拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

まとめてデビュー

2019-09-30 12:01:52 | 音楽

歌いまくる会とそっくりなもう一つの会でのことである。そっくりと書くと、こっちがぱくったようであるが、元からあるのはこっちである。だから、どっちにも出てる人は「第一」と呼んでいる(違いは、主催者とピアニストと曲順)。その「第一」で、BWV144のアルトのアリアのオブリガートの第二ヴァイオリンを弾いた。40年ぶりにヴァイオリンを弾いてみてあまりの弾けなさに愕然としたのが数ヶ月前。例えて言えば、久々にベッドから起きようと思ったら全く歩けなかったごとしである。それからはリハビリの毎日。殊勝にもKaiserの練習曲などを地道にやっているうちに、さきの例で言えばよろよろではあるが部屋の中を歩けるようになった。そのレベルでもうデビューしようってんだからずうずうしい。参加者の皆様、お耳汚しで申し訳ない。しかし、自分的には、数ヶ月前のことを思えばよくぞここまできた、である。こつこつ練習曲を弾いたかいがあった。もう一つのデビューは新調したクラリネットのA管。BWV145のバスのアリアの合間のトランペット・パートがニ長調だったのでA管で吹いた。歌(in C)とクラ(in A)の間を行ったり来たりで頭が変になりそうだった。ということで、まとめて二つの楽器でデビューした日曜日であった。ヴァイオリンはすっかり味をしめた。今週は私が主催する歌いまくる会(BWV163)。物色しよう。ヴァイオリンで弾けそうなパートはあるかな……あった!ソプラノとアルトのデュエットの背後で弾くコラールだ。コラールだから長い音符ばっかり。リハビリ患者にはうってつけである。因みに、「第一」と言うと、この会のほかに脳裏に浮かぶのが子供の頃やってたCM。オケがジャジャジャジャーンと弾くと指揮者が止めて「第五じゃない」。で、奏でられる曲がベートーヴェンの第一交響曲。第一家庭電器のCMだ。使われてる音楽には二つヴァージョンがあって、いずれも第1楽章で、一つは主部の冒頭部分。もう一つはコーダの部分。後にレコードでこの曲を聴いたときに確認した次第である。ハ長調のこの曲は、青年ベートーヴェンの心意気が感じられてなかなか楽しい曲である。

できちゃった婚~仏壇が多すぎるっ

2019-09-29 11:51:44 | 音楽
昨日、ベイカー先生の「歳の差婚」がぽしゃってしまった話を書いたと思ったら、今朝のサンデージャポンで城島某の結婚報告のシーンを映していて、彼女のお母さんが某より年下で、お父さんが同年配と言っていた。ほら、だからベイカー先生は歳の差を気にしてケイトと別れる必要はなかったのだ。ケイトはベイカー先生と結婚して添い遂げてから今度はわっかい男と結婚すればいいのだから。まあ時代も国も違いますが。いや、現代の日本だって城島某がいまだに「順番が逆になりましたが」とか言っている。今や正しい順番というのは、まず子供を作って、で、良かったね、じゃあ結婚するか……だと思っていたが、まだそこまでは行っていないのかしらん。そういえば、「フィガロの結婚」で、女中頭のマルツェリーネが我が子ほど年下のフィガロと結婚したくてバルトロがそれに協力。ところが、フィガロが実はマルツェリーネとバルトロの間の子(人にさらわれた)であることが発覚した。「我が子ほど」ではなく、ホントに我が子だったわけだ。じゃあ子供も見つかったってことだし、って感じでマルツェリーネはバルトロと結婚。できちゃってから結婚までかなりのタイムラグがあるが、これも一種の「できちゃった婚」であろうか。今日こそは河合の「スコアメーカー」の話を書こうと思っていたが、例によってテレビの話で盛り上がってしまったので後日に回すとして、やはりテレビの話で締めよう。昨日の深夜、なんとなくテレビを付けたら渡辺謙がドラマで「仏壇が多すぎる」と叫んでいる。これ、「字が小さすぎる」(ハズキルーペのCM)の本人による完全なパクリである。ハズキルーペ(のCM)はNHKまでをも動かした?私の脳も完全にあのCMに蝕まれてしまっていて、終わっちゃった「なつぞら」でナツが「じっちゃん、大好き」と言ったのでさえ、「ハズキルーペ、だーいすき」に聞こえてしまう始末である。それにしても、昨夜の渡辺謙のドラマはぶっとんでいた。妻役の久本雅美がやってるヨガポーズは、知る人ぞ知る(バッハを歌ってる人はおそらく知らないだろう)、彼女のネタの「よろちくび」である。NHK、ここまでするか。民放以上に民放化しているNHKである(チコちゃんしかり)。

老いらくの恋

2019-09-28 19:07:36 | 日記
麻婆豆腐用に買ってあった豚挽肉をおとといピーマン肉詰めに使ったのは、ピーマンに小麦粉をまぶすと肉がはがれにくくなるという話を聞いて実践したかったのと、その翌日合唱の練習の後中華屋さんに行くことが予想されていたから(現に、中華屋さんでザリガニを食べた)、中華が続くのを避けるためである(ザリガニについては今朝の投稿を参照されたい)。さて、「なつぞら」が終わって来週からは「スカーレット」。スカーレットと言えば、♪スカーアレット(ソミーレドッソ)、スカーアレット(ソミーレドッソ)、わたしのスカーレットちゃん(ララララファーミッレレソ)。このお人形のせいで、子供の私にとって「スカーレット」というのは女性の名前であったから、人形劇の「サンダーバード」を作ったプロダクションが制作した「キャプテン・スカーレット」は名前的にいまいちぴんとこなかった。朝ドラ再放送組はまだまま続く。「おしん」は残り半年あるし、「ゲゲゲの女房」はしょっちゅう放送がなくなるからいつ終わるのか検討がつかない。ここに来ておしんはようやっと自分の商売ができることになりそうだが、ゲゲゲの家の貧乏神はまだまだいすわったままである。「大草原の小さな家」はこの後完結までに何年かかるだろう。いや、何年も楽しませてもらえるのだからありがたい。今日の回もよかった。医者のベイカー先生の「老いらくの恋」の話である。このドラマにはキャラの立つ脇役がたくさんいて、その多くが恋をする。エドワースさんもそうだし、オルデン牧師も!でも、彼らのお相手はだいたい同年配。それに対し、ベイカー先生のお相手はついこの間まで少女であったようなケイト(つまりめちゃくちゃ若い)。だが、ケイトが積極的で、いったんはみんなの前で婚約発表をする。そのシーンを見てる時点で、たしかこの話はぽしゃるんだったよな、歳の差が問題になるんだよな、どっちから言い出すんだったっけ、ケイトの方だっけ……いや、違った。ベイカー先生だった。自分の歳とケイトの若さを比べたうえでの悲しい決断だった。気になったのはベイカー先生の歳。それから年齢差。ケイトは多分二十歳そこそこだろう。問題はベイカー先生だ。いったい何歳だ。初めてのデートの約束をしたときにぴょーんと飛び跳ねていた。あの跳ね方を見ればさほどいってない。50代か?だったら今の私より若い。「老いらくの恋」なんて言ってはいけない(自分に返ってくる。今、こう書きながら、ベイカー先生のように跳ねてみた。できた!まだまだいけまっせ、私)。そうだ!私は、D社の「大草原DVDコレクション」を最後までとり続けて毎回の解説冊子もバインダーに綴じていたんだった。そこに情報があるかもしれない……なかった。だが、ケイト役の女優さんについての情報があった。アン・アーチャー、メジャーな映画にも出てる人で、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされたことがあるそうだ。そのアン・アーチャーも今は72歳である。時は移ろう。

中山の食用ガエルは駅北側の沼にいた

2019-09-28 14:52:11 | グルメ

合唱団の練習の後の飲み会で行く中華屋さんのメニューにあって前から気になっていたザリガニをいよいよ食す。手で殻をむくためのビニールの手袋が配られる。苦労の割には食べるところが少ない。一回試したからもういい。ザリガニといってもこれはアメリカザリガニである。郷里である中山(横浜市)のたんぼにたくさんいた。このアメリカザリガニはウシガエルのエサとして輸入されたものの一部が逃げ出して日本中で繁殖したそうだ。つまり外来種である。そのウシガエルは別名食用ガエルというくらいで(子供の頃はもっぱらこの名で呼んでいた)、食用に輸入されて一部が逃げ出して繁殖した点はアメリカザリガニと同じ外来種である。中山には食用ガエルもいた。駅の北側と恩田川の間に小さな沼が点在していて、そこが中山産の食用ガエルの住処であった。半世紀も前の話である。今では、ザリガニが跋扈した幼稚園のあたりの田んぼも、食用ガエルの秘密基地であった沼もなくなっている。因みに、恩田川(鶴見川の支流)はその昔、あんなに小さな川のくせに大雨が降ると氾濫して、駅のあたりが浸水して歩くための足場が組まれたことがある。雨といえば、小学校にいく道すがら、ちっさな傘の修理屋さんがあったっけ。今朝、「鉄道ぶらり旅」っていう番組で横浜線を特集していて、「沿線には人気の住宅街が」と言っていた。今はそうなのだな。私が通った高校は横浜の中心部にあって横浜線で通学したのだが、そこで出会った「都会の人々」は、中山あたりを「横浜のチベット」と言って蔑んでいた。担任の先生などは、「横浜線は車内が暗いから眼鏡をかけた人が多い」などという偏見を吹聴していた。変われば変わるものである。ところで、ザリガニはエビ、カニ同様に甲殻類に属す。その甲殻類が属す節足動物には昆虫も含まれる。ということで、無理矢理、話を昆虫に移してクイズである。カブトムシとクワガタではどちらが強いか?クワガタはあの立派なクワを備えているからいかにも強うそうだが、カブトムシの圧勝である。体の厚みが違う。カブトムシが角をクワガタの体の下にさしこんでえいやっとやれば次の瞬間クワガタは樹下の人(虫)だ。では、続いて、今度は脊柱動物同士の闘い。シャチ(哺乳類)とホホジロザメ(魚類)である。せびれの形が似ている両者であるが、どちらが強いか。サメはぎざぎざの歯がいかにも強そうだが、シャチの圧勝である。サメは軟骨魚類であってその特徴は肋骨がないこと。だから、シャチがサメに体当たりをすれば瞬時にサメは内臓破裂でおだぶつだそうだ。シャチはホッキョクグマでさえ食っちまうという。強すぎ。加えて頭がいい。強くて頭が良いんだったら最高である。だから、私は、次に人間以外に生まれるんだったら絶対シャチがいいと思っている。

猫と男

2019-09-27 08:46:06 | 日記
「なつぞら」は明日でおしまい。ちょっと前の放送回で、ナツが大変なんでじっちゃんがナツの母に「(面倒見に)行ってやれ」と言っていたが、夫はどうすんのさ、独り寝をかこつことになるじゃんと思った。「寝室を別にしたら離婚に至る」が私の強固な持論である。最近も某合唱団の某氏がエアコンの適温が異なるので奥さんと寝室を別にしたと聞いて、おっ、お仲間が増える、と思ったら、ところが夏が過ぎたらあっさりと「元に戻りました」。エアコンの温度のせいというのは本当だった。ラブラブなご夫婦だった。「ちぇっ」と思ったら私の心理はなんなのだろう。しかし、これで私の持論が崩れたわけではない。件のご主人の場合、「居所」を一時的に別の寝室に移しただけで、「本籍」は変わらず奥さんの傍らであったわけだ。これでは「寝室を別にした」とは言わない。某合唱団といえばこないだの練習のアフターで、人生の先輩のなかのお一人が私に「イージマさん、奥さんは?」と聞くから「いません。昔いました」と言うと、「一人になってからどのくらい?20年以上?そりゃ寂しかったでしょ。そうか、だから猫がいるんだ」てな具合にすっかり私は「寂しい男」に仕立てられてしまった。私にガールフレンドがいたという発想は決してわかないようである(実際いたかいなかったかなどという個人情報はここには書かない。とか言うと、強がっちゃって、いなかったんでしょ、分かってるよ、とか言われそうである)。なぜだろう。そんなに女性に縁がなさそうか。いや、多分猫のせいだ。ガールフレンドがいないから猫を可愛がる、そういう方程式なのだろう。たしかにうちの猫らは雌である。

古い食材を使って命がけで食した自家製ピザ

2019-09-26 14:58:34 | グルメ
久々にホームベーカリーでピザ生地を作ろうと思ったら全然膨らまない。犯人として真っ先に捜査線上に浮かんだのが酵母。前に使ってから(開封してから)かなり経っている。つまり古い。酵母を新しいのにして作り直す。見込みは当たった。ちゃんとピザ生地ができあがった。さて、その上に乗せるチーズも開封してから相当経っている。こっちはカビが心配。だが、ぱっと見大丈夫そうなので生地の上にだだっと広げたらやはりところどころカビていた。例えば、正月の餅などは、昔の人はカビたところだけこすげ落として食べたそうだが、こないだテレビでどっかのお医者さんが「一部がカビてるやつは根が広がっているから全部捨てなきゃダメ」と言っていた。加熱しても発がん物質が残るのだそうだ。でも、昔の人は捨てたりしなかった。たとえ今発がん物質を食したとしても発症するのはずっと先だろう。それまでにアル中で死んでるだろうからかまうものか。ということで、色の変わってるところだけ取り除いて久々の自家製ピザを味わった。しかし、古い新しいということとは関係なく、チーズの味がどうしてもお店屋さんで食べるピザのチーズの味にほど遠い(お店屋さんと言っても、私が愛顧にしている五文字の店なんかではない。五文字のお店の味には勝っている。私が言っているのは「ホントの」イタリアン・レストランのことである)。やはりそのへんのスーパーで一番安く売っているチーズではだめなのだろうか。ということで、ちょっと奮発してモツァレラを用意した。近々試してみるつもりである。食べ物の話ついで。朝は相変わらずラーメンである。と言っても馬鹿にしてはいけない。例えば今日ぶっこんだ具は、キャベツ、もやし、椎茸、キクラゲ、切り干し大根、豚肉、卵、大根おろし、それに海苔を3枚添えたもの。栄養たっぷりである。この中で特に私がこだわっているのが大根おろし。「吾輩は猫である」の「吾輩」の飼い主先生も「大根おろしにはタカジアスターゼが含まれていて胃によい」と言って愛用している風である。昼はご飯に練りウニを付けて食べた。練りウニは私のソウルフードである。

遺伝(クラリネット奏者、馬、騎手、オペラ歌手)

2019-09-25 06:42:52 | 音楽
オッテンザマーというクラリネットの一家は、父と兄がウィーンフィルの主席で弟がベルリンフィルの主席。すごい家系である。こういう例を見ると、血(DNA)は争えないと思う。馬もそうだ。これほど血統が重視される世界はない。競馬ファンは、よるとさわると○○と○○を掛け合わせればいいとかそんな話をしている。馬だけではない。騎手や調教師も世襲が多い。騎手に有利な小柄な体格はなろうと思ってなれるものではないから、やはり血がモノを言うのだろう。土曜日の競馬中継で解説をしている大久保元調教師も騎手・調教師の家系で、ホントは騎手になりたかったが、体が大きくなってしまって断念したという。ところで、ある人が大久保元調教師のことを「インテリが調教師になった」と言っていたので気になって経歴を見た。そしたら私の先輩であった。いや、学部で言うなら某さんのイケメン夫と同じで理工学部で建築を勉強されたという。しかも卒業後建設会社に就職されている(まったくの畑違い)。その後、調教師の父が高齢になったので退社して後をついだそうだ。これはよくある話。昨日の「サラメシ」でも似た話をしていた。遺伝関係の話のおまけ。ある女優がバーナード・ショーに「あなたの知性と私の美貌を受け継いだ子供が生まれたら素晴らしい」と言ったらショーが「あなたの頭と私の顔の子供が生まれたら最悪」と返した話は有名だが、寅さんこと渥美清さんも黒柳徹子さんに「あなたのおしゃべりと私の顔を受け継いだ子供が生まれたらどうします?」みたいなことを言ったそうだ。黒柳さんが徹子の部屋で言っていた。大昔、お二人にロマンスの噂が立ったときのことだ。それを聞いて黒柳さんは「ああ、この人はその気がないんだな」と思ったそうだが、ということは黒柳さんはその気がおおりだったのだろうか。もう一つ。馬は血統がモノを言うと書いたが、ここで重視されるのは父系の方で、名牝の子はあまり走らない。私が大好きなジェンティルドンナの初仔(モアナアネラ)が今走っているのだが、最初なかなか勝てず、ようやく小さいレースで2勝してこないだ初めて重賞にいどんだが10番人気。私は応援したが7着だった。もう一つ。私は子供の頃、オペラ歌手になりたかった(プロレスラーにもなりたかった)。その夢が無残にも打ち砕かれたのは高校のとき。その高校は、ときどき県立音楽堂にプロの音楽家を呼んで生徒に聴かせていた。で、私の在学中に来られたのがKという有名なバリトン歌手。歌の合間におしゃべりをするのだが、その中に「オペラ歌手になりたいと思っても絶対なれないから諦めろ。これは遺伝がモノを言う」というのがあった。それである。しかし、Kさんの話は面白かった。「フィガロの結婚」を歌う際は「初夜権」について熱心に講義をされていた。おっと、歌も素晴らしかった。それをおまけのように言ってはいかんよな。

バカップルを見てたらうらやましくなって抱き枕をかかえて行きたいと思ったベルリン・フィルの野外コンサート

2019-09-24 10:25:08 | 音楽
日曜の夜珍しく家にいたからテレビをつけたらベルリン・フィルの野外コンサートをやっている(Waldbühne)。カメラは執拗に客席のいちゃいちゃカップル(バカップル)を撮す。それにしてもたくさんいる。あっちにもこっちにも。膝枕で寝てるのもいれば、背中どおしをくっつけてるのもいる。私はもともと野外コンサートは雑然としていていまいち好かなかったのだが、こう執拗にバッカプルを見せられると、だんだんうらやましくなってきて、そのうち熱烈にうらやましくなってきて、是非あの場に行きたいと思うようになった。抱き枕を持って行こう!演奏はベルリン・フィルだから素晴らしくないはずがない。同時に時の移ろいも感じたものである。私が子供の頃聴いていたときはカラヤン時代で、その時代の最後の最後に生で聴けたのだが、当時、クラリネットはライスター、オーボエはシェレンベルガーだった。その後、がらっと入れ替わって、フルートはパユ、クラリネットはフックス、オーボエはマイヤーの時代になったのだが、こうしたお歴々さえもずいぶんお歳を召した感じ。私も歳をとったわけである。今回は出てなかったが、今クラリネットでのしてるのはイケメンのオッテンザマーだそうだ。

余裕(白井で聴いたアンサンブル・ドルチェ)

2019-09-23 07:27:33 | 音楽

この夏、白井は3回目。アンサンブル・ドルチェ・コンサートを聴きに行った。お目当ては、E先生(Y先生のクラリネットのお師匠さん。千人でご一緒した)が吹くモーツァルトのクラリネット五重奏曲。大好きな曲だし、E先生がどんな風に吹かれるのか是非聴きたかった。で、3度目の白井詣となったわけだが、なんとE先生が会場近くの道で普段着で人々に挨拶をされている。私のことも気づいて下さって「遠いところをようこそ」とおっしゃっていただいたが実はそんなに遠くない。それよりも、開演まであと30分を切ったこのタイミングでなんで普段着でここにいらっしゃるの?「いや、2時からだから」などと呑気なことをおっしゃってる。じゃあ、プログラムの後半に出られるのかなと思ったらしょっぱなであった。ものすごい余裕である。その余裕のなせる技、いや素晴らしい演奏でした。参考にもなった。そっか、あのパッセージ、E先生がスラーで吹くなら私もスラーにしよっと。いやね。来年、3分くらいクラを吹く本番があって、せっかく「ちゃんとした」A管を買ったんだからこの曲の部分でも吹こうかと思っている。それもあっての視察(?)であったのだが、ん?モーツァルトの後、今度はY先生のピアノ伴奏で歌を3曲吹かれた(3曲のうち、1曲は「無言歌」)。そっか、この手があった!いや、歌のパートをクラで吹くのは私自身よくやっている。歌いまくる会のソロ・コーナーで、私はこのところ「ヴァルキューレ・シリーズ」。ジークムントとジークリンデのパートを毎回ちょびっとずつクラで吹いている。だが、そのパターンを本番でやるという発想はなかった。だが、これもいいよね。プログラムで「春の歌」(メンデルスゾーン)を見た瞬間、クラで吹くピアノのメロディー部分を想像した。これいい。実際、聴かせてもらって確信。これにしよ。いやいやそんな感じで普段になく集中しまくって聴いたので前半でお腹いっぱい。しかし、後半も素晴らしかった。Y先生と弦楽アンサンブルでシューマンのピアノ五重奏曲。♪チャー、チャー、チャー、チャー、チャチャチャチャチャチャチャチャ……こう書くとまるでおもちゃのちゃちゃちゃであるが、ご存じの方はこれで合ってますよね。私はシューマンも大好きである。それに、大きな声では言えないが(だから小さい字で書くのだが)、最近、ヴァイオリンの練習もこそっとやっている(こっちはクラ以上に苦戦。子供の頃はもっと弾けたのになんでこんなに下手なんだろ。まったく愕然とする。でも子供の頃よりも忍耐力は養われたからめげずに(半分めげてるが)続けている)。だから、弦の方々の弾く様子も大変勉強になるのである。ということで、お腹いっぱいのところに「別腹」で大いに楽しんだ。堪能仕切った2時間のコンサートであった。アンサンブルはいいねえ、ほんとに。

仇役の名誉挽回

2019-09-22 08:46:21 | 日記
「大草原の小さな家」のオルソン夫人はいつもは意地悪で怒りん坊。でも、離婚の危機を迎えた昨日の放送回ではなんかしおらしくて、よく見ると(?)美人である。役柄によって見え方が違ってくるからおそろしい。おしんの姑の清役の高森和子さんだって、それから、古いところで「細腕繁盛記」で小姑役を演じた富士真奈美さんだって美しくないわけはない。だが演じた役が役だから、放送中は日本中からの敵意のこもった視線にさらされるわけである。オルソン夫人と娘のネリーは、ファンの集いに出席すると、観客がさーっと引いたので、自分たちの「立ち位置」に気づいたそうだ。ネリー役のアリソン・アーングリンはローラ役を希望してかなわず、ネリー役に落ち着いたそうで、もしローラを演じていれば待遇は相当違うもののになっていただろう。そのアーングリンとローラ役のメリッサ・ギルバートは、実生活では親友なのだそうだ。さて、そうした仇役のみなさんの名誉挽回のときが来る。オルソン夫人でよーく覚えているのは、今回の再放送では何年か先の放送になるだろうが、人種差別の先頭を走っていたかのような夫人が最後に差別はいけないとの弁をうつ。すると、隣にいたアフリカ系の盲目の少年が夫人の手を握る。しっかり握り返す夫人。オルソン夫人が天使に見えた瞬間であった。うう、想像するだに泣けてきた。しかし、本当にそういうシーンだったかどうかは保証できない。今再放送を見てて、昔の記憶とかなり違うところがあるからだ。正子(細腕繁盛記の小姑役)が逆襲を果たしたのはCM。役そのままの牛乳瓶をひっくり返したような眼鏡をかけて登場したと思ったら、CMの最後に眼鏡をはずして微笑んだ。子供心にあんまりきれいなんでびっくりした。ギャップをねらった演出である。それに対して、清は、この先、「いいお義母さん」になるときが来るのだろうか。竜三あてのおしんの手紙を勝手に読んでひっちゃぶいたりして(これは犯罪である)相変わらずである。「細腕繁盛記」のことを書いたら懐かしくなった。旅館に嫁いだ新珠三千代演じるヒロインは、ヒロインを追ってこの旅館に働きにきた板前(演:高島忠夫)から「こいさん」と呼ばれていた。子供の頃はウィキペディアもないから「こいさん」の意味など調べようがなかったが今なら調べられる。へー。関西地方で、使用人が主人の末娘を呼ぶときの言葉だそうだ。ついでだ。「細腕」がどういう物語だったかウィキで復習。え?復習じゃないぞ。知らなかった話が出てきた。「こいさん」の亭主(旅館の主)は戦争の影響で夫婦生活を営めない体であることが結婚初夜に判明。がっかりした(かどうかは知らないが)こいさんは旅館を発展させることに生きがいを持つ。そこに、元恋人だった板前が戦争から帰ってきて……へ?高島忠夫さん演じる板前って、単にこいさんを慕ってただけだと思ってたら元恋人だったの?知らんかった。それが旅館にいつくことになったらこりゃー夫側の人間である正子が面白くないことも分かろうというもの。このドラマを見てたのは小学生のときだったからなー。こんな話だとは夢にも思わなんだ。さらに分かったこと。その板前は「清」と言うんだと。ははは!おしんの姑と同じ名前じゃんけ。もっともあっちは「きよ」でこっちは「せい」と読むのだろうが。

安らかに、汝、旧A管!

2019-09-18 22:44:30 | 音楽

いよいよA管が来た。おろっ。ケースがでかい。これはA管に違いない。それにしてもでかい。と思ったら、なんとダブルケースだった。もちろんB♭管は入ってない(買ってない)。だから、半分空のダブルケースだ。早速吹いてみる。半音ずつ下から上まで。完璧なピッチ。満足である。当然だ。我が家に備わっている備品の中ではその高価である点で最近取り替えたばかりの給湯器と一二を争う。だが、ダブルケースで来るとは思わなかった。ダブルケースは既にある。

こちらには、1年前から同棲しているA管嬢が収まっている。さてさて。三角関係の主人公は私からB♭管くんに移った。彼はどちらで寝るのだろう。これまでは旧A管嬢とベッドを共にしていた。しかし、今度来た新A管嬢はピカピカである。性能もいい(なんの?)。決め手は寝る位置だ。ベッドの空いてる側が逆である。ふむ、私だったら左利きだから……いや、私の話ではない。とか思ったら、あれま、二つの写真をよく見比べると、ベルの位置が逆である。つまり、左右の向きが逆である。ということは、空いてるサイドが同じということである。だったらどっちでもいいや……ってだから私の話ではないって言うに。とまあ話を盛り上げてみたが、実はB♭くんが同衾する相手は決まっている。新A管嬢である。旧A管嬢は、城を出るという。まるで淀君に大阪城を譲った北政所である。これからは、ひっそりと余生を過ごすそうだ。ますます北政所である。思えば北政所には悪いことをした。この数ヶ月、口を開けば彼女を貶めるようなことをほざいていた。安物、まがい物、お里が知れぬ、おつむが悪い等々。しかし、私に初めてA管の良さを教えてくれたのは彼女である。初めてA管を吹いたときの感動は、今日の比ではない。ほーんとにいい音が鳴ったものだ。その喜びを当時当ブログにも書いている。だが、いかんせん、(記譜上の)真ん中辺のシ♭と高いドのピッチが定まらない。これは看過できない瑕疵であった。だから、たった一年で世代交代とあいなったわけだが、そもそも北政所がいなければ淀君(新A管嬢)を迎え入れることもなかった。私の目を開かせてくれたのは彼女である。本当に感謝である。惜別の念を持って言葉を送ろう。"Ruhe, ruhe, du A!" (安らかに、汝、A管!……ブリュンヒルデが歌う「Ruhe, ruhe, du Gott」のパクリ)さてさて、別の三角関係勃発。私と二つのダブルケース。どっちを使おう‥

天気が悪くてもグッド・モーニングと言うのはこれいかに?

2019-09-18 09:46:18 | 音楽
「吾輩」(猫)の飼い主の「主人」は英語教師なのだが、生徒から、天気が悪くても「グッド・モーニング」と言うのはなぜか?と聞かれて一週間悩んだそうだ(漱石の「吾輩は猫である」)。これは、「いい日でありますように」という願望だろう。ドイツ語でも天候に関係なく「Guten Tag!」と言うが、それは「Ich wünsche Ihnen einen guten Tag!」の省略形である。そこから推測するに、「Good morning!」も「I wish you a good morning!」の省略形なのだろう。ドイツ語から連想しなくても、「クリスマスおめでとう」は「I wish you a merry christmas!」だ。一応確認しようと「I wish you a good morning」でググると、なんと、「Good morning」が何の省略形かについては争いがあって、「I wish you……」のほかに「You have a good morning」という説もあるそうだ。英語については深入りはしない。とにかく、ドイツ語なら「Guten Tag!」は「Ich wünsche……」の省略形であることに異論はない。この手の挨拶ですぐ思い浮かぶのが、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサート。アンコールで「青きドナウ」が始まると指揮者がいったん演奏を止めて、客席に向かって、「Die Wiener Philharmoniker und ich wünschen Ihnen "Prosit Neujahr!"」(新年おめでとう)と言うのが慣わしになっている。「Prosit Neujahr」の部分は楽員も唱和する。この挨拶にも指揮者の個性が出て面白い。この機会にとばかり長々と演説をする人もいると思えば、クライバーなどはこれを言うのがいやでいやで仕方がないらしく(結構、緊張しいである)、ちゃちゃっと終わらせてすぐ曲に入っていた。

裏切り者

2019-09-17 23:13:08 | 音楽
いよいよおしんが佐賀から脱出。最初に脱出を試みたときは一緒に逃げようと約束したサワに裏切られて(夫にチクられて)失敗。二度目は、今度は兄嫁が一人息子の雄を連れ出してくれて母子による脱出が成功。しかし、逆の見方をすると、兄嫁の恒子さんは姑を裏切ったことになる。世の中、裏切り、裏切られのオンパレード。関ヶ原の合戦で東軍が勝利したのは、西軍の小早川秀秋が西軍を裏切ったのが決め手であった。オペラでも「裏切り」は日常茶飯事。イタリア語をろくに知らない私が裏切り者を意味するイタリア語(traditore)を知っているのは、アイーダ第四幕で僧侶たちがラダメスのことを「トラーディトール」と言ってるからである。ドイツ語なら「神々の黄昏」。ブリュンヒルデが「Verräter」(裏切り者)と絶叫する。英語では、「裏切る」は「betray」で、実は「裏切る」で最初に脳裏に浮かんだのがこの単語であった。なぜ苦手な英語が最初に浮かんだんだろう。それはともかく、恋愛における「裏切り」は「振る」「振られる」ことだそうで、とんでもない実験をテレビで見た。被験者に自分を振った男女の写真を見せて、脳の変化を調べるという実験である。なんと、その場合のダメージは、物理的暴力(殴る等々)をくらった場合と同様だという。テレビ局は、「あなたを振った人の写真を持ってきて下さい」と依頼したのだろうか?そうだろうな。なんとも酷な実験である。それはともかく、多くの人は振られた記憶のみ増幅され、振った記憶というのはほぼ忘れているのではないか。しかし、殴ったことは忘れても、殴られたことを忘れないのが人間である。我が国が周辺国とうまくいかないのもこのあたりに原因があるような気もする……

B♭さんとA管嬢との三角関係

2019-09-16 22:45:32 | 音楽
前回のブログの主人公である某姐さんの妄想……いや、妄想などといっては失礼だ、これは芸術の芳香漂う詩想である……はとどまるところを知らぬ。ブログを読んで下さった姐さんが次に下さったのは「B♭さんを返品した後、やさしいA管嬢との幸せな人生が始まりますように」たるお言葉。ありがたやー。しかし、姐さんは肝心なことをご存じない。実は、我が家にはとうの昔からB♭さんがおられたのだ。だから、今回間違って送られて来たB♭管を返品してもB♭さんがいる事実にはなんら変わりがない。さらにさらに、新しいA管嬢はまだ到着しておらないが、実は、別のA管嬢とも1年以上同棲をしている。だが、そのA管嬢は、どこの生まれかも知れないはぐれ者で、実際、おつむの具合はときどき悪い(音程の定まらない音がある)。しかし、ピカピカ光ってきれいはきれい。それに対し、B♭さんは、これは由緒正しき武家の出で頭脳明晰(ピッチも正確)。残念なことに(ニッケルメッキで)見栄えがよくない。このあたり、ペローの童話の「巻き毛のリケ」に出てくる王女姉妹のようである。ペロー童話では美人ではないが才気煥発な下の王女が人気者であったように、私は多くの愛情をB♭さんに捧げて来た。たしかにB♭さんは気が強い(よりトランペットに近い音が出る)。だが、その優秀さはA管嬢の比ではない。別に、人々が噂しているように、私がサディスティックな女性が好きだからと言うのではなく、その能力の高さゆえにB♭さんを愛してきたのである。しかし、今度来る予定の新しいA管嬢は、まず由緒正しい(クランポン製)。だから優秀であろう(ピッチも正確)。しかも銀メッキだからピカピカのはずである。うーむ。すると、A管嬢が嫁入りした後もB♭さんとの三角関係が続くわけだが、既に私の寵愛はA管嬢に移りそうな気配である(ペローの童話でも、美人だがおつむの足りなかった上の王女の頭脳が突然明晰可しておいしいところは彼女が全部持っていった)。事実、来年、予定されているクラでの本番(3分くらい)は、B♭さんとやろうと思ってメンデルスゾーンのソナタの楽譜を買い求めたりしたのだが、新しいA管嬢が来ることになったら考えを改めてモーツァルトのA管の曲でも吹こうかなどと思っている。とか言っているが、そもそも新しいA管嬢はいつ来るのか。先週の土曜日に間違ってB♭管が来て、すぐに電話したら、今日交換品を発送する、という話だった。おおっ、早い、と喜んだのもつかの間。夕方になって、今日、発送できませんでした、いつ発送できるかは追って連絡しますとのメールが来た。すぐ来るんだと思っただけ落胆が大きい。そもそも土曜日に来ると思って落胆させておいて、このたびは二度目の落胆である。そういえば、先だっての台風で、まだ多くの方々の生活が元に戻らなくてご苦労されていると聞く。そうした方々の気持ちを逆なでしたのは○○電力。「すぐ復旧します」と言ってたのにまったく復旧しない。方々のご苦労ととるに足りない私の出来事を比較するのもおこがましいが、しかし、できもしなことを言って期待を持たせるほど罪なことはないという点で共通である。方々のお気持をお察し申し上げる次第である。

クラリネットという名の女性

2019-09-15 22:55:40 | 音楽
某合唱団の某姐さんはとんでもなく想像力が豊かな方。だもんだから私が方々の合唱団に出向くとそこに彼女がいるって話になる。姐さんの想像が真実なら私には五指に余る彼女がいるか、あるいは戸籍に既にバツが4,5個ついててもおかしくないことになる。しかし、マルもバツも一個ずつのまま。結局、姐さんの想像は妄想であるわけだが、しかし、そう言って笑ってはおられない。もし、そういう想像をたくましくしてる方がいらっしゃるって話を例えば○○○のお歴々の耳に入れば「じょーだんじゃないわよ。あたしたちをなんだと思ってんのさ。あんな男のくせに裏声でびーびー歌ってるキモい人をここで相手にする人がいるわけないじゃないの」と言われかれない、そして私は二度と○○○で歌うことができなくなるかもしれない。だから、姐さんには決してそういうことはありませんから、と釘をさしたのだが、しかし、そこは芸術家肌の姐さん、簡単には引き下がらない。なんと、最近、私、クラリネットの新しいのを買った話を書いたじゃない?(A管のはずがB♭が来て、でも、明日にはA管が発送されて交換って手はずになっている)なんと、姐さんはこんなことをおっしゃってる。「今度新しいクラリネットが来るんですってね。きっとサディスティックだけれどどこか逃げ場所を用意してくれてる素敵なクラリネットなんでしょうね」。で、私が「いえ、今度来るのはA管で、A管は優しくて、きついのはB♭の方で」と返すと、「いえいえ、優しく見えても実はきびしかったりしますから」……何、この会話。とどのつまり、姐さんはクラリネットを女性に置き換えて話しておられるのである。これにはまいった。いや、まいったいうより感服した。姐さんはまっこと芸術家であった。こんな話をしたくないと言いながらブログに書くのはクラリネットと女性を一体化して空想を練るという姐さんの妙技を世に知らしめたいが故である。まったく姐さんの御名を明かしたいところであるが絶対怒られるからそれはできない。「怒られる」と言えば、サディスティック云々は、私がどちらかというとサディスティックな女性が好きだというホントかウソか分からぬ話が元になっている。私にはその自覚はないのだが、この根拠のない話がけっこう出回っていて、最近知己を得た音楽家の某嬢も知己を得た早々から私に手厳しい。わけを聴くと、だって、○○さん(私のことである。言うのも恥ずかしいので伏せ字にした)はいじめられるのが好きなんでしょ?とこうのたまう。いえ、私だっていじめられれば泣きますからね。「泣け泣けわが目」(マスネのオペラより)