駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

ほったゆみ・小畑健『ヒカルの碁』

2020年04月23日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名は行
 集英社ジャンプコミックス全23巻。

 ある日、小六のヒカルは祖父の家の蔵で古い碁盤を見つける。その瞬間、碁盤に宿っていた平安の天才棋士・藤原佐為の霊がヒカルの意識の中に入り込んだ。佐為の囲碁に対する一途な想いが、ヒカルを徐々に囲碁の世界へと導いていく…

 引き続き愛蔵コミックス再読をしているのですが、これも久々に読み返しました。細かいところを綺麗に忘れていて、ものすごくワクワク読みました。絵が上手いというのはもちろん、ネームが抜群に上手い。原作者のオマケ漫画にもありますが、たくさんの人の手にかかってブラッシュアップされていることがビンビン感じられる仕上がりになっています。連載当時もワクワク読んでいたのですが、完結時に感想をまとめていないことが発覚したので、今回書いてみました。ちなみに緒方さんに関する萌えコラムは書いていて(笑)、前後が長いというか一連のメガネくんコラムの中にあるのですが、一応こちら。
 さて、読んでいて、「その後、漫画家が別の原作者と組んで『DETH NOTE』『バクマン。』といったヒット作を出したこともあってか、当時あんなに人気で一世を風靡したのに、今はあまり言及されることのない作品になっちゃってるかもなあ。なんでかなあ?」とか思ったのですが(ちなみに私は『CYBORGじいちゃんG』のこともわりとちゃんと記憶に残っていますけれどね…(笑))、読み終えてみると、さもありなんというか、大局的にはストーリーに失敗しているというか、特に締め方、終わり方が良くなくて、それもあって全体に印象に残りにくいというか語りにくいというか…な作品になってしまっていたのだな、と感じました。それで私も完結当時に感想をまとめてていないのかもしれません。ホントに囲碁ブームを起こしたし、たとえ囲碁がわからなくてもみんな夢中になって読んでいたんだけどなあ。私はファミコン初期に弟につきあってちょっとシューティングめいたものを触った以外はゲームにまったく興味がなく、RPGもときメモみたいなのにも全然触れてこなかったのですが、このときはゲームボーイを買ってやったもんね! 覚えたもんね囲碁! みんな忘れたけどね!(笑)
 でも、優れたジャンル漫画がそうであるように、この作品も囲碁漫画ですが別に囲碁がわからなくても十分おもしろい構造になっています。それはすごい。ただ、物語的にはやはり17巻で終わっていて、18巻は番外編集だから別にしても、19巻以降はぶっちゃけ蛇足なんですね。そしてこの第二部(?)は人間ドラマが薄まり、碁の手合いのゲーム、勝負としてのおもしろさ、すごさを描くことにややシフトしていて、それだとやはり読者は引っ張っていけないんだよな、という感じです。たとえばスポーツものなんかでも、ずぶの素人が興味を持ち競技を始めまずは部活から、やがて大会に出て全国区になってやがて世界へ…みたいな流れのものはあって、国内トップになったところが第一部完、第二部はワールドワイド編、みたいな展開をするものもあり、そこでギアが上がってさらにパワーアップすることも多いものです。そのスポーツに興味がない読者も、展開の派手さを楽しんでついていけたりします。でも、『ヒカ碁』はそれには失敗していると思います。欧米でもたしなむ人は多いけれど囲碁はやはり東洋のゲームで、組織だって競技としてやっているのが主に日本、韓国、中国だということもあり、第二部で扱われる「ワールド」はその3国です。だからあたりまえですが増えるキャラがみんな東洋人なんですね。なんせ絵が上手いから描き分けもものすごく上手いし、美形キャラなんかもちゃんと投入されているのですが、やはり広がり、派手さに欠けます。また、当時すでに日本の囲碁界の地盤沈下はあったのでしょうが、そういう危惧や未来への希望を描くために「囲碁界の話」にシフト気味で、ストーリーのダイナミックさに欠けてしまい、それはやはり囲碁そのものには本質的にそんなに興味がない読者にアピールしなかったろうと思うのです。この失速感が印象を悪くしていたと思います。まあ、人気作が完結を引っ張られるのはよくあることですし、ものすごく冗長になっていたり迷走していたりすることはないので、そこは立派なんですけれどね。ただ、このバートが芯を食っていなかったことだけは確かだと思います。
 また、17巻までで綺麗に終わっていたとしても実はちょっと消化不良だったろうことも、問題ではあるでしょう。
 ここまでヒカルは着実に成長・前進していて、読者も一緒になって楽しんでこられたのだけれど、ぼちぼち「ところでこれって最終的には何を目指す話? 何がどうなったらゴールの話?」って思われないうちにそれを読者には提示すべきところでできていなくて、終盤になったらなんとなく佐為が消えそうだってことだけが臭わされ始めて…って感じになっちゃってるんですよね。でも、なんで消えるの? そもそもなんで現れたの? って感じになっちゃってる。
 本当はもっと最初から、これはヒカルとアキラのふたりの天才の物語で、佐為はふたりを出会わせるために、ヒカルをアキラのレベルに引き上げるためだけにこの世に現れたのであり、ふたりをともに戦い競わせ磨かせることで囲碁界をまた一歩前進させたらまた次の機会のために消えることは必定の、孤高の神なのである…みたいな作りにするべきだったのはないてじょうか。だから、かつては一平安貴族にすぎなかった佐為が、多少の囲碁の才はあったとはいえ何故そんなふうに運命づけられてしまったのかというドラマや、秀策時代に本当は何があったのかといったドラマをもっと掘り下げるべきだったのかもしれません。また、アキラに関してももっともっと描き込まれてよかったのでしょう。でもそうなっていないので、ヒカルとアキラが三度、そして真の意味で手合うのがゴール、そしてそのとき佐為は必然的に消滅して終わり…というラストが提示しきれないままにストーリー的には話がゆるく進んでしまい、あれれれ?という印象になってしまったのでしょう。そこは残念ながら一歩、「神の視点」が足りなかったのかもしれません。タイトルはいいし、少年漫画なんだから主人公の成長に焦点が当てられるのも当然です。でも、それでももっと大いなる運命や宿命、物語を描くことはできたはずですし、その方がこの作品に関しては据わりがよかったはずなのです。それくらい、佐為の存在は大きかったとも言えます。最終的に囲碁界への愛を語るならなおのこともっと大きくすべきだった、とも言える。ズルされて負けて落ち込んで自殺して無念だったから…というだけのお化けじゃ、卑小すぎたんですね。神様にすべきだったんです。それくらい囲碁は深遠なゲームなのでしょうから。そしてそれは囲碁ならずともどんな競技でも、あるいは競技ですらなくても、そういうものなのでしょうから。真剣であるということは、常に神とともにあるということなのでしょう。無宗教でもそういう神様観ってあるじゃないですか。そういう「大いなる物語」にできていたら、囲碁というマイナーでニッチなモチーフのジャンル漫画だったとしても、もうちょっと今でも読み継がれ語り継がれる作品になりえたと思うのです。1巻刊行からまだ20年しか経っていないのになあ…忘れ去られた、とまではもちろん言いませんけれど、でもやはり同時代のジャンプ作品(がまたお化け作品ばかりなので一概に語るのもアレなんだけれど)に比べると言及がないというかきちんとした研究や批評がない気がして残念なのですが、今回再読して改めて、そのあたりが原因かなあとか思ったりもしたのでした。まあ現代は漫画作品が飽和気味であるとかいろいろ歴史が継承されていないとかはあるかもしれないし、でも電子で一気再読で人気再燃再評価なんてことも起こりえるのがまた現代だし、まだまだ断定するには早すぎるのかもしれませんけれどもね。
 なんせ多彩なキャラクター造形が素晴らしく布陣も素晴らしく、人間ドラマがよくできていて、特に中盤までは主人公を成長させるストーリー展開も素晴らしく、さらに何度でも言いますが絵が上手いのもあるけれどとにかくネームがめちゃくちゃ上手くて、どの話を取ってもここのここがこう素晴らしいと語りたくなる箇所があるくらいです。このクオリティははっきり言ってなかなかない。カバーイラストもデザインもいいし埋め草もいい。素晴らしいコミックスだと思います。
 私は引き続き愛蔵し続け、また忘れたころに読み返し、緒方さんに悶えまくりたいと思います。はー、好き!(笑)

コメント
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