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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



大阪天満宮は、大阪市北区に鎮座する神社で地元では「天満の天神さん」と呼ばれ毎年7月に挙行される天神祭は日本三大祭の一つとして知られている。

表門



901年に菅原道真が、九州太宰府へ配転させられる途中、この地に立ち寄り大将軍社に参詣したことがあったという。

その菅原道真が亡くなってから46年後の949年に大将軍社の前に突然7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わり、村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。

京都北野天満宮の創建が947年なので、それから僅か2年後のことである。

大阪天満宮の北門の近くに今もある大将軍社



従ってこの地に建立されてから、すでに1057年という歴史を誇っているのが大阪天満宮である。

大将軍社は、その後大阪天満宮の摂社として祀られるようになり、現在でも元日の歳旦祭の前に大将軍社でお祭りを行う習わしになっているという。

天神祭りの始まりは、951年に社頭の浜から神鉾を流し、流れついた浜に斎場を設け、「みそぎ」を行ない、神領民や崇敬者が船を仕立てて奉迎したのが起源とされている。

本殿西側



以来、船の数が次第に増え、豊臣秀吉が大坂城を築いた頃には今のように船渡御の形が整ってきたらしい。

大阪天満宮は、江戸時代だけで七度もの火災に遭い、大阪市中を焼き尽くした1724年の火事や、大塩平八郎の乱による1837年の大火でも全焼している。

1798年頃に出版された摂津名所図会には広大な境内と天満宮の絵図があるが、この建物も大塩の乱で消失してしまったのであろう。



幕末には、新撰組から天満宮へ将軍「徳川家茂」のために盛大な天神祭を開催して欲しいと要請があったらしい。

しかし、政情不安の続く幕末に、神様にお出ましを願うわけにはいかないと断固拒否し祭りを中止したという記録が残っているという。

現在残っている本殿は、今から163年前の1843年に再建された建物で、先の戦争にも焼けずに残ったのは幸いであった。



大阪天満宮の西から北へ全長2,6kmも続く日本一長い天神橋筋商店街の歴史も古く、天満宮が建立された1000年も前からすでに門前町としてこの地にあったらしい。




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