみ」を聞きそびれた。目が覚めたら7時だったのだ。ちょっとお疲れなのだろうか。いつ来るともわからぬ機会に備えた日々の鍛錬(楽器の練習)が過ぎたか。麹味噌合唱団の本番(ドイツレクイエムの合唱にアルトで参加する)を直前にしてこれはまずい。「一日休むと取り返すのに何日もかかる」という脅しに縛られすぎた。思い切って楽器の鍛錬を休んでドイツ語の鍛錬にしよう。それすなわち、ディズニー+で映画をドイツ語音声で視聴することである(こういう楽しいことを鍛錬と言っていいのだろうか)。スターウォーズ・シリーズは全部見たので、続いて1950年製のシンデレラ。そうか、「ビビディバビデブ」ってこの映画だったのね。子供の頃、よく女子が男子に「♪あんたなんかきらいよ(ソラシドレミファミレソ)、ビビディバビデブ(ソラソファミレド)」と歌ってたっけ。視聴の感想をいくつか。王子様は、シンデレラに会うまでは女性にまったく興味を示さない。オホホ疑惑を持たれてしかるべきであった。ガラスの靴は見るからに履きにくそう。そのガラスの靴(シンデレラが王宮に残した靴。これで「足実験」がなされる)が割れてしまって万事休すと思いきや、シンデレラがポケットからもう一足取り出して、それを履いて自分こそが王子の意中の人であることを証明するのだが、これ、証明になってない。だって、シンデレラが取り出した靴が割れた靴の対であることの証明がなされていないから。とにかく気分転換になった。見終わるとディズニー+が2002年製作の「シンデレラⅡ」の視聴を進めてきたが、それは麹味噌合唱団の本番の後にしよう。さて。本番のためには精もつけなくては。鰻を食べよう。近くのスーパーでは、土用の丑の日以外は鰻を売ることは滅多にないから、なかったら町中に行く覚悟で覗いてみるとあった!

因みに、なぜ、精をつけたいとき鰻を食べたいかと言うと、大昔、献血をしたときお医者さんに「何か薬を飲んだか」と聞かれて「グロンサンを飲んだ」と言ったら理由を聞かれたから「元気になりたいから」と言ったらお医者さんと看護師さんが爆笑した。何が可笑しかったのかいまだに合点がいかない。ひとしきり笑われた後、お医者さんが言ったのが「だったら鰻を食べなさい」。この教えが私の金科玉条となって今に至っているのである。


殺し屋の里はワインの産地?

2022-04-28 09:07:29 | 音楽

こういう日の出が見られる時間に起きなければ「古楽の楽しみ」を聴くことはできない(録音してれば別だけど)。その「古楽の楽しみ」に関連して、昨日、ルネサンス期の音楽の都はフランドルで、デュファイ、オケゲム、ジョスカン・デ・プレが活躍していたことを書いた。彼らは「ブルゴーニュ楽派」とも言われるんだと。え?ブルゴーニュってフランス北西部のワインの銘醸地でしょ?フランドルは今のベルギーのあたりなのになんで?と思ったら、当時、ブルゴーニュ公国ってぇのがあって、結構大きくて、フランドルからフランス北西部を支配していて、「ブルゴーニュ楽派」の「ブルゴーニュ」はその公国のことだと知って初めてガッテンした(因みに、昔、小泉首相がドイツを訪問したとき、ベルリンのブランデンブルク門を見て「ブランデンブルク協奏曲」ってあったね、と言ったら、おつきの誰かが、その「ブランデンブルク」とは別です、と言っていた。バッハの協奏曲は、ブランデンブルク辺境伯に献呈されたのでそう命名されたのであり、門から来た名前ではない。ただし、この門は、ブランデンブルク辺境伯が治めた地の首都に通じるから「ブランデンブルク門」と命名されたという。それなら、ブランデンブルク辺境伯を通じて協奏曲と門はつながるから(辺境伯はかすがい)、まったく無関係ということではなさそうだ)。さて。現在のブルゴーニュ(英名=バーガンディ)は前記のとおり銘醸ワインの産地として有名であり、私が行ってみたい外国の一つである。ワインはボルドーも大好きだが、ボルドーは港町なのに対し、ブルゴーニュのワイン畑は内陸の丘に連なっていて、ハイキングするならこちらの方がいいというイメージがあるからである(どっちも行ったことがないから、あくまでもイメージである)。ところで、ヴェルディの「リゴレット」に出てくる殺し屋スパラフチレは、リゴレットに「Straniero?」(よそ者か?)と聞かれて「Borgognone」(ブルゴーニュの人)と答えていることを知ったのは、中学のときこのオペラのレコードを毎日聞いていたにもかかわらず大人になってからである。そのレコードにはおまけでヴォーカルスコアが付いていて、イタリア語の原詩と日本語訳が併記されていて、当然ながら日本語訳の方を見てたのだが、この部分の訳が「生まれは?」「他国じゃ」になっていたからである。原詩の意味を変えてしまってるが、スコアに付された訳だから音符に乗らなければならない。「うーまれーは?」「たーこくーじゃ」はぴったりである。この「ブルゴーニュ」がワインの産地と公国のどちらを意味してるかは不明。だが「じゃ」と言っていても、岡山や広島出身ではないのはたしかである。そんなスパラフチレは、殺害対象(マントヴァ公爵)に惚れてしまった妹のマッダレーナが公爵の代わりに依頼者のリゴレットを殺めてくれと言うのに対し、「オレは盗み騙り」はしないと言う。スパラフチレにとっては、人殺しはよくても泥棒はダメらしい。だが日本の刑法では、当然ながら窃盗罪より殺人罪の方が法定刑は重い。


フランダースの犬ならぬ音楽

2022-04-27 09:16:46 | 音楽

今週の「古楽の楽しみ」(FM)のテーマは16世紀のヴェネチアの音楽。16世紀だからルネサンス音楽である。で、月曜日に放送された中にイザークの曲があって、え?イザークって「インスブルックよ、さようなら」って曲を書いたくらいだからインスブルック(オーストリア)に居て、その後、同じイタリアでもフィレンツェに行ったはずだけど、なぜヴェネチア?と思ったら、ヴェネチアで発行された曲集の中に彼の曲が紛れていたからだった。そのイザークはもともとフランドル(今のベルギー)の人である(「フランドル」と「フランダース」は同じ地を指しているが、「音楽」「楽派」に付くときは「フランドル」で、「犬」に付くときは「フランダース」になるようである)。昨日放送したウィラールトは、ヴェネチアの聖マルコ寺院の楽長だったから「ヴェネチアの音楽」に相応しいが、もとはやはりフランドルの人。イタリアでもフランスでもドイツでもない。フランドルこそがルネサンス前期の音楽の中心地であり、当時のヨーロッパの音楽家の製造工場(虎の穴)であった。それは、同地で活躍し、ルネサンス音楽を基礎付け隆盛をもたらしたデュファイ、オケゲム、ジョスカン・デ・プレの偉大さの現れである。それでも、ルネサンスも後期になると、ぼちぼちフランドル以外の地でも偉い作曲家が生まれだした。ウィラールトに師事したアンドレア・ガブリエリはヴェネチア生まれだし、パレストリーナは、その名の通りパレストリーナ生まれだが、そこはローマ近郊の町である。そして、バロック期に入り、モンテヴェルディ、ヴィヴァルディ等を経て、イタリアが音楽の中心になり、映画「アマデウス」の世界=ウィーンの宮廷でイタリア人音楽家が幅を効かせていて、ドイツ語のオペラなど笑っちゃうよって世界になるのである。「音楽の都」にも祇園精舎の鐘の声がする(無常ということ)。因んだ話をいくつか。ジョヴァンニ・ガブリエリは前記のアンドレア・ガブリエリの甥。ってことはアンドレアはジョヴァンニの「おじさん」だが、伯父なのか叔父なのかが分からない。欧米では歳の上下を気にしないが日本では気にするから漢字を当てるとき困る(日本では、ジークムントが兄でジークリンデが妹と言っているが、もともとの台本ではただ「双子」と言ってるだけで長幼は不明である)。それから、イザークの「インスブルックよ、さようなら」は、バッハのマタイやヨハネのコラールの元歌と言われているが、以下のとおり結構変質している(比較のため、どちらもハ長調にした)。両者の間には賛美歌が存在していて、そこで変質した模様である。

 

ところで、さっき「虎の穴」と書いたが、これが「タイガーマスク」に出てくるプロレスラーの養成施設であることを知っている人はどれだけいるだろう。私は、アニメ「タイガーマスク」の主題歌の冒頭のヴァイオリンのパッセージが大好きだった。

 

 


ライアー

2022-04-26 09:36:35 | 日記

ヨーロッパの地図(国の配置)を覚えたいのだが、そもそも日本の地図がちゃんと頭に入ってない。へー。千葉県の北西部に尖った部分があるが、それが野田市か。そしてその付け根あたりに柏市、我孫子市があるのか。そして、東武野田線で渡る小さな川こそが昔、水運の要だった利根運河か!一つ地理のお勉強をしました。さて。良子(ヒロインの姉)に「(可能性が)ありませんっ」と言われて「きついところがたまらんねー」ともだえる男(朝ドラ)。合唱界にも、団員をぼろくそに言う指導者に対して「もっと言って」ともだえる団員がいるそうだ。その良子はほかに好きな相手がいるらしい。このように選択権が女性にあるのは猫の世界も同じ。「What's Michael」に出てくるニャジラは、雄猫など片手でぶっとばす雄々しい雌猫である(その点は、わが愛しのジェンティルドンナも同じ)。それでも季節になると街にフェロモンをまき散らす。その香りに誘われて集まった雄が匂いの発生源をニャジラと知り、一瞬どぎまぎするが雄には選択権はない。目をつぶって「ニャジラさん、結婚してください」と叫んで一匹また一匹と突進するが、ニャジラの片手の一撃で遠く弾き飛ばされる。そんなニャジラが、うっふんと見つめた先にいたのがええとこに飼われているアメショーの雄。ニャジラはそのアメショーの子種を授かる(ある回のエピソード)。新任教師に彼氏がいたと言えば(良子の話に戻る)、まさに朝ドラの現在の舞台である1971年=私が中学校に入学した年に新卒で着任したU先生(女性)は町中のアパートに住んでいたのだが、そこに男が出入りしている様子を生徒に目撃されていて、U先生は「いとこ」と言っていたが、実は彼氏だったことが数年後U先生が結婚したとき判明した。U先生は、教師でありながらウソをついていたのである。ウソと言えば、(私は見てないのだが)ウソばかりついてる不動産屋のトップセールスマンが「ライアーなんとか」と呼ばてるっていうドラマの番宣を見て、一瞬、手回しオルガン弾きかと思った(「冬の旅」の最後の曲をご参照のこと)。


安物買いの銭失い

2022-04-25 13:14:46 | 日記

今週の朝ドラの舞台は1971年(昭和46年)。この年は忘れもしない、私が中学1年の年で、第何回かのNHKイタリアオペラが来日し、スリオティスの「ノルマ」、コッソットの「ラ・ファヴォリータ」、そしてパヴァロッティの「リゴレット」を上演し、それをNHKが全部放送してくれて、それを見て熱狂した私の「オペラ元年」となった年である。中一ということは、私が映画館でオリヴィア・ハッセー主演の「ロミオとジュリエット」を見た年でもある(リヴァイヴァル上映だったらしい)。話は変わる(後で戻ってくる)。百均で買った4本セットの歯ブラシの消耗度合いは異様である。一本が2日でだめになる。だから、100円(税込み110円)の効用は1週間余り。だったら、1本百円のものを買った方がよかったか。いや、1本に百円出すならホームセンターの歯ブラシは1本75円(税込み82円)である。そちらを買ってみた。2週間経つが、まだまだシャキッとしている。とにかく、4本百円の歯ブラシは「安物買いの銭失い」の好例であった。そろそろ、私も、いい物をそれなりの値段で買って長く使うという生活指針に改めるべきか(楽器についても「安物買いの銭失い」を繰り返した。結局いい楽器が欲しくなる経験を何度もしてるのになんで安物に手をだすんだ?懲りないなぁ、と言われたら一言もない。我が身に染みついた貧乏根性を呪うのみである。そんな中、高校のときに買ってもらったクラリネットは由緒正しいメーカーのモノだけあって、半世紀経っても今だ現役である)。だが、「体が安物に慣れる」ということもある。その最たるものはステーキ肉。近所のスーパーの激安ステーキ肉はかみ切るのが困難なスジにまんべんなく覆われているが、ずっとそればかり食べているからもはやステーキと言えばスジの味である(ただし、噛みきれないで飲み込むと、それが喉の途中で引っかかって喉がつまりそうになる。もし、私のブログが途絶えたら、ステーキで窒息したと思ってほしい)。ここで、オリヴィア・ハッセーに戻る。歌手の布施明がオリヴィア・ハッセーと結婚したと聞いたときはたまげたものである。その後お別れになったが、お二人の間には男の子が一人いる。その一粒種の話を、布施明が「笑っていいとも」のテレフォンショッキングでしていた。息子が日本に来たので、父親として、美味しい和牛を振る舞ったら、息子殿は「rot(腐ってる)」と言ったというのだ。私は「腐る」の英語が「rot」であることと、欧米では、セレブも硬い肉を食べるということを初めて知った。「笑っていいとも」が終わって相当経つから、これは大昔の話である。他方、百均の現在について、こんな話を聞いた。百均の商品は主に中国の工場で作ってるのだが、最近の中国の工場は、日本の百均に売るより他の国に売った方が儲かるので百均からの注文を断ることが多いそうだ。実際、日本で100円で売られている商品は、東南アジアの諸国ではもっと高く売らてるそうだ。現在、アジアで一番の安物好きは日本人かも知れない(私はその典型例である)。


ウサギかカメか(BWV78-2)

2022-04-24 10:35:47 | 音楽

 

子供を一人遠縁に預けなければならないほど切迫した生活を送っていても、別れの日だけはきれいなアベベ……ではなくておべべを着せようという親心なのだろう(朝ドラ)。暢子のおニューの服を見てそう思った。だが、結局、東京行きがなくなった後、あのおべべはどうしたのだろうか。おべべと言えば、今日、決選投票に挑むフランスの大統領候補のマクロンさん(現職)は、「エリート主義」で嫌われているそうな。その対戦相手は、極右候補でロシア寄りでこちらに対してもアレルギー反応を示すフランス人が多い。インタビューに答えたあるフランス人は、二人のことを「ペストとコレラ」と評していたから相当なものである。そんな中、少しでもエリート臭を払拭しようと、マクロンさんは、ブランドもののおべべを脱ぎ捨てて演壇に駆け上った。服の与える印象は大事である。私が中学2年になったとき、新入生(1年生)に私のファンがいたらしく、体育の授業を受けに校庭に飛び出した私に「イージマさ……」との黄色い声がかかった。だが、当時、私の体操服はボロボロで肌が露出していた(暢子の姉の体操着がボロいどころの話ではない)。そんな私を見た新入生の黄色い声は「さ」で止まり、その後、私の名前がコールされることは二度となかった。今から考えると、母はなぜあんなボロ着(文字通り)を私に着せて平気だったのだろうか。ところで、数日前のあさイチで、人間は、「習慣化」に関して、ウサギかカメか、それからアリかキリギリスかで4通り(2×2)に分けられるという話をしていた。そのウサギとカメに関連した話。今回の動画(テイク1でチェロ、それにテイク2で電子ピアノのチェンバロを重ねた)と、ちょっと前の曲当て10連発でバスクラで吹いたのは、バッハのカンタータ第78番の第2曲、ソプラノとアルトの珠玉の二重唱のイントロ部分である。通奏低音の細かい動きはイエスに向かう信者の足取りを表している。この演奏がうーんと速いものから遅いものまで様々。ここで歌われる歌詞は「Wir eilen mit schwachen,doch emsigen Schritten」(私達は急ぐ、弱々しい、けれどもたゆまない足取りをもって)である。「急ぐ」「たゆまない」を重視すると速くなるし、「弱々しい」に力点を置くと遅くなるのだろうか。あさイチの特集の話に戻る。ウサギとカメの分類は「一気にカタをつけたい」か「長期戦で挑む」かの違いだそうで、その意味では私はウサギである。例えば、今回のブログの内容は昨夜から用意していたが、動画を付けることを思い立ったのは今朝。「思い立ったが吉日」で、練習もそこそこに撮って後先考えずにアップしてしまった。因みに、もう一つの分類では、私は美味しいものは後に残しておくタイプだからアリ。トータルで「うさアリ」であり、このタイプは、「小さい目標ばかりやり続けて飽きて挫折することもある」そうである。以上、いつも通り、ためにならない話ばかり書いたが、カンタータ第78番の第2曲が超名曲であることだけは確かである。


惑人

2022-04-23 08:32:43 | 日記

暢子が「止めて」と言ったらバスが停まった(朝ドラ)。普通は、あーは停まってくれない。例えば、子供の頃、祖母に連れられて山梨の父の実家に向かう途中、あともう少しで降りる停留所ってところで渋滞でバスが動かなくなったとき、祖母が車掌さんに「ここで降ろしてくれ」と頼んだのだが、車掌さんは「規則ですから」の一点張りで、祖母の要求を完全に却下した。祖母は「規則、規則って」としばらくブツブツ言っていた。さて。JR恵比寿駅でロシア語の案内板をなくしたと思ったらすぐ復活。思うに、新種の警察(反ロ警察?)がクレームを入れてびびったJRが対処したのだが、それに対して数倍ものクレームが来て復活させたのであろう。戦前(太平洋戦争前)に、野球の「ストライク」「ボール」を禁止して「よし」「だめ」にしたことを想起する。今回の侵攻は前世紀的と言われるが、JRのあわてぶりも前世紀的である。因みに、前世紀の日本には、今、世界中が眉をひそめるようなことのオンパレード。大本営発表はプロパガンダだし、国民の多くはそれを信じたし、何かおかしいなと思っても声を挙げなかったし、町内会は自粛警察だったし、満州事変のきっかけとなった張作霖爆殺事件は自作自演である。いや、日本だけではない。民主主義の代表のような顔をしているアメリカだって、戦後、日本を占領したとき、広島・長崎についての報道を禁止するという情報操作を行った。前世紀と言ってもたかが100年。そうは人間は変わらないと思うと悲しくなる。ところで、なぜ、いい球が「ストライク」で悪い球が「ボール」なのかについては、チコちゃんが教えてくれた(私にとってチコちゃんの最高のヒット作の一つである)。つまり、いい球は「見逃さないで打てっ」という命令(strike!)で、悪い球は、打者が打てないような「アンフェアなボール」(unfair ball)が縮まって「ボール」になったものだそうだ。すると、戦前に「ストライク」を「よし」にしたのは誤りで、「うて」が正しかったことになる。敵国の言葉を使わないなんて了見の狭いことを言ってるからこういう間違いをするのである。昨日のチコちゃんでは、なぜ「惑星」はそう呼ばれるのかというお題が出たが、これは私は知っていた。天動説に立って地球を中心に他の惑星を見ると、人を惑わすような動きをするからである。因みに、恋の駆け引きをしている最中の男女(男男、女女)の動きは相手を惑わしがち。さしずめ「惑人」ってところか。だから、ワタクシの動きは常に直線の一本道。見通しがいいことこのうえない。


たまちゃん(10連発の答え合わせも)

2022-04-22 19:16:12 | 音楽

暢子は空気の良さそうな沖縄からスモッグの街・東京に行くのか。頭が痛くなるかもよ。私も、横浜育ちというと、へー、都会っ子なんだねー、と言われるが、その実は、「横浜のチベット」と言われるあたりで(うーんと後にできたズーラシアは近所である)、小学生の頃は町中を牛車が通っていた。だから、中学生になって、ときどき横浜(横浜の中心部(横浜駅や桜木町のあたり。西区や中区)のこと)に行くと(その頃、県立音楽堂のコンサートに行ったり伊勢佐木町のハマ楽器に楽譜を買いに行ったりしだした)、決まって頭痛がしたものである(どんだけ田舎者だ)。と思ったら暢子の東京行きは土壇場でキャンセル。驚きの展開に、あさイチの鈴木アナの涙は引っ込んだそうだ。まあ、良かったね、なのだが、暢子を引き取るはずだった「東京の『金の亡者』のおばさん」を見られないのは残念である。最近、知ったことなのだが、横浜には各地に「チベット」があるらしい。私の高校は、横浜北部学区で、そこでは私の実家のあたりがチベットだったが、他の学区では、別のチベットが存在したという。決まっているのは、その地域の「西部」にあること。この点、本家の中国におけるチベット自治区の位置関係と同様である。横浜市西区と言えば、その昔、たまちゃんと言うあざらしが東京湾に現れたことがあって、もともと多摩川が最初だったから「たまちゃん」なのだが、西区の港にも現れた際、西区がたまちゃんの住民票を作った。その名は「西たまお」だったと思う。住所不定のたまちゃんの囲い込みを図ったのだろうか。ということで、昨日の10連発の答え合わせ。
①アルト・リコーダー。バッハのカンタータ第106番
②フルート。ジュピター
③オーボエ。ブラームスの交響曲第1番
④B♭クラリネット。「ボエーム」から「ムゼッタのワルツ」
⑤バスクラリネット。バッハのカンタータ第78番
⑥トランペット。第九
⑦ヴァイオリン。バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲
⑧チェロ。ベートーヴェンのチェロソナタ第3番
⑨電子ピアノ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番
⑩カウンターテナー。バッハのマタイ受難曲から「Erbarme dich」
以上


アルト笛を加えて曲当て10連発

2022-04-21 20:02:07 | 音楽

 

今回、リコーダーも加えて曲当てクイズは10連発。リコーダーを加えられて感無量。リコーダーは、小学校時代の私の最高のお友達。学校を通して買ったソプラノとアルト(それぞれ、縦笛、アルト笛と言っていた)を一日中吹いていた。曲は、ベートーヴェンの交響曲。英雄のスケルツォとか、第九の第4楽章のファンファーレとか。だが、あんなに好きだったリコーダーも、吹いていたのは中学生まで。ずーっと忘れていて、50を過ぎてからネットでポチった動機は何だったんだろう。だが、手元にきても吹くことはなく、そうこうするうちに他の楽器が山ほどやってきて、ブログの楽器ネタのときも忘れられたりして、すっかり日陰者になっていた。だが、今回の曲当てクイズに満を持しての登場。おお!いい!やはり……にはリコーダーである(あやうく、答えをいいそうになった)。今後、シュッツの会の楽器コーナーで出番があるかもしれない。今回、クイズに登場したのはリコーダー一家の4本のうちの「アルト笛」である。

さて。今回の10連発だが、だいたい演奏時間3秒程度が多い中、桁違いに演奏時間が長いのがB♭クラリネットとバスクラ。別にクラリネットが「本業」だから、ではない。曲に思わずのめりこんでしまったせいだ。この際、ヒントを言っちゃうと、B♭クラリネットで吹いたのはあるオペラのオケのクラ・パート。休符をすっとばして長い距離をつないで吹いた。ルチア・ポップの名唱が頭の中に残っている曲。そして、バスクラは、あるカンタータの二重唱の通奏低音。もちろん、もともとバスクラではなく、チェロやチェンバロ、場合によってはファゴットもあるかな、その曲である。全曲当てた人へのご褒美はヴァーチョ10連発!長い期間愉しみたいという人は、分割払いもOKである(1遭遇につき1ヴァーチョ)。年金のように、支給開始を遅らせてもよい。奮ってクイズに参加してちょうだい!以下、各問いごとの楽器とヒントである。
①アルト・リコーダー。カンタータ
②フルート。交響曲
③オーボエ。交響曲
④B♭クラリネット。オペラ
⑤バスクラリネット。カンタータ
⑥トランペット。交響曲
⑦ヴァイオリン。協奏曲
⑧チェロ。ソナタ
⑨電子ピアノ。協奏曲
⑩カウンターテナー。受難曲
以上


ラジオ(半世紀前の自分から突きつけられた曲名宛てクイズ)

2022-04-21 10:01:27 | 音楽

オーバーアクションのヒロインは苦手と言った前言を撤回。東京行きを志願した暢子の表情は目がうるうるして切なかった(朝ドラ)。その朝ドラの後のあさイチ、昨日は「習慣化」のお話だった。私の中で、習慣化しているものの一つがこのブログ。50のときから始めたからもう3年続いている(棒が一本足りない?)。今の2ニャンが来た年だから、2ニャンも3歳である(同じく棒が一本足りない?)。前の朝ドラのヒロインは、3代続いてラジオの英会話講座を聴くことが習慣だったなー。ラジオと言えばFMの「古楽の愉しみ」。日の出とともに目が覚める原始的なワタクシであるから、最近は5時くらいに目が覚める。何をすべきか。そうだ!FBのお友達が、この番組が5時台になって、起きて聴くのが大変だと言っていたっけ。全然大変でないワタクシなのだから聴こう。ということで、毎朝聴いている。と言っても、ラジオで、ではなく、iPadに仕込んだ「NHKラジオ」のアプリを使って、である。便利な世の中になったものだ。私が今の暢子くらいの頃、テレビやラジオでクラシック音楽を聴く機会はとても少なかった。テレビでは「N響アワー」 、ラジオのAMでは「音楽の泉」くらいなもの。FMでは結構聴けるという噂だったが、実家のラジオでは中学くらいまでFMを聴けなかった。父が、ラジオを買うとき、FMよりも短波放送を優先したからである。なぜ、短波かと言うと、父が競馬中継を聴きたかったから。だから、子供時代の私にとって競馬は敵だった。それが、成人して土日の競馬番組の視聴が「習慣化」しているのだから、血は争えない。「ジェダイの帰還」で、父ダースベイダーの右手が義手であることを知り、思わず自分の右手(義手)を見つめたルーク・スカイウォーカーの気分である。ところで、短波は遠くまで届くのが特徴である。すると、ドイツの短波放送を日本で聴くことができるのだろうか。フライブルクのドイツ語学校に通ってたとき、そう思って、そしたら日本でもネイティヴの発音を毎日聴けると思って、電気屋さんに行ってドイツ人のおっちゃんに聴いてみた。すると、ドイツのラジオを買っても日本では聴けない、と言う。短波でもダメなのだろうか。いまだに腑に落ちないが、現在支障はない。やはりiPadのアプリで、ドイツはもちろん世界中のラジオ番組を山ほど聴けるからである。「便利な世の中になったものだ」と書いたのはこのことも含んでいる。因みに、さきほど「音楽の泉」にちらっと触れた。この番組は、もう半世紀以上続いている長寿番組で、お友達は先代のMCの故皆川達夫先生の印象が強いようだが、私はその前の村田武雄さんのときよく聴いていたし、よく「読んでいた」のは堀内敬三さんである。そう、「かーぜーのーなーかのー」(女心の歌)の名訳のみならず数々の業績を残された堀内敬三さんはこの番組の初代MCで、ウチには堀内敬三さんの「音楽の泉」での解説を本にまとめたものがあった。私のクラシック音楽の知識の多くはこの本で培われた(あと、百科事典のジャポニカも)。よく覚えているのは「メンデルスゾーンのことを『きれいなだけで奥がない』と言う人がいるが(学校の音楽の先生がまさにそう言っていた)それこそ一面的な見方である」と書いていたこと。私は、本書のおかげで、偏見に毒されずにすんだ。最近、押入からその本を発掘。見てみると、背表紙に何やら音名が書いてある。当時、クラシックを聴く機会が少なかったから、聴いていて「いいな」と思ったメロディーはその音名を近くにあった紙にメモっていた。今からみると、この貴重な本にしかもマジックでなんたること、と思う。それにしてもこのメモ、自分で書いておきながら解読できない。何の曲だろう。半世紀前の自分から突きつけられた曲当てクイズである。


キスでしくじった!?(曲当て9連発の答合わせ)

2022-04-20 09:02:00 | 音楽

昨日の9連発で、ウチにある音の出るものを全部登場させたと思ったら、リコーダーが抜けていた。遅ればせながらここで出題。♪ティラララー、ティララー、ティララー。これで分かるかって?バッハのカンタータだと言えば、好きな人は分かるだろう。ところで、いろんな楽器をやってると、全然違うものならいいのだが、微妙に似てると混乱することがある。その例を挙げると、例えば、シ♭(ラ♯)を出すのに、フルートはシの指に右手を足すのだが、オーボエはラの指に右手を足す。それから、ヴァイオリンは、自分から見て四つの弦が左から右にいくほど高くなるが、チェロは真逆。低くなる。そして、楽譜に書いてある指の番号は、鍵盤は1から5までだが、弦楽器は1から4。同じ指でも番号が違う。私が一番混乱するのはこれである。というところで、クイズの答合わせ。早めに締め切ってしまって、私とのヴァーチョの道が絶たれて泣いている美女がいるだろうか(真面目に「いるわけない」などとコメントをくださる必要はないですから。当ブログはすべてが冗談(=ファルスタッフのエンディング))。そのヴァーチョだが、昨日、私はミスを犯した気がする。ミスと言っても、誰かと間違ってヴァーチョをしたのではない。記述上のミスである。「接吻をもういっちょう!」のところで、「アンコーラ」と書いたのが腑に落ちないのである。ヴァーチョは、「un bacio」で男性名詞。なのに「アンコーラ」でよかったのだろうか。なぜ、そう書いたかというと、オテロが「アンコーラ、ウン・バーチョ」と歌ってるから。たから、もしこれが間違いならオテロのせいである。では、歌詞を見てみよう。やはり「ancora un bacio」。続いて辞書をひく。「ancora」は副詞なので、名詞の性に関係なく「…ra」でよいようだ(「ancor」という用法もあるようだが)。ということで、キスで間違ってなかった。晴れてクイズの正解発表。各問ごとに、パート、曲名、自分自身の感想の順(自分の演奏を録音して聴くのはよい勉強である)。
①フルート、牧神、まだまだ
②オーボエ、英雄、まだまだ
③クラリネット、田園、まあまあ
④バスクラリネット、モーツァルトのファゴット協奏曲、あんなもん
⑤トランペット、ジュピター、よくできました(これだけ、基準が大甘)
⑥ヴァイオリン、チゴイネルワイゼン、あそこだけ
⑦チェロ、無伴奏チェロ組曲第3番、あそこだけ
⑧電子ピアノ、ハンマークラヴィーア、あそこだけ
⑨カウンターテナー、メサイアからレチ、まだまだ
以上である。おっと、先ほど急遽クイズに加えたリコーダーだが、次回、あらためて音付きで出題しようと思うので、ここでは正解を言わないでおこう。


曲当て9連発

2022-04-19 16:48:13 | 音楽

 

9連発のラインナップは以下のとおり。
①フルート ②オーボエ ③B♭クラリネット ④バスクラリネット ⑤トランペット ⑥ヴァイオリン ⑦チェロ ⑧電子ピアノ ⑨カウンターテナー
基本的に、楽譜通りの楽器を原調で演奏しているが、④の原曲はファゴットだし、⑤は全音下げている。自分で上出来だと思っているのはまさかのトランペット(⑤)。ご近所様の目(耳)があるから、ミュートをはずして吹けるのは一回のみ。その一発勝負で音が当たった。「カウンターテナー」(⑨)は、わざわざ「人声」と書かなくてもそれと分かる便利な表現だ。なにより、9連発になったのが良い!川上監督時代の巨人軍の黄金時代も9連覇だし、ベートーヴェンの交響曲は9番まで。ブルックナーも第9交響曲の作曲中に亡くなった。マーラーは、第9交響曲を書くと死ぬというジンクスをおそれて第8交響曲の後の交響曲に番号を付けずに「大地の歌」という題名を与えたが、その後、我慢できずに(?)第9交響曲を書いてしまい、それが最後の交響曲となって結局ジンクスが成立した。ということで、9曲の曲名を全部当てた方に待っている景品はもうおなじみ、すなわち、ワタクシのヴァーチョである。ヴァーチョをするたびに、「アンコーラ」と言って、合計9個のヴァーチョをさしあげよう(ヴァーチョ9連発!因みに、デズデーモナに「アンコーラ」と言ってヴァーチョのおかわりをせびったのはオテロである)。でも、遠慮深い方もいるだろうから、正解しても景品を放棄することを可としよう。

 


リラの音で失恋の痛手を癒やす(二つのネタを無理矢理くっつけました)

2022-04-19 09:05:08 | 音楽

歌子は走るフォームがバラバラ(朝ドラ)。フォームを整えればずっと速くなる。かけっこを見ると血が騒ぐワタクシである。走ると言えば、昨日のオジュウチョウサンの話で言い残したことがあった。勝利騎手インタビューで、石神騎手が手をぐるっと回して大声で「はぁーい」と言ったのを見て事情を知らない人はナニ?と思ったろう。あれは、土曜競馬を中継する番組のMCの一人のジャンポケの斉藤さんのギャグで、事前のインタビューで「もし勝ったら勝利騎手インタビューでそのギャグをやる」と約束させられて、それを実行したものである。石神騎手は真面目である。お婿さんにするならこういう人がよい。そう言えば、昔、ネコパンチが重賞を勝ったとき、勝った騎手がインタビューで、猫の手をして「にゃー」と啼いていた。あれは、自発的にやったものと思われる。これで思い残すことなく、今日のネタに入れる。シュッツの会で歌ってる「Cantate Domino」の歌詞に「psalterio」が出てくる。「竪琴」の意味だが、それで思い出した。もうじき本番を迎える麹味噌合唱団では、ブラームスのドイツ・レクイエムとアルトラプソディーを歌うのだが、後者の歌詞に「Psalter」が出てくる。こちらも「竪琴」。前者がラテン語で後者がドイツ語だからちょびっと違うが「psalterio(Psalterium)」が「Psalter」の語源であるのは明らかである。だが、「竪琴」には大きく2種類あり、一つは「Psalter」の仲間で、板に弦が張られたもの。もう一つは、リラ(ライアー)の仲間で、二本の腕の間がぽっかり空いていて(ダイソンの羽無し扇風機のよう)、そこを弦が通ってるやつである。だから、シュッツの会用に私が作った対訳で「Psalter」を「リラ」としたのは正確ではない。かと言って、「プサルター」は日本語にはないから「竪琴」あたりが穏当である。もっとも、このあたりの名称は、ヨーロッパでも混乱していて、例えば、「冬の旅」の最後の曲の「ライアー」は「手回しオルガン」のことである。もう一つ歌詞ネタ。シュッツの会では、シュッツの世俗曲も歌っている。某古楽の大家(故人)が「シュッツの音楽は謹厳で、シュッツのレコードに針を落とすとき躊躇する」なんて書いているぐらい、シュッツ=謹厳のイメージが強いが、バッハより100年前に生まれてるのに、二度イタリアに留学していて(バッハはドイツから出たことがない)、しゃれたイタリア語の世俗曲も書いている。それを歌うのも、われわれの会の大きな愉しみである。その中に、失恋の歌があって、歌詞の意味は、ざっくばらんに言うと、振られて悲しい、どうせ振られるなら、楽しかったときの思い出をすべて忘れてしまいたい、というもの。そこで思い出すのは、学生だった頃、野沢那智と白石冬美がパーソナリティを務める深夜放送。「別れた相手のことが忘れられない」というお便りが来て、お二人が「時が経てば絶対忘れちゃう」と言っていた。同感である。人間は忘却の生き物。忘れたくないと思ってたって忘れちゃう。私など、「Genug damit,genug!」(「こうもり」第2幕の幕切れより)と思っても、(私が何にgenugなのかは言わない)時が経つと、性懲りもなくまたぞろ動き出すのが常である。因みに、「genug」の訳は「十分」であるが、「懲り懲り」がぴったりの場面もあるだろう。


中高年の星

2022-04-18 09:53:26 | 日記

「目は口ほどにモノを言う」と言っても、思考は脳でするもの。だから、「お兄さん(=私)大好き」と思ってるのもここなんだよな、と思ってケメ子の脳のあたりをまじまじと眺める。ツートンカラーである。因みに、ブラックジャックの顔面がツートンカラーなのは、子供の頃、顔面に大火傷を負って皮膚移植が必要になったとき友達が怖がってみんな逃げた中、一人、黒人少年が「ボク、いいよ」と言って移植に応じてくれたから。ブラックジャックは、そのことに恩と誇りを感じ、再移植を受けることなくずっとそのままできたのである。ところで、昨日は皐月賞だったが、感動は、一昨日の中山グランドジャンプ(障害レース(人間で言うところのハードル競走)のGⅠ)にあった。オジュウチョウサンが優勝したのである。数々の偉業を打ち立てた障害レースのレジェンドも、今や11歳。若者に交じって中年のおじさんが競走するようなもの。さすがに、近年衰えを見せるようになり、そろそろ引退か、と思われたが復活のV。なにがすごいかって、3,4番手を追走していたのだが、3コーナーで騎手が促すと猛然とダッシュ。別の一頭とのマッチレースを制して競り勝った。おじさんとは思えない。体力もそうだが、差し切ってやろうという根性がすごい。この日、どれだけの中高年が勇気をもらい、そして免疫が上がったろうか。まさに「中高年の星」である。障害レースと書いたが、馬からすれば、それを飛び越えるので「ジャンプレース」ともいう。だが、オジュウチョウサンの場合、障害を越えるときの高さが極めて低い。あまり、「ジャンプ」という感じがしない。だから、ギリギリで跳んでる感じで危なっかしく見えるが、余分なエネルギーを使わないだけ経済的なのだ。私も同じだった。中学時代、100メートルハードルを専門としていて、ハードルを跳ぶ高さが相当低かったから、普通の短距離走の感じでスピードは出たが、しょっちゅうハードに足をひっかけて倒していた(それは別に構わない)。オジュウチョウサンの飛越を見て、そのことを思い出した。さて。もう一頭、注目すべき馬のお話。それはヨシオ。オジュウチョウサンよりちょっと若くて9歳。それでも、競馬では相当なベテランである。だが、成績はオジュウチョウサンとは正反対で、78戦して6勝。GⅠはもちろん、重賞を勝ったことは一度もない。GⅠに出るとたいていビリである。それでも、レースに出続けている。出走頻度は極めて高い。芝コースにも、ダートコースにも、それから障害レースにも登場する。だから知名度は抜群。そもそも印象的な名前である。いったいこれまでどのくらい稼いでるんだろう、と思ったら、なんと1億4000万円を超えている。塵も積もれば山となるとはこのこと。だから、オジュウチョウサンとは別の意味で、「中高年の星」であり、ファンがたくさんいる。そのヨシオが昨日の京葉ステークスというレースに出た。16頭だての16番人気。単勝は149.7倍である。ファンが多いといっても、やはり人間はお金が大事。実際、レースが始まると、最後方でぽつんと一人旅。ああ、やっぱり、と思ったら、3コーナーを回ってするする上がってきた。一着争いにはからまないから最後何着に入ったかテレビ画面では確認できない。ネットで確認すると、なんと9着!誰にも得をさせなかったけれど、多くの人に勇気を与えた走りであった。