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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



人間魚雷回天は、海軍軍令部第二部長黒島少将が起案して、昭和19年8月に正式に兵器として採用され、海軍呉工廠で急きょ量産体制に入っています。その回天のことを、咲くやこの花館の花と一緒に紹介しましょう。

東京の大本営にいた黒島少将は、人間が入って操縦する人間魚雷(回天)なら敵艦に命中するのは簡単であろうと簡単に考えていたようです。

昭和19年9月1日、山口県徳山市沖の大津島に回天基地が発足、9月5日から訓練開始していますが、回天の生産が軌道に乗らなかったために訓練用回天は、当初3基しか配属されなかったといいます。

93式魚雷2本の前後を切り、搭乗員のスペースを挟んで繋いだだけの応急兵器回天は、その訓練時に故障が続出、実戦でも潜水艦に積んで攻撃に移るまでの期間、水圧と荒波による衝撃で発進不能やエンジン停止事故が多発しています。

さらに水中を三次元走行する回天の操縦は困難を極め、発進するまでに20もある操作を順番を間違えること無く、素早くこなす必要がありました。

ところで回天の攻撃方法ですが、目標となる敵艦の1000mくらい前で一旦浮上し特眼鏡(潜望鏡)で相手の正確な針路、速度、距離を観測、それから発射角(針路)を計算し、変速、変針、浮力調整、トリム(つり合い)変更、深度設定をやって突入するのです。・・・日本庭園池のアオサギ

回天を積んだ潜水艦の艦長だった橋本以行氏は、回天の特眼鏡は夜になると見えないこと、スピードを上げると(飛沫で)特眼鏡が見えなくなることから、「人間が入って操縦するので簡単に敵艦に命中する」ことはなく、「回天は魚雷と同じ」と指摘しています。実戦は、東京の机の上で考えるほど単純ではなかったのです。・・・日本庭園池のコサギ?

徳山沖大津島の回天基地は、回天発祥の地という誇りのせいか、志願してきた予備士官(学徒動員された大学生)に対し、精神力を鍛える名目で訓練中から徹底した体罰やいじめがあったようです。・・・風車の丘

そのため大津島での訓練を終了し、回天を積んだ潜水艦に乗り込んだ予備士官(学生)は、生還できない出撃なのに「上官(国家公務員)の体罰から解放されてほっとした」と、語っていたことが記録されています。

参考文献:回天特攻学徒隊員の記録 武田五郎著

 



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