拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

おりこんさん、いらっしゃ~い!

2019-11-30 14:46:00 | 音楽
最近結婚された壇蜜さんは「新婚さんいらっしゃい」に出るのが夢だったとか。壇蜜さんならテレビ局の方から「お願いします」だろうが、われわれが出ようと思ったらオーディションを受けてうける話をしなければならない。そう、MCの文枝さんが番組の始めに「今日も笑っていただきましょう」と言ってるのを聞くと、そうか、この番組はお笑い番組だったんだと得心。だが、文枝さんが三枝さんでお相手の女性MCが梓みちよさんだった頃からのヘビー視聴者の私は「知り合ってすぐちょめちょめした」とか「奥さんが怖い」とかの話は耳だこでさして驚かないし、まして「偉そうな亭主が二人きりになると甘える」類いの話は聞いてられなくてテレビを消してしまう。残る興味は超高齢婚である。こないだは90歳超の新婦が登場。がぜん興味がわいたが、聞いてるうちにその新婦が超お金持ちらしいこことが分かってなぜかしらけた。財産持ちのところにお婿に行くとか言ってる私であるが、本当は「神田川」みたいな世界に憧れているのかい?と自分に問いかけてみる。ところで、最近はなんでもありの「新婚さんいらっしゃい」であるが、唯一、泥沼の不倫劇の末結ばれましたって話は出てこない。番組の色にそぐわないのだろうか。たしかに収録中に別れた元夫又は元妻が乱入したら困る。いずれにせよ、結婚する予定はないから私が出られるかどうかは心配ご無用だが、かりに「お離婚さん、いらっしゃい」って番組があったなら(「離婚さん」に「お」を付けたのは「新婚さん」との語呂を合わせるためである)、私には最低限の出場資格がある。想定問答をしてみよう。「新婚さん……」では「初ちょめちょめは?」と聞かれるから、「お離婚さん……」では「最後のちょめちょめは?」と聞かれるはずである。どう答えようか。「遠い昔で忘れました」とか。問題は登場シーンだ。「新婚さん、いらっしゃ~い」と呼ばれた新婚夫婦は手をつないで仲良く出てくるが、「お離婚さん、いらっしゃ~い」と呼ばれて仲良く出ていっては変だ。おめでたい席ではおめでたい顔をしなければならないごとく、おめでたくない話のときはそれ相応の態度というものだがある。両端から別々に登場して離れて座る、というあたりが妥当なところか。あるいは、一緒に登場でも元妻が元夫の首をしめながらだったら相応かもしれない。その時の音楽は、新婚さん登場シーンと同じでよいだろう。(移動ドで)ドーミファーソラドー、ミミーミ♭ミーミーレー(ラーファレーシラー♭ラ、ソ、シ、レ、ソ……この記事のジャンルが音楽なのは、ひとえにこの部分のみにかかっている。)

春の予感(夫婦箸)

2019-11-27 20:21:09 | 日記

かつての朝ドラ「ちりとてちん」で若狭塗り箸の存在を知り、大枚叩いて買ってはみたものの、なんてったって箸一膳に1万円以上である、もったいなくてしばらく使っていなかった。しかし、人間明日何が起きるか分からない。使えるとき使っておかなければと考え直し、最近は毎食それを使って食べている。すると、どうだ、百均で五膳100円で売ってるようなやつはあっというまに塗りがはげるのに、こっちは使っても使ってもぴかぴかである。やはり「高物買いの銭儲け」である(「安物買いの銭失い」を無理矢理逆にして作った)。実は、この箸を使わなかったのにはもう一つ理由があった。買ったのが夫婦箸だったのである。つまり、もう一膳あるのである。なのに、わたし用のものばかり使っているとそっちが先にぼろぼろになってしまって、ペアのはずのものがそう見えなくなる。それを避けようと思ったのである。そもそも独り者なのになぜ夫婦箸を買ったか?それは決まってる、将来お婿にいったときに備えてである。某合唱団で40年前に同期だったU婆嬢も、学生のときから婿をとったときに備えて親が家を建ててくれたと聞く(嬢は、学生時代からあだ名が「U婆」であった。いや、全然「婆」に見えたわけではないのだが、あだ名というのはえてしてそういうものである。しかし「婆」に「嬢」をつけるのも奇妙である)。U婆嬢とはもう40年会ってない。元気にしているのだろうか。結婚したという噂は聞かないが……O!そうだ!思いついた。U婆がまだ独り者だったら私がそこにお婿に行けばいいんだ!婚礼道具は若狭塗り箸の夫婦箸だけ、しかも二人の子持ちだが(ニャーと鳴く)、そこは上手いことを言ってごまかそう。なんという名案!いやいや、実はおいしそうな話が他にもあって。最近正規の団員になった某男声合唱団のメンバー(私にとって人生の先輩ばかりである)の多くが某歌謡曲を歌う合唱団にも入ってらして、で、先輩方がしきりに私に来い来いと誘って下さる。来れば絶対もてるよー、とおっしゃる。でも金がないから、と言うと、大丈夫!!!その合唱団は女性の方が裕福だから、とそここそ肝だよと言わんばかりに力説される。そっか、じゃあ、いこっか。ここにきて急に春めいてきた。カンレキを過ぎて人生の春の到来を予感する今日この頃である……って、すべて冗談ですからね。特に、U婆嬢の件は、決して本気にして間をとりもとうとして居所を探して連絡をとったりしないように。時々しゃれの分からぬ輩がいるから無粋ではあるがこう言っとかないと。大体、S内合唱団の同期の多くはこのブログを読んでないはずなんだから。だから書いてるんだから。いや読んでるよ、ってそれは隠れて読む方が悪い。

ゴハンとご飯

2019-11-26 19:47:31 | グルメ

スーパーでイナダ丸々一尾を350円で売ってたのでついつい購入。仕事の合間にさばく。まず三枚におろして、

真ん中の部分は冷凍しておいて、そのうち焼いて食べる。で、両端を刺身に。

ここまで所要時間は20分。いい気分転換である。おろすだけだったらもっと早くできる。時間がかかるのは皮びき。おろしてからひくと身がつぶれるおそれがある。かと言って、丸々の状態でひくことはできない。完全におろす前にとりあえずすこしひいておくのがよさそうだ。とりあえず冷蔵庫に入れて仕事に戻る(と言って、ブログを書いていたら世話はない)。今夜は日本酒にしよう。夜、米飯はめったに食べないのだが、刺身と日本酒だったら米飯じゃないと。「米飯」と書いたら昔のことを思い出した。子供の頃、母に「お母さん、今日のゴハンは何?」と聞くと、「ご飯よ」と返されたことがあった。その意味で聞いたんではない、おかずは何かと聞いたのだと言っても、「ご飯か?と聴かれたからご飯よ、と答えてどこが悪い」と開き直っていた。私の母はかように天然ボケなところがあって、後年、老人ボケになってからも、しばらくはこれは昔からの天然ボケの進化形なのかそれとも老人ボケなのかが判然としなかった。今は明白である。天然ボケに老人ボケが加わったボケの二乗である。ゴハンの話で終始するはずだったのに、いつの間にかボケの話になってしまった。因みに言葉の私的な使い分けとしては、おかずを含めた食事全般を言うときは「ゴハン」と書き、米飯のときは「ご飯」と書くことにしている。

廃部

2019-11-25 11:57:00 | 音楽
私が学生時代に青春を謳歌した合唱団(悪いことは全部ここで覚えた)が廃部になるという。人が集まらないという。今度のOBOGとの合同演奏会が最後なのだという。指揮者先生の意向ということなら、外部の人がいったいどういう権限で?とも思ったが、現役の学生さんが自主的に決めたことだというから(by元OB会長さんからの連絡メール)、もっと外部の私(OBと言ってもなんのお手伝いもしていない。この団の最近の状況は、OGではないKさんの方がよっぽど詳しく、演奏会の情報などもKさんから仕入れていた)がとやかく言う話ではない。実は、カンレキになる前に、なった後の夢として、大学の独文科に学士入学して、この団に再入団して、アルトの一員としてカテドラルの舞台に上がることを妄想していた。私らんときは、女子はノースリーブの白のロングドレスを着てたから(あれを着ると、全員が美人に見えた)、さて、私もアルトで、ということになるとあれを着るのかな、じゃあ、化粧もするのかな、とどんどんあられもない方向に妄想が飛んでいくのだったが、今はユニフォームは違うようだし、そもそもなくなっちゃうのだから根本から前提条件が崩れてしまったわけだ。いや、人が集まらなくなった原因として、金がかかりすぎる、というのがあるらしいから、すると、もし団が続いていたとしても私には無理だったかもしれない。ルネサンスのアカペラのミサ曲とかを歌うんだったら、金なんかかからないのになー。

猫とにらめっこ

2019-11-24 11:03:56 | 

10年前にうちに来たときは生後1か月であった。耳がでかいなと思った。10年経った今はこう。

耳の大きさは変わらず顔ばかりでかくなるので相対的に耳が小さくなるらしい。この姉妹は一人の男を取り合っていて今はとっても仲が悪い。だが、そこは姉妹。寒くなると、とたんに態度を翻して、互いをなめるという儀式をした後ひっつく。だが、こたつを出すと(最初にこたつを買ったときは警戒してなかなか中に入らなかったが、今では出すと速攻で入る)、中に入って左右別々の端に落ち着く(そこでまた離ればなれになる)。猫は犬と違って人間に懐かないというが、小さいときからこれだけ一緒だと犬と同じ……というか人間と同じである。その証拠に、猫を含めた動物は目を見つめてはいけないというが、私はよく10センチの至近距離で猫とにらめっこをする。互いに目と目をあわせてずっと眺めるのだが全然平気である。人間と一緒と言っても、猫フードの消費税は据え置きにはならない。ところで、猫の10歳と言ったら、私の今の年齢と同じくらいだが、猫も「あー、最近、体がきついにゃー」「歳とったニャー」とか思うのだろうか。

蓼食う虫も好き好き

2019-11-23 10:46:16 | 音楽
土曜日の朝はおしんもあるし、チコちゃんもあるし、大草原の小さな家もあるし、見るものが多くて困っちゃうなどとほざいていたら、ちっとも困らない事態となった。なんと大草原の代わりに韓流ドラマをやっている。今日だけ?いや、シリーズものである。NHKのサイトを見たら大草原の放送は水曜日のBS4Kのみになっている。ってことは、BS4Kに視聴者を誘い込む呼び水だったってことか。シリーズ1で放送を打ち切って、続きを見たければ4Kで見ろ、ということか。せっかく、新しい声優陣の声にも少し慣れてきたというのに。憤懣やるかたなし。4Kなど見るものか。大草原を見るつもりだった朝のひととき、ぽっかり時間が空いたので、録画しておいた徹子の部屋を見る。ゲストは内山信二さんと新婚の奥さん。内山さんは子役時代にさんまさんの番組に出てた人だ。「転落人生」のタイトルに惹かれて録っておいたのだ。精神衛生によいのは「泣くこと」と「自分よりみじめな人をさがす」ことだという。すると、子役時代、多くて月3000万円の収入があった、自分も父親も金銭感覚がおかしくなった、魚屋さんを営んでいたお父さんがある日軽トラックで家を出たらベンツで帰ってきた、ところが大きくなって番組を卒業したら仕事がぱたっとこなくなった、両親は離婚し、電気もガスも止められた……なるほど、タイトルにいつわりはなかった、すさまじい転落具合である。その後、ぼちぼち仕事がくるようになり、今の奥さんと知り合い、その奥さんに金銭感覚を直されて「普通の人」になったそうだ。よかったね。その奥さんにとっては、内山さんこそジャニーズなんだと。いや、不思議はありませんよ。女性のみんながみんな一般的な「イケメン」になびいてしまっては、多くの男にとっては立つ瀬がない。「一人(一頭)に集中」はディープインパクトでたくさんである。いろいろな遺伝子が残って多様性が保たれた方が人類のためになる。例えば、地球の気候が劇的に変化したとき、イケメンだが環境の変化に弱い遺伝子が死に絶えても、ぶさいくだがしぶとい遺伝子は残る。そういうことだ(こういうことを強く言う自分が若干みじめでもある)。そもそもなにをもってビューティーと言うかは時代によって違う。源氏物語には、光源氏をはじめ、多くのイケメンや美女が登場するが、源氏物語絵巻に描かれた登場人物は私の趣味ではない。中国でも、ぽっちゃり系がもてた時代とすらっとした人がもてた時代が交互に来たそうだ。楊貴妃はぽっちゃり系だという。だから、源氏物語で、見てくれの悪い代表のように書かれた末摘花だって(そういうところ、紫式部は容赦がない)、時と場所と好みによっては絶世の美女なのかもしれないし、逆もまたしかりである。光源氏のストライクゾーンはかなり広いが、負けていないのがドン・ジョヴァンニ。家来のレポレロの歌う「カタログの歌」で許容範囲の広さが分かる。というかなんでもよいらしい。ワンバウンドした球を打ってホームランにする長嶋茂雄である。暑いときはほっそりした人がよくて寒いときはぽっちゃり系がよいなどと歌っているのを聞くと、猫かと思う。寒くなりました。うちも昨日からこたつを出した。出したとたんに猫が入った。因みに、今回の投稿のジャンルを「音楽」にしたのは、ひとえに「カタログの歌」(モーツァルト)のせいである。

糖質

2019-11-22 10:06:32 | グルメ

糖質ダイエットが流行っていて、三食のうちごはんを一回しか食べない人が3割以上いるらしいが、これをしすぎると死亡率が高まるそうだ。と、アサイチで言っていたが、比較のための棒グラフ、一瞬死亡率が倍くらいに見えた。だが実際は1.3倍。今回に限らずテレビが使う棒グラフはしばしば下の方が省略されていて(ぐにょぐにょの二本線が入っていて)、上の方だけ拡大されているのだが、あれではホントのところのイメージがつかめない。はっきり言ってインチキである。因みに私もごはん(お米)は一日一食、昼だけであるが、朝はラーメンだし、夜はパスタかピザ。つまり、三食きちっと糖質をとっている。だが、別に私太ってないでしょ?脱いでもさしてすごくないですよ。体重がずーっと安定していて多分今がベストである。その昼食時に欠かさないのが自家製漬物。こだわりは、漬ける前から人参を縦に四つに切っておくこと。1本まるまるだと、いくら漬けて柔らかくなったと言っても馬じゃないんだから食べにくい。こうして切っておけば、そのままボリボリかじられるわけである。よく噛むからおつむにもよさそうだし。こうして、かなり体に良さそうなことをやっていながら多分それを相殺して悪い方のおつりを作っているのが飲酒である。昨日も解禁になったボジョレー・ヌーヴォーを一人で1本飲んでしまった。

今回飲んだのはペットボトル詰めで千円しない。昔は1本3500円しましたからね。はっきり言って3500円でありがたがって飲む酒ではないが、千円を切っていればCPはたいしたものである。物価を上げたくてしかたのない日銀にとっては目の上のたんこぶであろう。昨日は久々にブルゴーニュ・グラスで飲んだ。大きいグラスで飲むと味が変わる。そこそこのワインこそいいグラスで飲むべきである。と言いながら、洗うのがめんどくさいので普段は使わない。ふむ。「めんどくさい」は「めんどうくさい」が縮まったものだが、そもそも「面倒」が「臭い」ってどういうことだろう。そう言えば源氏物語の最後の宇治十帖の主人公は、体から芳香が漂う貴人であった。その香りでもって居場所がすぐ分かるくらいである。もし彼が徴兵逃れで山に入った鉄平兄ちゃんだったら山狩りですぐ捕まったことだろう(ドラマ「やすらぎの刻~道」の話である)。

ぱたっと終わった(完読・源氏物語)

2019-11-21 11:03:18 | 日記
大団円だと思っていたら、ぱたっと終わってしまった(源氏物語)。尼になった浮舟が還俗して男と復縁するかどうかは分からずじまい。それどころか、恋敵の差し金を疑う男の悶々とした気持ちが語られて終わる。これで本当に終わったの?まだ続きがあるの?と思ってぐぐってみたら、終わったのに間違いはないようだ。こういう含みを残した終わり方を「開けたままの終結」と言うのだそうだ。梶原一騎原作の漫画は大抵この手の終わり方。星飛雄馬は左門豊作の結婚式を窓越しにそっと見守りながらいずこかに消えていったし、愛と誠は最後に抱擁するのだが、誠の脇腹からは致命傷から血がドクドク。あしたのジョーは最後真っ白になって死んだようにも見える……いや、最近知ったのだが、実は、梶原一騎の当初の構想では、後日、葉子の家でくつろぐ矢吹ジョーの姿が描かれるはずだった、それをああいう真っ白なラストシーンに変えたのは描き手のちばてつやだったそうだ。ぱたっと終わると言えば、何年も続いた大草原の小さな家の本編はそれこそなんてことのないエピソードでいきなり終わってしまって、視聴者からクレームが来て、それで特別編が3本組まれたのだという。その最後は、ウォルナットグローヴの町中の建物をダイナマイトで爆破するというもの。壊したら本当におしまい、覚悟の最終回であった。源氏物語に戻る。今回、超特急で完読した。自分のブログを検索すると、「三度目の正直で読み始めた」と書いているのが先月の17日。その月の8日はまだカフカを読んでる話を書いてるから、読み始めたのは先月中旬であることに間違えはない。だから完読に要した時間は1か月。マラソンに例えるなら、過去2回10キロ付近で棄権していたのが、今回いきなりレコードタイムで完走したようなものだ。これはキンドルによるところが大きい。スマホとiPadの間くらいの大きさで軽く、明るいから寝ながらも読めるし、字の大きさを変えられてブルーライトもカットしてるから目にも優しい(なんとかルーペのことではない)。おまけに今回読んだ与謝野晶子訳の源氏物語をはじめとして多くの作品が「ただ」である。もっともタダなのは青空文庫のおかげであるが(前回はiPadで青空文庫用のアプリで読んでいた。で、挫折した)。いや、そうした端末機械のおかげだけではない。やはり、私自身がはまりまくったのがスピード完読の最大の要因である。カンレキになって私自身に重大な変化が生じたのか。もしかして、乙女になったのかしらん。

伸びたパンツのゴムで人生のはかなさを感じながら読む源氏物語も残すはあと一巻

2019-11-20 10:14:12 | 日記
ジャージの伸びたゴムの取り替えなども名前のない家事だが、パンツの伸びたゴムは取り替えられない。捨てるのみである。ゴムの伸びたパンツをはいてるときほど絶望的な気分になることはないのであるが、パンツを一斉にまとめ買いするためゴムが伸びる時期も一度にくる。そうやって、一斉に買って一斉にゴムが伸びる人生がずっと続くのだと思うと、人生ははかないものだと思う。はかない人生と言えば源氏物語。いよいよ後一巻を残すのみとなった。マラソンで言えばもう競技場が見えてきたって頃である。光源氏が亡くなった後が思いのほか長かったが(マラソンの最後の35キロ付近のごとし)、その宇治十帖と言われる部分の劇的さ哀れさ加減は想像を絶するものであった。川に入って死んだはずの浮舟が生きて現れた箇所を読んだときは、驚きのあまりにこちらが死にそうになった。ちょうど、昼間にやっている「安らぎの刻~道」で40年前に徴兵逃れで山に入った鉄平兄ちゃんが突然帰ってきたシーンを見た頃で、「まさかの帰還」で二つが重なったものだった。鉄平兄ちゃんは結局亡くなったが、浮舟と、これに思いをよせる二人の貴人はどうなるのだろう。泣いても笑っても残り一巻。スターウォーズも最終作公開まであと1か月である。

戻ってきた財布

2019-11-19 10:35:33 | 日記
数日前のこと、よる9時まで仕事をして、だいぶがんばった、ぼちぼち夜這い(注1)にでもでかけるか、とりあえず財布と思ったら財布がない。あれ?どこだろう。探す。ない。焦りの色を深めながら30分探す。いよいよない。落とした!?もう夜だから紛失届は明日するとしてとりあえずカードを止めよう。連絡先はネットですぐ判明。どこのカード会社も聞かれることは同じでだんだん慣れてくる(カード番号を聞かれたらどうしよう、カードが無いと分からない、明細書は××××になってるしと思ったのは杞憂。分からないものは聞かれない)。日付が変わる前にキャッシュカード3枚とクレジットカード4枚を止めて、ようやく人心地がついて夜這いにでかける。翌朝、ダメ押しで個人番号カードも止めて、警視庁のサイトから紛失届の書式をダウンロードして詳細に記入。近くの交番でもいいが本署の方が確実と思って、ちょっと足を伸ばして某警察署に行って届を提出。「登録しますから少しお待ちください」と言われて待つ。受理番号をもらわにやいかんし。しばらくして係員が窓口にやってきた。お盆に見覚えのある物体がある(銀の盆にのせられたヨハナーンの首ではない(注2))。え?出てきた?出てきたのだ。紛失届に書いておいた在中物と完全に一致していたため、免許証を見せただけで他に何も聞かれずに返してくれて、まさかの手続終了である(もし、免許証がなかった場合に、「本人確認資料(個人番号カード)は財布の中に入ってます」と言ったら通ったのだろうか)。カードを止めてから半日も経ってない。こうなると、カードを止めたことが悔やまれるが(再発行にお金がかかるカードもある)、いや、やはりすべきだったろう。落とした大体の場所は、警察のファイルによると最寄り駅からウチまでの間の路上。リュックのポケットからこぼれ落ちたらしい。拾って届けてくださった方には感謝してもしきれない。ところが、お礼などは一切いらないとおっしゃったそうで、そういう方の個人情報は教えてもらえない(ファイルに目隠しがかけられている)。だから直接お礼の申し上げようがない(バス歌手の岡村喬生さんも、イタリアで交通事故に遭ったとき、通りがかった見知らぬカップルの自家用車で病院に運ばれた(イタリアでは民間車でもハンカチをかかげると救急車両になるんだって)。車内は血だらけになったろうが、岡村さんを運び終えると名も告げずに去ったもんだから、お礼のいいようがないのだそうだ)。お財布が戻ってくる日本に住んでて本当によかった……で締めるつもりだったが、岡村喬生さんの逸話を書いた以上はイタリアもいい国と書かなければ片落ちである。補注1:「夜這い」=夜、ファミレスに行って源氏物語を読むこと。補注2:「銀の盆にのせられたヨハナーンの首」=Rシュトラウスのオペラ「サロメ」の1シーン。

出家と退団は慎重に

2019-11-18 20:15:32 | 音楽
源氏物語の登場人物はそれにしても男女を問わずよく泣く。平安貴族ならでは?とも思ったが、いや、昭和のスポ根も負けていなかった。星飛雄馬の目からはいつも滝のように涙があふれていたっけ。あと、源氏物語の登場人物はやたらと出家をしたがる(この点は星飛雄馬は違う)。なんか辛いことがあるとすぐ出家をしようとする。だが、作者は、ちゃんとした覚悟もなくて出家をすると後で後悔してみっともないことになる、とも言っている。耳が痛い。「出家」を「(合唱団の)退団」に置き換えるとかつてA合唱団をやめた私である。いきおいでやめて、すぐ後悔して、半年で復帰した。いまだにそのことを言われる。でも、もっとみっともないのがいたぞ。いずれの御時であったか……って昭和に決まってるのだが、いちおう、人物特定を防ぐために中高大のいつだったかはふせるが(意味ない、すぐ分かる)、当時、部活動にOBの某氏が指導に来ていた。この人が蜷川幸雄みたいな人で、蜷川幸雄は怒ると灰皿を投げたと言うが、某氏は指揮棒を投げた。それに憤慨した私の同期のYとTが、ある日、練習前に、えらい鼻息で、「もう我慢がならない。今日こそは練習中にトランペットを某さんに投げつけてやめてやる」といきまいてた。私は口では「穏便に」とか言いながら、内心では、これは面白いことになった、一世一代の見物だ、とわくわくする気持ちを必死におさえて事の推移を見守っていた。ところが、YとTは、いっこうにトランペットを投げない。いつ投げるんだいつ投げるんだと思っているうちにとうとう練習が終わってしまった。どうやら事前に「やめてやる」と騒いだことでガス抜きができてしまったようだ。しかし、有言不実行、実にみっともない。それに比べれば「やめる」と言ってホントにやめた私の方がずっと誠実である(どっちもどっち)。因みに、そのYとTは教師になった。そう言えば、指揮棒を投げた某氏も教師になった。3人ともえらくご出世のご様子である。

名前のない家事

2019-11-17 14:42:24 | 日記
洗濯をしてたら……洗濯をするのは私ではなく洗濯機だが……洗濯機に入れ忘れた靴下が片方だけ出てきた。ってことは?そう、干すとき、靴下はペアにして吊すのだが、誰ともペアになれない可愛そうな……こう書くとしんみりする……片割れが残った。さっきのやつとペアになるべきやつだ。ということで、洗ったばっかりのその可愛そうな片割れを洗濯機にいれ損なった片割れとともにもう一度洗濯機にぶち込む。靴下は必ずペアにして干すのが私の流儀であるから。ところで「洗濯物干し」は名前のついた家事だろう。「皿洗い」だってもちろんそうだ。一日三度三度しなければならない皿洗い。なんで一人と二匹なのにこんなに洗い物が出るんだろう。とても不経済だと思う。これは固定費ならぬ固定労働だから、人があと一人二人増えても皿洗いの労力はさほど増えないと思う。こうした名前のついた家事のほか、最近、「名前のない家事」という言葉をよく聞く。あるある、私んとこもたくさん。例えば、一日一度はしなければならないぬか床のかき回し。それから1週間に一度はしなければならないシンクの排水溝のゴミ受けネットの取り替え。私は粉を使うことが多いので(ピザ生地を作ったり、お好み焼きを焼いたり……魚のムニエルも好きでときどき作る(さりげなく「いい夫になるから誰かもらって」という自己アピールである))、ネットがすぐつまる。すると、シンクが洪水になるからネットを取り替えなければならない。そうした面倒くさい、でもやらなければならない、でも名前のついてない家事のなんと多いことか。でも、好きでやってることである。今、家での昼食が至福の時。自家製漬物を土鍋で炊いたご飯とともにいただいてるとき、人生も捨てたもんではないと思う。そしてまた洗い物がたまるのであった。

♪恋人か女房があればいい

2019-11-16 10:48:25 | 音楽
昨日の映画の話の続きだが、本選に残った四人はとっても仲良し。互いの健闘を祈っている。でも、ライヴァルでしょ?あまり現実的ではない。恋バナがまったく出てこないのもこの手の映画ではめずらしい。そこへ行くと、40年前の「コンペティション」では、競う中の一組の男女がしっかりくっついて、だが、本選での女性の圧巻の演奏(プロコフィエフ)を聴いて男が猛烈に嫉妬。この二人は別れる。こっちの方がずっと現実的……なのだが、映画の最後、女性の優勝を祝うパーティーに男がひょこっと現れる。そのときの男(リチャード・ドレファス)のなんともバツの悪い表情が印象的であった。友人たちの間で、自分たちだったら行くかぁ?と議論になったが、ドレファス(演じる男)は、「恋人が欲しい」欲がまさったのだろう。因みに、私は自家製ぬか床で野菜を漬けている(ぬか漬けがなんで「因みに」かと言うと、この後すぐ「恋人が欲しい」につながっていくから)。これはいい。いろんな野菜をぶち込むと一日でおいしい漬物になる。乳酸菌もたっぷりである(毎夜の深酒をせめて乳酸菌で補おうというあさましい魂胆である)。そしたら「イージマさんは、奥さんいらないね」と言われた。そういう噂が広まるのは困る。パパゲーノも「♪Ein Mädchen oder Weibchen wünscht Papageno sich」(恋人か女房があればいい)と歌っている(欲に勝てないところは、私はパパゲーノと同じ)。考えてみると、パパゲーノは、自分のことを「パパゲーノ」と言って三人称で歌っているなー。「私ってぇ、こういう人なのぉ」と自分を他人のように言うやり方と同じである。この最後にくっついてる「sich」がドイツ語を習う前は奇っ怪だった。これは再帰代名詞と言って、「彼に」の意味である。ビートルズの「Can't buy me love」の「me」と同様の用法である。英語の場合、こういうのがくっつくのはめずらしいが、ドイツ語では普通。これを自然に言えるようになったとき、だいぶドイツ語が身についたと思ったものだ。

プロコ(蜜蜂と遠雷)

2019-11-15 09:15:47 | 音楽
映画「蜜蜂と遠雷」を前から見たいと思っていたが公開後だいぶ経っていて、チャリで行ける距離の映画館では21:40開始の回しかない。終わるのは24:00。遅いなぁ……って、いつも飲み会んときは朝までさまよっているではないか。行こう。だが、夕食はどうする?食べて飲んで見たら絶対寝そう。そうかと言って終わってからでは体に悪い。寝たらそれまでと思い、腹ごしらえをして、赤ワインを500ml飲んで出撃。10人くらいはいたかな。いや、まったく眠くならない。と言って「面白かった」わけではない。コンクールでしのぎを削る若手ピアニストたちの青春群像なのだが……見てていろいろな思いがよぎって苦しくなった。大笑いするわけでもなし、大泣きするわけでもなし、もんもんとした気分が残って体の免疫機能はさぞや劣化したことだろう(決して映画が悪いわけではない。私の個人的要因のせいである)。松岡茉優(私にとっては永遠に深谷ネギのコスプレをする入間しおり)をはじめとするピアニストを演じた役者たちは、手のアップは吹き替えだが、それ以外の演奏シーンは大健闘という噂だった。だが、きっとプロから見れば見てられなかったろう。プロの視線は及びもつかない。例えば、メリル・ストリープのサッチャー夫人のイギリス英語も、一般には絶賛されていたが、翻訳家の某姐さん(プロ)に言わせると「わざとらしい」のだと。私だってその道のプロではないが気になることがある。「いだてん」(大河ドラマ)は近代史の勉強になって面白いとは思うが、いかんせん、いだてん役の歌舞伎役者の走り方がよくない。前傾姿勢で手をほとんど振らず、悪い走りの見本である。スタッフはなぜああいう走りを見過ごしたのか。もしかすると、本物の金栗四三がああいう走りをしていたのだろうか。映画の話に戻る。登場人物たちが「業界用語」らしきものをさかんに口にする。例えば「アイネク」。「Eine kleine Nachtmusik」(モーツァルト)のことだ。だが、「アイネク」とか言うと「アイネ」にきわめて重要な意味がありそうだがこれは英語の「a」である。だから、もしこの省略形を英語で言えば「アリ」になる(A little serenade)。それから「プロコ」。本選でプロコフィエフのコンチェルトの2番と3番が演奏される。思い出した。大昔、やはりピアノコンクールを描いた「コンペティション」という映画があって、そこでヒロインが本選で弾くのがやはりプロコフィエフだった(2番だったっけ)。当時、ある情報ヴァラエティでこの映画のことを紹介していたのだが、レポーターがどうしても「プロコフィエフ」と言えない。「プロコ……プロコ……」と彷徨ったあげく、開き直って「プロコフィール」と言い切った。長くなった。あと二つ。今回の映画にはかつて「蘇るがよい、アイアンシェーフ!」と叫んでいたあの俳優さんが指揮者役で出ていたが、こわい大家という設定なのに、本選で、振りながら弾き手に「うんうん」という優しい視線を送る様はどうにもわざとらしかった。それから、プロコと言えば、オペラ好きの私としては「炎の天使」。東京文化会館の舞台がアンダーヘアのオンパレードになった一夜は衝撃的であった。

寝所におけるすり替え

2019-11-14 09:09:06 | 音楽
旧約聖書と源氏物語とRシュトラウスのオペラ(アラベラ)に共通のエピソードがあった。男が愛しい人と関係をもとうと寝所に入ったら相手がすり替えられていた、という話である。すり替わっていたのは姉妹であることと、誰かの企みでそうなった点は同じなのだが違いがある。まずは旧約聖書。しくんだのは姉妹の父親。妹娘と結婚したがってる男に7年間ただ働きをしたら結婚させてやると言ってただ働きをさせる。7年経って晴れて結婚が許され新婦がいるはずの寝所に入った男は翌朝相手が姉娘だったことに気がつく。姉妹の父親の差し金である。なぜ?といきまく新郎に、もう7年ただ働きをするんだったら妹娘とも結婚させてやる……これである。男は承諾、結局妻を二人持つことになったが愛情はもとから好きだった妹娘に傾き姉娘は悲しむ……なんだか源氏物語である。その源氏物語でしくんだのは姉娘。妹と同じ寝所で寝ていたのだが、自分に気のある男(中納言)が侵入してくることを察知して、そっと抜け出した。しかし、男はすり替えに気づき、ことは未遂に終わった。姉の思惑は、自分は独身主義者だから男を妹と結婚させようと思ったのである。ここまで古代イスラエル、そして平安の日本と来た。最後の舞台は20世紀のウィーンである。男に愛するアラベラの部屋の鍵が届けられる。逢い引きに誘う鍵である。事を終え、部屋から出て余韻に浸っている男の前にアラベラが登場。何にもなかったように振る舞うアラベラに男はとまどう。実際、アラベラには何事もなかった。男の相手をしたのはアラベラの妹で、すべてその妹が仕組んだことであった。妹はその男のことが好きだったのである。と書くと、策略で姉から横取りを図ったか、と思われるだろうが、そうではなく、アラベラが結婚すると聞いてその男が自殺しそうないきおいだったので、自分が姉のふりをして慰めようとしたのである。それにしても、旧約にしろアラベラにしろ相手を間違えるかー?というのが素朴な疑問である。よっぽど真っ暗だったに違いない。少しでも明かりがあると夜目に慣れてきて見えてくるだろうから、一切の光源をシャットアウトする必要がある。間違えてもおかしくないのは源氏物語。あの時代の男は、そもそも女性の顔をほとんど見ていなくて、文のやりとりでいい女だと想像して恋愛をするのだという。にもかかわらず、中納言は相手が違うと分かった。相手が違っててもここまで来たらかまうものかー、にならないところは元祖草食系というか、いや、失礼しました、よっぽど本来好きな方への愛情が強うござったのでせうね。