河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2043- オール・シューベルト・プログラム、クリスチャン・ツィメルマン、2016.1.13

2016-01-14 00:16:02 | リサイタル

2016年1月13日(水) 7:00pm サントリー

オール・シューベルト・プログラム

7つの軽快な変奏曲ト長調 Anh.I‐12  9′

ピアノ・ソナタ第20番イ長調 D.959  14′7′5′12′

Int

ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D.960  19′9′4′8′

(enocre)
シマノフスキ  前奏曲 op.1-1   3′


ピアノ、クリスチャン・ツィメルマン


クリアできれいで明瞭な音の粒が流れていくシューベルト。けっして重くならず、軽快というか、シャボン玉の泡のような具合に音符が次から次へとたわむれていく感じ。ざわざわと拡散している雰囲気は無く透明なガラス細工の中での出来事のようにも見える。端正な切れ味といったところか。
ソナタ形式としてのピアノの味わいは越えてきてしまった感があり、ポイントになるべきところはドラマチックに、息を切るようにパウゼして空白の緊張感を最大限効果的に醸し出す。それでも緊張感に押しつぶされるという悲壮感はまるでなく音楽の中の出来事としての味わい。ストレスのない心地よい張りつめた空気が聴衆の中に浸透していき音楽が同化していく。

手首の動きは無く、指を横に大きく広げることがないのは作品のせいかもしれないが、指を前にそろえて端正に弾いているように見える。均質な音価で縦の線がきれいにそろったハーモニー、音の入りに神経を集中している。それと音楽の自然な空白が効果的。
20番は先週、佐伯周子さんのピアノで聴いたばかりだけれども、まるで違うもの。佐伯さんのところで書いた問題点は溶けて見えなくなってしまっている感がある。深刻モードもまるで無くてかかった時間も大幅に異なる。対極の解釈と言ってよいかもしれない。
ツィメルマンは演奏する上で精神的な落ち着きが絶対必要で、まさにそのような中でプレイしているということが手に取るようにわかる。りきみがまるで無い。
ところで、佐伯さんの感想のところにも書きましたが、この20番の第2楽章はベートーヴェンの7番シンフォニーの2楽章にイメージが良く似ていますね。中間部の爆発のあたりは少し違いますけれど、あとは、まぁ、よく似ています。

20番も21番も冒頭楽章が長いのはソナタ形式の十分な展開とこの作曲家の歌謡性みたいなものがないまぜになって、どんどん長くなっていく。3,4楽章が短くなってしまうのは、頭で十分やったんだからあとはソナタ形式なんだからそこらへんわかってくれてるよね流すから、みたいな雰囲気かもしれない。
そもそも21番は冒頭楽章の第1主題を聴けば分かるように、最初からこんなに流れてしまって、第2主題はどうする、みたいな雰囲気でいきなり始まって、最後の作品といった変なこだわりは無くて、まだまだバリバリ書くよ、まだまだ途中よ、とシューベルトが思ったかどうかは知りませんが、きっとそうでしょう。
20番同様、劇的なあたりのポイントが深刻ぶらず、もったいぶらず、心地よく聴けた演奏、昨今あまりお目にかかったことのないものでした。
いい演奏でした。

オーケストラルコンサートだとシューベルトとブルックナーの組み合わせというのが割とあって、その歌謡性の面からの近似性、その側面で見てみると、シューベルトはシンフォニーではなくピアノ・ソナタのほうが似合っているようにツィメルマンの演奏を聴いて思いました。現実としての演奏会で、前半シューベルトのピアノ・ソナタ、後半がブルックナーのシンフォニーというプログラムは組めそうにありませんけれども。


この日のサントリーはほぼ満員で、オーケストラ定期演奏会越えの人気。
ツィメルマンは11月12月1月と国内リサイタルを二つのプログラムで通している。もう少し別のプログラムも欲しくなりますね。

アンコールが終わったのが9時過ぎで充実の好演でした。
ありがとうございました。
おわり


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