拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ソロ歌いまくり

2018-06-30 11:45:25 | 音楽
CMから聞き慣れた声。秋風先生だ。秋風先生がサングラスをしてない。そっか。トヨエツってこんな顔してたんだ。もちろんイケメンだが、リツくんたち「若いイケメン」とは別ジャンル。来週の「半分、青い」の予告編を見ると、その「若いイケメン」枠でまたまた新馬が発走する模様。よくもまあこんなに若いイケメンを連れてくるものだ。だが、もしかするとこの人がスズメのお婿さんになるのかもしれない(一度も顔を見せなかった信用金庫の課長さんは他の女性と結婚したらしいし。顔は見せなかったが、シルエットで出てきたことがあった。あのシルエット、声がボクテにそっくりと思ったんだけど)。ということで本題。ミサソレの練習に参加して下さってる方々のお一人が「ベネディクトクスのソロが歌えてよかった」とおっしゃっていた。ここ、ソロも歌い放題。通唱会(含:もどき)では当然だが、なんとA合唱団では練習んときもソロを歌える。歌っても誰も怒らない。こんなにおいしい合唱団がみなさんのすぐそこにあるのですよ、参加しない手はないでしょう?こんなゆるゆるの団体の歌でもベートーヴェンはベートーヴェン。8分の6の「Dona nobis pacem」はまさに天国にいる気分。ソロ歌い放題といえば、「歌いまくる会」(こっちにも来て来て来て~)ではカンタータの合間に、これはもう文字通りのソロ・コーナーがある(合唱の合間のソロではなく、まさに一人で歌うソロ。リートでもアリアでも演歌でもなんでも自由)。この会に今度新しく来て下さる方は、1年に一度別の発表会でソロを歌われるのだが、「ソロで歌うことに慣れたい」とおっしゃる。だったらこの会はうってつけ。私も、この会で恥ずかしながら(うそ。面の皮が厚くなって恥ずかしくない)ソロを歌うのだが、実は、もともと私の辞書には「ソロ」なんてのはなかった。ソロはプロだけが歌うものだと思っていた。だが、私の回りのみなさんはしのごのいわずにばんばんソロを歌う。それを見て考えが変わった。一度きりの人生、好きなことをしないでどうする?旅の恥はかき捨て、会の恥もかき捨てである。

フェアプレー?(タコ社長もびっくり)

2018-06-29 08:56:33 | 日記
皮肉なもので、フェアプレー・ポイントで予選リーグ突破を決めた試合で大ブーイング。このまま負けても決勝リーグに行けるからと自陣でパス回しに終始するサムライ・ジャパンに対してだ。あくまでもルールに則ったことだという。あれ?どっかでルールで許されてもダメって言ってなかったっけ。あれだ、横綱白鵬の張り手だ。でも、サッカーの日本代表は世界のサッカー界では「横綱」ではないから張り手もOKということか。今朝のテレビは「おめでとう」一色。ケチをつけたら非国民のよう。でも外国メディアの反応は厳しい。「茶番」と報じたところもある。へー、そんなに注目されてたんだ。まあね、何年も一生懸命応援してきたサポーターさんたちがよしとしてるんなら、4年に一度のにわかサポーター(私)がケチをつけるものではないでしょう(それに、今回はポーランドも共犯だよね。1点差でも勝てればいいやとばかり、まるっきりボールを取りにこなかったもんね)。ところで、前回大会だっけ。タコのパウロくん(ドイツ在住)がワールドカップの勝敗を見事に当てたのは(みんな「パウロ」と言ってるのにNHKだけ「パオロ」だった。たしかに発音的にはパオロがより近いが、そんなところで意地をはるんなら「ワーグナー」と言わないで「ヴァーグナー」と言って欲しい。因みに今年はタコではなくてインコのなんとかちゃんが勝敗当てをやらされている)。タコは実際とっても頭がいいんだそうだ。鏡に映った自分の姿を見て自分だと認識するという話をきいた。無脊椎動物だからといってバカと決めつけてはいけない。だが、日本ではタコを「バカ」の意味で使うことがあるという。そういえば、寅さんはいつも裏の社長さんを「おい、タコ」と呼んでいた。タコ社長もびっくりのワールドカップである。

シュヴァインシュタイガー選手の名前の由来

2018-06-28 10:56:13 | 言葉
予選敗退危機が叫ばれていたアルゼンチンはメッシの覚醒により決勝リーグ進出。それにしてもメッシのあの入れ墨。日本の銭湯には入れませぬなー。そういえば、クリスチャン・ロナウド(よく裸になる)には入れ墨がなかったと思う。その理由は「献血をするから」だと。お酒も飲まないのだという。だからもてもて。誰かが「リアル・ドンファン」と言ってた(「酒と女」はセットで語られることが多いが、ロナウドは女だけ、私は酒だけである)。反対に、優勝候補でありながら予選リーグで敗退したのがドイツ。そういえば、前回大会のドイツ・チームのキャプテンはシュヴァインシュタイガー(Schweinsteiger)だったが、この人は今回出てないよね。代表引退って言ってたし。で、この人のお名前が興味深い。「Schwein」=「豚」、「steigen」=「上がる」である。なので私は同選手のご先祖様は豚の荷揚げをしていたのではないかと想像した。では正解を探そう。ググったらでてきましたとも。日本でもNHKで「お名前ヴァラエティー」を放送しているが(まさに、こないだはサッカー選手のお名前特集をやっていた)、ドイツでも名前のルーツにはみんな興味があるとみえて、ドイツの新聞(ヴェルト誌)のコラムにシュヴァインシュタイガーの名前の由来についての記事があった。それによると。多くのドイツ人は、「Schweinsteiger」から「豚に乗る人」を連想するという(あらま。「豚を揚げる」ではなくて自分が「豚に乗る」か。そう言えば、「steigen」は自動詞だった。私は他動詞的に考えてしまったのだ。私のドイツ語もまだまだである)。じゃあ、同選手のご先祖様は豚の競走でもやっていたのかというとそうではなく、豚と一つ屋根の下で暮らしてのではないか、というのだ。「Schweinsteige」には「豚小屋」という意味があるからだという。とにかく、いずれの意味であったとしても、日本で「豚」と言われたらいい感じはしないが(こないだも「カーネーション」で奈津が糸子を「このブタっ」と罵っていた。だが、豚肉はビタミンB1が豊富で疲労回復にはもってこいだという)、さすがソーセージの国ドイツ!豚が名字になるんだなぁ。しかもシュヴァインシュタイガー選手の愛称は「シュヴァイニー」(「豚っち」って感じ)で、同選手のお父さんはこの愛称を商品登録したそうだ。だが、ご本人はこの愛称を気に入ってない、という話もある。

来てくれちゃうグルベローヴァ

2018-06-27 08:28:04 | 音楽
今年はクラリネットの修理もあって物入りだから財布のひもを締めよう。去年、おととしと続けて来日したグルベローヴァがもし今年も来ても、チケット購入は控えよう。そりゃぁ、グルベローヴァは空前絶後の大歌手であって私は大ファンである。でも「3年連続」は財布にきびしい。去年「70歳でコロラトゥーラを歌うグルベローヴァ」を聴くことができて一区切りついたし(70歳と71歳では質的な違いはきわめて小さい)。だが、万が一来てくれちゃったとして(なんともバチ当たりな言い方である)、行かずに我慢できるだろうか。北島三郎のファンだって五木ひろしのファンだって森進一のファンだってリサイタルには毎年必ず行くだろうに。行かなければ後ろめたいに決まってる。だったら念じるしかない。来ないでちょうだい。来ないでちょうだい。き、来たー(いえ、来るのは秋ですけど)。しかも「日本最後のリサイタル」だって。完全に心中を見透かされている。もう我慢できない。で、チケットを購入してしまいました。一番安い席はステージの後ろの席。グルベローヴァの声は指向性が強いから(イチローのレーザービーム、はたまた「ロード・オブ・リング」の敵方の目玉のお化けからでるビームの感じ)、いくら安くてもこの席は選ばない。下から2番目の席をゲットしました。因みに、「日本最後」ということだが、このキャッチコピーがなければ今回我慢したかもしれないが、実は数年前にもグルベローヴァは「日本最後」の公演を行っている。公演後の舞台には「さよならエディタさん」の横断幕も現れた。だから「日本最後」は今回で二回目である。二度あることは三度ある?そしたらまるで洋服屋さんの閉店セールだが。今回、復活したのは、同郷の若い才能のヴァレントヴィッチ(ピアニスト、指揮者)を世に出すのが目的だったと私は見ている。だから、また別のお気に入りが現れれば三回目はあるとふんでいる。因みに、かつてグルベローヴァがいれこんでいたハイダーは最近とんとグルベローヴァの近くでは見なくなった。英雄色を好むと言うが、女傑も同じである。ハリウッド女優も男をとっかえひっかえ。そんな中でメリル・ストリープは例外で、最初の結婚がずっと持続しているそうだ。因みに(「因みに」は今日2回目)、おしどり夫婦と言うが、おしどりは1年で相手をとりかえるそうである。

かんすけ、かんすけ、かんすけ~(涙)

2018-06-26 19:59:08 | 日記
だからといって、朝の「半分、青い」がつまらないなんて言う気はない。毎回わくわくさせてもらってるし、好みの女優さんも多い(「イケメンが多い」という声に対抗して言ってる)。だが、夕方の「カーネーション」はこれはもう奇跡的な名作である。まるでミサ・ソレムニスである。何度も見て、次のシーンだって分かってる。今日だって、勘助が出征のために電車に乗ってて、次のシーンは勘助の葬列だと分かっている。上から撮っていて、画面上側から葬列がシーンに入ってくることも分かっている。先頭が濱田マリさんで、勘助の写真を胸に抱いていることも分かっている(このシーンを撮る日の濱田マリさんは、朝から異様な様子だったそうだ)。それだけ分かっていても泣ける。いや、余計に泣ける。葬列シーンにかぶさる糸子のナレーション=「勘助」三連発の切なさ加減は筆舌に尽くしがたい……だからこれ以上書けない……ので、6年前にこの回をみたときに書いてたやつを再掲しよう。「今朝の糸子、勘助の葬列で、みんな泣く中、一人無表情。でも、目から涙がすーっと。で、心で三回「勘助」と。1回目、2回目、3回目、だんだん感情が高まっていくその言い回しの見事さ。こういうシーンを演じるかと思えば、今日の放送の前半、店のもんにがみがみがみがみどやしつけてて。で、怒った時の糸子の口の形、なんかで見たと思ったら、写真で見た怒った時のマリア・カラスだ。」

リツくんはスズメの亭主に倒される(カヴァレリア・ルスティカーナだったらの話)

2018-06-26 11:15:03 | 音楽
なんとスズメはリツくんのプロポーズを断っていた。そして4年が経っていた。で、なおちゃんとブッチャーが話していたのは、多分、リツくんの結婚式のことだろう。で、スズメにもお見合い話が来ている。もし、リツくんがそのまま結婚し、スズメもお見合い相手と結婚したならば、まさにカヴァレリア・ルスティカーナ(マスカーニ)の世界である。このオペラにあてはめて、その後の展開を予想してみよう。リツくんは結婚したが、スズメのことが忘れられない。リツくんの妻はそのことを感じ取っていて、和子さん(わこさん。リツくんのお母さん)に向かって涙ながらに「ママも知るとおり」を歌う。とうとう頭に来たリツ妻はスズメの亭主(オペラでは屈強の馬車屋であるが、ドラマでは(お見合い相手と結婚したのであれば)信用金庫の課長さん)にスズメとリツくんの関係をちくる。怒った課長さんはリツくんに決闘を申し込み、リツくんは課長さんに殺される。リツくんが最後に和子さんに言った言葉は「この酒は強いね」であった。因んだ話その1。「カヴァレリア・ルスティカーナ」という題名を子供の頃聴いたときは、間奏曲がやたらときれいなこともあってとってもお上品な言葉に聞こえたものだが、なんてことはない、「田舎侍」の意味である。その2。馬車屋と言えば、「吾輩は猫である」に車屋が飼ってる猫が登場する。その名を「黒」といい、べらんめえである。その3。プロポーズと言えば(そして、田舎侍と言えば)、昨日BSでやってた「隠し剣 鬼の爪」で、侍をやめた主人公がキエにプロポーズしていた。山田洋次監督作品だからキエ(松たか子)は承諾したが、もし最近の朝ドラだったらどうだろう。「わらすは、たんなさんがおさむれーさんだったからおしたいしてたんでがんす。町民になっちまったってがっかりでがんす。もうつきまとわないでケロ。しつこくするとお役人さんを呼ぶでがんすよ」

「Tiefe」と「Tiefen」(BWV131)

2018-06-25 11:46:36 | 音楽
人生捨てたもんじゃない。こないだの朝、パジャマをあるだけ全部洗濯機に入れてしまい、今マンションの外壁工事中だから部屋干しを余儀なくされていて、夜までに乾かないと寝るとき着るものがないことに気がついたが、酔っ払って帰ってきて服のまま寝てしまえばパジャマはいらない、そうならないかな、と思っていたら見事そうなった。このように思ったとおりの展開になることは滅多にない。思わぬ展開だったのは今朝の朝ドラ。なんとリツくんがスズメにプロポーズ。その後の「アサイチ」で華丸さんが「とんでもない」「おかしい」「プロポーズのオフサイド」と言ったのは全く正直な感想であろう(以前のMCならあり得ない発言である)。リツ君と弓道の彼女とは「3年しかもたなかった」とあっさりしたもの。それより朝ドラは今が折り返し点。ここでもしリツ君とスズメが結婚したとなると、次の興味は「いつ別れるか」である。朝ドラでは別れないって?いんや。「ちりとてちん」では別れましたっ。ということで(気が済んだので)本題。バッハのカンタータ第131番「深き淵より」の冒頭が「Aus der Tiefe」と「Aus der Tiefen」の2ヴァージョンあることが某所で話題となった。あー、「Tiefen」は「Tiefe」の複数形だよって?ブー(子という旧友がいる)。これだけ取り出せばその通りであるが「Aus der」の次となると、これは女性名詞の単数形が来ないとおかしい(複数なら「aus den」である。え?そんな細かいところどうでもいいって?よくない。日本語の「てにをは」と同様、いやそれ以上にドイツ語では冠詞の変化で文が決まる)。私の見立てはこうである。「Aus der Tiefe」はそのまま。「Tiefeから」(Tiefe=女性名詞。深いところ=淵)の意味。問題は「Aus der Tiefen」だ。これはもともと「aus der tiefen ○○」(深い○○から)だった。ここでの「tief」は「深い」という形容詞。次に女性名詞の○○が来れば「tiefen」になる。その「○○」がとれてしまって、残された形容詞が名詞化して大文字になった。因みに、1545年のルター聖書を見ると「tieffen」と小文字になっている。おおっ、私の推論を後押ししているではないか!すると○○は何かだが、「淵」で思いつくのは「Abgrund」(モテットの3番にも出てくる)。しかし、これは男性名詞だからダメ。「Schlucht」は女性名詞だ。それよりも、もっと直接的に「Tiefe」と考えればどうだ?「aus der tiefen Tiefe」と似た言葉が続くからこそ、名詞を省略しようって気にもなるってもんだ。おー、なんだか当たってそうな気になってきた。悦悦。しかし、これはあくまでも私の推論である。でも悦悦。

グリム童話のローエングリン

2018-06-24 08:29:33 | 音楽
そのグリム童話を(ってどの話からの続きだ?)読んでたら、なんとローエングリンが出てきた。ヴァーグナーのオペラと大筋は同じ。つまり、エルザは虚偽の告発を受ける。白鳥の曳く舟に乗ったローエングリンが現れて、エルザの代わりに告発者と戦い、勝ってエルザの無実を証明する。二人は結婚するが、その際、ローエングリンはエルザに自分の素性を訪ねることを禁じる。だが、エルザは禁じられた問いを発してしまい、ローエングリンは去る。だが、相違点もある。エルザに弟はいない。だから白鳥はエルザの弟ではない。オペラでは、エルザは弟殺しの濡れ衣を着せられたが、童話での罪状は婚約破棄である(振られたテルラムント伯フリートリヒが逆恨みをして告発をしたものである)。で、負けたフリートリヒはオペラでは追放されて城外でぶちぶち愚痴を言うが、童話では虚偽告訴罪で即死刑に処せられている。それからオペラでは新婚の夜にエルザが禁じられた問いを発して翌日ローエングリンが去るのだが(スピード離婚)、童話では、二人の間に子供ができているから、結構長期間結婚生活は安泰であった。そしてなによりの違い、オペラではフリートリヒの妻オルトルート(魔女)がすべての悪の根元である。夫に虚偽告訴をさせたのも、エルザの心に夫を疑う気持ちを吹き込んだのもオルトルートである。だが、童話ではオルトルートは登場しない(フリートリヒがエルザに求婚したのも独身だったから)。それに代わるのがクレーヴェ公后。ローエングリンとの槍合わせで夫が負けた腹いせに「ローエングリンってお偉いけど、どこの誰だか誰も知らないのよねー」と言ったその言葉がエルザの心に刺さったのであった。あっ、それからもう一つ。これはびっくりなのだが、オペラではローエングリンが去ってエルザは死ぬが、童話ではエルザは元気(かどうかは知らないが、とにかく死なない)、とどこかに書いてあった。えー?エルザって死んだっけ。あわてて台本を見る。「Elsa gleitet langsam entseelt……」(エルザはentseeltしてゆっくり崩れ落ちる)。あっ、「entseelt」(魂が抜ける)かっ。じゃあ、死んでるわ。今の今まで知らなかった。そりゃ、最後にエルザは倒れるけど、オペラのヒロインってしょっちゅう気絶するじゃないですか。エルザも気絶だと思ったさ。話の冒頭に戻るけど、童話では、エルザが窮地に陥ったときグラール(聖杯。ローエングリンたちは聖杯を守る騎士)の横の呼び鈴がちりんと鳴る。これって、誰か助けを求めている人がいる、という合図だそうだ。サンダーバードがキャッチするSOSを思い出しました。

お気楽な合唱団のミサソレの練習に参加しませんか?

2018-06-23 10:12:27 | 音楽

中表紙もとれてしまって、すると序文が出てきた(ベートーヴェンのミサ・ソレムニスのヴォーカル・スコア)。おおっ、このスコアを高校生のときに買って以来このページを見るのは初めてだ。今なら読めるぞ……と思ったが、自慢じゃないが、私は難しいドイツ語を読むのは苦手である。英語の轍を踏むまいとドイツ語はもっぱら会話に重点を置いてきたから、まだ聖書のルター訳ならよいのだが(当時の一般民衆向けの訳だからさほど難しくない)、それからグリム童話あたりならよいのだが、学術論文となるとお手上げである(なぜ、ドイツ人はこんなにややこしい文章を書くのだろうか)。だから難しい単語はとばしてざらーっと読むと、バッハのロ短調ミサとベートーヴェンのミサ・ソレムニスはすごい曲だ、みたいなことが書いてあった(読まなくても書いてあると想像がつく)。とにかく、私がこのスコアを見るのは(歌うのは)練習のときだけである。本番(?)はクラリネットを吹くので使うのは移調したパート譜だ。それはミサ・ソレムニスのレパ会(通唱会もどき)の話であるが、ようやく主催者がイベントサイトを起ちあげた(日付をみると、10日くらい前に立ち上がっていたのだが気がつかなかった)。で、既に何回か練習をしているのだが、A合唱団でこれを歌うなんて無茶にもほどがあると思ったが(でもこの曲を推奨したのは私ということになっている)、普段ほかの合唱団で歌われている方々にも参加していただいてたりして、なんとか曲になっているのにはびっくりである。ということで、当日はもちろん、練習にもおおいに来て下さいましな。こわい人など一人もいない、アットホームな(言い方を変えればゆるゆるな)合唱団です!

蒙古は襲来、猛虎は?

2018-06-22 09:00:00 | 言葉
え?大谷翔平って野球の前にバレーボールをやっての?と思ったら俳優の大谷亮平だった。え?「旅人」の中田英寿ってもう理事長やる歳だった?と思ったら田中英寿だった。蒙古は襲来したが、猛虎は来襲?と思ったらやはり襲来だそうだ。だが襲来と来襲の意味はほとんど変わららしい。来襲と来週は違う(幼稚園生でも分かる)。らいしゅう、台風がらいしゅうするってよ(とは誰も言ってません)。そういえば、平成ガメラの第2作の副題は「レギオン襲来」。レギオン(Legion)の意味は、大勢、軍勢、師団等々。マタイ伝にも「12師団(Legion)の天使の軍勢」という言葉が出てくる。それから、マルコ伝にはレギオンという名の悪霊が出てくる。この悪霊は、イエスに名を聞かれたときに「レギオンという。大勢だから」(Legion heiße ich,denn wir sind unser viele.)と答えているから、やはり大元の意味は「大勢」である。で、件のガメラ2のモンスターの名前は、マルコ伝の悪霊からきているそうだ。なるほど、ガメラ2のレギオンはうじゃうじゃとたくさんいたっけ(後からでっかいのが一匹出てくるが)。「我が名はレギオン。我々は、大勢であるがゆえに」というマルコ伝の引用もあったというが、私の記憶にはない(そこまで気が回らなかった。映画もドラマも一回見たきりでは情報の全部を受け取ることはできない。朝ドラの同じ回も見るたびに発見がある)。話は飛ぶが、言葉の話なので、ここに書いておこう。カブトムシやクワガタがたくさんいるという「ぞうきばやし」を私はずっと「象木林」だと思っていて、でかい木が生えている林を想像していた。「雑木林」(いろんな木が混じって生えている林)のことだと知ったのはかなり後年のことである(最近だったりして)。

三世代で歌うシュッツ

2018-06-21 09:21:00 | 音楽
ある人が私を称して「人集めに奔走する人」と言った。たしかに年がら年中人集めをしている。自分で主宰している歌のグループ二つ(「歌いまくる会」「シュッツを歌う会」)の人集めをするのは当然であるが、ほかの団体の人集めも「結果として」している。そのかいがあって、シュッツを歌う会には、ついこの間もテナーが一人入って下さり、あっという間にテナー王国の様を呈してきた。ダブルコーラスでシュッツのダヴィデ詩篇曲集を歌うのも既に現実のものである(ただし、必ずしも全員が一堂に会するとは限らないところがつらいところだ)。さらに、今合唱界で噂の麗しきかの若夫婦も加わって下さった。これにより、この会は室内合唱団三世代同居である。三世代と言ったが、たしかに某若夫婦と某元夫婦(韻を踏んだ)は親子ほどの年齢差があるが、その上の大先輩(OB会の重鎮であらせられる)を三世代の一番上とお呼びするにはお若すぎる。皆さん、別に「室内だから」と言って参加されているのではなく、結果として「室内だった」ということであるが、古楽というジャンルを考えれば不思議なことではない。で、この会の前半では最近シュッツのルカ受難曲をちびりちびりと歌い進めていて、歌う前に歌詞のチェックをするのだが、こないだ秋風先生(シュッツの話に突然の乱入)がスズメたちに説教を始める前に「いいか」と言うのを聞いてはっと思った。シュッツの歌詞(=聖書のルター訳)によく「Siehe!」が出てくる。直訳すると「見よ」だが、その後に説教が続く。すると、この「Siehe!」を「いいか」と訳してみてはどうだろう。

「マカロニほうれん荘」から「百億の昼と千億の夜」まで

2018-06-20 20:44:47 | 日記
漫画家さんって、デビューしても5年後に漫画家を続けている人は1割なんだって(ラーメン屋さんも開業が多いが廃業も多いと聞く)。雑誌に載っても、ページの前の方か後ろの方かで人気のほどが分かってしまうそうだ。きびしい世界ですねー。以上、「半分、青い」で仕入れた話。そう言えば、今日の放送で、ゆうこにイミテーションのバッグをプレゼントしたおじさんが、朝「リポダミンB」を飲んでると言っていた。「アリナミンA」と「リポビタンD」をかけ合わせたことは明らか。おじさん役の俳優さんも言いにくそうだった。私、唯一毎週買っていた漫画雑誌は大学んときの週刊少年チャンピオン(ほんとにバカ学生の典型。そう言えば、リツくんの西北大学での学生生活はたいして描かれることなく、リツ君の舞台は京大大学院に移ってしまった)。「ブラックジャック」「どかべん」「がきでか」等々、有名作品だらけ。鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」も強烈だった。その唐突な場面転換はベートーヴェンの第8の第4楽章のよう(高校の友達にマーラー狂がいて、彼がマーラーの「復活」のレコードを貸してくれるというので、お返しに第8のレコードを貸したら、マーラーどころではないその前衛さにびっくりしていた)。今ぐぐったら、鴨川つばめって私の一個上で、連載開始当時20歳だって(計算が合う)。時代背景が懐かしかったわけだ(ページの端っこで意味もなく「♪モスラーや、モスラ」と歌ってたりする)。その少年チャンピオンだが、ページの後ろの方にもお目当ての作品があった。「えこえこあざらく」と「百億の昼と千億の夜」。後者は萩尾望都が書いていたが、原作は光瀬龍の小説。それも読んだので、萩尾望都がどれだけ原作を元にイマジネーションを膨らませたのかがよく分かった。

移調譜の作り方(脳トレ)

2018-06-19 23:16:39 | 音楽
ミサソレ、レパ会(レパートリー会=通唱会もどき)当日のみといわず、練習にもどんどん参加して下さいまし(FBをやってる方は、メッセージでご照会いただければ詳細をご提供します)。私は、当日はクラリネットに専念するつもりで、いったん完成したはずの移調譜の改訂の日々である。その移調譜の作成作業はというと。例えばA管用の楽譜をベー管用にする場合。昔ながらの手書きの作業であれば、まずA管の楽譜を読んで頭の中でメロディーを原調で鳴らす。そしてそれをベー管用に全音上げて書く。この方法が王道だと思うし、脳トレになると思うのだが、A管用の音を機械的に半音下げて書くという手もある(A管用=短三度高く書いてある。ベー管用=長二度高く書く。その差は半音)。だが、楽譜作成ソフトを使う場合はそのようにおつむを使う必要はない。最初にA管クラリネットを選択する(楽譜作成ソフトは最初に使用楽器を選択する)。で、A管用の音をそのまま打ち込んでいく。打ち終わったら使用楽器をベー管クラリネットに変更する。これで移調譜のできあがり。便利な世の中になったものである……と喜ぶのはまだ早い。例えば、ミサソレには、同じ楽章の中にC管とベー管が混ざっていたりする。その場合はどうするか。まず、C管の楽器を選択する(私が使ってるソフトにはC管クラリネットがないので音域が似ているオーボエあたりを選択する)。で、楽譜通り入力していって、打ち終わったら使用楽器をベー管クラリネットに変更する。これでC管部分はOK。あとはA管部分を「範囲選択」して、必要な度数だけ上げ下げすればよい(そういう機能がある)。で、範囲を選択して半音下げた。あれ~?変だな。下げた後の音が合ってない。なぜだ?A管用をベー管用に直すためには短三度下げて長二度上げるんだからその差は半音のはずなのに……あっ、ちゃう。使用楽器をベー管に変えたんだから、その時点で既に長二度高くなっている。あと残ってるのは短三度下げることだった。ということで、ソフトを使っていながら脳トレをしている気分である。これって、ボケ防止になるのかなぁ。

おじさん(女)とおばさん(男)

2018-06-18 23:32:22 | 音楽
誰かが誰かに「ちせいにあふれてますね」といった場合、言われた方の1万人中9999人は「知性がある」と褒めてもらったと思って喜ぶだろう。だが、残りの1人であった場合、つまり名うての被害妄想であった場合、「痴性がある」と言われたと思ってすねるだろう。すると、○○ハラスメントの成否をもっぱらされた方の主観で決めるとなると、これは言葉ハラスメントということになる。因みに、某先生と私がいつも咲かせている話はとことん「下」(しも)の話である。私は某先生がお好きだと思ってその手の話をしているし、某先生は私に合わせているだけだと主張されるだろう。そもそもどちらに原因があったかは「鶏と卵」の議論であり不毛である。間違いがないのは、どちらもその手の話がきらいではないからハラスメントにはあたらないということである。かように某先生はチャーミングな女性であるが「おじさん」である。そして、某先生が言うには、私は「おばさん」だそうである。カウンターテナーでアルトを歌っているのはそのせいである(あるか?)

学生指揮者

2018-06-17 14:03:52 | 音楽
スーパーで食品の賞味期限をチェックするのが主婦(夫)の常識ということだが、でもみんなが賞味期限が先のばかり選んでたら、賞味期限がすぐ来るやつばかり残ってしまって、大量に廃棄されちゃうとなると資源の有効活用という点から見れば良くない気がする。だけど、食パンなんかは賞味期限の違いによる味の差が格段だからなぁ。そこんところはスーパーも古いやつを値引するとかしれくれれば買う方も納得、資源の無駄も出ないということでいいことづくめ。しかも、古いやつも両面焼きフライパンで二枚重ねて焼くとなかなか美味になる。さて、昨日の某大学の合唱団の演奏会の話の続き。ラターと土の歌は先生が振り、校歌とアニソンは学生指揮者が振っていた(因みに学生指揮者は女子であり、次期の方も女子だという。男子に振れる人がいるかいないかの問題以前に、最少でステージ上に男子が三人しかいない曲もあった。ここから一人指揮に行くのは無理である。因みの因み。今度のミサソレで私がクラリネットに専念できるのは、レパ会当日、頼もしいアルトの面々がどっさり来て下さるからである。だが、練習ではクラに専念というわけにはいかない。練習にも来てくれないかなー。長い括弧が終わって本文に戻る)。学生指揮者にとってピアノ伴奏のS先生は「大船」である。S先生のピアノが作り出す世界に乗ってりゃあ間違いがない。で、思い出したのだが、私が大学の室内合唱団で学生指揮者だったとき、6月の演奏会でシュッツのアカペラを振ったのだが、自分ではまあまあの出来だと思ったのだが、後から録音を聴いたら自分の未熟さ(音楽的にもそうだが、なんといっても人間的な未熟さ)がありありと出てて、慄然としたことがある。音楽にはかように残酷に人となりが出るのか。その半年後の12月の演奏会では、6月に比べるとかなりまともになっていたが。だが高校のときは逆だった(以下、高校時代の友達は、読んでも読まなかったことにしてちょうだいね)。吹奏楽部の演奏会で「運命」の1,3,4楽章を指揮したのだが、技術的にぼろぼろ。録音など絶対聞きたくないと思った。ところが、だいぶ経ってから聴いてみたら、もちろん細部に目をつぶっての話だが(そしたら空いてる時間がないという噂もある)、びっくりするくらいの気宇壮大さ。燃えていたんだなー、あのときは。フルトヴェングラーの1947年の運命を聴いて興奮して一晩寝付けなかったのもこの頃である。