く~にゃん雑記帳

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<近つ飛鳥博物館> 特別展「古墳とは何か―葬送儀礼からみた古墳」

2016年06月17日 | 考古・歴史

【出土した土器や埴輪、銅鏡、鉄製武器など500点余、19日まで】

 大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町)で開催中の春季特別展「古墳とは何か―葬送儀礼からみた古墳」は会期も残りわずか。展示しているのは近畿地方の古墳の墳丘や埋葬施設から出土した土器や埴輪、銅鏡、装身具、鉄製の武器・武具など500点余で、これらの考古資料を通じて3~6世紀の埋葬儀礼の共通性や変化を辿る。19日まで。

        

 弥生時代中期の加美遺跡(大阪市)Y-1号墓から出土した壷と甕には煮炊きをしたような跡があった。その痕跡から、既にその頃から葬送の際に煮炊きを伴う飲食儀礼が行われていたと推定される。古墳時代前期の久宝寺1号墳(大阪府八尾市)では墳丘の四隅に同形の土師器直口壷が置かれており、土器供献儀礼が行われていたとみられる。

 奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(古墳時代前期)では竪穴式石室上に方形壇が築かれ丸太垣で囲まれていた。また同じ桜井市のメスリ山古墳(同)では方形壇の周りを大型の円筒埴輪や高坏形埴輪が囲んでいた。木列と埴輪群との違いがあるものの、いずれも埋葬部分とその上部の方形壇を覆い隠すのが目的だったとみられる。

 古墳時代前期後半の4世紀中頃からは前方後円墳の造出し(つくりだし)部分でも供献儀礼が行われるようになった。島の山古墳(奈良県川西町)では造出しの近くから食物など供物を入れたとみられる竹製の籠4点が見つかった。中期築造の心合寺山(しおんじやま)古墳(八尾市)の造出しからは珍しい導水施設形の埴輪が出土した。葬送儀礼の中で水に関わる祭祀が行われたと推測される。こうした造出し部での儀礼について、同館担当者は「古墳の大型化や荘厳化に伴う墳丘の〝隔絶化〟が、飲食儀礼の場を外に押し出したのではないか」とみる。

 古墳時代後期に現れる横穴式石室では石室内部に飲食器が配置され、まるで死者がそこで飲食するような情景が作り出された。近畿での埴輪祭祀と前方後円墳での葬送儀礼の最後の姿を示すといわれる烏土塚古墳(奈良県平群町)では石室前庭部から大きな須恵器の子持ち器台や様々な形の壷や高坏が見つかった。また継体天皇の陵墓といわれる今城塚古墳(大阪府高槻市)では二重の周濠の内堤の張り出し部から家形、鶏形など200点を超える形象埴輪群が出土した。柵形埴輪で4つに区画されており、それぞれの区画で異なる情景が表現されていたとみられる。「葬送儀礼の荘厳化と見せる可視化の背後に、ヤマト政権の政治的な意図があったことは間違いない」。担当者はこう分析する。

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