スプラ・アンサンブルの演奏会を聴きに行った。素晴らしい音楽会であった。「歌える人ばかり」が集まったという合唱団。そうだろう。その声はビブラートのない清純そのものでしかも声量がある。ハーモニーはきれいだしダイナミクスは相当のものであった。曲目は、すべてドイツもので、シューマン(流浪の民)とブラームス(ジプシーの歌)が古いところ、ほかは、ラインベルガー(1839~1901)、ディストラー(1908~1942)、そしてリヒャルトではないヴォルフラム・ヴァーグナー(1962~。なんだ、私より年下じゃん)の楽曲である。これらが実によかった。休憩前にアカペラで歌われたラインベルガーのミサ曲変ホ長調はシュッツを歌う会でやりたいと思ったし(でも8声のダブルコーラスだから当面は無理だね)、後半のディストラーとヴァーグナーは20世紀……どころじゃない、Wヴァーグナーは「令和」の作曲家である。表現がより直接的で強烈だった。この演奏会は、N田さんのツテで行ったもの。そのN田さん、最後のヴァーグナーの曲で、一番おいしい語りのソロを担当して全部もっていた感じ。かっこよかったよー。さて、ここからは私らしいちなんだ話。その1。ディストラーという作曲家は、大昔、まだ私が20代の頃、SM合唱団で歌って知った。私の父親ほどの年齢のF田さんが、当時、ディストラーって飯島さんだね、と言ったことを覚えている。なんでF田さんがそんなことを言ったかというと、「Distler」=「蒸留する人」で、私が当時酒関係の会社に勤めていたから、=私、という訳である。しかしこれは誤り。私は酒は酒でも蒸留酒ではない酒のメーカーに勤めていた。それどこれでない。実は、私もF田さんが言うもんだからずっと「Distler」=「蒸留する人」だと信じていた。ところがこの記事を書くにあたって調べたら「Distler」などという単語はない。なんと「蒸留する」は「Destllieren」だった!じゃあ、「Distler」は何かというとそれを調べるほど暇ではない(十分暇だって)。その2。私、最初にちらしで「ヴァーグナーの迷い」を見て、てっきりリヒャルト・ヴァーグナーのマイスタージンガーの「迷い」の部分を独立した歌曲に仕上げたものかと思った。全然違った(作曲者からして違った)。その3。実は、私、シューマンの「流浪の民」って歌ったことがない。合唱人としてありえないと思うだろうが、私の合唱人生はルネサンス・バロックから始まっているので普通の合唱人とは違うのだ。でもしょちゅう聴いていた。高校のときである。われわれ吹奏楽部と「音楽部」という名前の合唱部が音楽室のとりあいをしていた。で、昼休みは大概音楽部が占拠していてそこでいっつも流浪の民を歌っていたのを聴いていたのだ。そうそう、あの歌って、途中で各パートがソロで歌うところがあるじゃない。そこのバスのパートを力みまくって歌うお兄さんがいて、音楽部の皆さんがおおーっと感嘆の声をあげるのだが、私は、かっこつけちゃってなにさ、と冷ややかに見ていた。が、実はうらやましくて、自分でもあのくらいは歌えると思って、で、大学で合唱人になったものである(念のために言っておく。その音楽部は、同期のK本さんが入っていた翠嵐高校音楽部ではなく、架空の酔乱高校音楽部である)。そのとき音楽部が歌っていたのは日本語に翻訳した歌詞であった。ここから告白タイムである。ドイツ語の歌詞を見たのは今回が初めてであり、なんと「流浪の民」が「Zigeunerleben」(直訳=ジプシーの生活)であることを初めて知った。そうか、「流浪の民」ってジプシー(最近は「ロマ」と言うらしい)だったんだ。だったらそういうタイトルにしてほしい。イメージがだいぶ変わってしまう。サラサーテのチゴイネルワイゼンだって、結局は「ジプシーの曲」である。
スプラ・アンサンブルの演奏会を聴きに行った。素晴らしい音楽会であった。「歌える人ばかり」が集まったという合唱団。そうだろう。その声はビブラートのない清純そのものでしかも声量がある。ハーモニーはきれいだしダイナミクスは相当のものであった。曲目は、すべてドイツもので、シューマン(流浪の民)とブラームス(ジプシーの歌)が古いところ、ほかは、ラインベルガー(1839~1901)、ディストラー(1908~1942)、そしてリヒャルトではないヴォルフラム・ヴァーグナー(1962~。なんだ、私より年下じゃん)の楽曲である。これらが実によかった。休憩前にアカペラで歌われたラインベルガーのミサ曲変ホ長調はシュッツを歌う会でやりたいと思ったし(でも8声のダブルコーラスだから当面は無理だね)、後半のディストラーとヴァーグナーは20世紀……どころじゃない、Wヴァーグナーは「令和」の作曲家である。表現がより直接的で強烈だった。この演奏会は、N田さんのツテで行ったもの。そのN田さん、最後のヴァーグナーの曲で、一番おいしい語りのソロを担当して全部もっていた感じ。かっこよかったよー。さて、ここからは私らしいちなんだ話。その1。ディストラーという作曲家は、大昔、まだ私が20代の頃、SM合唱団で歌って知った。私の父親ほどの年齢のF田さんが、当時、ディストラーって飯島さんだね、と言ったことを覚えている。なんでF田さんがそんなことを言ったかというと、「Distler」=「蒸留する人」で、私が当時酒関係の会社に勤めていたから、=私、という訳である。しかしこれは誤り。私は酒は酒でも蒸留酒ではない酒のメーカーに勤めていた。それどこれでない。実は、私もF田さんが言うもんだからずっと「Distler」=「蒸留する人」だと信じていた。ところがこの記事を書くにあたって調べたら「Distler」などという単語はない。なんと「蒸留する」は「Destllieren」だった!じゃあ、「Distler」は何かというとそれを調べるほど暇ではない(十分暇だって)。その2。私、最初にちらしで「ヴァーグナーの迷い」を見て、てっきりリヒャルト・ヴァーグナーのマイスタージンガーの「迷い」の部分を独立した歌曲に仕上げたものかと思った。全然違った(作曲者からして違った)。その3。実は、私、シューマンの「流浪の民」って歌ったことがない。合唱人としてありえないと思うだろうが、私の合唱人生はルネサンス・バロックから始まっているので普通の合唱人とは違うのだ。でもしょちゅう聴いていた。高校のときである。われわれ吹奏楽部と「音楽部」という名前の合唱部が音楽室のとりあいをしていた。で、昼休みは大概音楽部が占拠していてそこでいっつも流浪の民を歌っていたのを聴いていたのだ。そうそう、あの歌って、途中で各パートがソロで歌うところがあるじゃない。そこのバスのパートを力みまくって歌うお兄さんがいて、音楽部の皆さんがおおーっと感嘆の声をあげるのだが、私は、かっこつけちゃってなにさ、と冷ややかに見ていた。が、実はうらやましくて、自分でもあのくらいは歌えると思って、で、大学で合唱人になったものである(念のために言っておく。その音楽部は、同期のK本さんが入っていた翠嵐高校音楽部ではなく、架空の酔乱高校音楽部である)。そのとき音楽部が歌っていたのは日本語に翻訳した歌詞であった。ここから告白タイムである。ドイツ語の歌詞を見たのは今回が初めてであり、なんと「流浪の民」が「Zigeunerleben」(直訳=ジプシーの生活)であることを初めて知った。そうか、「流浪の民」ってジプシー(最近は「ロマ」と言うらしい)だったんだ。だったらそういうタイトルにしてほしい。イメージがだいぶ変わってしまう。サラサーテのチゴイネルワイゼンだって、結局は「ジプシーの曲」である。