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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



元明天皇(女帝661~721年)は、律令制に基づいた政治を行う中心地として、飛鳥に近い藤原京から710年(和銅3年)、奈良盆地の北端に造られた平城京に京を移している。

第一次大極殿復元工事



藤原京が耳成山、香具山、畝傍山という三山の中央に位置することはよく知られているが、当時の風水思想から京は、「三山鎮」という地相でなければならないとされていた。

第一次大極殿に正対する朱雀門



平城京の周囲にこの三山を求めてみると、北の山は平城天皇陵とされ、この山は平城京移転前からあった前方後円墳で、平城京の造営で前方部分が破壊されてしまっている。

平城天皇陵



従って平安時代の天皇であった平城天皇の御陵でないことは昭和38年の発掘でも明らかとなっているが、何故か今も訂正されていない。

平城天皇陵



次に東にある山は、春日大社のご神体ともなっている御蓋山(みかさやま)で、春日大社の勧請以前から信仰の対象となっていた記録が残っている。

東院と建部門



最後の西の山は、御蓋山の西6,5キロの場所にある垂仁天皇陵に治定された古墳がそれに相当すると考えられている。

小山が平城天皇陵



平城京は、唐の長安を模範とした広大な都市とし、当時の東アジアで日本の威厳を示す意味があったと考えられており、平城京宮域の保存部分だけでも124ヘクタールもある。

平城天皇陵前から見た第一次大極殿



平城京の北端中央にある平城宮(宮殿)の特長は、建造時期をずらした二つの大極殿が並んでいたことであろう。

平城京の羅城門から、まっすぐ北にある朱雀門の正面を第一次大極殿、朱雀門の東にある壬生門の正面を第二次大極殿と言い、第一次大極殿の復元工事が現在進行している。

第一次大極殿(左)、第二次大極殿(右)とある案内看板



平城遷都をした元明天皇の次は、元正天皇(女帝680~748年、在位期間715年から724年)、その次が聖武天皇(701~756年)で、聖武天皇は、平城遷都後30年を経た740年から京を転々と移し、745年に再び平城京に戻っている。



従って、平城京の第一次大極殿は、元明天皇、元正天皇という二人の女帝の朝廷として使われ、第二次大極殿は、男性の聖武天皇が745年に戻るまでに造営され、長岡京に都が移る784年までの39年間平城京の朝廷であったと思われる。

第二次大極殿跡地



この第二次大極殿こそ、北の「三山鎮」平城天皇陵に正対している本来の場所にあり、第一次大極殿が、北の「三山鎮」から西に外れた位置に造営された理由が謎となっている。


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