●安倍氏は日銀・財務省を批判する
浜田氏は、民主党の菅・野田両政権の経済政策を批判したのと違い、安倍首相を高く評価する。平成24年11月、安倍氏が首相となる前の対談で、安倍氏の経済学的な知見の正しさに太鼓判を押している。
安倍氏は、この対談で浜田氏を相手に次のように、日銀・財務省への疑念を語った。
「正直申し上げて金融については特別詳しくはなかったのです。しかし(小泉政権で)官房長官に就任するといろんな政策について説明を受ける立場になり、いろいろ教えていただく機会は多くなり、その中で勉強させていただきました」。
安倍氏によると、ちょうどその直前、森喜朗首相、宮沢喜一財務大臣の時代に、日本銀行の速水優総裁が、政府側からしばらくゼロ金利体制を続けてほしいという要請があったにもかかわらず、それを止めてしまった。その1年後、結局、景気は厳しくなった。そこで彼らは当座預金にお金を積むという量的緩和をした。しかしその後、小泉政権になり、日銀総裁も速水から福井俊彦に代わったが、そこで量的緩和を止めてしまった。その時、小泉総理と安倍と日銀の福井総裁、武藤敏郎副総裁の4人で昼食をともにする機会があった。そこで安倍氏は「もうしばらく量的緩和を続けてもらえないだろうか」という話をした。当時のことについて、安倍氏は、「『そうはいっても、この人たちはみんな金融の専門家だから、日銀の言うことが正しいのかもしれない』ということが頭にありました。しかし、その後、自分が総理になり辞めてしばらく経って、これまでのファクトの積み重ねをふりかえって見ると、必ずしも彼らが正しくなかったということが分かってきました」と語っている。
また次のように述べる。「福井さんはいまのデフレ状況はある程度やむをえないという考え方なんです。日銀がいろんな様々な政策を打ったところで、そう簡単に変えることはできないというのです。彼は『いいデフレ』と『悪いデフレ』があるという言い方をしていました」「『いまはいいデフレに近い』という話をされたわけです。そのとき素人の私として素朴に思ったのは、ではそれをコントロールできないというのなら、日銀の存在とは何なんだということですね」と。そして次のように続ける。「問題点としては、政府が、経済の現状を認識して目標を立てて、あとの手段を日銀が選ぶという仕組みには、そもそも最初からなっていないということです」「政府と日銀で、認識と目標が共有されていない」(現代ビジネス 2012.11.29)
安倍氏は、日銀だけでなく財務省についても、厳しい見方を開陳する。
「財務省の財政規律に重点を置き過ぎた、あの姿勢も、やはりちょっと違っているのではないかと気がついたのです」「旧大蔵省、財務省というと専門家集団で政策にくわしいという固定観念があるんですが、事実をずっと見てくると、むしろ肝心なところで政策を誤っているんではないかという疑念が芽生えてきます。安倍政権のとき、平成19年の予算編成では54兆円くらい税収があったんです。これは成長の成果です。もしあの段階でデフレから脱却していれば、これは一気にプライマリーバランスの黒字が出るまでいったんではないかと思うわけです」(現代ビジネス 2012.11.29)
安倍氏は、財務省は進めようとするデフレ下での増税は間違いと断定する。
「景気はまだまだ厳しいでしょう。これから財政出動しますが、デフレ下で増税をするので、景気を冷やしていく危険性もある。よりデフレが進んでいく危険性もあるでしょう。これは明らかに間違っています」(現代ビジネス 2012.11.29)
財務省が強調する財政再建について、安倍氏は次のように言う。
「成長せずに財政再建できるかというとそれは無理です」「絶対に有り得ない」(現代ビジネス 2012.11.29)
このように語る安倍氏を、浜田氏は高く評価する。浜田氏は言う。
「政治家のがみなさんが、先生(註 安倍氏)のように理解してくだされば日本もずいぶん良くなるんですが」「安倍先生には、私から経済メカニズムについて補足なり、申し上げることはほとんどありません。みんなが今日の話を理解してくれれば、日本は変わります」(現代ビジネス 2012.11.29)
安倍氏が首相になった後の産経新聞平成25年1月22日号のインタビュー記事でも、浜田氏は、首相の経済政策について、「非常に安心してみていられる。昔から私たちの発言によく理解を示していただいた。本当に(金融緩和政策を)推し進めようと、どこかで転機があったのだと思う」と述べている。(産経新聞 平成25年1月22日)
なお、この産経の記事は、次のように書いた。
「昨年の衆院選前から安倍首相に物価目標の導入を進言していたある知識人は、『データを示し、丁寧に説明したら安倍首相は真剣に耳を傾けていた。大物政治家で物価目標を理解した初めての人』と評価する」
インフレ目標政策(インフレ・ターゲティング)は、わが国では1990年代から一般に知られている。平成元年(1989)に世界で最初に導入したニュージーランドに続き、カナダ、イギリス、スェーデン、オーストラリアが採用。平成9~10年(1997~98)のアジア通貨危機後、アジアでも採用国が増えた。ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンは、平成10年(1998)に、わが国にインフレ目標政策を導入するよう勧めた。その時点で既に約10年間、多く国々で政策施行の実績が積み重ねられていた。IMFの調べでは、平成18年(2006)現在、世界で25か国が採用していたが、その後、米国も公に採用するようになった。わが国で最も早くからインフレ目標政策の採用を主張してきた岩田規久男氏は、「世界標準の政策」と呼んでいる。本年に入るまで変動相場制を採用している国で、インフレ目標政策を採用していなかったのは、日本のみとなっていた。
先の記事は、安倍氏について「大物政治家で物価目標を理解した初めての人」と語った知識人の発言を紹介している。大物と言えば、首相、重要閣僚、政党の代表等の経験者だろう。そのクラスの政治家がインフレ目標政策を理解できていなかったとすれば、わが国の政界は、まことにうそ寒い。国家最高指導者は、経世済民のため、経済理論・経済政策をもっと勉強すべきである。日銀幹部や財務省高級官僚の説くことをうのみにして、国のかじ取りを誤ってはならない。
次回に続く。
浜田氏は、民主党の菅・野田両政権の経済政策を批判したのと違い、安倍首相を高く評価する。平成24年11月、安倍氏が首相となる前の対談で、安倍氏の経済学的な知見の正しさに太鼓判を押している。
安倍氏は、この対談で浜田氏を相手に次のように、日銀・財務省への疑念を語った。
「正直申し上げて金融については特別詳しくはなかったのです。しかし(小泉政権で)官房長官に就任するといろんな政策について説明を受ける立場になり、いろいろ教えていただく機会は多くなり、その中で勉強させていただきました」。
安倍氏によると、ちょうどその直前、森喜朗首相、宮沢喜一財務大臣の時代に、日本銀行の速水優総裁が、政府側からしばらくゼロ金利体制を続けてほしいという要請があったにもかかわらず、それを止めてしまった。その1年後、結局、景気は厳しくなった。そこで彼らは当座預金にお金を積むという量的緩和をした。しかしその後、小泉政権になり、日銀総裁も速水から福井俊彦に代わったが、そこで量的緩和を止めてしまった。その時、小泉総理と安倍と日銀の福井総裁、武藤敏郎副総裁の4人で昼食をともにする機会があった。そこで安倍氏は「もうしばらく量的緩和を続けてもらえないだろうか」という話をした。当時のことについて、安倍氏は、「『そうはいっても、この人たちはみんな金融の専門家だから、日銀の言うことが正しいのかもしれない』ということが頭にありました。しかし、その後、自分が総理になり辞めてしばらく経って、これまでのファクトの積み重ねをふりかえって見ると、必ずしも彼らが正しくなかったということが分かってきました」と語っている。
また次のように述べる。「福井さんはいまのデフレ状況はある程度やむをえないという考え方なんです。日銀がいろんな様々な政策を打ったところで、そう簡単に変えることはできないというのです。彼は『いいデフレ』と『悪いデフレ』があるという言い方をしていました」「『いまはいいデフレに近い』という話をされたわけです。そのとき素人の私として素朴に思ったのは、ではそれをコントロールできないというのなら、日銀の存在とは何なんだということですね」と。そして次のように続ける。「問題点としては、政府が、経済の現状を認識して目標を立てて、あとの手段を日銀が選ぶという仕組みには、そもそも最初からなっていないということです」「政府と日銀で、認識と目標が共有されていない」(現代ビジネス 2012.11.29)
安倍氏は、日銀だけでなく財務省についても、厳しい見方を開陳する。
「財務省の財政規律に重点を置き過ぎた、あの姿勢も、やはりちょっと違っているのではないかと気がついたのです」「旧大蔵省、財務省というと専門家集団で政策にくわしいという固定観念があるんですが、事実をずっと見てくると、むしろ肝心なところで政策を誤っているんではないかという疑念が芽生えてきます。安倍政権のとき、平成19年の予算編成では54兆円くらい税収があったんです。これは成長の成果です。もしあの段階でデフレから脱却していれば、これは一気にプライマリーバランスの黒字が出るまでいったんではないかと思うわけです」(現代ビジネス 2012.11.29)
安倍氏は、財務省は進めようとするデフレ下での増税は間違いと断定する。
「景気はまだまだ厳しいでしょう。これから財政出動しますが、デフレ下で増税をするので、景気を冷やしていく危険性もある。よりデフレが進んでいく危険性もあるでしょう。これは明らかに間違っています」(現代ビジネス 2012.11.29)
財務省が強調する財政再建について、安倍氏は次のように言う。
「成長せずに財政再建できるかというとそれは無理です」「絶対に有り得ない」(現代ビジネス 2012.11.29)
このように語る安倍氏を、浜田氏は高く評価する。浜田氏は言う。
「政治家のがみなさんが、先生(註 安倍氏)のように理解してくだされば日本もずいぶん良くなるんですが」「安倍先生には、私から経済メカニズムについて補足なり、申し上げることはほとんどありません。みんなが今日の話を理解してくれれば、日本は変わります」(現代ビジネス 2012.11.29)
安倍氏が首相になった後の産経新聞平成25年1月22日号のインタビュー記事でも、浜田氏は、首相の経済政策について、「非常に安心してみていられる。昔から私たちの発言によく理解を示していただいた。本当に(金融緩和政策を)推し進めようと、どこかで転機があったのだと思う」と述べている。(産経新聞 平成25年1月22日)
なお、この産経の記事は、次のように書いた。
「昨年の衆院選前から安倍首相に物価目標の導入を進言していたある知識人は、『データを示し、丁寧に説明したら安倍首相は真剣に耳を傾けていた。大物政治家で物価目標を理解した初めての人』と評価する」
インフレ目標政策(インフレ・ターゲティング)は、わが国では1990年代から一般に知られている。平成元年(1989)に世界で最初に導入したニュージーランドに続き、カナダ、イギリス、スェーデン、オーストラリアが採用。平成9~10年(1997~98)のアジア通貨危機後、アジアでも採用国が増えた。ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンは、平成10年(1998)に、わが国にインフレ目標政策を導入するよう勧めた。その時点で既に約10年間、多く国々で政策施行の実績が積み重ねられていた。IMFの調べでは、平成18年(2006)現在、世界で25か国が採用していたが、その後、米国も公に採用するようになった。わが国で最も早くからインフレ目標政策の採用を主張してきた岩田規久男氏は、「世界標準の政策」と呼んでいる。本年に入るまで変動相場制を採用している国で、インフレ目標政策を採用していなかったのは、日本のみとなっていた。
先の記事は、安倍氏について「大物政治家で物価目標を理解した初めての人」と語った知識人の発言を紹介している。大物と言えば、首相、重要閣僚、政党の代表等の経験者だろう。そのクラスの政治家がインフレ目標政策を理解できていなかったとすれば、わが国の政界は、まことにうそ寒い。国家最高指導者は、経世済民のため、経済理論・経済政策をもっと勉強すべきである。日銀幹部や財務省高級官僚の説くことをうのみにして、国のかじ取りを誤ってはならない。
次回に続く。
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