駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

劇団☆新感線『蒼の乱』

2014年04月12日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアターオーブ、2014年4月9日ソワレ。

 都に跋扈する貴族らの宴の席で外つ国からの渡来衆が占いに見たのは、国家大乱の卦。悪しき卦を出した咎で処罰されそうになった渡来衆の長・蒼真(天海祐希)と親友の桔梗(高田聖子)は、坂東武者の将門小次郎(松山ケンイチ)に救われる。だが都に三人の逃げ場はなく、追い詰められたそのとき、帳の夜叉丸(早乙女太一)が現われて追っ手を一蹴し、三人を西海へと誘う…
 作/中島かずき、演出/いのうえひでのり。全2幕。

 私はそんなにたくさん新感線の舞台を観ているわけではなくて、また好みのものもそうでないものもあったと思っているのですが、もちろんユリちゃん目当てで観に行ったこの作品は休憩込み3時間40分をほぼ飽きさせず楽しく突っ走ってくれて、たのしい舞台でした。ザッツいのうえ歌舞伎ですね。
 私はユリちゃんの宝塚歌劇団での現役時代ももちろん観ているのですが、卒業直後はよもや将来こんなふうに舞台女優として花開こうとは思ってもいませんでした。もちろん映像でも大活躍ですし、舞台は演目を選ぶのかもしれませんが、もしかしていのうえ歌舞伎の座長ヒロインを務めるために生まれてきたのか?とまで今回は思ってしまいました。それくらいの圧倒的なオーラとスケール感でした。病気降板からの完全復帰もとてもめでたい、よかったよかった。
 しかしそれにしてはむしろ脚本というか構成というかがユリちゃんに合わせきれていないのではないか、とも思ってしまいました。
 作者の中島かずきは「平将門については『いつか書くんだろうな』という漠然とした予感はあった」とプログラムで語っていますが、モチーフとしては確かに誰もが一度は扱いたいものでしょうね。祟り神となったともされる稀代の悪人の素顔が実はけっこう純真素朴な若者で、名前の方が大きくなってしまったときにその名前を引き継ぐ別人が現われる…というのもよくあるパターンだと思います。
 つまり、蒼真というのはもともとは男性キャラクターだったのではないか?と私は思ってしまったのでした。
 ピンで客が呼べる男性の役者が主演に迎えられたのなら、その演目に想定されていたのでは? それをユリちゃんでやることになったから、蒼真を女性ということにしたのでは? かつただの女だと間がもたないというか間尺が合わないから外国人の、故国で反乱を起こして結果的に国を滅ぼしてしまい日本に逃げてきた女…なんてものにしたのでは?
 だって渡来衆の名前だとしても蒼真というのは女の名前ではない。海をモチーフにした名前だとも思えない。これはむしろ日本の男で、小次郎の兄弟とか従兄弟とかに与えられる名前だったのでは? まあ当時の日本の名前としてもちょっとアレだけれど。
 なのにユリちゃんだから女にした。それはいい。でも女にしたから小次郎と夫婦云々ってことにするなら、きちんと恋愛を描いてほしかった。
 でもないじゃん、恋。このふたり、絶対にデキてない。そして女はデキていたら男をあんなふうに見捨てて逃げたり絶対できない。
 そこが描けないなら、いっそ夫婦云々の話はなくしてほしかった。男と女の間には恋愛しかないわけではないんだし、その方がわかりやすかったしニンにも合ってたと思いますよ?
 だって一幕のユリちゃんのカマトトっぷりとか小次郎との少女漫画展開とかこそばゆくって仕方なかったもん。将門御前を名乗り将門の名を引き継ぐ、となってスイッチ入ってからのユリちゃんの方が断然輝いていたもん。声も男役声になったしね。
 それから、高田聖子は役不足だったし、桔梗という役には合っていなかった。というか桔梗というキャラクターの中途ハンパさ加減がまた気持ち悪かった。那香(森奈みはる)のミハルは素晴らしかったけれど、たとえば高田聖子と役を入れ替えてもよかったのでは? というか、桔梗という役はミハルがやるなら意味があったと思うのですよ。
 プログラムには「親友」とありましたが、私には桔梗の立ち位置がついぞわかりませんでした。やたらと蒼真を大事にして気遣いをかけるので、蒼真が姫でその侍女なのか?とも思えたけれど、そうでもないみたいだし。でも、別に高田聖子を醜女というつもりはないけれど、でもこのふたりって全然友達に見えないもん。というかこんな女友達なんかいないもん。ていうか実際にはいるんだけれどそれってすごく気持ち悪い関係で、エンターテインメントの作品に記号として置くには据わりが悪いんですよ。
 だから姫と侍女の主従関係か、親友同士なら桔梗ももうちょっと美人である必要があるワケ。で、なんなら蒼真に対して実は腹に一物あるようなキャラクターにするべきなんですよ。たとえば小次郎を愛するようになる、とかね。そういう動きがないのであればむしろ不要なキャラクターなんです。そしてそれはミハルならできたと思うのです。
 高田聖子はチョイチョイ笑いも取るし説明台詞も上手いし素晴らしいですよ、でもこのひとにはもっともっとできることがある。桔梗という中途半端な役では気の毒に感じました。
 那香があれだけおもしろく描けるんだから、この作者は女が書けない…ってことではないと思うんだけれどなあ、残念。

 松山ケンイチは、そういえばこの間まで平清盛をやっていましたが、まああんな感じでしたね。純粋で素朴で馬と自然を愛す好青年、お人好しで馬鹿の一歩手前、みたいなキャラクター。だから女が惚れる男の要素はなくて、これに惚れる蒼真がわからないしぽかんとしちゃうんですよね。一幕はこのダブル主人公のどっちにどう共感して観ていったらいいのかわからなくて、けっこうとまどいました。だってこの男は所詮馬鹿だし、女の方はワケありっぽくて今のところいろいろ隠されているのかもしれないけれどもしかしたらただの綺麗なだけの女ってことなのかもしれず、しかしそれにしてはユリちゃんがあまりに強そうなのでそらないだろ、って感じでとまどうんですもん。
 冒頭の宴の場面なんか、小次郎が助けに入らなくっても絶対にユリちゃんがそこらの兵から剣を奪って戦って勝つんでしょ?って空気満々でしたからね。
 だから二幕に入って話の方向性が見えてきてからはかなりノリやすくなりました。

 早乙女太一の殺陣のすごさはこの作品の影の主役だと思いました。あんな段差のある盆が回る中での格闘、怪我しないようにがんばってもらいたいものです。さすが大衆演劇出身で見得切りもお手のもの、思わず拍手入れちゃいましたよ。
 でもそれでいうと、同じことはユリちゃんにはできないんだけれど、それこそ宝塚お得意のダンスが先頭を表現する場面があってもよかったかなー。現役の頃だってそれほど名ダンサーってわけではなかったけれど、今だってそこらのタレントや役者よりは踊れるだろうし、なんてってってそういうときのユリちゃんの空間支配能力は段違いです。歌場面もすごくよかったけれど、あれだけでは物足りない。もったいない!

 そしてミハルは本当に本当に素晴らしかった! あんなテンションでキレて言う台詞をあんなに明晰に聞かせられるってなかなかできない。一幕で死んじゃってえええええもう出ないの?と思っていたらまさかの幽霊出演、熱唱場面アリ、最高! でもカテコは三角頭巾なしで出てきてもよかったと思うよ(^^;)。
 そしてそして黒馬鬼の橋本じゅん、大変だったろうなあ。でもこれまた素晴らしかった! 小次郎が馬と話ができて、だけど人生に迷走し出すと馬の言葉がわからなくなる(そして将門の名を継いだ蒼真に理解できるようになる)、というのはすごくよかったです。
 そしてそしてそして新感線初登場の平幹二朗、二役とも素晴らしかった! この人でないとできない重みを作品に与えていたと思いました。

 私はラストで登場人物が板付きのまま暗転して、再び照明が入ったときにもそこにいてそのときはもう役を降りた顔をしていてお辞儀をする、というタイプのカーテンコールが興醒めで大嫌いなのですが、今回も残念ながらそのパターンでした。
 でもユリちゃんはすっくと立ったまま暗転の中に消えていって、明かりが入ったときにはすでにお辞儀というか屈んでいて、そこから顔を上げてにこっと笑って再度ゆっくりお辞儀する…というものでした。だからそこからはちゃんと別物に見えてよかったです。
 スタオベになって二度ほどカテコがありましたが、最後は下手端でひとりの残ったユリちゃんが「どうだった?」って感じで耳に手を当てて、観客みんながキャーキャーワイワイ言えて(私も「カッコよかったー!」叫んだ(笑))、そうしたら大きく満足げにうなずいて、深くお辞儀して、バイバイして去り、それでおしまい、としたんですね。鮮やかだった! 私は何度もお義理のように繰り返されるカテコが大嫌いなので。
 というワケでなかなかに満足だった観劇だったのでした。



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