拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

短気は損気

2023-08-31 06:54:50 | 日記

動物番組で、砂漠でカメレオンが虫を追いかけるシーンに「がんばれ」というナレーションがかぶさったのだけど、これって、カメレオンと虫のどっちを応援してるのかしら。その結末が描かれてなかったので分かりませんでした。もし、カメレオンが虫を捕まえて、「捕まえました!」ならカメレオンの味方、「捕まりました(泣き)」なら虫の味方。虫が逃げ切って「逃しました(泣き)」ならカメレオンの味方、「助かりました!」なら虫の味方だって分かったのに。どっちだったの?Show the flag!(ってこういうとき使う言葉ですわね)

ちょっと前のことなんだけど、朝ドラで、スエ子さんがミエ叔母さん(演じてるのは私の好きな宮澤エマ)にお金を借りに行った際、「壮大なバカ」「想像を絶するバカ」とさんざんな言われよう。まあ、ミエ叔母さんは愛情をもって言ったことがミエミエだったからスエ子は言われたままだったけど、あたくしのようながまんのきかない人間なら言われた時点で「だったらよござんす」と啖呵を切って席をけっていたかも。がまんしてたらスエ子みたいにお金を貸してもらえたのに。まっこと短気は損気。オペラって全然詳しくないんだけど、たまたま聞いたところによると、カバレリアなんとかってシチリアを舞台にしたオペラがあって、人の奥さんに横恋慕した若者が奥さんの夫から果たし状をつきつけられて、逃げるか謝るかすればよかったのに思わず受けて立っちゃって、で、あっという間に殺されちゃったんですって。バカよね……って人のことは言えないわね。

シチリアって言えば、「ゴッドファーザー」の舞台。コルレオーネって実在の地名なんですって。それってどうなのかしら。映画の舞台だってことで人が行きたがるものなのかしら。それともマフィアがピストルをパンパン撃つから怖いと思って敬遠されるのかしら。でも、もともと、映画の舞台じゃなければ他所の人は知らない所でしょうからね、やっぱり集客効果の方が大きかったのかしら。そう言えば、第3作のエンディングで、実在のマッシモ劇場の正面階段でメアリーが撃たれちゃうのよね。劇場がよく撮影を許可したな、と思ったのだけど、「撮影に使われた」ことも劇場の宣伝になってるみたいね。


独りじゃなかった

2023-08-30 12:31:49 | 日記

拝島は、青梅線、五日市線、八高線、西武拝島線が交叉しているのですが、その中の八高線は、八王子と高崎を結んでいるから八高線と名付けられたにもかかわらず、いまでは、八王子・高崎間の直通運転はありません。八王子から乗って高崎に行こうと思ったら高麗川で乗り換えなければなりません。じゃ、どことつながってるかというと川越。そう、川越線に乗り入れているのです。

てなわけで、また奥地に行ってきました。ただみたいな家だからあれこれメンテナンスをしなければならない。で、その地は川越からも、飯能からも、拝島からも、八王子からも行けるんだけど、奥地過ぎて、どのルートを使っても所要時間に大差がありません。で、このたびは飯能経由でまいりました。途中、入間市駅を通るんだけど、このあたりに入ると、遠く秩父の山々が見えてきて、がぜんテンションが上がります。

実は、この駅の近くに35年くらい前、2年ほど住んでおりましたが、こうした景色を見た覚えがございません。まだ、山ガールになる前だったから、眼中に入らなかったのでしょう。人間って、興味のあるなしでこんなに変わってくるのですね。

で、今回行きましたのはね、現在の最上位課題=「ガス契約をせずにお風呂に入ろう」の解決策として購入した「お風呂バンス」(中古)を試してみたかったから。浴槽に水を張って、その中に入れて、コンセントにつなぎスイッチオン。そしたらぶくぶく泡が出てきて「仕事をしてる風」。

1時間半で入れるくらいになりました。このおうちでの初入浴。正直、この時期、だまってても蛇口からはお湯が出てくるからすぐに入れるかと思ったらそうでもなくて。「冬場は8時間かかる」はホントだろうな。

「初」と言えば、窓から富士山が見えました。

左の端、二本の鉄塔の間くらいが頂上。富士山が見えることは、下見に来たときに確認済みだったけど、購入後見たのは初めて。富士山を見ると、いいところに来た!と思う。

にもかかわらず、奥地の家に向かうときいつも後ろ髪をひかれる思いになるのはなぜかしら。分かった。猫よ。猫のいない場所に行くのが寂しいのよ。あたし、独りぼっちって言ってるけど、けっして独りぼっちじゃなかった。猫に癒やされていたのですね。で、奥地に行くと、ホントの独りぼっちになってそのことが身に染みて感じられるのですね。半世紀前、天地真理が「♪ひとりじゃないって素敵なことね」って歌を歌ってた。その通りだわ。

そのお猫さんたち。あたしが戻ったとき、いつものようにくつろいでおりました。

この光景が、私にとっての日常なのでございます。


購買部、がんばってます!

2023-08-29 06:52:53 | 日記

ワタクシ拝島正子が代表を務めております「拝島娯楽企画」(オフィスは足立区と某奥地の二箇所)で現在活動しているのは、購買部と賄い部、それと経理部のみでございます。営業部は廃部となったから収入はございません。それでも、購買部は良い備品を一円でも安く仕入れるため日夜知恵を働かせておりますし、賄い部は一日三食せっせと賄いご飯を作ってます。経理部も家計簿作りに余念がございません。これらは立派な労働。お金を稼がないから働いてないと考えるのは家事労働の大事さを過小評価することにつながる考え方で、いかがなことか、と存じます。因みに、これら3部の所属員は各1名で同一人物、つまりワタクシでございました。おっほっほ。

で、その購買部が最近一番頭を悩ませましたのは、奥地のオフィスでお風呂の水を温める電気ヒーター(昨日、あさイチで「365歩のマーチ」を歌って人々に感銘を与えたのはチーター)。いろいろ比較した末に、お風呂用に特化した「お風呂バンス」にいたしました。元はかなり高価なので中古を。今の季節なら、結構、すぐ湧くんじゃないかしら。でも、冬場は浸かれるようになるまで8時間かかるらしい。いずれにしても、これってガス契約をしないことが前提だから、しちゃったらとりあえずはいらなくなるんだけど、給湯器が壊れたときに役に立つ。給湯器って壊れるんですよ、実際、足立区のオフィスでは10年ごとに壊れて、その都度30万円で新調してましたから(合う機種が一つだけなので、ぼったくりでございます)。

今、購買部が考えておりますのは海産物の購入。これまで、某Gスーパーで某国産の海産物の乾物をやっすく買っておりましたが、その某国が日本産の海産物の全面輸入禁止を決めました。日本の水産業者、困っちゃうわね。可愛そう。でも、日本人1億人が一人あたり年間1600~1700円分食べれば埋め合わせができるんですって(クローズアップ現代より)。あら、じゃあ国産に全面転換しようかしら。賄い部にも相談してみる。賛成ですって(同一人物ですけど)。

なお、当ブログにおける「拝島娯楽企画」は架空の名称であり、実在の個人・団体とは一切関係がございません。


仙女

2023-08-28 11:40:03 | 日記

今朝のあさイチで、「40代女性の66.7%が『趣味を持ちたい』と思ってる」と言っておりましたわね。あたしもそう。趣味が欲しい。え?拝島さんは音楽が趣味だろうって?そう言えばそんなことを言っていた拝島さんがいらしたけど、あれ、ウソなんですって。なんかいい趣味ないかしらん、と言ってましたわ。

ウソと言えば、国連の会議で国の代表者がウソをつき、議題に関係のない話をし、他の国のことをさんざんに言っていて。まるで、ワタクシたちしもじもの者の喧嘩と一緒。あっ、ワタクシどもの代表者でしたわね。だったら一緒なのは当然だわ。なるべくたくさん味方を集めた方が勝ちなのも一緒(家康さんも、結局「多勢に無勢」で関白様の子分になられます)。だから、ウソを言ってでも味方を作ろうとするのよね。それも一緒だわ。

じゃあ、そういうのが苦手な人はどうしたらいいの?一ついい考えがあります。もっと怖い相手を探し出すこと。そうすれば、これまでのお相手なんか全然怖くなくなって、もしかすると天使に見えるかもしれなくてよ。

でも、そんなことばかり考えてるのって悲しい。人生損した気分。だったら、いじめられたこととか忘れたらいいって?でもね。それを忘れて近づいていったらまたいじめられのよ。あたしね。子供の頃、近所のお友達のところに行っては泣かされて帰ってきてね、もう行かないと思うんだけど、結局また遊びたくなってのこのこ出かけて行って、で、また泣かされて帰ってくるの。そんな風になっちゃうのっていやだな。

だから仙人になりたいって思うのね。女だから仙女ね。仙人・仙女って、山奥で修行するうちに超能力を身につけるんですって。まるでジェダイ。そう言えば、オビワン・ケノービも人里離れた奥地で仙人みたく暮らしてたっけ。


愚ログにいらっしゃいまし!

2023-08-27 06:46:50 | 日記

拝島正子です。ブログを書いてます。「おとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり」で始めた愚ログでございました(「愚ログ」=愚かなワタクシのブログを縮めたカタチ)。

なんのためにもならない愚ログですけれど、たまには、そういうのもよござんすよ。高貴な記事ばかり読んでるとお疲れあそばすでしょ?お気が向いたら是非お寄りくださいませ!

因みに、「愚かな」が口癖だったのは「男はつらいよ」の寅様でございました。よく、「愚かな誰々」とおっしゃっておりましたよね。


黒歴史はアーカイヴ入り

2023-08-26 17:20:01 | 日記

大昔に買った「電子レンジで調理できる鍋」、当時「使えない」と判断したのだが、ガス契約をしてない奥地でどうか?と思ってご飯を炊いてみた。上手く炊けた。

しかも美味い。これは使える!なぜ「使えない」と思ったのだろうか。

奥地の居間の照明はリモコンがいかれていて点かない。リモコンを売ってるから買おうか。はっ、と思い出した。押入に使ってない照明が眠っている。それを活用しよう。

点いた(当然だけど)。

以上、「アーカイヴの活用」と言おうと思ったが、「アーカイヴ」は文書やコンピューターのデータに限るようだから、ここでその表現を使うのは不適切のようだ。

本当の意味の「アーカイヴ」にしまったのはフェイスブックの過去の投稿。「黒歴史」を、当初、削除しようと思ったが、せっかくいただいたコメント等は大事にしなければ。そうだ、「アーカイヴ」に移せばいい。で、作業を始めたのだが、最初は、ある程度の分量をまとめて移動できていたのだが、途中からできなくなり(まったく、フェイスブックときたら(でも後で感謝する))、一個一個移動していったらもう面倒臭くて、よっぽどアカウントごと削除しようって考えも頭をかすめたが、そうしたらいただいたコメントが消えちゃうほか、メッセンジャーでの連絡もできなくなっちゃうので、気を取り直してがんばりました。すると、明けない夜はない!2012年のある投稿を移したら「表示できるデータはありません」の表示。それが最後(=最初)の投稿だった。私、我慢強くよくがんばりました(この我慢強さがほかのところで発揮されればいいのに)。

因みに、作業中、誤って、アーカイヴに移すべき投稿を削除していたことに気づいた。かなりの分量である。しまった、どうしよう。だが、削除した投稿も30日間は保存されると知り、しかも、それらをまとめてアーカイヴに移すことができた。フェイスブック様、ありがとう、と思ったワタクシであった(誰に対しても、必要なときは感謝の心を忘れないワタクシである)。


サブスク

2023-08-20 10:29:29 | 日記

「男はつらいよ」第1作で一番好きな(笑える)シーンは、さくらの結婚式の集合写真で寅さんが「チーズ」と言うべきところを「バター」というシーン。だが、このたび見直してみたら、その前の別のシーンで既に御前様(笠智衆)が「バター」と言っていた。それでも、タイミングや声のトーンは渥美清が絶妙である。他の出演者はリハーサルで分かってるはずなのに本番の寅さんの「バター」にこらえきれず、思わず笑っていた。

寅さんのテキ屋稼業の口上にはいくつかパターンがあるが、その中に「ちゃらちゃら流れるお茶の水」がある。御茶ノ水あたりを流れてるのは神田川。すると「御茶ノ水」とは神田川の水か?そうではなかった。近くのお寺の境内の湧き水が将軍のお茶に使われたことから御茶ノ水になったそうだ。そうだよな、あのあたりの神田川だったら「ちゃらちゃら」ってことはないよな。

「ちゃらちゃら流れる御茶ノ水」に続くのは「いきな姐ちゃん立ち小便」。おおっ!この「姐ちゃん」のこそはフランスの貴婦人である。ヴェルサイユ宮殿にはトイレがなく、貴婦人は庭で用を足したという。その際、あの落下傘のようなスカートが目隠してとして役にたったという。

あと、マドンナとデートした後、寅さんがご機嫌で歌を歌いながら家路につくシーンがある。この歌がアカペラであるにもかかわらずピッチが安定していて大したものである。渥美清の歌の上手さは相当なものである。その妹のさくらもしかり。なんかの番組でさくらの倍賞千恵子が歌を歌った後、山本直純が思わず「倍賞千恵子さん、歌が上手いねー」と感嘆していた。さすが兄妹!血は争えない(って、兄妹はあくまでも役の上のことで、実際は血がつながってるはずはないのだが)。

この第1作では、佐藤蛾次郎演じる源公は出るには出てるがまだ寅さんとのからみは少ない。寅さんの舎弟の位置にいるのは津坂まさあき(後の秋野大作)である。秋野大作で思い出すのは「俺たちの旅」。中村雅俊と田中健と秋野大作が出演した青春もので、大学を出て会社に入るが三人とも脱落して「何でも屋」を始める話。洋子って女性をめぐる色恋話もからめていて、ちょうど大学生の頃だった私はキュンキュンしながら見ていたものである。

その「俺たちの旅」のDVDマガジンが最近発売になった。以前の私なら飛びついたかもしれないが、もうコレクションはいい(genug)。映画などは動画配信でいくらでも見られるし、クラシックの映像だって、例えばドイツのグラモフォン社がカラヤン、クライバー等々の映像の配信をしているご時世。時代は、サブスク(所有せず配信で済ます文化)である。だから、録ったものは基本的に視聴して消し、増やさない。輸入超過は貿易摩擦を生むだけである(関係ない)。とか言いつつ「古楽の楽しみ」は別である。ジャンル的に他所ではなかなか手には入らない音源が含まれている。FMを録ってはせっせとパソコンのデータに移している。

因みに、「俺たちの旅」で秋野大作はことあるごとに「オレは早稲田大学を出てるんだぞ」と言ってえばっている。だが、結局会社をやめてしまい、他の二人と一緒に「何でも屋」をやるあたりは、まっこと正しい早大生のあり方である。


再起

2023-08-19 11:28:19 | 音楽

昨日の記事の「今の季節、猛暑だから『営み』は危険」に以下を追加する。「営みは、水分をとりながら、冷房を適切に使用した部屋でいたしましょう」

「信州信濃の『そば』よりも、わたしゃあなたの『そば』がいい」寅さんの名口上の一つである。「男がつらいよ」を外国で上映・放送する際、この名口上をどうやって伝えるのだろう?そうそう真似のできるものではない。

女性に振られる「たび」に「たび」に出る寅さんだが、どっかの駅に張ってあったポスターに新潟と会津若松を鉄道で結ぶルートが書いてあって、このあたりに「たび」においで!と宣伝していた。そうそう、新潟と福島はつながってんだよな。昔、仙台で「たび」をした際、東北を紹介する博物館に行ったら上杉家のことを紹介していて、え?上杉って越後(新潟)のはずだけど、と思ったら、謙信亡き後会津に移封されたと聞いて、見知らぬ遠い土地へ移されちゃって大変だったねー、と思ったが、実は「隣の藩」への移動であった。

因みに、私の「下流の家」(現住所)と「上流の家」(奥地)の間の距離は、新潟と会津若松の間の距離よりも若干短い程度。片道3時間かかり、往復するとぐったりである。昨日もその奥地に行ってきたのだが、駅を降りると、お友達に出迎えられた人が「意外と田舎じゃなかった」と言ってるのが聞こえた。ってことは、やはり田舎ってことである。

その田舎らしいところの一つに、電車のドアが勝手には開かないことがある。乗りたい降りたいと思ったら開閉ボタンを押さなければならない。こういうところでも人は競争心を持つようで、自分が最初に押したいと思う人は、電車が止まる前からボタンに手をかけている。逆に、ばい菌が心配でボタンを押したくない人は、押しそうな人を見つけてその人の後に控える作戦をとる。それから、単線の駅では、上りと下りがほぼ同時に発着することに気づいた。駅と駅の間ですれ違うことができないからだろう。

今回奥地の家に行った目的の一つは、現住所で出番がなくなったピザ・メーカーを持って行くこと。現住所ではアラジンのトースターにポジションを奪われてくすぶっていたが、新天地で活躍の場が与えられて大張きりである。

張り切りすぎてピザが真っ黒に焦げてしまった。そうだ、これ、400度まで温度が上がるから焼くときは目盛りを下げなければいけないんだった。ドンマイ!次は上手くやろうね。

あと、居間の照明がリモコン式なのだが、接触が悪くなってリモコンが作動しないので、紙やすりを持ってって電池の接触部分を拭いたのだがダメだった。そうだ!現住所の押入に照明器具が一つ眠っていた。次回はあれを持ってこう。また一つ、二軍でくすぶっていた古参に活躍の場を与えられてうれしい。

そうした連中は、リュックに入れて、片道3時間電車に乗って運ぶのである。マイカーがあればいっぺんに運べるのだろうが、私はペーパードライバーで今さら運転はできない。奥地の家の駐車場は、現在のところは無用の長物である。だが、自動運転車が出回る時期がくるかもしれないので、免許証は返納しないでいる(アメリカでは既に、無人タクシーの実験が公道で行われている)。

今回、もう一つ目的があった。庭のトマトやミニトマトを収穫することである。そしてその写真をこのブログにアップしようと目論んでいた。だが、時既に遅し。みんな割れて痛んでいた。よし、このままほっぽっとこう。すると種が落ちる。そうして来年の大豊作を期待しよう。


ゴッドファーザー<おまけ>

2023-08-18 09:59:34 | 日記

昨日の記事で、「イタリアのオペラ歌手ならよくて、日本の俳優はだめというのは平等原則に反する」と書いたが、それに対しては「文化が違う、日本は倫理の国である」という反論があるかもしれない。それに対してはこう再反論しよう(実際に起きてない反論を想定して備えること=危機管理)。すなわち、日本は、もともとどの国にも増して性におおらかであった。古事記の冒頭(お子様用にぼかしてないヤツ)を読めば分かる。お祭りなどは、まさに絶好の男女の営みの場であった。ある大河ドラマで、夏祭りの最中に次から次へと男女が手に手を取って暗がりに消えていくシーンがあり、おお!これこそ日本の原風景。NHK様、よくぞ放送してくださいました、と思ったものである。私の現住所に近い筑波山などは、まさに「そういう」山だったそうだ。なお、夏にそういう行為が盛んになる点は、ヨーロッパでも同じようで、オペラ「バラの騎士」で、バロン・オックスが元帥夫人に「最高なのは6月(ユーニ)、7月(ユーリ)、8月(アウグストゥ)」と歌うシーンがある。だが、近年のような猛暑で夜になっても気温が下がらないような状況では、夏は控えた方がよいかもしれない。

結局、このお盆にゴッドファーザーの三部作を全部見直したので、追加の感想をいくつか。
1.楽隊が音楽を奏でるシーンでは、クラリネットがかなり目立っていた。私がクラリネット吹きだからそう感じたわけではないと思う。
2.第1作が公開された際、ニーノ・ロータの主題歌に日本語の歌詞を付けた歌がよくテレビから流れていた。ニーノ・ロータは、他にオリヴィア・ハッセーの「ロミオとジュリエット」の音楽も有名だが、オペラも書いていて、「フィレンツェの麦わら帽子」をCSで聴いたことがある。
3.第2作でヴィトーの青年期を演じたデ・ニーロのしわがれ声は第1作で同役の晩年を演じたマーロン・ブランドの声真似だが、ブランドのしわがれ声も作った声である。だから、この後の「スーパーマン」でクリプトン星の科学者(スーパーマンの父)を演じたときは声も姿もまるで別人であった(思わず「クリンプトン星」と書きそうになったのは、「スタートレック」の「クリンゴン星」の影響である。クリンゴン人は当初人類の宿敵だったが、後年の映画シリーズでは仲良しになっていた。仲良きことは良いことである。
4.例によって字幕の意訳が気になった。例えば、男女が別れるとき男が「Love semebody else!」(他の男を愛しな)と言ったのが「俺のことを忘れろ」になっていた。こうなると、翻訳というより創作である。
5.PartⅢのタイトルの邦題は「ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期」。英語の原題は「The Godfather Coda: The Death of Michael Corleone」。「Coda」を「最終章」と訳しているが、音楽用語の「Coda」は、独立した楽章というよりも、楽章内の最後の部分を言うから、「ゴッドファーザー<おまけ>」がより原題に忠実だと思う。それよりも「最期」とあるからいよいよマイケルが死ぬのかと思ったら最後まで死なない。そうか、「最期」とはここでは「末路」の意味なのか、とも思ったが、原題が「The death of……」だからやはり死なないのは変。撃たれて代わりに死んだのは娘のメアリーである(一瞬「マリア」と書きそうになった。現在、脳内は英語よりイタリア語が優勢である。演じたのは監督のフランシス・コッポラの娘である)。なお、スターウォーズ・エピソードⅥ(ジェダイの帰還)で、公開前に「ルーク、レイア、ハンソロ等の主な登場人物はみんな死ぬ」という偽情報を雑誌で読んだせいで、いつ死ぬのか気が気でなくて、とうとう死なないままエンドロールになって、ここまでの「はらはら感」を返してほしいと思ったものである。


マイケル~ヒロスエ

2023-08-17 08:03:29 | 音楽

ゴッドファーザー三部作すべてに登場するマイケル・コルレオーネの「マイケル」は、大天使ミカエルに由来する男性名の英語読みである。ミカエルはラテン語読みで、ドイツ語ではミヒャエル、フランス語ではミシェル、イタリア語ではミケーレとなる(マイケル・コルレオーネもイタリアでは「ミケーレ」と呼ばれていた)。

大天使ミカエルは、日本での「天使」のイメージ(羽のはえた赤ん坊)と違い、悪魔との戦いの最前線に立つ武闘派だから、絵画においては甲冑をまとい剣を手にしている(モツレクの「サンクトゥス・ミカエル」の箇所もなかなか勇ましい)。さらに、「大天使」というくらいだからたいがい巨大。萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」(光瀬龍原作)でもそうとう巨大に書かれていて、畏怖の念すら感じる。

私見では、日本で有名な「マイケル」のツートップは、マイケル・ジャクソンと、「ホワッツ・マイケル」のマイケル(猫)である。なお、「ホワッツ・マイケル」をイタリア語で言うと「Che cosa é Michele?」である(と思う)。

男性名と言ったが、語尾を変えたら女性名にもなる。その場合、ドイツ語ではミヒャエラ、イタリア語ではミカエラ、英語では……はて、マイケルをどう変化させると女性名になるかと思ったら、ミシェルだって。そう言えば、オバマ大統領夫人はミシェルだったなぁ。なんで、急にフランス語っぽくなるんだろう。だったらフランス語はどうなんだ?と思ったら、男性名の「Michel」に「le」と付けて「michelle」。で、フランス語は語尾の「e」を発音しないから結局読みは男性名と同じ「ミシェル」になるそうだ。

実は、子供の頃は、逆にフランス語の「ミシェル」は女性名専用だと思っていた。ビートルズのポール・マッカートニーが♪ミーシェール、マ・ベール……(ミシェル、ボクの愛しい人)と歌っていたからだ。だから、その後、映画「禁じられた遊び」を見て、男の子が「ミシェル」なのが不思議だった。

「ミカエラ」で思い出すのがイタリアの名ソプラノのミレッラ・フレーニ。フレーニは「カルメン」のミカエラ役でオペラデビューを果たした。そして、最初の夫のレオーネ・マジエラ(指揮者)との間にできた子をミカエラと命名。フレーニは、その後バス歌手のニコライ・ギャウロフが好きになり、夫に離婚を切り出す。夫は承諾しながらも、ミカエラが大きくなるまで待とうって話になって、で、その通りミカエラが大きくなってから二人は離婚した。元夫のマジエラは、その後、パヴァロッティが出るコンサート(三大テノールを含む)でよく指揮をしていた。そのパヴァロッティはフレーニと幼なじみで、乳母が同じで、男女の営み以外のすべてを一緒にした仲だそうだ。

フレーニは離婚後、ギャウロフと再婚。そう言えば、日本ではつい最近ヒロスエのことで騒ぎがあった。フレーニのことは、イタリアでニュースになったのだろうか?いずれにせよ、同じような話なんだから、フレーニについて「まあしょうがない」と思ったんならヒロスエについてもそう思うのが筋である。イタリアのオペラ歌手ならよくて、日本の俳優はだめというのは平等原則に反する(と真剣に思っているわけではない(所詮、人のことだし))。


コルレオーネ

2023-08-16 08:14:00 | 日記

某駅のホームから見える光景である。

初めて見たときは、本物のスパイダーマンか、と思わぬまでも、生きてる人間だと思った。だが、彼は朝も昼も夜も、昨日も今日も明日も同じ位置で同じ態勢で張り付いている。

昨日の記事だが、「サンダ対ガイラ」のタイトルにもかかわらず結構読んでくださった方がいてびっくり。こりゃいかん、とあわてて「水車屋」の楽譜を開いたワタクシであった。もちろん私自身は「サンダ対ガイラ」が好きなのだが、書いた後ググって知ったことなのだが、結構、この作品はマニアの間では人気作のようで、ティム・バートンが本作品を大好きと言ってるのは分かる気がするが、ほかにもブラッド・ピットが本作品への愛を語り、斎藤工にとってもお気に入りの作品なのだという(以上Wikipediaより)。

映画と言えば、なんだかBSではしょっちゅうゴッドファーザーを放送してる気がするが、ゴッドファーザーの特にPart2は、過去と現在がクロスし、かつ、それぞれアメリカと外国(イタリア、キューバ)に話がまたがる大作だから何度も見ても見応えがある。以下、今回の感想である(私のことだから、全うな感想文でないことは予めお断りしなくても周知のことであろう)。

1.冒頭、村人が「あんたの息子が殺されたよ」と叫ぶシーンは、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」のラストで村人が「トゥリッドウが殺されたよ」と叫ぶシーンを彷彿とさせた。舞台は同じシチリアである。
2.その後、母親が生き残った息子ヴィトーを連れてドンなんとかのところに行って息子の命乞いをするシーンを見て、平治の乱の後、牛若らを連れて平清盛の元に出頭した常盤御前もかくや?と思った。
3.一人、シチリアを逃れてアメリカに渡ったヴィトー(まだ子供)が入国審査の際、コルレオーネから来たんで名字がコルレオーネになったのを見て、カウンターテナーのジャルスキーの祖父がフランスに来た際、ロシア人か?と聞かれて「はい(Ja)、ロシア人です(ルスキー)」と答えたんで名字がジャルスキーになった話を思い出した。
4.後半の公聴会のシーンで「父親の出身は?」と聞かれたマイケルが「コルレオーネ」と答えたときの字幕が「シチリア」になっていた。そりゃ、シチリアには違いなかろうが、そこまで意訳しなくてもいいのに、と思った。
5.その公聴会で、イタリア人(役の役者)は、「コルレオーネ」を「コルレオーニ」と発音していた。なるほど、イタリアでは名字の末尾は「イ」だよな、だからかな、と思った。
6.最初に本作を見た頃は、マイケルを演じたアル・パチーノとヴィトーを演じたロバート・デ・ニーロを逆に認識していた。そのデ・ニーロの声、あれ?こんなにかすれ声だっけ?と思ったが、第1作でヴィトーの晩年を演じたマーロン・ブランドの真似をしたという話である。
7.若き日のヴィトーの自宅は、奥にキッチンがあり、衝立をはさんでテーブルがあって、できあがった料理をキッチンで受け取ったヴィトーがテーブルに運んでポンと置く(そこには客が座している)。その光景がなんとなく好きである。私もあんな感じで、奥地の家で、ダイニングテーブルを脇に置いて、料理を作ってはポンとテーブルに置こう(そこに座してる人はいないが)、でも、ちゃんとしたダイニングテーブルは本格引越の際に持っていくからとりあえず折りたたみ式テーブルで間に合わせようと思ってポチったヤツの高さが全然足りなくて(高さをチェックしなかった)、テーブルの代わりになるようなものではなかった。

とりあえず調理器具置場にはなりそうである。


サンダ対ガイラ

2023-08-15 08:22:56 | 音楽

万太郎の妻・スエ子は、実家では「おすえ」と呼ばれていた。今朝、炊いたご飯に「お焦げ」があったのを見て、なんで「焦げ」に「お」を付けるのだろう?と思ったついでに「おすえ」のことを思い出した次第である。

スエ子と言えば、草刈正雄さんの御母堂がスエ子さん。そのスエ子さんは、草刈さんに「(草刈さんの)父親(米兵)は朝鮮戦争で亡くなった」と言っていたが、実は最近までアメリカで存命だったことが昨日の「ファミリーヒストリー」で判明。衝撃の事実だ。人んちの重大な歴史を私らがテレビで知っていいの?とちょっと思ってしまった。そのお父様の若い頃の写真を見ると、草刈さんのイケメンは父親譲りだな、と思う。草刈さんはイケメンだが(「だが」ってことはないが)、その芝居は好きである。印象に残ってるのは、大河「真田丸」の真田昌幸と、朝ドラ「私の青空」のヒロイン(田畑智子)の隣人役である。

閑話休題(次も閑話)。テレ東で映画「パニック・マーケット」を見た。「マーケット」を「市場」(しじょう)の意味に解し、パニックが次から次へとやってくるって意味だろうと思ったが、この映画はB級映画ということで、B級映画にはB級映画なりの邦題が付くと聞いて、これ、スーパーマーケットが水没して残された客が次から次へと人食いザメに食われる話だから、その「マーケット」のこと?と思い直した。

B級映画でも十分楽しめた(B級グルメでも十分おいしいのと一緒。因みに5文字のお店はB級グルメの範疇だろうか?)。一口に「人食い」と言っても、人を食う主体によって大きくジャンル分けされよう。まず、本作を含むサメもの。その金字塔は「ジョーズ」だろうか。それから、人が人を食う話。私は、このジャンルは、大昔に「食人族」を見て閉口して以来敬遠してるのだが、それでもいくつか見た中に含まれるのが「羊たちの沈黙」に始まるレクター博士シリーズ、それと、ジョニー・デップの「スィニートッド」。あと、食人家族の息子の妻にさせられそうになったヒロインが逃げ出す話があったが題名を思い出せない。

意外にも、怪獣はあまり人を食わない。だが、食うヤツもいる。ガメラシリーズに登場するギャオスである。ゴジラシリーズに人を食う怪獣が出てきた記憶はない。だが、東宝作品ということならいるいる。「サンダ対ガイラ」のガイラである。最近の「進撃の巨人」はガイラに似てると思っている。

テレ東の映画と言えば、母の生前にこれを毎日見て感想文を書けと奨めたのは認知症予防の意味もある。だが、母は、息子の言うことを聴くことなくボケた。因みに、私自身は、別にテレ東の映画を見なくても別にライフワークがある。シューベルトの「美しい水車屋の娘」を全曲さらってミニ・リサイタルを開くことである。おっ、そんなことを宣言しちゃって実現しなければ音楽仲間に口ばっかりって言われないかって?大丈夫。今回の記事は、音楽仲間の9割が「人食い」で脱落し、残された1割も「サンダ対ガイラ」で全滅してるだろうからリサイタル宣言まで到達した人はいないと思われる(そもそも、タイトルが「サンダ対ガイラ」なら音楽仲間のほとんどが最初から見向きもしないだろう)。

因みに、ブリュンヒルデが眠る岩山は険しいうえに、あたりを炎が覆っているから、一人を除き、ブリュンヒルデに到達する人はいなかった。その一人がジークフリートである。なお、ブリュンヒルデとジークフリートは叔母・甥の関係であり、三親等の傍系血族だから、日本ではその婚姻は許されていない。それでも、事実婚はあるらしく、内縁の夫(叔父)の死後、妻(姪)の年金支給請求が認められた裁判例がある(特殊な事情のもとではあるが)。


仏を作って魂入れず

2023-08-14 08:22:58 | 日記

万太郎は一人じゃ無かった、全国に研究仲間がいた……って、その前におスエさんがいるじゃないか。オスエさんのいない正太郎(当ブログの筆者の仮名)からすれば贅沢である。正太郎は、おスエさんがいなくても音楽仲間がいるから十分にありがたいと思ってる。因みに、クラシック楽器のシックなソロを多用する今朝ドラのBGMだが、今日の借金取り出現の際の音楽はエレキギターだった。次回もそうなら、作曲者はライトモティーフの手法を用いてることが明らか。綾(万太郎の姉)が出てくると、きまってチェロのソロだったし。

讃歌通唱会で吹いて歌い、歌いまくる会で歌って歌った後、向かったのは「奥地」(上流の地)。奥地のために何点かポチった商品を受け取るためである。

拝島駅の構内の西側の壁は一面ガラス張りで、秩父の山並みを一望できる。台風が近づいてるんで雲が厚い。

ここまでは複線。複線が通ってる地は「奥地」とは言わない。単線になるこの先からが奥地の名に恥じない土地である。

単線は、この写真のように、ホームのところは上下線に別れていて複線のフリをしているが、駅近くの踏切を過ぎると二線が合流して単線になる(化けの皮がはがれる)。私の故郷の中山(競馬場のある中山ではなく、横浜線沿線の中山)も、私が大学生になるまでそうだった。だから、横浜の中心に住んでた高校の同級生などは、中山をチベットと呼んでいた。あるいは、大学の室内合唱団のS嬢などは、団のノートに「はいじまくん(仮名)は天離る鄙から通ってきている」と書いていた(私はこういう言葉があることを同嬢から学んだ)。だが、中山に住んでる私らなどは、横浜線でさらに奥に行ったところの相模原や橋本こそを「(真の)奥地」と呼んでいた。その橋本は、今では京王線が乗り入れて駅前に立派なホールがある。逆転満塁ホームランを喰らった心持ちである。

で、目的地の奥地には、「上流の地」とも言ってるくらいだから、荒川の支流のそのまた支流が流れている。

この川を下っていくと、某川に合流し、さらに荒川に合流し、「下流の地」(私の現住所)にたどり着くわけだ。その「上流」には例によって鯉がいた。

まっこと鯉はどの川にもいる。濁流でも平気。だから近所の川に鯉が泳いでいることは、清流の証しとはならない=自慢にならない。雑食性で口に入るものはなんでも食べるそうだ。植物のほか、小魚やカエルも食べるそうである。そのカエルも口にはいる生き物は何でも食べる。何でも食べるヤツを食べるから鯉は栄養満点である。だから鯉は長寿なのだろう。まれに、人間と同じか、もっと長く生きる個体もいるという。

そんなこんなで3時間かけて、ようやく「奥地の家」に到着。まずは一杯(休日モード)。今のところガランとした居間で、奥地のスーパーで調達した品々をちゃぶ台に並べる。この地での記念すべき初飲食である。

因みに、写真右の3Lのワインのお値段は約1000円。そのことはリサーチ済みであり、この地購入の決め手の一つとなった。「下流の地」の近所のスーパーでは同様のモノが1500円である。

そうこうするうちに宅急便が来た。まっさきに買った物品の中にテレビがあるのは、この地にときどき来るためにアミューズメントが欠かせないからである(少なくとも月に1回来ないと、不動産取得税の軽減を受けられない)。一応32型なのだが、がらんとした部屋の中では小さく見える。宅急便のお兄さんも「今のって、軽いですね」とびっくりしていた。

このテレビ、チューナーレスである。すなわち、地上波やBSは見られない(だから受信料は払わなくてよい)。そもそもテレビアンテナが立ってない。売主様は有線でテレビを見てたそうだが、この際だ、動画配信だけを見る生活も悪くない、と考えた次第。だが、Wi-Fiは必要。固定電話は引かないから光回線経由のWi-Fiは使用不能。すると、挿すだけWi-Fiか、モバイルルーターかと思案したが、試しにスマホのデザリングを使ってみた。おおっ!何の問題もない。スターウォーズが見られる!シン・ウルトラマンが見られる!デザリングだとギガ数が嵩んで料金が高くなるって?いや、私のスマホは楽天なので、料金は使ったG数によるのだが、最大でも無制限で2980円(税抜き)。契約当初は1Gまではタダだった。それが最低でも980円になってずいぶん恨み節を並べたものだが、こういう事態になると実にありがたい。だが、楽天は電波はどう?たしかに、楽天はビルの中だとか地下だとかではつながりにくいという話がある。実際、スマホでGコードを読み取る方式でオーダーするサイゼリヤの店舗で店の奥の方に通されちゃうとてきめんにオーダーに支障が生じた。だが、「私の奥地」ではなんの問題もなくしっかりつながった。デザリングはバッテリーの減りが早いというが、コンセントに挿しっ放しにすればOKである。やった!奥地でのアミューズメント確保、である!

この日届いた荷物はほかにもあるが、テレビと並んで重要性が高いのが布団セット。

さあ、これで連れ込み準備完了である!一つだけ欠けているものがあった。連れ込む相手である。ここで、冒頭の「正太郎にはスエ子さんはいない」につながって物語が完結するのである。なお、布団があって連れ込む相手がいないことを、「仏を作って魂を入れず」と言う(意味はしっかり合っている)。

 

 

 

 


本番後は肉を食え

2023-08-11 19:42:26 | 音楽

これが本日のワタクシの陣地である。讃歌の通唱会であった(「讃歌」=メンデルスゾーンの交響曲第2番。ベートーヴェンの第九と同様に声楽が入る曲)。オケの土台は麹味噌オケ(仮名)。合唱団の土台はおなじみ麹味噌合唱団(仮名)。私は後者の所属であったが、今回、珍しいことに、オケにクラの欠員が生じたとのことで同じ麹味噌でもオケの方に讃歌ではなく参加させていただいた(かようなオヤジギャクをしたくなくてもパソコンが勝手に変換するのである)。

せっかくのクラを吹く機会である。クラの1stがあるところは全部それを吹き、ないところは、合唱があればアルト。それもなければテナーのソロを歌った(通唱会とはそういうのを許すシステムである)。だから、一応、クラリネットと歌の二刀流ということだが、今回私を誘ってくださったY先生などは、私の右側におわしたのだが、クラとオルガンの二刀流であり、その変化(へんげ)ぶりは目を見張るようであった。

てなわけで、右隣には頼りになるY先生がいらしてクラのアンサンブルを愉しみつつ、左側にはファゴット嬢がいらして、この方とのアンサンブルも喜びであった。すなわち、「両手に花」である(お二人にとっては、「隣に不審者」であったろう)。

終わってから、私の声が聞こえたと言ってくださる方がいた。多分、テナーのソロだろう。まずい。テナーは本職ではない。じゃあ、アルトとクラリネットが本職かと言えば、本職とはプロのことであるならばとんでもない話である。結局、オバキューの頭に毛が何本生えてるかって次元の違いであり、テナーは1本、アルトとクラは3本ってとこである。

終わった後、後ろ髪をひかれる思いで打上げに出ずにお一人様。それもこれも岩崎良美氏のせいである。姉の宏美氏とともに「徹子の部屋」に出た際、声を維持する秘訣は?と聴かれて「外でお酒を飲まないこと」とおっしゃった。宏美氏に比べてとっても大人しくお見受けする良美氏ですら、飲むとしゃべって声に悪い、だから飲まないということであれば、この後も歌の会が控えている私が飲みに行っていいわけがない。しかも声をつぶすくらいならまだいい。またこないだみたく顔を真っ赤に染めて行き倒れたりしたら「奥地」のメンテナンスにだっていけなくなる。だからとっとととんずらしたのである。

お一人様で行った先は、地元の5文字のお店。「本番前に肉を食え」とはよく聴くが、「本番後」だって疲れた身体の回復のためにタンパク質がいるだろう。ということで、お肉と赤ワイン。

終了後、3時間しか経ってないこの時間にこの記事を書けているのはアフター会にいかなかった賜物である。


第九の「vor Gott」はお開きではなく「もう一軒!」であると考える私

2023-08-11 08:31:19 | 音楽

第九のスコアでは、第4楽章でバリトン・ソロに続いて歓喜のテーマをソロと合唱が交互に歌って「vor Gott」で中締め(?)をした後、間髪を入れずに……いや、四分休符+八部休符があるから間髪はある、間髪の後、ファゴットが「ボッ」と出てテナー・ソロのマーチが始まる。だが、かつて主流だった演奏においては、「vor Gott」と「ボッ」の間にながーい沈黙があった(その最たる例は、前世紀の遺物の中でも最大にして最強のフルトヴェングラーの演奏である)。この点も、スコアから入った私には不思議だった。まるで、それまでの歓喜の歌と、この後続く部分は別の曲のよう。「中締めの後、いったんお開き」と言ってるようである。

私は次のように考えることにより、いっそう、間を開けてはいけないと思うようになった。すなわち、歓喜の歌はニ長調で歌われるのに、中締めの「vor Gott」はヘ長調である。実は、このヘ長調は、次のマーチ(変ロ長調)の属和音(ドミナント)でもある。属和音は主和音につながる。ヘ長調は変ロ長調につながる。だから、「vor Gott」は次のマーチへの導入なのである。導入だったら導入先がすぐ続かなければならぬ。導入したくせに、そこで一服しちゃうとどこへ行こうとしたか忘れてしまうではないか。だから、ベートーヴェンは、間髪入れた後に「ボッ」を入れたのである。すなわち、中締めの後、すぐに「もう一軒行こう!」と言っているのである。

この解釈の傍証は「vor Gott」の箇所のティンパニ。全員がffで盛り上がる中、1人だけディミヌエンドしてPになっている。これも、ドコドコドコドコ……を抑えることによってドミナントの和音を際立たせ、次への移行をよりスムーズにすると考えられるのである。

そう考えることによって、この楽章全体を見る目も変わってくる。従来の「いったんお開き」型の解釈だと、どうしても各部が脈絡なく寄せ集められた印象をぬぐえないが、各部の終止音が次への導入と考えると、一転、全体がスムーズに流れているように感じられるのである。

以来、「vor Gott」と「ボッ」の間が空いてる空いてないかが、第三楽章のファンファーレのスタッカート同様、私の興味の的となった。間の空いてない演奏(楽譜通りの演奏)は以前はなかなかお目にかからなかったが、古楽系の演奏が流行りだしてからは、普通に聴くようになり、我が意を得たりの日々である。

ところで、私の説の傍証であった「ティンパニのディミヌエンド」について事件が起きた。ベーレンライターの新版において、このディミヌエンドが削除されたのである。最近の学者先生が合理的に考えてそうしたそうだが、はたしてベートーヴェンの真意は?因みに、ベートーヴェンの第3交響曲(英雄)の初演のリハーサルの際、第1楽章の展開部から再現部に戻る部分で、(分かりやすく移動ドで表す)弦楽器がファとソを刻んでるところにホルンがドーミドーソと吹いたら、ま、これは不協和音ではあるから「合理的」に考えた指揮者がホルンに注意したら、注意した指揮者がベートーヴェンから張り倒されたという。

というわけで、前回に続き、今回も、音楽のみのネタであった。当ブログの読者におかれては不満かもしれないが、私としては、自説を発表する機会を得てすこぶる満足である。