拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ヌオーヴォ・チーネマ・パラディーゾ

2018-05-31 20:13:51 | 日記
リツくんと弓道の彼女は講義をさぼった。いけないなー、そんなことしてるとこんなふうになるよ(どんな風だ?)。スズメはまさとくんとのデートで「カエルのワンピース」を着用。なんだ「カエルのワンピース」っていうから「ど根性がえる」みたいにでっかいカエルの絵がどーんとプリントされてるのかと思ったら、ちっさいカエルが無数にいる絵柄だった。小さすぎてテレビにかじりつかなきゃ見えなかった。で、その二人があわやキス!で「つづく」。その直後の「あさいち」の三人組が興奮していて面白かった。あのあと、ホントにキスをしたかしないかが話題になっていたが、私は「した」に一票。そういえば、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のラスト・シーンは、検閲でカットされた映画のキス・シーンのオン・パレードだった。久しぶりに登場したのが猫のミレーヌ。あれはアメショーかな。仔猫でばつぐんに可愛い。

移調譜

2018-05-30 21:50:10 | 音楽
まてよ、ベー管以外のクラリネットの楽譜からベー管用に作った楽譜を「移調譜」と呼んでいたが、考えてみれば移調はしてない。楽器が移調楽器なだけだ。ネーミングを誤ったか。だが「移調楽器のための楽譜」を縮めれば「移調譜」になるからいっか。で、ミサ・ソレムニスのクラリネットのパート譜をベー管用に書き直す作業はかなり順調に進んでいて、キリエ、グローリアを終えて、クレドはもともとベー管だから必要なくて、サンクトゥスのⅠまで終わって、後はサンクトゥスのⅡとアニュスデイだけ。いやもう楽しくて。当然、楽譜を読みながらパソコンに一音一音打ち込むわけだから、まさにミサソレを体験しているわけ。グローリアで「イーーーーーン、グロオオオオオオオオ……」にたどりついたときはもう興奮のるつぼ。手を打ち鳴らし、足を踏みならして……って、それはオーバー。日本のマンションですからね。そういえば、40年以上前にも似たようなことをしていた。高校のときは、1時間目から6時間目まで一番後ろの席で楽譜作り。「運命」や「レオノーレ第3番」を吹奏楽用に編曲していた(先生は見て見ぬふり)。おおっ、今回と同じベートーヴェンだ。あんときは元の調をベー管用に全音下げたからまさに移調譜を作ってたわけだ。それから、大学の室内合唱団の合宿んときも、最終日の宴会の余興にモーツァルトのクラリネット・クインテットをピアノ伴奏で吹こうってことになって、徹夜でピアノ譜を作ったのだが、あんときもイ長調を変ロ長調に直したんだから移調譜だ。違うところ。当時は、紙の楽譜に書いていた。今はパソコン。入力が終わったら再生して音の間違いをチェックできる。しかし、高校生んときは頭の中で鳴らすだけ。それでもほとんど間違いはなかった。子供の能力、おそるべし。今はみるも無残。アルコールは脳細胞をかくも無残に破壊するか。あっ、思い出した。その宴会で、出番の前にしこたまきこしめしてへべれけで吹いて玉砕したんだった。訂正します。無残なのは若いときからでした。

誰かいないかなぁ、ヴァイオリン弾いてくれる人

2018-05-29 09:15:35 | 音楽
誰かいないかなぁ、ミサ・ソレムニスの会(通唱会もどき。8月24日)でベネディクトゥスのソロ・ヴァイオリン弾いてくれる人。あっ、私、「募集」って言ってないからね。だって、募集って主催者だとか指揮者がするものじゃないですか。私、そんなんじゃないから。末端団員だから。しかも、ゆるいのはいいんだけど実は年功序列(だと私は思ってる)のA合唱団で私の在籍年数は比較的浅い(なんとほかでご一緒のKさんご夫妻はここのOBOGで、私の大先輩であらせられた。だからKさんご夫婦の方がA合唱団での序列は私より上である)。だからひたすら借りてきた猫のように大人しい私です。すると、「うそこくでね」(どこの言葉だ)。「一番態度がでかいくせに」と言う人がいる。その非難は不当である。たしかにアフターの飲み会ではどうやらよくしゃべってるらしい。でも、練習中はいろいろ言いたいことがあっても(身分をわきまえて)一切だまってる。え?だまってても態度がでかい?意味が分からない……なんだか不平不満愚痴のお葉書になってきたのでこのあたりにしておくが、とにかく、「誰かヴァイオリンを弾いてくれないかなぁ」は私の心の声である。それが外に出てしまうのは朝ドラのスズメと一緒である。ほんとに誰かいないかなぁ。だってあのヴァイオリン・ソロ、最高にかっこいいじゃん。あっ、そうだ、会費のこと言わなかった。千円です。会の名称は「レパートリー会」。2か月に一度、合唱の有名曲を演奏してます。A合唱団は、毎週、レパートリー会に備えてその曲を練習します。こちらもどうぞ(って、指揮者のMさんが言ってます(言ってると思います)。あっ、大事なこと!Mさんはときどき自家製の野菜を下さいます)。

ケメ子の枕はミサソレのパート譜

2018-05-28 20:09:33 | 音楽

ケメ子が枕にしているのはミサ・ソレムニス(ベートーヴェン)のクラリネット(A管)のパート譜である。現在、ミュゼスコアを使ってベー管用の移調譜を作っている。手順は、まずA管用の楽譜の音符を一つ一つパソコンに打ち込む。強弱記号やスラー等々もである。それが済めばクリック一つ。これで移調譜ができる。その打ち込み作業を邪魔しているのがケメ子である。

ワグネリアンが勝ってワグネリアンは大喜び

2018-05-28 11:15:20 | 音楽
ワグネリアンが勝ってワグネリアンは大喜び。この文章に「ワグネリアン」が2回出てきて紛らわしいが、通訳(?)すると、ワグネリアンという名前の馬がダービーを勝って、リヒァルト・ヴァーグナーの音楽に心酔する音楽愛好家(ワグネリアン)は大喜び、ということである。私もワグネリアンの末席を汚す者としてワグネリアンのダービー制覇はうれしい(どうしてもややこしい文章になる)。いずれにせよ、ワグネリアンは、ワグネリアンの期待に十分応えた(これもややこしい。まるでドイツ語で読むグリム童話である。同じ人称代名詞がいくつも出てきて誰のことをさしているのかよく分からないときがある)。しかし、馬好きのワグネリアン(人)がいつもいい思いをするとは限らない。例えば先週のオークス(牝馬によるダービーのようなもの)にはサトノワルキューレという馬が出走したが、名前につられて馬券を買ったワグネリアンは損をした。さらに、そんなことを言い始めたらショウナンバッハは40戦して6勝である。ヨハン・セバスチャン・バッハのファンだからショウナンバッハの馬券を買わなければいけないとの強迫観念を持ったバッハ・ファン(国語の問題。この「バッハ」はどちらのバッハでしょう?)はこれまで相当の損をしたことになる。すると、お願いだから弱い馬に自分の好きな音楽家の名前をつけないで欲しいと思うようになる。因んだ話その1。ワグネリアン(人)が喜びそうな馬名の馬にはこれまでも「マイスタージンガー」「ローエングリン」「マチカネタンホイザー」等々がいた。その2。競馬中継のアナウンサーがワグネリアン(馬)を紹介するとき「美しいメロディーがどうのこうの」と言うのだが、それはちょっと違うと思う。その3。私は馬券を買うにしても1日千円までと決めている。これは上限であって、昨日などは、百円券を1枚だけ(ワグネリアンとエポカドーロのワイド)。それが当たって2710円になった。それでもおととい終電で松戸まで行ってしまったために払うはめになったタクシー代(4000円強)に1300円足りない。ふと思った。松戸からうちまで歩くことはできなかったか?昔なら歩いたよな。

中音の演奏会(菱本さんと秋風先生がいて、松戸で一日が終わった話)

2018-05-27 11:47:41 | 音楽
中音(中世音楽合唱団)の演奏会の第三部(世俗曲)は団員が普段着で登場する。昨日は、その中に赤いワンピースを着た方がいらして、咄嗟に菱本さん!と思った私はかなりの重症である(その方は実は私の知人である)。彼女が菱本さんなら皆川先生は秋風先生である。だが、卒寿を過ぎられた皆川先生は、第1部(デュファイ)の後、指揮を代わりの方に託して退席された。退席前、座って指揮をなさることについて申し訳ないというようなことを仰っていたがとんでもない。どうぞ、お楽に、というのが聴衆の心持ちである。カラヤンもベームも80代で指揮するときは座っていた。私はそのいずれも生で体験したことが生涯の自慢である。アンチだった私が生カラヤンを体験して手のひらを返した話はなんども書いたが、ベルリン・フィルのクラリネットのカール・ライスターについても同様であり、レコードで聴く限りあまり好きな音ではなかったのだが、そっくりかえって斜め45度で咥えた楽器から泉のように音が湧き出るのを生体験して、あっという間にファンになった。中音の演奏会に戻る。第1部で歌われたデュファイのミサ(アヴェ・レジナ・チェロールム)を聴いて思ったことをいくつか。その1。デュファイのミサは、各節がドで始まってドで終わる。きわめて「正調」だなと思った。因みにベートーヴェンはドで始まってソで終わる(問いを投げかけて次節につなげる)ことが多い(ドミナント進行と言うんだそうだ)。その2。キリエ以下の各部において、同じ定旋律がテナーで繰り返される。バッハのコラール・カンタータを思い出した(歌いまくる会の次回は第4番。コラール・カンタータの初登場である……としっかり会の宣伝をする私である)。その3。その定旋律にからむソプラノのメロディーはデュファイ節と言われるものだそうで、なるほど、ミサ「ス・ラ・ファセ・パル」にも似たメロディーがあったよな。その4。これはデュファイに限った話ではないが、ミサの通常文に「sub pontio pilato(ポンツィオ・ピラノの下(もと)で)十字架につけられた」という部分がある。これをバカ田大学の某学生(私かもしれない)は、ポンツィオ・ピラト山の麓で十字架に付けられたと思っていた。本当にバカである。そのバカは40年経っても治っておらず、中音の美しい調べにわきたった心をいやすべく仲間と浴びるようにワインを飲んだ私(あっ、言っちゃった)は、千代田線の大手町のホームのベンチに腰を下ろしたのが運の尽き。気がついたら終電が目の前に止まっていた(飲んだら座るな(今回作った標語))。それに乗れて、え?乗れたの?よかったじゃん、って話はここから。空いてる座席に座って(だから、飲んだら座るな)、気がついたら松戸。KMCはもう終わったというのに。高くついた一日であった。

ミサ・ソレムニスがすごいことになった

2018-05-26 08:33:36 | 音楽
今朝の菱本さんの台詞「実家も」……ほら、聞こえたとおり入力して変換するとこうなる……から、秋風先生の病状については「再発」と「Ji」の二つの可能性が浮上。しかし、実際は「別のところに出来た初期のもの」であった。手術も簡単に終わってめでたしめでたし。ということで本題。昨日、アルカディア合唱団が2か月に一回開いている通唱会もどき(私達はレパートリー会と呼んでいる)でベートーヴェンのミサ・ソレムニスをとりあげる話を書いたらすごいことになった。私の通唱会友達が多数反応して下さり、なんと5名のアルトさんが参加の意向を表明して下さった。さらにY先生を入れると6名(私としてはクラリネットでご一緒したいのだが)。それから「ふむふむ」と書き込んでくれたM巻さんを入れると7名(参加表明と受け取らさせていただきました)。すごい、これだけ来て下されば私はクラリネットに専心できる。ほかにもソプラノやバスで参加して下さる方がいらっしゃる。そうした方々の多くが「過去にやったことがあるが、中途半端で心残り」とおっしゃる。そうだろう、そうだろう。なにしろ難曲である。8月24日(当日)が終わった途端、アルカディア合唱団員がそういう気持ちになるのは目に見えている。さて、クラリネットに専心と書いたが、昨日ためしに吹いてみて、予想以上にベー管以外のための楽譜を読み替えて吹くのに手こずった。なにせ、もとがニ長調だから、それをベー管で吹くと♯が4つになる。そうでなくても指使いが大変になるところにもってきて読み替えながらとなると、「脳トレ」になるなどと呑気なことを言っていられない。思い切って移調譜を作ろうか。もし、うまくいったらメサイアの「トランペット」のトランペットをクラリネットで吹くことへの道が開ける(あれもニ長調)。とか言って、歌も捨てがたいんだよな。おいしいソロがやまほど。そこだけつまむという手もある。実をいうと、一番おいしいのが冒頭のテノール・ソロ。合唱が第1声で「キーリエ」と出た後に歌うあれ。こないだの練習で思いっきり歌いましたとも。男をやめて久しいが(歌の話です)、ここんとこだけは思いっきり男に戻りました。おねえタレントだってたまにどすの効いた声出すでしょ?同じどす。

ベートーヴェンのミサ・ソレムニス(クラリネットもあるぜよ)

2018-05-25 09:20:29 | 音楽

ベートーヴェンの前にもう一つだけ。秋風先生の本名の「美濃権太」(みのごんた)から私が最初に思い浮かべたのは「みのもんた」ではなくスズメの故郷の岐阜の旧国名である「美濃」である。関東の人間である私は申し訳ないがこのあたりの地理にうとい。でも、大河ドラマの影響で美濃と聞けば斎藤道三が治めたこの辺りだと合点がいく。そうか、だから秋風先生はスズメの郷里を自分の故郷のように感じてたんだ。ということで気が済んだので、ベートーヴェンのお話。私が根城にしているA合唱団は無謀にも8月の内輪の発表会のための曲目をミサ・ソレムニスに選定した(この発表会には外部の人も自由に参加できる。言ってみれば「通唱会もどき」である)。その練習が始まったのがちょうどKMCとカプの本番間近の時期。あちこちの練習がたてこんだので、本番を優先すべくA合唱団の練習を休もうかとも思ったが、私は実はベートーヴェンが大好きであり、しかもミサ・ソレムニスは大大大好きである。しかし、この曲はたっかい音が延々と続いて咽にあまりよろしくない。本番前にあまり歌ってよい歌ではない。ということで、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスであるがゆえに「歌いたくもあり、歌いたくもなし」だったのだが、結局歌いに行った。私は40年ぶりの夢がかない大感激であったが(ヴォーカルスコアを買ったのは40年前であるが、歌うのは今回が初めてである。歌う前から楽譜はぼろぼろ。表紙はない。その骨董品ぶりはクラリネットの比ではない)、やはり難曲には間違いない。いったい誰のせいでこの曲をやることになったんだ(最終的に選んだのは指揮者であるが)、と思ったら「いーじまさん」だと言う。え?私?そういえば、何かやりたい曲はないか?と聞かれて「ベートーヴェンのミサ・ソレムニス」とは言った。でもすぐに「だけど無理だな」と言った。しかし後の発言は心の中でしか言わなかったかもしれない。もっともこの曲の難易度もテンポ次第である。私が最初に買ったレコード(指揮はトスカニーニ。町のレコード店にはそれしかなかった。リンクしたYoutubeがそれ)の特にクレドの後半(42:10から始まる部分)は、これはもう笑っちゃうしかない速さで真似をするのは不可能である(是非聴いて下され)。因みに、私がその次に買ったレコードはベーム&ウィーンフィルで、私がこの曲を真に好きになったのはそのレコードを聴いてからである。さて、A合唱団の次の練習ではサンクトゥス以下をとりあげる。おおっ、ベネディクトゥスにはあの素晴らしいヴァイオリン・ソロがある。弾きたいなー(最近、40年ぶりに発掘したものの中には、クラリネット、ミサ・ソレムニスの楽譜のほかヴァイオリンも含まれている)。でも、音が高くて無理っぽいなー。あっ、たしかあのヴァイオリンにはクラリネットがからむよなー。からむからむ!そっちを吹こうか!

不倫は主婦の憧れ?

2018-05-25 08:45:11 | 日記
やったー!栃ノ心!ジョージア出身!ワイン発祥の地!国名の由来はセント・ジョージ(ゲオルギウス)。セント・ジョージは竜退治で有名だが、栃ノ心が昨夜倒した相手は横綱白鵬。横綱を横綱相撲で寄り切った。その瞬間、テレビに向かって両のこぶしを突き上げた私。こんなことをするのはジェンティルドンナのラストラン(有馬記念)以来。ところがこの期に及んで「栃ノ心 大関『ほぼ』確実」と報じる心配性のNHK。「ほぼ」はいらない。この成績で昇進できなくて誰が昇進するのさ。そのNHKの7時のニュースがトップでとりあげたのはやはりアメフトのニュース。あの高慢ちきな司会者のことはNHKでもとりあげていた。超うがった見方=あの司会振りはわざと。司会がひどければ監督とコーチがいくぶんまともに見えるから。それだけあの司会者はひどかった。ところで、監督が「関西学院大学」の「関西」を「かんさい」と発音してたたかれたが、しかしそのことをワイドショーで糾弾したどっかの「有識者」が「日本大学」を「にっぽんだいがく」と連呼していたのが気になった。大学といえば、「半分、青い」の菱本さんはお茶大出身ということが判明。不倫で会社をやめて秋風先生のところにきたそうだ。ナレーションが「いつだって不倫は主婦の憧れ」って、え?そうなの?CSで放送した「金妻」は全作DVDにダビングしてあるが、例によって見ていない。見て勉強しようか。因みに、私は某国家資格の受験指導をしているのだが、不倫もしっかり教えている……もとい、不倫に関する法律関係をもしっかり教えている。その講義では、「課長さんシリーズ」と銘打って、課長さんが不倫をしたら、という仮定で話している。だが、なぜ課長さんなのか。あらためて考えてみた。男性が不倫をするには財力が必要(これは年齢とともに上昇する)。他方、男としても現役でなければならぬ(これは下降する)。この上昇曲線と下降曲線が交わるところがちょうど40代、役職でいえば課長さんあたりになる。だからだ。因みに、昔、知り合いにお茶大出身の不動産屋さんがいて、随分懇意にしていたのだが(話の流れがこうだからって、不倫なんてことでは一切ないですから)、連絡がとれなくなった。このブログを見たら連絡を下さい、待ってます(新聞の人探し欄か)。ということで、今朝はベートーヴェンのミサ・ソレムニスの話を書くはずが、枕話でいっぱになったので次稿に。

朝ドラ語学講座

2018-05-24 15:58:51 | 言葉
今朝の「半分、青い」で言葉で気になったこと3題。その1。スズメは「蛙のワンピース」をデートのときに着るという。それを聞いたマサトくんが「着たとこ見せて」と言った場合と「着たとき見せて」と言った場合の違いが問題になっていた。デートの誘いになるのは前者だと思うがどうだろう。後者だと、他の男とデータをするんで着たとき見せて、という風にとれるので。その2。秋風先生が、岐阜弁の「待っとりゃー」をアラビア語みたいと言った。私はアラビア語の知識は皆無である。だからどこがアラビア語っぽいのか皆目分からないのでぐぐってみた。簡単なアラビア語の音声を聞けるサイトがヒット。「こんにちは」は「マルハバン」と言うそうだ。これが私が聞いた初めてのアラビア語である。いくつか聞いてみたが、「まっとりゃー」っぽい言葉はなかった。その3。スズメが驚いたときに言う「ふぎょぎょ」を漢字で表すと「腐魚魚」?「くさや」のようである。その「くさや」、生涯でただ一度だけ食べたことがある。これって食べてよいものだろうかと臭いをかいでいたら先輩から「なにくんくんやってんだ」と怒られた。会社員だった20代の頃の話である。おまけ。人面魚のテレカ、私、持ってました!

最近思ったこと(続き)

2018-05-24 09:02:52 | 日記
今朝大丈夫かなーって心配した人=リツくん。菱本さんと「ふぎょぎょ」な感じ。「きれいなお姉さん好きですか」(ってCMがあった)好きですよー……って私が聞かれたわけじゃない。でも菱本さん、秋風先生命じゃなかったの?年下も好きなの?「イケメンならどっちでもいい」あっそー。といった感じで昨日のブログの補足を徒然と。最近強いなーと思った栃ノ心はジョージア出身である。ジョージアと言ってもアメリカのジョージア州ではなく(ジョージア州出身はジェシー・ノーマンである)、昔グルジアと言った黒海沿岸の国である。ここはワインが産まれた地として有名。だが私はジョージア・ワインをまだ飲んだことがない。一度飲んでみたい。ご自身のことを「おばあさんじゃないんだから」と仰った黒柳徹子さんにとっては、「おじいさん」「おばあさん」=「よぼよぼした人」なのだろう。賛成である。だから「あさいち」でレポーターのなんとか君が山椒穫りの男性を「おじいさん」と呼んだのはいただけなかった(私だったら「お兄さん」でなければ返事をしない)。加害選手の会見を受けて監督とコーチが緊急会見。際だったのは司会者の高圧的な態度。一人が執拗に質問を続けると「やめて下さい」(それはいいんだけど)「会見を打ち切りますよ」だって。まるで会見を「開いてやってる」って態度。会見の場は次第にこの司会者と記者達のバトルと化していった。その様子、ぜーんぶ見ましたよ、インターネットテレビ(Ameba)で。こういうとき便利だね。

最近、あれこれ思ったこと

2018-05-23 18:17:55 | 日記
最近大丈夫かなーと心配した人=秋風先生。方向音痴なのにスズメの実家から一人で東京に帰れたのだろうか。最近強いなーと思った人=栃ノ心。気合いが入ると体が真っ赤になる。横綱以上に横綱相撲。最近強いなーと思った馬=アーモンドアイ。将来、ジェンティルドンナのように男馬を負かしてほしい(私は女(牝馬)好きである)。最近あれっ?と思ったこと=黒柳徹子さんが徹子の部屋で何かでつっこまれて「あたしおばあさんじゃないんだから」といったこと。そうだ!若さと年齢は関係ない。最近見てて胸が痛んだもの=日大の加害選手の謝罪会見。やったことは許されない。だがもし自分があの立場だったら他の選択肢はあっただろうか。それにしても会見の態度は立派だった。人となりが出ていた。人生七転び八起き。秋風先生だってすぐ漫画家になったのではなく、その前は百科事典のセールスマンだった。がんばってほしい(でも、秋風先生、方向音痴でよくセールスマンが務まったなぁ)。

ガンバ初体験

2018-05-22 18:23:09 | 音楽
シュッツを歌う会には前回からヴィオラ・ダ・ガンバを弾くK谷さんが来て下さっている。そのK谷さんが今回の会の休憩時間中にガンバ講座を開いて下さった。希望者一人一人に持ち方を指導して下さる。またとない機会、私も受講の列に並びましたとも。へー、面白い、懐に抱くようにかかえるんだ。そう言えば、ドイツ語で「Schoß」って言葉があった。その意味は「膝から上の部分」「母胎」「懐」等々だが私のイメージではガンバを抱くところがまさに「Schoß」。合ってるだろうか?調べる。大当たり!なんとガンバはドイツ語では「Schoßgeige」(ふところヴァイオリン)とも言うそうだ。ちなみに、膝枕の「膝」も「Schoß」であって、グリム童話にたまに出てくる。大概、男が王女様の膝枕で寝込んでる間に王女様から宝物を盗まれてとんずらされる。脱線したのでガンバ講座の話に戻る。弓はお箸をもつように持つのだそうだ。ヴァイオリンの弓使いとは逆である。すると、誰かが「コントラバスと同じだ」。えーっ?そうなの?私、ヴァイオリンと同じ持ち方をしてた。中学のとき、私は陸上部だったのだが(上り坂を前にするとジェンティルドンナになって駆け上がりたくなるのはそのなごりである。これも「三つ子の魂百まで」である)、吹奏楽部にも出入りしていてコントラバスを弾いていた。学校がコントラバスを買って、音楽の先生が私に弾けと命じたからだ。ところが音楽の先生は二人もいるのにどちらもコントラバスのことはからきしご存じない。「勝手にやれ」とすべて私に丸投げ。だからまったくの独学だった。だから、今の今まで弓の持ち方が違うことを知らなかったのだ。因みに、吹奏楽部に出入りしていた私の立場は、エキストラというには部になじみすぎていて、卒業後、OBのような顔をして「後輩(?)」に会いに行っていた。言ってみれば、ご飯時になるといつも食卓に座っているよその人である(れっきとした吹奏楽部員だったのは高校んときである)。そうやってガンバを弾かさせてもらって出た音は(話が脱線してたのをしらーっとガンバ講座の話に戻す)、まさに「Schoß」(体内)にしみこむようであった。いずれガンバ・ブームがくる……いや、もう来てるのかもしれない。K谷さん、貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。

復活した「骨董品」(私のクラリネットの話)

2018-05-21 19:16:18 | 音楽
ブログを始めてから10年になるが、これまで自分の写真を掲載したことはなかった。今回、初めてクラリネットを吹いている写真をアップした。「Y先生と共演」という栄えある事実の動かぬ証拠として私には超貴重であるが、そのほか、この写真は私を40年前の「♪なにもこわくなかった(神田川)」時代にタイムスリップさせるものでもある。写真を見た高校の先輩後輩が寄せてくれたコメントには「楽器に見覚えがある」「吹いている姿勢に見覚えがある」さらには「アンブシャー(マウスピースを咥える口の形)に見覚えがある」といった言葉があふれる。感慨無量である。私自身、あの写真を見て、40年前の自分自身の姿が脳裏に浮かび、楽器を吹いている当時の写真と比べてみたいと思った。「使用前」「使用後」の違いはどうであろうか。目を細めてみたときのシルエットは結構変わらない気がする。その写真に写ってる私のクラリネット、お隣のY先生の楽器がぴかぴかに輝いてるのと比べるといかにも「年代物」であるが(それが目印になるのかもしれないが)、実は、キーがこのようなにぶい色になったのは買ってすぐのことである。磨いても磨いてもぴかぴかにはならなかった。そうだ、大学で合唱団に入ってからも団の宴会ではいつもこれを吹いていたのだが、だから酔っ払っていたのであろう、小田急線の網棚に置き忘れて(上着だけではなくクラリネットも忘れるのか、という声が聞こえる)、小田原までとりにいったとき、駅員さんに「これ、骨董品ですか」と言われたっけ。その後40年間、一度も陽の光を見ることなく、骨董品扱いされたものはほんとの骨董品になったと思っていた。捨てなかったのは記念品として残したかったからである。それがどうだ。まずケースを開けたとき「青くない!」でびっくり(カビで真っ青になった姿を想像していた。「半分、青い」でもなかった)。で、吹いてみた。音が出る!使える!驚きの復活劇であった。これはビュッフェ・クランポン製である。やはり良い楽器は良いのだなぁ。今回、こうした喜びを与えてくれた楽器へのお礼として調整に出すつもりである。もっとも楽器以上に調整が必要なのは私自身であるが。

通唱会で楽器デビュー(モツレク通唱会)

2018-05-20 06:43:34 | 音楽

昨日はモーツァルトのレクイエムの通唱会。Y先生のクラリネット・デビューで話題沸騰の中、ひっそりと私の通唱会での楽器デビューの日でもあった。最近、40年ぶりにクラリネットを「発掘」して以来、なかなか吹くチャンスがなかったのであるが、今回、通唱会でY先生がクラを吹くと聞き、おっ、ここで便乗すれば、今後、私の履歴書に「Y先生と共演」と書ける。絶好の機会だ。ということでクラリネットでエントリー。Y先生が1stで私が2nd。アンサンブルはそれこそ40年ぶりである。それどころか、合唱と合わせるのは人生初の体験。その楽しかったことといったら!昔吹いてたときの記憶が蘇った。それにしてもY先生はすごい。最近始められたというのにあっという間に吹けるようになっちゃう。やはりプロの音楽家は別物である。おかげさまで至福の時を過ごすことができました。昨日の通唱会は、ズィスマイヤー版を2回通し、間にレヴィン版のラクリモーサとアーメンを歌うという贅沢なもの。Y先生は2回目はピアノに回られたので、1回目で「目標」を達成した私は2回目は歌に専念。あのベネディクトゥスをやはりカウンター・テナーで歌いたい。とにかく大満足。終わった後、浴びるようにビールをいただきました(これは、いつもと同じ)。主宰のF井さんに大感謝(いつもありがとうございます!)。一点、心残り。私の楽器のキーが高かったこと。途中、管を伸ばして調整したが、もっと早く直せばよかった。それにしても、今回の体験は確実にクセになりそうである。A管の物色を始めた私である。