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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



興福寺の北東には東大寺があります。興福寺の南円堂と再建中の中金堂

興福寺から奈良県庁東側の通りを北に、東大寺の転害門を目指して散歩を続けました。塀の向こうが東大寺

途中にあった西大門跡の石碑。平家の焼き打ち(1180年)以前にはこの西大門が正門だったそうです。・・・ここから西の方向に平城京大極殿跡があります。

さて、転害門(てがいもん)に到着。この辺りは門にあやかって今も手貝(てがい)町と呼ばれています。

転害門(国宝)は、平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火にも焼け残った寺内でも数少ない建物の一つです。

転害門の創建は756~762年頃とされています。創建を762年と仮定すれば、今年で1253年が経過している日本有数の古い門なのです。

従って、東大寺を参詣した多くの歴史上の人物たちも、この姿を見ている可能性がありますね。・・・門の内側

大仏殿(国宝)は、江戸時代1709年に落慶したものなので再建からまだ306年という新しい建物でした。

東大寺南大門(国宝)は、平安時代に台風で倒壊後、鎌倉時代の1199年に復興されたものなので、再建からまだ816年、天害門よりも437年も新しい門でした。



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