駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

Theatre de Yuhi Vol.1『La Vie』

2014年08月06日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 銀河劇場、2014年7月31日ソワレ(初日)、8月1日ソワレ、3日マチネ、ソワレ(千秋楽)。

 時は1980年、メキシコの病院とタマラ・ド・レンピッカ(大空祐飛)の絵の世界が交錯する…
 脚本・演出/児玉明子、音楽監修/和田俊輔、振付/KAZUMI-BOY、やまだしげき、マイム振付/いいむろなおき、企画プロデュース/大空祐飛。全2幕。

 まだ大阪公演がありますし、いつもはマイ千秋楽を終えてからブログを書くのですが、今回はちょっと早めに記事を上げます。大阪公演まで間がありますし、まだチケットがあるので。ちょっとでも興味を持った方に、もっと広く観ていただきたいから。
 ソロステージで、歌、ダンス、芝居、パントマイムのライブ・パフォーマンス…と聞いて、「えええ? 大丈夫??」と思わなかったファンは残念ながらいなかったのではないでしょうか?
 卒業後の初舞台が蜷川演出のストレート・プレイ、次が歌舞伎や狂言との異種格闘技による鏡花もの。年末に謝先生のミュージカルが決まっていて、いい流れだね、と思っていたところに告知された企画でした。
 セルフ・プロデュースか上手い人とはいえ何をやるの? 大丈夫? パントマイムってない壁をあるように見せたりするアレ?? みたいな。
 児玉先生とのトーク「表現者ノマド」はとってもおもしろくて刺激的で、ああ、いい創作活動をしているんだなあ、とは思えたのですが、しかしはたしてどんな演目を想像していったらいいのか…と不安なまま劇場に向かったファンがほとんどだと思うのですよ。観に行かない、という選択肢はないところがまた可愛いなとは思うのですが、まあファンってそういうものですからね。
 しかして大空さんはやってくれました。そういう人です、決して裏切らない人です。見くびっていてすみませんでした、お見それしました、心配はすべて杞憂でした。
 確かに単純なミュージカルとは呼びづらいかもしれない。コーラスもダンサーもいて役を演じてくれたりはしているのだけれど台詞をしゃべるのは大空さんだけ、しかしひとり芝居とも言いきれない。形としては晩年のタマラがインタビューに答えて人生を回想する構成になっていて、回顧という意味ではレビューと言ってもいい。コンサートに近いようなショーアップ・シーンもある。
 既存の形には収まりきらない、大空さんがイメージしたとおりのこと、やりたいことをやりたいように並べて詰め込んだ作品で、でもアタマでっかちになったりひとりよがりだったりワケわからない自己満足になっていたりはしない。ちゃんとストーリーがあってキャラクターがあってドラマがあってフツーに観られる。そしてとてもチャーミングで魅力的なのでした。
 ファンからしたら「こんな大空さん観たことない! こんな大空さんが観たかった!!」と楽しめるし、特にファンでない人でも舞台を観る人なら「こういうのもアリか」と楽しめるのではないかと思いました。
 そういう演目をきちっと作り上げられる人ってなかなかいないと思うのです。だから私はすごいと思いました。この人のファンでよかったと思いました。報われたし、この人が今後も進化し続けることを信じられたし、応援し続けようと思えました。幸せな公演でした。
 あいかわらずいいカンパニーに恵まれているようで、大阪公演も楽しみですし、よりたくさんの人に観ていただきたいと思いました。初日にはまゆたんとスミカが来ていましたが、ドラマシティには宙組子も来てくれるかな? パフォーマーとしてとても刺激を受けるのではないかと思います。

 冒頭の台詞の声がまずいいのです。大空さんがこんな声音で語れるようになるなんて!と感動しました。私は大空さんは卒業後はターコさんやノンちゃんのようなタイプの女優さんになってくれるといいなと考えていたのですが、そのセンの立派な芝居だったと思います。功成り名遂げた裕福な老婦人、でも華やかだった若かりし頃の記憶にしがみついてもいるような老醜を漂わせた哀れな女の語り口ができていました。
 でもターコさんはともかくノンちゃんは今では歌やダンスのあるお仕事はほとんどしていないと思うのですが、大空さんは現役時代も今も決してダンサーとも歌手とも言えないかもしれないけれどレッスンは熱心に通っている様子がうかがえて、それはそれは楽しそうに鮮やかに歌い踊ってくれるのでした。それはポーランドの上流階級の娘としてなんら不自由することなく幸せに育ったタマラの娘時代に扮していたからでもあるし、大空さん自身がやはり歌やダンスを愛しているからなのでしょう。たどたどしいスキップすら愛しい、生き生きとした舞台姿にシビれました。
 したいことしかしないですませた娘時代、ロシア革命に巻き込まれて亡命し、生活のために絵を描いて暮らすようになったパリ時代、美しいものしか描かず、美しい者しか愛さなかった美しいタマラ。美しければそれが同性か異性かを問わず愛し求めたタマラを、それは生き生きと演じる大空さんはまさに本領発揮というか本性発揮というか…そうですよねあなたってそういうところありますよねええ知ってましたよ、楽しそうだしそんなあなたが美しいからもうなんでもいいです素敵です許します、という感じで全面降伏。
 二幕のアメリカ時代はドレス姿も美しく宝塚時代に聞き慣れたジャズナンバーも多く披露して、ファンも久々に楽しく手拍子揃えちゃったりして大盛り上がり。そして最終場、ポスタービジュアルをこう使ってきたか!というアイディアと、タイトルに通じる熱唱…
 タマラの自画像の前に静かに佇んでいた黒いワンピース姿の大空さんが、紗幕に映されたタマラの写真をゆっくりと振り返ったところで舞台が暗転したとき、私は今回のことがあって初めてこの数奇な運命をたどった伝説の美人画家を知ったくらいでしたが、大空さんにこんなふうに想ってもらえて、こんな素敵な作品に仕立ててもらって、タマラも嬉しかろう…と不遜にも感動してしまいました。そしてそんな作品を作り上げた大空さんの腕力に泣きました。
 二度目に観たときには、自分の分身と踊るタマラやタイトルに通じる人生の意味を考えさせられて泣きました。どんなに才能があって賞賛され華やかな一時代を築いた人でも、人はみな等しく老い衰えいつかは必ず死ぬ。作品が後の世に残ることもあれば残らないこともある。大空さんも若いとは簡単には言いきれない歳になりつつあるし、まして彼女が作る舞台はナマ物でそのままの形では後世に残ることはない。何もかもがいずれはうたかたのように消え去る。
 でもそれが人生。だから愛し、生きる。だからこそ永遠に「若い」。そんな頼もしい宣言に思えました。そしてそれは確かに真理なのだろうと私も思うのです。
 だから私は劇場に通い続けます、舞台を観続けます。いつか消えてしまうものだとしても、それはなかったことと同じではないのですから。

 大阪公演千秋楽後に、また追記すると思います。ご用とお急ぎのない方は、是非シアタードラマシティへ、そして再び当ブログを覗きに来てやってくださいませ。






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