解決策を探る時には、前提を置いて考えがちだ。経済成長の前提に将来推計人口を置いたり、社会保障を設計する際に成長率の見通しを基にしたりする。しかし、人口が減るから成長は見込めない、成長なしには財源が出ないので、少子化対策が打てないとなると、現状に適応するだけの縮小スパイラルへ陥ってしまう。こうした相互依存の難問を解くには、前提を崩す以外に道はない。
香取照幸著『教養としての社会保障』は時代を切り取る一冊だ。香取さんは、霞が関の官僚として、数々の社会保障改革に関わり、直近では、企業主導型保育事業の実現に尽力した方である。雇用保険料引き下げの好機を捕らえ、年金保険料に付加する企業拠出金を引き上げて保育の財源を確保した手法は、今、話題の「こども保険」の原型になるものだ。そうした方の政策論は、社会保障にとどまらず、時代を知る上で欠かせないものである。
一般の方にとって、社会保障の来歴、社会・経済・財政との関わり、将来の展望と具体策という本書の内容は、読みやすいし、とても有益だ。ただ、後輩の官僚の皆さんには、その限界も見極めつつ、これを超えるべく読み破ってもらいたい。ポイントは、社会・経済・財政の相互関係の理解と、これらへの社会保障の役割の位置づけだ。香取さんの見方は一般的なものだけに、新たな展望を開くには、彫琢が必要となる。
………
まず、なぜ、日本はデフレになったかである。経済の成熟に伴う宿命なら前提とするしかないが、デフレは日本だけの現象だ。デフレは、1997年に、消費増税を主軸とする大規模な緊縮財政を行い、経済に需要ショックを与えたことで始まった。その後も、景気が回復しだすと、芽を摘むような緊縮財政を繰り返し、日本経済は長らく名目ゼロ成長に押し込められ、物的、人的、知的な投資に不足することとなった。
実は、デフレになるまでは、財政赤字はさほどでなく、本当に危機的になったのは、成長を失ってからである。少し景気の回復を待ち、緩やかに財政再建をする経済運営をしていれば、こうはならなかった。そして、企業は、ゼロ成長に順応し、設備や人材への投資を絞り、資金を貯め込むようになる。経営者も、成長ができなければ、収益性と海外投資を追しかない。この結果、非正規労働が蔓延し、非婚と少子化、貧困と格差が拡大することになった。
社会保障を考える上で、こうした現実を前提とすべきなのか。ところが、現実は、もっと先へと進んでいる。消費増税を先送りし、成長を優先した結果、財政収支は、社会保障基金を統合すると、2018年中には均衡するところまで漕ぎ着けた。すなわち、2019年の追加増税を収支改善に充てる必然性は消え、経済に需要ショックを与えず、成長を持続させるためには、むしろ、人的投資などに積極的に使うことが求められるのだ。
香取さんのような、福祉充実には財源確保が不可欠という考え方は、真っ当なものではあるけれども、最新の状況を見ながら行わなければならない。殊に、国の財政は赤字でも、地方と社会保障基金の年金には、既に黒字が生じており、消費増税で国の赤字を詰めるなら、地方と年金の黒字を抑えないと、経済に大きなデフレ圧力が加わる。「年金は将来に備えて別腹」とは行かないのである。
(図)
………
経済と社会保障の統合戦略を考える場合には、供給力とマネーを分けて考える必要がある。年金局長でもあった香取さんは、「年金制度の仕組みは働いている現役世代が生み出した付加価値を生産から退いた高齢者に配ることなので、積立方式でも賦課方式でも本質的には同じ」と喝破する。生活を支えるモノやサービスは、その時の供給力に拠るのであって、利用請求権に過ぎないマネーの積み上がり具合ではない。
では、少子化対策が不十分なままに、年金が黒字を出してマネーを積み上げるのは、適切なのか。今、子供を増やさなければ、将来の支え手は細ってしまう。供給力が乏しければ、お金を持っていても、インフレで減価するだけだ。ならば、今、子育てをする世代が、将来、自分たちが受ける予定の年金を前倒しで引き出すことを可能にし、保育や休業補償に使えるようにすれば良い。これは、経済的に合理的選択となる。香取さんは、企業がマネーを貯め込み、設備や人材に投資しないことを嘆くが、年金も同じことをしている。
21世紀の経済の特徴は、供給力とマネーの分裂にある。緊縮財政で物価を抑制し、金融緩和で資産価格を高騰させ、バブル的な収益を求める。こうした経済思想が実物と信用を乖離させた。したがって、別に管理することが必要となる。消費増税で実物に課税し、財政や中央銀行の膨らんだ信用を返そうとするといった交錯した試みは悪手である。統合政府の負債は、利子配当課税や金融抑圧によって、管理しつつ包容すべきものだ。
巨額の負債との同居は気味が悪いかもしれないが、本当に解消するとすれば、企業が必要な実物への投資を恐れた不合理な行動から発生し、政府の借金と裏腹に企業の貯蓄が成立した経緯からすれば、金融資産本体への課税で回収するのが合理的だ。しかし、政治的には、そうも行かない。次善の策として、財政赤字を必要悪として認め、管理で暴走を防ぎつつ、緩いインフレで長期的に溶かすほかないのである。
………
政府は、2014年の消費増税でも「景気後退はなかった」としたようだが、消費と成長に大打撃を与えたことは明白で、運良く外需に救われ、悲惨な事態を免れたに過ぎない。教訓に学ぶ正常な判断力があれば、2019年は、増税幅を1%に刻み、増税と同規模の歳出拡大を用意して、成長を損なわないようにするだろう。その際は、低所得者の社会保険料の軽減に使い、非正規の厚生年金への加入差別を一掃すべきである。
これでは財政再建にならないと思うかもしれないが、そうではない。成長に伴い、次第に対象者は減り、長期的に収支改善に貢献する。しかも、労働供給を促進し、成長を押し上げることで、税収を伸ばす。就業を増やす以上のOJTはなく、これこそ人的投資と言えよう。低所得の多い保育や介護の待遇改善と人材確保にも役立つし、所得再分配の効果もあり、非正規に苦しむ母子家庭の助けともなろう。
政策を志す若い人たちに心得てほしいのは、財政は国・地方・社会保障を連結して見ることと、経済を供給力とマネーで分けて考えることだ。昨今の苦境は、財政赤字の削減に焦って成長を損ない、物的、人的、知的な投資ができなくなったことによる。重要なのは、失敗に学ぶことであり、それが形作った現実を安易に前提とせず、相互に依存する前提を多方面から崩すような統合的アプローチを考案することである。
(今日までの日経)
企業体力 喜べぬ最高、自己資本比率4割超え。育児支援はコストじゃない。FRB・0.25%利上げ、資産縮小9月も視野。需要、供給を超す・10-12月。
香取照幸著『教養としての社会保障』は時代を切り取る一冊だ。香取さんは、霞が関の官僚として、数々の社会保障改革に関わり、直近では、企業主導型保育事業の実現に尽力した方である。雇用保険料引き下げの好機を捕らえ、年金保険料に付加する企業拠出金を引き上げて保育の財源を確保した手法は、今、話題の「こども保険」の原型になるものだ。そうした方の政策論は、社会保障にとどまらず、時代を知る上で欠かせないものである。
一般の方にとって、社会保障の来歴、社会・経済・財政との関わり、将来の展望と具体策という本書の内容は、読みやすいし、とても有益だ。ただ、後輩の官僚の皆さんには、その限界も見極めつつ、これを超えるべく読み破ってもらいたい。ポイントは、社会・経済・財政の相互関係の理解と、これらへの社会保障の役割の位置づけだ。香取さんの見方は一般的なものだけに、新たな展望を開くには、彫琢が必要となる。
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まず、なぜ、日本はデフレになったかである。経済の成熟に伴う宿命なら前提とするしかないが、デフレは日本だけの現象だ。デフレは、1997年に、消費増税を主軸とする大規模な緊縮財政を行い、経済に需要ショックを与えたことで始まった。その後も、景気が回復しだすと、芽を摘むような緊縮財政を繰り返し、日本経済は長らく名目ゼロ成長に押し込められ、物的、人的、知的な投資に不足することとなった。
実は、デフレになるまでは、財政赤字はさほどでなく、本当に危機的になったのは、成長を失ってからである。少し景気の回復を待ち、緩やかに財政再建をする経済運営をしていれば、こうはならなかった。そして、企業は、ゼロ成長に順応し、設備や人材への投資を絞り、資金を貯め込むようになる。経営者も、成長ができなければ、収益性と海外投資を追しかない。この結果、非正規労働が蔓延し、非婚と少子化、貧困と格差が拡大することになった。
社会保障を考える上で、こうした現実を前提とすべきなのか。ところが、現実は、もっと先へと進んでいる。消費増税を先送りし、成長を優先した結果、財政収支は、社会保障基金を統合すると、2018年中には均衡するところまで漕ぎ着けた。すなわち、2019年の追加増税を収支改善に充てる必然性は消え、経済に需要ショックを与えず、成長を持続させるためには、むしろ、人的投資などに積極的に使うことが求められるのだ。
香取さんのような、福祉充実には財源確保が不可欠という考え方は、真っ当なものではあるけれども、最新の状況を見ながら行わなければならない。殊に、国の財政は赤字でも、地方と社会保障基金の年金には、既に黒字が生じており、消費増税で国の赤字を詰めるなら、地方と年金の黒字を抑えないと、経済に大きなデフレ圧力が加わる。「年金は将来に備えて別腹」とは行かないのである。
(図)
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経済と社会保障の統合戦略を考える場合には、供給力とマネーを分けて考える必要がある。年金局長でもあった香取さんは、「年金制度の仕組みは働いている現役世代が生み出した付加価値を生産から退いた高齢者に配ることなので、積立方式でも賦課方式でも本質的には同じ」と喝破する。生活を支えるモノやサービスは、その時の供給力に拠るのであって、利用請求権に過ぎないマネーの積み上がり具合ではない。
では、少子化対策が不十分なままに、年金が黒字を出してマネーを積み上げるのは、適切なのか。今、子供を増やさなければ、将来の支え手は細ってしまう。供給力が乏しければ、お金を持っていても、インフレで減価するだけだ。ならば、今、子育てをする世代が、将来、自分たちが受ける予定の年金を前倒しで引き出すことを可能にし、保育や休業補償に使えるようにすれば良い。これは、経済的に合理的選択となる。香取さんは、企業がマネーを貯め込み、設備や人材に投資しないことを嘆くが、年金も同じことをしている。
21世紀の経済の特徴は、供給力とマネーの分裂にある。緊縮財政で物価を抑制し、金融緩和で資産価格を高騰させ、バブル的な収益を求める。こうした経済思想が実物と信用を乖離させた。したがって、別に管理することが必要となる。消費増税で実物に課税し、財政や中央銀行の膨らんだ信用を返そうとするといった交錯した試みは悪手である。統合政府の負債は、利子配当課税や金融抑圧によって、管理しつつ包容すべきものだ。
巨額の負債との同居は気味が悪いかもしれないが、本当に解消するとすれば、企業が必要な実物への投資を恐れた不合理な行動から発生し、政府の借金と裏腹に企業の貯蓄が成立した経緯からすれば、金融資産本体への課税で回収するのが合理的だ。しかし、政治的には、そうも行かない。次善の策として、財政赤字を必要悪として認め、管理で暴走を防ぎつつ、緩いインフレで長期的に溶かすほかないのである。
………
政府は、2014年の消費増税でも「景気後退はなかった」としたようだが、消費と成長に大打撃を与えたことは明白で、運良く外需に救われ、悲惨な事態を免れたに過ぎない。教訓に学ぶ正常な判断力があれば、2019年は、増税幅を1%に刻み、増税と同規模の歳出拡大を用意して、成長を損なわないようにするだろう。その際は、低所得者の社会保険料の軽減に使い、非正規の厚生年金への加入差別を一掃すべきである。
これでは財政再建にならないと思うかもしれないが、そうではない。成長に伴い、次第に対象者は減り、長期的に収支改善に貢献する。しかも、労働供給を促進し、成長を押し上げることで、税収を伸ばす。就業を増やす以上のOJTはなく、これこそ人的投資と言えよう。低所得の多い保育や介護の待遇改善と人材確保にも役立つし、所得再分配の効果もあり、非正規に苦しむ母子家庭の助けともなろう。
政策を志す若い人たちに心得てほしいのは、財政は国・地方・社会保障を連結して見ることと、経済を供給力とマネーで分けて考えることだ。昨今の苦境は、財政赤字の削減に焦って成長を損ない、物的、人的、知的な投資ができなくなったことによる。重要なのは、失敗に学ぶことであり、それが形作った現実を安易に前提とせず、相互に依存する前提を多方面から崩すような統合的アプローチを考案することである。
(今日までの日経)
企業体力 喜べぬ最高、自己資本比率4割超え。育児支援はコストじゃない。FRB・0.25%利上げ、資産縮小9月も視野。需要、供給を超す・10-12月。
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