歌いまくる会とそっくりなもう一つの会でのことである。そっくりと書くと、こっちがぱくったようであるが、元からあるのはこっちである。だから、どっちにも出てる人は「第一」と呼んでいる(違いは、主催者とピアニストと曲順)。その「第一」で、BWV144のアルトのアリアのオブリガートの第二ヴァイオリンを弾いた。40年ぶりにヴァイオリンを弾いてみてあまりの弾けなさに愕然としたのが数ヶ月前。例えて言えば、久々にベッドから起きようと思ったら全く歩けなかったごとしである。それからはリハビリの毎日。殊勝にもKaiserの練習曲などを地道にやっているうちに、さきの例で言えばよろよろではあるが部屋の中を歩けるようになった。そのレベルでもうデビューしようってんだからずうずうしい。参加者の皆様、お耳汚しで申し訳ない。しかし、自分的には、数ヶ月前のことを思えばよくぞここまできた、である。こつこつ練習曲を弾いたかいがあった。もう一つのデビューは新調したクラリネットのA管。BWV145のバスのアリアの合間のトランペット・パートがニ長調だったのでA管で吹いた。歌(in C)とクラ(in A)の間を行ったり来たりで頭が変になりそうだった。ということで、まとめて二つの楽器でデビューした日曜日であった。ヴァイオリンはすっかり味をしめた。今週は私が主催する歌いまくる会(BWV163)。物色しよう。ヴァイオリンで弾けそうなパートはあるかな……あった!ソプラノとアルトのデュエットの背後で弾くコラールだ。コラールだから長い音符ばっかり。リハビリ患者にはうってつけである。因みに、「第一」と言うと、この会のほかに脳裏に浮かぶのが子供の頃やってたCM。オケがジャジャジャジャーンと弾くと指揮者が止めて「第五じゃない」。で、奏でられる曲がベートーヴェンの第一交響曲。第一家庭電器のCMだ。使われてる音楽には二つヴァージョンがあって、いずれも第1楽章で、一つは主部の冒頭部分。もう一つはコーダの部分。後にレコードでこの曲を聴いたときに確認した次第である。ハ長調のこの曲は、青年ベートーヴェンの心意気が感じられてなかなか楽しい曲である。
歌いまくる会とそっくりなもう一つの会でのことである。そっくりと書くと、こっちがぱくったようであるが、元からあるのはこっちである。だから、どっちにも出てる人は「第一」と呼んでいる(違いは、主催者とピアニストと曲順)。その「第一」で、BWV144のアルトのアリアのオブリガートの第二ヴァイオリンを弾いた。40年ぶりにヴァイオリンを弾いてみてあまりの弾けなさに愕然としたのが数ヶ月前。例えて言えば、久々にベッドから起きようと思ったら全く歩けなかったごとしである。それからはリハビリの毎日。殊勝にもKaiserの練習曲などを地道にやっているうちに、さきの例で言えばよろよろではあるが部屋の中を歩けるようになった。そのレベルでもうデビューしようってんだからずうずうしい。参加者の皆様、お耳汚しで申し訳ない。しかし、自分的には、数ヶ月前のことを思えばよくぞここまできた、である。こつこつ練習曲を弾いたかいがあった。もう一つのデビューは新調したクラリネットのA管。BWV145のバスのアリアの合間のトランペット・パートがニ長調だったのでA管で吹いた。歌(in C)とクラ(in A)の間を行ったり来たりで頭が変になりそうだった。ということで、まとめて二つの楽器でデビューした日曜日であった。ヴァイオリンはすっかり味をしめた。今週は私が主催する歌いまくる会(BWV163)。物色しよう。ヴァイオリンで弾けそうなパートはあるかな……あった!ソプラノとアルトのデュエットの背後で弾くコラールだ。コラールだから長い音符ばっかり。リハビリ患者にはうってつけである。因みに、「第一」と言うと、この会のほかに脳裏に浮かぶのが子供の頃やってたCM。オケがジャジャジャジャーンと弾くと指揮者が止めて「第五じゃない」。で、奏でられる曲がベートーヴェンの第一交響曲。第一家庭電器のCMだ。使われてる音楽には二つヴァージョンがあって、いずれも第1楽章で、一つは主部の冒頭部分。もう一つはコーダの部分。後にレコードでこの曲を聴いたときに確認した次第である。ハ長調のこの曲は、青年ベートーヴェンの心意気が感じられてなかなか楽しい曲である。