拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ギブ&テイク

2022-06-02 18:42:53 | 

 

朝方、「泣く」について書いた。その話の関連だが、チコちゃんだったかで聴いた話なのだが、ペットを触る→幸福ホルモンが出る→涙が出る、との方程式が成立するそうである。そうすると、私が朝ドラを見て泣くのは猫のせい、ということになる(猫を触って幸福ホルモンが出て、それで泣くという因果の流れ。だが、現行の朝ドラで泣いたことはない。逆にしょちゅう怒っている)。猫は猫で、なでられて嬉しいからギブ&テイクの関係が成り立っている。ただし、そこには若干の齟齬がある。猫は頭を撫でてほしいのだが、私は肉球に触れたい。だが「頭をなでろ、だが肉球は触らせない」ではギブ&テイクの関係が成り立たない。そこのところは、うちの猫たちにも理解してもらって、頭を撫でた後はしばらく肉球タイムにしてほしい。写真は、ケメ子が肉球に触れさせてくれてるとき撮ったものである。ベストは、右手で頭を撫でつつ左手で肉球に触れること。この手を使えば、頭を撫でてる間、ずっと肉球を楽しむことができる。


泣き真似

2022-06-02 08:28:24 | 日記

レストランのオーナーのイタリア語「come」(コーメ)が「米」に聞こえた(朝ドラ)。リゾットかドリアを作るのだろうか。「ミラノ風ドリア」はサイゼリヤの看板メニューである。

さて。私が物心ついて最初に見た大河ドラマは1966年の源義経。印象的なシーン(覚えてるシーン)はたくさんあるが、その一つは、頼朝が義経を滅ぼした後、「九郎は、まだ○○歳であった」と言うシーン(○○に入る歳は覚えていない。義経の享年はネットで分かるが、数えで言ったのかもしれないし)。そのとき、私は母に「頼朝は自分で殺しておいて、なんであんなことを言うの?」と聴いたことを覚えている(返事は覚えてない)。とにかく、このドラマのおかげで、私は「判官びいき」になった。平氏と源氏では、当然、源氏のファンであった(過去形)。同様のシーンが今回の「鎌倉殿の13人」にもあって。義経の首の入った黒漆塗りの櫃に頼朝がすがりついて「くろ~、くろ~」と泣く。もし私があのときと同様に子供だったら親に同じことを聴くだろう。あるいは、もし私に現在小さい子供がいたら同じことを聴かれるだろう。そのとき何と答えるか。聴かれる予定はないが、一応回答を整理してみた。①②③④は大分類であり、ⅰⅱはその内訳である。
①本当は殺したくなかったから。なのに殺した理由は二つ考えられる。
  ⅰ義経が勝手なことをして統制が乱れるのでやむなく殺した。
  ⅱ義経の勢力が強くなって自分に敵対するかもしれないのでやむなく殺した。
②殺したくて殺したが後悔したから。なぜ後悔したか、については二つ考えられる。
 ⅰ血を分けた弟だからやはり後から悲しくなった。
 ⅱ義経が化けて出るかもしれなく怖くなった。
③泣けば副交感神経が優位になるので、心の安寧を得るために泣いた。
④あれは泣き真似。いい人だと思われたかったから泣くふりをした。なお、演じた大泉洋が泣き真似なのはたしかである。芝居なんだから。

因みに、「義経」でググったら「義経の首」がヒットした(怖)。大河の影響だろう。櫃の中の首は、腐敗を防ぐために酒に浸されていたという。頼朝に脅されて義経を討ったのは藤原泰衡。その泰衡は頼朝に討たれた。頼朝の身内を殺したというのがその理由である(自分でやらせておいて)。さらに、泰衡の首を持ってきた二郎(泰衡の家来)の首をはねた。主人を裏切ったというのがその理由である(自分でやらせておいて)。頼朝はそんなんばっかり。討たれた義経だって、壇ノ浦の戦いでは戦闘員ではない船の漕ぎ手を集中して攻撃した。身内の間で殺し合いばかりしてるし、源氏って野蛮。「源氏のファンだった」と過去形で書いたのはそのためである。思えば、源平合戦で源氏が勝ったのは当然である。野蛮人の方が戦いに強いに決まってるから。

因んだ法律論を一つ。頼朝に促されて藤原泰衡が義経を攻めて、義経はお堂の中で自刃した。直接の死因は自刃だが、これは自殺とみるべきではなく、被害者自身を道具として用いた泰衡の殺人の間接正犯であり、頼朝はその教唆犯であると解するものである。