Allen Houser Quintet & Sextet No Samba ( Straight Ahead ARS001 )
こういうレコードを買うことができた時、自分がマニアでよかったな、と思います。
70年代の音楽界を席巻したのは言うまでもなくロックで、音楽が一大ビジネスになることに気が付いた世慣れた大人と純粋な志を持った若者たちが
集まってあっという間に大きな波を創り出し、世界を飲み込んでいきました。ここから音楽はマスを志向するようになり、そうじゃないものは
次第に相手にされなくなっていく。
一方でジャズはと言えば、60年代に自浄作用が働いてフリーという形で一旦は解体されますが、フリージャズ奏者たちの最大の問題点であった
解体後の再構築ができなかったという大失態のおかげで、メインストリームはすっかり干上がって枯れてしまいます。唯一、マイルスの電化だけが
フュージョンという形に姿を変えて、そこにロックとソウルの要素を取り込みながら発展していきます。これが無ければ、フュージョンへの反作用
としての80年代末からの主流派ジャズの復興はあり得なかった。だからマイルスの電化は当時は禁断の手法として猛烈に批判されたにも関わらず、
結局は正しかったわけです。彼だけが先を読めていたのであって、現在もジャズが生きているのはマイルス・デイヴィスという恩人のおかげです。
70年代に最盛期を迎えた世代の主流派ジャズミュージシャンはそういう意味では不幸でした。40~50年代であれば無名ミュージシャンの受け皿と
なるマイナーレーベルがたくさんあってレコードを作れるチャンスがちゃんとあったのに、彼らにはそういう受け皿がなかったし、特に白人の場合は
尚更難しかっただろうと思います。
アレン・ハウザーがこうして自主制作に踏み切ったのは必然だったのだろうと思います。 60年代初頭に亜流だったフリーが自主制作しか選択肢が
なかったように、70年代前半のローカルな主流派には自主制作しか選択肢がなかったというのは皮肉なことです。
でも、自主制作盤やマイナーレーベルには、例えばアイラーの "Bells" を持ち出すまでもなく、いろんなこだわりが凝縮されているものです。
この盤もこの時代のレコードにしては異例ともいえるジャケットの厚紙の厚さやがっちりとした作りが嬉しいし、同様に厚みのある盤の質感もいい。
北欧の画家が描いたエッチング画のようなセピア色の絵画や裏面の詩など、意匠としての素晴らしさに所有する歓びを覚えます。
そして、そういう外観をも遥かに上回る音楽の素晴らしさ。 タイトルそのもののメキシコの沈む夕陽を眺めているような情感溢れる"Mexico" や
抒情的なバラードの "Charlottesville" などの最高の楽曲が並び、それらをアレンの伸びやかで輝くトランベットと深い音で鳴るバック・ヒルの
テナーがしっとりと演奏して行きます。 最高級で、洗練の極みとも言える演奏です。
70年代に録音されたジャズのアルバムの中では、これが最高の1枚ではないかと思います。
これまでもコメント差し上げたいコーナーが随分とありながら、時間が許さず中々投稿出来ずにおりました。
Allen Houserのこれら2枚のレコードを挙げられており、嬉しい思いで投稿します。内容についてはレコードプレイヤーが壊れたまま再聴不能で等しく同意しかねるのですが、好内容であったことは覚えがあります。殊No Sambaは、学生時代頻繁に聴いていた時期があります。バックヒルが記憶に残っています。
このコーナーの、ジャズ;フリー~電化~ヒュージョン~主流派ジャズ復興という歴史的経緯への洞察の件は大変勉強になります。
NO SAMBA は国内CDが出ていて、これがリマスタリングが上手くいってて、とてもいい音質で楽しめます。 私もずっとそのCDで楽しんでいたのですが、やたらきれいなレコードにぶつかってしまって、ついフラフラと手を出してしまいました。 2作目は輸入盤CDを聴いたらこれが音が悪くて、レコードに切り替えました。ユニオンで安く転がっていました。 国内CDも出ているのですが、縁がなく未聴です。
いずれにしても、これらの音盤は心ある人たちに愛される盤のようです。時々見かける中古レコードは大抵傷んでいて、しっかり聴き込まれた様子が伺えますし、国内CDは愛情こもった仕上がりだったり、中古が出回らなかったり。
幸せな音盤たちだと思います。