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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



都築響一氏が書いた「バブルの肖像」という本が去年8月に出版されているが、その中にホテル川久のことが出ていたので紹介したい。



ホテル川久の前身「旅館川久」は、安間千之氏が1949年に創業した旅館で、昭和天皇も宿泊した白浜屈指の木造純和風旅館であったという。

安間千之氏の子息であった2代目社長とその妹が「世界の数奇屋ホテル」を目指し、1989年「旅館川久」の全面建替工事を始めたらしい。



数奇屋とは、金持ちや権力者が茶の湯を楽しむための空間を、高価な材料と最高の職人を使ってさりげなく贅沢な仕事をさせ、それが判る客を驚かし楽しむ建物のことである。

創業者の娘の子息は、2001年に元アナウンサーと結婚して、世間の話題を集めている。

彼もホテル川久の建設に関係していたというが、今は米誌タイムの、若手ビジネスマンを主な対象とした2002年の「世界のビジネスに影響を与えた15人」に見事選出されているので凄い。

さて、ホテル川久の建設費は、世界中から数奇屋材料を集める過程で当初予算150億円を軽くオーバーしてしまい、最終的に300億円(総事業費は400億円という)もかかってしまったらしい。



延床面積2万6千㎡というホテルは、最大千室近い部屋がとれる(都築響一氏)が、ホテル川久には89室(今は88室)しかない。

当然、会員制として個人会員2千万円、法人会員6千万円で1900口(個人会員だけの完売なら380億円となる)の販売を予定していたらしい。



しかし売れたのは僅か431口、開業後の客室稼働率20%という惨憺たる状態で1995年に会社更生法を申請している。

創業者が血と汗で築いた白浜屈指の和風旅館は、こうして2代目にしてアッという間に潰れ、1998年にカラカミ観光チェーンが買収した金額は、何と30億円であったという。



お陰で会員権なしの格安料金で、高価な材料と最高の職人を使ってさりげなく贅沢に造られた「世界の数奇屋ホテル」が、我々庶民にも利用できるようになったので有難い話である。



但し、ロビーの柱は「シュトックマルモ」技法で1本1億円かかっているとか、数奇屋建築の価値が解らなければ、ものを知らない客として元オーナーから軽蔑されるかもしれないので、少しは勉強しておかねばならない。


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