く~にゃん雑記帳

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〈本薬師寺〉 南門の南東部から幅3.3mの石敷き!

2024年03月09日 | 考古・歴史

【巨大な礎石の抜き取り跡も発掘】

 奈良県橿原市の特別史跡「本薬師寺(もとやくしじ)跡」で、正門に当たる南門の南東部分から基壇の外周を巡る石敷きや南門の柱を支える礎石の抜き取り跡などが見つかった。発掘調査を担う橿原市文化財保存活用課が3月2日、現地(藤原京右京八条三坊)で見学会を開催、熱心な考古学ファンが説明者に次々と質問を繰り返していた。

 本薬師寺は680年に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って造営を発願し、天皇崩御後は持統天皇が継承し698年に完成した。710年の平城京遷都に伴って造営された奈良⋅西ノ京の薬師寺(平城薬師寺)の前身といわれる。伽藍配置もいわゆる「薬師寺式」と呼ばれ、金堂の南側に東西の両塔が並んでいた。本薬師寺は平安中期の11世紀まで存続したとみられている。

 今回の発掘調査で見つかった石敷きは幅が約3.3mで、20~30㎝大の石が南門南東の基壇の外周を直角に屈折する形で整然と敷き詰められていた。検出した石敷きの長さは約22m。この石敷きが南門の基壇全体をぐるりと囲んでいたとみられる。

 石敷き内には中央に南門の軒先から落ちる雨水を受ける石組みの溝が設けられていた。溝の幅は約60㎝で、深さは5~10㎝。南門南東部からは直径が2m近い礎石を抜き取った跡も見つかった。

 南門の規模は過去の発掘調査から東西約15m、南北約10mと推定されていたが、今回見つかった大きな礎石跡や、南東の隅柱から雨落ち溝までの距離が約4mもあることなどから、国家寺院の正面玄関にふさわしい壮大な建物だったことが改めて裏付けられた。

 その南門と北側の中門との間隔が平城薬師寺より約7m狭いことも新たに分かった。平城薬師寺の創建に関しては学界の一部に藤原京の本薬師寺の建物を移転した「移築説」もあるが、発掘調査による南門の構造や位置の違いは「新築説」の有力な補強材料にもなりそうだ。

 今回の調査では石敷きの外側から南門の屋根を葺いていたとみられる軒丸瓦や大きな平瓦なども出土し、数点が展示されていた。(下の写真は金堂跡と東塔跡の柱を支えた礎石) 

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