拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

保護

2023-07-31 08:34:05 | 

ウチの猫らは冷房が嫌い。私1人ならエアコンをつけずにがまんするのだが猫がいるのでつけている。なのに(親の心子知らず)、わざわざエアコンをつけてない部屋に行く。ワサビはチェロの下がお気に入りである。

ま、しかし、人間だって、今エアコンが効いてる部屋の温度を冬に体感すれば寒いと思うかもしれない(逆もまたしかり)。猫らは、四季の観念に惑われず、絶対的な温度感覚のもとに生きているのかもしれない。

猫と言えば、野生の猫の捕獲の様子をテレビで見た。罠をしかけ、二匹の子猫がひっかかったが母猫と他の子猫は逃亡。ナレーションはその二匹を「保護した」と言っている。まさに、ウチの2ニャンはこうやって「保護」され、母猫と離ればなれになったに違いない。相当怖かったのだろう。いまだに私以外の人間がくると押入にかくれてしまう。因みに、私に2ニャンを譲渡してくださったヴォランティアさんは中央区にお住まいでそこで「お見合い」をしたのだが、2ニャンが「保護」された場所は足立区だと言っていた。もともと(下流の)ウチの近くにいたんだな、ご近所だったんだな。

動物の保護と言えば、絶滅が危惧されているヤンバルクイナで親とはぐれたひな鳥はいったん人間がひきとって育て、後に自然に帰しているそうだが、保護センターでヤンバルクイナにエサとして与えられいたのがミミズ。ヤンバルクイナはこれで生き延び、ミミズはこれで生涯を終える。ヤンバルクイナは個人(鳥)として尊重されるが、ミミズは個?として尊重されないのだろうか。されないようだ。

鳥と言えば、雀はちゅんちゅん言ってかわいらしいが、その顔をアップでみると猛禽類と同じで結構怖い(祖先である恐竜を彷彿とさせる)。ミミズにとって目の前の雀は恐竜に見えるに違いない(ミミズには目がないが)。ミミズがもうダメだと思ったその瞬間、タカが雀を捕らえたならば、タカはミミズの救世主である。映画「ジュラシック・パーク」で、いよいよ人間を追い詰めたラプトルが、飛びかかろうとした次の瞬間、ティラノサウルスに咥えられたシーンを思い出す(このとき、ティラノサウルスは、人間にとって「正義の味方」であった。ジョン・ウィリアムズ作曲のテーマ曲が高らかに鳴り響いたっけ)。因みに、人間にとって一番怖い恐竜は、背丈が人間と同じくらいのラプトルだと思う。でかい恐竜は、隙間に隠れればやり過ごすことができても、ラプトルの場合はそうはいかなそうだから。さらに言えば、全長50メートルのゴジラから隠れるのは容易である(にもかかわらず、子供の頃見たゴジラに追いかけられる夢では、どこに隠れてもゴジラに見つかってしまったのは不思議である(不思議なのが夢である))。だが、それは昭和のゴジラの話。最近のゴジラが口から発する熱線は周囲をあっという間に焼け野原にするから、どこに逃げても無駄である。


出禁/標準

2023-07-30 08:36:38 | 音楽

万太郎が東大の植物学教室を出禁になった。出禁と言えば、私は某ビストロで出禁になっている。マダムが1人でやってる店で、U会のアフターでよく行っていたのだが、一番安いワインしかたのまず(そもそも注文の仕方が「一番安いワインをください」である)、それでもって終電近くまでねばって大声で談笑(「騒ぐ」ともいう)していたからである。今でも、店の中を覗くと客が入ってないことが多い。それでも、店の格に合わない客の入店を断るあたりは見上げたものである。

万太郎を出禁にした教授は、しかし、万太郎の才能は評価しており、植物画については今後万太郎が「標準」になる、と言っていた。だが、傑出した才能が出現したからと言って、それがすぐさま標準になるとは限らない。例えば、難曲中の難曲で知られるリヒャルト・シュトラウスのオペラ「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタのアリアを、グルベローヴァがそれまでの標準からはあり得ない精度で歌ったとき、以後、このアリアはグルベローヴァが標準になる、と言った人がいたが、そうそう同じレベルで歌えるものではない。私がグルベローヴァ級か否かを判断する一つのポイントはアリアの後半に出てくる高いDである。そりゃあ夜の女王のアリアはFが出てくるが、あれは一瞬のこと。こっちは延々と延ばす。しかも途中からトリルが付く(写真の赤丸の箇所)。

多くの歌手は、一流と言われる人であっても、トリルを「見なかったこと」にして歌っている。それが「標準」である。これをピアニッシモで、かつ楽譜通りトリルを付けてはじめてグルベローヴァと同じ土俵に上がったと言えるが、そういう演奏はそうそう聴けるものではない。でもって「グルベローヴァが標準」なんてちゃんちゃらおかしいと思うのである。

さて。最近シリーズ化している「奥地への旅」あらため「負け組の上流への旅」。前回の続きでガスを契約しないでお風呂をどうするか、の話である。簡易シャワーなるものがあるらしい。電気ポットで沸かしたお湯を簡易シャワーで吸い上げて使えばどうだろう(どっちみち下流のウチ(今住んでる家)でだってシャワーしか使ってない)。浴槽に張った水全部をヒーターで温めるよりよっぽど短時間で安くシャワーを浴びることができる。あと、冷蔵庫のこと。実は下流のウチに使ってない中型の冷蔵庫があり、それをとりあえず持って行こうかと思ったが、普段ブレーカーを切ってるから役に立ちそうもない。でも、たまに行ったとき冷えてるビールを飲みたい……が、冷えてるヤツを買って保冷バッグにいれれば済みそうである。


上流階級

2023-07-29 10:13:46 | 日記

昔はメジャーリーグのことを大リーグと言った。もし、「巨人の星」が今連載されたら「大リーグボール養成ギプス」は「メジャーリーグ要請ギプス」となり、「消える魔球」は「メジャーリーグボール2号」になっていたことだろう。

メジャーリーグで特大ホームランをポンポン打つ大谷選手の活躍は、バイロイトで日本人がジークフリートやブリュンヒルデを歌うがごとしである。因みに、かつてのイチローの活躍は、オペラで言えばコロラトゥーラ歌手がヨーロッパの歌劇場を席巻するがごとしで、こちらは既に実現している。

とか書いていて、一息つこうと湯飲みを口にしたら苦い。あれ?と思ったが、そうだ、今朝は湯飲みにコーヒーを入れたんだ。湯飲みの形状で脳が日本茶の味を予想していたところ、予想に反してびっくりしたのである。

ほうれん草を収穫したプランターに、予告通りクレソンの種をまいた。

種が小さくてびっくり。ホントは河辺に生える植物だから水耕栽培をすべきところ。頻繁に水をやって発芽を待つがどうだろうか……

チコちゃんで、うなぎがつるつるなのは、一等地である川の下流を勝ち組によって追い出された負け組のウナギが上流を目指して旅をする際、ぬるぬるのおかげで皮膚呼吸ができるため滝を避けて脇の地面を這うことができるから、と言っていた(負け組のウナギに扮した野間口徹さんの演技が秀逸だった)。

すると、現在、荒川の下流附近から、荒川の某支流のうーんと上流附近に移住しようとする私は負け組のウナギである。だが、「上流階級」と言ったら普通は勝ち組である。今気づいた言葉の矛盾である。とにかく、「奥地」というと聞こえが悪いが「上流」と言ったら聞こえがいい。よし、これからは「奥地に移住」ではなく「上流に移住」と言おう。

その上流の暮らしのことである。当面、引越はしないのだが、月に1回くらい行かないと不動産取得税の軽減措置を受けられない。ところが、月に1回くらいしか行かないと火災保険に入れないか入れても保険料が高くなるという(いろいろ知る真実)。火災保険に入らないのならとことん火が出るものは置かないのが肝心。すると、ガス契約はしない方向に傾く。料理はIHコンロで片付くが、問題は風呂である。調べてみると、風呂を沸かすための電気ヒーターがあるらしい。なかなかのすぐれものらしい。ただし、冬場、水から湧かすには8時間以上かかる。電気代は1時間30円くらいでも8時間使えば240円。それでも銭湯よりは安い。いいかもしれない。なにより、今の(下流の)マンションでは給湯器が10年ごとに壊れ、そのたびに30万円だして買い換えているのだが(マンションの形状が特異で、合う給湯器がそれしかない)、その代わりに使えるかもしれない。

うなぎの「つるつる」に戻る。よく、環境に適合するように変化してきた、という言い方をするが、特定の個体がある環境下で変化するわけではない。突然変異で生まれた個体がその環境にマッチしたために種を多く残すことができ、そのうちメジャーになった、ということである(進化論から言えば)。だから、ウルトラマンに出てくるジャミラが置いてけぼりにされた星の環境に合う形で生態が変化した、って話は現実にはありえない(そもそもウルトラマン自体が現実にはあり得ない話である)。楳図かずおのマンガで、水の中におしこめられた人間が半魚人になった、って話も同様である。

 


タヌキとムジナ

2023-07-28 11:25:18 | 日記

小児の心臓手術の権威である外科医がテレビで紹介されていた。大学病院を定年退職したのだが、リタイアは許されず今でも他の病院で手術をしているという。代わりとなる人がいないのだからそれが世のため人のためである。それに引換え、2歳年下のワタクシは代わりとなる人はわんさといるから誰からも引き留められずに某士業をあっさり廃業。だが、このブログこそは私の個性であり代わりはいない。読者が最後の1人になるまで書き続けよう(と、今日はそう思っている)。そう言えば、朝ドラ「カーネーション」で小林薫演じる糸子のお父ちゃんは浪曲の師匠だった。だんだん生徒が減ってってとうとう1人になった。その「最後の生徒」も本当は辞めたかったんだが師匠が気の毒で続けていたのだが、いよいよ「限界」、師匠にその旨を打ち明ける。そうしてお父ちゃんは浪曲教室を閉じたのだった。

8月のあるイベントでクラリネットを吹く。B♭管、A管、C管の出番がある。だから、練習しようと思うのだが、三つを組み立てて、吹いて、三つを分解するとなると、組立てと分解の時間の方が吹いてる時間より長いくらいである(「くらいである」によってこの文章はかろうじて「ウソ」のそしりを免れている)。

ベランダのほうれん草に花が咲き出した。収穫の合図であるから(花が咲くと硬くなる)収穫。

ほうれん草の収穫は今年3度目。空いたプランターには、ほうれん草の種はまだ残っているのだが、たまには他のものを植えよう。クレソンなんかどうかな。今はホントは種まきの時期ではないし、クレソンは湿地に生えるんでプランターでどうかとも思うが、もともと雑草みたいなもんだから水をやっときゃ生えてくるだろう(適当な観測)。もう一個のプランターにはバジルが健在。と言っても、この暑さ。朝だけではだめで、夕方も水をやらないと、土が見えるくらい葉っぱがしおしおになる。元気なときは葉っぱが茂って土が見えない。土が見えるかどうかがバジルの元気度のバロメーターである。

葉っぱと言えば、ミャンマー料理にお茶の葉を食べる料理があるらしいが、考えてみれば不思議ではない。ほうれん草だって小松菜だって葉っぱを食べている。

万太郎が見つけた食虫植物の和名が「むじなも」。今週の朝ドラの週タイトルである。ドラマでは言ってなかったが、Wikiによると、牧野富太郎博士は当初「たぬきも」にしたかったのだが、同名の植物が既にあるのでしかたなく「むじなも」にしたという。そう、ムジナはタヌキである(十文字の模様が入ったタヌキがムジナと呼ばれている)。ここで問題。「たぬきを捕ってはいけない」という法律違反でとっつかまった容疑者が「自分が捕ったのはムジナである」と言い張り、実際、彼はタヌキとムジナが別物であると信じていた場合、彼は有罪だろうか無罪だろうか?実際にあった事件である。


94歳の魅惑のクラリネッター/竹蟲

2023-07-26 06:45:37 | 音楽

「らんまん」のBGM、当初はチェロのソロが多かったが、最近はピアノ・ソロも目(耳)をひくし、今日などは、ヴァイオリンのソロ、さらにオルガンの和音まで聞こえてきた。いずれも、落ち着いた、ときには感傷的な優しい音楽である。

スーパー高齢者に驚かされるたびにこんな人はもう現れないだろうなと思っても、もっと上をいく人がすぐ出てきて上書きされる。このご時世、もはや「90でお元気」だけでは驚かない。だが、「徹子の部屋」に登場したジャズ・クラリネット奏者の北村英治さんにはたまげた。受け答えがまるで卓球のよう(意味わかるよね)。それだけではない。北村さんはジャズ・クラリネットの第一人者で、いまだ現役で、「徹子」でも披露されていたが、その腕前は衰えを知らない。はー(ため息)。指がからむと歳のせいにしていた私にカツである。しかも、北村さんは楽器を咥えるやいなやさらっと吹き始める。まるで呼吸をしているよう。ピアノの前に座るやいなや弾き始めたポリーニを思い出した(ただし、この点については、私も通唱会でクラが入る直前まで歌ってて、はっと気づいたときは入る前の小節の4拍目で、それでも入れたから「火事場の馬鹿力」は働くものである)。そっか、朝ドラ「カムカムエブリバディ」でもこの方吹いてらしたのね。甘く魅惑的な音である。

話は変わる。西に行った帰りに高田馬場で降りて、今度こそはミャンマー料理に挑戦。この街はいつしかミャンマー・タウンになっていた。そのことをタモリ倶楽部で特集したこともあったし、私は見てないが「孤独のグルメ」もここに来たらしい。で、注文したのはモヒンガー。

ナマズのスープで日本人はあまり食べないと店の人が言っていた。とにかく、こういうところでは普段目にしないものを頼むのが私の流儀。シャン酒は10種以上の香草を浸して作るのだそう。

養命酒な感じ。そして、ここに来たからにはこれを頼まねば、と竹蟲を注文。文字どおり竹の中にいる虫。その様子は、モスラの幼虫が栄養失調になった感じ、つまり芋虫、これを揚げたヤツが皿にどどっと乗っている。苦手な人はとことん苦手だろうから写真は差し控えるが、そのお皿が結構な小皿で、それほどのインパクトはない。味はまったくのえびせんだった。ミャンマー料理初体験の印象は「辛くないタイ料理」であった。

虫と言えば、カフカの「変身」。私がこの小説を知ったのは手塚治虫のマンガで。カフカの作品そのものをマンガにしたのではなく、なんかの権力争いをしてる一方が相手を虫に改造してゴミ処理場に放り出したのだが、その虫(にされた元人間)がゴミをむしゃむしゃ食べて成虫=巨大な蜂になり、自分を虫にした仇に復讐するって話なのだが、その中の一コマで「変身」の冒頭の一節が引用されていたのである。そのマンガの虫が芋虫だったから、カフカの虫も芋虫だと思っていたのだが、最近、本家本元をドイツ語で読んだ際、ググってみたら、ヒットする画像が甲虫(カメムシやカナブンの類い)ばかりだった。こっちか。だいぶイメージが違うなぁ、と思った私であった。

「孤独のグルメ」と言えば、この番組で食べ歩いてるのは松重豊さん。現在は「どうする家康」で石川数正を演じているが、私がこの方を初めて知ったのは朝ドラ「ちりとてちん」のおっかないお父ちゃん役だった。


いっそう断捨離に励む

2023-07-25 12:06:08 | 日記

前々回、近所のセミの歌が6拍子なのか3拍子なのか悩ましい旨を書いたが、そう言えば、バッハのマタイ受難曲のコラール「血潮したたる」の原曲のハンス・レオ・ハスラー作曲の恋の歌「私の心は千々に乱れ」は、譜面上はどっちかに統一されているが(どっちだったかは忘れた)、実質的には♪ミ|ラーソファーミ(6拍子)|レーミーシー(3拍子)|ドードシーラシ(6拍子)|ラー……って具合に6拍子と3拍子が交互に現れる。

お米は、炭水化物ばかりと思っていたら、卵の半量のたんぱく質が含まれているんだと(あさイチ情報)。ビックリポンである。因みに「ビッグリボン」と言う馬がいて、初めてその名を見たとき「ビックリポン」の間違いだと思った。馬名の話ついで。「アインザーム」という馬がいる。奇っ怪な名前である。なにしろドイツ語の「einsam」の意味は「奇っ怪」である。そのアクセントは本当は「ア」にあるのだが、アナウンサーを始め競馬関係者が皆「ザ」にアクセントを置いていることについてはもはや文句は言うまい。

奥地への本格引越はまだ先でも、メンテナンスにときどき行くから、そのときのために「食器棚を買おう」と考えている私に「待った!」。いずれこっちにある食器棚を持ってくのに同じ物を買ったら荷物が増えるだけである。こないだのあさイチでモノのない生活を謳歌している稲垣えみこさんの話を聴く機会を得たのはきっと「これ以上モノを増やすな」という神様の思し召しである。いまのうちにいっそう断捨離に励んで、とことん荷物を減らしたところで引っ越そう(と言っても、わが家の最大の荷物であるCD・DVDの類い(メディア類)は私の生存と同期しているから捨てるわけにはいかない。それでどれほど減らせるかは疑問ではある)。え?布団くらい買いなさいよ、じゃないと泊まりにいけないじゃないって?そう言われちゃしょうがない。布団くらいは買うか(冗談or妄想orウソor虚言(最後は同義反復))。


拝島

2023-07-24 07:20:58 | 日記

「奥地」と言った場合、「奥の土地」と「奥地の家」の二つの可能性がある。そのどちらかによって上物(建物)の有無が違ってくる。いずれの意味であるにせよ、奥地を走る鉄道は大概単線である。

単線は良い!理由その1。真ん真ん中を走るから。その2。単線=奥地だから大概景色がよい。写真は、運転席の窓を通した前方の景色である。因みに、「奥地を走る『鉄道』」と書いて『電車』と書かなかったのは、奥地=単線を走る鉄道は、さすがにSLってことはないにしても、ディーゼルであることが多いからである。筑波山の裏の山に登ったとき乗った関東鉄道などがその例である。

この日は、購入した奥地のご近所の挨拶回り。本格引越までの間、ゴミ当番を免除していただくこともこの挨拶にかかっている(なにしろ、綾瀬から半日がかりだから、ゴミ出しの日のたんびに出向くのは物理的に不可能)。幸い、ご近所はいい人ばかりで、事情ご推察のうえ快諾してくださった。

挨拶回りの際、お配りした粗品はアマゾンでポチったもの。気の利いたことに、名字を印刷したのし袋まで付けてくれている。

自分で書く手間が省けるというもの。因みに、「拝島」は仮名であるが、拝島駅のホームで、ローマ字表記の駅名を見て、私の名字のローマ字と似てるなぁ、と思った(やたらと「i」が多い)。その拝島駅のことである。西の方については疎くて知らなかったが、この駅はなかなかのターミナル駅で、いろんな線が来ている。なお、東の方のターミナル駅と言ったら北千住がすごい。千住は、江戸時代、日光街道で旅する人が最初に泊まった宿場町である。

挨拶を終えて、帰り道、いよいよ念願の高田馬場のあの店、室内合唱団時代、練習の後必ず寄ってすっかり「顔」になっていたあの店で一杯やった(正確に言うとジョッキ生を2杯やった)。室内合唱団時代は、だから団体でしか入ったことがないのだが、今回入ってみたら、ほとんどが年輩の男性のお一人様である。コロナ禍の影響だろう、大テーブルが1人分ずつアクリル板で仕切られ、まるで図書館の閲覧席である。

アクリル板で仕切られていても、お隣との距離がかなり近い。足がくっつくほど。この日は右隣のおじさんの息吹がすぐそこに感じられる気がして早々に退散した(おじさんの息吹は、アクリル板で遮られるとしてもイヤである)。ジョッキ2杯で済んだのはそのせいである。その点、5文字のお店は座席のスペースが広い。安いほかに、その点も私がよく行く理由である。5文字のお店で赤ワインを舐めながらキンドルを読む時間が憩いの時間。とにかくキンドルはいい。なにがいいかって、文字を大きくできるから(目にやさしい)。だから、キンドルに入れた小説の紙の本はもはや断捨離の対象である。

懐かしの店(おじさんとの距離が近い店)の店内のモニターは相撲を映していた。ちょうど決定戦で豊昇龍が勝って優勝したとこだった。勝った後のミエの切り方などかつての朝青龍とそっくり。因みに、優勝力士インタビューで、優勝を誰に報告したいか聞かれた豊昇竜が挙げたのは、一に親方、二に「おじさん」。おじさんとは朝青龍のことである。そっくりなはずである。


焼き飯

2023-07-23 08:33:37 | グルメ

ミンミンゼミが鳴く季節である。うちの近所のミンミンは例年5拍子で鳴いていた。5拍子と言ってもみーん、みんみんみん|みーん(2+3)なのか、みーんみん、みんみん|みーん(3+2)なのかで悩む。もう一つ「みん」を言ってくれると悩まなくて済むのに、と思ったら、気持ちは通じるもの、そうしてくれた!すると、新たな悩みが発生。みーんみん、みんみんみん|みーん(6拍子)なのか、みーん、みんみん、みんみん|みーん(3拍子)なのかどっちなのだろう。若くないウェルテルでない私の悩みは尽きない(「ウェルテル」って言ってるけど、普通は「ヴェル(ア)ター」)。

さて。昨日の夕食はどっちも豚肉料理。

写真左はムースーロー(キクラゲと卵と豚肉炒め)で、右が回鍋肉。ムースーローは、中華料理の中で私が愛してやまない一品である(因みに、私が愛してやまない歌手は、同率で二人。グルベローヴァとルチア・ポップ。愛してやまない馬はジェンティルドンナ)。

豚肉と言えば、一昨日記事にした稲垣えみこさんは、ガス会社と契約してなくても風呂は銭湯で済ますと言い、冷蔵庫がなくても肉・魚が食べたくなったら外食で済ますと言う。そこんとこは真似ができない(肉が食べたくなるたんびに外食をしてたら1年後には破産である。私の場合)。やはり肉や魚を食べようと思ったら冷蔵庫が必須か。いや、その日に使う量だけ買えば冷蔵庫はいらない?だが、少量だと、「ジャンボパックに限り100g99円」の恩恵を受けられない。果たして冷蔵庫は必要か?ガス契約は必要か?ガス契約をしないとしてコンロはカセットコンロと据置型IHのどっちがいいか。固定電話はひかないことに決めてるが、その場合、モバイルルーター、挿すだけWiFi、スマホのデザリングのどれがいいか……もろもろ若くないウェルテルでない私の悩みはつかない。

一点、稲垣えみこさんと私が完全に一致している点がある。それは冷やご飯の利用法。冷やご飯は私も冷蔵庫に入れず、硬くなったらまず焼き飯にし、さらに硬くなったらおじやにする。因みに、稲垣さんが発した「焼き飯」という言葉が懐かしかった。そう、私が子供の頃、両親は「焼き飯」と言っていた(父の得意料理の一つだった)。「チャーハン」と言うようになったのはいつからだろう。という話は「焼き飯」と「チャーハン」が同じものという前提で言っているのだが、「チャーハン」を変換すると「炒飯」。「焼く」に対して「炒める」である。だが、「焼く」と言っても油をひくだろうから、やはりイコールであると考える。


良い子悪い子普通の子

2023-07-22 10:31:00 | 音楽

「良い子悪い子普通の子」のイモ欽トリオがチコちゃんで復活。キンドンが放送されてたのは1980年代だから40年ぶりだという。最近の懐かしのなんちゃらって番組が取り上げるのは1980年代。だが、私にとって懐かしいのは1960年代である。その間20年。ちょうど私と私の彼女の歳の差と同じ(このような私に投げかけられる言葉は「冗談はよしこさん」「妄想癖」「嘘つき」「虚言癖」等々。この中で「嘘つき」はなんとなく痴話げんかぽくて悪くないが「虚言癖」は精神的欠陥の感じがしてよくない。ま、とにかく、彼女がいるとして、歳の差が20歳だとして話を続ける)。普段はラブラブでもことテレビの話になるとかみ合わない。例えば、

「『さざえさん』の主題歌を歌おうよ」「歌おう!」「♪おさかなくわえたどらねこ……」「なにそれ。ボクが知ってるのはこうだよ♪さーざえーさん、さーざえさん……」「なにそれ。聞いたことない」これで喧嘩になる。あるいは、

「『パーマン』の主題歌を歌おうよ」「歌おう!」「♪パーマン、パーマン、パーマン……」「なにそれ。ボクが知ってるのはこうだよ♪まっかなマントをひーるがーえし……」「なにそれ。聞いたことない」これで喧嘩になる。あるいは、

「『おばけのQ太郎』の主題歌を歌おうよ」「歌おう!」「♪あのねQ太郎はね……」「なにそれ。ボクが知ってるのはこうだよ♪きゅー、きゅー、きゅー(チャーララーララ)おーばーけーのきゅー(チャンチャン)……」「なにそれ。聞いたことない」こんな案配である。因みに、Q太郎の頭には毛が3本はえているのだが、これを多いとみるか少ないとみるか。ヒントは主題歌にある。例えば、新しい方の歌詞には「毛が3本しかないんだよ」とある。「しか」ってことは少ないということである。また、古い方の歌詞には「毛が3本。だけどもボクは飛べるんだ」とある。「だけど飛べる」の文脈から「毛が3本」は少ないというネガティヴな意味が窺えるのである。

なお、私と同年代の女子の多くは「タイガース」と聞いて、沢田研二が所属していた「ザ・タイガース」を思い浮かべる。これに対し、大阪の人の多くは「タイガース」と聞いて「阪神タイガース」を思い浮かべる(で合ってる?)。プロ野球と言えば、それこそ1960年代においては「人気のセ(リーグ)、実力のパ(ーマンではくパ・リーグ)」と言われていた(今では、パ・リーグは実力も人気も兼ね備えている)。それをグループ・サウンズにあてはめれば「人気のタイガース、実力のブルー・コメッツ」と言ったところか。♪もりとんかつ……という替え歌(元曲=ブルー・コメッツの「ブルー・シャトー」)を歌ったものである。と書いてて初めて思ったこと。「ブルー・シャトー」は英語とフランス語のちゃんぽんである。

なお、古い歌で20歳年下の彼女ともめるのは、せいぜい1960年代以降のモノ。例えばベートーヴェンの生まれ年とわれわれの生まれ年の間隔は、私が188年で彼女が208年。その差はもはや誤差の範囲内だから、ベートーヴェンに対する想いは同じである。


たらいで行水

2023-07-21 10:44:42 | 日記

サイゼリヤでの注文が用紙に書く方法からスマホでQRコードを読み込む方法に変わっていた。これまでQRコードの読み込みでうまくいった試しはない。スマホのカメラをかざして読み取るまではよいのだが、その後、「タップしろ」という表示が出るのだが、写ってるQRコードをタップしても何の反応もない。どうやら「タップしろ」という文字をタップすればよいらしいと分かったのは最近のこと。で、今回はうまくいった。成功してみると注文金額の累計が画面に出てなかなか便利である。調子に乗って、今後、片っ端からQRコードを読み込もう。

そのサイゼリヤのアロスティチーニ(最近の看板メニューらしい)の文字を見て、語尾の「チーニ」はそれで合ってるのかな、と思ってググってみたら「cini」だから合ってるっぽい。そう、なんでもかんでも「チ」を「ティ」にしたり、「バ」「ベ」を「ヴァ」「ヴェ」にして直したつもりでも、逆に間違える例がある。例えば、スペインの発泡酒のcavaは、スペイン語にはwの発音はないので「カヴァ」ではなく「カバ」である。また、私が超絶的に好きな「Gruberova」を「グルヴェローヴァ」と書いてる例も見たことがあるが、綴りを見れば間違いなのは明らかである。因みに、グルベローヴァはスロヴァキア出身だが、お父さんはドイツ系の「Gruber」(グルーバー)さん(「きよしこの夜」の作曲者と同姓)。その娘だから「グルベローヴァ」(正しくは「ロヴァー」)である。

話は変わる。今朝のあさイチに稲垣えみ子さんが登場し、「モノのない生活」の話をしていて、実に興味深かったが、なかでも「ガス契約をしてない」に私のアンテナが集中した。「奥地」のガスはプロパンなのだが、業者が濫立し料金もばらばらで考えるだに面倒くさい。そうした矢先の「ガス契約なし」だからくいついたのだ。稲垣さんは、料理はされるがカセットガスコンロで足りるのだという。だが、カセットコンロは割高である(稲垣さんは節約術を伝授しているのではなく、あくまでも「モノのない生活」を勧めているのだからどうでもいい話だろうが)。節約の観点からは携帯型のIHコンロの得点が高い。だが、お風呂はどうする?稲垣さんは銭湯に行かれるそうだが、「奥地」は近くに銭湯がない。あっても相当割高である。たらいで行水?冬は寒そう。やはりガス契約は必要だろうか。


名前を変えて流れてます

2023-07-20 06:30:52 | 日記

航空公園に行って、現役を退いたYS-11を見る。戦後、国産初の旅客機は名機の誉れが高い。実は、デパートの屋上にその機体があって中に入り、それが私の飛行機内の初体験となった記憶があるのだが、デパートの屋上にこんなでかいモノが乗るわけはない。可能性としては、飛行機内を模した構造物だったか、屋上ではなく地面の上だったか、あるいはすべてが夢か幻だったか……子供の頃の記憶だから夢・幻ですむが、今、私が昨日の体験として語ったら認知症の疑いが濃厚である。

飛行機と言えば、最近、足立区の上空をしょちゅう飛行機が飛ぶようになった。

写真を斜めに横切っている飛行機雲がその表れ。成田を離発着する飛行機のルートになったのか。あと、新宿の西の神田川の上空も頻繁に飛行機が飛んでいる。こっちは羽田の飛行ルートのようである。

一転、地上の話。笑点の小遊三師匠がご実家の大月(山梨県)を流れる川をセーヌ川と言い張ったら、周りの誰かが「それは桂川」と突っ込んでた。その桂川は、神奈川県に入ると相模川に名を変えて相模湾に注ぐのだが、桂川であるうちは山あいを縫うように流れ、深い峡谷を作っているのに対し、相模川になった後は、主に平地を流れる大河である。

川が名前を変える例は他にもあって、長さ日本一の信濃川は、長野県を流れる間は千曲川なのだそうだ。「信濃川」はもちろんだが「千曲川」もネームバリューで負けてないところがすごい。その源流は、なんと埼玉県にもかかっているそうだ。

かように、各県とも「奥地」をかかえている。関東の北の3県は北側に関東山地がかかっているし、埼玉、東京、神奈川はそれぞれ西に秩父、奥多摩、丹沢をかかえている。千葉はどこが奥地なんだろう?高い山はないと聞く。しいて言えば八犬伝の舞台の安房あたり?滝沢馬琴が物語の舞台として里見氏の領地だった安房を選んだのもダテではなかろう。


「オケラ」になった「おにいさん」

2023-07-19 06:00:43 | 日記

バス停でバスを待ってたら高齢の女性に「おにいさん、暑いねえ」と呼びかけられた。この「おにいさん」は「若い男性」という意味だろうか?それとも、お店で給仕をする女性には歳に関係なく「Fräulein」(お嬢さん)と声をかけるのと同じ用法だろうか。と思ってたら、おばさまが「あたしも昭和10年生まれで88になってねぇ」と言っている。おや、母と同年代だ。私は息子ぐらいの歳だ。なら「若い男性」である。

銀行に行って、奥地の売買代金を引き下ろすため窓口に向かう(奥地だから不動産としてはただみたいな金額だが、それでもATMの上限額は超えている)。はたして、オレオレ詐欺に騙された高齢者だと思われるだろうか?別室に連れてかれていろいろ事情を聞かれるだろうか?と思ってたら期待はずれ。いちおう用途は聞かれたが「不動産売買」と言うとあっさり納得され、しかも、帯封付きの札束をくれるのではなく、窓口の脇にあるキャッシュディスペンサーでカードを使って自分で引き出してとっとと帰れという(キャッシュレス店舗はそういうシステムだそうだ。支店によっては帯封で出すそうだ)。え?数えさせてもくれないの?機械だって間違えるでしょ?談判して、別室のデスクを借りてそこで数えさせてもらうことになった(別室には自らの意思で行くことになった)。なにしろ、お金を数えるのに慣れてない。しょぼい商売をしてきたから10万円以上の額を数えたことがない。ひぃ、ふぅ……と数えたら金額が合わない。ほーら、機械だって間違えるんだよ、と思いつつ数え直す。合ってた。間違ってたのは私の方だった。「私よりは」機械が正確であった。

決裁が終わり法務局へ向かう。元司法書士なので、登記申請は自分でする(売主の代理を兼ねる。現役の司法書士以外の人が「業として」登記申請の代理をすることはできないが、自分が当事者であることは「業以外」の最たる例である)。「元司法書士」と言ってもいかにも「本人申請」のいでたちだったので(司法書士は大概スーツを着ている)、法務局の窓口の人が「完了したらまた来れますか?」「来るときは同じ判子を持ってきてくださいね」「不備があったら電話しますからね」等々とご親切。それに対し「はい」「はい」と素直にお返事をして退散。その後は、ステーキハウスで一人慰労会。

というわけで、法律的には私は「奥地」の主になった。今後のことは、次のとおりである。

「ものども!わしは奥地に退散する」「殿(との)、殿(しんがり)のお役目は是非とも拙者に」「いや、拙者に」「お待ちくださいませ」「おお!三毛猫姫とサビ猫姫!いかがいたした」「お父様、わらわも妹もこの城を去る気はこざいません。ここに終生留まるつもりでございまする」「そうか、そなたたちを残して行くわけにはまいらん。わしも残る。ものども!先に行ってまいれ!10年後にはわしもまいろうぞ」

上記で「ものども」とは荷物のことである。だから「者ども」ではなく「物ども」である。いずれにせよ、殿(との)はしばらくは足立綾瀬城に住み続けるが、「Okära」(昨日の記事参照)になったから、付き合いはいっそう悪くなるはずである。ところで、城の主を「殿」(との)というのは、建物を表す「殿(てん)」がそこに住んでる人を表すようになったと理解しているが、「一番最後」の「しんがり」も「殿」であることについては調べがついてない。いずれ解き明かす所存である(今日はもう疲れた)。なお、「殿のお役目」云々のくだりは、信長の金ケ崎の戦いにおける退却劇(しんがりを務めたのは秀吉。家康が加わったという話もある)をイメージして書いた。


「おから」にウムラウトを付けると「おけら」になる件

2023-07-18 06:39:26 | 言葉

さかなくんは「くん」までが芸名?なら、敬称を付けたら「さかなくんさん」になる。

奄美大島の自然の特集番組を見ていて、ヤンバルクイナには生態系のトップに立つ天敵がいる、と言うから、それは人間のことだろう、人間が自然を破壊してヤンバルクイナを危機に陥れてるんだろう、と思ったら違ってて、正解はハブで、だけど、ハブがいるんで人間が森に入らず自然が維持されたって側面もあると聞いて、ほら、やっぱり「生態系のトップに立つ天敵」って人間のことじゃん、と思った。

そのハブの毒は、危険ではあるが、噛まれたら必ず死ぬわけではないそうだ。だが、映画シリーズに先行して放送されていた「男はつらいよ」のテレビシリーズで、寅さんは最終回にハブに噛まれて死ぬ。放送当時は血清が行き届いてなかったのかもしれない。

朝ドラの教授は、すぐに人を「虫けら」と言う(こないだは「素人」とも言っていた。すると、教授にとって「アマチュア=虫けら」なのだろうか)。そもそも「けら」とは何だ?「おけら」(金欠)との関係はいかがか?調べてみた。「けら」は地中に暮らす昆虫であった。すると、「虫けら」は「虫虫」と言ってるのと同じで、一種の同義反復であり、お利口な人が言うべき言葉ではない。だから、教授は素人である。それから、「おけら」の「お」は接頭語であり、「けら」と同じ昆虫である。その「けら」を前から見ると万歳をしているようなので、すっからかんで万歳をしている人を「おけら」と言うようになったそうだ(別の説もあるそうだが)。

なお、「おから」は豆腐製造過程で生まれる副産物。素浪人花山大吉の好物である(前シリーズの月影兵庫の好物は酒である)。因みに「Okara」の最初の「a」にウムラウトを付けると「おけら」になる。


キャット空中三回転

2023-07-17 06:25:53 | 

「新婚さんいらっしゃい」に57歳の若夫婦が出てきて(以前は、新郎新婦が40歳で「え~」って声があふれたものだが、今のご時世50代でも「若夫婦」である)、秋田の人である新郎が語尾に「だす」を付けていた。え?「だす」って大阪でも言うよね(朝ドラ「あさが来た」で、ヒロインのあさは実家の京都では「どす」と言っていたが、嫁ぎ先の大阪では「だす」になった)。でも、そう言えば、「いなかっぺ大将」の風大左衛門は東北出身で「だす」と言っていた。大左衛門の故郷は秋田だっけ。だが、ググって見たら青森である。秋田と青森は陸続きだが、同様に「だす」と言うのだろうか。

その「いなかっぺ大将」は、「小学○年生」(子供雑誌)で連載が始まったときから読んでいた。当初はスポ根モノだった。例えば、柔道大会で自信家の大左衛門が決勝戦で小柄な相手に投げられて負けたときは、畳の上にすわりこみ「負けただす」と言い、それを見守る師匠が「こいつは大物になるわい」と言うようなシリアスなシーンもあった。が、体育の時間の跳び箱で、他の誰も跳べない段の跳躍に成功しながらもふんどしに手がかかってしまい、着地時は下半身丸出しで女生徒全員が手で顔をおおって後ろを向くといった下半身ネタも満載だった。後日、テレビアニメになったときは下半身ネタばかりになっていた。そのテレビアニメで主題歌を歌っていたのが吉田よしみ、後の天童よしみである。

「いなかっぺ大将」にはにゃんこ先生も出てて、先生が2階から飛び降りてもちゃんと着地するのに習って大左衛門が編み出した技が「キャット空中三回転」である。だが、いくら猫と言っても、高層階から転落したら無事ではすまない。ヴォランティアさんが今の2ニャンをうちに連れてきたとき(そう、ウチの2ニャンは考えてみれば今はやりの「保護猫」であった)、マンションの4階であることを心配して、絶対窓を開けて猫をベランダに出さないように、と申し渡された(以前、譲渡した先で、転落事故があったそうである)。言われなくても私は同じことを心配していて、絶対ベランダに出さないと決めていて、実行してきた。だが、先代の4ニャンのときは、隙を見てはベランダに出てごろごろしていたが(トラなどは、ベランダに干した布団の上に飛び乗ってこちらの肝を冷やさせたりもした)、今の2ニャンは臆病で、窓が開いてても決して出ようとはない。相当に慎重な猫たちである。

慎重すぎて困ることも。病院に連れて行こうとしても気配を察すると隠れて出てこない。体重を計ろうとしても同様である。そういうときに抱きかかえあげようとする私の手が、萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」(原作:光瀬龍)でゴルゴタの丘で磔になったイエスに向かって空から伸びてくる巨大な手(天使の手?)のようにみえるのかもしれない。そこで、一計を案じて、大きなペット用の体重計を買い、それをいつも猫らがご飯を食べる場所に置いてみた。ご飯につられて自ら体重計に乗ることを期待したのである。乗らなかった。

いつもとは違う方角からお椀に向いた。こうなったら強硬手段。猫の首根っこをつかまえ、猫を持ったまま私が人間用の体重計に乗って差額を計る方法をとる。うまくいった。猫は、首根っこをつかまえられると、子猫のとき母猫にそうされていた記憶が蘇って大人しくなるのである。大昔、「笑っていいとも」で猫のことをよーく知っているタモリさんが子猫をそうやって移動させたら、客席から「きゃー」という声(いかにも、子猫が可愛そうだと言わんばかりの黄色い声)が湧いたが、声の主らは猫のことを知らないな、と思ったものである。ただし、大人しくなると言っても、大人の猫の場合、子猫とは体重が違う。片手で首根っこを持ちつつ、もう片手で猫の体重を支える配慮が必要である。


失敗した通販の買い物ベスト3(ワースト3)

2023-07-15 11:31:10 | 日記

朝ドラの1週間のダイジェストを見る。スエ子が「えー?じゃあ夫は夜通し印刷所にいるってことですか」と言い、その後、印刷機の購入を提案。視聴者が持つべき正しい感想は、「夫の身体のことを心配した妻が夫に無理をさせないために印刷機の購入を提案した」だろうが、私は自他ともに認められた下司である。下司の感想は、「同じ無理なら自分との営みで無理をさせようと目論んだ妻が印刷機の購入を提案した」であり、その「成果」が第一子の妊娠である。因みに、教授は、他人を見下すとき「虫けら」と言うほか「下司」とも言うことに今日気づいた。

ということで本題。20年前にテレビ通販で買った失敗したモノ3品。

その1。ホットサンドメーカー。テレビでは、パンの間にいろんな野菜やハム等を山ほど(10センチくらい)積んでガッチャンと蓋をし、スイッチを入れると内臓ヒーターが作動し、ほどよい大きさのホットサンドが焼き上がった。ので、1万円で購入。結果。焼いてる合間にチーズがだだ漏れ。焼き上がって蓋を開けると、蓋にパンがひっついて中身は四散。まるで「股裂きの刑」を見ているよう。バターをたっぷり塗っても改善せず。怒りとともに燃えないゴミで処分した。最近見るホットサンドメーカーは、ヒーターを内蔵しておらず、がっちゃんと蓋をしてコンロに乗せて焼くようだ。さらに、パンを載せる台にフッ素樹脂加工が施されていて股裂きの刑にはならない模様。だが、相当懲りたので買ってない。

その2。電子レンジで肉・魚を焼ける容器。当時、ステーキが上手く焼けなくて、なんとかいい方法はないか、と思案してるところにこれを紹介する放送があった。そこではきれいに焦げ目のついたステーキが焼けていた。ので、1万円で購入。結果。ステーキ肉に色がつかなかった。だが、ホットサンドメーカーほどの怒りはわかず未処分。すると、最近、同様の商品を再びよくテレビで見るようになった。電子レンジにもかかわらず焦げ目がつくという点は20年前と同じだが、性能に進化があるのだろうか?だが、魚や鳥の調理を披露しても牛ステーキが上手く焼けますとは一言も言わなくなっている。ステーキにはやはり無理だったか。

その3。冷風扇。氷水を入れてその気化熱で冷風を出す仕組みのモノ。電気代が抑えられるというのででっかいヤツを買ったが、まったく期待外れ。ちっとも涼しくない。ので、ホットサンドメーカーと同様、怒りをもって処分した。だが、最近、同様の仕組みの冷風扇をよく見る。電気代高騰の所以か。相当、懲りたはずなのに、近所のホームセンターに陳列してる卓上式から出る冷風が結構心地よい。スポット的に冷やすにはいいかもしれない。と思い、購入を検討中。「だからダメだと思ったんだよ」と泣くことになるのだろうか。