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世界文化遺産、厳島神社の社伝によれば、西暦593年(推古天皇元年)、佐伯鞍職による創建と伝えられているので、1400年の歴史を誇る古い神社ですが、文献上の最も古い記録は、811年、それ以前は確認できないようです。



1146年(一説には1151年)、平清盛(1118~1181年)が正四位下安芸守に任官し、安芸国一宮だった厳島神社を平氏の繁栄を願って保護したことから社運が開けたようです。



平清盛は、1158年まで国司として安芸国を知行していて、記録にはありませんがその間に何度が厳島神社に参詣したと考えるのが自然という説もあるようです。(五味文彦著 平清盛より)

東廻廊から平舞台を見る



平治の乱勝利の翌年となる1160年、念願の正三位(公卿)に叙任された平清盛(43歳)は、大願成就御礼のため記録に残る始めての厳島神社参詣をしています。

西廻廊



1164年、従二位権中納言に昇進していた平清盛と8カ国を知行していた平家は、さらなる一門の繁栄を願って絢爛豪華な平家納経を厳島神社に奉納していますが、この平家納経は国宝として今も厳島神社に伝わっていて、レプリカが宝物館に展示してありました。

日本最大の面積を誇る本殿の屋根



1167年、従一位太政大臣にまで昇進した平清盛(50歳)は、またも昇進御礼と思われる厳島参詣を果たし、その際に平氏の厳島神社を藤原氏の春日大社よりも豪華な社殿に建替えることを決意したようです。

東廻廊から見た大鳥居



そこで宮司の佐伯景弘に大規模な社殿の造営を命じ、佐伯氏は朝廷の裁可を受けた後に建替えに着手、翌1168年には今日のような廻廊で結ばれた海上社殿が造営されています。

東廻廊



社殿は、37棟の本宮(内宮)と、対岸に19棟の外宮があり、内宮の間口だけで、全長が700mもあったので、当時から想像を絶する巨大な社殿だったようです。



清盛の意向に沿って社殿の建替えを実行した宮司の佐伯景弘は、平家滅亡後も源氏に接近して鎌倉幕府の保護を受けていましたが、承久の変(1221年)で上皇側についたことで神主職を取り上げられています。

平舞台



平安時代に清盛が見た当時の風景は、現在の京都には殆ど残っていないと思いますが、この厳島神社にその時代の風景が大切に保存されているのではないでしょうか。




参考文献:平清盛  五味文彦著


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