拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

深謀遠慮

2023-02-28 11:47:28 | 音楽

昨日の記事について、まず一点補足。野村萬斎で思い出すものがもう一つあった。シンゴジラの歩みは、萬斎氏の動きを元にしているのであった。

それから、一点訂正。「あすか」のテーマ曲のオーボエ・ソロは♯が5つもある、吹けない、私のような者に吹かせないための深謀遠慮か!?と書いたが、ちょっと考えてみたら、冒頭、階名で「ソ↑ファーミー」ということは音名で「♯ファ↑ミー♯レー」と吹くのだが、オーボエはファの♯の指が簡単なのであった。すると、このメロディーをオーボエで吹くからこそロ長調にしたのではないか。ちょっと吹いてみた。

 

あらま。手も足も出ない……というほどではない。♯が5つも!ということで、逆上して毒づいたのだが、早計であった(だいたい、私は早計な人間である(別名「考え無し」ともいう)。やはり、作曲家の先生は、偉大である。

因みに、オーボエをケースから出したのは数か月ぶりである。あれこれ手を出すのはやめよう、絞ろう、カウンターテナーとクラリネットとヴァイオリンとチェロだけにしよう(絞ってない、というウワサも……)、と思い、O子は二度と日の目をみることがないかも、と思ったりもしたが、結構、早い時期に外気に触れさせることになった。そもそも、オーボエを一度だけでいいから触りたい、人生一度きり、後悔のないようにせねば、ということで購入したら、思いのほか、すぐ音が出て、ああ、オーボエっていい音だなぁと思って、で、一度だけで済まずに深入りしたのであった。ま、今回はこれで気が済んだ。また、長いことおねんねしててね。

もう一つ因みに、私の楽器演奏の動画にしても静止画にしても、私を特定できる容姿は映ってない。読者のことを考えての、これこそ深謀遠慮である。なお、カラヤンが映像に凝ってた時期のオケの面々の映し方が同様の感じである。つまり、楽器は大写しなのだが、肝心の奏者は、せいぜい口元まで。名人達のご尊顔を拝むことができない。これはカラヤンの深謀遠慮である。つまり、カラヤンは、目立つのは指揮者の自分だけでよい、と考えていて、それを実践したのである。


朝ドラのテーマ曲のソロ楽器

2023-02-27 08:39:02 | 音楽

ショウナンバッハが引退して、名前による強迫観念で馬券を買わないですむ、と思ったら、今度は朝ドラ。「アグリ」と言えば、田中美里が主演した岡山が舞台の名作である。買わざるを得ない(で、当たった)。え?なんでヴァイオリンかって?きみねー、朝ドラ「あぐり」と言えばヴァイオリンでしょう!? ♪ティーラリラリーという短いイントロの後、弾き始めるヴァイオリンのソロは、それはそれはきれいでした(テーマ曲の話。もちろん、写真の楽器は私の愛器で主題曲とは縁もゆかりもない。いわゆるイメージ画像ってやつ)。

ところで、最初にヒロインの名(=モデルとなった人の名)が「あぐり」だと聞いたとき、え?なんで?と思った。「ugly」(醜い)だと思ったから。だが「agriculture」(農業)の「アグリ」だった。そうか、日本語ではどっちも「ア」だけど、前者は喉の奥から出す「ア」であるのに対し、後者は口を横に広げて出す「ア」で全く違うんだよな。

この作品では、亭主エイスケ役の野村萬斎も人気を博したっけ。ということで、野村萬斎ネタを3題。その1。ドラマ放送当時、(ドラマ上の)夫婦でトーク番組に出てきて、萬斎氏が「2人が一緒にいれば台詞なんかなくてもコーヒーをいれるだけでドラマが作れる」と言っていて、じゃ、やってみましょ、ってことになったのだけど、ただコーヒーをいれるだけの無言の時間が淡々とすぎていき、放送事故のようだった。その2。萬斎氏は私の母校を志望していたが、お父上(万作氏)が東京藝大の先生になり自分のところに入学させた。これにより、私は威を借れたはずの偉大な後輩を1人失った。その3。そのお父上の万作氏が演じた能の舞台を見たことがある。私が唯一生で観た能の舞台であり、演目は、太郎冠者と次郎冠者が手を棒に縛られながら工夫して酒を呑むって話だった。

朝ドラネタをもう一つ。昔の録画を整理してたら、「あすか」を録画したDVDが出てきた。故竹内結子の出世作であり、和菓子職人の話。ドラマで出される和菓子が芸術的に美しく、普段、甘いモノを食べない私も、このドラマの放送中は和菓子を買い求めたものである。そのDVD(ブルーレイではない)なのだが、何枚かに付箋が付いているが何も書いてない。なんの印なのだろう?試しに再生したみた。映らない。これだっ。デジタルってやつはホントに当てにならない。ダメになったら皆目ダメ。とっとと捨てよう……と思ったが、はっと気がついた。DVDって、録画したヤツを他の機種で再生しようと思ったら「ファイナライズ」ってプロセスが必要。この付箋は、それがまだ終わってないって印なのでは?じゃ、ファイナライズすれば映る?だが、それには録画したときのレコーダーが必要。20年以上前の器械である。ある?あった!動く?動いた!ファイナライズできた!で、映った!断捨離全盛の当世だが、残しておくといいこともあるものである。因みに、そのレコーダーは、三菱電機製である(いかにも頑丈なイメージである(それって、三菱重工のイメージがかぶってる?))。

「あすか」のテーマ音楽もそれはそれはきれいなオーボエ・ソロである(作曲:大島ミチル、演奏:宮本文明)。今では、歌が当たり前になった朝ドラのテーマだが、ちょうどこの当時は、器楽のソロが流行っていた。須藤理彩主演の大工さんの物語である「天うらら」はセルゲイ・ナカリャコフが吹くトランペットのソロだった。実は「あすか」の主題曲をオーボエで吹きたいと思ったのだが、♯が5つもあって(ロ長調)、私には演奏不能である。なんで、こんな調にしたんだろう。私のような者に吹かせないための深謀遠慮だろうか。須藤理彩と言えば、「半分、青い」で見せた「寝起きのすっぴん顔」に私の心は萌えに萌えたものである。


カレーラスのような綾瀬川

2023-02-26 12:12:24 | 日記

ってことは、頭の茶色い此奴がスズメだな。

舌切り雀などと言うが、スズメの鳴き声(チュンチュン)は、ギャーギャー鳴くムクドリに比べてよっぽど可愛い。だが、そんなスズメは、「電線音頭」においては漁師に鉄砲で撃たれて煮られて焼かれて喰われるのである(ああ無情)。ん?「煮て焼く」?この順番は珍しいのではないか。私は、食材を煮る前に焼き目を入れることはよくある。

家康の本拠の「三河」は、三つの川が流れるから?と思ったら、地名の由来には諸説あるそうだ。あのへんで、一番「偉い」河は矢作川なのだそうだ。大井川となると、これは静岡(駿府)のエリアなのだね。因みに、わが足立区には荒川、綾瀬川、中川の三つの大河(?)が流れてるからまさしく「三河」である。そのうち、荒川と中川の間を流れてるのが綾瀬川。

両川の河に比べると、大きさではひけをとるが(三大テノールで、パヴァロッティとドミンゴに挟まれたカレーラスのよう)、なかなかに由緒のある河らしい。長年、「日本一汚い河」の称号を得ていたし、大昔は、この河こそが荒川の本流であった。なお、正面に見えるのがスカイツリーである。


煮るのは「もつ」、焼くのは「ホルモン」

2023-02-25 11:43:21 | グルメ

先日アップした鳥の大集団の写真をご覧になった某お姉様が、「あれはムクドリだ」と教えてくださった。

なるほど、嘴だけ色が違うところと、ギャーギャー鳴くところがWikipediaのムクドリの情報と符合している。皆さんホントに物知りだ。因みに、ムクドリは鳴き声がうるさいことから厄介者の部類のようで、ググると「ムクドリを駆除する方法」が多数ヒットする(と言っても、一般人が野鳥に害を与えると鳥獣保護法に触れるから、われわれは滅多に出だしができない)。

最近気づいたことだが、この写真もそうなのだが、私が撮る写真は青色が優勢である。背景が空であることが多いのが要因の一つだと思う。さらに、山々も遠くにあると青っぽい。それから、川と湖が大好物であることも要因の一つである。ま、しかし、たまには青が少ない写真も掲載してみよう。例えば、こないだ歩いた南高尾も、近くの山は緑や茶色であって青くない。

緑を青と言うと、話がややこしくなるが。そう言えば、モンシロチョウの幼虫を「アオムシ」と言うが、色は緑である。だからと言って「ミドリムシ」と言っちゃうと、最近、話題で食用にもなっている微生物のミドリムシと混同してしまう。因みに、将来来るかもしれない食糧難の時代において、脚光を浴びそうなのは「虫」と「雑草」なのだそうだ。

それから、南高尾ではこんな花が咲いていた。

なんて花だか私は知らないが、きっと誰かが教えてくださるだろう。

かように私は無知である。冒頭の話で、「あれはムクドリ」と教えてもらった私は「それって捕まえた虫を串刺しにする残酷な鳥ですよね」と言うと「それはモズよ」。しかも、今、この話を書こうとして危うく「モズ」を「もつ」と書くところであった。かりに「モズ」が「もつ」だったら「もつ煮込み」はモズの煮込みになってしまう(串刺しにされた虫の仇討ち⁉️)。なお、「もつ」と「(ホルモン焼きの)ホルモン」がイコールである(どっちも内臓のこと)という私の理解は間違ってないようだ。「もつ」は「ぞうもつ」が縮まったものであり、「ホルモン」は(内臓はいらないから)「放るもの」から来ていると理解している(後者は俗説との噂がある)。考えてみれば、同じ内臓なのに、煮ると「もつ」になり(もつ煮込み)、焼くと「ホルモン」になる(ホルモン焼き)のは不思議である。

今回は、日銀の金融政策についてモノを申そうと思っていた……のに、なぜが「もつ」「ホルモン」の話になってしまった。筆の赴くままに書いているので、自分でも話の落ち着き先は書いて初めてわかる。毎度のことである。


さしすせしょうゆ

2023-02-24 11:19:55 | グルメ

ルネサンスを歌う某合唱団の今週の反省会は久々に五文字のお店(いつもの中華がお休みだったため)。3人でマグナムボトルは大丈夫?との声もあったが、フタを開ければあっと言う間に空になった。

写真の手前に写っているお皿はブロッコリーのくたくた。たしかに、イタリアではブロッコリーをくたくたに煮込んでパスタなんかに和えるんだそう。栄養価的には、なるべく生に近いカタチで食べた方がいいというが、前から疑問だったのだが、茹でてもゆで汁を全部飲めば大丈夫なのだろうか?それとも熱で栄養が壊れるのだろうか。私は、家では、ブロッコリーをお皿に入れて、ひっかける程度に水をかけて、ラップして20秒レンチンして食しているから、栄養はしっかり摂取できていると自負している。

料理の話ついで。調味料を入れる順番は「さしすせそ」の順と言い、皆さんがよくご存じの通り「せ」が醤油である。ところが、私は、ずっと「さしすせしょうゆ」で覚えていた。「そ」は「醤油」の「しょ」が訛ったもの、と思っていた。すると「せ」は何?って話になるが、分からない、だから「せ」はなかったことにしていた。それでも、4番手を5番手にしていたわけだから、馬券的には差はないし(馬券にからむのは3着まで)、掲示板的にも大差はない(掲示板に載るのは5着まで)。ただし、料理の際に味噌を使ったのなら、醤油との順番を間違ったかもしれないが(これも皆さんがご存じのとおり、「そ」は味噌である)、私は、味噌汁以外に味噌を使わないからその心配は無用であった。

味噌と言えば、私は、別に今やってる大河ドラマ(どうする家康)にあやかったわけではないが、八丁味噌が好みである。名古屋名物の味噌カツと味噌煮込みうどんも好物である(名古屋に出張したときは、昼夜で両方制覇した)。だが、名古屋の人は、結婚にものすごくお金をかけると聞いているので、名古屋の女性とはいい仲にはなれないのが残念である。いや、先方からお断りである(人に言われる前に自分で言った)。

その「どうする家康」では、家康がたいそう情けない人に描かれているが、結構、的を得てるのではないか。史実では、家康は、信玄との戦に負けて城に逃げ帰る際、恐怖のためおもらしをしたというし、大阪の陣で、真田幸村にあわやというところまで攻め込まれたときは、早々に観念して「腹を切る」と騒いだそうだ(昔、津川雅彦が家康を演じた大河では、「腹を切る」と騒ぐ家康を家来が無理やり抱えて退却するシーンが描かれていた)。

冒頭のシーンに戻ろう。古楽を歌うからと言って、大酒を飲まないなんてことはありえない(実際、今回、マグナムがあっという間に空いた)。中世は暗黒の時代とか言うが、だが、中世人だって現代人だって同じホモサピエンスである。当時の人も、大酒を呑んで、下方系の話で盛り上がっていたに違いない。ルネサンス期の世俗曲の歌詞を見れば、そのことは一目瞭然である。因みに、モーツァルトのフィガロを含むダ・ポンテ三部作の歌詞も相当に怪しいらしく、外見的には普通のことを言っていても、裏の意味があって、それがたいそう下方系だ、とリッカルド・ムーティ(名指揮者)が自伝で語っていた。なお、冒頭に「フタを開けたら」と書いたが、これも二つの意味を含んでいて、一つは文字どおり瓶の蓋を開けるの意味であり、もう一つは「飲み始めたら」の意味である(と、注釈を加えるほどの話ではなかった)。


カンカン~ケンケン~歯止めのきかない17歳(+うんじゅううんさい)

2023-02-23 11:50:33 | 音楽

今週、パンダの返還ラッシュだという。パンダと言えば、私などは永久に、日中国交正常化の際に中国から贈られた「カンカン」「ランラン」が心に浮かぶのだが、実は、小学生のとき、既に、アニメでパンダを見ている。当時、小学校でときどき映画上映をやっていた。教室の窓に黒幕をはって暗くして上映するのである。記憶にあるのは2回。一回目が「白蛇伝」だった。これは、日本初のカラー長編アニメ映画である……ことは後年、オトナになってから映画館でこの作品を二度目に見たとき知った。ジャイアントパンダが出ていることに気づいたのはそのときである(「ジャイアント」を付けたのは、同作品にレッサーパンダも出ていたから)。他の観客も、「あら、こんな時代からパンダっていたのね」と囁いていた。いや、いることはいる、太古の昔から。びっくりしたのは、この映画が作られた当時(製作年は私の生年と同じだから、カンカン&ランランが来る14年前)から、映画を作った日本人がジャイアントパンダを知っていたことである。

パンダと聞くと「カンカン」「ランラン」が思い浮かぶのだが、「カンカン」「ランラン」と聞いて真っ先にパンダが浮かぶわけではない。「ランラン」と聞いて真っ先に思い浮かぶのはピアニストである。そして、「カンカン」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、オペラ「バラの騎士」のオクタヴィアンだ。17歳の青年である彼は、32歳の元帥夫人の浮気相手で、彼女から「カンカン」と呼ばれている。この「カンカン」の発音がずっと疑問であった。ドイツ語のオペラだが、この愛称はフランス語で綴りは「Quinquin」。これをどう発音するのが正しいのか?歌手の発音は「カンカン」「ケンケン」「キャンキャン」とまちまちだが、先頃、フランス語の達人から「カンカン」が正しい、と教えてもらった。なるほど、ルネサンス期に世俗曲をあまた書いた「ジャヌquin」も「ジャヌカン」と呼ぶのであった。

なお、「ケンケン」で思い出すのは、アメリカのアニメ「チキチキマシン猛レース」のブラック大魔王の子分の犬。親分の大魔王がちょんぼをすると「ひーひひひひ」と笑うあの犬である(CMにもこの笑いで登場した)。このアニメで疑問だったことその1。ブラック大魔王は、いつも先頭を走っていて、後続のレーサーの邪魔をするのだが、そんなことをせずにそのまま走れば優勝なのに、と思う。その2。「チキチキマシン」と言えば、「チキチキバンバン」という映画があり、その主題歌が「♪バンバンチキチキバンバン……」と歌うヤツだった。それとアニメ「チキチキマシン猛レース」はどんな関係があるのだろう。と思ってググったみたところ、アニメの原題は「Wacky Races」であり、「チキチキ」の「チ」の字もついてなかった。自動車つながり、というだけで、アニメを輸入した日本の会社がそう命名したのだろうか。因みに、「ケンケン」も日本名であり、本名は「マトレー(Muttley)」である。

おまけの話その1。「チキチキ……」と言っているが、綴りは「Chitty Chitty 」だから、「チティチティ」が正しい(耳には「チリチリ」のようにも聞こえる)。

その2。ちょっと戻ってバラの騎士の話。このオペラの前奏曲は、オクタヴィアンと元帥夫人の「営み」を露骨に描いたものであり(リヒャルト・シュトラウスには、そう言った露出趣味がある)、その冒頭のホルンの咆哮は、17歳の青年の「元気いっぱい」な様子を描いたもの。いちど、アマチュアのオケでこの曲を聴いた際、若い女性のホルニストがこの咆哮を担当していて、それはそれは元気いっぱいなオクタヴィアンであった。なるほど、17歳(その奏者のご年齢ではなく(そんなの知らない)オクタヴィアンの歳の話)はこんな風に歯止めがないんだろうな、とガテンがいったワタクシであった。なお、ワタクシの飲酒も、歯止めがない点では同様である(17歳ではないけれど)。


南高尾で猿を見た

2023-02-22 08:45:36 | 日記

私のお友達はバッハ好きが多いから、ドイツに行くとなると、ライプチヒの聖トーマス教会はマスト。強者(つわもの)はそこで歌ってきたりする。だから、私がドイツに行ったことがある、と言うと、「ライプチヒには何回行った?」って話になるのだが、答えは「Niemals!」(一度もない)。そもそも私はベルリン、ハンブルク、ミュンヘンと言った大都会には行ってない。空港があるフランクフルトのほかに行った街で一番大きいのがニュルンベルク。次がフライブルク。後は田舎ばかりである。そこで何をするのか、というと、駅を降りて、遠くの丘の上に廃墟となっている取手(常磐線)ではなく砦(とりで)を見つけると、そこに向かってひたすら歩く。じゃあ、日本でやってる山歩きと同じじゃんて?Genau!(その通り)。結局、日本でもドイツでも私は「Wandern」が好きな、根っからの田舎者なのである。ただし、ドイツの牧場にいる牛にはびっくり。スターウォーズに出てくるような、想像上の生き物のようなのだが、あちらでは普通の牛である。

そんな山歩きをこの一月半ほどさぼっている。このところ心身が下降線にあるのはそのせいかもしれない。よし、リフレッシュしよう、と思い、天気の良かった昨日、高尾方面に向かう。例によって高尾山頂から富士山が見えたのだが、

最近の私としては珍しく、雲のかかっている富士山に出くわした。わが心にかかる雲のごとし?だが、こういう富士山も乙なものである。どっちかと言うと、頂上付近よりも、麓に雲があって、頂上付近がラピュタ(天空の城)のように忽然と現れてる方が好みだが。

それから、大山もよく見えた。

もう4,5年登ってないだろうか。今度行くからね。待っててね……なーんて言わなくても、少なくとも私が生きている間は、大山はそこにある(そうは言っても、例えば、華厳の滝は、数十年前に岩が落下してその形状が私が子供の頃写真で見たのとは変わってしまっている)。因みに、大山は「おおやま」である。こんな断り書きを書くのは、鳥取にある大山が「だいせん」だから。最近、凋落傾向のわがブログが持ちこたえているのは、案外、地方にいらっしゃる「岩盤支持層」のお陰かもしれない(モーツァルトの「フィガロ」も、ウィーンの初演では当たらなかったが、プラハでは熱狂的に支持された)。鳥取に読者がいらっしゃるかもしれない。ということで、読み仮名を付けた次第である。

この日は、しかし高尾山頂が目的地ではない。ここは出発点であり、目指すは、南高尾(津久井湖のあたり)である。ということで、高尾山頂を早々に後にして大垂水峠を経由して、そっち方面に向かう。しばらく歩くと、出てきた、出てきた、津久井湖が!

元神奈川県人のワタクシとしては、懐かしい名前である。相模川をせき止めて造ったダム湖で、ほんの少し上流には相模湖がある。この辺りの地理は小学校で習ったものだ(今では相模原市に編入されているが、当時は津久井郡だった)。

しばらく津久井湖に沿った山道を歩いた後、道は北に向きを変えて津久井湖とはお別れである。ここからスタート地点の高尾山口駅を目指すのだが、あれえ?また湖が出てきたぞ。

元の方向にワープした?違う。これは城山湖である(津久井湖のダム名が「城山ダム」なので紛らわしいが、こっち(城山湖)は相模川とは関係なく、穴を掘って水を入れた人造湖である)。この湖にはなじみがない。習ってない。できたのが1965年というから、私が小学生のときはできたてのほやほや。そのせいで当時の教材には間に合ってなかったのかもしれない。因みに、宮ヶ瀬湖ができたのは2000年だというから、私が子供の頃は影も形もなかったもので、だから、そんな湖が神奈川県にあることを最近まで知らなかった。

途中、見晴台がいくつかあったのだが、その一つがこれ。

「立入禁止」になっている。危険だから?このあたりがドイツと違うところ。ドイツでは、危険な建造物に張られている札は「立入禁止」ではなく「Auf eigener Gefahr」(自己責任で)。例えば、半分倒壊した砦の二階に上がって窓から眼下を見ると垂直に切り立っていて怖い。それがいつ崩れるか分からないと思うと一層怖い。でも、そこに登るかどうかは、ご自分で決めなさい、あくまでも自己責任で。ケガをしても苦情は一切受け付けません、ということである。因みに、ドイツの賛美歌であり、それをもとにバッハがカンタータを書いている「神はわがやぐら」の「やぐら」は「Burg」であり、私が「砦」と言っているのと同じである。

さて、今回のルートだが、高い山はないのだが、傾斜の厳しいアップダウンが永遠に続く感じで、決して侮ってはいけない。道が整備されている高尾山登山とはまったく異なる。例えば、こんな感じである。

きれいなおべべを着ておデートをする場所では決してないことに留意すべきである。なんてったって、猿が出る場所だし。そう、今回、目の前を茶色い物体が高速で横切った。猿だった。写真を撮ってる暇はなかった。そりゃそうだ。猿からすれば、森で遭遇した私はもしかしたら猿食い人種かもしれない(映画「インディ・ジョーンズ」の「魔宮の伝説」を思い出す)。三十六計逃げるにしかず、である。

高尾山口駅まで残り300メートルになったというのに、

相変わらず森の中。時刻は16時半を回っている。1か月前なら日の入りで私は遭難するところである。と思ってたら、忽然と民家が現れた。そうだ、高尾山口駅の周りは山に囲まれていた。だから、駅のすぐ近くまで山道なのである。

この日、高尾山口駅から出発して、同駅に帰ってきたのは駅前のイタリアンでピザを食べたかったら。だが、そのお店は平日は16時半で閉店なのだそうだ。がっかりしたが、「申し訳ございません」と仰るお店のお姉さんはとっても丁寧だった。

だもんだから、そのまま京王線に乗って帰路についたのだが、車窓から夕陽に沈む「赤富士」がくっきり。

昼間かかっていた雲もとれて、もしかしたら、これがこの日一番の絶景だったかもしれない。

今回は相当足にきた。やっぱりさぼってたせい?と思ったら、この日歩いた歩数は3万4000歩。平地換算だら5万歩くらいにはなるだろう。足にきたはずである。消費カロリーも1500キロカロリー。相当な数値だ。だから、高尾で食べ損ねたピザを綾瀬で食べようか。よし、もし千代田線が北綾瀬行きだったら(北綾瀬から歩いて)おとなしく帰る、常磐線直通だったら綾瀬で下車してピザを食べよう。で、来たのが北綾瀬行き。「O!Mensch!」(この文を「おう、人間!」などと訳してはいけない。「ちぇっ、なんてこったい」の意味である)。


先生、紙!

2023-02-21 08:25:36 | 言葉

日本語の「天気」の一般的な語意は「晴天」と「荒天」を合わせたものだが、「晴天」を意味することもある。「今日は、お天気ですねー」と言った場合がそれだ(今日がまさにそうである)。ところで、ドイツ語で「天気」は「Wetter」なのだが、メンデルスゾーンのエリアの歌詞の中に「im Wetterどうちゃらこうちゃら」(天気の中でどうちゃらこうちゃら)ってぇのが出てきた。この場合の「Wetter」は「荒天」の意味である。「天気」という一般的な言葉を特定の場合に限定して用いる点は同じでも用法が正反対なのが面白い。どういう場合に限定するかと言えば、その地域において「普通」の場合に限定するのが普通である。すると、日本は晴天が多くて、ドイツは荒天が多いということだろうか。岡山は晴天が多いときく。ドイツは、雪国だから吹雪のイメージか。

おニューのタブレットのカバーが来た。ところが、入れようとしても寸法が合わずに入らない。タブレットの機種は合ってる?合ってる。ちゃんと、Tab12用のカバーを注文した。だっから某国製はダメなんだよ……ところが、よく見たら、そもそも私が買ったタブレットは「Tab7」だった。「Android12 Tab7」という製品名を「Tab12」と勘違いしていたのである。ダメなのは、日本製のワタクシであった。ま、とにかく、これでスマホもタブレットもアンドロイドとなり、iPadに入れていたドイツ語辞書アプリ(私が唯一購入した有料アプリ)を使う余地はなくなったので、意を決して、同じ辞書のアンドロイド用を購入。これまで、iPhoneとiPadを使ってたこともあったし、スマホがアンドロイドでも少なくともタブレットはiPadだったが、今回、アンドロイド用の辞書アプリを購入したことは、アップルとの決別の意思の表れである。

そうしたITについて、日本製のワタクシのみならず日本国自体が後れをとっている、と思ったら、某都の知事様が某都のIT戦略をぶちあげていた。私は、どの口が言う?と思った。いや、その知事様のお口のことではない。某都自体のお口である。というのも、30年前、こんなことがあったから。私は某都にある許可申請をした。その際、数年分の事業実績を証明する資料の提出が条件となっていて、私は、パソコンのデータをプリントしたものを持って行った。すると、担当のお役人様がダメだという。パソコンのデータだと今作ったくせに昔からあるように装うことができるから、というのが理由である。だが、私は二つの点で納得がいかなかった。一つは、これからIT化時代を迎えるというのにパソコンデータがダメなんて言っててよいのか(実際、よくなかった。だから日本は後れをとった)。もう一つは、そもそも行政は法令に則って行われるべきものであり、一人のお役人様の裁量でものごとを動かしてはならぬ(かりに人々が「良い」と思うことであっても、である。適切な法律がないのなら早急に作るべきであり、それは国会の仕事である)。某都が出してるマニュアルにはパソコンがダメだなんてどこにも書いてなかった。にもかかわらずダメと言うのはそのお役人様の裁量である。ということである。あのお役人様も、今もいらっしゃるとすれば幹部クラス。どうしてらっしゃるだろう。こういう人に限って、IT化の旗振り役の顔をしてえばってらっしゃるものである。紙と言えば、随分前、某お大臣様がさかんに「紙データ」と仰ってた。紙データで助かるのも事実である。例えば、ウチの録音録画データでどうにも怪しいものがあると、大昔の紙データを参照する。すると、間違いが分かったりする(当該お大臣様の施策が正しかったかどうかの話は別である)。もう一つ紙と言えば、その昔、ある文豪と同棲してた愛人がトイレから「先生、紙!」と叫んだって話があった。この二人を思い出せない。「先生、紙」でググっても出てこない。


江戸川を渡らずに千葉に行く方法/次なる名字

2023-02-20 11:05:14 | 音楽

一縷の望みを持って配役紹介を見たら、残念、舞ちゃんの名字が変わっていた。やはり朝ドラは保守的である。婚姻に際して妻の氏を称したりしたら保守層からクレームが来るのだろうか。歴代の朝ドラで、婚姻して名字が変わらなかったのは唯一、カーネーションの糸子だけである(私の記憶が正しければ)。

さて。日曜日は正しくは週の始めだが、あえて週末だとすると、先週は三軒の中華屋に行って、キクラゲと卵と豚肉の炒め物を食べ比べた。

キクラゲや肉の量が違うし、味も、淡泊な店から辛口系までさまざまである。いずれも合唱の練習の反省会にて。ってことは、先週は合唱の練習が3回あったということだ。その3箇所は、中華の味付け以上に求められる歌い方が異なる。例えば、私などは、最初の音をポーンと出すタイプで、これはバッハなんかでは喜ばれるが、ルネサンスでは怒られる。そうっと入れ、ということだ。そう言えば、古楽は「メッサ・ディ・ヴォーチェ」(真ん中を膨らませる歌い方)で歌うんだった。

実は、血圧が再び上昇機運である。不調になる→大人しくする→元気になる→歌う機会が増える→飲酒量が増える→血圧が上がって不調になる。歴史は繰り返す、である。「ちょうどいい」ってないのか?ない(私の辞書には)。だが、経済だって同じである。不況になる→公共事業を増やす(お金を刷る)→インフレになる→引き締める→不況になる。歴史は繰り返す、である(なお、不況のときはお金を刷ればいい、と説いたのはケインズである。大学で教える経済学は、大きくケインズの近代経済学(近経)とマルクス経済学(マル経)に分かれる。国立大学はマル経が多いが、私が通った私学は近経だった。かように私は経済学科出身なのだが、大学時代は歌ばかり歌っていてろくに勉強してなかったので、このくだりは、もやが立ちこめる中からうっすらとした記憶を引っ張り出して書いている)。

というわけで、なんだか体調が昨秋の感じになってきた。だが、「『本番に出ない』なんて言ったらもう江戸川は渡らせないっ」と脅されている。困った。最近のマイブームは千葉なのに、江戸川を渡らなければどうやって千葉に行けばいいのだ?迂回ルートはないだろうか?グーグルマップを見る。江戸川はずーっと北、関宿ってとこで利根川から別れていて、あとは東京湾に至るまで延々と東京と千葉の間の境を成している。関宿まで行って、利根川を渡って南下する距離ロスは相当なもの。だったら、東方(千葉)の見聞を止めて西方に活路を見いだした方が無難かもしれない。それでも千葉!と思うんだったらうみほたる経由だったりフェリーに乗ったりして東京湾を横断するという手もある。

因みに、前回練習をさぼった理由を聞かれたので「おデートだった」と言ったら、「あ、そう。で、なんで来なかったの?」と聞かれる。私の口から出る「おデート」は無効のようである。

冒頭の話に戻る。私は、次に婚姻をする機会があり、かつ、夫婦の氏に関する法改正がなされていなければ、妻の氏を称する婚姻をする、と決めている。これまでの氏を捨てて怒る親族もいない。次はどんな名字になるんだろう!?とワクワクのワタクシである(この二つの単語は頭韻を踏んでいる)。

 


タマネギ説に鞍替え/血染めのボール

2023-02-19 11:11:45 | 日記

昨日、「カラマーゾフの兄弟」(ドイツ語訳)に出てくる伝説で、守護天使が地獄の火の海に落ちた悪女を救うために投げ込んだ「Zwiebel」は一般には「タマネギ」と訳されているが、悪女の救出には長さが必要なので(そっくりなお話の芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でお釈迦様がカンダタを救出するためにたらした蜘蛛の糸も長かった)、この場合は「長ネギ」ではないか?これが私の中での有力説である、と書いた。ところが、タマネギ説側に強力な証人が現れた。I原証人によると、「タマネギは葉っぱつきで保存された」「タマネギの葉は編むことができた」という。編めるくらいなら相当長いに違いない。あらためて「タマネギの葉」の画像を探す。すると、こんなのが出てきた(画像はWikipediaから拝借した)。

1547年に描かれた玉ねぎの木版画である。そんなに昔の絵を出さなくても、タマネギの葉っぱの長さは、現在の畑の写真からもうかがえる。

富良野市のタマネギ畑である(この写真もWikipediaから拝借した)。葉っぱの長さは長ネギ並み。であれば、「Zwiebel」が一般に「タマネギ」と訳されているのをさしおいて、あえて「長ネギ」とする必要はない。逆に、タマネギの「玉」はつかまるのにちょうど良い。スーパーで売ってる玉の部分だけをイメージしたのが間違いのもと。葉っぱ付きなら救出にうってつけである。こうして、私の中の有力説は、完全に長ネギ説からタマネギ説に変わった。なお、「偉い人」たちは、タマネギには疑問を抱きつつも長ネギとする決定打にも欠けるからだろう、無難に「ネギ」と言っている。

話は変わる。私が、酔っ払った次の日にこめかみのかさぶたを発見したのがちょうど3週間前。その後、玄関のカーペットにも、そしてオニャンコポン(ダウンジャケットの愛称)にも血痕が付いているのを発見。知らなかったもんだから、血痕がついたままのオニャンコポンを着て方々を彷徨っていた。遅ればせながら、血痕を落とそう。血は直後ならよく落ちるが時間が経つと落とすのが難しいという。台所洗剤が意外と効くというので試したら、あらほんとだわ。何事もなかったようにきれいになった。落とすのが至難の業なのはワインである。因みに、「トム・ソーヤーの冒険」に出てくる気の良い酔っ払いのマフは、血の付いた衣服を夜明けに川で洗っていたのを人に見られて、殺人容疑をかけられ、もう二度と酒は飲まない、と誓った。私も、数年に一度は、もう二度と酒を飲まないと誓い、ノンアルコールのビールをまとめて買うのだが、誓いは破られるもの、毎回某大なノンアルが余って困ることになる。因みに、「血染め」で思い出すのは「巨人の星」。星飛雄馬は、甲子園の準決勝で左門豊作の折れたバットを手に当てて指をケガしてしまい、そのために決勝戦で花形満に打たれてしまうのだが、受け取ったホームラン・ボールが血で染まっていたため花形は星がケガをおして投げていたことを知るのである。


タマネギか?長ネギか?(料理の話ではない)

2023-02-18 11:52:28 | 言葉

今回の餃子作り(昨日の記事)には、一つうれしいことがあった。具がきっちり皮の数(25枚)に収まったことである。皮が余るとチーズを詰めるし、具が余ると炒めるのだが、今回はそうした必要がなかった。人類にとっては小さな一歩だが私にとっては大きな一歩である(月に降り立ったアームストロング船長の一歩とは逆である)。

さて。「カラマーゾフの兄弟」をドイツ語訳で読んでいるのだが、登場人物がこんな言い伝えを話していた。「昔、悪女がいた。その悪女は死んで地獄の火の海に落とされたのだが、それを哀れんだ守護天使が悪女に「Zwiebel」を差し出し、これにつかまらせて引き揚げようとした。だが、他の罪人達が自分も助かりたいと群がってきたので、悪女は彼らを足で蹴散らした。すると「Zwiebel」が切れて悪女は火の海に逆戻りとなった」。これって、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」とそっくりである。「蜘蛛の糸」の題材については諸説あるようだが、その一つに「カラマーゾフの兄弟」があるそうだ。やっぱりね。それより、奇っ怪なのは、守護天使が差し出した「Zwiebel」。これは、通常「タマネギ」である。だが、芥川の小説でお釈迦様が垂らしたのが蜘蛛の糸であるように、つかまらせて引き揚げるのに適当なのは「長いモノ」である。丸いタマネギによる救出はイメージしづらい。葉っぱがついていたのだろうか。いや、そもそも、ネギはネギでもタマネギではなく長ネギのことか?長ネギは名前の通り長い。買い物袋からもはみ出る。これなら分かる。因みに、「長ネギ」はドイツ語で「Winterzwiebel」。おお!「Winter」をとれば「Zwiebel」(当たり前)。というわけで、今のところ私の中では「守護天使が差し出したのは長ネギ」説が最有力説である。

ドイツ語の話のついでだ。朝ドラで、母子の「行ってきます」「行っといで」を無理矢理ドイツ語にしてみよう。「行ってきます」は「Ich gehe」。「行っといで」……これが問題。「Geh!」だと「行っちまいな」ってニュアンス。例えば、「ヴァルキューレ」の第2幕の最後にヴォータンがフンディングに侮蔑を込めて「Geh!」と言うと、最高神の言葉の圧によりフンディングは息絶えてしまう。

帰ってきたときの「ただいま」「おかえり」もドイツ語にするのは大変である。「ただいま」の直訳は「Nun jetzt」ってところだが、これを言ったところで相手から「今がどうしたの?」と聞かれてしまう。「おかえり」も難しい。「Komm zurück!」(帰ってこい!)と言ったら「だから、帰ってきてるじゃん」と言われるのが関の山である。因みに、(イタリア語の話になるが)「アイーダ」で、エジプト王が凱旋したラダメスを出迎える場面で、「Vieni」(来い)と言うのを「おかえり」と訳した映像があった。

 


レモン醤油/豚肉VS鶏胸肉

2023-02-17 10:32:09 | グルメ

合唱の練習に向かわんとしてかがんだらビリッという音。ズボンがやぶけたか?いや、ズボンは無傷。だったらおパンツか。おパンツなら見えないからいいや、とそのまま玄関を出る。

北綾瀬までの2kmの道のり、行きは長く感じるのに帰りがあっという間なのは、帰りは飲んでるせいに違いない。しかも、チャリと違って、飲んで歩いてもおまわりさんには怒られない。法治国家の国民として正しい姿である。

iPadが壊れてから数か月間タブレット無しの生活を送ったが、やはりあると便利。で、タイムセールで1万2000円台になってた中国製をポチる。ぜーんぜん問題ない。使える。コスパ良すぎ。と言っても、外で紙の楽譜の代わりに使うには、10.1インチの画面はやはり小さい。

先月から仮装敵を電気からガスに切り替えてから初めての請求書が来た。私ってすごい!ガス代の前年比が使用量で35%、支払額で51%!これだけ成果が出るとうれしい。歌や楽器もこのくらい目に見える成果があればモチベーションが上がるのだが。ところが、電気代が前月比174%(泣)。相変わらず前年比だと使用量で47%だからがんばってはいるのだが、要はこの時期が1年で一番寒いってことだろう。季節的要因には勝てません。

というわけで、餃子に使う挽肉も豚肉から鶏胸肉に切り替えた。ケチケチ大作戦の一環である(鶏胸肉は、スーパーの肉売り場では最安値である)。

写真を載せても、中の肉の種類は分からないが。キャベツ以外に自家製のバジルを使っていることも同じである。この写真で見せたかったのは小笠原特産のレモン醤油。これをタレとして使っている。あと、酢コショウで食すのもよいと聞き、ときどき実践している。

そのレモン醤油だが、普通の醤油にレモンを漬ければ自家製の完成となるのだろうか。なるらしい。ググったら、「レモン醤油の作り方」がたくさんヒットした。

ところで、鶏胸肉は体によい、とよく聞くが(安くて体によければ最強である)、ホントのところ、豚肉と鶏胸肉では栄養的にどちらが優れているのだろうか。どうやらお疲れモードのときは豚肉に軍配が上がるようである。疲労回復に効くビタミンB1が他の肉より圧倒的にたくさん摂れるという(それがニンニクと合わさるとさらに効果があがるという)。胸肉が良いとされるのは、高タンパクで低脂肪だからのようだ。

因みに、私がこうしていくら家で餃子を作っても、東京都の餃子の消費量にはカウントされない。最新のランキングで宮崎が1位で、宇都宮と浜松がそれに続いてる餃子の消費量は、スーパーなどで惣菜として売られている量なのだそうだ。昔は、よく惣菜の餃子を買っていた。すると、タレが付いていて、使い切れずに冷蔵庫で保存しといて、調味料として使っていた。「昔は」と言ったが、「昔」にもいろいろある。「2,3年前」「5年前」「10年前」「2,30年前」「半世紀前」等々。人生が一環りするだけ生きてきた証しである。で、惣菜の餃子を買ってたのはいつ頃だったか……あらま、先週も買ったわ、そう言えば。つまり、最近でも、閉店間際に半額になってれば買うのです。


独学×器用貧乏

2023-02-16 10:28:43 | 音楽

だが、実家で、トータル時間で一番練習したのはオルガンである。オルガンは、親が妹に習わすために買った。私の親の方針は、女の子にはお金をかけて大事に育てるのに対し、男の子にはなるべくお金をかけずに、それでいてオトナになったらたくさん稼ぐことを期待する、つまり、少ない投資で多大なリターンを期待する、というものであった。そういううまい話が通るはずはない。投資は失敗であった。

そんなわけであるから、私がなんでも独学でするのは、子供の頃習わせてもらわなかったため「習う習慣」が身についていないからだ。習った方がいいに決まってる。あのベートーヴェンだって、ハイドンを始めとしていろんな先生についている。実は、ピアノはちょこっと習ったことがある。家で、妹のオルガンをガーガー弾いてたら、どういう風の吹き回しか、急に母が町の電気屋の二階にあるピアノ教室に行ってこい、と言い出した。だから、「全て独学」と言ったらウソになる。なんだか、キャリアに一点傷がついたような気分である。後年、なぜ母が私を教室に通わせたかを白状した。あまりに家でガーガー弾いてうるさいので教室に行かせたというのが事の真相である。

こんな有様だったが、後年、父が、「おれは息子に音楽をやらせてやった」と吹聴し始めた。その意味するところは、私が音楽をするのを邪魔しなかった、ということらしい。要は、誰と比べるか、である。たしかに、「音楽なんかやってる暇があったら薪割りでもしろっ」という親と比較すれば、「音楽をやらせてくれた父」である(薪割りは、実際、幼少時代にやらされていた。風呂の燃料とするためである)。それから、父は、「おれが息子にヴァイオリンを買ってやった」とも吹聴していた。店に行って買って持ち帰った、ということならこれは真実である。だが、「お金を出した」ということなら、大ウソである。件の楽器(初代弦子)は、私が小学校のときに貯めた「子供貯金」で買ったものだからである。因みに、こういうのを法律の世界では「私の計算で父が買った」と言う(「計算する」は「お金を払う」の意味である)。その初代弦子は既に引退して惰眠をむさぼっている。ケースの金具が時代を感じさせる。

こうした私を某子さんは「親に恵まれなかった人」と評している。さすが!よく分かってらっしゃる。正しく理解してもらって至極満足。ただ、いろんな楽器を無節操にいじってそこそこ楽しめるだけの「貧乏的器用さ」はその親から受け継いだ遺伝子によるものであることも確かである。その意味では「親に恵まれた」とも言える。

なお、人から「器用ですね」と言われた場合、「上手」と「器用貧乏」の二つの可能性がある。いずれであるかを見極めるには、言者の表情、状況を観察することとなるが(侮蔑の表情が紛れているか等々)、一般に推定されるのは「器用貧乏」である。なぜなら、「上手い」と思ったのなら「お上手ですね」と言えば済むからである。因みに、お優しいBお姉様が私のソロ演奏を聴いたあと必ず口に出されるのは「器用ねぇ」である。


そうして現在の私になりました

2023-02-15 08:22:01 | 音楽

え?「揚げパン」「ソフト麺」「カレーライス」が給食?今朝のあさイチで言ってたのだが、私んときの給食の思い出といったら脱脂粉乳。これがあり得ないほどまずかった(この後、やや苛烈な表現があるので心の弱い方は次の段落に飛んでくだされ)。臭くて飲み干せるような代物ではない。だが、先生は許してくれなかった。全部飲みきるまでは、午後の授業が始まっても机の上にお椀が乗ったまま。唯一、許されるのは吐いた場合。だが、ちゃんと「胃まで入れた」後でなければ「吐いた」と認定されない。生徒が吐いたと主張する床上の液体から胃液の臭いがして初めて合格(?)となった。今から考えれば「パワハラ」「拷問」である。おかげで、今でも、ピザ作りの際、スキムミルクを入れるのだが、その正体は脱脂粉乳であるから毎回内心は穏やかでないワタクシである。

はい!もう大丈夫ですよ、苛烈な表現はおしまい。だが、ついでだ。昔話を続けよう。昨日掲載した高校の吹奏楽部の写真を見ると、みんな左手に時計をはめている。私を含めて、である。そうか、あの頃はまだ時計をしてたんだ。オトナになって腕にはめなくなってからは既に30年以上。なんだか、金属アレルギーみたいな感じで、脱脂粉乳なみに苦手なのだが、子供の頃は平気だったんだなー。その高校時代は、毎日朝晩学校でクラリネットを吹いていた。が、ヴァイオリンも家でちょろちょろ弾いていたようで、思い出すのは、大学生になって、登校のため駅まで歩いてたら、見知らぬロマンスグレーの紳士がいきなり「最近、ヴァイオリンらしい音になってきたね」と話しかけてきた。え?何者?で、「失礼ですが……」と言うと、「イシゼキです」。え!はす向かいのイシゼキさん!その地に住んで20年くらいで、イシゼキさんの奥様は存じ上げていたが、夫殿とご挨拶したのはこのときが初めてである。すぐご近所にヴァイオリンの音が分かる人がいらしたんだなー、こちらは存じ上げなくてもあちらは子供の私を見守ってくださってたんだなー、という感慨と、ってことは私の練習の音が近所にダダ漏れだったんだなー、という恥ずかしさに包まれた駅までの道のりであった。

ところで、高校のとき木管や金管を吹いていた先輩・同輩のうち何人かが大学生になってヴァイオリンをやり始め、高校の吹奏楽部の合宿にOBOGが先輩風を吹かせて「指導」に来るのだが、彼らはヴァイオリンを抱えてきていて、合宿はヴァイオリン大会の様相を呈していた。実は、私も、大学では再びヴァイオリンを一生懸命やろうと思って、大学オケに入団した。しかし、大学が悪かった。ここのオケはセミプロでカラヤンが指揮をしたこともある。だから名人ばかり。それでも、なんとか底辺でしがみついていこうと思ったのだが、入団してすぐ弓が壊れてしまい、運の尽きだと思って退団した。在団期間は2週間だった。それと引換え、前記の先輩らは、それぞれ大学のオケに入って、そこは初心者でも大歓迎ってとこで、「イージマならコンマスになれるよ」っていうくらいのとこで(どんなレベルだ)、楽しく弾いてらっしゃるようだった。「大学が悪かった」というのはそのことである。

そうして、寄る辺を失った私はキャンパスを空しく「徘徊」してたら室内合唱団の団員募集の貼り紙が目についた。「バッハのモテット第2番を練習中」と「日本女子大と合同」の二つが書いてあった。このうちの一つに惹かれて入団。それが現在の私(古楽を歌うカウンターテナー)につながったのである。なお、二つのうちのどちらに惹かれたかは、私を知る皆様なら当然お分かりになるだろう。そう、あっちである(「こっち」と言ってもよい)。


吹奏楽部のTシャツ

2023-02-14 08:43:28 | 音楽

今朝も、いざ、うどんを食べようと思った瞬間、めんつゆを入れ忘れたことに気づき、いったん鍋に戻してめんつゆを入れたのだが、再沸騰するまで妙に時間がかかる。で、再び食べようとすると、汁が3倍にふくれあがってる。え?野菜からこんなに水が出るの?そうではなかった。最初に鍋の中身を丼に移した際、鍋に水をはったのだった。そのことをケロッと忘れていたのだった。え?見たら分かるだろう?ノン!電気代をおさえるため、電灯を消しているからキッチンは真っ暗闇。え?認知機能に問題がある?ノン!認知症の患者は、自分のボケを認めず、でたらめな理由を作って言い張ると言う。ワタクシは、かように自分のボケを吹聴し、さらに真相を思い出せるのであるから大丈夫である(イオ・クレード)。

電気代と言えば、電力会社の値上げ申請に対して、担当大臣は「認可するかどうかは、コスト削減の努力をしてるかどうかで判断する」と。我が意を得たり。是非そうしてほしい。

昨日、大学んときの室内合唱団で作ったおそろいのトレーナーを披露した。そう言えば、高校んときの吹奏楽部でも夏合宿に合わせておそろいのTシャツを作ったっけ。たしか、楽器ごとに色を統一したのだった。写真があったはず。あった!ワタクシ以外のメンバーには肖像権がおありだから顔は伏せさせていただく。

あれえ?変だなぁ。色がばらばらだぞ。私の記憶では、中央右側のお二人が来ているピンクがクラリネット族のカラーだったはずだが。例えば、私のは白い。買ったばかりだから洗濯して色が落ちたわけではないと思う。まあ半世紀前の記憶だから勘弁してもらおう。因みにこのとき私は1年生。担当はバスクラリネットだった。それから、合宿はジーパンで、というおふれが出て、私はこのときが生涯初めてのジーパンだった。中学のとき陸上部で、足がぱんぱんに太かったから入るかどうか心配したが、あっさり入った。成長期にそんな筋肉をつけたせいで、成長が中学で止まったのだと私は信じている(再び、イオ・クレード)。本来なら、身長は180センチになる予定であった。だから、妹は結構タッパがある。ただし、兄妹のこの身長の違いは、妹にだけ牛乳を飲ませたから、というのがわが実家の定説であった。その妹の連れ合いのお姉様が当ブログの読者であられるらしい。お義姉さん、いつもありがとうございます!これからもよろしくお願い申し上げます!