野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



十合呉服店が心斎橋筋に移ったのは、1877年(明治10年)なので、今年大丸(正確にはJ―フロントリテイリング以下省略)への売却が決定すれば、この地で132年も続いた「そごう」の暖簾を下ろすことになる。



一方の大丸は、1717年伏見で創業してから9年後の1726年、心斎橋筋に店を出しているので、大阪で283年もの歴史を誇っている。



当初の十合呉服店は、心斎橋筋側が間口4間、104坪の小さな店であったが、1894年(明治27年)2軒南の場所に移り、店舗を650坪に拡張、大正8年さらに拡張した際には倍の面積となり従業員は800名を越えていたという。

最初の十合呉服店の場所



その後も拡大路線は続き、1933年(昭和8年)には地下鉄御堂筋線の開通と合わせて高さ31mの百貨店ビルが北西部分に1期工事として完成、引き続き御堂筋南側の土地の買収と2期工事にかかっている。

地下鉄との連絡口



しかし、このときに十合一族の財力が底を尽いたため、小樽の板谷宮吉(二代目)から資金を調達している。

心斎橋筋から見たそごう本店



小樽の板谷商船は、日清、日露、第一次大戦の海運で儲け、2代目宮吉は、板谷商船社長、樺太銀行頭取、北門貯蓄銀行頭取、北海水力電気取締役、横浜生命保険社長、貴族院の多額納税議員を勤める大富豪であった。



1935年(昭和10年)には2期工事も完成、御堂筋に面したそごうは、鰻谷通りから大宝寺通りまでの1区画を占める巨大な百貨店に生まれ変わっている。

御堂筋からみたそごう本店



しかし、無理な拡大路線をしたために、十合一族の持ち株の大半は板谷宮吉に買収され、板谷宮吉が会長となって経営権も押さえたので、1877年から心斎橋に掲げた「十合呉服店」の暖簾は、58年目に実質「板谷百貨店」となっていた。

そごうの拡張(そごう商事50年の歩み)



かつて「そごう」に君臨し、倒産させた水島廣雄氏は、妻の義兄が二代目板谷宮吉の養子となっていた縁で、そごうに副社長として入社、後に社長の座に就いているので、板谷一族と呼んでも良いのかもしれない。



1935年に十合一族から板谷宮吉に売却された「そごう」は、水島廣雄氏の拡大放漫経営で2000年に倒産、そごうを吸収したセブン&アイ・ホールディングスが、今年そごう心斎橋本店を大丸に売却すると、74年を経た2度目の売却となるので、歴史は繰り返すということか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )