拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

第四の鳥(田園)

2020-08-31 13:54:50 | 音楽

龍角散のCMのBGMは田園である。田園とはベートーヴェンの田園のことである(と言わないと、玉置浩二の田園と思う人がいるかもしれない)。CMは第5楽章だが、第2楽章には「Scene am Bach」(小川のほとりの情景)という副題が付いている。なるほど、8分の12で「ティーラッラ、ティーラッラ、ティーラッラ、ティーラッラ」と奏でるのは清流の流れのよう。すると、途中で、8分音符が16分音符になって「ティラティラティラ、ティラティラティラ……」となるところでは水流が早くなるのだろうか。演奏によっては(ベームとか)途中で止まりそうになる。そこでは流れがせき止められているのかもしれない(でも、ベートーヴェンは、勝手に止まるなと言って怒るかもしれない)。この楽章のエンディングは、鳥がさえずることで有名。フルートがナイティンゲール、オーボエがウズラ、クラリネットがカッコウである……のだが、私には、もう一羽まぎれてるように聞こえる。二度目のさえずりに入る直前のファゴット(写真の丸印)も私にはさえずり……というか、ナイティンゲールのさえずりを真似ようとして誰かがフライングをしたように聞こえる。誰だろう。随分低い声だ。鳥じゃなくてウシガエルだったりして。

ノセダの「運命」

2020-08-30 12:14:08 | 音楽

ベートーヴェンの「運命」の冒頭の「ソソソ♭ミー」の「ミ」よりも、対の後半である「ファファファレー」の「レ」の方が1小節分長いという話を書いた。冒頭に限らずその後も同様であり、例えば、冒頭から数秒後の「ソソファ♭ミッ、ドッ、ソー」の「ソ」(写真の緑の部分)より、直後の「♭ラララファー」の「ファ」の方が1小節分長い(挿入された1小節=ピンクの部分)。ところが、過去のほとんどの演奏はそうなっていない。例えば、フルトヴェングラーなどは「ソ」がやたらに長く、長いはずの「ファ」はさらっと切れる。カラヤンやクライバーもせいぜい同じ長さである。そもそも、ベートーヴェンは今フェルマータが付いてる音符に当初はフェルマータを付けていなかった。強調するためすこし伸ばそうかな、その場合は対の後半を少し長くしようかな、って感じである。だから、スコアを頭に入れてから聴くこの曲はどの演奏にも違和感が残った。それを見事に解消したのがノセダ(指揮者)の演奏である。フェルマータはほとんど付いてるか付いてないか。そして、対の後半の挿入された1小節もちゃんと振っている。その結果たる演奏やきびきびして俊敏そのものの。すっきりした。ロマン派の息のかかった指揮者が改変してできた「まがい物」がじょじょに修復され、ようやく元の形が見えたという印象である。因みに、ノセダを「ノセダ」と発音すると、まるでノセ田(能勢田?)さんのようで、日系ぽい。しかし、ノセダはイタリア人だからセーである。そのノセダの「運命」は、チコちゃんで指揮者の特集をしたとき、「運命」は指揮者によって大きく違う例の一つとして使われていた。そのときのお題は「指揮者は何をしているかのか?」で、解答は「未来を指し示している」、そのココロは「タクトが振り下ろされてもすぐ音が出てこない」だった。それが常識なんだろう(特にオケの場合は)、と思っていたが、そうでもないのかな、と思ったのは名指揮者ショルティのインタビューを聴いたとき。ショルティは、特にウィーン・フィルなのだが、振ってもすぐ音が出てこないのがいやなのだそうだ。「ぼくは、タクトを下ろしたらすぐ音が出てほしんだよ」と言っていた。きびきびした指揮をするハンガリー人のショルティらしいと思った。さきほど、ロマン派の息のかかった古い指揮者は曲を改変したと書いたが、みんながみんなそうではない。例えばトスカニーニは、フルトヴェングラーよりも先輩だが、きっちりかっちりである。だが、決して機械的ということでもなく、例えば、トスカニーニが振ったボエームの「冷たい手」では、振りながら興奮して唸っているトスカニーニの声が聞こえる。

ウィーンフィルが奏でるスターウォーズ(圧巻)

2020-08-29 16:25:03 | 音楽

ドイツのニュースで日本の首相の辞任を伝えたのはほんの一瞬。「日本の安倍首相が辞任した。彼は日本の政治に安定をもたらしたが、ここのところはコロナの対応について批判されていた」。これだけである。相変わらず日本への関心の薄いドイツであった。その安倍政権、最長記録だそうだが8年弱。うちのCD・レーザーディスク・コンパチブル・プレーヤーは23年もった。離婚して一人暮らしが始まったときの「心の友」である。一度修理して以来ずっと元気だったが、このたびトレイがしまらなくなった。写真だと大きさが分からないかもしれないが、レーザーディスクを乗せるトレイだから30センチはある。こんな大口が開いたままラックにおいとくわけにはいかないので(猫がジャンプして飛び乗ったら事故である)、ラックから撤去。でも捨てない。そのうち、ひょっこり治るかもしれないので。レーザーディスクの再生機はこれが二代目。初代はレーザーディスクが世に出てすぐ、ビデオデッキを買うより先に買った。ばかでかかった。目的はスターウォーズを観るためである。スターウォーズの音楽は、言わずと知れたジョン・ウィリアムズ。私は、ジョン・ウィリアムズの音楽に心酔している(スターウォーズが好きな理由の半分は音楽)。そのジョン・ウィリアムズが、このたびウィーンの楽友協会大ホール(金ぴかホール)で、ウィーン・フィルを相手に自作の曲を指揮。ゲストはヴァイオリンのアンネ・ゾフィー・ムター。その様子を収めたブルーレイを買って視聴。素晴らしいなんて言葉が陳腐に思えるほど素晴らしい。この映像を見ることができて、本当に生きてて良かった。こんなに美しいスターウォーズ(のほか、数々の彼の映画音楽)を聴いたのは初めてでる。さすが、ウィーン・フィル。メンバーも、演奏するのが楽しくてしょうがない様子。スターウォーズのメインテーマなど、にっこにこしながら弾いていた。ムターのヴァイオリンも素晴らしかった。会場は、演奏前からスタンディング・オベーション。あのくらいの大家になっても、やはりウィーンに受け入れられるが不安だったというが、ジョン・ウィリアムズは、音楽の都を完全に征服した。アンコールは、スターウォーズから帝国のマーチ。団員の希望で演奏することになったとか。金管がテーマを吹く前から、激しく刻む弦が鳴り始めてすぐ客席から盛大な拍手。この金ぴかのホールで、序奏で拍手が起こるのはニューイヤーコンサートのときの「青きドナウ」とこの曲くらいのものである。

運命と田園の出だし(テレビの「演出」)

2020-08-28 12:11:54 | 音楽
昨日のブログは、「本題の前に」と言って結局、本題に入っていなかった。本題は、おとといちょびっと書いた「オーケストラはやってきた」の続き。それをjetzt書く。番組MC氏(大きいことはいいことだ♪で有名……って、分かる人がいるか?)が、第九の第1楽章の導入部について「見えそうでなかなか見えない」ところがいい、ストリップもそうだ、とおっしゃった(ここまでは一昨日書いた)。すると、その日指揮をしていた「世界の某」がちょっとちょっとって感じでMC氏の肩を叩いた。庶民的なMC氏に泥をかぶらせて、それを「世界の某」がたしなめるという演出である。世界の某が本心から「やめとけ」と思ったかどうかは知る由もない。他の番組同様、この番組も演出(やらせとも言う)が多かった。例えば、俳優の某が自作のピアノ協奏曲を披露したとき、某はピアノを弾きながら指揮もしたのであるが、そのとき、オケがあからさまにずれた。某は、だめだめと言ってオケを止めてやり直し。「オケを統率する某」のイメージを狙った演出であることは明らかだった。それから、この番組には「1分間(5分間だっけ?)指揮者コーナー」っていうのがあって、聴衆の中の希望者がオケを振るというコーナーだったが、ある日、指揮台に登ったのは中学生らしき男子と女子。男子は運命の第1楽章を振ったが、そう、たしかに振ったというか、暴れたのだが、オケがまったく出ない。そんな下手な指揮では出るものも出られないよって感じ。その後登場した女子が振ったのは田園の第1楽章。打って変わってオケは見事に反応。その女子は「上手」と褒め称えられた。しかし、異議ありである。たしかに男子の棒はなってなかったと思うが、プロのオケなんだから、暴れてる指揮者など無視してコンサートマスターの合図で出られるはずである。そうせずに中学生男子を見殺しにしたのは、その後の田園女子を持ち上げる演出だあろう。哀れな運命男子。彼は、あそこで指揮をしたことでその後音楽を絶ったかもしれない(あるいは、「オレ、テレビの公開番組で運命を振ったんだぜ、すごく受けたんだぜ」と自慢してるかもしれない。なら良いのだが。まあ、受けたのは事実である)。それに、実は、出だしは運命より田園の方が易しい。どっちも同時期に書かれた曲だから印象以上に共通点が多く、テーマは八分音符の後、1拍目の裏から始まるところは同じである。しかし、実は、田園は低弦が小節の冒頭から出ている。だから、普通に棒をおろせば、低弦がすーっと出て、その上でヴァイオリンがテーマを弾いてくれる。この点、運命は、全パートが裏から出るからよっぽど難しいのだ。かのフルトヴェングラーの1947年の録音でも見事にフライングをしているパートがある。テレビのやらせと言えば、音楽からはそれるが、飼い犬と散歩中に飼い主が(わざと)倒れたらわんこはどんな反応をするか、という実験番組があった。何組かの飼い主役とわんこが登場。飼い主から解放されて大喜びでその辺を走り回るわんこもいれば、心配そうに飼い主にくんくんするわんこもいる。ただ、どうも変だなというのがあった。しきりに飼い主の胸のところをくんくん嗅いでいる。しばらくたって、「犬の行動を実験する番組で、飼い主役が胸に犬の好物をしこんでいたやらせがあった」という報道があった。私は、すぐ、あの番組だと気がついた。

錠前屋

2020-08-27 11:20:14 | 音楽

本題の前に昨夜のコロンボについて。酔っ払いの一回の視聴であの複雑なストーリーを理解するのは難儀である。説明のない一瞬のシーンがキーだったりするし。で、昨日のその「一瞬のシーン」はコロンボが錠前屋に入るシーン。その店が錠前屋だと分からせる情報は看板の「locksmith」の文字だけ。「錠前屋」とのテロップも入らない。私は、一回目の視聴で完全に見逃していた(録画を見て気づいた)。そもそも「smith」が「鍛冶屋」だと知ったのだって最近である。ヴァーグナーの「指輪」に出てくるドゥワーフのミーメは「Schmied」(ドイツ語)。「Schmied」が鍛冶屋だってことは、ミーメがいつもとんてんかんやってるからよく知っている。その「Schmied」が英語だと「smith」になることを知ったのが最近のことなのだ。英語が分かる人にとっては、それってわざわざブログに書くほどのこと?と思われるだろうが、私にとっては「Schmied」=「smith」の発見は大事件である。最近、家の中でイモリだかヤモリを発見したのに勝るとも劣らない大事件である。そう、夜中に猫の水飲み場でイモリだかヤモリを発見した。だめだよ、こんなところに出てきたら。ケメ子やワサビにみつかった食われるぞ。いや、ただ食われるだけではなく、さんざなぶられたうえで食われるぞ。早くものかげに隠れろと促したワタクシ。そういう童話があったよな。鬼だか巨人だかの家にもぐりこんだ人が、鬼だか巨人だかの母親にかくまわれて、鬼だか巨人だかが寝てるすきに逃げるって話。グリム童話には確実にあるが(そこに出てくるのは巨人だが)、日本の童話になかったっけ。あったとすれば、そこに出てくるのが鬼だ……ということで、今回も、オペラの話がちらっとからむので、ジャンルは「音楽」になるのであった。

葉山でランチ/妻の流用

2020-08-26 10:43:59 | 音楽

葉山の某レストランで接待ランチ。高級店だからワインのボトルはカウンターに置かれ、グラスが空いたら注ぎにくる……はずが、空いてるのにちっとも注ぎに来ない。カウンターの上のボトルを注視し、早く来い、と念力を送っていたら、接待相手の一人が、イージマさんが黙ってる!と言ってびっくり。のべつ幕なしにしゃべっているので、たまに黙ると異様に映るらしい。せっかく逗子・葉山に行ったのに海岸の散歩はなし。まあデートじゃないからね、接待だからね。その代わりに逗子駅前のスーパーで東京では見ないラーメンを発見、さらにその先の店で高級ワインが驚くほどの安値に売られている。今回はフロンサックを買ったが、次に行ったらバローロを買うつもりである。接待とか言って、ワインは結局私が一人でほとんど飲んで、帰宅したらグロッキーで即寝。例によって変な夢を見た。私が母に、こんど結婚することになった、と報告する夢である。すると、思っていたとおり、「お母さん(自分のこと)はどうなる?お母さんの面倒は誰がみるんだ?」と言ってキレた。じゃあ、母は、私がずっと一人でいればいいと思っているのだろうか。夢はさらに変な方向に行き、母の顔と声が全然違うと思ったら、別人が母になりすましていた。まるで赤ずきんちゃんに出てくる狼である。以上、あくまで夢の中の話であるが。実際は、母のことは施設に任せっきりで、最近はコロナのせいで面会謝絶であるため、次に行ったとき私を私と認識するか不明である。それはそうとして、目覚めた後も夢の続きを夢想する。母にそう言ってなじられた私はそのことを婚約者に言う。すると、「えーっ、あたしをお母様に紹介してくれないの?あたしのことを受け入れてくださらないってことっ?」となじられる。いや、いい方法があった。婚約者を母んとこに連れていって、しらっと「今日はぼくの奥さんを連れてきたよ」と言う。すると、母は「あれ、お前に奥さんいたっけ」「いたよ、ぼけたんじゃないの?」「でも、この人だっけ。(婚約者に向かって)ちょっと顔が変わった?」。夢では母が入れ替わったが、夢想では奥さんが入れ替わった。ここで私が「そりゃ、随分会ってなかったから」などと言ってはいけない。ここまではもっぱら母のボケを利用する不作為の詐欺だが、最後の台詞を言ったら作為的な詐欺になる。いずれにせよ、これは「妻の流用」である。なお、銀行へのローンを返し終わったのに抵当権の登記を抹消しないでそのままに残しておいて、次にローンを組んだときに消していなかった抵当権を流用するのが「抵当権の流用」であり、原則無効である。……このくらいにしておこう。以上は、結局、すべて夢と夢を土台にした夢想である。奥さん予定者もいないから、どう紹介するかっていうのは無用な心配であった。因みに、上記の「幻の奥さん」は、私の母を「お母様」と言った。人の親だから尊敬を込めてそう言ったのだろうが、これ、どういったalternativeがあるだろう。下町のちゃきちゃきなら「おめんとこのクソババー」。ジャニー喜多川氏風なら「ユーのマザー」。英語ならドイツ語だろっていうと「お宅のムッタ」。蝶々夫人なら「トゥア・マードレ」。歌劇「蝶々夫人」には胸を打つ歌が多いが、第2幕で歌われる「Che tua madre」も切ない歌である。この最後の部分でもって、今回のジャンルも「音楽」になるのであった。

マイナポイント

2020-08-25 08:52:08 | 日記

痴性あふれるIijima-sanのブログ、今日も早口でまいります!早口で、と書いた手前、あせって入力をしている私であるが、その苦労が紙面に現れないのは残念である。さて。Uさんに作っていただいた合唱用マスクを、昨日、某男声合唱団で初めて実戦で使用。実に歌いやすい。これまで、マスクをしながら歌うと眼鏡が曇るので眼鏡をはずして歌っていたが、曇ることもない。まっことすぐれものである。あまりに気に入ったので、紹興酒を飲むときもご覧の通りである。話は変わる。マイナポイントの手続は、言われてるほど面倒くさくない。で、利用サービスを選ぶ段になって、持ってるクレジットカードのどれに適用があるのか調べるのが面倒なので、PASMOにした。PASMOなら、確実に使うし……と思ったのだが、手続後に気がついた。コロナ禍で外出の機会がめっきり減っている。最近はひとつきに一回くらいしかチャージしていない。マイナポイントは、25%還元で5000円が上限、期限が来年の春ということだと、それまでに2万円のチャージを受けなければ十分ポイントの恩恵を受けることができない。こうなりゃ、日々の買い物も使える所では全部PASMOだ。因みに、家計簿をつけるとき、PASMOのチャージ分は交通費に計上しているのだが、これで買い物をした場合は、例えば内職費を計上したときはその分交通費を控除しなければいかん。そう、痴性あふれるIijima-sanは家計簿をきっちりつける模範的な主夫である。

クライバーの田園~ストリップ

2020-08-24 09:55:15 | 音楽

カルロス・クライバーの田園(ベートーヴェン)は、彼のディスコグラフィーの中でも最晩年のものであるが、初めて聴いたときはその速さと賑やかさにびっくりした。それまで愛聴していたベームのものとは全然違う。第1楽章は、「田舎に着いたときのheiterな気分の目覚め」という表題が着いているが、ベームの演奏からイメージしたその「heiterな気分」は、鳥の声を聞きながら自然の中の遊歩道をゆっくりと歩いたときのような、ゆったりとしたすがすがしい気分であった。だが、あらためて辞書で「heiter」を引いてみると「愉快な」「朗らかな」「陽気な」「賑やかな」さらに「上機嫌の」「ほろ酔い気分の」とある。すると、それこそ「go to」を批判している人達が「旅行に行ったら騒ぐに決まっている」と言ったときの「騒がしい気分」、さらに一杯ひっかけて温泉地につきもののストリップ小屋に繰り出すときの「ほろよい気分」、そういう気分なのかもしれない。そうであればクライバーの解釈は実に的を得ている。そのストリップの話三題。その1。第九の第1楽章は混沌とした中、だんだん主題が見えてくる。その手法を「オーケストラがやってきた」というかつてあった音楽番組の中で山本直純氏が「なかなか見えないのがいい。ストリップもそうだよね」と言っていた。卓見である。その2。サラリーマンをやってた頃、私の横で女子社員が、女子社員だけで行く旅行の相談をしていた。「ストリップっていうのがあるよ」「へー」「行ってみようか」「どうしよう」「だって、こういう機会じゃなきゃ行けないよ」。実際に彼女らがストリップに行ったかどうかは不明である。その3。次は私自身が行った話である。大学の卒業記念に道玄坂の道頓堀劇場に行ったら、踊りの合間に歯の抜けた支配人風のこわそうなおじーさんが三人の若者を引き連れて舞台に登場。その三人は普段は踊りの合間にコントを演じていたらしいが、このたび某テレビ局のディレクターの目にとまった、これからはがんがんテレビで売り出すと支配人風が紹介していた。しばらくたって、劇場でみた三人がホントにテレビに出ていた。それがコント赤信号である。それだけではない。いつの間にかあの支配人風がコメディアンとして「笑っていいとも」に出ていた。そこでは、ぼけた温厚なおじーさんを演じていたが、私は、劇場で見たときの強面が脳裏に残っていて怖かった。あとがき。冒頭のクライバーの田園の話は、この数日間、あたためてきた話である。書けてよかった。最後のコント赤信号の話は、この数年間、あたためてきた話である。書けてよかった。墓場まで持っていかずに済んだ。満足である。

まだよ、まだまだ

2020-08-23 16:56:17 | 音楽
「今でしょう」(Jetzt)と言ってもやはり今ではなかった。イェッツトは5着だった。でも、よく5着に来た(ビリかと思った)。そのレースで1番人気だったのはラッキーライラック。そのラッキーライラックが二頭いたかのような中継。アナウンサー氏が叫ぶ。「ラッキーライラック2着を追走!」(以下、後を追う馬の名前を何頭か挙げた後)「あっ、ラッキーライラックがここにいた」。「ここにもいた」と言わないだけよかった。そう言ったら馬が分身の術を使ったことになる(コントである)。二頭の馬の騎手の勝負服が同じだったから混同したな、もう間違わないだろう、と思ったらまたやった。このアナウンサー氏の頭には、レースが終わるまでラッキーライラックが二頭いたようだ。そう言えば、この局の別のアナウンサーは、その昔、ジェンティルドンナとオルフェーブルがゴール前で壮絶なたたき合いをしたとき一人「ルーラーシップっ」と叫んでいた。因みに、かなり以前、伝説となったオグリキャップの引退レースである有馬記念でオグリキャップが先頭に立って、アナウンサーは美しくない声で「オグリ」を連呼、日本中が固唾を呑んで画面に釘付けになっている横から競馬の神様=大川慶次郎さんが「ライアンっ、ライアンっ」(ライアン=メジロライアン)と叫んでいたのは有名。これは、たしかにメジロライアンが後ろから迫っていたのだから、迷中継と一緒にしてはいけない。で、私の馬券であるが、1,2,3着に来ると思った馬は、1,3,5着であった。一頭飛ばしで数えれば大的中である(!?)。それでも「イェッツト」は、名前のおかげで5着に来た(掲示板に載った)のかもしれない。「ノットイェット」(not yet)という馬がいる。「まだよ」なんて名前を付けられたおかげでこの馬はまだ勝ってない。でも、馬名フェチの私としては、とっても気になるお馬さんである。因みに、バラの騎士の前奏曲の前半のヴァイオリンは、「まだよ、まだまだ」と言っているように聞こえる。編集後記。今回のネタの分類が「音楽」になったのは最後の一行のみのせいである。

年齢詐称

2020-08-23 11:32:26 | グルメ
芸能人と飲むチャンスにありついた女子は、未成年者でも20歳以上とウソをつくという。私にお酒を誘われた女子は、60歳でも16歳だから飲めないとウソをつく。そうした自称16歳の女子は「こんだけ長く生きてると、ロクな男に出会わなくてねー」と言ってため息をつく。随分ませた16歳だ。食べ物の趣味がやたらと渋い5歳のチコちゃんと同じである。さて、夏バテ気味で料理をする気も失せていた私であるが、このところ回復基調、今週はゴーヤー祭りであった。
例えば、ゴーヤー・ピザ。

それから、定番、ゴーヤーチャンプルー。

すぐれものの合唱マスクを分けてもらってますます元気。

自分の写真が嫌いな私が連日マスク姿をアップしているのだから、相当気に入ってる証拠である。この写真を方々で使いそうな勢いである。だけど、今日のレースでイェッツト(Jetzt)が走るんだよなー。「今」でしょう、て言われたら買わないわけにはいかない(ドイツ語だし)。多分、来ないだろう。で、やけワインをすすりに行くんだ、きっと。

分けてもらったマスクは超すぐれもの/見方を変えて見えてくるもの

2020-08-22 20:47:37 | 音楽

UJさんの手作りの合唱用マスクを分けていただいた。これはいい。本当に歌いやすい。公共施設の多くは歌うときマスク着用を義務づける。小さいマスクだと歌ってる最中に動いてしまって歌いにくい。しかし、これは動かない。合唱の練習にうってつけである。しかも、クラリネットを吹く場合もまったく支障がない。今回、三つの柄を分けていただいた。私は衣料品でルンルンすることはめったにないのだが、そのめったにないルンルン気分である。だから、めったにアップすることのない自画像をアップした。まあしかしマスクをしているから本人の特定は難しいだろう。「犬神家の一族」の「すけきよ」である(犬神家ネタは近々アップするつもりである)。話は変わる(田園の話ではない。田園の話はまたもや順延である。涼しくなるのも順延であるから)。「吉兆」と聞けば続いて浮かぶ言葉は「女将」。船場吉兆の賞味期限の改ざん等の謝罪会見で長男に小声で発言を指南した「ささやき」がすべてマイクで拾われていたあの女将である。船場吉兆は結局廃業。その次男氏は地獄を見たが見事立ち直って今では新しい店を切り盛りしている……それが、最近放送された「逆転人生」の内容。視聴者の多くは次男氏に共感するだろう。だが、船場吉兆の役員の多くは自己破産している。ということは、お金を貸して返してもらえなかった債権者がたくさんいたということだ。そのために生活を破壊された人生だってあるだろう。そういう人が見たら複雑な感想を持った番組だったと思う。同じヒストリーでも見方を変えれば違う世界が見えてくる。例えば、日本人は、東京大空襲で何人亡くなった、アメリカが投下した原爆で何人亡くなったって話をよくする。他方、真珠湾攻撃については、やれ戦艦を何艦沈めたとか、航空機を何機破壊したとかそういう戦果のことはよく言うが、まてよ、敵の戦艦を沈めたということは、アメリカ人だって亡くなってる人はいるはずだよな。そのことについてはこれまでほとんど聞いたことがなかった。調べたら二千人以上の方が亡くなっていた。そのご遺族はさぞや悲しんだことだろう。どの国も同じように加害をし、被害を被っている。でも、その後、反省をしたかどうかが重要だ。アメリカは、第二次大戦中、日系人を収容所に閉じ込めた。ひどい仕打ちである。でも、後年、公にそれを謝罪した。実は、日本も国内の欧米系の人々を収容して過酷な労働を強制したそうだ。そのことについて謝罪をしたことがあったのだろうか。

大喜利(めくるめく夜を過ごそうよ、と言われて何か答えてください)

2020-08-22 09:51:46 | 日記
このブログのシェア先であるフェイスブックではコメント欄がしばし大喜利になる。昨夜から今朝にかけてのそれを再現しよう。(司会のワタクシ)「では第1問。私がみなさんに『猫のいるウチでめくるめく夜をすごそうよ』といいます。それに何か答えて下さい。はい、O越さん」「ごめんなさい、家族に迷惑をかけられないから」「かーっ、ヤマダくん、O越さんの座布団1枚とって。はい、K田さん」「すみません、私、猫アレルギーなんです」(すかさずF井さんが)「私も同じ」「きーっ、ヤマダくん、二人から一枚ずつ座布団をとって。はい、I原さん」「行けません、他の猫の臭いがつくとうちの猫が妬くから」「くーっ、ヤマダくん、うちの猫の座布団ひっぺがして。え?うちの猫の座布団って私が脱いだシャツ?そうなんだよね。猫は大好きな飼い主の臭いのついたものを座布団にするんだよね。山田くん、I原さんに座布団1枚差し上げて。はいっ、Pダさん」「夫付きでよければ喜んで」「かきくけこーっ、ヤマダくん、Pダさんの座布団全部とっちゃって」……待てよ、これは逆に名案もしれない。夫も呼んでたらふく飲ませる。そして爆睡させる。その最中に妻とめくるめくる。朝、目覚めた夫の傍らには妻がいるから夫は何も疑わない。完全犯罪成立である(コロンボの見過ぎである)。「ヤマダくん、Pダさんに座布団をお返しして、同じ数だけ別に差し上げて」(これがホントの倍返し)。しかし、よく考えたら、夫に飲ませるときその倍を私は飲むはずである(倍飲み)。すると、爆睡するのは私である。結局、夫婦がめくるめく夜を過ごす手助けを私がすることになる。「ヤマダくん、やっぱり全部とっちゃって」。因みに、コロンボは相変わらず好きで毎週楽しみに見ているが(もちろん笑点も)、ここのところ脚本が甘い。大体状況証拠のみで逮捕している。ありえない。ただ、真実を知る女性から結婚を迫られた犯人が、結婚生活よりも刑務所の方がましと言って自白するという話には妙に説得力があった。

Go To Tokyo(from Tokyo)……東京でめくるめく夜を過ごそう(取らぬ狸の皮算用)

2020-08-21 20:37:51 | 日記
熱中症によって命を落とす人の数はコロナの比ではない。エアコンの効いたホテルの部屋に収容する必要性は、コロナの無症状者よりも熱中症の危険のある人の方の方がはるかに高い気もする。ホテルと言えば。「Go To」政策の評判が極めて悪い。コロナ禍で青息吐息の旅行業界、宿泊業界をなんとか助けようとの政策だったが、コロナの第二波が来てるときにとるべき政策ではない、と批判される。私は、その是非はよく分からない。だが、批判の中に、あまりにも子供じみたものがあると思った。偉い先生は「旅行自体は悪くない。宴会で大声を出すのが悪い」とおっしゃる。それに対して、したり顔のコメンテーターが「旅行に行ったら宴会で大声を出すに決まってるじゃないか」と言って批判する。え?旅行に行けと言われたから行く、行ったら宴会で騒ぐ、それはすべて行けと行った人の責任だってこと?。経済を回すために、旅行業界に少しでもお金を落とすために旅行に行く。でも、行った先で感染を広げないための注意をする、って発想にはならないの?行けって言うから行った、責任は全部言った人にあるってあまりにも子供、というかお上(おかみ)任せ。自主性ってものはないのかねー。民主主義を自らの手で勝ち取ったのではない国民性がありありである。私は東京在住だから「Go To」の恩恵は受けられないが、なんでも、都内だけでもなかなか魅力的な宿泊プランがあるそうだ。テレビで映してたスカイツリーを間近にみる宿泊プランなんていいなぁ。そうきたら早速募集だ。私と、スカイツリーを眺めながらめくるめく夜を過ごしてもいいという方、この指止まれ(決して、めげない私、never give up、nie aufgeben)。いいワインもあるよー!……まてよ、スカイツリーだったらうちのベランダからでも見える。もといっ。ヴィラ・イージマでめくるめく夜を過ごしてもいい方、この指止まれ!猫もいるよ。因みに、千人通唱会の後の「反省会」では、私は飲食時以外はずっとマスクをしていた。でも、人妻はだめだなー。万が一のときご家族に迷惑かけちゃうもんね(取らぬ狸の皮算用。この言葉がなかなか出てこなくて、「とらぬ先の狸」で検索して思い出した)。

千人のリアルな音の上に構築された夢/将棋で負けたあとの夫婦の会話(想像)

2020-08-21 10:02:27 | 音楽
子供の頃、父が寝た後にレコードを聴くのは御法度だった。だが、こっそりヘッドフォンで聴いていた。あるとき、ヘッドフォンのジャックをステレオに差し込むのを忘れていて、大きな音が鳴ってしまって、でも、私はヘッドフォンを付けてるから気づかなくて、はっと見たら父が部屋の入り口で仁王立ちしていた。その記憶が蘇ったのだろうか。昨日、「お父さ~ん」なんて心にもない呼びかけをブログでしたもんだから、夢に父が出てきた。それが妙に現在と交叉した変な夢だった。つまり、私は実家(父が存命する架空の実家)でこないだの千人通唱会の録音を聴いている。連れ込んだらしい女性が傍らにいる。だが、そろそろ父が寝る時間だ、音を小さくしようと思ってステレオ装置をいろいろいじるのだが、ちっとも音が小さくならない。あせってるうちにとうとう父が現れた。ここで目が覚めたのだが、なんと、スマホがその録音を再生していた。聴いてるうちに寝てしまい、だが、耳はずっとその音を聴いていて、その上で夢を見ていたのである。音が小さくならないわけである。リアルに鳴ってる音を聴いてるんだから。後半の話題に移る。将棋の藤井青年があっさりと二冠目に輝いた。多くの人が記録達成を願ってるなか、お相手の九段はさぞややりにくかったろう。この方も、初タイトル最年長記録の保持者であり、中年の星と呼ばれた方だそうだ。ご帰宅後、奥様とどんなお話をされたのだろう。以下、実際のご夫婦の会話ということではなく(大体、存じ上げない)、一般的に考え得るパターンとして想像させていただいた。「あなた、お疲れ様。今日はあなたの大好きな焼き肉ハンバーグ盛り合わせにしたからね」(癒やし系)あるいは「あんたなんであんな小僧っ子に負けちゃうのよ。だからあんたはだめなのよ」(叱咤激励系)あるいは「ねえねえ、今日ゴゴスマにね、ちがうだろーで落選した元議員が出ててね、結構しおらしかったわよ。え?今日なんかあったの?」(無関心系(実は気を遣っている系))等々。因みに、将棋界のルール(奨励会っていうのがあって、年齢制限があって、ある歳までにある程度のランクになってないと強制退会させられる等々)については、朝ドラ「ふたりっこ」でさわりを教わった。負けちゃう方の人物もよく描いていたなぁ。将棋界での生き残りをかけてヒロインと戦って負けちゃう役を演じていたのは田口浩正さんだった。このドラマの放送中に私は離婚。だから、放送してたのは20年以上前だ。オーロラ輝子の歌が胸に響いたものだ。そういえば、なんとか新撰組の組長……じゃなくて党首さんが金持ちのぼんぼん役で出てたっけ。ということで、田園の話はまたもや順延。雨が降って涼しくなるのも順延になったらしい。

同情するなら女房をくれ(椿ヒメオの慟哭)

2020-08-20 15:55:49 | 音楽
蚊がいないと思ったら、蚊も夏バテをするそうだ。さて。洒落のつもりで「独身男の悲哀」を書いていたら、妙に各方面から同情され始めた。洒落ですから洒落。と言っても「はいはい、よく分かってますよ、強がらなくてもいいからね」。いえ、ちゃんと遊んでくれる人もいますから。と言っても「はいはい、そうでしたよね。みーんながお友達でしたものね」。あ、あのー、みんなということじゃなくて……「イージマさんっ」(急に怖くなって)「ウソをついたらダメっ。見栄をはったらダメっ。じゃないと誰も同情してくれなくってよ。あなたはね、可愛そうな人なのっ。分かった?可愛そうな人なのよっ」。言葉はおそろしい。「可愛そう」と言われるとホントに自分が「可愛そう」に思えてくる。「そう、それでいいの。お泣きなさい、思いっきりお泣きなさいって」。因みに、椿姫の第2幕で、老ジェルモンが椿姫に「Piangi,piangi」(泣きなさい、泣きなさい)と歌うところがある。すると、さしづめ私は椿姫男(Tsubaki Himeo)である。それにしても、老ジェルモンはひどいじじーだ。自分で椿姫を息子(アルフレード)と別れさせたくせに「泣け、泣け」と言って同情するふりをする。同情するなら金(慰謝料)をくれ、である。あれ、そう言えば、この後第3幕でお金が動いてたよな。アルフレードが博打でもうけた金を椿姫に投げつけるんだった。で、椿姫が倒れてコトルバシュのスカートがめくれるんだった。一応、椿姫の名誉のために言っておくが、椿姫が「金をくれ」と言ったわけではない。アルフレードが勝手に逆上して金を投げつけたのである。ところで、私がさっき問答していた相手はいったい誰だったんだろう。ベートーヴェンの「運命」の話はとりあえず一段落。明日は「田園」の予定である。さて、今回の反省会。タイトルの「女房をくれ」は、本文にはない表現。「金をくれ」とパパゲーノの「恋人か女房がほしい」をまぜこぜにしたものである。もちろん、その意味するところは「女房になってくれる彼女がほしい」であるが、「人の女房がほしい」と読めないこともない。(天国の)お父さん、(ボケた)お母さん、安心してください、こういうバカなことを書いているマサシは元気です。