拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

O嬢の物語(映画の話ではない)

2020-10-31 09:33:33 | 音楽

四姉妹=背の順に、左から、アー子、ベー子、O子、ツェー子。このうち、O子だけが別種。その違いを実感する毎日である。まず、華奢。背こそはベー子と同じくらいだが、持った感じが全然違う。O子が坂東玉三郎ならベー子は北斗晶である(ジャガー横田でもいい)。そのくせ、キーとキーの間が結構離れていて、ある程度指が長くないと難しい。手足が長くてスラッとしている……モデル風である。マウスピースもない。O子を吹いた後で三姉妹を吹くと、マウスピースが一瞬異物に感じられる。指遣いも繊細。穴を半分ふさぐだとか、キーをふさぎながら同じ指の腹で横のキーをふさぐだとか。そうか、O子ってこんなんだったのか。ここまで洗練されていれば既にレディーである。クラ子たちの中にあって醜いアヒルの子に例えようとしたが、既に大人の白鳥(黒鳥)である。ならばO子とは呼ぶまい。以後O嬢と呼ぼう。そう言えば、「O嬢の物語」という映画があった(以後、ちょっとの間、スケルツォ)。淫靡な映画だそうだ(録画したがまだ見てない)。われわれの年代では「淫靡」のことを「エイチ」という。その理由については、「hentai」のイニシャルをとったという説がある。いずれにせよ、後の世代のように、男女が営むことを「エッチする」と表現することはなかった。いつからこういう言い方をするようになったのだろう。私より10個以上下の世代は確実に使っているから、その間に起きた地殻変化だと思われる。この表現に、私の世代の語意をあてはめると、「エッチする」=「変態行為をする」になってしまって具合が悪い。楽器の話に戻る(スケルツォはおしまい)。O嬢の美しさに感心する一方、クラ姉妹のよさも再確認である。O嬢は、リコーダーなどと同様、うーんとざっくばらんに言ってドレミファソラシドとほぼ同じ指遣いでオクターブ上のドレミファソラシドを出す。だが、クラは、ドレミファソまで行ってから特別なキーを使ってラシドを出し、先とは別の指遣いでその上のドレミファソラシドを出す。音域が異様に広いのはこういうところにもよるのだなー。音も、華やかなO嬢に対してこちらにはシックな良さがある。なら浮気しないでクラに専念しろと言われるかもしれない。残念ながら、クラはバッハに登場しない。バッハのカンタータを演奏する毎月の某会で出番がないのだ(ツェー子で、トランペットのパートを吹いたりするのがせいぜいである)。私が、ヴァイオリンを弾くのはそのせいである。え?じゃ、某会のバッハにO嬢でデビューするのかって?滅相もない。そりゃIさんの下で2ndを吹ければよいが無理というもの。カエルの歌の輪唱(奏)くらいならやらせてもらうかもしれないけど……

栄冠は君に輝く~闘魂込めて~全員集合~素浪人花山大吉(ついでにブラタモリ)

2020-10-30 10:09:24 | 音楽
アナウンサーの実況の仕方でレースの感想も随分変わる。こないだの菊花賞で、最後にコントレイルがアリストテレスに競り勝ったシーンも、フジテレビの実況は「コントレイル、苦しいか、苦しいか」。これだと、やっぱコントレイルには距離が長すぎたんだなと思っちゃうが、後から録画を見たNHKの実況は「コントレイル、抜かせない、抜かせない」。これだと、やっぱコントレイルはすごい、って感じになる。さて。今朝のエールで歌われた高校野球の歌(栄冠は君に輝く)は感動的だった。直後のアサイチの冒頭、アップになったゲストが今歌ったばかりのヒサシだったのもサプライズだった(ヒサシ役の歌役者さんの下の名前は麹味噌合唱団の指揮者の下の名前と似ている)。だが、同じ古関裕而でも「闘魂込めて」(巨人の応援歌)はあまり好きでない。その歌詞は子供の頃から知っていた。漫画「巨人の星」に選手がこの歌を歌うシーンがあって、いかにも野太い声で歌ってる感じで歌詞が太い筆字で書いてあった。聴いたことがなかったので、勝手にメロディーを付けて、♪とーこーんこーめて(ソーソーラソーミドー)、おーおぞーらにー(レーレミーファソー)と歌っていた。ところが、ここまで歌うとその後が、♪あーかるーいひーかりーがあーふれーておーどる(ラーラドードソーラソーソミーラソーミレードミ)になってしまう。これは私が卒業した小学校の校歌である。なお、ホントの「闘魂込めて」は、♪ドードーレミードーラソー……である。持っていたイメージと全然違っていて、あまり好きでないのはそのせいかもしれない。巨人と言えば、昔は巨人戦ナイターはほとんど日本テレビが中継していて、NHKの野球中継といえば、パリーグとか、あまりお客さんが入ってないような試合ばかりであったが、最近は、NHKが普通に巨人戦を中継している。逆に、パリーグはお客さんで満員である。そりゃ半世紀経ったんだからねー。そう言えば、こないだNHKでドリフターズの「八時だよ、全員集合」のドキュメンタリーを放送していて、この番組が始まった当初、土曜の8時台は、フジテレビの「コント55号、世界は笑う」が視聴率トップ、日本テレビの巨人戦ナイターも高視聴率をキープ、他の番組は蚊帳の外みたいなことを言っていたが、当時の新聞のラテ欄がアップになったら、なんと同時刻の10チャンネルが「素浪人花山大吉」。え?これが「蚊帳の外」?Wikiによると、この番組も視聴率が良かったとある。前シリーズの「素浪人月影兵庫」ともども私は大好きだった。と言っても、見たのは再放送だが。リアルタイムで見てたのはコント55号の方。だが「全員集合」に視聴率を奪われて打ちきりになった。その最終回の番組内で、グラフを使って視聴率下落をネタにしていたことを覚えている。そして、10数年後、全員集合に引導を渡したのは、コント55号を放送していたフジテレビの「ひょうきん族」だった(因果応報、盛者必衰)。因みに、今、土曜の八時台何見てる?と聴かれれば「ブラタモリ」である。子供の頃、NHKばかり見ていた父がうっとうしかったが(他のチャンネルに変えさせてくれない)、今、私自身がNHKばかり見ている。でも、うっとうしがる子供はいない。猫は私がNHKを見ていても文句を言わない。だが、カウンターテナーで歌うかオーボエを吹くと逃げる。普通、猫は男声より女声が好きだがうちの猫はずーっと男に育てられたものだから逆である。それから、オーボエで逃げるのは、クラと違って私がオーボエでまだ小さい音を出せないせいである。

頭からがつーんといく曲ばかりじゃないよ。モスラとか。ベートーヴェンの話も。

2020-10-29 08:59:50 | 音楽
古関裕而の曲が愛される理由の一つは冒頭一拍目からがつーんといくとこ、という話を聞いた。たしかに、「東京五輪マーチ」「紺碧の空」「六甲おろし」「闘魂込めて」等々のいずれも頭からがつーんといっている。だが、いつもそう、というわけではなく、「モスラの歌」はアウフタクト始まりだし、こないだ朝ドラ「エール」でも歌われていた「長崎の鐘」は1拍目の裏から始まっている。そう言えば、大昔、評論家の誰かがラジオでベートーヴェンの曲はたいがい弱音で始まる、と言っていた。そうだろうか。交響曲を見てみよう。第1、第4、第6、第9は弱音始まりだが、第2、第3、第5、第7、第8はフォルテで始まっている。フォルテ始まりの方が多い。アメリカ大統領選挙風の総取り方式なら全部がフォルテ始まりである。じゃあ、ピアノソナタはどうだろう。おおっ、こっちはかの評論家の言った通り。全32曲のうちフォルテ始まりは第5番、第8番、第15番、第20番、第25番、第27番、第29番、第32番の8曲だけ(なお、第20番は、もともとの楽譜にはfの指示がない)。全体の4分の1で、後は弱音始まりである。へーって思ったこと。フォルテ始まりの8曲のうち3曲(第5番、第8番、第32番)はハ短調。運命もハ短調である(ただし、ピアノ協奏曲第3番はハ短調だが弱音始まりである)。それからピアノソナタ第5番(ハ短調)の次の第6番はヘ長調。交響曲第5番(ハ短調)と第6番(ヘ長調)の並びと偶然一致していて面白い。昨夜は、HJリムの弾くハンマークラヴィーア(第29番)を聴いた。猛烈に速い。これを聴いた後でユジャ・ワンを聴くと相当叙情的に聞こえる(いや、もともとユジャ・ワンは超絶技巧であってかつ叙情的に弾く人である)。

「新人」という名の「原人」はコロナに弱かったという仮説

2020-10-28 10:27:43 | 日記

馬群から抜け出たコントレイルと哲学者(アリストテレス)がデッドヒートを繰り広げた末コントレイルが勝ったこないだの菊花賞。並ばれそうになっても決して抜かさせなかった根性を以前にも見た。2012年のジャパンカップで馬群を抜け出たのは、前年三冠を制したオルフェーブルと、その年牝馬三冠を制したジェンティルドンナ。三冠馬同士の壮絶なたたき合いでジェンティルドンナも決してオルフェーブルを抜かさせず優勝(このとき、進路が狭くなったジェンティルがオルフェーブルにタックルしたことがアンチを作るきっかきにもなったが、しかし、一歳年上の牡馬にタックルして弾き飛ばす牝馬がいったいどこにいるだろうか。逆に、この「事件」は、私を含む多くのジェンテル・ファンを生むきっかけにもなった)。そのコントレイルとジェンティルドンナの父はディープインパクト。半血姉弟だが、競馬の世界では父が同じなんてのは当たり前。いちいち兄弟姉妹などと言ってられない。いっとき、大きなレースに出る馬のほとんどがディープインパクト産駒(ディープの子供)ってときもあった。それだけ血統(DNA)がものを言う世界である。DNAと言えば、なぜ、欧米人はコロナで重篤になる人が多いのにアジアでは少ないのか、って話で、こないだの某男声合唱団のアフター会でおじさまがたが言っていたのは、欧米人は、実は、ネアンデルタール人との混血の子孫が多い。その血統がコロナに弱いということだ。ことの真偽は不明だが、へーっと思ったのは、人間(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人のハイブリッドが普通に存在したということ。こないだ、ロバとウマのハイブリッドのラバみたいな感じで、人間と他種動物との間で、カマキリとは無理にしても、ハイブリッドができないかという疑問を記事にした。そうしたハイブリッドが存在した、ということなのだ。因みに、「ネアンデルタール人」という名称は中学のときの歴史の授業で覚えた。当時丸覚えした名称としては、他に、なんとかかんとかペキネンシス(北京原人)、一番古い原人であるアウストラロピテクスなんてのもいた。アウストラロ……はアフリカ産で脳の容量が500mlって話が参考書(バラシリーズ)に書いてあった。丸覚えと言えば、中東の王様で「チグラトピレセス」ってのがいて、これを覚えるのに相当苦労したが、いったん覚えたら半世紀近く経った今でもほれこの通り忘れずに残っている(それが何の役に立つかって話ではあるが)。さて、意味もわからず丸覚えした「ネアンデルタール人」であるが、半世紀経って根性はなくなったがいくらか知識が増えた今この名前を見ると、おっ、ドイツ名だ。「ネアンダー」の「谷」だということが分かる。しかもグーグルマップでたちどころに位置が分かる。おっ、ケルンのちょっと北なんだね。その「ネアンダー」(Neander)の意味は今ググって知った。ギリシャ語源で「新人類」という意味だそうだ。へーえ。「新人」という名の「原人」がコロナに弱くて、それとのハイブリッドの子孫である欧米人がコロナに弱いというわけか。仮説ではあるがガッテンである。件の男声合唱団(カウンターテナーが必要な曲をやるときの要員として呼ばれたのが、居心地がよくて居着いている)に、買ったばかりの非接触式体温計(こめかみにあててボタンを押すとピピッと鳴ってたちどころに体温が分かる)を持ってって、面白いから計ってたら、おじさまがたが自分のも計ってくれと行列。この日の私はたいそうな人気者であった。

島への移住

2020-10-27 13:55:15 | 日記
紅茶の注ぎ方が悪くて、紅茶受けにこぼしてしまった。そこに直接口を付けて飲む。これは正しい飲み方である。紅茶受けは、もともとはカップの役を果たしていたのである。さて。式根島に行く前に行った島は江ノ島と城ヶ島だけ。テレビでよく見た島はひょっこりひょうたん島(因みに、ひょうたん島はもともとは半島であった。大洋を彷徨ったあげく、最後は元の半島に戻った)。だから式根島は、初めての本格的な島体験であった。行ってすっかり島好きになったワタクシ、将来、島に移住しようと思う。もう、誰か一緒に行くひとー、などと呼びかけない。私は一人で行く……でも、もしついてきたいって言うならついてきてもいいんだぜ。いいんだよ。いいって言ってるでしょ。ついてこないの?お願い誰かついて来てっ!……今の私の態度は見苦しかった。男がダンディーであるためにはやせがまんをしなければいかん。寅さんはやせ我慢の連続である。所詮私はダンディーとはほど遠い。ところで、いつ島に行くかというと、それは母と猫らを見送った後である。現在母は88歳、猫らは11歳。ともに10年以上はぴんぴんしてそう(電池交換後の母のペースメーカーはあと17年持つそうだ)。だったら、私が先におっちぬ可能性大である。なぜなら、母は施設で酒を飲まず、猫らはまたたびを食べない。しかし、私は毎晩大酒を飲む。♪これで体にいいことないよ、わかっちゃいるけどやめられない……である。少しは節制をしなければいけないとは思う。最近水着のグラビアを披露した宮崎美子は私と同い年だ。毎日、ラジオ体操第一と第二を欠かさないそうだ。見習いたいと思う。ときどき、猫らにはまたたびを与えてないのに自分ばかり酒を飲んでいることで良心の呵責に苛まれることもある。さて。島と言ってもどこの島か?手近なところで江東区西大島なんかはどうだろう(島ではない、という噂がある)。

哲学者は足が速い?

2020-10-26 10:16:39 | 日記
中高のとき、西洋哲学にかぶれたことがある。プラトン、アリストテレス、カント、ニーチェ、ショーペンハウアーあたりを読んだ。今言えることが二つある。その1。当時、読んでなにがしか分かった気になっていたが、なに一つ分かっていなかった。その2。なに一つ分からないのに各書物を完読した私には根性があった。そう、当時の私、根性だけは誰にも負けなかった。中学の体育の授業の蹴上がりのテストのときも、まったく蹴上がりにはなっていなかったのだが、腕の力だけで体を鉄棒上に持ち上げて合格点をもらったのも根性のなせるわざである。因みに、高校時代は真に蹴上がりができた(「靴下をはく」ような感じで挑むとできる、と言われている)。そう言えば、亡き父は、「おれは蹴上がりができた」を口癖のように言っていた。話を戻す。根性で完読した書物の中に、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」というのがあった。気が遠くなるほど字がたくさん書いてあったが(当たり前)、ひとつだけ「中庸がよい」と書いてあったことだけ覚えている(それだけか?それだけである)。そう、私にとって、アリストテレスは「中庸の人」。だとすると、馬名に適しているとは思えない。スピードも「中庸」ということだと、あまり一生懸命走らなそうだ。そもそも、哲学者ってやつは、じっと動かずに物を考えていて、どたばたと走るイメージではない。しかし、そのアリストレスが昨日の菊花賞で、無敗の三冠に挑んだコントレイルをあと一歩まで追い詰めた。分からぬものだ。とか言って、三連複をきちっととった。騎手がルメールだったからボックスに入れておいたのだ。危なかったコントレイル、レース直後は距離が向かなかったんだな、とか思ったが、しかし、冷静に振り返ってみると、三着以下を大きく引き離していたから、アリストテレスが強かったのであって、コントレイルはやはりすごい馬である。哲学の話に戻る。実は、今になってまた読んでみたくなった。ニーチェの「悲劇の誕生」はヴァーグナーに関係があるし、「ツァラトゥストラはこう言った」は、題名でお分かりのとおり、Rシュトラウスが交響詩に仕立てていて、その交響詩を使った映画が「2001年宇宙の旅」である。そして、これらの原書(ドイツ語)はキンドルで「ただ」!。「ただ」は私の大好物。のきなみダウンロードした。どれどれどんな感じだろう。ワクワクしながらカントの「Kritik der praktischen Vernunft(実践倫理批判)」を開けてみる。最初の一行を見る。めまいがした。すぐに閉じた。体に悪そうである。とりかかるには相当の勇気と覚悟がいる。子供の頃にあった根性は今はもうない(Es ist vorbei……バラの騎士から)。当分触れないでおこう。まあ、キンドルの中に入ってる分には場所もとらないし、腐りもしないからよいだろう。

変なおじさん

2020-10-25 10:31:27 | 音楽

松戸方面の空が見事な夕焼けだったので撮ろうと思ったら真ん真ん中にスカイツリー。そうか、白井からは松戸、そしてその先の墨田区スカイツリーが西方(正確には西南西)にあたるのだね。このところ参加させてもらってる味噌煮込み合唱団(仮名)の練習の帰り道、新鎌ケ谷駅のホームでのことである。味噌煮込み合唱団は、麹味噌合唱団(こっちも仮名)と主宰ご夫婦が同じ。正式名称がアルファベット三文字なのも同じ。アカペラで、ルネンサンス期の世俗曲を歌う、しかも、カウンターテナーでアルトを歌えるという願ってもかなってもない合唱団である。カウンターテナーでも「変な人」と見られないところが居心地がよい。いや、実は「変な人」と思われているのかもしれないが、少なくとも「危険な人」とは見られていないようだ。「変な人」だけなら御の字である。思い起こすのは25年前。当時、ある音楽家集団の飲み会に定期的に参加していのだが、あるとき「次回は、有名なギター奏者の某さんが来る。くれぐれもサインや写真をねだったりしないように」とのおふれが回ってきた(まだ、某さんが頻繁にテレビに出られるようになる前である)。その某さんに当日紹介したもらったのだが、そのときの私の紹介のされ方が「変なおじさん」。「変な」と「おじさん」のダブルパンチに自称お兄さんは軽く傷ついた。こないだの「あさいち」で、女性は「おばさん」と呼ばれるのがいやだと言っていたが、男も「おじさん」と呼ばれるのはいやなのである。因みに、「おばさん」「aunt」「Tante」には「伯母」「叔母」の意味のほか、年上の女性を表す意味があるのと同様、「おじさん」「uncle」「Onkel」にも「伯父」「叔父」の意味のほか、年上の男性を表す意味がある。このあたりの用語例は、洋の東西で共通である。因みに、「トム・ソーヤーをドイツ語で読む」という苦行は途切れ途切れに続けている(途中で脳が疲弊して活性酸素(疲労の正体)がたまると日本語に逃げる。最近の逃亡先として選んだのは「ホテルローヤル」である(という名のラブホに逃げ込んだのでなく、そういう名前の直木賞受賞作をダウンロードした、という意味である。念のため))。そのトム・ソーヤーのドイツ語版に頻繁に登場するのが「Tante Polly」。オリジナルは「aunt Polly」、日本語訳では「ポリー伯母さん」である。ふと、思った。最近、お友達の間で「ダンディー」と評判の寅さんは、「おじさん」と呼ばれていない。第三者からは呼ばれていい年頃なのに呼ばれないのは「とらさん」という立派な呼び名があるからであろう。わざわざ「『とらさん』っていうおじさん」と言わなくても「とらさん」と言えば、そのなかに「おじさん」「ダンディー」等々のいろんな意味が包含されているからである。そんな寅さんも、光男からは「おじさん」と呼ばれている。寅さんは、光男の母親(さくら)の兄であるから、この「おじさん」は「叔父さん」ではなく「伯父さん」の意味である。「僕の伯父さん」という副題のついた回もあった。おまけ。冒頭の話の関連だが、私は八丁味噌が好きである。名古屋に行ったときに食した味噌カツと味噌煮込みうどんは真に美味であった。今、夕方に再放送してる「純情きらり」は、八丁味噌を作る家が舞台(の一つ)である。

カエルの歌変奏曲(運命風)

2020-10-24 11:27:25 | 音楽

うちに来たばっかのO子に事故。O子が飲み込んだ異物が排出されずに対内に残ってしまったのだ(お手入れ用の布に付いた重りが管の中に残ってしまったのだ)。O子が窒息しそうである(ついこないだはステーキで私が窒息しそうになった)。すぐさま近所の百均に行って竹串を購入。それでつついたら出た。ふーっ。一安心。この竹串は、今後本来の用途で使われることがあるか分からないが、このたびの手柄をたたえて保管することにした。O子がうちに来て三日目の出来事である。この間、カエルの歌の練習に励んだワタクシ。O子の扱いにかけては上級者のIさんが、カエルの歌の輪唱(奏)に付き合ってくださるとおっしゃったためである。なんとか、最低限、メロディーを吹けるようになった(カエルらしい(?)音である)。よし、そのうちIさんにご一緒願おう。だが、輪唱(奏)は同じメロディーを繰り返す。私は、ずーっとカエルの歌で十分だが、上級者のIさんには物足りないだろう。よし!カエルの歌の変奏曲を作って、Iさんにはそれを吹いてもらおう。早速、とりかかる(脳内で楽譜にしていく)。第1変奏、第2変奏、第3変奏……カエルの歌のメロディーを細分化したり短調にしたり。だが、これでは飽き足りない。性格をがらっとカエル……ではなく変えるような変奏がほしい。ここで、一つアイディが降りてきた。運命とドッキングさせよう。うん、面白いじゃん。5小節目で二度でぶつかるが、次の小節で解決するから逆に効果的である。とりあえず、これだけ楽譜にした。ブログにアップするためである。上が元のメロディー、下が運命風の変奏である。

生と死は冥界で隣同士/鉄人28号のちょんまげ

2020-10-23 10:32:35 | 日記
人間の三欲のうち一つでも放棄するつもりはないと書いた(すべてが満たされているかどうかは別問題)。この三欲のうち、食欲と睡眠欲は大いに陽の目を見ているのに対し、性欲は日陰者である。テレビでは一日中食べ物の話をしているし、「快適な睡眠」も多く取り上げられるテーマだ。なのに、性欲のことときたらタブー扱い。不当である。もちろん情報が満載の場所もあるが、そこは日の当たるところではない。この点、プルートーが支配する冥界のようである。性欲がもたらすものは生命だが、冥界は死者の国。生命となって誕生した途端日向に出るが、性欲にとどまっているうちは死者とともに冥界の住民である。なるほど、生と死は隣り合わせとはこのことである。今、とても上手いことを言った感じがして有頂天になったが、よく考えてみると、大したことを言ってない。「あられちゃん」で、街の番長が、あられちゃんに、ジュースの缶をひねりつぶす様を見せて、どうだ、すごいだろ、と自慢する。しかし、ジュースの缶をつぶすのは訳もないことである。資源ゴミの日、社会性のある住民は缶をつぶして出している。当該番長の弟は、「うちの兄ちゃんは、なんでもないことをすごいことのように見せるところがすごい」と尊敬している。因みに、それを見たあられちゃんは、あたしも、と言って電信柱をへし折った(これはホントにすごい)。そのプルートーは三兄弟。弟がゼウスとポセイドン。長男が貧乏くじを引いて冥界に行かされた(長子相続であった昔は長男は権利者であったが、共同相続の現在、長男は割に合わないことが多い)。それから、「鉄腕アトム」のプルートーには二本の角が生えているが、「鉄人28号」で二本の角が生えているのはブラック・オックスである。鉄人には、角は生えてないが、後頭部にくっついているもの、よく見ると、ちょんまげのように見える。そういうことを言い出したら、鉄腕アトムとサイボーグ009の髪型はよく似ていて、ともに寝癖が付いているようである。

モザイクのかかった怪しい楽器(バレバレ?)

2020-10-22 19:02:38 | 音楽

秘密の楽器がとうとう来た。夕方ピンポンが鳴って、DHLです、という。海外発送サービス?身に覚えは……ある。あの楽器だ。発送はとうの昔にされたのに、到着予定が随分先だったから、かの国から?と思ったらそのとおりであった。激安なのに立派なケースが付いている。ケース代で3分の1くらいいっちゃうんじゃないだろうか。こんな立派なケースが付いてきたのは、我が家のクラリネットでは昨年買ったクランポンのA管くらいである。さっそく組み立てて音を出してみる。出た!けど、でかい。弱音でなんて芸当は当分できそうもないから家では吹けない。こういうときのためのA合唱団である(歌うためじゃないの?)。早めに行って練習場で吹いてみよう。いやー、しかし、噂に違わずクラリネットとは全然違う。そもそもマウスピースがない。指だって、運指云々の前にキーを押さえた感じが全然違う。これは深入りできない。したらクラリネットが下手になること必至である。♪かーえーるーのーうーたーがーの輪唱を吹けるようになれればいい。それを目標にしよう。それでもなんだかワクワクする。最近お疲れモードで、ストレス満載だった母の入院も片付いて、気が抜けて、気分は鬱だった。今朝のことである。でも、夕方これが来て気分は晴れやか(はやっ)。♪にわかに変わった殿のご機嫌(リゴレットより)……である(私は殿ではないが)。何の楽器か知りたいでしょう!え?もうバレバレだって?うんにゃ、皆さんは、知ってません(そういうことにしといて)。ヒントをあげよう。この楽器を使った有名な協奏曲の第三楽章はこれ。♪ソミファレド。レ(tr)~~~ミ、ミファソラシドソ……因みに、私、子供の頃、モーツァルトの曲で一番聴いていたのはどういうわけか管楽器の協奏曲だった。クラリネット協奏曲はもちろん、この曲とこの曲を転用したフルート協奏曲、ファゴット協奏曲、そしてホルン協奏曲をよく聴いていた。まだ管楽器と言ったらリコーダーしか触ったことがない時代に、である。

断食の倍返し

2020-10-22 09:22:48 | グルメ


断食には体の中の毒素を排出する効果があるという。だからと言って私はやる気はないが(人間の三欲の一つでも放棄するつもりはない)、冷蔵庫にはやらせよう。食品の新規購入をなるべく控えて毒素(古いもの)を排出させよう。

久々にカルボナーラを作ったのは、かなり前に開けた牛乳を使い切るためである。


オムレツを作ったのは、ケチャップを使い切るためである。道具入れの奥の方から見慣れぬ容器が出てきて、多分、オムレツをレンジで作るための道具だろうと想像して、それを使ってみた。できた、と言えるのだろうか。


冷蔵庫の断食ではないが、式根島のお土産で買った島ノリはなかなか美味で、パスタに入れても旨かった。


断食からは完全にそれるが、写真のヴァイツェングラスは500ml用である。だが、350ml缶をどぼどぼ入れて泡が大きく立ったときちょうど良い大きさである。


さて、私は今でもときどき例の五文字の安い店に行く。ワインが品質の割に安いので、食べに行くと言うよりは飲みに行く。そこで、今後のこととか、例えばどこかに移住しようかなぁとかを考えるのである(移住先の候補は、半年前は八王子の奥地だったが誰もついてきてくれそうもないので、島にした。私の精神年齢は、海賊になるために家出してミシシッピ川の中州の島に隠れ住んだトム・ソーヤーと変わらない)。昨夜も、とっぷり聞こし召して店を出ると、おっ、まだスーパーが閉店するまで15分ある。行くと、半額はおろか70%引きのものがぎょうさんある。その中にはあん肝もあって、別の海賊も目を付けている様子。その海賊が、付近を通った店員に近寄った。おっ、人質を取る気かっ。「このあん肝どうやって料理するの?」と聞いている。あっ、私もそれ聞きたい。と思って、近寄って耳をそばだてるも海賊と人質の秘密の会話はひそひそ声で聞き取れない。まあ、いい、ググれば作り方くらい出てくるだろう。あん肝を含む、大量の戦利品を持ち帰った(この海賊は、レジでちゃんとお会計をする社会的な賊である)。戦利品の収納先は冷蔵庫……待てよ、冷蔵庫は断食中だった。だめじゃん。強烈なリバウンドである。まさに「肉を切らせて骨を断つ」……つまり、半沢直樹である。最後は何倍になって返ってくるんだっけ。最終回だけ録画したけどまだ見てない。一つ訂正。私はリバウンドを受ける立場だから「肉を切って骨を断たれる」が正しい。

因果応報(お母さん、おしっこ)

2020-10-21 12:01:59 | 日記
今日も母の付き添いで病院。こないだペースメーカーの電池を交換したときの切開口をとめたホチキスをとるためである。これで、今秋の母がらみの「狂騒曲」は終わった(のだろうか)。半年に一度のペースメーカーチェックに行って「一安心」と思ったら、「電池交換が必要」と言われ入院……したと思ったら手に負えないと言われて強制退院。今日も、術後の母はすこぶる機嫌が悪い。何がなんだか解らずベッドに寝かされて処置をされたことが気に入らないらしい。「人権侵害」と言い出しそうな勢いである(いや、そんなことを言い出しそうなのは、母と同じ立場になったときの私である)。無駄とは承知で、今回ペースメーカーの電池を入れ替えたことを言うと、ペースメーカーなんていつ入れたと言うから8年前だと言うと「じゃああたしが小学生のときだ」と言う。母は自分のことを何歳だと思っているのだろう。小学生は6年あるから、女学生だと思っているかもしれないし、花も恥じらう二十歳の乙女だと思っているのかもしれない。そこをつっこむことはせず、会計を待っていると、きたきたきたきた。「トイレに行きたい」。これが憂鬱の種である。診察や会計を待っている間に必ずこれを言い出す。しかも数回。そうした場合、往々にしてトイレは、時速500メートルの母からすると遠くにある。行って帰ってくるまで10分かかる。私もついていかなければならない。でなければ、病院内で行方不明になりかねない。その間に診察や会計に呼ばれたりすると不都合である。だから、「もうじきだからがまんしろ」と言うのだが、がまんできないとダダをこねたら行かざるを得ない。それにしてもなぜ今行ったばかりなのにまた行きたくなるだろう。前立腺肥大かっ(のわけはない)。そう言えば、どっかのお母さんが子供に「お母さん、おしっこ」と言われて「ほらだからさっき行っとけと言ったのよ。なんでさっき行かなかったのよ。がまんしなさいっ」と怒ってるのをよく聞く。私も子供の頃「おしっこ」で母を悩ませたのかもしれない。これぞ因果応報である。因果応報と言ったが、悪い因果はめぐってくるとしても、良いことが繰り返されるとは限らない。母の年代はある意味幸せである。施設で至れり尽くせりの介護を受けている。母の歳になったときの私は(それまで生きていたとして)いったいどうなっているだろう。「地域の野良老人」として保護(という名の捕獲)の対象になっていたりして。さて、トイレに行った母のその後である。前で待ってたら、遠くから看護師さんが走ってきて、母の入ってるトイレに駆け込み、「ご気分が悪い方いらっしゃいますか」と叫んでいる。どうやら母がトイレ内の非常ボタンを押したらしい。「ペースメーカーを落としちゃって」と言っている。ペースメーカーのことはなかったことにしよう。それが今後のためである。

声変わりしたコロンボ

2020-10-20 10:16:37 | 音楽
先々週のコロンボを見てたら、低くて渋い犯人の声が急にしわがれ声になった。逆に、コロンボの声が、いつもの小池朝雄さん声から急に太い声になった。先週もコロンボの声がところどころ太くなった。いきなりの声代わり。そしてそれがしばらくすると元に戻る。なんでも、初回放送時はカットした箇所を再放送時には放送したのだが、その時点で初回吹き替え時の俳優さんが亡くなってたり(小池朝雄さんとか)、忙しかったりで追加の部分を他の俳優さんの声で埋め合わせをしたのだそうだ。例えば、急に太くなったコロンボの声は石田太郎さん。この方は、私にとっては一にガーベイ(「大草原の小さな家」の「父さん」の友達)の声。おしんにも加賀屋の主人役で出ていた。コロンボでは小池朝雄さんの雰囲気を出そうと苦労されている様がありあり。でも、違うんだよなー。それから、先々週のしわがれ声になる前の犯人の声(いい声)は佐野浅夫さん。この方は、歴代の水戸黄門のお一人。お歴々の中で、私が水戸黄門にはまるきっかけとなったのは東野英治郎の黄門様だが、今考えてみて、一番好きなのは佐野黄門様である。なんと言ってもスタイリッシュ。番組が始まって40分くらいたったところで、「助さん、格さん、こらしめてやりなさい」。そして5分くらいたったところで「助さん、格さん、もういいでしょう」。背景で流れるのは荘厳な音楽。台詞にも音楽にもシーンにも風格が感じられた。声優さんと言えば、古谷徹さんがレジェンドだそうだが、この方は、私にとっては永久に星飛雄馬である。え?まだご活躍?実は、私らが「巨人の星」を見ていた頃、古谷さんはまだ学生さんで、学ランを着てスタジオに来ていた、つまり、私らとさほど歳が変わらなかったそうだ。そのことを最近知った。星飛雄馬の声を「太い声」と評した人がいたけど、太い声じゃないよなー。太い声っていったらカール・リッダーブッシュみたいな声でしょ。この方は、とてつもない往年のバス歌手で、来日して某音大で歌ったとき窓ガラスがビリビリいったそうだ。で、居合わせた声楽家の学生さんの半数のやる気をなくさせたという罪作りなお方である。水戸黄門に戻る。黄門様の印籠がかざされて、へへーとなって、荘厳な音楽が鳴り響いた後、物語的にはめでたしめでたしなのだが、往々にして続く音楽はもの悲しい短調である。

カマキリだけがお友達

2020-10-19 09:12:31 | 日記
お友達のF井さんが……いきなり脱線。人物を特定しないようにイニシャルにしたのだが(悪い話ではないから特定してもよいのだが)、ほんとに特定を阻止できたろうか。「F井さん」で推認できる名字を考えてみる。深井さん、福井さん、藤井さん、船井さん……結構いる。これなら特定できないだろう。そのF井さんが私について「カマキリも恋愛単勝」ではなくて「恋愛複勝」でもなくて「恋愛三連単」でもなくて……昨日の秋華賞、三連単をはずした。一着はデアリングタクトで当然当たり、三着を音楽がらみでソフトフルートにしたらこれも当たったのだが二着が来なかった。因みに、ムジカは全然だめだった。私がこないだのソロ・コーナーで「Io la musica son」と歌ったのがいけなかったのか。入力ミスをネタに遊んでしまった。もとい。F井さんが私について「カマキリも恋愛対象」と書いて下さった。ここから私の属性についての三つの仮説を推認できる。その1。虫、特にカマキリが大好き。その2。カマキリすらも相手にしかねない色情狂。その3。五月みどりが好き。検証しよう。その1について。私は虫が好きだがカマキリは生意気だから嫌いである。その2について。ブログに男女のことをよく書くからそう思われるのかもしれないが、自分としてはノーマルである(ただし、インモーラルなところはある)。ところで気になっていることがある。ときたま、異種生物間の交配によって新種の生物が生まれることがある。例えば、ライガー(ライオンとトラの)、レオポン(ライオンとヒョウ)、ラバ(ロバとウマ)のような。人間はどうだろう。カマキリとは無理にしても、他の類人猿との間では?可能性がないわけではないが、倫理上の大問題であるから、学者先生たちは研究をしないらしい(あるいは、公表しないらしい)。その3について。この仮説は、「カマキリ」→「五月みどりのカマキリ夫人」の連想である。私が高校生のときに公開されたポルノ映画なので見たことはないが、当時さかんに宣伝されたのだろう、題名をよく覚えている。見てみたい。中古DVDをポチろうか。二千円以上するんでためらっている。その頃の五月みどりさんのイメージは「年上の色っぽいお姉様」だったが、なに?当時三十代?子供じゃん、と感じるまで年輪を重ねた私である。さて、先とは逆に、他の人が「I島さんは色情狂」と言った場合に、「私」と特定できるだろうか。同様の作業をしてみる。井島さん、生島さん、石島さん、磯島さん、岩島さん……思ったよりいる。因みに、F井さんのコメントの「恋愛対象」を「お友達」に置き換えると、結構切ない。「カマキリがお友達」、転じて「カマキリだけがお友達」……うぇーん(嘘泣き)。なお、「お友達はカマキリだけ」はリズムがよくないからボツ(私はリズム(語呂)を大事にする人間である)。

歩速/不滅の恋人/節穴

2020-10-18 09:02:33 | 音楽
母の付き添いでは歩速を合わせることも大変。普通の人の歩速は時速4キロくらいだそうだが、私は2キロを20分で歩くから時速6キロ(まだまだ体力がありますよアピール)。母は、多分時速500メートルくらいだろう。もちろん「速く歩け」などとは言えない。ゆっくり歩くのは母の権利である。しかし、それに付き合う方も大変。以前、母のいる施設にファニーフェイスの若いヘルパーさんがいて、とっても気立てのいい人だったが、車椅子をゆっくり押すのが退屈だったようで、車はまっすぐ、ゆっくり押しているのだが、自身の足は、右にステップ、左にステップしながらスピードを調節していた。入院の付き添いは待ち時間も長い。今回、それに対処すべく青木やよひさんの書いたベートーヴェンの伝記をキンドルに入れて、それを読んでいた。青木さんの著書は、以前「ベートーヴェン・不滅の恋人」を読んで感銘を受けたが「伝記」もだいたいそれと同様のテイスト。ベートーヴェンがブサイクでもてなかったというのは偉人はそうでなければならないという色眼鏡がもたらした虚像であり、実際はもてたということがベースになっている。一気に読み終えた。ベートーヴェンの不滅の恋人については諸説あるが、その中のアントーニア・ブレンターノ説は世界で青木さんが最初に唱えた説だそうだ。だが、書いたものが日本語だったので世界では認識されなかったそうな(後年、ドイツ語版が出た)。そう言えば、「神の手」による遺跡発掘がウソだったのがバレた事件で、なんで当時の偉い先生方がウソを見抜けなかったかというと、当時の日本の考古学界は日本語のみの世界だったので世界標準の検証がなされなかった、そのせいだって話をこないだNHKがしていた。だから、私も、構想中の官能小説をドイツ語で書こうとしているのである(口からでまかせ)。本題に戻る。ベートーヴェンの不滅の恋人候補はたくさんいる。学者さんたちが、知恵を絞って、あの人だ、いや、あの人だ、と論争している。なんだか、学生の合宿で、夜、布団に入った後、誰々君は誰々さんと怪しい。いや、本命は誰々さんだ。いや、それはカモフラージュで本命は誰々さんだと言い合ってる風である。しかし、そうした雨夜の品定めみたいな話でも、その主人公が世紀の大作曲家ということになると、学者先生の学問の対象になるのである。しかし、なかなか決定打はないようだ。そりゃ、日本の芸能界だって、以前ほどメディアの監視がなかった時代は相当自由にやっていてもバレなかったそうだし、いや、最近だって、石原さとみが一般人と結婚するなんて話はまったくノーマークだったそうだ。卑近な例で申し訳ないが、A合唱団のお姉様が、イージマさんたら最近色気づいてるから絶対誰かできたに違いないと想像する相手が麹味噌合唱団の誰々さんだったり(その誰々さんのわけがないと否定されるたんびに別の誰々さんが浮上したが、現在では候補者が払底している模様)、あと、最近も某君が非常に興味ある珍説(いいお相手だから、その珍説に乗ってもいいくらい)を言ったりする。つくづく、人の目は節穴だな、と思う。因みに、ベートーヴェンの「不滅の恋人」というのは、ベートーヴェンが死んだ直後に見つかった投函しなかった恋文の宛名のことであり、ベートーヴェンが真に好きだった人と必ずしもイコールではない。一番かどうかはともかくとして、ベートーヴェンがヨゼフィーネ・ブルンスヴィクをとっても好きだったのは衆目の一致するところのようで、彼女が産んだミノーナという女の子はベートーヴェンの子ではないかという人さえもいる。そのミノーナさんの写真を見たが、まっこと、ベートーヴェンそっくりである。