拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ソロ・コーナーで歌う二重唱

2018-07-31 10:28:31 | 音楽
なんと涼ちゃんさんが別れ話を切り出した(半分、青い)。だから無理しちゃだめなんだよ。映画界復帰の話が来たとき無理矢理戻りたい気持ちを封じこんだから、それがたまって爆発したに違いない。世の中、うまーく折り合いを付けてやっていかねば(「どの口で言うか」との声が聞こえる)。さて、今度の土曜日は歌いまくる会である。曲はBWV18。このカンタータでいよいよヴァイマール時代に突入。本格的なレチタティーヴォが初めて登場する。合間のソロ・コーナーも自由だからね。何歌ってもいいんだからね。このブログを今読んだ方、あなたは既に会員です、みんなで歌おうバッハとソロ!(悪徳商法の誇大広告のようでもある。ただし、「ブログ読んだ」と言っても会費は割引にはなりませぬ。といってももともと安い会費だし。その日の人数によって違うが千円を超えたことはない。500円を切った日もあった)。因みに、ソロ・コーナーは、文字通りのソロのほか二重唱(や三重唱)でもよい。これはこれで楽しい。曲を決めたら相手探しをする。人妻や人の夫に手を出せるのは……もとい、堂々とプロポーズできるのはこの会と中世フランスの貴族社会くらいである(プロポーズの内容が違うが)。だが、プロポーズは自由であるが、断られるかもしれない、あるいは「この人は自分のパートナー」と思ってた人が他の人と組んでがっかりするかもしれない。そのあたりのことについては、主催者は責任をもちかねます。刃傷沙汰なんてことになったらなおさら責任はもてません。予めご了承下さいませ。思い出した。中学高校時代にたまにフォークダンスをすることがあって、踊り始めに相手が見つかってないと輪に入れない。私、高1のとき誘った相手に断わられてトラウマになってたら、高2のとき、後輩の女子に手をひっぱってもらって輪に入れたのであった。

バッハ・セミナーのマタイ第二部を聴く

2018-07-30 07:02:21 | 音楽

今年のバッハセミナーは、マタイ受難曲の第二部。1年前、第一部を聴いてブログを書いたのがつい昨日のようだ。チコちゃんに言わせると、時が経つのが速いのはときめきがないからだというが、私はときめいてますよ、いろいろと、だけどあっという間に時間が過ぎる。で、去年同様二階席で聴く。合唱は両側の屋根の下で、この席にはマイルドな間接音(バイロイトと同じ?)……だけど、さすが終曲はがつんと来ました。参加者の思い入れでしょうか。ソロを聴くにはもってこい(真っ正面)。そのソロ、例によって、一曲を何人かで分担する。ソプラノなど、同じ曲を9人で歌ってた。だから、一人一人の持ち時間はほんのわずか。その短い時間でも個性の光ること!皆さん、積極的でいいですねー。なんか私のやってる歌いまくる会のソロ・コーナーを思い出しました(そこもみんな積極的ですよー、とすかさず宣伝)。全体として、てきぱきとした進行。ソロを受け持つ人たちが前の曲でスタンバイしている。その人たちの多くは知り合い(知り合い率=高。終演後、ご挨拶できなかった方々、失礼いたしました)。とにかく楽しめました。ちょうど、4月にKMCでマタイを歌ったところだったし。一つ、おっ♥と思ったこと。ソロを歌った人の中で、「Jesu」を「ヒエーズ」と発音する人がいた。私、ゲーテ・インスティトゥートの発音クラス(講師は声楽家)で、ドイツ語の「J」は「ch」の有声音だと習っていて、たしかにドイツ人のヤ行にはヒが入る。例えば、クラスに「ヨシ」と呼ばれていた吉田さんがいたのだが、先生がヨシさんを呼ぶとき「ヒヨシ」に聞こえて、私、てっきり「ヒヨシです」だと思った(ヒロシとヒヨシをかけました。綱島の隣駅ではありません)。そのことを思い出して、おおっ♥となったわけでした、はい。

重曹

2018-07-29 08:41:21 | グルメ

ニシンの話を書いたので、グルメネタ(B(C)級グルメネタ)つながりで、私の毎朝の主食のインスタント・ラーメンの話。ラーメンを茹でる鍋は毎朝写真のように「ぶくぶく」になる。これは重曹を入れているから。インスタント・ラーメンを「お店のラーメン」にするアイテムの一つとして重曹が紹介されていたので実践しているのである。たしかに麺がもちもちになる。いったん話が変わる。シンクの排水口の清掃グッズとして通販で紹介してたのが小さい袋。それを排水口に入れて水をかけるとあぶくがぶくぶくわいてきて、何もしないで排水口がきれいになるというもの。私んとこ、しょっちゅう排水口がつまり、その都度掃除をしてるもんだから、これに飛びつきそうになった。が、結構なお値段。躊躇してたら別の情報(ここで話が戻る)。排水口に重曹をまいてお酢をかけるとあぶくがわいてきて、それで掃除ができるというのだ。で、思い出したのが毎朝の光景(写真のぶくぶく)。なるほど、たしかにぶくぶくする。「賞味期限の切れたお酢があれば理想的」?ありますとも、やまほど。これはいい話を聞いた。うまくいけば例の商品代が浮く(買う気になったものをあきらめると、その代金分だけ儲けた気になる)。今度実験してみよう。因みに、写真であそこまでぶくぶくになるのは卵を入れているせいもある。重曹だけだとあそこまでにはならない。

ニシン漁

2018-07-29 08:11:34 | グルメ

スーパーで生のニシンを丸々一匹120円で売っていたので1尾購入。「ベートーヴェンはニシンの酢漬けが大好きだった」というのをどっかで読んで以来、ニシンをみると捨てておけない。ここまでは半年前に書いた記事のコピペである。ここからが違う。あのときは、酢漬けに挑戦したことを書いたが、今回は塩焼きである。だいぶ大きい。食べ応え十分でかなりお得である。実は、私の辞書には「冷凍保存」というワードはなかった。だから半額セールで買ったものを1週間後に食べるときなど結構命がけであった。最近ようやく人並みに凍らせることを覚えたので、総菜から何まで冷凍庫にぶちこむ。写真のニシンも長らく凍っていたのだが、ようやく食卓に登場とあいなった。ニシンといえば、今再放送してる「まっさん」に風間杜夫さん扮する元ニシン長者が登場する。半年前にはそのこともネタにしていて、「そういや、朝ドラの「マッサン」には、ニシン漁で大儲けして御殿を建てたがその後ぱったりニシンが来なくなって屋敷を手放した人が出ていた。ニシンってそういう風に来たり来なかったりするのかぁ。だからカモメにさえも聞きたくなるのかぁ」と書いている。今回はもう少し智恵が付いた。ニシンは来たり来なかったりを繰り返したあげく、その後さっぱり来なくなった、だから現在昔のようなニシン漁は存在しないそうだ。たしかに、どこでもかしこでもニシンを売ってるというわけではない。だが、近所のスーパーの店先にはときどき並ぶ。輸入物なのだろうか。ソーラン節のカモメについてももう少し考えてみよう。「わたしゃ立つ鳥波に聞け」という。これは、これから飛び立つんだから(海を渡って来たわけではないから)ニシンがどこにいるかなど知らない、ということでよいのだろうか。

あのオーボエ兄は今頃どうしてるだろう

2018-07-28 09:31:08 | 音楽
今朝の三部作の締めである(承前)。ミサソレのリズムは複雑。例えば、4拍子の4拍目で「アー」と入って2拍目で「メン」と歌ったり。「複雑なリズム」で思い出したこと。ブラームスの交響曲第1番の第2楽章の中間部、弦が「ンパーパ、ンパーパ」と弱起で刻む上に乗っかるオーボエは普通に強拍で出る。ここ、オーボエは確信を持って吹かないと、下手に弦を聞いたりすると弱起につられてボロボロになりそう。実際にボロボロになったのを聞いたことがある。40年前(もう、どの話も古くてすみません)、いろんな大学のプレーヤーが集まった選抜オケをスイトナーが振ってこの曲を演奏したことがあった。で、見事に(意味は逆)件の箇所でオーボエがこけて(弦に乗っかり損なって、自信がなくなったのか演奏を放棄した)、会場にはうつろに「ンパーパ」だけが響く。そのうち、みんながどこをやっているのか分からなくなり不協和音だらけになった。万事休す、演奏は中止か?と思ったが、スイトナーは止めない(こういう難しい曲は、「世界的大指揮者」より、いちにいさんと拍をきちっと振ってくれる指揮者の方がアマチュアにはありがたいいのかもしれない)。そのうち、確信をもって弾く勢力が増してきてなんとか軌道修正に成功し、聞いてる方も、一事はどうなることかと思ったが、ほっと一安心であった。で、その演奏が後日NHKで放送された。件のボロボロの箇所ももちろんノーカットで。で、番組は終演後の楽屋の様子も映していてヴァイオリンだとかクラリネットのお兄さんが「やっちゃったねー」と笑顔で談笑するかたわら、真っ青な顔のオーボエ兄は無言。人生終わったくらいの落ち込みよう。そりゃ気持ちは分かる。自分のせいで演奏が台無しになりかけた、しかもNHKが撮ってる。サッカーのワールドカップでオウンゴールをして自国が負けたような気分だろう。だが、そんなに悲観することはない。長い人生、いろんなことがある。この失敗も彼の人生においては意味のあるものであったに違いない、と秋風先生なら言っただろう。どこのどなたかは存ぜぬが、多分私と同年配、今頃、どこかの社長室で、昔こんなことがあったんだ、がっはっは、と笑い飛ばしているかもしれない(そうだったらいい)。ということで、この三部作、「半分、青い」で始まって「半分、青い」で完結(循環成功)。こういうところにささやかな喜びを感じる私である。

アカペラのミサソレ

2018-07-28 09:28:23 | 音楽
ということで(本日の三部作の二作目)、昨日のA合唱団のミサソレの話。昨日も新しい方に何人か参加していただいて、音が格段に厚くなった。ありがたいったらありゃしない。団員以外の方で、私が練習日程をお送りしている方は現在18名。練習にはなかなか皆さんがってわけにはいかないが、本番当日、一同に会したらすごいことになりそうだ。ところで、昨日は指揮者もピアニストも遅れるということだったので、不肖私が音頭をとってアカペラでキリエを歌ってみた。おっ、わりといい!みなさんはどう感じたか分からぬが、アカペラ出身の私としては幸せな音体験であった。念のために言っとくが、私はA合唱団は「出戻り」であって、故に末端団員である。ここの練習と通唱会が重なったら通唱会に行くような人間である。人集めをしているのは、民法でいうところの「事務管理」である(事務管理とは義務がないのに人様のために仕事をすること。本来は義務がないのであるが、事務管理を始めた以上は投げ出してはいけないという決まりになっている)。じゃあ、なぜ、昨日は偉そうに前に出て発声とアカペラの指揮をしたのかというと、以前、同じような状況になったとき、ここで会計をやってるソプラノのSさん(一番の古株で、故に一番偉い人の一人である。この人が団長になれば何事もすっきりするのに、と思う)に、あんた、指揮者かピアニストが来るまで発声をやってよ、と言われてやったことがあって、このときのSさんの「お墨付き」が今でも有効だと思っているからだ。そのミサソレ、シンコペーションのリズムが複雑なところが多い。それに関した話は、しかし大分分量が多くなったので、次にしよう(もう書いてあるのですぐアップする)。

誕生日

2018-07-28 08:23:10 | 日記
え?「今日産みたくない、明日生めば聖夜の子だから」ってことは、「今日」は12月23日かい?じゃあ、「今日」お産みなさいませ。で、晴れて生まれたスズメの子の誕生日は、今上陛下のお誕生日と同じであり、グルベローヴァの誕生日と同じであり、そして私の出生月日と同じである。因みに、グルベローヴァと私は干支も同じであり、彼女の歳は常に私の歳に12の整数(1~)倍を乗じた歳である(これが私の最大の自慢である)。さて、今日の「半分、青い」で、ブッチャーがリツの近況に触れて「(奥さんと)うまくいってないみたいだよ」とボソり。私は一瞬のこの発言を聞き漏らさなかった(他の台詞はあんまりよく聞いてない(ぼそぼそ言う人が多いからあまり聞き取れない)が、こういう台詞には過剰に反応する)。さらに、来週の予告の中にリツの顔が一瞬。おおっ、私がこっそり期待している展開(カヴァレリア・ルスティカーナ的展開=色恋による刃傷沙汰)に向きつつあるのか。映画をあきらめたはずのりょうちゃんさんが映画の世界に戻りそうな雲行きだし……これはよい。いちど「やめた」と言ってもそれに拘泥する必要はない。私だって、A合唱団は出戻りである。ということで、A合唱団の昨日のミサソレの話はこのあとすぐアップします。

みんみんぜみ、三色旗、はっさい先生

2018-07-27 08:51:17 | 日記
ミンミンゼミの啼く季節になった。今年のミン君も概ね5拍子であるが(みーんみんみんみん)、たまに「みーん」+「みん」4つのときがある。これは6拍子とみるべきか(みーんみん、みんみんみん)、2拍子+4拍子とみるべきか(みーん、みんみんみんみん)は問題である。切る位置は重要だ。例えば、トリコロールだって「トリコ・ロール」と切ってしまうとなんかのロール菓子みたいで決して「三色(旗)」のこととは思えない。そうかといって「トリ」の次で切ったとしても、「とり・ころおる」では殺虫剤の姉妹品みたいでやはり「三色」には聞こえない。やはり「トゥヒコホー」と言ってもらわにゃ。以上は最近まで「トリコロール」=「三色」を知らなかった言い訳である。なんで知ったかというと、トリコロールブルーって馬がいて、あれ?そういえば「トリ」は「三」だよな(イタリア語のトレからの連想)。コロールはカラーだよなってことでいきなり気づいたのであった。「ホ」といえば、「半分、青い」の主題歌で「歌を歌おう」が「歌『ほ』歌おう」に聞こえるのは私だけ?おっ、期せずして(?)朝ドラの話になった。りょうちゃんさんが「金輪際」と言ったので「弱音を吐かない」とか言うのかと思ったら「映画をやめる」だって。すずめ同様私もブラウン管(古い。ホントは液晶である)のこちらで「お口あんぐり」である。このドラマの登場人物の夢はことごとく潰える。でもその方がリアルである。因みに、売れっ子作家を演じた若村麻由美さんはかつての「はっさい先生」である。このドラマで覚えてるのは新婚初夜のシーン。新婚夫婦がもじもじしてなかなか一つ布団に入らないのだが、意を決した夫役の渡辺徹さんが「先生、すみません」とか言って若村さんを布団ごと自分の方にだーっと引っ張り寄せる。そのときの「きゃっ」という若村さんの表情が面白かった。

「パーマネントはやめましょう」(戦中の話)

2018-07-26 08:28:30 | 日記
結局、元住吉監督はユダにはならなかった……いや、裏切ったが飛び降りは未遂だった。これ以上言うことはないから話を変える。新婚旅行は貧困旅行。それだけ。話を変える。あっかんべーは赤目。これは「チコちゃん」で仕入れたネタ。チコちゃんと言えば(ぐずぐず言ってるうちにネタが見つかった)、なんで歳をとると一日があっという間にすぎてしまうのかの問いに対して、それは「ときめきがなくなったから」と言うのだが。疑問。退屈な時間ってなかなか進まないじゃん。えー、まだー?って感じで。それに対して楽しい時間はあっという間に過ぎる。だから逆のように思えるのだが。この話もこれでおしまい。以上は短編である。この後は少し長い。最近、夕方のカーネーションにちっともお目にかからない。国会だぁ、相撲だぁ、高校野球だぁといろいろ重なるせいだ。そのカーネーションの糸子は戦後になってパーマをあてた(こっちではパーマを「かける」だが、「あてる」というのは関西の表現なのだろうか。因みに、「マッサン」のエリーは夫を見送るとき「行って帰り」という。これは広島特有の表現だそうだ。「いってらっしゃい」だと「もう帰ってこなくていいからね」が送り出す側の心中に潜んでいるかもしれないが、「行って帰り」と言った以上は、ちゃんと迎えてやらねばならぬ。だいぶ脱線した。戻る)。その糸子のパーマのかかった髪型がサザエさんそっくりなのだ。いや、サザエさんに似てるというより、当時、パーマをかけた人がみんなああいう髪型になって、それがサザエさんに反映されたのだろう。長谷川町子といえば、「さざえさん」「いじわるばあさん」「エプロンおばさん」が有名だが、私の実家に「エプロンおばさん」の単行本があったので、私はこれが一番身近。その中の「戦中」の話に「パーマネントはやめましょう」という貼り紙がしてあるシーンがあった。読んだ時はまだ子供で意味がよく分からなかったが、まさに「カーネーション」にそういうシーンがあって(おしゃれは敵だという風潮になって、八重子さん(隠れファンが多いことが判明)が商売道具のパーマ器を泣く泣く軍に供出させられた)、そうか、そういうことだったのか、と初めて分かった次第である。「カーネーション」を見てると、ホントに戦争は嫌だな、と思う。そういえば、こないだ第2回が放送された「この世界の片隅で」も今戦争まっただ中であるが、その中に米屋のさゆり(ホントは米子)が出てた。顔では分からなかったが(私の脳の顔認証システムはかなりこわれている)、声で分かりましたさぁ(米子は「ひよっこ」の登場人物である)。

元住吉監督はユダ!?

2018-07-25 13:49:23 | 日記
弟子のユダは師匠であるイエスを裏切った後、後悔に苛まれ首を吊った。師匠である元住吉監督は、弟子のりょーちゃんさんを裏切った後、後悔に苛まれ橋の上から飛び降りた(んだろうか?)。明日の放送が元住吉監督の遺影で始まったりしたら、これはもう朝ドラ史上かつてない展開である。実は飛び降りた先が50センチ下だったとか、はたまた通行人にとりおさえられたとか、いや、ありうる。スズメとマサトくんのKußだってまさかの未遂に終わっていた。そう言えば、今日の放送で出てきた映画監督の名前、岩井俊三は岩井俊二だろうし、北野たけのりは北野武であろう。北野武は北野隆にした方がよりしゃれててよいと思ったが。それから、主題歌の合間の配役紹介で、楡野すずめがいつのまにか森山すずめになっていたのが少し寂しい。私は「楡野」の方が愛着(3か月間の視聴で培われた愛着)があって好きである(だいたい、りょうちゃんさんの名字(=すずめの新しい名字)が「森山」だなんて知らなかった(興味がなかった))。因みに、私は別姓婚に賛成である。民法が改正されて別姓婚が認められたら再婚相手を探す所存である(今、思いつきでいっただけ)。あと書き忘れたことなかったっけ。そうだ、「元住吉」という名前は、私は最初の二年間、大学に東横線で通っていたのでなじみ深い。私のイメージでは、「元住吉」=「武蔵小杉の一つ手前」である。当時、「武蔵小杉」は「ムサコ」などとは呼ばれていなかった。今ではゴジラ上京の通り道にもなり、すっかりメジャーである(ゴジラはメジャーな街しか歩かない)。

窓の外の人影(パニクる猫たち)

2018-07-25 09:03:22 | 日記

マンションの外装工事もいよいよ終盤。足場の解体が始まった。当初、足場が組まれて始まった作業を室内から見た風景は異様だった。うちは上階。「窓の外の人影」はスパイダーマンでなければあり得ない。それが現実のものとなったのである。猫などは驚天動地とばかり逃げ惑った。そういえば、工期の途中で風呂場のガスがつかないときがあった。ちょうど湯沸かし器が10年経っていて取り替え時だったため、いよいよ壊れたか、物入りだからただちに交換というわけにはいかない。今銭湯っていくらするんだろう、まてよ、いま建物全体をシートで覆ってるよな、そのせいかな?と思ったらそのせいで、シートが取り外されたらガスもまたつくようになった。しかし、本当に工事人の方々にはご苦労様である。なにしろこの殺人的な暑さの中の作業である。その工事人の方々のおしゃべりの中から中国語が漏れ聞こえてきた。近所の別の現場ではアフリカ系の方もいらした。ほんとに人手不足なんだなー。外国人の方々に頼らなければ人手が確保できないんだなー、とあらためて。そういえば、大好きなサ○○○ヤも人手不足なのは明らか。ちょっとした人数で行くと、空いてる席があちらこちらにあるのに待たされる。片付ける人がいないのだ。ある練習場の近くの店などは店員さんのほとんどが外国人であった(ちゃんと客の注文のヒアリングができるのだから感心する)。ドイツもそうだったなぁ。町のレストランの給仕は大概外国人だった。ちょっと話を戻して。近所の現場のアフリカ系の作業員に日本人の作業員が、「こらぁ、ゆっくり動くんじゃないよぉ、走るんだよぉ」と怒鳴っていた。これはパワハラではないか?と思った。因みに、私が新入社員の頃、先輩社員のパワハラは当たり前だった。と言っても、私が所属された課の先輩方は課長さんをはじめ優しい人ばかりであったが、他の課にガーガーあひるのようにいちゃもんばかりつける先輩がいた。でも、私が結婚したときご祝儀をくれから、そのときはいい人だと思った(ゲンキンな私)。

グレ子の伴奏譜

2018-07-24 11:04:26 | 音楽

グレ子(糸を紡ぐグレートヒェン)の伴奏譜の入力完了。再生ではなく、移調譜を作るのが目的である。こうやって原調で作っておけば、あとはピポパで好きな調のピアノ譜ができる。で、某会のソロ・コーナーで歌うという算段である(歌えたらの話であるが)。例によって手入力。でも、同じ音型がたくさん出てくるからコピペでかなりの部分をまかなえる(一音だけ違うといったフェイントがあるから気は抜けないが)。それに、読んで歌いながら入力するから、曲のお勉強にもなる(まさに一音一音ずつのチェックである)。ミサソレのクラはぽしゃってしまったが、そのためにクラのパート譜を作ったことが楽譜作成ソフトの扱いのスキル上昇につながった。「人生無駄はない」が「半分、青い」のキーワードだと思っているが(秋風先生がそう言っていた)、賛成である(それにしても、元住吉監督の背信行為。これすらもすずめたちにとって貴重な人生の一コマになるのだろうか。因みにこのドラマにはイケメンがもう一人登場するらしい。よくぞここまでイケメンを連れてくるもんだ)。それにしても、すごい音楽である(グレートヒェンの話に戻っている)。ピアノ伴奏だけでもそのすごさは十二分に感じられる。後半の転調の連続は「未完成」を思い出した。さて。グレ子と言えば、昔、キンちゃんの番組に「クロ子とグレ子」のコンビが出ていた。若き日の小堺一機さん(クロ子)と関根勤さん(グレ子)である。お二人ともお子様が活躍してるって、もうそんだけ月日が流れたのだなー。だが、私がグレートヒェンを「グレ子」と呼んだのは、関根勤さんとの関連ではなく、「Gretchen」=「Gret」+「chen」で、「chen」は「小さい」を表す接尾語だから「子」あたりがいいんでないかなー、と思ったからだ。因みに「chen」がつくと中性名詞である。女性より男に近い。私がグレートヒェンを歌うには都合のいい事実である。

柴又散策(社宅の今を探す)

2018-07-23 08:30:53 | 日記

北総線が高砂に通じてると聞いて以来、白井の帰りに高砂に行こうと決めていた。高砂は思い出の地である。新卒で会社に入ってから1年間は松戸の独身寮、23で結婚して、4年間は高砂の社宅住まいだった(社宅に入れてくれなきゃ結婚をやめると言い張って、当時の支店長の計らいで社宅に入れた話は前に書いた)。その社宅のあたりがどうなってるか見たかったのだ。ということで、白井駅で羽田空港行きに乗る。途中トンネルがある。松戸丘陵だろうか(松戸の東側って小高い丘陵続きだよね)。トンネルを出るとすぐ江戸川。ふむ、地理がつかめてきた。もう少し北で常磐線が江戸川を渡り、さらにその北でつくばExが渡っているのだな。江戸川を渡るとすぐ高砂。懐かしい。最後にこの駅を降りてからもう30年以上経っている。社宅にはたしか北口を降りて通りに出たら左に向かってまっすぐ歩いたんだよな(と体が言っている)。で、10分くらい歩いて小道を左に入るんだがよく覚えてない。距離的にはこのあたりかってあたりで小道に入って前を見ると、おおおおーっ、つきあたりの風景に見覚えあり(脳の記憶の一部が反応)。

たぶん、ここだ。で、少し歩いて、ここらへんに社宅があったはず、だがそこに今あるのはこぎれいなマンション。違ったか。いや、建物の建ってる位置、そして中庭の位置関係は昔のまま。間違いない。ここだ。会社が土地をうっぱらってマンションが建ったのだろう。むべなるかな。私が入居した当時、既に築うん十年で、毎夜畳の上をアリが行進していた。当時、なんてぼろいところに住まわせるんだと憤慨したが、すみません、若気のいたり、今思えば家賃は月に5000円。ここに住まわせてもらったおかげで今の自分があると言っても過言ではない(このあたりの話はこないだ某会の飲み会でしゃべり尽くした。飲ませればなんでも吐きますよー)。さて、社宅の今を探すという目的は達した。せっかくだから帝釈天に行こう。このあたりの地名は葛飾区柴又である。途中、金町線の踏切を渡る。単線である。これも懐かしい。子供の頃お世話になった横浜線が中山まで複線になったのは私が大学生のときである(その日、駅で複線化記念行事をやっていて、室内合唱団のクラブノートにそのことを書いたのだから間違いない)。

帝釈天の参道には寅さんで有名な団子屋さんのほか、有名な魚料理のお店がある。
ここに住んでたとき、一度行こうねと言ったまま行かずじまいで引っ越してしまった。理由は?そりゃ、あんた、私にかいしょがなかったからですよ。で、S先生を囲む会の次回以降、ここはどうかと思って、既にS先生に打診済みである。S先生からは飲めればどこでもいいというありがたいお返事をいただいている。
その後、江戸川っぺりまで行った。あの炎天下の中を、である。私は、結構丈夫である。音楽愛好家っぽくないという話もある。

で、柴又駅からさっきの金町線に乗って金町経由で返ってきた次第でごんす。そうそう、ちょっと時間は戻りますが、絵的にはまったく見せられるものではないが、これも思い出。

高砂駅の階段。通勤に毎日上り下りした階段であるが、ある日、寅さんこと渥美清さんと山田洋次監督とすれ違ったのがこの階段である。ということで、最後、柴又駅前にある寅さんとさくらの銅像の写真で今回の話は打ち止め。


白井の第九

2018-07-22 18:40:11 | 音楽

第九を聴きにきた。北総線に乗るのも白井の地に降り立つのも初めてである。そうか、ここが芸術家があまた暮らすという白井の郷(さと)か。たしかに空気が違う(気がする)。酷暑にもかかわらず白井のホール(いいホールと評判)は満員御礼。熱波の中、まさに熱演であった。合唱は、曲が進むにつれてどんどん乗ってきて。二重フーガで沸点到達。「ガーンツェーンヴェールトゥ!」って歌う顔、顔、顔の楽しそうなこと。第九ってやつは歌う人も聴く人も元気にするらしい。オケもそう。私、最初「アマチュアのオケを聴く楽しみ」に浸ろうと思って来た。おみそれいたしました。素晴らしい音であった。特に集中して聴いたクラリネットは、魔弾の序曲と第九でトップが入れ替わったが、第九のトップを吹いた女性の音のきれいでよく通ること。しかも、吹く時ゆーらゆらと絶妙に体が揺れて、それを見るのがなんとも心地良い。見入って聴き入ってしまいました。第三楽章などはイントロから最後までクラの独壇場だったし(私にとっては)。あんまり注意して見てたんで、長い休符のときにクラをお掃除している様子もしっかり拝見した。真っ赤なスワブ(管の中を通す布)でしたねー。ソリストの中ではアルトの谷地畝さんがすごかった。普通、第九のアルトのソロって音が低いから目立たないんだけど、深い素晴らしい声がばんばんきましたよ、客席に。とにかくもりあがった第九でありました。そうそう、開演前に、ロビーで合唱からの選抜クァルテットが歌を聴かせてくれました(ドイツ学生の歌……でしたっけ)。よかったですよー。コンサートへの期待をいやがおうにも高めてくれました。帰り道、ホールと白井駅の間はグレートヒェン・タイム(炎天下の中、ほとんど人が歩いてないんで歌いやすかった)。で、再び北総線に乗り、高砂に向かう。目的は「思い出の地巡り」だがその話は次回に。あっ、後から写真を見て気づいたこと。白井ってそろばん博物館があるんだ!