野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



2代目伊藤忠兵衛はこの家で生まれ、17歳まで住んでいたようであるが、父親が亡くなると同時に家を離れて大阪の店に丁稚として配属されているので2代目伊藤忠兵衛となってからはここに長く住んだことはないらしい。



イギリスに留学した2代目伊藤忠兵衛が本宅に帰宅した際に使うことを考えたためか、浴室には洋風のバスタブが置かれていたが、今のマンションにある豪華ユニットバスに較べれば質素なものであった。



伊藤忠兵衛記念館の中には当時使われていた伊藤糸店のチラシが展示されていたが、当時日本最大の繊維メーカーであった鐘紡の代理店であることを誇っているかのような内容であった。



八重夫人によって豊郷から丁稚に採用された一人が、後に丸紅商店の専務にまで出世した古川鉄治郎(1878~1940)当時11歳である。

1935年(昭和10年)、伊藤忠、丸紅で活躍し57歳となっていた古川鉄治郎は、故郷の豊郷村に小学校を寄付することを申し出て、ヴォーリズに理想的な学校の設計を依頼、ヴォーリズ設計の豊郷尋常小学校が2年後に完成している。

伊藤糸店の木版画



建設投資額43万円(当時の村予算の10倍以上)は、すべて古川鉄治郎の私財から提供されたというので当時の財界人には凄い人がいたのである。

この豊郷小学校は、2001年頃に解体の危機に瀕したことがあったが、貴重なヴォーリズ作品の保存運動が盛り上がり、マスコミで広く報道されたことがあるのでご記憶の方は多いのではなかろうか。



実は、トヨタ自動車の初代社長も豊田佐吉の婿養子となった近江商人(彦根市出身)の豊田利三郎で、利三郎は当初伊藤忠商店に入社しているが、豊田佐吉に見込まれて佐吉の娘と結婚、その際に伊藤忠をやめてトヨタ入りしたらしい。

この縁があったせいか、後に2代目伊藤忠兵衛は、トヨタ自動車の設立発起人となり、監査役にも就任している。

2代目伊藤忠兵衛のステッキと靴



八重夫人がいなければ、古川鉄治郎と伊藤精一は無く、今日の伊藤忠、丸紅、ヴォーリズ設計の豊郷尋常小学校は無く、ひょっとすればトヨタ自動車も無かったかもしれないという偉大な女性であった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )