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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



本多家廟所前の広場の正面には、長さ45メートルもある食堂(じきどう)があり、右側に2層の屋根を持つ大講堂、左には屋根の形が優美な常行堂があり、常行堂の屋根が食堂の軒下まで入り込んでいるのが珍しい。

食堂(じきどう)(重要文化財)2階



1333年隠岐を脱出した後醍醐天皇がこの大講堂に1泊したという記録があるが、現在の建物は室町中期のものなので、後醍醐天皇の宿泊から100年くらい後に再建されたものであろう。

大講堂(重要文化財)



大講堂では、「ラストサムライ」の撮影に先立ち、仏式の安全祈願祭を行い、エドワード・ズウィック監督をはじめ日米200名づついたというスタッフが参列したという。

常行堂(重要文化財)



修行僧が勉強したり寝食をした食堂(じきどう)は、1174年に後白河法皇の勅願で創建されているが、約300年後の室町時代に再建され、再建からすでに500年近い年月が経過している。

現在これほどの巨大な木造建築を作る木材は恐らくは入手できないと思われるので大切に後世に受け継いでゆかなければならない。

食堂裏側



エドワード・ズウィック監督は、500年の風雪に耐えて存在している食堂の大空間に感動して映画のロケ地としたが、「ラストサムライ」の公開以降、外国人の参拝者が激増したらしい。

この日もやはり外国人の姿があった



現在食堂は公開されているので拝観料200円を払って、2階と1階をゆっくりと見学して写真を何枚か撮っておいた。

食堂2階内部



1階の床には毛氈と写経をする机が置いてあり、映画の中で「勝元」がここに坐って写経するシーンがあったように思う。



コの字に囲まれた食堂前の広場を見ながら写経すればさぞ心が落ち着くであろうと思ったが、実際の撮影ではアメリカ側日本側合わせてスタッフ400名という大部隊がカメラの後ろに控えていたという。

食堂の裏の小道をさらに先に進むと、杉木立の中に開山堂(県指定文化財) 、護法堂、護法堂拝殿(県指定文化財)が、コの字形に並んでいる奥の院である。

護法堂(室町末期、重要文化財)



1007年に創建された開山堂は1671年に再建され、軒下の四隅に名人左甚五郎作とされる力士の彫刻が置かれていたが、屋根を支える部材に力士を彫刻するアイデアが面白い。

開山堂



奥の院から食堂の裏を通って戻りかけると鐘楼があり、さらにその先に本多家、松平家の後に姫路城主となった徳川四天王の一人榊原康政の孫、榊原忠次を始祖とする榊原家の廟があった。

鐘楼(鎌倉期、重要文化財)




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