拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

角笛

2018-04-29 07:04:32 | 音楽
ブラタモリで「ホルンフェルス」って言葉が出てきて、「Horn」(角)+「Fels」(岩)でできた言葉なのだが、その説明のときに流れた音楽がホルンのソロだった。ヴァラエティ番組のBGMはいろいろ連想させてくれるので大好きである。7年前、くしくも同じブラタモリに関する記事で私は『「タモリ将軍」って誰かが言ったと思ったら、すかさずBGMが「パオーン、パオーン、パオーン、パオーン」と、水戸黄門のテーマの出だし……』と書いていた。ところで、「ホルンフェルス」の「ホルン」は前記のように「角」であるが(間が浸食されたため両端の固い岩が角のように尖ってるところから付いた名前らしい)、私など「ホルン」と聞くとまっさきに今日のバルブがたくさん付いた楽器のホルンを思い浮かべる。これは一般にも言えることらしく、「Horn」で画像検索をかけるとそうしたホルンがばーっと出て、次に昔ながらの角笛、最後に動物の角がヒットする。これは言葉の歴史とはちょうど逆である。このように、「(今日の)ホルン」「角笛」「角」は、ドイツ語ではいずれも「Horn」である。ということは、マーラーの「子供の不思議な角笛」は「不思議なホルン」でもよかったし、「ジークフリートの角笛」は「ジークフリートのホルン」でも間違いではなかった。実際、これらはドイツ語では「Horn」である。因みに、今、確認のためにジークフリートのテキストを読んでたら「Trinkhorn」てぇのがでてきた。なるほど、角を杯として使っているわけだ。ここは訳すとすれば「角」ではなくて「杯」だ(追記:角杯という言葉があった)。余談。かつて、バイロイト音楽祭で「ジークフリートの角笛」をホルンで奏していた(ホルンをホルンで奏していた)名人がいた。某世界最高オーケストラの酒席ではなくて首席を務めていた人だ。ところがこの人は定年直前に同僚と喧嘩してそのオケをクビになってしまった。このあたりのことを詳しく知りたいと思ってググったら面白おかしく書いている記事がヒットした。世の中にはふざけた人がいるもんだなと思ったら私だった。

猿の起源

2018-04-28 06:47:11 | 日記
スズメ(朝ドラのヒロイン)は、生まれた時猿のようだった、という話から、最近読んだグリム童話の中のある話を思い出した。時代は大昔、「der Herr」(主=神様)とペトロが「まだ地球上を歩き回っていた時代」。この二人が鍛冶屋のところに泊まったとき、年取った男が物乞いに来た。主はこの老人を暖炉の火の中に投げ込み、焼き直して若者に変身させた。それを見ていた鍛冶屋が、同じ方法で自分の姑を若返らそうとして火の中に投げ込んだら姑が熱がって悲鳴をあげた。その悲鳴を聞いた鍛冶屋の妻と息子の嫁が産気づいて子供を産んだらそれが猿そっくり。猿そっくりの赤子は森の中に逃走し、猿の起源になった。なんと、猿の起源は人間であった。あるいは、人間が進化して猿になった。進化論もびっくり。「進化」ではなく「退化」「逆進化」と言うべきか。いや、進化でよいだろう。前頭葉が大きくなりすぎた人間は戦争ばっかりする。これが淘汰されて猿が残ると考えれば立派な進化である。なんだか映画「猿の惑星」のようだ。気になったところ。鍛冶屋のところに泊まった「der Herr」は、ペトロを連れて歩いていたというのならイエスであろうか。でも「Jesus」という言葉は出てこない。一般的な「神様」がしっくりする。民間の言い伝えにキリスト教のエッセンスが入ってできた話のようだ(純粋なキリスト教においては、(逆)進化論は御法度だったと思う)。そのペトロ、昨日読んだ話の中にも登場した。なかなかの存在感である。

ナオミは旧約聖書の人名だった件(アラベラからロビンに至る)

2018-04-27 06:45:22 | 音楽
前回の記事を書き終わった後、突然降って湧いた疑問。あれえ?「ズデンカ」(Zdenka)はなぜ「ツデンカ」でないんだろう。ドイツ語の「z」は「ツ」のはずだが。というか、長いことドイツ語を勉強してきたのに、今まで不思議に思わなかったのが不思議だ。固定観念ってやつだろうか。で、今さらながら調べた。なんと「Zdenka」はスロヴァキアの人名であった(「ズ」なのはそのせい)。アラベラ一家がもともとスロヴァキア出身なのか、それとも親が外国の名前に憧れて命名したのか。後者でも全然不思議はない。欧米人だって娘に日本人名の「ナオミ」と名付けたりするんだから。「キング・コング」の「ナオミ・ワッツ」みたいに……と思ったら、これが大間違い(昨日の「日本人のお名前」)。なんと、ナオミはもともと外国人名であった。旧約聖書(昨日から連続登場)に出てくる名前なのだそうだ。そして、この名前を輸入したのは谷崎潤一郎だそうだ(痴人の愛)。知らなかった。ナオミ・ワッツがナオミなのは親が日本びいきだからだと思っていたがそうではなかった。「アラベラ」に戻る。ズデンカが相手を勘違いしたマッテオと関係を結ぶのは第3幕の前奏曲が鳴ってる最中である。であるから、この前奏曲は「行為」を露骨に描写している。この点は、「バラの騎士」の第1幕の前奏曲(マルシャリンとオクタヴィアンの営みを描写)と同様であるが、バラの前奏曲があっという間に終わるのに対してアラベラの方がぐだぐだと長い。このあたりに二番煎じが現れてるとも思ったが(前のを凌駕しようと凝って長くなる)、オクタヴィアンとマッテオの年齢差だと考えると合点がいく。なにしろオクタヴィアンは17歳。パッチ屋をクビになった時の糸子と同じだ(カーネーション)。因みに、尾野真千子は、12歳くらいの糸子から演じている(母親役の麻生祐未さんが「そのくらいの歳の表情を見せるからすごい」と言っていた)。「レインボー戦隊ロビン」のロビンがパルタ星と戦っていたときの年齢設定も12歳。われわれはこんな小さな子供に地球の運命を託していた。そう言えばロビンの声は女性の声優さんだったっけ。ロビンに限らず少年ヒーローの声はたいがいは女性が担当していたが(声変わり前の少年に相応しい)、スーパージェッターだけは男性の声優さんだった。

アラベラ

2018-04-26 08:24:15 | 音楽
毎朝のインスタントラーメン(5食137円)を美味しく食べる二つのこつ。その1。重曹をいれること。その2。ラー油をたらすこと。さて。数年前のNHKの番組改編(クロ現が10時になる等)に私はいまだについていけず、それまで楽しみにしていた火曜夜のドラマや歴史秘話ヒストリアは突然視界から消えてなくなり見ることができないでいた。が、この春の改編で、どこかに行っていた歴史秘話ヒストリアが再び視界に登場。昨日の放送のテーマは昔の日本人の恋模様。武士同士の同性愛が話の中心であったが、その中に「男が赤ん坊を産んだ」という話が入っていた。一瞬「Wie?」と思ったが、すぐさま、男装した女性の話だと合点がいった。はたしてそのとおりであった(女性の名前は「たけ」)。で、思い出したのが「アラベラ」(Rシュトラウス)。ヒロイン(アラベラ。絶世の美女)の妹のズデンカは、男として育てられる(名前はズデンコ。正子を正夫と呼ぶようなもの)。没落貴族の家は娘二人を育てる余裕がなかったからだ。だが、ズデンカは姉のことが好きなマッテオに思いを寄せていて、暗闇の中、相手をアラベラだと勘違いしているマッテオと関係を結ぶ。その後、ズデンカは女に戻ってマッテオとくっついてめでたしめでたしなのだが、物語が一歩間違えばズデンカは「たけ」になっていたかもしれない(ただし、ズデンカは家庭の事情で男として育てられたのに対し、「たけ」は男の心を持って生まれてきた点が決定的に違う)。この「相手を勘違いして関係を結ぶ」には先例がある。旧約聖書だ。ヤコブがラケルだと思った相手はラケルの姉のレアだった、という話。間違った相手が姉妹というのも同じ(姉と妹が逆転しているが)。因みに、歴史秘話ヒストリアのMCは、以前の渡邊あゆみさんも今の井上あさひさんも声がアルトである。その渡邊あゆみさんは以前は黒田さんであり、その前は久能木さんであった。お父様が牧師さんで渡邊さんは教会でオルガンを弾いていたそうだ。ぐぐってWikiで得た情報などではない(Wikiにも出ているが)。大昔に写真週刊誌で得た情報である。その頃からのファンである(同じ(元)神奈川県人なので)。NHKの女子アナがらみでもう一つ。ブラタモリの初代アシスタントの久保田祐佳さんは、なんとご幼少のみぎり、かのBCJのマタイでリピエーノを歌われたという。この一事をもって私の中の好感度はかなりの高さである。

糸子weinete bitterlich.

2018-04-25 08:29:37 | 音楽

夕方再々放送をしているカーネーションでは尾野真千子の糸子が期待通り連日の大泣き。パッチ店で働きたいといっては泣き、こんな店やめてやるといっては泣く。毎回半端な泣きではない。初回放送時、こんなに本気で泣く女優さんがいるのかとびっくりしたもん。目にホースがついてるんじゃないかと思うほど。「bitterlich weinen」(激しく泣く)とはまさにこのこと、と思った。ところで、「bitterich weinen」は福音書をドイツ語に訳したルターがペトロが泣く様子に使った表現であり、私がこの言葉に持つイメージはバッハの受難曲(マタイとヨハネ)の音楽及びエヴァンゲリストの絶叫によるところが大きい。こないだも書いたが、ヨハネ伝ではもともとペトロは泣いていなかった。バッハがマタイ伝から引用したのだ。わざわざひっぱってきただけのことはある。この部分、ヨハネの方がマタイよりはるかにくねくねしている。シュッツはバッハよりもずっとシンプルであるが、この部分だけはやはり相当くねくねしている(写真はシュッツのマタイの泣きの部分。♭を一個付けて下され)。ふと思った。私は「bitterlich weinen」を糸子のような大泣きと感じているわけだが、「bitterlich weinen」には「激しく泣く」のほか「さめざめと泣く」という訳もあるわけで、もしかすると、ペトロの泣きは「わーっ」ではなく長く「しくしく」だったのかもしれない。因みに、糸子は今日の放送で、パッチ店をクビになって泣くはずであるが、6年前の私のブログによると、そのとき糸子は一筋の涙をすーっと流すそうだ(自分からの伝聞)。その再々放送、こないだ録画に失敗した回があって、昔の録画をひっぱりだして見て補充。再び再々放送に追いついた。なんだ、昔の録画があるんだったら今見なくていいって?そこがそれ。やっぱりきちんと毎日放送ごとに見たいのですよ。ところで、そんな理由で昔の録画を見たら、ドラマが終わった後、一瞬、アサイチが映っていて、6年前のウドーさんとイノッチと柳澤さんがいて、何か言いそうなところで切れてしまった。聞きたかったなぁ。そう、アサイチの朝ドラ受けはこの頃から始まったもので、視聴者から「やめろ」という投書が来て、じゃあ2回に一回の割合でしようかって話になって(視聴者の声に敏感なNHK)、でも、しばらくしたら毎日やるようになった(それを求める声が多かったのだろう)。

マタイの本番直前に鶏胸肉を食べる

2018-04-24 20:54:06 | グルメ

KMCがマタイ受難曲(バッハ)をとりあげるのは、とりあえず今年が最後だそうだ。すると今年合唱で歌えるのは貴重な体験なのだな。参加させてもらってよかった。その本番まで残り1週間を切った。気分は盛り上がっている。万全の体調で望みたい。何を飲み食いすればよいだろうか。昔、こういうときに頼りにしていたのがグロンサン内服液。よく飲んでいた。で、献血のとき、お医者さんに何か薬を飲んだか聴かれて、薬っぽいものは全部申告した方がいいと思って「グロンサン」と言ったら「なぜ」と聴くから「元気になりたいから」と言ったらそのお医者さんと回りにいた看護師さんたちが一斉に笑う。いまだに何が可笑しかったか私には分からないが、ひとしきり笑った後、お医者さんが「だったらウナギを食べなさい」と仰った。で、今朝のアサイチ。疲労回復によい食材の三択問題。1:牛のサーロイン、2:鰻の蒲焼き。3:鶏胸肉のソテー。件のお医者さんの言ったことが頭にあった私は2を選んだが、正解は3。長い距離を跳ぶ渡り鳥の羽の付け根の胸肉に、なんとかかんとかジ・ペプチドってぇのがあって、これが疲労回復に効くんだという。鶏は普通は鳥のくせに飛べないが、DNA的には渡り鳥と同じ栄養分を蓄えているそうだ。そっか。じゃあこれから本番まで毎日鶏胸肉にします……え?2週間続けなきゃ効果が出ない?だったらもっと早く言ってよぉ。でも、気はココロだ。思いのほか効果が早く出るかもしれないし(大葉の種も蒔いてから発芽まで2週間かかるとパッケージに書いてあったが、プランターに蒔いてから3,4日でもう芽が出てきた)。さて、写真は昨晩作った餃子。ここまでの記事とは関係な……くはなかった。おおおっ。昨日の具は、キャベツとネギとチーズと、それに鶏胸肉の挽肉であった!

調性

2018-04-24 11:44:44 | 音楽
ちょびっとだけ枕話。スズメを演じている永野芽郁さんは、UQのCMの三人娘の三女であった。気がつかなかった。私に「人を見る目がない」というのは、人の顔を覚えられないことも含んでいる。では本題。昨日のブログのリンク先のフェイスブック(FB)で、すずめが立ち寄った教会堂にマタイが流れていたという話から、スーパーやデパートの店内に流れている曲の話に発展し、そこから「雨に唄えば」と「Raindrops Keep Fallin' On My Head」が紛らわしいという話になった。FB友達はみんな英語が堪能でいらっしゃるから「Raindrops Keep Fallin' On My Head」で話が通じている。私は何の曲だか分からない。でも、便利な世の中。分からなければググればよい。で、(移動ドで)♪ミー、ミーミファーミレードミ……の曲だと分かった。邦題は「雨に濡れても」だそうだ。しかしこの二つ、単に「雨つながり」であるだけではない。なんか似てる。すると調性が同じだった(ヘ長調)。そうなのだ、調性は曲の性格に大きく影響する。世人が似てる似てるという「スターウォーズのテーマ」と「スーパーマンのテーマ」だって(どっちもJ.ウィリアムズ)、曲の構成の違い(前者は自由な形式の交響詩。後者は決まったリズムに貫かれるマーチ)のほか調の違いがかなり性格を分けている。スーパーマンの脳天気さはハ長調によるところが大きい。運命の第4楽章もハ長調。それに対し、スターウォーズは変ロ長調。輝かしいなかにもシックさが漂う。バッハのモテットの1番と2番や第九の第4楽章も変ロ長調。これに♭を一個足した変ホ長調は私の好きな調。交響曲第39番(モーツァルト)、ベートーヴェンの英雄、皇帝、ラインゴルトの冒頭、英雄の生涯……どれも華麗ですねー。さらに♭を二個足して変ニ長調とくれば「冷たい手」「デリラのアリア」。後者をカウンター・テナーで歌いたいのだが♪こわれて……じゃなくて、高くて出ない音がある。だが、この調で刷り込まれているので下げたくない……と、ここまで書いといてなんであるが、世の中にはバロックピッチがあったり移調があったりで、すると話がややこしくなる。例えば、Singet(バッハのモテットの第1番)は変ロ長調と言っときながら私の頭の中ではイ長調である(Voces8がバロックピッチで歌ってるのがすりこまれている)。さらに、ハ長調の代表選手のような運命の第4楽章は、私の頭の中では変ロ長調。これは高校のとき吹奏楽用に変ロ長調に編曲して演奏したせいだ(編曲も指揮も自分でしたので刷込度が高い)。因みに、夕方再々放送をしてる「カーネーション」の主題歌はニ長調である。イントロの(実音)♪ラーレーソー♯ドー……が流れると、既に私はうるうる状態である。ところで、この部分の低音部は(実音)♪シーミーラーレー……で、すべて高音部と全音又は半音でぶつかる。さらに、椎名林檎さんの歌が始まった後の伴奏で、弦楽器が長い音で順次入ってくるとこ、最初に(実音)ラー、その上にシー、さらにその上に♯ドー。全部全音でぶつかっている。それでいてきれいなんだよな、なんとも……

朝ドラでよろめいてほしかった

2018-04-24 08:39:32 | 日記
私はとことん人を見る目がない。スズメ(朝ドラ「半分、青い」のヒロイン)にはコバヤシくんがよいと思った。挨拶がしっかりしてるし、やさしそうに見えたし、カセットで聴いていたのが落語というのもよかったし、なによりも、スズメの左耳が聞こえないと知って「ボクがスズメさんの左耳になります」という台詞がよかった(「大草原の小さな家」でメアリーが光を失ったとき、Pa(父さん)がローラに「これからはローラがメアリーの目になるんだよ」と言ったのと重なった。これはドラマでの台詞ではなく史実である)。それがだ。スズメの付け耳を見て、拷問器具の解説をされたくらいで「通学路を変える」とは情けない。ここで、この間の話だ。最近流行りのマッチングアプリならこう言ったすれ違いは生じない。最初からスズメの「拷問器具好き」を分かったうえでのデートだろうから。いやいや「スズメは律くんと将来くっつくに決まってるんだから、コバヤシくんとの目はもともとなかった」と人は言うかも知れない。だが、律くんはこないだ出てきた他校の弓道部の女子と結婚し、スズメはコバヤシくんと結婚した後で、スズメと律くんがよろめく、という筋書きだってあったはずだ(まるでカヴァレリア・ルスティカーナ)。え?ない?朝ドラだから?ふむ、脚本が大石静さんだったらあったかもしれないな。あらま。昨日FBで盛り上がった話を書こうと思ったが枕話でいっぱになってしまった。次にしよう。おまけ。「大草原の小さな家」のDVDを頭から全作みたい。シューベルトの歌曲やハイドンの交響曲を全部聴きたい。ショスタコーヴィチも。材料(CD)は揃っている。だが時間がない(人生がいくつあっても到底全部聴く時間はない)。バッハのカンタータ全集は複数あるが、全部聴くのはとうにあきらめていて、話題になった曲だけ聴ければいいと思っている。

朝ドラで聴くマタイの終曲

2018-04-23 08:46:24 | 音楽

朝ドラでスズメ(ヒロイン)がコバヤシくんとデート中に入った教会で流れていたのがマタイ受難曲(バッハ)の終曲。ちょうど前の日の夜、KMCの練習で歌ったばかり(1週間後が本番である)。その日、KMCの前は、朝10時から4時までお昼タイムを除いてカプの練習(バッハのモテット第3番ほか。こちらの本番は約3週間後)。なかなかハードな一日であった。すべて終わった帰りの電車で座った席が優先席。車内はガラガラだったから問題はないが、「若いくせに」とお叱りになる天の声が聞こえてきそうできまりが悪い。と思ってるのは当人だけで、実は風体からして席にマッチしていたらどうしよう。一日歌いきったところは「若い」。だが、くたくたなところは「いい歳」。狭間に揺れる微妙なお年頃の私であった。時を少し戻してこの日のお昼休み。みんなは外にお昼を食べに行ったが私は65円のおにぎりを2個買ってあったのでお留守番。練習場の中庭を見渡すとおにぎりを食べるのにちょうどいいベンチとテーブルがある(写真)。ぽかぽか陽気(というよりもかなり暑い)なかで、束の間のピクニック気分であった。そのうち食べに行った人たちが戻ってきた。ネパール料理屋に行ったんだと。ついていかなくてよかった。行ったら絶対ビールを飲んじゃう。一杯飲んだら絶対二杯。二杯飲んだら絶対三杯(以下無限に続く)。その後の練習がどうなったことやら(それにしても、新大久保にはネパール料理屋が多い)。話をもっと戻して今朝の朝ドラ。ヒロインのデートの場所は明治村。舞台である岐阜県にあるの?と思ったら愛知県犬山市だった。地図をみると、岐阜市と犬山市は近くであった。このあたりの地理にはうといからなぁ。あらためて岐阜県の形を見たら、左上に向かって羽を広げるワシだかタカのようであった。さて、マタイが流れた教会であるが、明治村の中にあるということは聖ヨハネ堂とやらか?すると、ヨハネ堂でマタイが流れたということになる(実際その場で流されたのか、ドラマが足したのかは分からないが)。

ネギとエノキとソーセージのピザ(うー、まずいっ)

2018-04-22 07:46:46 | グルメ

わが家のピザは自家製である。と言っても、生地をこねるのはホーム・ベーカリーがやってくれる(これはほんとによく働く)。以前はこねあがった生地が相当べとついたが、水の量を附属のレシピに書かれている量の半分にしたらちょうどよくなった。で、伸ばしてソースを塗ってチーズを乗せて、その上に乗せる具はそれこそお好み次第。で、今回はネギとエノキとソーセージ。その理由=冷蔵庫ん中にたくさんあったから。余熱したオーブンで15分焼いてる間はお風呂タイム。出たら香ばしいピザが焼き上がっている……はずであった。さあ、食べるぞ。オーブンから出して、おおっ、たちあがる香りのなんともおぞましいこと!なんだこりゃ。えのきが悪いのか?ネギとの相性が悪いのか?炒めたら美味しいのになぁ。以上、結果報告。まずかったらちゃんと言っとかなきゃ。二次被害を防ぐためにも。

わびさびは中世・ルネサンス音楽に通じる?

2018-04-21 21:27:25 | 音楽
まず、前回の記事の続きから。「ド」=「~のような」に対してでっかい文字で「異議ありっ」と書いたが、とりようによっては変でないと思った。「ド」を言語的な意味で言うなら「Dominusのド」であって「~のようなのド」とするのはおかしい(「~のような」は「ut」である)。しかし、「ド」を音の高さとして捉えるなら、「~のような」の「ut」に付けられた音であるということで、「ド」=「~のような」の式が成り立つ。ということで、異議は撤回します。異議の申立てと同じ大きさの文字で撤回をした。新聞やテレビも誤報をした場合は、こっそり訂正するんではなく、ちゃんと同じスペースをさいて撤回をしてほしい。さて。年度が変わってわが家ではだんしゃりを断行中。対象は法改正前の法律書だとかダブって録画したDVDとか。かなり捨てたがそれでも本箱の二列目だとか扉の裏だとかに積んであったやつを処分したに過ぎず、まだまだ減らす余地はありそう(利息を支払っても元本が残っているイメージ)。しかし、CDやダブってないDVD(BD)は決して捨てない。これを捨ててしまったら、自分のこれまでの人生を否定するようなものだから。そのCDだが、最近はネットでひっぱってきて聴くのが主であんまり聴いてないのだが、この際、古楽のものをすぐ引っ張り出せるように並び替えよう。そうだ、年代順に並び替えよう。ということで、一番端に来たのがマショーのノートルダムミサ。その右にはデュファイ、オケゲム、ジョスカンといったメジャー級が並ぶ。例えて言えばウィーン古典派のハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンといったあたりか。

すると、さしずめパレストリーナはその人工的な甘美さゆえRシュトラウスに例えられよう。さて、ルネサンス後期からシュッツまでの間に登場するのが、まずイタリアのガブリエリ父子、そしてヒエロニムスとミヒャエルの二人のプレトリウス。日本での知名度ではミヒャエルだろうが、断然お奨めなのがヒエロニムス・プレトリウス。いずれ、シュッツを歌う会で絶対とりあげるつもりだ。そのシュッツのCDコレクションはかなり某大。それをここで披露するつもりはないが、「ダビデ詩篇曲集」のタイトルには胸が躍る。これも人数が増えた会で絶対歌いたいものだ。

私のCDコレクションの自慢はシュッツとJSバッハの間にある。シュッツの後、バロック中期のブクステフーデ(うちにメンブラのCDがあったことをすっかり忘れていた。もっぱらネット(ナクソス)で聴いてたから)、そしてマイブームであるヨハン・シェレ!で、いよいよバッハだが、バッハはバッハでもJSバッハではない。JLバッハ、つまりヨハン・ルートヴィヒ・バッハ。この人はバッハより7歳年上の縁戚だというが、かなり気に入ってCDを買い集めた。

で、バッハの子供達を経てウィーン古典派、ロマン派と時は進んでいく。しかし、この流れを音楽の「進化」と呼ぶことには断固反対である。「進化」というとその前が未熟のように聞こえるが、そんなことは絶対ない。今日放送されたブラタモリでも京都の東山文化(わびさび)について余分なものをとことん排した文化であると言っていた。そう。ごちゃらごちゃらしてるから偉かったり、時代が後へいけばいくほど偉かったりということは絶対ない。スターウォーズだって、舞台は「a long time ago」である、つまり、遠い昔に現代の地球より遥かに進んだ文化がしかも他の銀河系に存在してたのだ。さて、ブラタモリでは今日の放送からタモリさんと一緒にぶらぶらするアナウンサーが新しい人になった。音楽を勉強された方だそうだ。番組のゲストからも「がんばって」と声をかけられていた。乞うご期待である(ってNHKの台詞か)。

ドレミのドの意味(チコちゃんに異議ありっ)

2018-04-21 11:17:56 | 音楽
「チコちゃんにおこられるよ」(NHK)で出題された問題=「ドレミのドの意味は?」。お茶の間の私はブラウン管に向かって(正確にいうと、「液晶画面」に向かって)、「音階の主音のイタリア語表記」と解答。だが正解は「ド」=「~のような」。そのココロは、聖ヨハネ賛歌ってぇのがあって、その聖歌の各フレーズの頭の音をピックアップして並べたものが今でいうドレミファで、で、各音に付けられていた歌詞のアルファベットが「Ut Re Mi Fa So La Sa+Io=Si」だった、だから音階は「ウト、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」と呼ばれるようになった、というのだ。で、発音しにくい「ウト」が後年「ド」に代わったというのだ。その「ウト」(Ut)は「~のような」の意味。だから、「ド」=「~のような」である、さぁ、歌いましょう、♪ドーは、「なになにのような」のドー……というのだが……異議ありっ。「~のような」は「Ut」の意味であって「Do」の意味ではない。「Do」の由来についてはNHKからは一言も説明がなかったが、多分「Dominus」(主)であろう(そう書いているサイトもあった)。だったら「ドは『なになにのような』のド」というのはおかしい。正しくは「ドの元のウトは『なになにのような』のウト」又は「ドはドミヌスのド」ではないか。という枕話からうちにある古楽のCDの話に続けようと思ったら枕話でいっぱいになってしまった。本題は別の機会に。

猫にだってセクハラはだめ

2018-04-21 09:04:34 | 
セクハラにあたるかどうかは相手の承諾(推定的承諾を含む)の有無がポイント。だから、福山雅治やキムタクがやればセクハラにならなくとも、そこらのおっさんがやるとセクハラになる(と、女性弁護士がテレビで熱弁)。まあ、当然のことだ。要は、相手のいやがることをしてはいけない、ということだ。このことは猫に対してもあてはまる。猫にセクハラしたって訴えられることはないから関係ない?大間違い。訴えられなくともいやがることをしたら猫に嫌われる。猫に嫌われる人生ほど寂しいものはない。だから、撫でるときだって常に猫の気持ちを思いやらなくてはいけない。私んところは、手で撫でることについては合格点のようで、向こうから撫でてと催促するし、撫でるのをやめるとウニャー(もっとやってよ)と怒られる。気を遣うのは顔をおしつけてすりすりするときだ。間違ってはいけない。すりすりするのは私の方である。相手が人間だったらえらいことになる(油がつくーっと怒鳴られる……どころでは済まない)。猫だって、場合によるとえらいことになるのは同じ。至近距離で爪でひっかかれたら血を見る。だから、テーブルの上でもこもこのお腹を上にしてくつろいでるケメ子にそーっと顔を寄せ、くっつく寸前で止めて様子を見る。で、ケメ子が「いいわよん♥」という顔をしているのを確認して(推定的承諾を確認して)、そのとき初めてすりすりさせていただくのだ(これが気持ちいいんだからー♪)。逆に、猫はおかまいなく私にすりすりする。推定的承諾を見越しての行動だ。事実、猫にすりすりされてうれしくないときなどない。

実年齢

2018-04-20 16:13:13 | 

うちのお嬢達は9年前の7月の時点で生後2か月のふれこみだったから、もうじき9歳になる。人間の歳にしたら何歳なんだろう。と思ってかかりつけの動物病院のサイトを見た。えーっ?65歳?一気に私を超えた?いまいち納得がいかない(猫には長生きしてほしいので、なるべく若くいてほしい)。ので、別のサイトを見る。すると52歳。急にえらく若くなった。私よりだいぶ下だ。いろいろ見ると、65歳説と52歳説に分かれるようだ。いずれにせよ、ときどき二にゃんで追いかけっこをして元気だからそれでよしとしよう。まあ、みかけの歳は関係ないかもしれない。人間だってわっかい65歳がいれば、しょぼくれた52歳もいるもんね。私は65歳と52歳の間くらいであるが、えてするとしょぼくれそうになるが、その都度、いかんと思って胸をはって早足で歩くようにしている。

恋に落ちて

2018-04-20 06:55:51 | 日記
朝ドラ(半分、青い)の昨日の回で、ヒロインの弟が「恋は、するものではなく落ちるもの」と言っていた。なるほど、言い得て妙だ。高校生の台詞とは思えない。そこには、自分の意思ではどうにもならないという意味がこめられている。民法の偉い先生も、法律行為(財産権に関する法律行為。例えば売買)は、合理的、打算的、選択的であるが、身分行為(例えば婚姻)は、非合理的、性情的、決定的である、と述べておられる。「赤い糸」という表現がぴったり。ダメンズばかり選んでしまうのはそのせいだろう(なかには売買と同様に理性的に相手を吟味している人もいるかもしれない。え?そっちの方が普通?)。「恋に落ちる」からもう一つ、道路にあいた穴に落ちることを連想した。これは危ない。身の破滅に通じる。すると、「恋」というものは「避けようもない、身の破滅に通じる事故」であって、これがケルビーノの問い(フィガロの結婚)に対する答である。「嘆きの天使」(映画)でも、老教授はマレーネ・ディートリヒが演じる踊り子にいれあげて破滅してしまった(古い話で恐縮ですが)。映画と言えば、「恋に落ちて」というのがあった(メリル・ストリープ&ロバート・デ・ニーロ)。不倫映画の代表格だそうだ。たしか、亭主が「浮気でなく本気だった」と言ったら奥さんが「もっと悪い」と言ったんだっけ。原題は「Falling in love」。邦題と違って名詞句である。「イン」が2回出てくる。だから「フォーリン・ラブ」では足りない(それだと「fall in love」だが主語が必要。あっ、命令型にもなるか)。この映画の前の不倫映画の金字塔は「逢い引き」(合い挽きではない)なのだそうだ。こっちはラフマニノフの音楽がよく知られている。さて、朝ドラに戻る。高校生の弟にそのような格言を言われたヒロインだが、登校途中に横を通りすぎた自転車の青年が何か落とした。それを拾って青年に渡そうとする。振り向いた青年の容姿が「微妙」って……この後の「アサイチ」で、新MCの博多華丸大吉さんが、「微妙と言われたお子さんの親御さんの気持ちを思うと」「彼にも輝かしい未来があることを信じたい」。この朝ドラ受けには共感しました。それにしても、うまい具合に青年のポケットからこぼれおちたものだ。あれって、細いひもがついてて、横でスタッフが引っ張ったのかな。淀川長治さんに扮した小松政夫さんの作り眉毛がぴくぴく上下するのをみて(ひもで引っ張ってる)、そう思った。