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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



宇多天皇、醍醐天皇の信頼が篤かった菅原道真は藤原氏の誣告によって901年、太宰府に流され903年に逝去している。



その道真の死後、京都では疫病がはやり、日照りが続き、また醍醐天皇の皇子が相次いで病死した上に御所の清涼殿が落雷を受け、多くの死傷者が出たという。

一の鳥居



御所の清涼殿落雷があったことから道真の怨霊は雷神と結びつけられ、元々北野の地に火雷天神の「地主神」が祀られていたことから、道真の祟りを鎮めようとして947年に創建したのが北野天満宮である。

狛犬の台座には梅のレリーフ



959年には藤原師輔によって社殿が整備され、987年には「北野天満宮大神」の神号が下されたことから道真を「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることになる。

「影向松」前の灯篭は宝暦14年製(1764年)



北野天満宮は創建されて既に1059年が経過している古い神社で、全国1万4千社あるという天満宮の総本山である。


1587年には豊臣秀吉が、北野天満宮境内で九州平定と聚楽第の竣工を祝って北野大茶会を開いている。

この日、秀吉みずから亭主をつとめ、千人以上の参会者で賑わい、諸家の茶席に秘蔵の名物茶器・道具が展観されたというが、秀吉が見た北野天満宮は創建以来640年を経てかなり荒れ果てていたのであろう。



このときの豊臣秀吉の遺命に基づき、豊臣秀頼の寄進によって拝殿、三光門などが1607年に再建されている。

北野大茶会の遺跡として、表参道の西側には細川三斎が設けた茶席の井戸が太閤井戸として現存している。



京福電鉄の北野白梅町駅から東に歩いて10分くらい、北野天満宮一の鳥居に到着すると、タクシーが何台も客待ちしている。

参道には住吉大社に見られるような石灯籠が林立していて、寄進された年代を見ると元禄時代以降のものが多く、明治、大正、昭和のものもある。



面白いデザインの灯篭は明治のものが多いが、石の質によるものか江戸期のものよりも風化が酷いものもある。



相当古いものもありそうであるが、灯篭の竿が円柱状のものは文字の風化が激しく判読が難しいものが多かった。

手前は元禄12年(1699年)とある灯篭



道真公は、845年六月二十五日の丑年、丑月、丑日、そして丑刻に誕生したことで、牛は天神さまの使いとされている。




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