拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

デリラになった私

2021-11-30 10:58:53 | 音楽
昨日は所属している男声合唱団の内輪のソロ会。内輪のはずだったが、主催者が別の合唱団に築いているハーレムから妖女軍団がどっと押し寄せてどっちかと言うとそちらが主役であった。で、私が歌ったのは、サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」からデリラのアリア「あなたの声に心が開く」。長年この曲を歌うのが夢だったが、最高音がG♭。私にとってこの高さは断末魔の叫びか泥酔したときでなければ出ない。だから移調の必要があるのだが、ピアノ・パートがかなり細かくて手入力の無償アプリでは手間がかかりすぎる。そのためずっと高嶺の花だったのだが、最近、カワイのスコメ(PDFファイルの読み取りに優れた楽譜作成ソフト)を使えるようになったので、それを使ってPDFに変換したピアノ伴奏譜を読み取らせて移調に成功。晴れてお披露目となった。もちろん、女声のパートであり、そもそもデリラがサムソンをたらしこむ歌である。怪しい歌詞のオンパレード。例えば「Verse-moi l'ivresse!」。訳すと「私にエクスタシーを注いで!」。これって「あたしをタコせて」と言ってるのと同じである(公序良俗に反しそうなので、言葉をちょっと換えた。カタカタの部分は別の軟体動物である(足の数が2本異なる))。この歌を、(生物学上の)男がファルセットで歌うことについて、最近、中性的な男性をよしとしない近隣の某国では問題になるとしても、日本はいまやジェンダーフリーの国であるから当然許されてしかるべき。「タコせて!」は、男又は女が、男又は女に言う台詞であり、その組合せは自由だから4種類である。ところで、ソロ・コンサートで歌われるときは、デリラが後奏で「サムソン、ジュ・テーム」と歌うのだが、本家のオペラでは、サムソンが「デリラ、ジュテーム」と歌う。では私はどっちで歌うべきか。以前、アルトの某さんに「イージマさん、この歌を歌いなさいよ。で、後奏で、男に戻ってデリラ・ジュテームと歌いなさいよ。イージマさんしかできなわわよ」と奨められたことがある。でもなー、男に戻るっていってももともとカウンターテナーだからなぁ。戻った感じにならないなぁ、ということで、そこだけクラリネットで吹いた。音を下げてるから、クラリネットのパートもだいぶ低くなるが、それでも音域をカヴァーできるのは音域の広いクラリネットならではである。で、結果はまあまあ。現在の実力ではあんなもんだろう。やはり原調で歌いたい。頭の中には原調がこびりついている。実際、打ち上げでたっぷり聞こし召した後は楽々原調で歌えた。だんだん調を上げていくか。その他、おやじバンドに付き合ってヴァイオリンを弾いて、あーあ、と思ったが、後から映像を見ると、思ったよりいい味を出している。世の中の人が私くらい褒め上手だったら、もうちょっと快適な人生になるんだけどな(調子に乗るからだめか)。さて。それはそれは派手なステージを繰り広げた妖女軍団も、聞けば、ものすごく緊張していたんだという。事前にものすごく練習をしたんだという。そうなのか。そう聞くと偉いものだと感心する。因みに、「妖女」と言っているのは、「美女」という用語はワタクシはお友達にだけ使うことにしているからである。なお、調を上げる=高い方に移調する。調子が上がる=上手になる。調子に乗る=図々しくなる。以上、言葉のおさらいでした。

逆縁婚

2021-11-29 10:31:51 | 日記
やっぱり強かった。NHKの実況アナが発したこの一言が、ラストランのジャパンカップで他馬をねじ伏せて見事に有終の美を飾ったコントレイルにあてはまる。因みに、同馬を管理していた矢作調教師は、「自分はまだ若い」と言っていたが、なるほど私より年下である。うん、絶対若い!さて。朝ドラを見ていて、結婚した安子が当たり前のように夫の家に入って、夫の父母と弟と同居する様子をみて、なるほど戦前の日本は家社会だったってことをあらためて感じる。最近、元生徒(今は立派な先生様)から質問されて、私自身も知らなくて調べて分かったことなのだが、戦前は、養父母と養子縁組をした後、養父母が離婚して養母が家から出て行くと、自動的に養母と養子の養親子関係が消滅したのである(今は、そんなことはない)。これなど、どれだけ「家」が大事だったかの表れである。そんな風に、妻は夫の兄弟とも当たり前のように同居していたから、夫が亡くなると、その弟と再婚することが多くあった。これを逆縁婚と言うそうで、世界的にもレビレート婚と言ってよくあることだそうだ。で、朝ドラのことである。安子の夫が戦死した。で、一般的には、昔の日本なら、弟のイサムと再婚する可能性があると思っていたが、そのことを当ブログに書けずにいた。なぜなら、私の持ってる逆縁婚のイメージは、未亡人である兄嫁に弟が「姐さん、姐さん」と言ってにじる寄るイメージであり、夫の死を涙が涸れるくらい嘆いた安子と視聴者の人気も高そうなイサムの間にそのようなイメージの再婚話をあてはめることに躊躇したのである。ところが事は一刻を争うこととなった。姑が安子を追い出そうとし、舅も安子に再婚を進め、あらどうなるのかしらと思っていたら、イサムが夜半に兄嫁の部屋を訪ねる。おおっ、もしかしたら私が躊躇する間にドラマが逆縁婚を実現してしまうのか?もともとイサムは安子に惚れていたし。これは手に手を取って駆け落ちするに違いない、これは寝かせておいたネタを早急にアップしなければ、と思った次第である。だが、イサムは安子にお金を渡して、これでこの家を出ろ、と言う(ここでto be continued)。やはり、逆縁婚にはならなそうだ。明日、どうなるかだが、私は、安子はお金を受け取らずに子供と共に家を出る、と見る。おしんも、子供を連れて佐賀の婚家からの脱出を図ったことがあったっけ。お金はあるにこしたことはないが、あのお金の出所がいかにも怪しい。ああいう怪しいお金には手を付けない方がいい。とにかく、藤本有紀の脚本は伏線張りまくり。ほら、お菓子を食い逃げしようとしたどっかのはなたれ小僧がいたでしょ。あの子も絶対後から出てくると思う。で、ワタクシのことである。いよいよ一人きり、守るべき「家」は陰も形もなくなったから、いまや名字を変えることのハードルはゼロである。

コメディア・デラルテ

2021-11-28 09:25:02 | 音楽
某男声合唱団で最近始めた曲(日本の合唱曲の中では超有名曲らしいが、なにせ私は「キリエ・エレイソン」の人間だから、全然知らない)の日本語歌詞(当然)の中に「コロンビーナ」が出てきて、指導の某子さんが、「コロンビーナ」とは「コメディア・デラルテ」の登場人物で、「サザエさん」みたいな存在と解説していたが、なるほど、サザエさんもいいが、私がコメディア・デラルテで思い浮かべるのは、落語の熊さん、八っつぁんである。あと、狂言の太郎冠者、次郎冠者も例としていいかも。すなわち、「コメディア・デラルテ」とは、16~18世紀にイタリアで流行ったお芝居の一形式で、ストックキャラクター(ステレオタイプの個性を持つ架空の人物)によって演じられる仮面即興劇である。そのストックキャラクターの一人がコロンビーナで、舞台に女性が出てきて「私はコロンビーナ」と言えば、小間使いで、アレッキーノの恋人という設定を観客は説明なしに分かるわけである。落語で熊さんが出てくれば酒好きの乱暴者で(お知り合いにクマさんが複数いらっしゃるが、いずれも事柄をわきまえた紳士であり、私の方がよっぽど熊さんである)、はっつぁん(八五郎)はおっちょこちょいということがすぐ分かるのと同様である。さて、コロンビーナの話題が出て、はっと思った。リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ナクソス島のアリアドネ」は、悲劇の舞台にコメディーがはさまる二重構造になっている(領主の館で悲劇とコメディーが上演される予定だったのが、領主が花火を見たいがために、時間がもったいない、両方を同時に演じろ、と命じたからである。幕前劇での出来事である)。で、無人島のナクソス島でおいてけぼりにされたアリアドネが独り身をかこって嘆いているところに、コメディー集団が歌って踊って登場するって話であるが、その集団の中にツェルビネッタがいる。これはまさにコメディア・デラルテのコロンビーナ。すると、ドイツでは、コロンビーナのことをツェルビネッタと呼ぶのか?このことの真偽を質すことが今回の捜査目的である。有力証拠は、コメディア・デラルテにおいてコロンビーナの恋人として描かれるアレッキーノが、オペラの中でハルレキンとして登場すること。「アレッキーノ(Arlecchino)」=「ハルレキン(Harlekin)」は明らか。その他のツェルビネッタの仲間もみなコメディア・デラルテの登場人物である。だが、「コロンビーナ(Colombina)」と「ツェルビネッタ(Zerbinetta)」は文字的には全然別。はたしてアリバイが存在した。コロンビーナはドイツ語でもコロンビーナであった。すると、ツェルビネッタは、「コロンビーナ的」な、オペラのために創作されたまったくの架空の人物(って、コロンビーナも架空だが)ということになりそうである。捜査目的は達せられなかったがまた一つお勉強をした。因みに、オペラでツェルビネッタが歌う「偉大な王女様!」は、空前絶後の難曲であり、これを空前絶後の技術と芸術性で歌い上げたのが、先日亡くなったエディタ・グルベローヴァである。

せしめたり

2021-11-27 17:50:27 | 言葉
ラブラブ・ツーショット写真の掲載について、お相手から承諾をいただいたのだが、私があまりにもにやけている。よっぽど嬉しかったのだろうが見るに堪えない。にやけ顔にモザイクをかけようかとも思ったが、逆だ、かけるとすればお相手の方である。だからその掲載は公序良俗に反するので自粛。さて。朝ドラの話だが、ヒロインの周りの人々が容赦なく戦争の犠牲になった悲しい一週間であった(「カーネーション」のときも周りの人が容赦なく犠牲になった)。そんな中で、はっ、と思ったのは玉音放送。「(ポツダム宣言の)受諾を通告せしめたり」と言っている。「通告したり」ではなく「せしめたり」となっているのは、昭和天皇が自分の手で通告したのではなく、部下に通告させたからである。つまり、「せしめる」は使役である。言葉のイントネーションすら脳内で再現できるほど何度も聴いた玉音放送だが(リアルタイムではない(当たり前)。ドラマや映画の中で、である)、そのことが気になったのは今回が初めて。多分、ドイツ語で読んでる千一夜物語で、カリフやスルタンについて、しょっちゅう使役動詞(lassen)が出てきたからだろう。なるほど、偉い人は何でも自分ではやらずに部下にやらせるんだなぁ、と感心したものだ。もし、件の通告をドイツ語で書けば、「イヒ・ハーベ ポツダム宣言の受諾 ツウコクーレン・ラッセン」となる(ちょっとボケた)。すると、今回の写真をもし掲載したならば、私は「掲載したり」であり、お相手は「掲載せしめたり」……にはならないな。なぜなら、使役動詞の主語さんは、自分の手は使わなくても意思がある(共謀共同正犯の親分を想起したまえ)。だが、今回のお相手は、掲載について渋々承諾を与えたのであり、ご自分の意思ではないからである。とにかく、掲載しなかった写真は一人でこっそり見る。一人でにやける分には公序良俗に反しない。編集後記:最後のくだり(こっそり見てにやける)は、当初案では文中の「さて」の前にあった。だが、最後にオチが欲しくてこの位置に移動したものである。たかがブログ、されどブログ。多少はおつむ(おむつ、ではない)を使って書いている。因みに、先週、武幸四郎調教師が管理する馬に武豊騎手が乗って勝ったのだが(兄弟での勝利)、歳の離れたご兄弟だそうで、武豊さんは赤ん坊の武幸四郎さんのおむつ(おつむ、ではない)を取り替えていたそうである。

二つの真心(浮気の言い訳)

2021-11-26 12:13:39 | 言葉
Sの会でシュッツを歌っていたら、歌詞に「von ganzen Herzen」が出てきた。「von」=「から」、「ganzen(m)」=「全部の」、「Herz(en)」=「心」で「真心から」という意味。問題は、「von」か「ganzen」の語尾の「n」が「m」ではないのか(タイプミス?)、ということである。元のままでも文法的にはアリ(このブログの読者は「男女のこと」(正確に言うと、「男女のことを分からない人間の妄想」)を読みたいのであり、文法の話なんか求めていないことを重々承知しているから、詳細は割愛)。心が複数あるなら「von ganzen Herzen」でよい。だが、真心は一個だろう。もし真心が二つあったら、Aさんへの恋心とBさんへの恋心の併存が可能となり、浮気者には都合のいい話になるが、「表面上」は道徳優位の日本で大きな声で言えることではない。日本に限らない。ファルスタッフは、二人の人妻に同じ文面のラブレターを書いたため、散々にやっつけられた。ということで、正しくは「vom ganzen Herzen」か「von ganzem Herzen」ということになる。前者の「vom」は「von」と「dem」(定冠詞)がくっついたものだから、前者は定冠詞あり、後者はなし、であり、とどのつまりは「心」に定冠詞を付けるか否かの問題である。例えば、ビールのような物質名詞には定冠詞をつけないが、心は物質ではない。では「vom ganzen Herzen」かと思いきや、辞書にあるのは「von ganzem Herzen」(定冠詞なし)の方。なぜだ?ググってみたら、同様の質問についてやりとりをしているドイツ語のサイトにぶち当たった。おお!ドイツ語ネイティヴも同様の疑問を持つようだ。で、「von ganzem Herzen」が正しい理由について「しゃべり言葉の慣用」だから、と答えている人がいた。慣用と言われてしまえばもはや逆らえない。とりあえす、Sの会で、「一応『von ganzem Herzen』でやりましょう」と言ったことを訂正する必要はなさそうだ。だが、同様の疑問は他にもある。ヴァーグナーのオペラ「ローエングリン」(これはSの会とは関係ない(にもかかわらず、会でその話をする何でもありのワタクシ))で、ローエングリンがとうとう自分の素性を明かすとき「in fernem Land」(遠い国で)で歌い出すのだが、これだって「im fernen Land」じゃいけないの?という疑問を私は常に持っている。こっちはヴァーグナーが書いた歌詞であり、一般に使われる慣用句ではないので、解決のためのヒントはいっそう少ない。被疑者ヴァーグナーに対する捜査は迷宮入りの様相を呈している。

政略結婚

2021-11-25 19:51:52 | 日記
今日の朝ドラの後のあさイチで、鈴木アナウンサーが泣いていて、うんうん泣ける話だったけど、それにしてもびっくりするくらいの号泣。プライベートでなにかおありだったの?私もね、私生活でいろいろあったときにグルベローヴァのノルマ(演奏会形式)を聴いてとめどもなく涙が出ましたよ、と思ったらあなた、私、決定的な思い違いをしていた。ナレーターが「金太が亡くなったことが伝わったのは翌朝のことだった」の「金太」が甲本さん演じるお父さんのことだと思わず(だいたい、私は、登場人物の名前を覚えない。顔もなかなか覚えられない。人の判別は声でしている)、お店で働いていた職人の誰かかと思っていた。後から知って、遅ればせながら、昼の再放送で泣かせていただきました。このドラマ、展開が早いから、ブログに書くのをさぼってるとあっと言う間に大昔のことになってしまう。ということで、慌てて、安子の結婚のときの話。お相手のミノルは当初、銀行の頭取の娘の縁談が進んでいた。政略結婚である。それを破談にして安子と結婚したのである。ドラマ的には「良かったね」だが、あさイチの大吉さんも言っていたが、破談にされた方の頭取の娘の立場になれば相当に辛い話だ。頭取の娘=わがまま放題の高慢ちき。だから、破談にされても構わないということか。しかし、もしかしたら、福祉活動に精を出す優しい娘さんかも知れない。結婚相手に思い人があると知って、自ら身を引いたのかもしれない。だったら、それも大いに泣ける話である(「コープスブライド」って映画があって、生きてる青年が死んでる女性(骸骨の花嫁)と結婚することになったのだが、「骸骨の花嫁」が青年の恋人(生者)の存在を知り、自ら身をひき、体が蝶々になるエンディングを見たとき、それこそ、私は、全身の水分がなくなるかと思うほど泣いたものである。あのときも、私生活でいろいろあったときである)。体の水分と言えば、最近新作が公開された「砂の惑星」に出てくる砂漠の民(フレーメン)は、人が死ぬと水を抜いて、その水を貯める。それだけ水が貴重なのだ。そう言えば、フレーメンの救世主となった公爵の息子・ポールは、その間に子をもうけたフレーメンの娘がいるにもかかわらず、自ら宇宙帝国の皇帝となるため、皇帝の娘と結婚する。これも政略結婚である。だが、小説を読んだら、件のフレーメンの娘に対して、結婚しても自分が愛するのは君だけ、皇帝の娘には指一本触れない、皇帝の娘は読書が好きだからそっちで満足してもらう、とか言っている。これも、皇帝の娘の立場に立って考えればひどい話である。本を読むために結婚するのではないだろう(「フィガロの結婚」で、伯爵がスザンナ(ホントは伯爵の妻)を四阿に連れ込もうとすると、スザンナが「暗くてこわい」と言うので、「本を読むんじゃないんだから」と言う。私の好きなシーンである)。この場合、妻(皇帝の娘)がとれる対抗措置を考えてみよう。その1。婚姻の無効を主張する(日本の裁判例では、「ホントの夫婦となる意思」(実質的意思)のない婚姻は無効である。でも、日本じゃないし……)。その2。男を作る(私、その男になってよくってよ!)。因みに、砂漠の民の名は「フレーメン」だが、猫が臭いものの臭いを嗅いだときに口を半開きにする反応を「フレーメン反応」という。両者に関係はなさそうである。朝ドラに戻る。ミノルの父親を演じたのは段田安則さん。「ふたりっこ」で演じた「お父ちゃん」は、結婚も駆け落ち同然だったし、結婚した後はオーロラ輝子と駆け落ちしたような愛に忠実な人物。だから、息子の政略結婚を破談にして安子と結婚させた姿に、段田お父ちゃんはこうでなくっちゃ!とガッテンしたワタクシであった。

組立マタイ完結

2021-11-24 21:30:34 | 音楽


「組立マタイ」完結!今朝、1st軍団の先鋒・フルシが登場して残りの駒は2騎。ストバイ(1stバイオリン)と1stオーボエ。一位はどっちちだ……って、順位を競ってるわけではない。順位を競うんだったらまるでAKBの総選挙はたまた「好きなゴジラ怪獣アンケート」である。因みに、ゴジラ・アンケートで、私の大好きなラドンが第3位に登場した後、残ってるのはキングギドラとモスラ。発表された2位がまさかのキングギドラ。ってことは1位はモスラ?キングギドラでしょー。では、「組立マタイ」の2位はどっちだ(それで1位も決まる)。じゃじゃーん。ストバイ!ってことは、一位はストバイ(だから順位じゃないって言うのに)。沸き立つ1stオーボエ陣営。沈むストバイ陣営。では、両者に演奏していただきましょう。動画の前半がストバイが加わったもの。後半は更にそれに1stオーボエが加わったもの。ただ、毎回スピーカーから流れる動画の音声に併せて演奏したものだからノイズの加わりようも半端でない。そもそも楽器を重ねることなど考えずに、チェロの進捗具合をアピールするため、マタイの冒頭の通奏低音を弾いて公開したのがきっかけである、だが、ここまでノイズが大きいと、もはや技量の良し悪しの判断のしようがない(しめしめ)。いや、聞こえる音がどうであれ、私は聴く耳を持っている。自分の演奏の良し悪しは客観的に分かる。人がどう思うではない。だから、下手だねと言われて必要以上に落ち込む必要もないし、上手いねといわれて勘違いの浮かれぽんちきになることもない。なーんて悟ったようなことを言っているが、「自分との戦い」はついこのあいだMVPを獲ったショーヘイ・オータニの受け売りである。まあ、それも良かろう。人間、何歳になっても「過ちては改むるに憚ること勿れ」。レースから遠のいていたF子(フルートシップ)とO子(オーボエーブル)が走る気を見せたことは大収穫だ。

組立マタイの1st軍団一番乗りはフルシ

2021-11-24 09:32:31 | 音楽


シリーズ「組立マタイ」は第6弾にしていよいよ1st軍団の登場。さあ、1st軍団の中の一番乗りは誰か?おおっ!フルシだ!「怪獣総進撃」で決戦の場に最初に現れたのがミニラだったときと同様の驚き。なにせ、気性面に問題があり、ゲートを出なかったこともあるフルシ(フルートシップ)。そう言えば、このシリーズでは2nd軍団の一員として既に走っている。気性面が多少は改善されたか。ははーん。また、ふてくされる前にさっさと使っておこうという調教師の判断だな。1st軍団の登場でようやく全貌が見えてきた。シリーズも後わずかである。因みに、昨日のヴィオラ・オーディションで合格したのは弦子。だからヴィオラ・パートは弦子である。

組立マタイ第5弾はヴィオラの代役

2021-11-23 12:28:14 | 音楽


組立マタイ第5弾はヴィオラ……は持ってない。代役候補はB子(クラリネットB管)と弦子(ヴィオリン)。この2名でオーディションを実行。映像前半はB子。もともと両者の最低音は全音違うだけ(A子なら半音)。演奏部分は音域を完全にカヴァー。あらためてクラリネットの音域の広さに感嘆。だが、音色が異なる。後半は弦子。こっちは音色が近い(当然)。だが、最低音は5度の差。ここでは二個の音をオクターヴ上げた。さて、オーディションに勝つのはどちらだろう。勝った方が今後の組立の基礎となる。

組立マタイ第4弾はフルシ

2021-11-22 10:23:53 | 音楽


「組立マタイ」第4弾は予定(ストバイ)を急遽変更して、まさかの2ndフルシ(フルートシップ)。気分屋のフルシ、ゲートを出るかどうか心配されたが、今日はとりあえずは走ったようだ。用語解説:「ストバイ」=「ファーストバイオリン」。「フルートシップ」=「ゴールドシップ」のもじり。ゴールドシップ(馬)は、能力はあるのだが気分屋で、ゲートが開いたのに出なかったことがある。競馬と言えば、昨日、大好きな牝馬・グランアレグリアがG1を勝った。引退レースを有終の美で飾った。ところで、ビデオをアップするとき、いったんユーチューブに上げて、それをブログでリンクし、更にそれをFBでリンクしていたが、あるときユーチューブにアップしようとすると「予期せぬエラーが発生しました」というメッセージが出てアップできなくなった。それで、FBに直接アップした。いまでは再びユーチューブにアップできるようになったので、こうして従来方式でアップしている。ただし、「組立マタイ」シリーズは「直接アップ」で始めたので、FBでは、最後まで「直接アップ」でいくつもりである。因みに、ユーチューブにアップできなかった原因は、知らぬうちにログアウトしていたため。だったら「予期せぬ……」なんて言わないで、「ログインしてません」とか言ってくれたらよかったのに(と、人のせいにする)。

トリオ復活!

2021-11-21 10:03:39 | 音楽


木管トリオ復活!そのほか、日替わりで通奏低音のピアノを弾いてくださったり歌でつきあってくださるメンバーのおかげで、楽しい「手作りバッハ」であった(シュッツの会だが、「楽器と歌おうコーナー」ではカンタータをやる)。木管トリオといいながら弦楽器があるのは、秋葉原の電気店がもはや無線屋さんでなくても何とかムセンと名乗るのと一緒で、いまや固有名詞である。もともと別の会で活動していたが、活動拠点をシュッツの会に移した後にトリオが勢揃いしたのは昨夜が初めてである(だから「復活」と銘打った)。ありがたい仲間にめぐまれた。シュッツの会も、夢は広がるばかり。K田美男が推すマショーの「ノートルダムミサ」も将来歌うつもりだし、コロナで活動が中断する前に歌っていたブクステフーデの「メンブラ」は、楽器がたくさん入る曲で当時は口三味線やリコーダーで補っていたが、現在の会は楽器の可能性が無限にあるから、今度は相当に面白くできると思う。是非、やりましょう!で、ワタクシのことであるが、今年に入ってデビューした楽器は今回のチェロが三つ目。これまでで一番危機感を感じ(なにしろ手にしてから2か月後の強行デビューである)、だからものすごく練習をし、その結果、やけ酒になると思われた「反省会」のお酒はとっても美味しかった(この日、通低をかっちり弾いて下さったメンバーのピアノに乗っかるだけでよかったことが大きい。ありがとうございました。因みに、ワインが美味しかったのは皆にとっても同じだったらしく、なんとこの私が飲む前にすぐにデカンタが空になり、何度もおかわりをした)。私は、自慢じゃないが、練習嫌いの怠け者。だが、今回は相当練習したよなー。やはり練習は嘘をつかない。たくさん練習をしてたくさん寝よう(寝ると頭の中で勝手に復習をしているらしい。次に起きたとき不思議とうまくなっている)。それにしても、チェロで弾くレチタティーヴォの通奏低音は気持ちがいい。♪(なんとか)ズーン、(かんとか)ズーン、(なんとかかんとか)ズン(ソ)、ズ(ド)ーーーーン。この感じ! クセになりそう。因みに、われわれ木管トリオが活動拠点を移して継続しているのと同様、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」も掲載誌を変えながら連載が継続した。(初期の)単行本の第4巻のエンディングで「その後のサイボーグ達の行方は誰も知らない」と言っておきながら、しらーっと第5巻以降が続くのもそこで掲載誌が変わったからである。私は、サイボーグ009のシリーズの中では、第5巻と第6巻に掲載されている「地下帝国ヨミ編」が最高傑作だと思う。それから、今回の写真だが(撮影・提供=M美女。M美女様、ありがとうございました)、私はいいとして、他の2美女がマスクをしているのがもったいなかったという意見があったが、なんだか千一夜物語みたいで淫靡でいい感じだと思う。追記。この日はチェロのほかにヴァイオリンも抱えていて、加えて譜面台の入ったバッグもあったから、私の風情は、昔、京成線でよく見かけた行商のご婦人風だったと思う。

ボロが重なるとボロボロ(それでもいい日だったと思う)

2021-11-20 09:59:12 | 音楽
「組立てマタイ」シリーズは並行してやるとして、文章も書かなければそれは「物言わぬは腹ふくるるわざなり」。ということでいきなり本文。満票でMVPをとったショーヘイ・オータニの記者会見で印象に残ったのは「二刀流について日本よりアメリカの方が受け容れてくれた」という発言。そうだった。日曜日の朝、「喝っ」と叫んでいるおじさんをはじめとして、多くの「専門家」が「二刀流は無理」と断じていた。そう言えば、パイオニア・野茂が大リーグに挑戦するときも「専門家」の多くが「無理」と切り捨てていた。普通じゃないことに挑戦する人の足を引っ張る国民性である。中国のことをなにかと批判するアメリカは、じゃあお前はどうか?と言えば、言いがかりをつけて他国に攻め入ってその国をめちゃくちゃにして後から間違いでしたと言う。とんでもないことである。人種差別にまつわる事件は今でも後を絶たない。が、オータニサーンを受け容れる度量の深さはさすがである。見直した。いや、日本にだって偉い人はいる。あさイチにゲストで登場した若宮正子さんは81歳でゲームアプリを開発した方。現在は80代半ばだが(亡母より3つ年下)、いまだ進化し続けていらっしゃるそうだ。やりたいと思ったことは「肩肘あらずにとりあえずおやりなさい」とおっしゃる。はーい!やりたいと思った楽器は深く考えずにすぐポチってまーす!ひとつ心残りだったトロンボーンも絶対ポチりまーす!って、これ以上増やさないって決めたのに、いったいどうやりくりするつもりかって?だーかーらー。そういうことを考えないでとりあえずやりなさいというのが若宮さんの教えである(すみません、偉い人のお話を自分に都合良く解釈してます)。因みに、「組立てマタイ」にはフルートが必要。弱気になったフルートを思わず引っ張り出したくらいアドレナリンが出ている昨今。だが、現実が立ちはだかることもある。次あたりは1stヴァイオリンが加わりそう。その後、シリーズの更新がなくなったら、フルートで挫折したと思ってもらってまず間違いない。因みに、楽器を重ねると、個々のボロが目立たなくなると思っていたのだが、現実は、ボロが重なってボロボロになることが分かった。それでもめげるものか。「いいことも悪いこともあったうえで、いい日だったと思う」。ショーヘイ・オータニの言葉である。「ボロもボロボロもあったうえで、いい日だったと思う」。オータニサーンの言葉をぱくった私の言葉である。