拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

いつまでも~

2020-03-31 21:42:28 | 音楽
先ほど「オーケストラがやったきた」(昔のテレビ番組)のことを書いたらついでに書いときたい話がずらずら出てきたので今日のうちにやっつけておく(明日は明日の風が吹く(明日は明日のネタがある))。この番組の主題歌はヨハン・シュトラウスの「常動曲」。指揮者が「おしまい」と言わない限り最初に戻っていつもでも続く曲である。もともとオーケストラの曲だがそのメロディーに「おーけーすとらがー、やってーきたー」という歌詞が付けられていた。その常動曲をコンサートのアンコールで演奏したのがベーム指揮のウィーン・フィルの来日公演。演奏が続く中、おもむろに客席の方を向いたベームが日本語で「いつまでも~」と言い、客席から笑いが起きておしまい。このとき、もし、一緒に歌おうと呼びかけるドミンゴに対する日本の聴衆のように客席が無反応だったらさぞや寂しいことになってたろう。因みに、ウィーン・フィルは、ベームと来る前にも他の指揮者と何度か来日しているが、あまり真面目に弾いてないというもっぱらの評判だった。ベームと来る直前は日本ではまだ無名だった若きアバドの指揮だったが、テレビで聴いていたら、アンコールの「青きドナウ」で、ヴァイオリンの中で繰り返しを忘れて一人だけ先に行っちゃった人がいた。シャンパンでもひっかけてたのだろうか。さすがにドクトル・ベームが指揮となると、そんな不真面目なことができるわけもなく、お陰様で超名演のオン・パレードであった。ヨハン・シュトラウスと指揮者の日本語といえばこの話も欠かせない。クライバーがバイエルン国立管弦楽団を振った来日公演で、これもアンコールだった、クライバーが客席に向かって日本語で「こうもり~」と言ってそれこそシャンパンのようなはじける序曲が始まった。この夜の公演はNHKでも放送されたからテレビで見た人も多かったろう。このときの公演は、日本中がまちに待ったクライバーであったが、思わぬ「事件」も起きたものだ。私は東京の全公演を聴きに行ったから目撃したのだが、初日(テレビカメラは入っていなかった)のアンコールは放送された日と同じ二曲。そのうち「こうもり」の方は、収録されたときとは違ってクライバーは「Die Fledermaus,Ouvertüre」とドイツ語だった。問題はもう一曲の「雷鳴と電光」。だいたいクライバーは挨拶の後、振り向きざますぐタクトをおろすのだが、この日はそれがいっそう速かったのか、慣れてるはずのオケが間に合わず、最初の「ジャン」が鳴らなかった。それからテレビ放送の前にFM放送があったのだが、聴いてたら、途中で「ぶちっ」って音がしだして、最初はウチのチューナーのせいかと思ったのだが、どんどんひどくなっていって、とうとう「ぷしゅ~」って感じで音がなくなってしまった。放送事故である。その日はそれで番組打ち切り。後日、FM雑誌に「クライバーの気難しのせい」みたいに書いてあった。そんな馬鹿なことがあるかいな。放送局の悪口を書けない大人の事情を感じたものだった。

音楽の泉

2020-03-31 11:31:54 | 音楽

「音楽の泉」(NHKのラジオ番組)のMCを長らく務めてらした皆川達夫先生が同番組から引退されるという。私がこの番組をよく聴いていたのは中学生の頃。当時は今のようにYoutubeでいくらでもクラシックの音源を聴くことができる時代ではなく、クラシックを聴ける番組は貴重だった。テレビでは「N響アワー」「題名のない音楽会」。山本直純さんがMCの「オーケストラがやってきた」もあった。「オーケストラが……」でよく覚えてるのは、第九の出だしをストリップに例えた山本さんをその日ゲストだった小澤征爾さんが「ちょっと」と言ってたしなめたこと。そして、これはもうちょっと後だったか黒柳徹子さんと作曲家の芥川也寸志さんがMCを務めた番組もあった。黒柳徹子さんは当時「ザ・ベストテン」のMCもやっていて、相棒の久米宏さんに「芥川さん」と呼びかけて、久米さんが「私は芥川さんではありません」と返したこともよく覚えている(へんなことばかり覚えている)。芥川さんはTBSラジオで野際陽子さんと「百万人の音楽」のMCもやっていて、いつもはスタジオ収録なのだがたまに公開収録があって、そのとき芥川さんが「私はこういうところでしゃべるのは苦手。友人の黛敏郎は得意」と言って笑いをとっていた(題名のない音楽会のMCをしてた黛さんを意識した発言であった)。あと、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を「ベトコン」と言って、これも受けていた(当時、ベトナム戦争がまだ記憶に生々しかった)。苦手と言いながらよくお話になるじゃんと思った。ラジオと言えば、ほかに後藤美代子アナがナレーションを務めた「オペラアワー」(この番組の話は何度も書いた)、そして「音楽の泉」である。珍しく、FMではなくAMで放送されていた「音楽の泉」を私が毎週聴いていたのは前記のとおり中学のときで、当時のMCは村田武雄さんだった。初代のMCは、かの堀内敬三さん。堀内敬三さんがMCを務めた放送を聴いたことはないが、しかし、私んちにはこの方が同番組でした解説をまとめた単行本(1~5巻)があった。第1巻の発行は昭和28年、第5巻でも発行は昭和30年であり、さすがに私が生まれる前である。それどころか、両親の結婚前である。父は独身時代にこの本を買ったのだろうか。番組で使用したレコードも紹介していて、ボエームは25面とある。片面3分のSP盤だから全曲となると25面かかるということだ。ミミがロゼッタ・パンパニーニ……うーん、さすがに全然知らない。で、この本であるが、父がどのくらい好んで読んだかしらないが、小中時代の私の愛読書であった。印象的な話の一つ。メンデルスゾーンについて、その音楽を甘すぎるという批評があるが、それは一つの面しか見ていない幼稚な見方である、その音楽には人間の美しい魂を現すような気高さがあると断じてらっしゃったこと。甘すぎるという批評はたしかに当時多くの大人が言っていた。そういうことを言う人は大体ベートーヴェンやバッハをもちあげて、返す刀でメンデルスゾーンの悪口を言うのだが(音楽の先生もそうだった)、そんななか、堀内敬三さんの解説にはへーっと思ったものだ。私はベートーヴェンもメンデルスゾーンも好きである……というか、そもそも嫌いな作曲家が思いつかない。ところで、この古い本を最近引っ張り出して見てみたら、いたるところに私の書込みがある。なんかの曲のメロディーである。

そう、この頃、私は、テレビやラジオで流れてきた音楽で気に入ったものがあると、その音を即座に近くにあった紙に書き付けていた。レコードの再生機である電蓄(電気蓄音機)が壊れていてLPの再生ができなかったので、こうしてメモったものを後から歌うのがレコードの再生の代わりだったのだ。この貴重な名著もその被害にあったようで、鉛筆だったらまだしもマジックで書くなどと言った野蛮なことをよくこの少年はしたものだ。だが、マジックだったおかげでは今その「落書き」を鮮明に読むことができる。だが、読めてもなんの曲だか分からない。いったい、当時の私はどういう曲に感動してメモを残したのだろうか。二分音符と八分音符があるところを見ると三拍子、ワルツかなー。過去に戻って当時の私と一緒に聴いてみたいものだ(バック・トゥ・ザ・フューチャー)。

身をもって日本中に警告を発してくれた志村けんさん

2020-03-30 11:20:36 | 日記
私はコロナに感染していた志村けんさんは絶対回復されて日本中に勇気を与えるくれるものと信じていたが、逆に、その死をもって、いまだ生ぬるい空気が漂っていた日本中に警告を発して下さった。とてつもない衝撃である。都知事の自粛要請の後も散見された集団お花見もこれでなくなるだろう。もし日本がオーバーシュートを免れることができたら、それは志村さんに負うところが大きいと思う。今の日本人の多くは志村さんと言えばバカ殿様やしむら動物園なのだろうが、私にとって志村けんと言えばドリフターズ、ドリフターズと言えば全員集合。初めて志村さんをテレビで見たのも半世紀前の「全員集合」だった。「なんだ、馬鹿野郎」で有名な荒井注さんがドリフターズを脱退して、代わりに加入したのが志村さんだった。始めの頃は受けなかった、とWikiにあるが、それはたしかであった。ブレイクしたのは東村山音頭。何番かまであって、何番かによって丁目が違っていて、最後は「一丁目」。股間に白鳥の頭を付けて「いっちょめ、いっちょめ」と叫んでいた。あと、「七つの子」の替え歌も大受けだった。「カラスの勝手でしょー」と歌うところでは会場の子供達がマイクが拾えきれないほどの大声で唱和していた(ドミンゴのリサイタルで、ドミンゴがアンコールでときどき会場に向かって一緒に歌おうと呼びかけるが、日本の聴衆はほとんど無反応。子供の頃のこの無邪気さはどこに消えたのだろう。いや、日本どこでもの話ではない。九州のお客さんは大声で「乾杯の歌」を唱和していた。そのドミンゴもコロナに感染したという。容態が気になる)。荒井注さんは脱退した後も「全員集合」に出たことがあって、志村さんに、「お前、もう一回おれと入れ替わろうよ」と言って笑いをとったのを覚えている。それにしても、志村けんさんは、コメディアンという前情報なしにその写真のお顔を拝見すると、まるで大学教授の風格である。お父様は教師をされていたそうだ。遠い遠い芸能界の方であるが、その訃報に接し真に悲しかった。志村けんさんのご冥福をお祈りします。

笑点を見る日曜日

2020-03-29 18:52:04 | 日記
このところ日曜の夕方は笑点を見ている(というか、見ることができている)。笑点も無観客である。スタッフがお客さんの代わりに一生懸命笑っていた。相撲も競馬も無観客。NHKののど自慢は番組自体が中止でさだまさしと泉谷しげるが生放送でしゃべっていた。出演者相互の距離をもっととってくれと言ったらカメラにおさまらないからダメと言われたそうだ。それで思い出した。日曜朝の某情報番組は、MCと偉い先生方とリポーターが円テーブルを囲んでいるのだが、MCと先生方の座席がゆったりしているのに比べてリポーター席がきつきつで非常にヒエラルキーを感じて好かなかったのだが、今日はどうだったのだろう。感染の危機を訴えるんだったら当然リポーター席の間隔も開けるべきだと思うが今日の放送を見ていなかったのでなんとも言えない。その点、笑点の後の情報番組では出演者間の距離を十分とっていた。そのコロナであるが、感染当初の症状として、食べ物の味や匂いが分からなくなる人がいるそうだ。「味が分からなくなるというよりも、鼻の中の匂いを感じるセンサーがやられるので、風味が分からなくなるというのが正しい」とどこかのお医者さんが言っていた。なるほど。ついこないだ、NHKの「食の起源」で、人間は進化の過程で鼻と喉がつながり、食べた物の匂いが鼻腔にいくようになって風味を感じるようになったと聞いたばかりである。そのことを思い出した。だが、みんながみんなそういう症状が出るわけではないらしい(前出のお医者さんは、どこかの国では患者の15%、ドイツでは3分の2の患者さんにその症状が出たので間をとって4割と言っていた。結構アバウトだと思った)。しかも、花粉症でも同じ症状が出るので、風味が分からなくなったら即コロナ、ということでもないようだ。それから、この病気にかかると倦怠感が出るそうだが、これだって酒の飲み過ぎで肝臓が悪くなっても、または失恋してうつ病になっても倦怠感を感じるというから、これも感染の決定的証拠というわけではなさそうだ。ホントはこの土日、一歩も外に出ないつもりだったが、明日食べるパンがなくなったので、朝スーパーに行ってきた。売り切れてたら粉から自作するつもりだったが、おおっ、山ほどある。米売り場も同様。さすが足立区民!小池さんの自粛要請の後1,2日はすかすかになる棚もあったが今は冷静である。逆にあまのじゃくの私などは物を買ってたまるかって気分になっていて、この機会にストックしてあった食材で賞味期限切れのやつを消費しまくる気運である。

巣ごもり中はピザ作り

2020-03-28 21:29:30 | グルメ

「春一番」はもともと死をもたらす恐ろしい強風を意味していたのが、今のような、春のさきがけを意味する好ましいイメージになったきっかけがキャンディーズの「春一番」だと言うのだから(チコちゃん情報)、キャンディーズの社会に与えた影響はかなりのものである。それでも、スーちゃん、ランちゃん、ミキちゃんと聞いてピンと来ない世代が多くなったことはさびしい限り(時の移ろいを感じざるを得ない)。さて。さすがに某区の施設から使用自粛要請がきたとなれば、歌いまくる会の例会もA合唱団の練習も中止にならざるを得ない。実際、都知事の自粛要請はインパクトがあった。これまで自分は大丈夫と思っていた人も感染による発症又は人に感染させるリスクを実感したようで、A合唱団などは、合唱団と言いながらも隣との距離は3メートルはゆうに確保、足立区の公園よりももっと人口密度が低い団体でありながら、練習の中止が決まった後は、いっときもここにいてたまるかと言わんばかりに皆一目散に帰っていった。そして、その後に起きたのはスーパーでの買い占め。なんで人々が買い占めに走るのかよく意味が分からなかったが、食料品の買い物ですら禁じられると思った人たちが物品確保に走ったようだ。情報番組のMCらは「規制する側は、スーパーのお買い物は大丈夫ってことも言うべき」と熱弁を振るっていたが、そこまで国民は子供か?そんなことぐらい言われなきゃ分からないのか?分からないのかもしれないなー、現に買い占めが起きてるんだからなー。そしたら翌日東京都も「食品のお買い物を規制するわけではない」ってアナウンスをしていた。ほんとにご丁寧なことだ。で、近所のスーパーの様子だが、パンが完売。パスタも高級品を除いて完売(高級品を除いて、というあたりがうちの近所らしいところ)。ふん、パンやパスタがなくても私んとこは大丈夫だよ、粉があれば自分で作るから、と思ったら粉(強力粉)も完売。えーっ?ここいらへんで、粉からパンやパスタを作る人って、売り場が空っぽになるほどいるの?いるらしい。薄力粉があるのに強力粉が売り切れてるということは、明らかにそういうことである。とにかく困った状況である。私んとこのストックはわずか。それを使いきった頃には在庫が補充されていることを祈ろう。パニックは直におさまるだろう。現にそのスーパーに併設されているホームセンターでは朝一番に行けば一時買えなかったトイレットペーパーが山積みになっている(夕方に行くと空だからまだまだパニックはおさまっていないようだが)。ということで、現在家にある粉で作ったピザが今夜の夕食。巣ごもりの間はピザ作りに精を出すつもりである(愛を断念したアルベリヒはラインの黄金ではなく、自家製ピザに命をかけることにした)。と言っても粉があればの話だが。

いちゃいちゃするんじゃねーよ(鳥をやっかむ人間げのない大人)

2020-03-27 10:39:27 | 日記

鳥にやっかむ大人げない人間(人間げのない大人)。一昨日、逗子に行く道すがら足立区の公園の桜の樹にきていた鳥をズームで撮って後から見たらいちゃついてる二羽の鳥達(複数の場合は「達」を付けずにはいられないのは外国語の影響)が写っていて、思わずつぶやいた台詞が今回のタイトルである。もともと撮りたかったのは、桜の花をついばむ鳥の姿である。

この鳥はなぜ桜の花をついばむのか、そもそもこの鳥はなんと言う鳥なのかは知る由もない。因みに、今控えることが要請されている「不要不急の外出」とは、何の用事もないのに外をぶらつくことだという。すると花見なんかはその最たるものになりそうである。そこに、「人生を見直すため」という目的が加わっても外形的客観的には変わりがない(からダメだろう)。もっとも、花見の名所で行列を作ってする花見と、ガラガラの足立区の公園でする花見では感染の危険度には天地の差がありそうである。

もうじき新年度

2020-03-26 12:01:23 | 日記

以下、昨日の出来事である。もうじき新年度。旧年度中に自分自身の総括をしたい。4月から仕事的にもプライベートでもどう生きるかじっくり考えたい。そのためには逗子海岸に行かねばならぬ。なぜ逗子海岸?分からない。しかし、ラドン(欧米ではロダン)だって燃えさかる阿蘇山に戻らなくていいのに戻っていって最期を遂げた。因みに、ラドンが炎の中で片翼をぱたぱたさせるのは撮影中に偶然ワイヤが切れたためである。それがいとももの悲しいシーンを生み出した。幸い、今日(昨日)は全国的に一日中晴れだという。このあと暖かくなってくるともやがかかるだろうから、当面逗子海岸から富士山を見る最後のチャンスになるだろう。ということで、決死の覚悟で逗子行きを決行。これこれこの景色(冒頭の写真)。こんな具合に江ノ島の向こうに富士山が見えるのだ。海岸は人もまばら。さすがのコロナもここにはいそうもない。で、海岸沿いにあるイタリアンに入ってランチを頼んだ。ランチ!ちょっとお高そうな店でもリーズナブルにいただけるというランチという単語はしかしながら私の辞書にはなかった。そう、これまで逗子に来るのは夕方。海を見たその足で飲んだくれようという魂胆だったから。しかしそうした魂胆は過去のもの、今回着いたのは昼時だからランチにありつけた。メインは石窯で焼いたピザ。おおっ、こういうお店のピザも丸くないぞ。変な形でいいんだ!そして頼んだワインがグラス一杯のみ!写真のフレームの外にでっかいデカンタがあるなんてインチキはしていない。

昨夜のブログで「今日はグラスワイン一杯のみ」と書いた一杯がこれである。ホントに私は私だろうか。同じ肉体に別の人格が宿ってたりして。次に合唱団や歌の会で私に会った人は、清純に生まれ変わった私を見て驚愕するかもしれない(昨日一日、私の頭髪はベートーヴェンであった)。ランチの後、葉山まで足を伸ばし、日の出ているうちに足立区に戻ってきたら、夜、小池都知事の記者会見。結局生き方の見直しはできずじまい。そう簡単にはできないよな。こういうときは旅先で寅さんに出会わなければならない。「よお、お嬢さん、お一人かい?訳ありのようだけどあっしでよければ話を聞こうじゃないか」と声をかけられて、あたし、寅さんと会ってほんとに良かったわ……設定が間違った、私はマドンナではなかった。まあしかしパートナーの募集はやめよう。「ラ・コメディア・エ・フィニータ」の訳は「茶番は終わった」がふさわしい。因みに、私がヴァーグナーの「ニーベルングの指輪」の登場人物の中で一目を置いているのはアルベリヒである。ドワーフ族の王であるアルベリヒは、愛の悦びを断念する代わりにラインの黄金を手に入れる。なかなかできることではない。そして、この物語の中で唯一最後まで生き残るのはアルベリヒである。

ケーキ・バイキングの帰りにオペラに行ったり

2020-03-25 22:10:25 | 日記
よく思い出してみれば、大学在学中に大酒飲みになったのではなかった。中酒飲みだった。1989年(卒業後、8年経過)の時点でまだケーキ・バイキングに行ってるし。なんで1989年という年を覚えてるかというと、このケーキ・バイキングで動けなくなるまでケーキを食べたその足でウィーン国立歌劇場の引越公演の「ランスへの旅」を聴きに行ったから。この「ランスへの旅」は、この公演でも指揮をしたアバドが「発掘」したオペラで、「珍しいだけでたいした曲ではない」と言った批評家もいたし、CDも買ったがあまり真面目に聞いてなくて、大して期待していなかった。だからケーキ・バイキングを事前にセッティングしたのだろう。そういうわけで満腹で聴いた「ランスへの旅」であったが、終演後、私はこのオペラこそロッシーニの最高傑作だと思うようになっていた。いや素晴らしかった。溌剌としてるし、きれいだし。マテウッツィのハイE(!)にはどぎもを抜かれた。かのカバリエも出ていたし。あまり感動したので、同じ公演をもう一度聴きに行ったくらいである。脱線した。何が言いたかったかというと、1980年代はまだ私は中酒飲みだったと言うこと。それが大酒飲みになったのは1990年代のある夏のことである。異常に暑かったその夏、私のビールの消費量が一挙に倍になり、そのときから私の人生は狂い始めた。もし、あの夏が猛暑でなければ私の人生はもうちょっと平穏なものだったかもしれない。その私は、今回、本当に生まれ変わったのだろうか。今日もグラス・ワイン一杯で済んでいる。いまや冷蔵庫はビールではなく、ケーキで埋まりつつある……って、誰も見ないと思って随分大げさなことを言っている。それでも、ロールケーキがなくなった後の備えとしてチョコロールが冷蔵庫に入っているのは本当である。あやうく草餅も買うところだった。このままケーキが酒にとって代わるか?だが「三つ子の魂百まで」「雀百まで踊り忘れず」という格言がある。これと反対の意味の格言は……思いつかない。そう言えば、NHKの「食の起源」の再放送、今日は私にとってタイムリー!お酒の話であった。人間は進化の過程で、食べ物不足の時代に発酵した果実を食べられるようにお酒を分解する遺伝子を手に入れた、だが、稲作が広まった地域(日本を含む)で、水辺にはびこる病原菌をアルコールの分解過程で発生するアセトアルデヒドで殺すべく、アセトアルデヒドを分解できない遺伝子を持つ人が主流になったという話はなかなか興味深かった。二日酔いの原因であるアセトアルデヒドがなんかの話で善玉扱いされてた覚えがあって、なんだっけと思い出せないでいたのだが、病原菌をやっつけてくれてたのか。そう言えば、海賊だってとりこみようによって貴重な国家の戦力になったものである。

美しい人妻はご夫君とラブラブ

2020-03-24 22:12:23 | 日記
つい数週間前までは毎夜大酒を飲んでいたが、それでも朝は野菜たっぷりのラーメン、昼は自家製漬物付きの納豆ご飯を食べていた。だからといって大酒の毒を相殺することはできないが(種類が違うものの間では相殺はできない。例えば金銭債務を労働債務で相殺することはできない)、かなり体によい食生活を送っていたわけだ。それがこのたび故あって酒量が激減。食生活が今まで通りなら毒がなくなって栄養だけが残ったところだが、人生そううまくは転がらない。最近、朝はトーストにお紅茶、昼はロールケーキ、お腹がすいたらチョコレートとまるで女子高生である。毒とともに栄養も去りぬ。なぜこうなったか。思うに、食べることも活力のいること。以前の私の体には24時間アルコールが常駐していてそれが活力を生み出していた。それがきれいさっぱり抜けてしまったものだから食べる活力も失せてしまったのだろう。今の私は寝てばかり。猫もびっくりである。しかし、これではいかん、どうにかしないとと思っていたらHさんが指折りの情報を下さった。Hさんのご夫君は、Hさんの命により、週三日禁酒日を設けてらっしゃるそうで、飲まない日はやはり食卓でお眠りになるそう(ほーらね)、だが、飲んでいい日はずーーーっと飲み続けてらっしゃるそうだ。これだ!このオンとオフの切り替え、飲む日はとことん飲む、飲まない日は寝る、このアクセントが体調を維持しながらかつストレスをためず活力を産むに違いない。ほんとにいい情報をご提供いただきました、Hさんありがとうございます。と思うのと同時にあらためてHさんご夫婦のラブラブぶりを見せつけられた感じである。ほーら、A姐さん、お分かりになった?私の周りの人妻さん達はこんな風にみんなご夫君とラブラブなのですよ!いえね、某合唱団でご一緒のA姐さんは、とっても弟思いでかつ弟に輪をかけたファンタジーの世界に生きる方(妄想家とも言う)。私が「少しブログを休む」と書いたときも、私がブログに「美しい人妻」のことをよく書くもんだから、すわっ一大事、きっとイージマさんが手を出した人妻のご夫君が包丁持って殴り込んできたに違いないと大層心配して下さったんだって。A姐さんの「想像の翼」はさすがの私でもついていけないほど(お仕事柄?)。でも、心配してもらえるだけありがたいです、はい。

チョコパフェ

2020-03-23 19:38:14 | 日記
母のペースメーカーのチェックは半年前から決まっていたことだがこのご時世。病院に連れていっていいものかどうか悩み、病院にざっくばらんに聞いてみた。すると、「ウチは内科ではなく(循環器専門)、患者の体温も測ってるから大丈夫」と言うので連れてった。たしかに、病院の入り口に「番人」がいて母も私も体温チェックを受ける。へー、体温計をおでこにピッとあてるだけで体温が測れるんだ。一般用に売ってんのかな?でも高いだろうな。で、母を施設に戻してその帰り、施設の入り口の張り紙に気づく。面会が原則禁止になっていた。へーえ。病院に連れてくとかでなければ本来母んとこに行っちゃいけなかったんだ。どうりで部屋の中の職員さんと私との交換日記(?。あれが足りないから買えとかそういうことが書いてある)がなくなってたと思った。おさまることのないコロナ・ショック。だが、コロナ以外で亡くなる人の方がずっと多いという議論もある。風呂場で亡くなる方も相当多いそうだ。ある程度の年齢の人が酒を飲んで風呂に入ってはいけないのだそうだ。でも、亡くなる本人はどうなんだろう。ほろ酔い気分でいい湯に浸かって……死に場所を選択できるんだったら悪くない気もする。だが、現在の私にその可能性はない。たった1週間の禁酒だったが明らかに体質が変わった。なんとお酒よりもケーキが食べたい今日この頃である。おおっ、思い出した。大学生時代の前半(大酒飲みになる前)、よく喫茶店に行ってチョコレート・パフェを食べていたっけ。大酒飲みになった後も、和菓子は朝ドラ(「あすか」。オーボエで奏でる主題曲が美しかった)の影響で食べた時期があるが、チョコレート・パフェは間違いなく40年食べてない。食べてみようか。注文できるだろうか。チョ、チョ、チョ……と口ごもったあげく、チョーヤの梅酒とか言ったりして。そうだ、例の募集要項を変えて、「ウィーンに一緒にトルテを食べに行く人」にしてみたら手を挙げる人が現れるだろうか。いや、やめとこう。どうしたって、ウィーンに着いた途端「ヴィーナー・シュニッツェルに白ワイン」って言い出すだろうから詐欺になっちゃう。酒量もいずれ戻るだろう。だが、戻る曲線をなるべく緩やかにしたいものだ(どこかで聞いた台詞)。もうじき4月。4月になる前に新年度の自分の生き方をまじめに考えようと思ってたがもう時間がない。酒量が減ったらとにかく眠くて眠くて、まるで猫である。猫は、寝てばっかしなので、眠る子が縮んでネコになったと言った人がいたっけ。

こんにゃく座の「にごりえ」(斉藤晴彦さんの思い出も)

2020-03-22 17:42:39 | 音楽
オペラシアターこんにゃく座の「オペラ塾」の終了公演を聴いてきた。某合唱団でご一緒しているNさんが「オペラ塾」の塾生になり、その終了公演に出られるというのがきっかけである。演目は「にごりえ」。樋口一葉の「にごりえ」「十三夜」「大つごもり」を一つにした台本に萩京子さんが曲をつけたもの。いやぁ、よかった。堪能した。アリアなんてのはなく、音の付いた台詞が延々と語られ(歌われ)ていく。つまり、全編レチタティーヴォである。ドイツ語の「ヴォツェック」、フランス語の「ペレアスとメリザンド」のような……いや、わざわざそうした「洋物」を比較に出す必要はない。これはれっきとした、日本語を活かした世界に誇れる日本のオペラだ。音のレンジが狭く、抑揚が抑えられているところも日本語の会話らしい。薄幸な人々の運命がいったいどうなるんだろう、とはらはらしているうちにあっと言う間に2時間の上演時間が過ぎ去った。塾生の方々が歌に演技に熱演。あれを暗譜するのはさぞかし大変だったろう。稽古も相当されたという。伴奏は、ピアノにヴァイオリンとチェロ一台ずつで、全体をかっちり支えていた。みんなが素晴らしかった。こうしたクリエイティヴな活動は本当にすごいと思う。尊敬する。因みに、Nさんは明治時代の着物姿がいなせでかっこよかった。今回聴きにいったきっかけはNさんだったが、実は、私、1980年台(20代)にこんにゃく座の公演に足繁く通った時期がある。当時、首都圏のオペラは片っ端から行っていて、ちらしで知ったこんにゃく座の「フィガロの結婚」も、こんにゃく座がどういう団体だか知らなかったが迷わずチケットを購入。そしたら、会場のホールが小劇場風(というかもろ小劇場)でオケ・ピットもない。ピアノに管楽器を何本か加えた編成で伴奏をするらしい(通唱会の楽器よりも小規模)。不安がよぎってきた。えらいものを見せられるのではないか。で、いよいよ開演。登場人物が無言で入って来たと思ったらおもむろに例の序曲を口三味線で始めた。「ビチビチビチ……」(その後の「歌詞」(序曲に付けられた)も40年近く経った今でもはっきり覚えているが、とててもここには書けない)。そうこうするうち、他のメンバーとは明らかに風体の異なる異様な人物が現れものすごいダミ声で「序曲」に加わった。ほんとに「えらいもの」を聴かされている。そして、いつしか私はその「えらいもの」に夢中になっていた。舞台に置かれた半円形の物体から人物が出入りする演出も秀逸だったし、例の「異様な人物」以外は声楽科出身で歌は素晴らしかった。しかし、私を虜にしたのはなんといってもアルマヴィーマ伯爵を歌ったその「異様な人物」、斉藤晴彦さんだった。斉藤さんは早大出身のアングラ演劇をやられていた方で、こんにゃく座には客演。そのダミ声で歌われる演歌調の歌は、どうやら観衆全員を味方にひきこんだらしく、第3幕の伯爵のアリアの速い三連符を見事に歌いきったときは、やんやの大喝采であった。その後、斉藤晴彦さんは、テレビのCMには出るわ、笑っていいともには出るわであっと言う間に「クラシックの替え歌を歌う人」としてメジャーになり、とうとう東京文化会館でソロ・リサイタルまで開かれた。行きましたよ、もちろん!♪ワーレサって言ったらだーれさ、ワーレサって言ったらかーれさ……耳に残ってますなぁ。これ何の曲の替え歌だか分かる人いる?大ヒント:ショパン。その後、こんにゃく座はだいぶご無沙汰したが、今回素晴らしかったので、座員による本公演も聴きたくなった。ちらしを見たら、「末摘花」ってオペラをやるそうだ。えー?末摘花がオペラになったらどうなるんだろう。ちらしには末摘花を「たぐいまれな容姿」と形容していた。まあ、それも間違いではない。「たぐいまれ」もいろんな意味があるからね。作曲が寺島陸也さんというのもそそるところだ。9月だけど、いこっかな。

トーストとお紅茶(こうもりのお奨め盤)

2020-03-21 08:55:07 | 音楽

逗子海岸を久しぶりに歩いたのは一昨日のこと。足立区では晴れてたので富士山が見えるのではないかと思って(それと、私は節目節目に逗子に行きたくなる。この日は、翌日に禁酒明けを控えた重要な節目であった)。だが、逗子に行くのはいつも賭けである。2時間半の距離がある。着いたら曇ってたってことがしょっちゅう。一昨日もそうだった。おまけに冷たい風がぴゅーぴゅー。いったいどこに春が来てるんだ。だが、江ノ島方向(その背後に晴れてれば富士山が見える)の空はうっすらと明るい。もしや奇跡が起きてぱーっと晴れて富士山が見えるかもしれない。そしたら一生禁酒を続ける、と心に誓った。すぐさま後悔。富士山より酒がいい。奇跡が起きる前に早々に海岸を後にし、めでたく翌日(昨日)禁酒明けとなった(自分で立てた誓いに縛られるところは、ヴォータンと同じである)。1週間の禁酒であったがずいぶん体質が変わった感じ。いつもは朝歯磨きをするとききまってウゲーとなっていたのだがならない。それから、毎朝ラーメンを食べていたのだが、重い感じがしてやめることにした(酒は復活したがラーメンをやめた)。で、どうなったかというと、トーストとお紅茶。なんとなくこの組合せにしたくなって、朝からコンビニに行って「お紅茶、お紅茶」と探し回った。ふと、なんで「お紅茶」と「お」を付けるんだろう、そんなにハイカラか?と思ったが、考えてみれば、日本茶だって「茶」と言わずに「お茶」という(「お酒」もしかりである)。「お紅茶」を「紅茶」と言ったらそれは逆差別である、という思いに達して「お紅茶」で通すことにした。で、1週間ぶりのお酒はどうだったかというと、ボトルのお替わりをすることなく(それでもボトルをたのんでる。まあ、一人じゃなかったし)、さっときりあげることに成功。これは画期的なことである(お店にとっては売り上げ減だからいい話ではないだろう)。装いも新たにして「お酒に弱いイージマさん」の登場である。乞うご期待!話が変わるが、「こうもり」の通唱会はまだスレを立てていないのだが、一部では既に過熱気味なほどもりあがっている。某さんなどは、空き時間に所属合唱団の練習曲を練習しないでこうもりの練習をしている。たのもしい限りである。他のみなさんもよろしくね。超楽しいから。いやなことは全部ふっとぶよ。で、お奨めCDであるが、アーノンクール盤。理由は、好みもへったくれもない、カットがないからである。カラヤンのもベームのもクライバーのもカットがある。CDに合わせて歌い、あるいは楽器を演奏してると、あれ、どこに行っちゃったの?って場所がいくつかある(今度の通唱会では第2幕のバレエを除いてカットはしない)。しかし、アーノンクールは原点主義だからカットがないだろうと思ったら大当たり。しかも、歌手はグルベローヴァにボニーである。悪いわけがない。

もろもろの春(die Harus)

2020-03-20 10:57:22 | 音楽
もろもろの春についての雑感。「もろもろ」と言えば(早速脱線)、シュッツやバッハが音を付けている詩編19は「もろもろの天は神の栄光を語り継ぐ」で始まる。ドイツ語のテキストは「Die Himmel erzählen die Ehre des Gottes」。このどこが「もろもろ」か言うと、複数形の定冠詞「Die」、それと動詞の語尾が「en」であること、これだけである(Himmelは単複同形)。日本語には冠詞の概念がないので、「もろもろ」でもって天が複数であることを表すわけだ。ほかに方法はというと、名詞の語尾に「達」を付けても複数になるから、「天達は……」も文法的には可能だが、なんか変だし、ワイドショーで長いことお天気コーナーを担当されている気象予報士さん(あまたつさん)のようでもある。因みに、「お友達」が複数の場合はやはり「お友達達」が正しいのだろうか。ようやく本題に戻る。もろもろの春についての雑感であった。その1。ベートーヴェンの「春」。ヴァイオリン・ソナタの第5番。現在こっそり練習中である。その2。ヴィヴァルディの「四季」から「春」。中学んとき「イ・ムジチの四季」がブームで、予備知識ゼロで町のレコード屋さんにレコードを買いに行った。イ・ムジチの録音が初回録音(ソロ=アーヨ)と再録音(ソロ=ミケルッチ)の二種類があって、店主には初回録音を薦められたが、再録音の方にはおまけでスコアが付いていたのでそっちにした。帰宅し、一通りスコアを読んでイメージをつかんでから針を落とすと、テンポが予想したものと全然違う。アレグロなのにずいぶんゆっくりだ。そうか、アレグロは「元気に」ってことでかならずしもメトロノーム的に速いとは限らないんだな、と子供ながらに思った。この頃、レコードにおまけでスコアが付いてることがあって、リゴレットの全曲盤にも付いていた。こうしたものは私にとって貴重な教材であった。その3。ハイドンの「四季」から「春」。ヴィヴァルディの四季のことを書いたんでこっちも書いとかなきゃと思って。去年2回演奏した。1回目はA合唱団のレパ会で歌い、2回目は通唱会で吹いて弾いた。ついで。ハイドンの「天地創造」にも冒頭に掲げた「Die Himmel」が出てくる。その4。シューマンの「春」(交響曲第1番)。春らしくて好きである。その5。メンデルソーンの「春の歌」。小学生んとき家にあったレコードを聴く装置=電蓄(電気蓄音機)が壊れていて、LPを聴くことができない。だからもっぱらSP(78回転)を聴いていた。片面が3分で終わる。そのときの愛聴盤の中に弦楽用に編曲した「春の歌」があった。最近、普段伴奏で妙技を聴かせてくださっているピアニストの先生がコンサートでこの曲を弾いて、私は感慨無量だった。その6。ストラヴィンスキーの「春の祭典」。私は、冒頭のファゴット・ソロを口三味線で歌うのが得意である。♪ドー、シドシソミシラー…… その7。童謡の「春の小川」。理由は分からないが、この曲を聴くと異次元の世界にスリップした気分になる。題名は忘れたが子供の頃読んだ冒険漫画(湖の中の浅瀬を上手に伝って対岸に渡りつくシーンがあった)と妙に頭ん中でリンクする。私にとって特別な童謡である。その8。「春はあけぼの」。清少納言の枕草子の中で唯一知っている句。そんなぐらいだったら書くな?不思議と「春」で連想したら真っ先に浮かんだので。その9。「ハルウララ」。113連敗した競走馬。きりがないのでここまで。その9で終わるのもベートーヴェン・イヤーだからよいだろう。なお、タイトルのHaruにsを付けたのは、ドイツ語では外来語の複数形の語尾にsがつくことが多いから。

「朧月夜」は弱起~「悲惨な別れ方を語る会」を仮想して落ち込んだ件

2020-03-19 10:24:38 | 音楽

こないだ手賀沼に行ったときあちこちに菜の花が咲いていた。思わず「♪なのはーなばたけえに」と口ずさんだが、この歌なんて題名だっけ。「菜の花」?私などこんなレベルである。便利な時代だからググってすぐ「朧月夜」ということが分かった。これからは夕方菜の花を見たら空を見上げて朧月が出てるかどうかたしかめよう。因みに、この歌は三拍子で三拍目から始まる(弱起)。が、試しに、1拍目から始めてみた。そのまま歌えてしまった。ヨーロッパの歌はこうはいかない。弱起の曲を1拍目から始めると途中で字余りならぬ音余りになる(イタリア国歌で試してみたまえ)。そうはならないところが日本的である(無理矢理弱起にした感がなきにしもあらず)。さて。いっとき、お友達がFBで離婚報告をしたとき多くの人が自分もそうだと名乗りを上げた。私も船に乗り遅れれまいとすぐさま手を挙げた。このたび、バツイチ又は悲惨な別れ方をした人を募集してみたら、これまた多くの方からわれもわれもと名乗りがあった。「悲惨な別れ方」と言っても、能動受動の別で3つの分類ができる。その1。ひどい方法で相手をふったことで今でも気に病んでいる。その2。ひどい方法でふられた傷が心に残っている。その3。ローズ家の戦争パターン。すなわち、血みどろの喧嘩をして別れた。その傷が心にも体にも残っている(おおこわ)。このうち、1を言う人はあまりいないだろう。人間、相手にしたことよりもされたことの方が心に残っているものだから。このようなパターンがあるとして、こうした体験を人と語り合いたくなるのはなぜか。一つは、語ることによって(あるいは書くことによって)、事態を客観視し、もやもやした心中がすっきりするから。そうか、そういうことだったんだと納得し、反省すべきは反省し、諦めるべきは諦めがつく。もう一つは、自分のようなみじめな、あるいはもっとみじめな人が他にもいるんだという安心感が得られるから。これは、親のボケ自慢にも通じる。よそのうちの親も自分とこと同じかそれ以上にぼけてることを知ると、苦労しているのは(貧乏くじをひいているのは)自分だけではないと思って少しは気が楽になる。これと同じである。よし、そういう飲み会(悲惨な別れ方を語る会)を開こう……今、頭の中で開いてみた。私が告白(架空)をしたときのみんなの反応。「ばっかねー、そんなことしたらふられるに決まってるじゃない」「あんたなんか女に一生もてないわよ」「人間やめた方がいいんじゃない?」「アル中!」……いっそう落ち込んでしまった。どこが「安心を得られる」だ。こんな会絶対やるもんか。こんな妄想したおかげで今日一日立ち直れそうもない。一つ気休めを。その昔、黒柳徹子さんと渥美清さんがNHKで共演していた頃、みんなでご飯を食べにいこうってとき黒柳さんを待たないで先に行ってしまった渥美さんに対して黒柳さんが「女を待ってないなんて、あなたはだめ、一生結婚できない」とこてんぱん(徹子の部屋より)。しかし、渥美さんは結婚したし、渥美さんと黒柳さんはその後大親友になった。この話を支えにして生きていこう、私は。

Veni! えりちゃん、私の救い主(それでもお酒が飲みたい)

2020-03-18 10:11:00 | 音楽
本格的な春の到来だそうだ。いいことがないのに、というか、悪いことばかりなのに季節は構わず先に行く。なんだか悔しい。バツイチ合唱団の記事は思いのほか反響があった。みんな「ひどい別れ方」を語りたいらしい。だったら合唱団なんてまどろっこしいことは言わないで、端的に「ひどい別れ方を語る会」にしよう。それぞれ経験談を披露して投票、一番「ひどい」人の飲み代がただになるという会。しかし、四半世紀前の話なら支障はないが、なかにはつい最近の話もあるだろう。だから、鉄の掟を設ける。絶対口外しない、という掟である。ブログもダメである(って、私がまっさきに掟を破りそう……いや、破らない)。飲み代がただと言えば、こないだみんなで行ったビストロの会費は一人2000円だったのにワインを飲まなかった私だけ1600円。お一人様で外食をしたときだってワインの代わりにドリンクバーにしたら千円いかない。禁酒は財布に優しい。嗚呼、それでも私はお酒が飲みたい。飲んでたときはしょっちゅう記憶を無くし、その間の行状についてとんでもないことをやらかしたんではないかという恐怖に打ち震え、その恐怖が現実であったことが判明したときは人間をやめたくなる。今は、帰宅して自転車に施錠する瞬間、自分がしらふであることを実感する。覚えてないことは何も無い。恐怖に打ち震える心配もない。嗚呼、それでも私はお酒が飲みたい。家で晩酌をするときは組合せを考える。ステーキには赤ワイン、刺身には日本酒等々。でも今はそういうことに気を遣う必要はない。同じテーブルにステーキと刺身が並んでたりする。なんというあじけのない生活。嗚呼、だから私はお酒が飲みたい。娑婆に帰ったタンホイザー(ヴァーグナーのオペラの主人公)は、酒池肉林のヴェーヌスベルクが忘れられず、歌合戦の場で思わず「ヴェーヌスベルク万歳」と叫んでしまう。私も「サ○○○ヤの赤ワインの500のデカンタ万歳」と叫びそうである。タンホイザーは改心してローマへの巡礼の旅に出るが教皇に許してもらえず再びヴェーヌスベルクに向かう。私も許しが得られなければ再びサ○○○ヤに向かうだろう。しかしタンホイザーには救い主がいた。エリーザベトである(オペラでタンホイザーが「エリザベート」ではなく「エリーザベト」と歌うのを聴けば、アクセントがどこにあるかが分かろうというもの)。エリーザベトによってタンホイザーの魂は救われる。さすれば私の魂の救い主もエリーザベト……ここは日本だからエリちゃん、どこぞのエリちゃんに違いない。どこのエリちゃんだろう。魚屋のエリちゃん、OLのエリちゃん、洗濯屋のケンちゃんじゃなくてエリちゃん、人妻のエリちゃん……どこのエリちゃんでもいい(人妻はよくない?)。Veni!(来たれ)、エリちゃん、私の救い主。因みに、エリちゃんじゃなくてエリ子ちゃんでもいいよ。渡辺えりだって「おしん」に出てた頃は渡辺えり子だったもんね。おしんやその家族は年代によって役者がどんどん変わるのに、兄嫁役の渡辺えり(子)だけはずっと同じ。あと、浩太もずっと同じだったね。「Veni」と言えばマーラーの千人。そろそろ通唱会のスレを立てようか。その前にこうもり通唱会のスレを立てねば。