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法はひとを守るために存在する。立法や行政に頼れなくても、司法は最後の『市民の砦(とりで)』

2011-08-09 05:40:56 | シチズンシップ教育
 「法は、ひとを守るために存在している。」私の命題のひとつです。

 「正義はあっても力を持たない人間が、立法や行政に頼れないとき、救済できるのは司法だけです。つまり司法は最後の『市民の砦(とりで)』であるべきです」
 東京新聞社説で書かれていましたので、こちらでも掲載をいたします。

 築地市場が、都民やそこで働く市場関係者の皆様への十分な説明やリスクコミュニケーションをすることなく、日本最大規模の土壌汚染地である東京都豊洲6丁目東京ガス工場跡地へ半ば強引に移転が進められています。
 先日の都市計画決定も、住民への意見縦覧も無く行われました。(実際は、土壌汚染問題がクローズアップされる前の、平成19年度実施の住民意見を使用)
 食の安心安全が危機に瀕しています。
 リスクコミュニケーションや公開討論会を実施しない都の姿勢に対し、都民消費者市場関係者が疑義を抱き、東京地方裁判所という法廷の場でも、築地市場移転問題に関連した事項の審議が行われているところです。
 
 東京新聞社説では、原発問題でも法廷で審議されているとのことです。
 しかし、原発訴訟で『原告勝訴』の判決が出たのは、わずか二件だけ(志賀原発の一審判決と、福井県の高速増殖炉『もんじゅ』の二審判決)であり、両者上級審で敗訴に逆転している現状があります。
 
 それでも、最後の最後、ひとを守る事ができるのは、法しかありません。
 「法は、ひとを守るために存在している。」信じています。


*****東京新聞(2011/08/08)*****
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011080802000043.html

【社説】
週のはじめに考える 司法は「市民の砦」か
2011年8月8日


 過去の原発をめぐる住民訴訟はすべて、結果的に「原告敗訴」で終わっています。福島第一原発の事故を境に、裁判官の考え方は変わるでしょうか。

 「相対性理論」で名高いアインシュタイン博士は一九四五年、「アトランティック・マンスリー」という雑誌に次のようなことを書いたそうです。

 《原子力が将来、人類に大きな恵みをもたらすとは、いまのわたしには、考えにくいのです。原子力は脅威です》(講談社刊「科学の巨人 アインシュタイン」)

◆覆った差し止め判決
 福島第一原発事故で、金沢地裁の元裁判官・井戸謙一さんはその脅威をしみじみ感じました。

 「いよいよ起きてしまった。まずそう感じました。全国の原発に共通する危険性が、現実化したのだと思いました」

 二〇〇六年、石川県にある北陸電力・志賀原発で、全国初の「運転差し止め」を命じた当時の裁判長だった人です。

 この裁判では、どんな揺れが原発を襲うかが争点の一つでした。原発近くの断層帯全体が一度に動けば、マグニチュード(M)7・6の地震が起こる可能性が指摘されていました。電力会社は断層は別々に動くと主張し、もっと小さな揺れを想定していました。

 井戸さんらは「予測される地震は最大想定値として考慮すべきだ」と考えたのです。

 しかし、この判決は〇九年の二審で取り消されてしまいます。新しい耐震設計審査指針に基づく見直しが実施され、「安全」という国のお墨付きが出ていたのです。

 名古屋高裁金沢支部は国の安全判断を認めました。「M6・8で十分。断層帯が連動して動くことはない」とする電力会社の想定を妥当とし、最高裁も原告の上告を退ける決定をしました。

◆最高裁は「二重基準」
 井戸さんはこう続けます。

 「原発に問題点があることを感じていても、多くの裁判官は過酷事故を起こす現実感を持てなかったのではないでしょうか。今回の事故は、事実をもって、問題点の証明をしたと言えます」

 長く原発訴訟に取り組んできた海渡雄一弁護士も「日本の司法は原発の安全性に向き合ってこなかった」と厳しく指摘します。

 「そもそも数々の原発訴訟で『原告勝訴』の判決が出たのは、わずか二件だけです。志賀原発の一審判決と、福井県の高速増殖炉『もんじゅ』の二審判決です。それも上級審で敗訴に逆転します。これまでの裁判を見通すと、最高裁はまるでダブルスタンダード(二重基準)を用いているのではないかと思われるほど、常に国の判断に追随してきたのです」

 「もんじゅ」の設置許可を「無効」とする判決が出たのは〇三年です。判決は「安全審査に重大な誤りがある」と述べました。それを最高裁が〇五年に覆します。

 「最高裁は事実認定しないのが原則ですが、『もんじゅ』では、高裁判決にはない事実認定を書き加え、矛盾する高裁の認定はすべて無視して、国の安全審査に過誤・欠落はないと結論づけたのです。逆に東京電力の柏崎刈羽原発の訴訟では、最高裁は法律上の判断しかしないとして、上告理由はないと退けました」(海渡さん)

 裁判官は国や専門家の判断を尊重し、手続きに重大な誤りや落ち度などがなければ「問題なし」としてきたのが実態なのです。

 中部電力・浜岡原発の裁判では、後に原子力安全委員長となった班目(まだらめ)春樹氏が中電側の証人として、「(原発の設計は)どこかで割り切る」と証言しました。班目氏は原発事故後の国会で「割り切り方が正しくなかった」と珍妙な答弁をしました。専門家もあてにならない証左です。

 この浜岡原発訴訟の弁護団長・河合弘之弁護士を中心として、今年秋から全国各地で「脱原発訴訟」を起こす動きがあります。既に約百人の弁護士が名乗りを上げています。3・11を受けて、国民の認識も裁判官の認識も変わったという風を感じています。

 元裁判官の井戸さんも「第二のフクシマを想定し、裁判官の発想も影響を受けるでしょう」と語ります。「正義はあっても力を持たない人間が、立法や行政に頼れないとき、救済できるのは司法だけです。つまり司法は最後の『市民の砦(とりで)』であるべきです」

◆原点に立った目で
 人間が発見した原子力をなぜ人間が管理できないのか。アインシュタイン博士は皮肉を込めて「政治が物理学より難しいからですよ」と答えたそうです。

 科学の巨人が「脅威」と語った原子力について、やすやすと最高裁が容認してきたことに驚かざるを得ません。原点に立ち返って、「市民の砦」の役割を期待したいと思います。

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