万太郎は一人じゃ無かった、全国に研究仲間がいた……って、その前におスエさんがいるじゃないか。オスエさんのいない正太郎(当ブログの筆者の仮名)からすれば贅沢である。正太郎は、おスエさんがいなくても音楽仲間がいるから十分にありがたいと思ってる。因みに、クラシック楽器のシックなソロを多用する今朝ドラのBGMだが、今日の借金取り出現の際の音楽はエレキギターだった。次回もそうなら、作曲者はライトモティーフの手法を用いてることが明らか。綾(万太郎の姉)が出てくると、きまってチェロのソロだったし。
讃歌通唱会で吹いて歌い、歌いまくる会で歌って歌った後、向かったのは「奥地」(上流の地)。奥地のために何点かポチった商品を受け取るためである。
拝島駅の構内の西側の壁は一面ガラス張りで、秩父の山並みを一望できる。台風が近づいてるんで雲が厚い。
ここまでは複線。複線が通ってる地は「奥地」とは言わない。単線になるこの先からが奥地の名に恥じない土地である。
単線は、この写真のように、ホームのところは上下線に別れていて複線のフリをしているが、駅近くの踏切を過ぎると二線が合流して単線になる(化けの皮がはがれる)。私の故郷の中山(競馬場のある中山ではなく、横浜線沿線の中山)も、私が大学生になるまでそうだった。だから、横浜の中心に住んでた高校の同級生などは、中山をチベットと呼んでいた。あるいは、大学の室内合唱団のS嬢などは、団のノートに「はいじまくん(仮名)は天離る鄙から通ってきている」と書いていた(私はこういう言葉があることを同嬢から学んだ)。だが、中山に住んでる私らなどは、横浜線でさらに奥に行ったところの相模原や橋本こそを「(真の)奥地」と呼んでいた。その橋本は、今では京王線が乗り入れて駅前に立派なホールがある。逆転満塁ホームランを喰らった心持ちである。
で、目的地の奥地には、「上流の地」とも言ってるくらいだから、荒川の支流のそのまた支流が流れている。
この川を下っていくと、某川に合流し、さらに荒川に合流し、「下流の地」(私の現住所)にたどり着くわけだ。その「上流」には例によって鯉がいた。
まっこと鯉はどの川にもいる。濁流でも平気。だから近所の川に鯉が泳いでいることは、清流の証しとはならない=自慢にならない。雑食性で口に入るものはなんでも食べるそうだ。植物のほか、小魚やカエルも食べるそうである。そのカエルも口にはいる生き物は何でも食べる。何でも食べるヤツを食べるから鯉は栄養満点である。だから鯉は長寿なのだろう。まれに、人間と同じか、もっと長く生きる個体もいるという。
そんなこんなで3時間かけて、ようやく「奥地の家」に到着。まずは一杯(休日モード)。今のところガランとした居間で、奥地のスーパーで調達した品々をちゃぶ台に並べる。この地での記念すべき初飲食である。
因みに、写真右の3Lのワインのお値段は約1000円。そのことはリサーチ済みであり、この地購入の決め手の一つとなった。「下流の地」の近所のスーパーでは同様のモノが1500円である。
そうこうするうちに宅急便が来た。まっさきに買った物品の中にテレビがあるのは、この地にときどき来るためにアミューズメントが欠かせないからである(少なくとも月に1回来ないと、不動産取得税の軽減を受けられない)。一応32型なのだが、がらんとした部屋の中では小さく見える。宅急便のお兄さんも「今のって、軽いですね」とびっくりしていた。
このテレビ、チューナーレスである。すなわち、地上波やBSは見られない(だから受信料は払わなくてよい)。そもそもテレビアンテナが立ってない。売主様は有線でテレビを見てたそうだが、この際だ、動画配信だけを見る生活も悪くない、と考えた次第。だが、Wi-Fiは必要。固定電話は引かないから光回線経由のWi-Fiは使用不能。すると、挿すだけWi-Fiか、モバイルルーターかと思案したが、試しにスマホのデザリングを使ってみた。おおっ!何の問題もない。スターウォーズが見られる!シン・ウルトラマンが見られる!デザリングだとギガ数が嵩んで料金が高くなるって?いや、私のスマホは楽天なので、料金は使ったG数によるのだが、最大でも無制限で2980円(税抜き)。契約当初は1Gまではタダだった。それが最低でも980円になってずいぶん恨み節を並べたものだが、こういう事態になると実にありがたい。だが、楽天は電波はどう?たしかに、楽天はビルの中だとか地下だとかではつながりにくいという話がある。実際、スマホでGコードを読み取る方式でオーダーするサイゼリヤの店舗で店の奥の方に通されちゃうとてきめんにオーダーに支障が生じた。だが、「私の奥地」ではなんの問題もなくしっかりつながった。デザリングはバッテリーの減りが早いというが、コンセントに挿しっ放しにすればOKである。やった!奥地でのアミューズメント確保、である!
この日届いた荷物はほかにもあるが、テレビと並んで重要性が高いのが布団セット。
さあ、これで連れ込み準備完了である!一つだけ欠けているものがあった。連れ込む相手である。ここで、冒頭の「正太郎にはスエ子さんはいない」につながって物語が完結するのである。なお、布団があって連れ込む相手がいないことを、「仏を作って魂を入れず」と言う(意味はしっかり合っている)。