三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「ソウル梨泰院にベトナムテーマ通り「クイニョン路」作ることに」

2017年09月01日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/23176.html
「The Hankyoreh」登録 : 2016.01.27 23:13 修正 : 2016.01.28 08:15
■ソウル梨泰院にベトナムテーマ通り「クイニョン路」作ることに
 龍山区 「歴史的な傷癒えるように」

【写真】ソウルの龍山区はベトナムのクイニョン市との姉妹都市交流20周年を記念して梨泰院に「クイニョン路」(Vietnam Quy Nhon-gil)を作ると27日明らかにした。3月に普光路59路(幅8m、長さ330m)に名誉道路名を付与する予定だ=龍山区庁提供/ハンギョレ新聞社

 韓国軍憎悪碑建てたクイニョン市と 
 姉妹都市20周年を記念して造成

 ベトナム戦争当時、韓国軍猛虎部隊が駐留していたベトナムのクイニョン市に1976年、「韓国軍憎悪碑」が建てられた。猛虎部隊は、ベトナム戦争で数多くの戦果を上げたが、その過程で民間人を虐殺するなど、ベトナム人たちに大きな傷を残した。
 今年3月、ソウル龍山(ヨンサン)区梨泰院(イテウォン)に歴史的和解のための「クイニョン路」が作られる。龍山区は27日、クイニョン市と姉妹都市交流20周年を記念し、梨泰院普光路59路を名誉道路として「クイニョン路」と名付け、この路をベトナムテーマ通りにする計画を発表した。
 テーマ通りではベトナム語を英語や中国語、日本語レベルの主要外国語として表記し、ベトナム観光客がクイニョン路周辺のレストラン、カラオケ、商店街、宿泊施設、病院などを利用しやすくする計画だ。ベトナム語で表記した梨泰院広報冊子も発行し、周辺緑地の3カ所を「クイニョン庭園」として造成する予定だ。グラフィティと落書きで汚染された施設に、クイニョン市と共同でデザインした壁画を描く事業も進められている。
 龍山区は1992年に韓国とベトナムが国交正常化した後、クイニョン市と交流に乗り出した。 1996年には区代表団が初めてクイニョン市を訪問し、翌年には姉妹都市の協定を結んだ。 20年近く交流し、学生への奨学金支援と留学支援、白内障治療センターの建設、愛の家作りなどを持続的に行ってきた。韓国に対するわだかまりも徐々に消え始め、最近クイニョン市は韓国軍憎悪碑の名称を「慰霊碑」に変えた。
 龍山区は3月、クイニョン市トゥランカオバン109番地に龍山区海外事務所を開き、韓国語と韓国文化の普及事業、観光客の誘致活動を始める計画だ。クイニョン市が事務所の建物を無償で支援することにした。ソン・ジャンヒョン龍山区庁長は「地方政府の努力が加わり、韓国とベトナムの間の歴史的傷が一日でも早く癒えることを願う」と話した。

ウォン・ナクヨン記者
韓国語原文入力:2016-01-27 19:27
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/728152.html


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/23079.html
「The Hankyoreh」登録 : 2016.01.16 03:54 修正 : 2016.01.16 07:49
■癒えることないベトナム戦争での民間人虐殺 「ああ、韓国人は今も村に入れない」
 「韓ベ平和財団」ク・スジョン氏からの手紙

【写真】韓ベ平和財団建立推進委員会は、昨年9月14日、ソウルのフランシスコ教育会館で最初の会議を開き、財団建設運動に本格的に乗り出した。座った席の左から3番目がこの日推進委員長に選出されたノ・ファウク極東大学客員教授、6番目が筆者=キム・ソンホン作家提供//ハンギョレ新聞社

 「ベトナムピエタ」銅像建立を推進したのは韓ベ平和財団(仮称)だ。韓ベ平和財団の中心人物の一人は、1999年にベトナム民間人虐殺を韓国社会に初めて知らせたク・スジョン『ハンギョレ21』ホーチミン通信員だ。彼女は昨年の秋から推進委員長のノ・ファウクク極東大学客員教授などと共に、韓ベ平和財団の設立に参加してきた。財団はどのように始まったのか、なぜ財団を設立しようとするのかク氏が手紙で伝えた。
 1994年5月、本当に蒸し暑かった日でした。「謝罪します」。ホーチミン大学のキャンパスで偶然出会った日本人老夫婦が、私の前で靴を脱いで跪き、何度も深く頭を下げました。その年の最初のスコールが竹箆(しっぺ)のように背中を叩きつける中、揃えた靴に雨水が溢れるまで、彼らは体を起こそうとはしませんでした。後日、韓国人である私たちは、ベトナムに悲しい巡礼の旅に出て、絶えず頭を下げて「申し訳ありません」を繰り返すことになるとは、その時は夢にも思いませんでした。
 ベトナム中部で韓国軍の足跡を追ってあちこちを彷徨っていた1999年、ほとんどの町で、私は虐殺から30年ぶりに初めて現れた韓国人でした。ところが、村の人たちはいきなり私の手を引っ張って、イギリス人が立てた慰霊碑と日本人が建てた学校に連れて行きました。そこで出会った韓国軍の被害者は、ドイツ人が支援した義足を着けていました。韓国軍が通り過ぎた村には必ず建てられていた慰霊碑、生まれて初めて対面した韓国軍憎悪碑、生まれて間もなく、名前も付けてもらえなかった赤ちゃんの墓の前でも、何とか耐え抜いていた私が、ビンホアでは崩れ落ちました。
 ジュンコ(JUNKO)学校を訪れたのは、それからしばらく後のことです。明治学院大学に在学中の高橋淳子氏は、1993年にピースボート(Peace Boat)に乗ってダナン港に寄着し、韓国軍による民間人虐殺地であるトゥイボ村を訪問することになります。淳子氏は学校がなく、村の小道に佇んでいる子供たちが気になりました。日本に帰って路上で募金運動を繰り広げていた淳子氏は、残念ながら、交通事故でこの世を去ります。淳子氏の部屋を整理して日記帳を見つけた両親は、生前に果たせなかった娘の夢を実現するため、代わりジュンコ学校を建てました。運動場に入ると、あちこちから「ジュンコが来た!」という歓声が沸き上がりました。村の子供たちは「ジュンコ、ジュンコ!」と叫びながら、私の後ろを付いて回りました。トゥイボで、私は自分の名前ではなく、「ジュンコ」と呼ばれてもいいと思いました。

 1999年、私はベトナムの村で 
 30年ぶりに初めて現れた韓国人 
 彼が私の手を引っ張って連れて行ったところは 
 イギリス人と日本人が建てた慰霊碑と学校 

 2月のビンアン虐殺50周年慰霊祭 
 小規模ながらも韓国参拝団を組織し 
 しっかり記憶し志を共にする 
 その約束を財団設立として実践

【写真】2014年7月の平和博物館が主催したベトナム平和紀行の際、韓国人訪問団の前でギターの曲を歌うトアンウンイア氏。1966年ビンホア虐殺の母親に抱かれている生き残ったが、火薬が目に入った=嶺南日報提供//ハンギョレ新聞社

 遅ればせながら、謝罪するためベトナムに足を運ぶ韓国人たちも後を絶ちません。 2003年に『ハンギョレ21』読者の寄付で建てられた韓ベ平和公園にはもうかなり木が生い茂っています。2000年から、韓国軍の駐屯地を中心に毎年無料診療事業を行ってきた「ベトナム平和医療連帯」は、いつの間にか17期診療団を迎えることになりました。青龍部隊の駐屯地だったであるクアンナム省で韓ベ青年平和キャンプを行ってきた市民団体「ナワウリ(私と私たち)」は、虐殺が起きた村への道を舗装し、橋を架け、慰霊碑を建てて、幼稚園も建立しました。昨年4月には「平和博物館」の招待で、ベトナム戦争韓国軍虐殺の被害者たちが初めて韓国を訪問しました。
 しかし、私たちの手が及ばないところがはるかに多いです。韓国軍憎悪碑に建てられているビンホア村は人民委員会庁舎がある村の入り口までしか、(韓国人の)出入りを許しません。村で住んでいる人々の時計はまだ1966年12月の日その時刻で止まっています。「韓国軍にやられるのなら、むしろ米軍にやられた方がまし」という自嘲まじりの怨声も聞こえます。すぐ隣にある町のミライ村には、米国の良心的な市民の努力で虐殺被害者に対する支援が行われており、病院や学校、博物館、公園が立ち並んでいることを当てつけて言っているのでしょう。ああ、私たちは村の中には入れない、韓国人です。
 韓国軍戦闘兵派兵50周年の2015年を基点に、今年からベトナム中部のあちこちで韓国軍民間人虐殺50周年慰霊祭が相次いで行われます。今年2月に予定されているビンアン虐殺50周年慰霊祭には、小規模ながら韓国人参拝団を組織して参加する予定です。何も用意しておりませんが、今からでも記憶し、志を共にするという約束を持っていきます。その約束が、まさに「韓ベ平和財団」です。

【写真】ベトナム戦争での韓国軍民間人虐殺を謝罪するため「ベトナム ピエタ」/ハンギョレ新聞社

 昨年9月にノ・ファウク極東大学碩座教授を推進委員長にして、カン・ウイル、ミョンジンなど宗教界、イ・ジョンウ、ハン・ホング、パン・ヒョンソク、クォン・インスクなど学界、ユ・ホンジュン、イ・チョルス、イム・オクサン、チョン・ジヨンなどの文化芸術界をはじめとする各界の著名人たちが志を一つにして韓ベ平和財団推進委員会を発足させました。財団が、韓国とベトナムが戦争の痛みと傷を癒し、ひいては東アジアの共生と平和の未来を開くために貢献できればと思っています。このため、アジア地域内の市民団体と連帯して、次世代の平和人権活動家を養成し、朝鮮半島とアジアの平和運動の土台を築くために努めます。その第一歩として「少女像」の作家であるキム・ソギョン、ギム・ウンソン夫妻の「ベトナムピエタ」銅像建立キャンペーンと共に、韓ベ平和財団の資金を調達するための「韓ベ平和美術展」を企画しています。
 私たちは、ベトナムに申し訳ない気持ちを伝えるのは、ただ被害者のためだけではありません。それは、一度も戦争の傷を治癒したことがない、私たちの内面の暴力性を一緒に取り払うことになるでしょう。私たちはまた、過去の記憶と和解しなければ、未来の平和を夢見ることができないからです。安倍首相の形だけの「おわび」に怒りを感じている際、突然日本人老夫婦の謝罪を思い出したのは幸いでした。絶望の中でも粘り強く光を醸し出す“人”への希望を救い上げることができたからです。
 何度噛みしめても自己省察が前提になっていない反省と、骨を削る努力に裏打ちされない謝罪は、結局忘却と無責任のための免罪符に過ぎないかもしれません。平和は、他人の痛みを自分の議題として抱え、同じ痛みを耐え抜く、現代の「数えきれないジュンコたち」の連帯から始まると信じています。韓ベ平和財団を主導的に導いてもらえる発起人を募集しています。また、皆さんの暖かいご支援をお待ちしております。
   サイゴンで韓ベトナム平和財団建設推進委員のグ・スジョン

韓国語原文入力:2016-01-15 20:20
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/726442.html
参加問い合わせ韓ベ平和財団(仮称)建設推進委員会amapvietnam@gmail.com
支援口座 国民銀行324702-04-146079チョ・ミファ(韓ベ平和財団)
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