ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ウクライナ危機の背景と展望1

2022-03-08 09:09:50 | 国際関係
 ロシアの侵攻によって生じたウクライナ危機の背景と展望について書く。ネット上で収集した情報を整理し、私見を加えたものである。2本に分けて掲載する。
 項目は下記の通り。
 
 ウクライナとは/ウクライナの歴史/ブダペスト合意/ウクライナの腐敗と堕落/オレンジ革命/ロシアによるクリミア併合/ミンスク合意/NATOの東方拡大とプーチンの危機感/プーチンのナチス化論は根拠なし/プーチンは人類のためにDSと戦っているのではない/ウクライナの将来

1.ウクライナとは

●あさがくナビ

ウクライナって?
 ウクライナは、東をロシア、西は欧州連合(EU)諸国に挟まれた位置にあり、ロシアを除く欧州で面積は一番広く日本の1.6倍、人口も4000万人超と第5位。農業が盛んな地域大国です。人口の8割はウクライナ人で、残りの大半を主に東部に住むロシア系住民が占めます。
 ウクライナ人はロシア人や北隣のベラルーシ人と同じ東スラブ民族で、10世紀に今のウクライナの首都キエフにできた大国、キエフ公国が源流。そこでキリスト教が国教となったことが今のロシア正教につながるなどロシアとは歴史的に深い関係にあります。
様々な大国に支配された後、17世紀には一部がロシア帝国に支配され、20世紀になってソビエト連邦(ソ連)ができると、その中でロシア共和国に次ぐ2番目に大きな共和国となりました。
 1991年のソ連崩壊で独立。その後は親ロシア派と親欧米派が政権を競ってきました。

2.ウクライナの歴史

●東洋経済オンライン

 ロシアとウクライナが「こじれた」複雑すぎる経緯歴史で紐解く「ウクライナは民族国家なのか」
 的場 昭弘 : 哲学者、経済学者、神奈川大学副学長
2022/02/25 15:00

ウクライナに住む当事者の立場を見ること
 (略)19世紀の半ばから歴史を始めれば、なるほどウクライナは独立した民族であり、独立した言語をもつ、国家である。しかし、それ以前にさかのぼれば、小ロシアにしかすぎない、いやさらにローマ帝国崩壊後、北方から侵入したルーシ族が創設したキエフ公国までさかのぼればロシア人の起源はウクライナだといえないこともない。

小ロシアとなったウクライナ
 しかし、歴史は残酷だ。このキエフ公国はモンゴルに潰され、やがて隣のリトアニア=ポーランド王国に潰されていく。そしてウクライナのロシア人を奪回したのがロシアだ。ヨーロッパに接近することで力をもったロシアが大国になるのは、ピョートル大帝(1682~1725年)からだ。その後ロシアの拡張は進み、ウクライナはロシア本体の辺境である小ロシアになる。それが辺境を意味するウクライナということばとなって現れる。(略)
 ナポレオンは、1812年初夏ロシアへと侵攻する。ロシア侵攻は、結局ナポレオンの敗走によって幕を閉じるのだが、ヨーロッパに民族独立の火をつけ、その後進展する国民国家独立運動を引き起こしてしまう。(略)
 1853年イギリス・フランスとロシアが戦ったクリミア戦争(~1856年)が起き、ウクライナの民族独立運動が生まれる。この頃生まれたのが、ウクライナ民族は存在し、ウクライナは独立国であるべきだという主張である。
 ウクライナ民族主義がロシアのツァー体制に向けられたことで、ソ連共産党となるボリシェヴィキもウクライナ独立を支援するようになる。ソビエトが成立して、レーニンはウクライナを連邦共和国の一員として迎えることで、ウクライナをロシアとは別の民族だと認めることになる。(略)

親米政権の発足が問題の発端に
 第二次世界大戦では、ソ連はヒトラーのバルバロッサ作戦(1941年)によるソ連侵入によって、大きな被害を受ける。連合軍の勝利の後、ロシアはウクライナ共和国を拡大し、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、チェコスロバキアと直接接するように国境地域を拡大する。結果的にウクライナにロシア人以外が住むようになる。とはいえ、ウクライナの人口の多くはロシア語を話すロシア人であった。
 1991年のソビエト崩壊によって、ソ連の共和国が独立していく。その中にウクライナもあったが、ロシアはこれらの地域がNATO(北大西洋条約機構)に入らないという条件付きで、独立を認めた。

3.ブダペスト合意

●ニッポン放送

なぜ「ブダペスト覚書」はロシアに反故にされたのか
2/26(土) 17:51配信

 「ブダペスト覚書」は、1994年12月5日にハンガリーのブダペストで開催され、欧州安全保障協力機構会議で署名された政治協定書のことを示す。ブダペスト覚書は、ソ連崩壊時に独立を勝ち獲ったウクライナに対し、核兵器放棄を条件に、アメリカ・イギリス・ロシアが安全保障を約束するものであった。
 しかし、ロシアのプーチン大統領は2014年3月、ウクライナ南部クリミア半島に侵攻。さらに、今回もウクライナに軍事侵攻するなど、ブダペスト覚書は反故にされている。

※番組で元外交官・宮家邦彦氏が語ったことの大意要約

―――――
 ブダペスト覚書の話をすると、1990年前後からソ連がおかしくなって行くわけです。当時のウクライナは、核兵器を持つ軍事大国でした。例えば、中国が買った空母はウクライナ製ですよね。核拡散の問題もさることながら、西側諸国にはロシアに再びウクライナ等に手を出させない、つまり、ソ連が崩壊して多くの独立国家ができた流れを、絶対に「逆転させてはいけない」という気持ちもあって、ロシアとの妥協が成立したのです。
アメリカとロシアとイギリスが一緒になり、「ウクライナは核兵器を放棄します。その代わり、ロシアはウクライナに手を出しません」ということにした。これが当時の取引だったのです。
 私はそのとき、限定的ではあるけれども新しい方向性が出てきたな、ロシアは新しく生まれ変わるのかなという気がしました。当時、北米局にいたものですから、よく覚えています。しかし、1991年~1992年当時、実は在日米軍の人たちと、「ロシアはいつまで持つのだろうか」ということを話したことも事実です。またいつか「牙を剥く」のではないか、「ソ連が崩壊してロシアになったのはいいけれども、再び、昔の帝国の悪い癖が出て来るのではないか」という懸念が当時はあったのです。その意味でも、ブダペスト覚書は枠組みをつくり、核兵器の問題をうまく処理しながらロシアの拡大を止めようとする、賢いやり方だったとは思います。ただ、やはり「持たなかった」ということです。
 ブダペスト覚書は、ある程度長続きはしたものの、残念ながら反故にされてしまった。そしてウクライナは核兵器も失い、ロシアにやられていく、という流れになって行く。
事態がさらに進んで、ロシアが隣のハンガリーやポーランドまで動いて行けば、相当な地殻変動が欧州で起きてしまいます。それを現実の問題として語らざるを得なくなって来た状況は、悲しい思いがします。
 日本が核武装を考えるのは、まだ早いと思いますが、「この問題は決して対岸の火事ではない」という言葉は、おっしゃる通りです。我々が自身安全の問題として考えなければならないと思います。
―――――

4.ウクライナの腐敗と堕落

◆ほそかわ

 ソ連崩壊後、独立したウクライナでは、汚職が蔓延した。各地域にマフィアが居て支配しているような状態になった。経済は、ユダヤ系が能力を発揮し、新興財閥となった。
 国民は自ら国を守ることの大切さを忘れて堕落した。
 日本の場合は、大東亜戦争の敗戦後、戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認を定めた憲法のもと、一方ではアメリカと安保条約を結び、アメリカの「核の傘」の下に入り、また段階的に国防力を強めて来た。
 だが、ウクライナは軍事力を大幅に削減し、核兵器を放棄した。旧ソ連圏で第2の核保有国だった。ウクライナの国民は、強い軍も核兵器も持たずに、平和が続くと錯覚した。NATOへの加盟は実現しておらず、いざロシアに侵攻されたら、守ってくれる国はない状態だった。

5.オレンジ革命

◆ほそかわ

 冷戦終結後、欧米勢力は旧ソ連圏の独立国家共同体(CIS)で影響力を強めてきた。その影響のもと、2003年(平成15年)グルジアでの「バラ革命」、04年ウクライナでの「オレンジ革命」、05年キルギスでの「チューリップ革命」等、民主化を求める政治運動が起こった。
 当時のアメリカは、共和党のブッシュ子政権の時代であり、ネオコンが政権を動かしていた。2003年(平成15年)のイラク戦争でサッダーム・フセイン政権を打倒したブッシュ子大統領は、中東民主化構想を提唱した。同時にCIS諸国の民主化勢力を支援した。その結果、グルジア、ウクライナ、キルギスで独裁政権が倒れて民主化が行われた。CIAが資金と情報を提供したと言われる。地政学的な戦略によるロシアへの対抗であり、また石油・天然ガスの確保の布石でもあるだろう。
 これに対し、ロシアは安価なエネルギーの提供や政治的な権謀術策を用いて、周辺諸国の民主化及びロシア離れを抑止しようとしている。なかでもウクライナは、ロシアにとって絶対勢力下に置くべき重要地域である。そのため、ロシアと欧米勢力との綱引きが続いている。冷戦終焉後、ウクライナの東部はロシアとの関係を深め、西部はヨーロッパとの関係を発展させている。またウクライナは、南部にあるクリミア半島を中心に、西方・東方のユダヤ=キリスト教文明とイスラーム文明が接触し、重なり合う地域でもある。
 2004年(平成16年)のオレンジ革命では、大統領選挙の不正が糾弾され、再選挙の結果、親欧米派の元首相ユシシェンコが親露派のヤヌコビッチ首相を破った。ユシシェンコは選挙期間中、ダイオキシンによって毒殺されかかった。オレンジ革命は、ヨーロッパとロシアに挟まれたウクライナが、EUやNATOに加わるのか、天然ガス等のエネルギーを依存しているロシアとの関係を堅持するのかという選択を迫られる中での出来事だった。

6.ロシアによるクリミア併合

◆ほそかわ

 ウクライナでは親欧米派政権のもとで、失政が続き、民衆の支持は低下した。ヤヌコビッチは2010年の大統領選挙に立候補し、女性首相ティモシェンコを破って政権を握った。ウクライナは2013年にEUとの政治・貿易協定の仮調印を済ませたが、ヤヌコビッチは調印を見送った。これに対し親欧米的な野党勢力から強い反発が起こった。2014年(平成26年)年2月下旬、首都キエフや西部における大規模な反政権デモによって、政変が起こった。親露派のヤヌコビッチは国外に逃亡し、ロシアの保護下に入ったと見られる。ウクライナ議会はヤヌコビッチの大統領解任を決議した。だが、ヤヌコビッチはクーデタだとして辞任に同意せず、ロシアのプーチンはクリミアの軍事制圧をヤヌコビッチの要請によるものだと正当化した。
 親欧米的な暫定政権が誕生すると、プーチン政権のロシアは、ウクライナのクリミア半島南部を実効支配した。3月7日クリミア自治共和国の議会がロシアへの編入を決議した。これを受けて、同月18日、ロシアはクリミア半島南部を併合した。

●あさがくナビ

ロシアにとってのウクライナとは?
 ロシアにはウクライナ領を併合した過去があります。親ロシア政権が倒れた2014年、ロシア人が多数を占めるクリミア半島にロシア軍とみられる武装部隊が入り込み、空港や軍事拠点などを掌握。クリミア自治共和国の議会は住民投票で賛成が9割超だったとして一方的にウクライナからの独立を宣言し、ロシアはすぐにクリミアを併合しました。国連総会は住民投票に正当性はなく併合は無効だとする決議を採択。米国、EU、日本はロシアに対する制裁を実施しましたが、ロシアは今も実効支配したままです。これを機にウクライナ国民の反ロシア感情が高まり、2014年からは親欧米政権が続いています。ロシアはクリミア半島を無理やり奪ったことで、親ロ派の多くを失った形です。
 ロシアがウクライナにこだわるのはなぜでしょうか。プーチン大統領は2021年夏、「ロシア人とウクライナ人の歴史的な一体性について」と題する論文で「我々は一体」と強調しました。ウクライナを勝手に自国の勢力圏とみなしていることが分かります。

●一般社団法人平和政策研究所

ウクライナ危機の世界史的意義 ―ロシア・ウクライナ関係史の視点から
 黒川 祐次 元駐ウクライナ大使
2020年8月26日2020年9月9日

フルシチョフ時代
 スターリンの跡を継いだフルシチョフは、統制を緩め民族文化活動を自由にした。フルシチョフ自身、ウクライナ共産党第一書記を務めたこともあり、ウクライナ文化に好意を持ちウクライナ人の間で人気があった。(略)
 1954年、(略)これまでロシアの一部だったクリミアが「ウクライナに対するロシア人民の偉大な兄弟愛と信頼のさらなる証し」としてウクライナ共和国に移管された。(略)

ウクライナ独立後
 ソ連崩壊によってウクライナは独立を果たした(略)ウクライナ独立後、クリミアはウクライナの枠内で「クリミア自治共和国」として特別な地位を与えられたが、当初はウクライナから分離する動きも強かった。しかしそれも、ロシアからの支援が減ったこととウクライナの統治が安定化したことで次第に弱まり、2014年頃までにはほぼ沈静化した。(略)

ウクライナ(クリミア)に対するロシア人の特別な感情
 (略)指導者、とくにプーチン大統領は、ソ連がみじめにも解体し分裂してしまったことに対して後悔の念を持っており、「ロシアは世界に冠たる大国であって、その位置に戻らないといけない。そのためには、やはりウクライナが何らかの形で戻ってくる必要がある」と考えている。(略)
 ロシア人にとってウクライナは、西ヨーロッパに一番近いところに位置し、同じスラブ民族であり、文化・言語・宗教も似ているうえ、ロシア系住民がウクライナの約2割を占める。そのようなウクライナがロシアから離れていくことは耐えられない。
 こうした感情は、社会のトップ層から庶民に至るまで共通したものだ。つまりロシア人の素朴な心情においてウクライナ人とは、「われわれの兄弟」という感覚なのである。兄弟(兄がロシアで、ウクライナは弟)なのだから、別れても戻って来いというわけだ。恐らく旧ソ連の中でも、一番気心が知れた国がウクライナであった。
 さらに深い心理的レベルでいうと、自分たちよりも「よりヨーロッパ的」な要素を持つウクライナが離れてしまうと、ロシアはより「非ヨーロッパ的(アジア的、モンゴル的)」になってしまいかねない。ロシア人の心の奥底には、自分たちはあくまでもヨーロッパ人だというアイデンティティがある。そのヨーロッパ的なものが、三分の一もなくなってしまう。それは耐えられない。(略)
 ウクライナには、宇宙開発の基地、戦車などの軍事産業、重工業などがあり、ロシアの産業にとっては、非常に重要な地域であった。ロシアにとっては欠くことのできないところである。
 ウクライナが戻ってこない限り、ロシアはかつてのような大国に戻れないと考えているので、何とかウクライナを取りこもうとしている。もちろんそれが難しいことは分かっているが、少なくともウクライナがNATOやEUに一旦入ってしまうともう戻ってくることは不可能だから、それだけは阻止したい。それまでは押したり引いたり、あの手この手を使ってとどめおこうとしてきた。(略)

クリミア併合の動機
 2013年、(親ロ派の)ヤヌコーヴィチ大統領(在職2010-2014年)はバランスを考えて、EUとの協力協定を結ぶことを国民に約束した。それを阻止しようとしたプーチン大統領は、強い圧力をかけヤヌコーヴィチ大統領に断念させた。
 そのことに対して怒ったウクライナの国民が抗議活動を起こした(2014年2月、ユーロマイダン革命)。キエフは騒乱状態となり、同大統領はロシアに亡命。新政府は親西欧路線を明確に表明した。
 こうなると何としても阻止しないといけないと強く考えたプーチン大統領は、クリミア併合の行動に出た。クリミアは、ソ連時代の1953年まではウクライナ共和国ではなくロシア共和国に属していたし、現在もロシア系住民が多数(約7割)を占めており、かつてウクライナが旧ソ連から独立した当時も、ロシア系住民が多いことからロシアに帰属したいという運動もみられた。それにソ連国民の間にクリミアへのノスタルジアが強いことから、もしクリミアをロシアに戻したら、それはロシア国民から大歓迎されるだろう。プーチン大統領はこのような計算をしたのではないか。
 ロシア軍の制圧の下、国際監視団もない中で行われた住民投票(2014年3月16日)であったので、かなり怪しいものだった。住民投票の結果(注:クリミア共和国中央選管の発表で、投票率83%、ロシアへの編入賛成96%)を受けて、3月18日ロシアはクリミア編入への条約に調印した。領土の支配を変更するためには、ウクライナ議会の了承も必要なのに、そのような憲法的手続きもないままにロシアは、一方的にクリミアを併合した。ただロシア国民は非常に喜んだ。(略)

●東洋経済オンライン

ロシアとウクライナが「こじれた」複雑すぎる経緯歴史で紐解く「ウクライナは民族国家なのか」
 的場 昭弘 : 哲学者、経済学者、神奈川大学副学長
2022/02/25 15:00

親米政権の発足が問題の発端に
 (略)ウクライナは、2014年の「マイダン」のクーデターで、ロシアと対立する資産家ポロシェンコが、大統領ヤヌコヴィッチをロシアに追放し、親米政権を創る。ここからウクライナ問題が起こる。ロシアは東部に軍隊を送り、その結果、ウクライナの中にロシアに近いルガンスク共和国とドネツク共和国が生まれたが、これをウクライナも西側も国として承認していない。一方クリミアは、ロシアに編入された。もちろんこれも承認されてはいないが。(略)
 そもそもウクライナはヨーロッパに属するのだが、EUには軍事組織がない。あるのはNATOである。ソ連時代はワルシャワ条約機構があり、それが東欧を束ねていたのだが、今ではNATOが束ねている。しかし、ウクライナがこれに入るとなると、ロシアはNATOに包囲されることになる。(略)

 次回に続く。

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https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
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